――私は、騎士フィンは騎士として失格な男であった。



娘達の笑顔を見る度に、娘達の想いに触れる度に心からそう思う。
私はかつて陰ながらお慕い申し上げた女性――ラケシス姫から、彼女の子供の娘を託された。
『どうか私が帰ってくるまでこの娘のことをよろしく頼みます』と。
私にとってそれは主命とは違う意味で、何よりも大事な使命だった。
情けないことに、ラケシス姫が別の男性と添い遂げた今でも私はラケシス姫をお慕いしていた。
一方通行な感情だとは分かっていた。これが騎士が抱くには不相応な感情だとも。
けれど、彼女が私を頼ってくれた。――それが何よりも嬉しかった。


その日から、ナンナは私の娘同然として育ててきた。
私の義理の娘であるジャンヌとはあたかも本当の姉妹のように・・・否、それ以上の絆さえ感じられた。
日に日に成長するナンナやジャンヌ、リーフ様を見て、私は初めて親というモノの気持ちを理解できた気がする。
生涯の伴侶もいないのにそのような気持ちを理解できる日がこようとは思いもしなかったのだが。


年月を経てナンナが14の誕生日を迎えた頃のある夜、私は自分の部屋にナンナを呼び、
真実を申し上げた。『ナンナ様、私は本当の父ではないのです』と。
ナンナは私の言葉を信じようとしなかった。泣きながら必死に『嘘だと言って下さい、お父様』と繰り返し叫んでいた。
その時の彼女の様子は今もなお、昨日のことのように鮮明に思い出せる。
落ち着かせようと言葉を選ぶ私の姿を彼女は泣きながら否定した。
『お父様がどうして私に敬語なんか使うのですか』『お父様がどうして実の娘に様なんてつけたりするのですか』と。
泣き叫ぶナンナを強き抱きしめて、気付けば私も涙を流していた。
なんということはない、私も悲しかったのだ。彼女が私の娘であってはならない、その現実が悲しかったのだ。
血縁などはどうでもよかった。ナンナが私の実の娘ではない等は関係ないのだ。
しかし、彼女はジャンヌとは決定的に違う。姫であるナンナが平民である騎士フィンの娘であってはならないのだ。
ジャンヌは彼女が七歳の頃に養父を失い、一人の家族もいない孤独の身だった。
だから私の娘となることに何の問題も無かったし、彼女も喜んでそれを受け入れてくれた。
だが、ナンナは違う。彼女は自由騎士ベオウルフ殿、そして獅子王エルトシャンの妹ラケシス姫の間に
生まれた高貴な血筋を持つ姫である。
彼女にはいつの日か必ず帰ってくるであろう母親が、そしてその母が愛した父親が存在しているのだ。
更に言うならば、彼女はいつの日かアグストリアに帰らねばならない御身。
それがレンスターのただの平民の騎士である私の娘であっていい筈がないのだ。
私はそのことを腕の中で泣き続けるナンナに優しく伝えた。
けれど、ナンナは理解することを頑なに拒んだ。私やジャンヌが家族としてあってはならない、そんな恐怖から目を背けるように。
運命を憎みたかった。最愛の娘を泣かせるようなそんな運命を私は認めたくなかった。
けれど、受け入れるしかない。それが姫より使命を受けた仮初の父が出来る最後の仕事なのだから。


ナンナを自分の部屋に返そうとしたとき、そこで彼女は禁忌の言葉を告げる。
その時のことを私は悔やむ。どうしてその時私は断らなかったのか。どうして甘い悪魔の囁きに乗じてしまったのか。そうすれば、後にあのような悲劇は起きなかったのに――。
涙を溜めたままの表情で。月明かりが部屋に射し込み彼女を照らし出すその廊下で。
彼女は母親から貰った大切な髪飾りを床に捨てて呟いてしまった。









『だったら私、本当の家族なんか要らない。
 ナンナという名前も家名も全てを捨てて、フィンお父様の娘としてずっと生きていきます』









その日から彼女は騎士フィンの娘、槍騎士『フィーナ』として生きていくことになる。















家族と共に歩む道
















「いい加減にして下さい!!」

その声が上がったのは私たちがセリス様の軍と合流して間もなくのことであった。
声の上がった方角を見ると、フィーナと金髪の少年が距離を少しおいて向かい合う形で対峙していた。
声を上げた主はフィーナであろう。

