「フィン、どうしたんだ?マンスターでの戦い以来、何か考え込んでいるようだけど」

進軍中、リーフ様から声をかけられ、私は思考の海から舞い戻る。
思考の内容が余りに信じ難いだけに、リーフ様に伝えるべきかどうか若干迷いはしたものの、
私はリーフ様にお伝えすることに決めた。

「リーフ様・・・あなたはマンスターの山にいた竜騎士をごらんになりましたか?」

前の戦でマンスターの山の上空に佇み、我ら解放軍の戦いをまるで第三者のように見物していた一人の女竜騎士。
リーフ様も心当たりがあられたのか、『ああ』と軽く肯定の意を表された。

「見たさ、トラキアでも女の竜騎士はめずらしいからね。でも、それがどうかしたのか?」

「あの女騎士が持っていた槍・・・あれはゲイボルグです」
 彼女の体はノヴァの聖光に包まれていました。まるでかつてのキュアン様のように・・・」

あの時女竜騎士は確かにゲイボルグを携えて竜の上に跨っていたのだ。
レンスターに昔より仕えた者ならば遠目からでも分かる程の輝きを持ったノヴァの聖光と共に。
忘れられる筈も無かった。間違える筈も無かった。
あの輝きは私が若き頃、常に目標とし、心から慕い、追いかけ続けた主君と全く同じものだったのだから。

「なに!?フィン、それはどういうことだ!」

「これから先は私の推論・・・いえ、ゲイボルグを所持されている時点で間違いないでしょう。
 トラキア軍に襲われて行方不明だったアルテナ様がご無事でいらしたのです。
 失われた筈のゲイボルグの槍が何よりの証でしょう」

――アルテナ様。キュアン様とエスリン様の第一子にしてリーフ様の実姉。
現在は行方不明・・・否、死亡扱いされていた姫君。
私の言葉を聞いてリーフ様は驚かれているが無理も無いと思う。私だってこんな奇跡起こりうるとは考えられない。
だからこそリーフ様に進言するかどうか迷ったのだ。

「姉上が・・・本当に!?でもどうしてトラキア軍の指揮官なんかに?」

「恐らく、トラバント王が連れ帰り、自分の子として育てたのでしょう」

私は迷うことなくそうリーフ様に告げた。それは自分なりに確かな確信があった為だ。
第一にキュアン様、エスリン様を殺害したのはトラバント王に間違いは無い。
トラキア軍がいくら精鋭とはいえ、キュアン様の槍と対等に渡り合える者などトラバント王をおいて他にいないからだ。
勿論、その後トラバント王がアルテナ様を部下や全然関係のない人間の子供にしたという線も考えられなくも無いが、
その線は極めて低いと考えられる。
アルテナ様はお一人で我々の戦いを見学なさっていた。
つまり、参戦せずともよい立場――指揮官クラスか後方支援に徹していたということになる。
ゲイボルグという神具を持たせて置き、
そんなことを戦略上ただの一兵一指揮官でしかないアルテナ様に許すだろうか。否であろう。
すなわちトラバント王には例え神具があってもアルテナ様を前線に立たせたくない理由がある。
それは自分の娘であるからではないのか。

「トラバントは冷酷な男だときいていたが、少しは人間の心も持っていたのか・・・」

リーフ様の動揺と迷いが込められたような言葉に私は何も答えられなかった。
トラバント王は確かに我がレンスターにとって怨敵。キュアン様、エスリン様の命を奪った憎き存在。
私にとってもそれは変わりない筈だ。
しかし私は何も答えられなかった。リーフ様の要らぬ心の迷いを消す為に
『トラバント王はただアルテナ様とゲイボルグの力を利用している』と言えば良かったのに、それが出来なかった。
何故かは分からないが、私にはトラバント王とアルテナ様の間柄は
そのような無粋な憶測で物語ってはいけないような、そんな気がした。

私はこれからリーフ様に家臣として一つの冷酷な提言をしなくてはならないのだと思うと、心が鈍ってしまう。
トラバント王がもしアルテナ様を自分の娘として育てていたのならば。
アルテナ様を自分の娘のように、それ以上に愛情をかけて育てられたのならば。
もし、私の娘のように・・・フィーナのようにアルテナ様もまた『私達と同じ道』を歩まれたならば、
アルテナ様は我々から真実を告げられても恐らく耳を貸すことなどされはしないだろう。
むしろアルテナ様のお怒りに触れる可能性が高い。つまりはリーフ様のお命を危険に晒すことになってしまう。
それだけは避けねばならない。
数巡の迷いの末に、私は無礼を承知でリーフ様に向かって口を開いた。

「・・・リーフ様、この戦いでは恐らくアルテナ様が出陣されるでしょう。
 無論、事情を何も知らないアルテナ様は我々の命を狙ってきます。その時、リーフ様はアルテナ様と戦うことが・・・」

「馬鹿なことを言うなフィン!!私がどうして姉上と命のやり取りなどしなければならないのだ!!
 姉上は私が説得してトラバントからお助けする!冗談でも二度とそういうことを口にするな!!」

私が言葉を終える間もなくリーフ様は声を張り上げて私を一喝なさった。
当然だ。実の姉と命のやり取りが出来るかなどと問われれば例え冗談でも誰だって気を害するだろう。
リーフ王子は毛頭よりアルテナ様と剣を交えることなど考えてはおられないのだ。
ご自分が説得すれば必ず話を聞いてくれるだろうと信じておられる。
――確かに。確かに可能性はある。アルテナ様を説得出来るのはリーフ様をおいて他に存在しないことも理解できる。
しかし、しかしそれはあくまで可能性であり絶対ではないのだ。

「はっ・・・申し訳ございませんでした。しかし余り無理はされませぬように・・・
 アルテナ様がたとえ事情を知らなくとも、今はトラバント王の娘であるのですから・・・」

私は頭を下げ、リーフ様に失言を詫びた。
リーフ様の仰るとおり、リーフ様がアルテナ様を説得してトラバント王からお助けする。本来ならば簡単なことなのだ。
トラバント王はアルテナ様の実の両親の仇なのだし、何よりリーフ様が弟であること、
そしてトラバント王が実の親ではないことはその手に持つゲイボルグが何よりも証明している。
だが、どうしても私には悪い予感めいたものを感じずにはいられなかった。
私の心の中で小さなトゲが刺さってるかのような、言い様のない小さな不安が渦巻いている。
その日の進軍中、戦闘に入るまで私はずっと己の胸の内で一人思考し続けていた。これが杞憂で終わればいいと祈りながら。





















誰が為に




















「お父様、どうかされましたか?何かずっと考え込まれてるような感じがするのですが・・・」

ミーズ城内、私に与えられた一室に訪れていたフィーナが少し不安そうな表情で私に尋ねてきた。
先ほどからフィーナの歳相応の女の子だと感じさせるような話を聞いていたのだけれど、どうも私は表情に出てしまったらしい。

「まいったな・・・私はそんなに顔に出てしまっているのか。
 これじゃ周りに要らぬ心配をかけてしまうね・・・すまない、フィーナ」

「いいえ、娘なのですから親の心配をするのは当然のことです。
 私が好きでフィン父様の状態を見ているのですからお気になさらないで下さい。
 でも、本当にどうかされたのですか?もし何か悩みがあれば私などでよければお聞かせ願いたいのですが・・・」

フィーナの言葉を聞いて、私は先日のリーフ様との話をそのまま伝えるべきかどうか躊躇する。
リーフ様がフィーナに口にすることがない限り私はこの娘に伝えるべきではない。
しかし、もしかしたら、という気持ちが私の中にもある。
アルテナ様と似た境遇のこの娘なら、実の親だと思っていた私がそうではなかったという現実を
受け止めたフィーナならば私の考えが杞憂だと証明してくれるかもしれない。
少しの間を置き、私はフィーナに間接的に伝えることに決めた。例え話でならば恐らく問題ないだろう。

「・・・もし、私がフィーナの実の両親の仇だとしたらどうする?」

「お父様・・・?おっしゃる言葉の意味がよく分からないのですが・・・」

首を傾げるフィーナに私は苦笑する。確かに少し遠回り過ぎたのかもしれないな、と反省する。

「ああ、すまない。一つの例え話として聞いてもらえるとありがたい。
 もし、フィーナの実の両親を殺したのが私で、フィーナはその事実を初めて会った実の弟に聞かされたとする。
 その証拠は出揃ってる。その時フィーナはどうする?
 当然私を恨んで、実の両親の仇を討つために私やジャンヌを殺すのかな・・・」

私が言い終えたとき、フィーナは悲しげな表情を浮かべていた。
当然だろう。例え話でもこんな話をされて喜ぶ人間などいない。
悩むフィーナを見て『無理に答えなくてもいいんだ』と言おうと私が口を開こうとしたその時、
フィーナははっきりと私に告げた。

「私は・・・恨みません」

「フィーナ・・・」

娘の答えはどこまでも私の予想通りで、そして私の望んだものとは異なる回答であった。
仮にフィーナをアルテナ様の立場に置き換えた時、この娘は実の家族であるリーフ様を捨てても
血の繋がらないトラバント王を信じると言ったのだ。

「実の両親を殺したのは確かにお父様なのかもしれません。けれど、それには事情があったのだと私は思います。
 それに私を今まで育ててくれたことは事実。そして私を愛して下さった家族であることも事実なのです。
 私にとっては大切な人なのです。血の繋がりなんて関係ありません。
 実の弟であろうと実の父母であろうと、誰であろうと私はきっと耳を貸さないと思います。
 一つの事実の為に、一番愛する人達を裏切るなんてことは私は出来ません・・・」

「そうか・・・」

私はそう答えることしか出来なかった。
フィーナの言葉があまりに重く、あまりに現実味を帯びていたから。私には何も言葉を返すことが出来なかった。

「お父様・・・仮の話でも二度とそういう話はしないで下さい・・・
 私・・・例え話でもお父様やジャンヌ姉さまを殺すだなんて・・・」

「すまない・・・本当に意地悪な質問だったね」

悲しそうな表情を浮かべたままのフィーナを手繰り寄せ、軽く抱きしめて私は言葉を紡ぐ。
――私は迷っていた。リーフ様とアルテナ様が命のやり取りをすることなど決してあってはならない。
無論どちらかでも死ぬような事態など問題外だ。
その問題を解決する方法を一つだけ、私は考え付いている。
お二人が殺しあうことも、奪い合うこともない、そんな解決法を。
ただ、ただ私の胸の中で泣いているフィーナが私の決意を鈍らせる。その方法は、確実にこの娘を泣かせてしまう。
騎士として生きるべきか、人間として生きるべきか。その答えは見つけた筈なのに。
私は未だに弱いあの頃のままなのかもしれない。
家族がいるということは、こんなにも自分の命を重いものに変えてしまうのか――


















その日の夜、私はフィーナを部屋に送った後で、ジャンヌとデルムッドを部屋に呼んだ。
二人は部屋に入って数刻は経つだろうに、無言を貫いていた。
恐らく感じ取っているのだろう。私が今から大事な話をするということを。

「それで、お父様。大事なお話があるということですが、内容を聞かせていただいてもよろしいですか?」

静寂を打ち破るように発せられたジャンヌの一声に、デルムッドも無言で頷き私の方を見る。
自分で言うのもおかしな話だが、この二人は本当に私に似ていると思う。
――そのどちらも、実の子供ではないのだから更におかしな話だが。

「そうだね・・・では話を聞いてもらえるかい?」

「ええ、お願いします・・・と、言いたいところなのですが、何故この場にフィーナをお呼びしなかったのですか?」

「俺も同意見です。私達二人を呼んでフィーナを呼ばない理由をお聞かせ願いたいです」

「・・・フィーナは恐らく、私の話を聞いてくれないと思うからね。
 きっと言ってもすぐに止めようとすることは目に見えているよ。下手をすればセリス様に直訴しかねない」

私の言葉を聞いて、二人の表情が更に硬いものへと変わる。
部屋の空気の重たさが先ほどとは比べ物にならないほどに圧し掛かる。
幾度の軍会議を行ってきたけれど、自分の発言がこれほどまで集中して聞かれたことなど余り記憶にない。

「まず聞いて欲しいのは、リーフ様の姉にあたるアルテナ様がご存命であることが分かったということ」

「アルテナ様が!?」

声を上げて驚くジャンヌと声を失するデルムッド。それも当然だろう。
何せ死んだと思われていたアルテナ様が生きていると聞かされたのだ。
こんな奇跡を目の前で話されては驚くなという方が無理というものだ。

「ああ、遠目での確認だが間違いない。ゲイボルグを所有されていることも確認した。
 ゲイボルグを使えるのは今やアルテナ様をおいて他に存在し得ないからね。
 そして、ここからが一番重要なのだが・・・アルテナ様は今、トラキア軍に所属されている」

「ト、トラキア軍って・・・どうしてなのですか?トラキアはレンスターにとって憎き怨敵ではありませんか!
 リーフ様の姉にあたるアルテナ様がどうして敵国の味方をするのですか!?」

「ああ、そうか・・・デルムッドはアルテナ様が幼い頃に失踪されたということを知らないんだったね。
 まずはそこから話を始めようか」

そして私は二人に知っている限りのことを伝えることにした。
アルテナ様の幼い頃私が世話係を努めたこと、アルテナ様は実の娘であるかのように私に懐いて下さったこと。
アルテナ様がキュアン様達と共に消息不明になったこと。
――そして私の考えを。アルテナ様を恐らくトラバント王は実の娘として育てたのではないかということ。
全ての話を終えたとき、二人はとても信じられないといったような表情で私の方を見つめていた。

「まだ、信じられそうにないかい?」

「いえ・・・お父様がこのようなことで嘘を言うような人ではないことくらい嫌と言う程分かっています。
 アルテナ様がご存命であること。現在は私達の敵であるトラキア軍に所属していること。
 ・・・アルテナ様は、恐らくトラバント王の娘として育ってきたのではないかということ。
 そして何よりもリーフ様とアルテナ様のお二人が命を互いに奪い合うようなことがあってはならないこと。
 おおよそのことは理解しました。ですが・・・」

ジャンヌは言葉を途中で切り、私から目を逸らすようにデルムッドの方を向いた。
そしてデルムッドはジャンヌの視線に答えるように私の方へ視線を向ける。

「ですが、そのことを私達に伝えるだけでは父上がフィーナをこの場に呼ばないということの説明がつきません。
 教えて下さい父上。貴方はこれから何をしようというのですか」

少し、私を責めるような口調でデルムッドは私に質問を投げかける。
――恐らく二人ともこれから私が話すことを薄々と分かっているのだろう。だからこそ、
二人はこんな辛そうな表情をしているのだ。
私は少し躊躇ったものの、予定通り二人に考えを伝えることにした。

「私は、アルテナ様と一人で戦おうと思う」

告げた瞬間、二人の表情が豹変した。ジャンヌは今にも泣き出しそうな、
そしてデルムッドは何かを堪えるように奥歯を噛み締めるような表情を浮かべていた。

「何故ですか!何故お父様がアルテナ様と戦わなければならないのですか!?
 ましてや一人でだなんて無茶にも程があります!!
 いくらお父様が大陸随一の槍騎士とはいえ、アルテナ様はゲイボルグの使い手なのですよ!?」