「どうしてだ!?君はナンナだろう!?どうしてそんな嘘をつくんだ!!」

金髪の少年の言葉に私は氷柱を脊髄に打ち込まれるような感覚に陥る。
何故だ、何故あの少年はフィーナの本当の名前を知っているのか。
レンスターにおいても彼女の素性、本名を知っているのは幼い頃から彼女に接していた者で、
家族を除けば最早片手で数えるほどだ。それが何故。
少年の追及にフィーナは只管に拒絶を見せる。否、フィーナは少年に対し敵意すら剥き出しにしている。
あれほどまでに激昂したフィーナは今まで見たことが無かった。

「私はっ!!私はレンスターが誇るランスリッター隊を総括する騎士フィンの娘、槍騎士フィーナ!!
 私は貴方なんか知らない!!私の家族はフィンお父様とジャンヌ姉様だけ!!私にお兄様なんていないわ!!」

「っ!!違うっ!!君はノディオン姫ラケシス母上の一人娘、ナンナだ!!そして俺、デルムッドの妹なんだ!!」

――デルムッド。彼は今、そう言ったのか。その名前の響きを私が忘れるはずが無かった。
ならば彼はラケシス様の息子、フィーナの実兄にあたるではないか。
二人の異様な状態に周囲の人間の注目が集まり始める。マズイ状況だ。
私が二人を止めようとしたとき、気付けば二人の間にはジャンヌが割っているように入り込み、デルムッド様を睨んでいた。

「騎士デルムッド様、お初にお目にかかります。
 私はレンスター騎士フィンの娘であり、この娘フィーナの姉であるジャンヌと申します。
 私の妹が騎士様の機嫌を損ねるようなことをしたこと、深くお詫び申し上げます。
 しかし、お話をお聞きしますところデルムッド様はフィーナをご自分の妹と勘違いなされてる様子。
 残念ながら、フィーナは私の妹であり、フィン父様の娘なのです。
 デルムッド様の言うような、ナンナ等という名前ではありません」

突如現れたジャンヌに彼は多少戸惑った様子を見せる。
そんな彼を見て、周りにいた数人の少年少女がジャンヌと同じように二人の間に入り込む。

「デル、これはちょっと出直した方がよさそうよ。
 彼女・・・フィーナって言ったっけ。完全にデルのコトと敵だって思ってる」

黒髪の少女の言葉にデルムッド様はハッとしたようにフィーナの方を見る。
フィーナはジャンヌの背中に隠れ、眼に涙を溜めて少年の方を睨みつけていた。

「それにそちらのジャンヌさんだっけ?彼女のお姉さんの方も凄い怖い顔してるしね」

青髪で髪を後ろにまとめた少年がデルムッド様の肩を叩きながら告げる。
ジャンヌはフィーナの前に立ち、『これ以上妹に何か言うのは許さない』といった感情を隠すことなく露にしている。

「・・・でも、俺は・・・」

「今日のところはもう止めとけって。同じ軍なんだから機会はいつでもあるんだ。
 二人とも興奮しすぎて今のままじゃ話にもならんだろ」

再度青髪の少年に言葉を遮られ、デルムッド様は少し間を空けて『分かった』と小さく呟いた。
少年達はデルムッド様を娘達の前から連れ出し、二人を残して奥のテントの方へと消えていった。

「大丈夫だったか、二人とも」

「お父様・・・おとう・・さまぁ・・・」

私の声を聞き、張り詰めていた糸が切れたのか、フィーナは私の胸に飛びつき声を出して泣き出した。
涙を流すフィーナを私はしっかりと抱きとめてあげる。
そんな気まずい様子を悟ったのか、周囲にいた人々は霧散するようにバラバラと散っていった。
残されたのは私と娘達の三人となる。

「お父様・・・先ほどのデルムッド様は」

先ほどの気丈そうな彼女からは考えられないような、とても悲しげな表情をしてジャンヌは私に問いかける。
彼女の質問に私はただ、軽く首を縦に振ることで肯定の意を示した。