「そうだね・・・けれど、これしか方法が思いつかないんだ。
 最悪の場合・・・もしリーフ様がアルテナ様を説得出来なかった場合、
 リーフ様とアルテナ様を殺し合わせない為にはこれしか、ね。
 リーフ様をワープの杖でその場から強制移動させて、私がアルテナ様を捕らえる・・・
 かなり無茶をしなくちゃならないかもしれないけど、これが一番確実な方法だと思うんだ」

「かなり無茶どころではないではありませんか!下手をすれば父上の命すら危ういのですよ!?
 捕らえるという作戦でいくのならば私を含め多くの仲間を引き連れて集団で攻めるべきです!
 そうすれば父上だけを危険な目に合わせる必要がなくなる筈です!」

「それは無理だ。アルテナ様は竜騎士で隊長クラス、集団で行動していては
 それこそ早々にばれてしまい後退されてしまうだろう。
 アルテナ様の説得には最小限度の人数で当たらなければならないんだ。
 軍から何人も抜けられては軍全体に悪影響を及ぼすからね。
 それにアルテナ様は恐らく部隊の指揮官、それもかなり上位だと私は思う。
 もしアルテナ様を捕らえることが出来ればトラキア軍の士気は大きく低下する。
 私の危険というリスクを考えても余りあるメリットがこの作戦にはあるんだ」

「でも・・・っ!!」

必死で言葉を続けようとするジャンヌを手で制止して、私は笑顔を作ってみせる。
自分で話したこととはいえ、少しでも二人に安心を与えたかった。そんな悲しそうな表情をさせ続けたくはなかった。

「大丈夫だよ、私が死ぬと決まった訳じゃない。それにリーフ様の説得が成功する可能性も高い。
 この話は本当に本当の『最悪のケース』なんだ。可能性としては本当に極僅かだよ」

「その言葉を私達は本当に信じていいのですか・・・?」

デルムッドの言葉に、私はああ、と肯定の意を示してみせる。
例え見え透いた嘘だとは自分で分かっていても、私は押し通さねばならない。
――そう、嘘なのだ。私は先ほど自分で極僅かの可能性と二人に言い聞かせた
『最悪のケース』こそが最も起こり得る可能性の高いことだと考えている。
そして私が命を落とす可能性――そう、もしアルテナ様と一騎打ちした場合、
私が死ぬ可能性が極めて高いことも勿論自分自身で分かっている。
ゲイボルグの加護がついたアルテナ様を止められるのは恐らく同じく聖戦士だけなのだろう。
私がキュアン様に到底届かないように、アルテナ様にもまた決して届くことはない。
それほどまでに神器を使う人間と常人では差が開くのだ。
例えアルテナ様が経験不足であろうとも、私との実力差は余りある天賦の才で帳消しにされる。
否、私など軽く抜き去ってしまうだろう。例えるなら私がアレス王子やシャナン様に戦いを挑むようなものなのだ。
そんな力の差がある人間と決闘して、無傷で残れるなど誰が考えられようか。ましてや捕らえることなど。
そんな自分でも分かるほどに無謀なことを私は成し遂げると二人に話しているのだ。

「私を信じて欲しい。それに私はまだこんなところでは死ぬつもりはないよ。
 レンスターの再興もさることながら、まだフィーナやジャンヌの結婚もデルムッドの騎士叙勲も見届けていないんだ。
 死んでも死に切れないさ。私の命が最早自分一人のモノではないことくらいはしっかりと理解しているつもりだよ」

「もう、お父様ったら・・・」

先ほどまでの悲しそうな表情を払拭するかのように、ジャンヌは笑みを浮かべてくれた。
なんとかデルムッドの方も私を信じてくれたようで、少し柔らかい表情に変わっている。

「それで、どうして私達二人にそのお話を聞かせて下さったのですか?
 お父様ならば私達には内緒で事を進めていてもおかしくないと思うのですが」

「そうですね・・・確かに父上ならば、わざわざ私達に心配をかけたくないと言って黙っておられるかと思います。
 もしかして、何かあったのですか?」

二人の言葉に私は思わず苦笑を浮かべる。
まいったな。どうやらこの二人には本当に鋭い。いつもの私ならば二人に話したりせずに、内密にことを進めていただろう。
――だが、今回は何故か二人に話しておかなければならない気がした。理由など無い。
ただ、そうしておかなければいけないと、何かが私に訴えかけた。
二人に伝えておかなければ、後で後悔することに・・・否、後悔することも出来ないような。
そんな後ろ向きだけれど、迷いの無い予感が私の背中を激しく押していく。
これではまるで――

「――そうか、そういうことなのか・・・」

私はようやく一つの答えを導き出すことが出来た。
――なんということはない。もうすぐ迎えるであろう時をこの時私は予感していたのだ。
誰もが必ず平等に迎える、『己の死』というこの世との決別の時を。





















父上の部屋から出て、俺とジャンヌは終止ずっと無言のままだった。
どちらから提案した訳ではないが、気づけば二人で城内のテラスへ足を向けていた。
空は月が眩しく、見事な夜景を映し出していたが、残念ながら俺達にそんな風情を楽しむような余裕はなかった。
父上との会話は俺にとって腑に落ちないことばかりだった。確かに父上は本当のことを話しているかもしれない。
けれど、俺は全てに余り納得が出来なかった。

「なあ、ジャンヌ・・・父上は、ああ言っていたけど・・・」

「お父様は・・・次の戦場で本当に死ぬかもしれない・・・」

「なっ・・・!?どういうことだ!?」

突然のジャンヌの言葉に俺は思わず声を荒げてしまう。
父上が死ぬと。ジャンヌはそう言ったのだ。

「ジャンヌ、確かに父上は危険は伴うと言っていたが死ぬつもりはないと・・・」

「そうじゃない・・・そうじゃないのよデルムッド・・・」

気づけばジャンヌは泣いていた。初めて見せるジャンヌの泣き顔に、思わず驚いてしまう。
フィーナとは違い、可愛いというよりも綺麗という表現が似合うジャンヌの泣き顔のあまりの儚さに思わず言葉を失ってしまった。

「お父様・・・最後まで私達の目を見てくださらなかった・・・嘘をつくときの癖が、出てたもの・・・
 きっとお父様は・・・死を覚悟されてる・・・嫌・・・そんなの嫌よ・・・お父様が、死んじゃうなんて・・・そんなの・・・!」

「お、落ち着くんだジャンヌ!父上が死ぬなんて・・・そんなことあるものか!
 父上は大陸一の槍騎士だ。例え最悪の場合となり、
 戦う相手がアルテナ様が相手であっても死ぬことなんて、絶対にない!!」

「でもっ・・・でも!!お父様は本気だったっ・・・!!私達じゃ止められない・・・
 お父様は騎士だもの・・・お父様の子供である私達が、お父様の道を止めることなんて出来ないっ・・・」

それ以上言葉を続けさせないように、気づけば俺はジャンヌを抱きしめていた。
これ以上彼女の口から父上の死なんて不似合いの言葉は聞きたくなどなかったから。

「大丈夫、大丈夫だよジャンヌ。君はいつも言ってたじゃないか。フィン父様は誰にも負けないって。
 世界一強い人だって。そんな父上が俺達を残して絶対に死ぬもんか。父上は、絶対に死なないんだ・・・」

「うう・・・お父様・・・」

そして堰を切ったようにジャンヌは泣き始めてしまった。
普段は誰よりも大人びた少女がこんな風に泣くなんて思いもしなかった。
どうしてジャンヌがこれほどまでに不安になるのか。その理由はなんとなくだけれど、俺にも分かる気がした。
父上は負けない。父上は死なない。
自分で言った言葉なのに、何故か自分自身までがその言葉の確信が持てずにいるのだ。こんな馬鹿な話は無い。
恐らく家族であるからこそ分かり合える不安。
今の俺達に出来ることはただただ、この心配が杞憂で終わってくれることを祈ることだけだった。






















時は過ぎ、とうとう作戦決行の時がやってきた。
進軍と同時並行で行われるアルテナ様の説得は、私とリーフ様、サラ様とミランダ様という最少人数で行われることになった。
サラ様とミランダ様に同行を願い出たのは私であった。
お二人はリーフ様の将来の伴侶でもあり、唯一リーフ様の暴走を止められる人間だ。
そして何よりも『私の作戦』にこの二人は欠かせない。・・・リーフ様と、アルテナ様を殺し合わせない為の作戦に。
この作戦は極秘裏にセリス様に承諾を得ることが出来た。セリス様に許可を頂けたことにリーフ様は安堵なされていた。
ただ、レヴィン様が作戦決行に難色を示されていたが、セリス様とリーフ様の言葉により、何とか決行を承諾して下さった。

「本当に行くのか、フィン」

リーフ様達が集られてる城門に向かおうとすると、突然レヴィン様から声をかけられる。
恐らく、この方もまた気づいておられるのだろう。私がきっと――この戦場で死ぬであろう事を。

「そうですね・・・やはり、レンスターの騎士としてリーフ様とアルテナ様を殺し合わせる訳にはいきませんから。
 もしお二人のうちどちらかにもしものことがあれば、あの世でキュアン様とエスリン様に合わせる顔もありませんし」

「あの世のことは実際に死んだときに考えろ。俺が言ってるのは子供達のことだ。
 お前はもう気づいているのだろう?この戦場がお前にとっての『バーハラの悲劇』だということを。
 子供達はまだお前を欲している。それなのにお前は自ら死に向かうのか?」

「・・・死にませんよ。私にはまだやるべきことが沢山残っていますから。
 レンスター再興にフィーナやジャンヌの結婚式、デルムッドの騎士叙勲、
 ・・・それにラケシス様にまだ愚痴を零していませんからね。
 私は実は物凄くワガママな人間みたいで・・・どう考えてもまだまだ死ねないのですよ」

私の言葉に納得がいったのか、レヴィン様はニヤリと笑みを浮かべた。
その表情は私がまだ若かった頃の、あの時のレヴィン様の笑顔そのものだった。

「・・・そうだな。お前は死なないだろう。
 騎士としてリーフやアルテナの為に命を投げる、なんて言ったら有無を言わせずブッ飛ばしてやろうかと思ったが・・・
 そこまで親馬鹿する予定があるなら死んでも生き延びることだ」

「死んでも生き延びるとはまた難しい注文ですね・・・
 そうですね。もし生き延びたら少しはフィーさんと仲直りして下さいよ?
 死んだ後でフュリー殿に文句を言われるのは嫌ですから」

「フュリーがお前に文句など言う女か。
 だが、まあ・・・お前が生きて帰ってきたら考えてやるさ」

そういい残し、レヴィン様は私に背を向けてこの場から去っていった。
全く、素直じゃない人だな、と思う。
フィーさんのことを凄く想っていることは私やシャナン様から見れば一発なのにお互い回り道ばかりして。
やれやれ、と一息ついてリーフ様の待ち合わせ場所へ向い始めたとき、城門への道の途中にフィーナが立っているのが見えた。

「どうしたんだい、フィーナ。もうすぐ進軍の時間だ。早く自分の部隊に戻りなさい」

「はい・・・お父様、あの、一つだけよろしいですか?」

おずおずと尋ねてくるフィーナに、私は苦笑しながら『勿論』と伝える。
口にするのを迷っているのか、数巡私の顔と地面に視線を行き来させる。そして――

「無事に帰ってきて、下さいますよね・・・?」

フィーナが言った一言に、私は何故か懐かしさを感じてしまった。
小さい頃、この娘はよく私のことを心配していた。私がフィーナから離れる度に私の身を心配してくれていた。
嬉しさに思わず笑みを浮かべ、私はフィーナの頭に手を載せる。
こんなに可愛い女性に成長したというのに、中身は未だ変わらないこの娘がなんとも愛おしくて。

「大丈夫だよ。私はフィーナを置いては何処へもいかない。
 そうだね、帰ってきたら一緒にパイを焼こうか。久々にフィーナの作るお菓子が食べてみたいからね」

「お父様・・・はい、その時を楽しみに待ってます」

フィーナの笑顔を背に受けて私は城門へと向かい再度歩き出す。
また一つだけ死ねない理由が出来たな、と私は心の中で苦笑していた。




















「それが、どうした」

「姉上・・・?」

予感めいた私の悪い考えは現実のものと化してしまった。
リーフ様の説得を聞き終えたアルテナ様は、憎しみを込められた視線のままでリーフ様を睨みつけていた。

「例えお前の言っていることが正しいとしよう。だが、それが何だと言うんだ!
 私はトラバント王の娘であることに誇りを持っている!そして私を育ててくれた父トラバントを!祖国トラキアを愛している!!
 その想いは変わらない!例えトラバント王が実の父の仇であっても私はトラバント王の娘、アルテナだ!!」

――ああ、分かっていたことだ。恐らくアルテナ様はその道を取ることは最初から分かっていたのだ。
アルテナ様はトラキアで育ち、トラキアの民に触れ、トラキアの英雄であるトラバント王の背中を見て育ったのだ。
そんな自分の大切な者達や今までの生き様を捨ててまで、裏切ってまで真実を貫くことなど出来はしない。
分かっていた筈なのに、私の胸の中で悲しみが留まることなく浸透していく。
アルテナ様が、レンスターの敵となるというその現実に押し潰されるかのように。

「姉上は騙されてるのです!!
 貴女に流れる地神ノヴァの血、ゲイボルグの力をトラバントは利用しようとしているだけなのです!!
 どうしてそこまで分かっていながら貴女は!!」

「黙れ!それ以上の父への侮辱は許さぬぞ!
 父上はトラキアを誰よりも愛しておられるのだ!だからこそ自ら汚名を甘んじて被ってきたのだ!
 ハイエナ等と呼ばれる我らの気持ちを!トラバント王のお心を貴様は一度でも考えたことはあるか!?
 豊かな北方トラキアの下で貧困に喘ぐ我らの存在を考えたことはあるか!?
 それにお前がレンスター王子リーフならば私の気持ちも分かるだろう!
 私の後ろにはトラキアの地が、護るべき民が、そして愛すべき家族がいるのだ!
 私は引かない!裏切らない!貴様に護る物があるように、私にもまた譲れない物があるのだ!!」

「姉上っ!!!」

「・・・リーフ様、お下がり下さい」

これ以上は無理だ。私は最終判断を下し、リーフ様とアルテナ様の間に立ちふさがる。
視界に捕らえているのは一人の女竜騎士が私達の方を憎しみを込めた目を向けている。
そう、アルテナ様は・・・否、彼女は最早ただの一人の女竜騎士だ。戦場に立ち、剣を向ける以上、敵なのだ。

「フィン!?何を!?」

「彼女の決意を聞かれたでしょう。今貴方の目の前にいるのは王女アルテナ様ではありません。一人のトラキア騎士です。
 これ以上説得を続けられてはリーフ様の御身が危険です。この場は私にお任せ下さい」

「何を馬鹿なっ!?お前、その言い方ではまるで姉上を・・・」

「・・・竜騎士アルテナは私、フィンが相手いたします。
 ゲイボルグを所有している相手とリーフ様を戦わせる訳にはいきません」

「ふざけるなっ!!!!お前は姉上を殺すつもりなのか!?
 そんなことは許さんぞ!!フィン!!聞いているのか!?」

「・・・サラ様、ミランダ様。後のことはお話しした通りにお願い致します」

リーフ様は激昂して私に詰め寄ろうとするが、一寸早くサラ様の魔法――ワープの杖がリーフ様の身を包み込む。
そのことに気づいたリーフ様にミランダ様は後ろから強く抱きしめ、動けないようにする。
相手がミランダ様ではリーフ様も暴力的な行動は出来はしない。