「・・・フィーナのことを妹と呼び、『ナンナ』という名前を知っているならば間違いは無いだろうね。
 ・・・彼は、デルムッド様はフィーナの」

「違います!!!」

私の言葉をフィーナは大声で遮る。
私の胸から顔をあげ、フィーナは涙を目に浮かべたままで私の目をまっすぐに見つめてきた。

「フィーナ・・・」

「止めて・・・下さい・・・私は、フィーナはお父様の娘です・・・お姉さまの妹なんです・・・私に兄なんて、いません・・・」

「・・・そうだね。フィーナは私の可愛い大切な娘だ。他の誰でもなく、この槍騎士フィンの。
 このことはもう二度と言わないようにするよ。だから泣くのはよしなさい。
 目の前で娘に泣かれて胸を痛めない父などいないからね」

「お父様ぁ・・・」

私の言葉に安心しきったのか、フィーナは笑顔を見せ、猫のように甘えてくる。
そんな愛娘の頭を私はただ優しく撫でてあげた。娘へ優しくする方法など無骨者である私は数えるほどしか分からないが、
フィーナやジャンヌは私が二人の頭を撫でる行為を幼い頃より大層好んでくれた。

「うー・・・なんかフィーナばかりズルイですよお父様。私だって抱きしめてほしいです」

不満げに不平を漏らすジャンヌだったが、とても幸せそうな笑顔を浮かべていた。
この娘は義妹であるフィーナを実の妹のように、否、それ以上に可愛がっている為、
フィーナに笑顔が戻ったことが何よりも嬉しいのだろう。

「勿論ジャンヌだって可愛い大切な娘だよ。私の命はレンスターとリーフ様の為にあるが、私の全てはお前たちの為にある。
 大丈夫だよ。二人が嫌だといわない限り私はいつでもお前たちの傍にいるのだからね・・・」

誓い。その誓いはナンナがフィーナとして生きていくことを決めたときに二人に捧げた誓い。
キュアン様、エスリン様。私は最早騎士失格です。
レンスターのことよりも、何よりも娘のことを第一に考えてしまっている。そんな私にレンスターを護る資格はあるのでしょうか。
――ラケシス様。私は不忠であり、この世の誰よりも醜い騎士です。
きっと誰よりも貴女が願ったであろう、デルムッド様とフィーナの再会を私が全て壊してしまった。
貴女はこんな私を見てどう思うでしょうか。ですが、願わくばフィーナを責めないであげて下さい。
全ての罪はこの仮初の父である私の愚かな行動にあるのですから・・・














それから数日後のこと。
私はある夜オイフェ殿とシャナン様に招待され、オイフェ殿の部屋に行く事となった。恐らく、フィーナのことだろう。
私が部屋へたどり着くと、既にお二人は椅子に座って待っておられた。
机の上に酒が置いてあるところを見ると、どうやら今夜は帰してもらえそうにないらしい。

「よく来てくれましたね、フィン殿。さ、そちらの席へどうぞ」

オイフェ殿の言葉に、私は頭を下げて答える。席に着きお二人の方を見る。
・・・何年ぶりだろうか、この三人で向かい合って席につくのは。
席に着いた私を横目で見やり、シャナン様は酒を口に含み言葉を紡ぐ。

「さて、積もる話も互いにあるだろうが・・・その前に私達はお前に聞きたいことがある」

「・・・フィーナのことですね」

「・・・ああ、そうだ。あの娘はお前の娘だと言っていたが、どう見てもラケシスの娘、ナンナだろう。
 それにナンナの父はお前ではなく、ベオウルフの筈だ。
 何故彼女はフィーナという名前を名乗る?何故彼女は実の兄であるデルムッドを敵視する?」

ナンナ――フィーナの父が私ではない。
その事実を他者の口から出されるのがこんなにも心苦しいことだとは思わなかった。
そんなことは百も承知だというのに。

「フィン殿・・・私達は別に貴方をせめている訳ではないのです。
 ただ、あの子・・・デルムッドは幼い頃より母であるラケシス様や妹であるナンナ様と再会する日を夢見て育ってきました。
 そんな彼を拒む理由、それをお聞かせ願いたいのです。貴方とラケシス様、そしてナンナ様に何があったのかを」

言葉を返せない私に、オイフェ殿はゆっくりと問いかけるように言葉を選ぶ。
そして、私は覚悟を決めて全てを二人に話すことにした。
もはやお二人の目の前にいる人間が騎士などではないことを、最低な人間であることを伝える為に。






フィーナと私の過去を全て話し終えたとき、お二人は無言だった。
それもそうだろう。お二人の知っている騎士フィンならばこんなことになどならなかった筈なのだから。

「・・・私は最低な男です。ラケシス姫への不忠だとも、この結果が分かっていたのにも関わらず、私はあの娘を選んでしまった。
 この罪が許されざることだと、私にも分かっているのです・・・ですが、ですがあの娘には笑っていて欲しかった。
 仮初めであっても、私などの娘であることが幸せならば幸せにしてあげたかった。
 私はもう、お二人の知っているフィンではないのです・・・
 ここにいるのは自分の欲望の為ならば他の不幸も選べるような、そんな愚かな一人の男なのです・・・」

「フィン殿・・・」

「デルムッド様には謝っても済むような問題ではありません・・・彼が私の首を差し出せと言えば甘んじて受け入れましょう。
 ですが、ですが私たちの親子の絆だけは奪わないで欲しいのです。
 私にとって、フィーナやジャンヌとの絆は命などよりも代え難いものなのです」

なんて自分勝手な願いだろうか。
デルムッド様からかけがえの無い家族を奪っておいて、私はそのようなことを願ってしまっている。
フィーナの温もりは本来ならばデルムッド様が受け取って当然なのに。
その温もりを、私は自分勝手な欲望のために強奪した。それなのにどうしてそんな勝手な願いが許されるのか。

「騎士失格だな」

シャナン様の言葉は、私の過去の所業の全てを一言にまとめていた。
そうだ。私はもはや騎士などと名乗るのもおこがましいのだ。
国民の命と娘の命、どちらを優先するかを問われれば今の私は迷うことなく後者を選ぶだろう。

「その通りです・・・私は最早、騎士などではない。否、あってはならないのです。
 この戦が終わり平和な世となれば私はランスリッターを除隊するつもりです。
 私はもう、あの頃のような自分が騎士であることなど誇れるような人間ではないのです・・・」

私は頭を垂れて目を瞑った。お二人からどのような言葉を投げられても覚悟は出来ている。
しかし、いくら待ってもお二人からは何の一言も発されなかった。
私はゆっくりと目を開くと、そこにはお二人が何故か笑顔で私のほうを見つめていた。その笑顔には温かさすら感じる。

「な?言ったとおりだったろうオイフェ。フィンがあのラケシスの娘を悲しませるようなことなどする訳がなかったのだ」

「いや全く。しかし酷いですな、それではまるで私がフィン殿を疑っていたかのようではないですか」

オイフェ殿とシャナン様は互いの顔を見合わせて笑いあっていた。
そんな二人が何故笑ってるのか私には少しも理解できなかった。
お二人は私の所業を罰する為に私をここへ呼んだのではなかったのか。

「フィン、どうしてお前はナンナ・・・否、フィーナを娘とすることを罪であると考える?
 彼女を娘と認めたのだろう?彼女の幸せを願った故の行動なのだろう?ならば良いではないか。
 お前が騎士という難儀な生物ではなく、初めて人間として私達に見せた行動だ。むしろ私達は嬉しいのだよ」

「ええ、フィン殿がそこまでしてラケシス様の娘、フィーナ様のことを騎士としての義務などではなく、
 一人の家族として考えていてくれたことが私達は何よりも嬉しいのです。
 そして私たちはシグルド様の元にいた頃は共に腕を磨きあった旧友でもある。
 そんな友が人間として見せてくれた感情を喜ばない訳がありません」

――信じられなかった。お二人からは私が予想だにしていなかった、ある種赦しとも取れる言葉が発される。
私の行いは間違いなどではなかった、と。お二人は言って下さっているのだ。それは何よりも嬉しかった。
しかし、私はその赦しを受け入れることが出来ない。
そう、一番苦しい思いをしているのは私などではなく、デルムッド様なのだから。

「それは・・・違います。
 私はあくまで、自分勝手な行動をしただけなのです。それにお二人がどう許されても、デルムッド様は・・・」

「それなら本人に聞けばいいじゃないか。なあ、デルムッド?」

シャナン様の言葉に呼応するかのように、突如私の背後にあった部屋の扉が開かれる。
そこにはシャナン様が仰るように、デルムッド様が視線を私から逸らすようにして立ち尽くしていた。

「・・・聞いておられたのですか、デルムッド様」

搾り出すようにして、私は尋ねるが返事は返ってこない。――当然だ。彼は実の妹を奪ったこの私を憎んでいるのだから。
私は椅子から立ち上がり、デルムッド様の前で跪いた。
騎士であることを放棄し、かつて愛した女性の家族を引き裂いた愚かな男が裁きを受けるときが来たのだ。