「なっ!?これはワープの杖!?何をするんだサラ!?離せ、ミランダ!!フィン!!止めろ!!止めてくれ!!」

「・・・本当に、不器用すぎるまでに真っ直ぐなのね、貴方。
 それじゃ私達も退散するけど、いい?貴方は生きて帰ってくるのよ?
 平和を取り戻した後にも私達やリーフに仕えてもらわないと困るんだから・・・」

リーフ様とミランダ様の足元に描かれた魔法陣が光を天に放ち、刹那、お二人の身体は天へと舞い上がられた。
これでいい。これで少なくともリーフ様の命は守られたことになる。後はアルテナ様を私の命を賭して止められればいい。

「フィン、死んじゃ駄目よ」

私の心を読んだかのように、サラ様はぽつりとおっしゃられた。
・・・そうだ。命を賭してはいけない。
命を落とす覚悟はあるが、最後までは足掻く。生き汚くとも良い。騎士の誉れなどなくても良い。
私にはまだ、死ねない理由があるのだから。家族が私を待っているのだから。
だから、死を覚悟するのは最後の瞬間。

「・・・承知しております、サラ様」

私の言葉に満足がいったのか、サラ様は笑みを浮かべられてリワープの杖でリーフ様達と同じようにこの場から去られた。
私は一つ大きく息をつき、改めて目の前に立ち塞がるアルテナ様へと視線を向ける。

「それでは騎士アルテナ、レンスターが槍騎士フィンが貴女の相手をしましょう」

「槍騎士フィン・・・まさか噂に聞こえる槍騎士とこんなところで戦うことになるとは思わなかった。
 レンスターの英雄にして我らがトラキアにとって憎き怨敵・・・主君の代わりに死ぬ覚悟が出来ているといったところか?」

「そんなものなどありません。
 私にも貴女と同じく護るべき物がある。こんなところで死ぬ訳にはいきませんから」

「レンスターの為か?国の為に命を賭けるか・・・成る程、確かに聖騎士だ」

聖騎士――とんだ表現をされたものだと思う。
私は聖騎士なのではない。この場にいるのは全ては自分の為。
リーフ様もアルテナ様も私はあたかも自分の子供のように接させていただいた。
そんな子供同士がケンカを、ましてや命を賭けたケンカをするというのだ。それを止めない親などいるものか。
例えこの場では分かり合えずとも、生きていればいつか分かり合える日が来る。
レンスターとトラキアが手と手を取り合う日々が訪れる。
だからこそ、今は二人を止めるのだ。――よくよく考えれば簡単な理由だった。
どうして私が命を賭けるのか。何てことはない、これは親としての責務なのだから。
全ては自分の為。全ては自分の願い。そう、そして私は命を今散らすつもりなの毛頭ない。
私にはまだ、死ねない理由がある――

「勘違いされては困ります。
 今や解放軍にセリス様がありレンスターは開放され、長い戦いの中でリーフ様も成長なされた。
 私一人が死んだところでレンスターは必ず復興するでしょう。しかし、私は死ねない。死なない。
 そしてその理由は貴女と同じ理由だと思いますが」

「同じ理由だと・・・?」

ただひらすら真っ直ぐに私だけを見つめるアルテナ様の瞳に、思わず苦笑してしまう。
何と言うことはない。この方はやはりキュアン様の、そしてエスリン様の娘なのだ。
あの瞳は忘れもしない、私がずっと憧れ続けたお二人と同じどこまでも真っ直ぐな瞳なのだから。

「愛する者達がいる。護るべき家族がいる。こんな私でも死ねばきっと子供達は悲しむでしょう。
 私はどうも親馬鹿みたいで、子供達が悲しむようなことだけは絶対にしたくないんですよ」

私の言葉に呆気に取られたのか、アルテナ様は言葉を失されていた。
当然だろう、普通の騎士ならば今の台詞は在り得ないと考えるものだから。
騎士は国、主君の為にあるべき存在。だが、私はベオウルフ殿に教えられた。
愛する者を護る者もまた、胸を張れる程に騎士足り得ると。
そして、アルテナ様は何故か私を見て大きな声で笑われた。それはとても純粋な、子供のような笑い声。

「面白い人ね!いいわ!トラバント王が娘、アルテナが命を賭して戦うに確かに相応しい相手だわ!!
 行くわよ騎士フィン!!我が槍、受けられるものならば受けてみなさい!!」

心から悦ぶような声を上げ、戦女神は竜の背に乗り大空へ跳躍する。
槍を構えたアルテナ様のご雄姿に心を奪われつつも、戦闘態勢を整え迎え撃つ準備をする。
――参りましょう。リーフ様の、そして子供達の為にも私はまだ死ねないのだから。























戦況報告の為に後方の陣営へ戻ると、とても様子が騒がしいことに気づいた。
詳しい事情を知る為に、陣営の奥へと入っていくと、そこには激しく激昂されているリーフ様とミランダ様、そしてサラ様がいた。
私は集った人々の間を擦りぬけ、三人のほうへ近づくと、その場にはデルムッド兄様やジャンヌ姉様もいらっしゃった。

「離せミランダ!!サラ、頼むから僕をあの場所へ戻してくれ!!早くしないと姉上とフィンが!!」

「落ち着いてリーフ!!今の貴方が行ってもフィンには邪魔なだけよ!どうしてそれが分からないの!?」

「分かってないのはミランダの方だ!!このままじゃ姉上かフィンのどちらかが死んでしまう!!
 僕が行って説得しないと駄目なんだ!!姉上だってもう一度僕の話を聞けばきっと!!」

あまりのリーフ様の激しい口調に、思わず私は一瞬言葉を失ってしまう。
そして、私はリーフ様の一言に心を凍りつかされる。『フィンが死んでしまう』。お父様が死ぬ・・・?

「それにどうしてデルムッドもジャンヌも僕を止めるんだ!!
 フィンを助けに行かないといけないって二人も分かるだろ!?どうして!!?」

「リーフ様を止めることが・・・父の願いだからです・・・
 お父様は、リーフ様とアルテナ様が殺しあうなんてことは絶対にあってはならないと・・・」

「そんなふざけた願いがあるか!!いい加減にしてくれ!!このままじゃ本当に姉上とフィンが!!」

「お父様がどうかされたのですか!!!?」

気づけば私は大声を上げていた。
まるで怒鳴るように論議なされていたその場の全員が、視線を私の方へ向ける。

「どういうことですか・・・?お父様が、死んでしまうって・・・」

「フィーナ・・・」

私の言葉に、お姉様は視線を私から背ける。デルムッド兄様も私を見ようとはしない。
どういうこと・・・?この場のみんなは、何かフィン父様に関して私に隠し事でもしているというの・・・?