「デルムッド様、貴方は私を斬る資格がある・・・貴方が望むなら、私は・・・」

「俺は」

私の言葉を遮るようにデルムッド様は言葉を放った。
その声は、あの日初めて聞いたときのような荒げた声ではなく、威風堂々としたものであった。
彼こそがまさしく、あのラケシス様のご子息だと証明しているかのように。

「俺は、貴方を憎んだ。ナンナを奪った、貴方を」

それはデルムッド様からすれば言って当然な呪詛の言葉だった。このとき私は、今宵命を彼に捧げる覚悟をした。
恐らく数刻先にはデルムッド様が帯刀している剣によって、私はこの世と別れを告げることになるだろう。
だが、不思議と恐怖はなかった。ただ、娘たちに一言だけ別れを言いたかった。
もし娘たちがいなかったならば、私はあの時のまま、ただ無意味な生を享受するだけの屍当然の騎士のままだっただろう。
だが娘たちはそんな私を救ってくれた。
娘達の存在が私の騎士としてではなく、一人の人間としての生の喜びを教えてくれた。
それだけで私にとっては充分幸せ過ぎる人生だった。

「だけど」

刹那、デルムッド様から先ほどとは明らかに違ったトーンの声が放たれ、私は思わず頭を上げてしまう。
そこにはデルムッド様が、私の方を笑って見つめて下さっていた。

「だけど・・・今、貴方の心を聞いて、本当に嬉しかったんです。ナンナのことを、それほどまでに大切にしてくれたことが。
 俺は貴方に感謝したいのです。
 実の父でもない、ましてや母と夫婦であった訳でもない貴方が、そこまでナンナを想ってくれたことが」

責めの言葉でも。侮蔑の言葉でもなく。ただデルムッド様は感謝の言葉だけを私に述べられた。
こんな無様でデルムッド様の全てを滅茶苦茶にした私に、感謝という名の許しの言葉を。
気づけば私の身体は彼の言葉に呼応するかのように震えてしまっていた。

「デルムッド様・・・私を、こんな私をお許しになるというのですか・・・」

「許すも何もありません。俺は本来ならば、貴方に謝らなければならないのだから・・・」

跪く私に一度頭を下げ、デルムッド様は私に背を向ける。よく見ると、デルムッド様の身体も心なしか震えているように思えた。

「ナンナのこと、父や母、そして私に代わりこれからもよろしくお願いします・・・
 きっとフィン様が父ならば、ナンナは幸せでいられると思いますから」

部屋から出て行こうとするデルムッド様をシャナン様が『待て』と一言制止する。
シャナン様もオイフェ殿も浮かべておられる表情は呆れ顔と言っても過言ではない。

「どうしてそこで出て行こうとするんだ。それではお前一人が傷つくだけじゃないか。
 お互いが幸せでいられる簡単な方法があるのに、お前ら二人はそれすらも放棄するつもりか?
 不器用な生き方にも程があるぞ」

「シャナン様、それは一体・・・」

――互いが幸せになれる方法。そんなことがあるのか。
私にとってのフィーナ、デルムッド様にとってのナンナ。その壁がある限り私には皆目検討もつかなかった。
そんな私の考えを読み取ったのか、シャナン様は含み笑いを浮かべながら酒を再度口に含む。

「簡単なことだ。デルムッド、お前がフィンの息子となればいいのだ。
 そうすればフィーナとも兄妹でいられるし、フィンとフィーナは今のままでいられる。
 フィンはランスリッターの頂点に立ち、槍騎士としての名声は今や大陸中に轟いている程の騎士だ。
 デルムッドが息子となるのに何の問題もない程の地位だと思うがな」

シャナン様の考えはまさに私にとって想像を遥かに飛び越えたものであった。
確かに、その考えは私にとっては大変魅力的である。
しかし、それはつまりラケシス姫の子供を二人とも私のものとしてしまう勝手な行為。
また、別の言い方をすればデルムッド様にベオウルフ殿を捨てろとも取りかねない意見なのだ。
そんなこと、許される筈が無い。