「詳しい話をしてる暇なんかないんだ!!とにかくフィンが、フィンが危ないんだ!!
 フィンは姉上と、ゲイボルグを持っている姉上と一騎打ちで戦っているんだ!!このままじゃフィンが死んでしまう!!」

興奮気味でリーフ様は事情の程を説明して下さった。
リーフ様の姉にあたるアルテナ様が生きていたことや、
現在アルテナ様がトラキアの一将軍であり、トラバント王の娘であること。
そして、現在お父様がアルテナ様と交戦中であるということ。――そして、お父様の命が危ないということ。

「お父様が・・・死ぬ・・・?」

ありえない。フィン父様が死ぬなんてありえない。
お父様は世界で誰よりも強く、優しい人。誰かに殺されるなんて絶対にない。それはお姉様が一番知っている筈。
なのに、お姉様は私を見ようとはしない。つらそうな表情を浮かべてらっしゃる。
それはつまり――本当に、お父様が危険だということ。

「お、お父様はドコですか!?早く助けに行かないと・・・」

「駄目よ」

「さ、サラ様・・・?」

「私はフィンと約束したもの。リーフをアルテナさんに近づけないって。
 だから、駄目。フィンとの約束だから、駄目」

「ふざけるな!!フィンが死んだら約束もクソもなくなるんだぞ!!
 サラ、いい加減に・・・」

「いい加減にするのはリーフの方。どうしてフィンの気持ちを分かってやれないの?
 もしリーフがアルテナさんを説得しようとして、また失敗して、リーフが死んだらどうするの?
 そんなことをフィンが望むとでも思うの?
 もう現実を見て。説得は失敗。アルテナさんは他の何でもない、トラキアの誇り高き騎士。
 あとはフィンを信じるしかないの。・・・もし、これでも分かってくれないのなら、まずは私を倒してからにして」

「そ、そんな・・・」

サラ様の言葉に答えるように、ミランダ様もまたリーフ様に対峙する様に魔道書を開く。
――きっと、お二人とも本気だ。本気でリーフ様を止めようとしている。
たとえ反逆罪に問われても、リーフ様を死なせないつもりだ。
二人の気持ちは分かる。リーフ様は大切な人、そしてフィン父様は家臣。
主君の為に命を賭けるのは当然であり、騎士として何よりも誇り高きこと。
それを汚すことは主君でも絶対に出来はしない。他の誰であれ、騎士の生き方を汚すことは出来はしない。

・・・けれど。

・・・けれど私は。

「私は、行きます」

「フィーナ・・・」

私の言葉に、サラ様は驚かれたような表情を浮かべる。
それは当然だろう。今私が口にしたことは、父の生き方に、騎士としての誇りに仇なす行為なのだから。

「その言葉の意味が分かってて言っているの・・・?
 貴女はフィンの決意を、意思を、騎士としての在り方を踏みにじろうとしているわ。違う?」

「そうですね・・・私は騎士の娘としては恥ずべき行為をしようとしています。
 でも、私は行きます。後で父に怒られても、罰されても、軽蔑されても構いません。
 私はお父様が助かるのならば例えお父様に嫌われても構いません。お父様は私の全てなのです。
 だからお願いします・・・どうか、私をお父様のところへ送ってください・・・」

「それは許さないわ・・・」

「お姉様・・・」

「貴女が騎士フィンの娘として父の生き様を汚すつもりならば私達は全力を持って止めるわ。
 父の命の重みは確かに私達にとって何よりも重いわ。けれど、今の父はアルテナ様を止めようとしている。
 アルテナ様はトラキアの将軍の一人であり、トラキアの戦力の一角を担う。
 つまり、アルテナ様を止めることが出来れば私達の軍は大きく有利になる。
 そうすればこれから先の兵達の幾千、幾万の命が助かることに繋がるの。それを貴女は止めると言っているのよ?
 そんなことは父は娘に望まない。望んでいない。ただのフィンの娘である貴女にそんな権利はないわ」

私を真っ直ぐに見つめながら、迷うことなく告げるお姉様に、リーフ様は言葉を失う。
お姉様の言うことは全て正論だ。
確かにお父様の戦いは、解放軍にとって戦況を左右しかねない程に重大な戦いなのは間違いない。
アルテナ様を捕らえることが出来ればそれで戦いが終わるかもしれないし、
アルテナ様が負傷でもすれば相手の軍の士気に大きく関わるだろう。
騎士として生きるならば、私が純粋に騎士の娘として、
何一つ与えられずに育っていたならば私はお姉様の言葉を受け入れたと思う。
けれど、私は知ってしまった。お父様の温もりを。お父様の優しさを。
それを失うなんてことは絶対に認められない。受け入れられない。
私はお父様に英雄として死んでなんて欲しくない。私はただ、お父様にはただ一人の男として生きて欲しいのだから。

「権利なんか関係ありません。お父様が望んでいるかどうかなんて知りません。
 私はただ、お父様には生きて欲しいんです。お父様の生きる道は、私の生きる道なのです」

「それは、騎士フィンの娘としての言葉なの・・・?」

「違います。騎士フィンを愛する一人の女としての言葉です」

何の迷いもなく自然に発することが出来た一言。そうだ、私はお父様を愛している。
一人の娘としてではなく、一人の女として。父親としてではなく、男として。愛してしまったのだ。
だからお父様の立場や生き方なんか知らない。
私はただ、お父様が死ぬことを良しとする世界なんか死んでも認めてあげないんだから――

「はあ・・・本当に、貴女って娘は頑固ね。
 いつもそう・・・自分がコレと決めたことは少しも譲らないんだから・・・」

「お姉様・・・」

「行きなさい、フィーナ・・・恐らくフィン父様を止めることが出来るのは貴女だけよ。
 私やデルムッドが出来なかったこと・・・今の貴女なら出来るはずよ。その想いを迷わずにしっかりと持っていれば、ね。
 私からもお願いするわ・・・お父様を止めて。私もお父様には、英雄として死ぬよりも一人の家族として生きて欲しい・・・
 例え後でどれだけ罰されようとも、お父様には生きて欲しいの・・・」

お姉様は私を抱きしめて優しく言葉を下さった。
――泣いている。いつでも気丈に振舞っていたお姉様が泣いている。
きっとお姉様も止めたかったのだ。けれど、それを父様の娘であるという誇りが許さなかった。
最後の一線を越えることが出来なかった。
きっとお兄様も同じ。同じ騎士として、父の想いを理解できるからこそ、止められなかった。でも、それでも私は・・・

「俺からも頼む。
 父上はきっと、死ぬつもりなんてないだろうけれど、それはあくまで考えの上だけで、本当は死を覚悟されている。
 死を覚悟した人間は、潔い死を受け入れる。父上にはまだ教えてもらわなければいけないことが沢山あるのに、
 まだ先に逝くなんて絶対に認めない」

「お兄様・・・」

「フィーナ、僕からも頼む・・・フィンを、フィンを救ってくれ・・・」

「リーフ様・・・」

「確かにみんなの言う通りだ・・・姉上はもうトラキアの戦士で、僕の言葉は通じない。
 フィンが姉上を止めてくれても、それはきっと変わらないこと思う・・・
 けれど、僕の為に・・・僕と姉上の為にフィンが犠牲になるなんて絶対に駄目なんだ。
 フィンがいたから僕はここまでこれたんだ。それはこれからも変わらない。
 きっと僕が助けに行けば、フィンの迷惑になる・・・だから、頼む・・・フィンを救ってくれ・・・
 きっと、君の言葉なら、フィンに届く」

「当然よ。フィンはリーフと私達の婚姻の儀まで見届けてもらわないといけないんだから。
 今この世からリタイアするなんて私は絶対に許さないわよ」

「ミランダ様・・・」

みんなの言葉が私を奮い立たせる。
お父様はやはり死んではならない。こんなにもお父様を想う人々がいる。
私はみんなの顔を見渡し、決意と共に強く頷いた。絶対にお父様を死なせたりなんかしない。

「それじゃ、送るわよ。フィーナ、準備はいい?」

「でも、いいのかサラ?君はフィンと約束を・・・」

「あら、変なコトを言うのねリーフ。
 私がフィンと約束したのは『リーフをアルテナさんの場所へ近づかせない』だもの。
 フィーナを送らないと約束した覚えはないわ」

舌を出して笑うサラ様に、私もリーフ様と共に思わず笑ってしまう。
最初からサラ様はこうするつもりだったんだと思う。私はサラ様に頷き、合図を送った。

「それじゃ行くわよ・・・フィーナ、しっかりね」

サラ様はワープの杖を振りかざし、私の足下に魔法陣を描く。
お父様、もう少し待っていてください。必ず私が、お父様を連れ帰って見せますから――



















――決着はついた。幾合打ち合ったかすら覚えていない激戦の果てに、戦いは終結を迎えた。
勝者は、私だった。私の槍がアルテナ様の喉下にあり、アルテナ様は地面に腰を落としになられている。
竜騎士にとって肝心の竜も私の手槍で息絶えていた。
私の愛馬もまた、同じようにアルテナ様の一閃で苦しむ間も与えられず絶命したのだけれど。
結果だけを言えば私の勝利に終わったが、本来ならば在り得ない結末。予想だにしていなかった結末。
何故私がアルテナ様に勝てたのか。
そんなことは言うまでもない――アルテナ様は、最後までゲイボルグをお使いならなかった。