「しかし、俺は・・・」

当然のように口篭るデルムッド様を見て、シャナン様は大きな溜息をついた。
そして私たち二人をみやり、一言『お前たちは基本的な履き違いをしている』、と仰られた。

「ラケシスやベオウルフがこの場合、デルムッドに何を望むのか。そんなのは分かりきってることだろう?
 自分たちの子供であることを突き通してまでお前に不幸を望むのか?そんな二人がお前の親だったのか?
 フィンも同じだ。お前はラケシスが、ベオウルフが自分の娘をそこまでして育ててくれたお前を恨んでいると思うのか?
 だとすればそれは二人に対して限りない侮辱だろう。いい加減自分自身を蔑んで逃げるようなマネはよせ。
 お前が娘としてフィーナを大切にしているということに何の偽りもないのだからな」

シャナン様の言葉に私の脳裏にふと懐かしいビジョンが浮かんだ。
それは十数年前にレンスターにいた頃、フィーナを抱いたラケシス様の笑顔。
あの頃、ラケシス様は私に夢を語って下さった。
この娘には幸せになってほしいと。息子と二人、これ以上ないくらい幸せを掴んでほしいと。
その時のラケシス様の表情はあの頃の私にとって女神の笑みのようであった。
この女性の夢を護りたいと。
一人の異性としてではなくてもいい、ただ一人の男としてこの女性の笑顔を護りたいと。心からそう思った。
ラケシス様の幸せとは何だ。私の首を実の息子に差し出すことか。
デルムッド様に娘を譲ることか。デルムッド様から娘を奪うことか。否、否、否。断じて否。
それは全て私の逃げだ。ラケシス様の娘を自分の娘としたことに、他の誰もが咎め様としなかった。
むしろ賞賛するものさえレンスターには多かった。
だからこそ私は自分で自分に罪であると糾弾して逃げた。そうすることでしか私はフィーナを受け入れる事が出来なかった。
自分を責めることで免罪符を得たつもりになっていた。

「フィン様・・・私に、貴方を父と呼ぶ資格はあるのでしょうか・・・?」

「それは私の方です!
 私こそ、貴方を息子として迎え入れる資格などあるのでしょうか・・・貴方からフィーナを奪ったこの私に・・・」

私は赦されたかった。本当は全ての人にフィーナが私の最愛の娘であると認めてほしかった。
過去に愛した女性が産んだ、私に騎士としてではない人間としての幸福を教えてくれた娘と
一緒にいる権利を全ての人に認めてもらいたかった。
私は赦されたかった。
昔、私の目の前に立っている少年を迎えにいったまま帰ってこなかった女性に。そして、その少年に。
そして、叶うならば。願いが届くのならば、私はこれからの生涯を立派な騎士としてではなく、普通の父として在りたかった。
それが私の何よりの願いだったのだ。

「まだ、父上とすぐには呼べませんが・・・出来るならば、俺は貴方の息子でありたい・・・」

「デルムッド様・・・」

気づけば私は涙を流していた。嬉しかった。目の前の少年が私を父と呼んでくれることが。私を受け入れてくれることが。
私は立ち上がり、デルムッド様を抱きしめていた。
デルムッド様は驚かれたような表情を浮かべたが、抵抗することなく私の抱擁を受け入れて下さった。

「おいおい、親子なのに『様』はないだろう?フィン」

苦笑するシャナン様は再度呆れながらそう仰った。
きっと今の私は見るに耐えないくらい情けない表情をしているのだろう。

「そう・・・ですね・・・」

私はつぶやくように何度も何度もそう繰り返した。この少年の温もりが感じられる限り私はずっとこのままでいたかった。

ベオウルフ殿。聞こえていますか?私は本当に幸せ者です。あなたの子供たちに私の全てを捧げられるのだから。
ラケシス様。聞こえていますか?もしいつの日かお会いしたら、私は貴女に伝えたい。
貴女の子供たちのおかげで私は誰よりも幸せだったと。






――貴方達の子供達は、私の子供達は、誰よりも幸せにしてみせます。
――それが私の、騎士フィンとしての最後の誓いです。





















「それでお父様、私たちにお話とは何ですか?」

後日、自分の部屋にジャンヌとフィーナを呼んだ私にジャンヌは首をかしげて疑問を投げかける。
その意見はフィーナも同じようで、ジャンヌと同じあたかも小動物のような目で私を見つめていた。

「ああ、実は私達に家族が増えたんだよ。それを報告しようと思ってね。入っておいで、デルムッド」

私の声と同時に、扉の向こうからデルムッドが顔を赤らめて現れる。少し緊張しているらしい。
彼を見たジャンヌは突如立ち上がり、フィーナの前に立ちふさがる。
以前の二人の口論が未だ頭に焼き付いているのだろう。

「お父様、デルムッド様は・・・」

ジャンヌはデルムッドの方を睨みつけるようにしたままで私に事の次第を訊ねる。
この娘は本当に妹想いなのだな、と再度認識させられてしまう。
私は苦笑しながらフィーナの方を向き、優しく声をかける。二人の大切な絆を再度結びつける為に。

「フィーナ、もう無理をして実の兄を嫌うようなマネをしなくていいんだよ。デルムッドも私の大切な息子なのだからね。
 さあ、ずっと伝えたかったことだってあるだろう?もう二人は本当の兄妹なんだ。何も私に遠慮することなんかいらないんだ」

私の言葉を頭の中でゆっくりと咀嚼するかのように、フィーナは恐る恐るデルムッドの方に視線を送る。
デルムッドはただ実直に、他の何を見ることも無くフィーナのほうを見つめていた。

「本当に・・・お兄様、なの・・・?」

フィーナの途切れ途切れの声に、デルムッドは大きく頷いて肯定を示す。
私は二人の間に立っているジャンヌを自分の元へ引き寄せ、二人を傍から見守ることにする。
突如私に引き寄せられたジャンヌではあったが、今はどうやら私と同じ考えのようだ。

「ああ・・・この前は本当に、自分勝手なことばかり言ってごめんな。でも、俺はやっぱりフィーナの兄でいたい。
 君の父がフィン様であるように、俺の妹は、やっぱり君なんだ。すぐに許してもらえるとは思っていないけど・・・それでも・・・」

彼は最後まで言葉を続けることが出来なかった。デルムッドが言い終えるよりも早くフィーナは彼に抱きついていたからだ。

「フ、フィーナ!?」

驚きを隠せない様子のデルムッドの胸の中で、フィーナは感情を爆発させた。
今まで塞き止めていた感情という防波堤を破壊させたかのように。

「ごめんなさいっ・・・本当に、ごめんなさいっ・・・!!お兄様って、呼びたかった・・・!!
 ずっとずっと、呼びたかった・・・!!私も貴方が私のお兄様だって、一目見たときから分かってた・・・!!
 でも、私は、もうナンナじゃないから・・・フィン父様の娘だから、駄目だって・・・!何度も言い聞かせて、それで・・・!!」

「もういいんだ、フィーナ・・・これからは俺もずっと一緒だよ。俺もフィン父上と同じように君の事を護るから・・・」

涙を流して喜び合う二人を見て、私は席をたって部屋を出て行った。今の二人を邪魔するようなことをしてはならない。
廊下を歩いていると、隣にはいつの間にかジャンヌが私の腕を抱きしめて、
まるで子供が悪戯を見つかったような笑顔を浮かべていた。

「一件落着ってトコですか?お父様」

「そうだね。私は二人のためにお茶を運んでくるよ。ずっと離れていた兄妹だ、積もる話もあるだろうからね」

「あ、それなら私も手伝いますよ?
 ちょっとフィーナを取られちゃった感じで私、ずっとあの二人を蚊帳の外で見ていたらきっと嫉妬しちゃいますもの」

そういってジャンヌは少し悔しそうな表情を浮かべている。
なるほど、フィーナを人一倍可愛がっているこの娘ならその感情も仕方がないだろう。

「はは、ジャンヌだってデルムッドとは家族になるんだ。それくらいは許してあげなさい。
 さてさて、今日はお茶のついでに久々におかしでも作って差し上げようか。
 フィーナの好きなタルトなんか喜ばれるかな。ジャンヌはどう思う?」

「もー、最近お父様ってフィーナばかりに甘すぎですよ!でも、まあ今回ばかりは許して差し上げます。
 あの娘があんなに嬉しそうに泣いてる顔なんて久しぶりに見ましたしね」

ジャンヌの言葉に私はそれはありがたいと苦笑しながら答える。
今のジャンヌもフィーナに負けず劣らず嬉しそうな表情をしてることにジャンヌ自身は気づいているのだろうか。

「そうだな・・・では行こうか。今日はとても良い出来のタルトが作れそうだ」

私は窓から差し込む光を全身で受けるように伸びをして、台所の方へとジャンヌと二人歩いていった。
――その差し込む光に私は何故かラケシス様が私たち家族の新たな門出を祝福してくれるような、
そんな不思議な感覚を感じながら。














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