「くっ・・・!」

「終わりです、騎士アルテナ。・・・確かに貴女は強い。私が今まで戦った騎士の中でも随一の強さかもしれません。
 ですが、ですが貴女は勝てなかった。その理由は貴女も分かっている筈・・・
 どうして最後までゲイボルグを使わなかったのですか。
 何故戦いを始めると同時にゲイボルグを投げ捨てたりなどしたのですか・・・」

神器を扱う人間に勝てる人間などそうは存在しない。それは勿論私とて例外ではない。

「ゲイボルグを持ってすれば私など数回の打ち合いで圧倒してしまえるでしょう。
 それなのに貴女はそれを良しとしなかった」

「・・・私は、トラバント王の娘だ」

彼女の言葉に、私は言葉を失ってしまう。
ああ、やはりそうなのか、と――。

「・・・私は、誇り高き竜騎士トラバントの娘だ。私の身体にはノヴァなどではない・・・ノヴァではなくダインの誇りがある。
 私の持っていた槍がゲイボルグだと分かった以上、私が使うものか・・・私にとっての神器はグングニル唯一つ!
 私はトラバント王の娘なのだ!家族なのだ!私の過去を、生き方を、全てを、何一つたりとも否定することは認めないっ!!」

――分かっていた。きっとアルテナ様がその理由でゲイボルグを使わないのだということを。
なんと悲しいまでに真っ直ぐな家族への想い、祖国への想いであることか。
アルテナ様の心が、想いが、痛い程に私に伝わってくる。

そう、昔からアルテナ様は何も変わられていなかった。
どこまでも真っ直ぐで、そして一度決めたことは意地でも貫き通す程に頑固で。
幼き頃、私に笑顔を向けて下さったあのアルテナ様のままなのだ・・・
本当に、私は愚か者だ。槍を交えた後でしか、こんなことにも気づけなかっただなんて。
アルテナ様は、例えレンスターに心があらずとも、トラキアの騎士であっても、
アルテナ様はアルテナ様だということに変わりはないではないか。
それなのに、私はアルテナ様を止めることだけを考えて、実はアルテナ様のことを何も見ようとはしていなかったのだ。
私は手に携えた槍を収め、天を仰いだ。
ああ、これではいつかあの世に行ったときにキュアン様とエスリン様に怒られてしまいそうですね・・・

「何故槍を収める!?私は負けたのだ!情けなどかけずに殺せばいい!!」

「・・・殺せませんよ。最初から私に貴女を殺めるなど出来るはずもなかったのです・・・笑い話ですよ」

「どういうことだ・・・?」

不思議そうな、ともすれば怪訝そうなともとれる表情を浮かべ、私の方をアルテナ様は真っ直ぐに睨んでくる。
殺せる訳が無いではないですか・・・例え貴女が忘れても、私には貴女との想い出があるのだから。
貴女が初めて私に見せてくれた笑顔。貴女が初めて描いてくれた私の似顔絵。
貴女が語ってくれたキュアン様やエスリン様への想い。
その全てが今や私の胸の中に甦っているのだから。愛する娘を殺せる親など、存在しないのだから。

「さあ、もう行きなさい。竜騎士アルテナは今ここで騎士フィンに殺されました。
 貴女の騎士としての生涯は終えたのです。もう槍を持つ必要なんか無い。
 武器を手に取るよりも父や兄、そしてトラキアの民の助けになることなどいくらでもあるでしょう」

そう・・・これから先、アルテナ様が戦場に出なければそれでいい。
それがきっと最善の策であり、全ての人間の希望だと思う。
私の推測だが、恐らくトラバント王はアルテナ様を戦場に出したくはなかったのだ。
だからこそ、彼女には指揮官というある種最も安全な地位を与え、ゲイボルグを持たせたのだ。
私達にアルテナ様の存在が気づかれることも承知の上で。
――同じ、娘を持つ者だから分かること。きっと、今回の敗戦を理由にアルテナ様は責任を取らされ、
城内に軟禁されるだろう。だが、それでいいのだ。
少なくとも、このトラキアでの戦いが終わるまでは。

「何故だっ!!何故私を生かす!!私はお前達レンスターの憎きトラキア王の娘なのだぞ!?」

子供のように癇癪を起こすアルテナ様に思わず苦笑してしまう。
全うな理由なんて、最早忘れてしまった。リーフ様の為、キュアン様の為、セリス軍の為、レンスターの為、自分の為。
アルテナ様を殺さない理由なんて、ただ『殺したくない』からだけでいいではないか。
少なくとも、それが皆の救いになるのなら。

「・・・私にも分かりません。ただ・・・何が正しくて、何が間違いなのか分からなくなったのです。
 レンスターの騎士ならば、どういう形であれ敵に寝返り地槍ゲイボルグをトラキアの為に使う貴女を
 生かしておくなど許さないのでしょう」

「だったら!!」

そして、その救いが私に返ってくるのなら、最高ではないか。
アルテナ様を殺せば、きっと家族は悲しむ。リーフ様も、トラバント王も、レンスターの民も、トラキアの民も。
そしてきっと・・・心優しいフィーナもきっと悲しむ。あの娘の、フィーナの悲しむ顔だけは・・・何よりも見たくは無いから。

「・・・私も、大切な娘を持つ父親なのですよ」

あの娘の、悲しむ顔だけは・・・何よりも見たくは無いから。







――刹那






私が、後ろを向き、その場から去ろうとしたその刹那。視線の先に魔道士数人が佇んでいることに気づいた。
あの服装は明らかにトラキアの魔道士ではない。あれはまさか・・・帝国軍!?
馬鹿な、トラキアと帝国とは互いに不干渉の立場を取っている筈。
トラキアと帝国は手を結んだのか。しかし、魔道士達の様子がおかしい。
明らかに呪文の詠唱に入っている。それこそ馬鹿な、ここにはアルテナ様がおられるというのに。
距離を詰めて倒すか。――否、詠唱の方が遥かに早い。
この場から避けるか。――否、現状のアルテナ様の状態では避けることは不可能。
なら どうするか。この状態か アルテナ様を けるのは至 の業。



・・・おか い。思考が上 くまとまらない。考 が整理 きない。 故か腹部 熱い。

















ああ、通 で腹部が熱 訳だ。






ア テナ様が、 の身体をゲイボルグで貫 てしまっ いるのだから――



























許せなかった。私の騎士としての誇りを汚した人間が。




許せなかった。私のトラバントの娘としての誇りを汚した人間が。

憎かった。青い髪の優しい瞳をした騎士が。

憎かった。敵である私に微笑みかける騎士が。

気が付けば私は、その騎士を貫いていた。

私が自分で足元に投げ捨てていた、忌まわしき槍・・・ゲイボルグで。




それなのに、その騎士は倒れなかった。




槍に貫かれてもなお、その場に膝折れることはなかった。

その理由は、私を護る為。

突如襲ってきた雷魔法からその騎士は身を挺して私を護ってくれた。

なんて馬鹿な人。

なんて馬鹿な人。

何て馬鹿な――私。

私を護ってくれる姿を見て、やっと思い出すなんて。

刺し貫いた後でしか、気づけないだなんて。

この人は――フィンはいつも私の事を護ってくれていた人。

私のとっても大切だった、大切だった人。





















その光景を、現状を、私はすぐには認識することが出来なかった。

槍に貫かれながらも、アルテナ様を魔法から身を挺して庇われるお父様。
そして、お父様はゆっくりと倒れた。お父様が死ぬ。死ぬ。死ぬ?死ぬ?死ぬ?

「お父様ーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」

気が付けば私は駆け出していた。
縺れる足もふらつく身体も今はただ邪魔なだけ。身体が自分のモノじゃないように前へ前へと走っていく。
そしてお父様の元へ辿り着き、倒れているお父様の上半身を抱えた。
・・・酷いどころの傷じゃない。このままじゃお父様が・・・!!

「お父様っ!!!お父様しっかりして!!!お父様っ!!!!」

「フィーナ・・・どうして・・・ここに・・・」

お父様は途切れ途切れの声で私に話しかける。
きっと喋ることもツライのだろう。当たり前だ。この出血量では意識があることすら奇跡だというのに。

「喋らないで!!!今すぐリーフ様達を呼んでくるから待ってて!!!」

「いや・・・いいんだフィーナ・・・それよりすまない・・・お前達だけは悲しませないって・・・決めてたのに・・・」

「そんな・・・どうして今そんなこと・・・」

聞きたくない。そんな台詞は聞きたくない。
私はただ『大丈夫だ』という言葉が聞きたかった。『手当てを頼む』と言って欲しかった。

「お前がいて・・・私は本当に幸せだったよ・・・ジャンヌにも・・・デルムッドにも・・・伝えて欲しい・・・
 お前達・・・みんなのおかげで私は・・・誰よりも幸せな人間だった・・・」

「やだ・・・やめて!!そんなこと言わないで!!私まだ伝えてないっ!!大事なことお父様に伝えてないっ!!!」

伝えてない。まだお父様に私の本当の想いを伝えてないのに。
まだお父様に話したいことも、一緒に行きたい場所も、沢山あるのに。そんなのってない。こんなの嘘。
嘘嘘嘘嘘。認めない。私は絶対に認めない。

「キュアン様・・・エスリン様・・・もうしわけございません・・・リーフ様のこと・・・最後まで・・・」

「やだよ・・・やだよ・・・こんなの・・・」

涙が止まらない。いやだ。お父様が死ぬなんて、絶対に嫌だ。
泣き震える私に、お父様は手を私の頬に当てて下さった。
やめて。これ以上無理しないで。本当に・・・本当に死んじゃう・・・
神様。どうか神様。私は死んでもいい。私が身代わりになっても構わない。だから、だからお父様を助けて・・・

「・・・泣かないで・・・下さい・・・ラケシス・・・私は・・・いつも・・・貴女の・・・傍に・・・」

――マリオネットの糸が切れてしまったように、お父様の手は私の頬から滑り落ちた。
最後の最後まで困ったような笑顔を浮かべながら・・・お母様の名前を告げて・・・お父様は、もう、動かなくなった――



















何処からか、女の子の泣き声が聞こえる。
それは遠くから聞こえてくる声。

「お父様は・・・優しかった・・・」

何処からか、女の子の泣き声が聞こえる。
それは近くから聞こえてくる声。

「誰よりも・・・優しくて・・・温かかった・・・」

女の子は泣いている。どこまでもどこまでも深く深く。迷子になってしまった子供のように。
私はぼんやりとそれを眺めている。女の子の泣き声がやけに大きく響くように聞こえてくる。

「これからもずっと・・・一緒にいられるんだって・・・そう思ってた・・・なのに・・・」

ああ、女の子は怒ってる。悲しみながら怒ってるんだ。
悲しんで、怒って、憎んで。それがどうしようもなく、どうしようもないから泣いているのだ。

「・・・許さない・・・」

女の子はきっと怒ってる。私の事を怒ってる。
でもそれは仕方が無い。私が彼女の大切なものを奪っちゃったから。

「絶対に・・・許さない・・・」

女の子は立ち上がり、騎士の槍を右手に携える。
あれはきっと断罪の鎌。私の命を奪う、死神の鎌。
きっとアレが振り下ろされるとき、私は彼に謝れる。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

今度はきっと、騎士に・・・フィンに素直に謝れるといいな・・・

「何をしているアルテナっ!!!!!!!!」

「あに・・・うえ・・・」

気が付けば私は竜の背中の上にいた。アリオーン兄様。アリオーン兄様が部下を引き連れて助けに来てくれた。
どうやら槍を振り下ろす寸前でアリオーン兄様が私を助けてくれたらしい。

「しっかりしろアルテナ!!目の前に敵がいるのにどうしたというんだ!!」

敵。敵なんていない。私の敵は誰?どこにもいない。もういない。
彼女にとって私は敵。フィンを殺した敵。私は殺した。フィンを殺してしまった。フィンをこの手で・・・

「わた・・・わたし・・・フィンを・・・・この手で・・・あああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」

「く・・・っ!!帝国が裏切った上にアルテナまでこんな状態に・・・
 私達は一度城へ戻る!!そこにいる解放軍兵のことは任せたぞ!!」

私から離れていく女の子に、アリオーン兄様の部下達が次々と襲い掛かる。
だけど、女の子は私から目を逸らさない。はっきりと私へ殺意を込めて見つめている。その瞳にそれ以外の感情なんて存在しない。
女の子の泣き声はどこまでも聞こえてくる。どんなに離れていっても、私の耳には彼女の泣き声が消えることはない――























「これは・・・」

トラキア軍が突然引き上げる様子を見て、きっと父上の作戦が成功したんだろうと思い、
リーフ様達と父上の下へ駆けつけると、そこは想像だに出来なかった程に酷い惨状だった。

辺り一面の血の海。人間、そして竜の真新しい血液が草原中に、周りの木々に、その全てを赤く染め上げていた。
人間は言わずもがな、竜ですら原型を留めていない程に完全に行われた殺戮。
言葉にするならば、『生物を壊す』という表現が似つかわしい程に凄惨。
余りにバラバラになってしまっており、詳しい数は分からないが、恐らく10人程度の死体はあるだろう。
竜の死体、鎧や装備から見てこれらが全てトラキア兵のモノである事が分かる。これは・・・父上がやったのだろうか。
それにしては余りに・・・

「フィーナ!!」

リーフ様の声に、私もジャンヌもリーフ様の元へと走り出す。フィーナも父上も無傷だと良いが・・・
――だが、そこで俺達が見たものは、想像だに出来ない光景だった。
フィーナが、フィン父様を抱くようにしてうずくまっていた。フィーナは目の焦点が合っていない。
フィーナの横には血に塗れた父上の槍・・・勇者の槍が刺さっていた。
父上は寝そべったままで、一向に起きてくる気配が無い。馬鹿な・・・馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!!!!

「フィン・・・?」

リーフ様の声に、父上もフィーナも全く答えない。
二人にはリーフ様の声が届いていないかのように、二人は少しも動かない。
俺はその場から動けなかった。信じられない。信じたくない。こんな現実なんてない。嘘だ。きっと嘘だ。

「嘘だろう?フィン・・・お前、何寝てるんだよ・・・おい・・・」

届かない。リーフ様の言葉が届かない。どんなときでもリーフ様に応えてあげていた父が、何も応えない。
それはつまり、リーフ様が傍にいると・・・声をかけていると、分からないということ・・・
それはつまり・・・『死んでしまった』ということ・・・

「お父様・・・お父様ーーーーーーーー!!!!!!!!!」

泣き叫ぶジャンヌの声がやけに遠く感じた。
誰よりも強く、誰よりも家族を想いだった父は、誰よりも騎士として、誰よりも英雄として死んでしまったのだ――










泣き声が聞こえる。



女の子の泣き声が遥か遠く、どこまでもどこまでも。
























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