――我が身は常にトラキアの民の為に在った。それは我がトラバントの名において誓うことが出来る唯一の絶対。












土地が痩せ、作物が育たない地で必死に生きようとする民達の苦しみ、嘆き。
その全てを幼き頃より私は見つめて生きてきた。
我等に地力は無い。だが、それでも民はこの国を見捨てようとはしなかった。この国を愛してくれた。
そんな民達を私は心から誇りに思う。
民達に少しでも楽な思いをさせてあげたかった。
トラキア国を選んで良かったと、この国に生まれてよかったと、言わせたかった。
だからこそ、我等は傭兵などというハイエナじみた行動を正当化してきた。
傭兵業で外貨を得れば、他国より作物が輸入できる。
枯れ果てた大地を豊かにするには、我等にとって外貨を得ることが重要だった。
民の為ならば、我等はどんな戦場をも駆け抜けた。
自国の為に、他国の従兵となる。他国の人間は我等を軽蔑するだろう。
だが、我等は耐えた。民の為ならば、いかなる屈辱をも甘んじて受け入れた。



そんな我々を北方トラキアの連中は嘲笑するかのように蔑んできた。
ノヴァとダインの相容れぬ運命という理由だけで、我等トラキアの人間を人外のモノとしか見ていなかった。
傭兵業に力を入れる我等を哀れと。誇りを失ったハイエナだと。口々に我等を罵った。
祖父も、父も、そんな連中の言葉を王として耐えてきた。
――下衆共が。貴様等に私達の何が解かる。貴様等のような満たされた人間共に、我等の渇きが解かるものか。
私はいつも己の胸中でそう叫び続けていた。
そうすることでしか、北方トラキアの人間共に対する憂さを晴らすことが出来ない程に当時の私は無力だった。
己の無力さを呪った。トラキアの誇りを貶されても何も出来ない自分自身を。
己の父を、国を、民を馬鹿にされても何も出来ない自分自身を。
しかし、貶されるだけならまだ良かった。実害が無いなら、私達王族の人間が我慢すればそれで済む話だったのだ。
だが、北方トラキアの人間がそれだけで済む筈がないのだ。
相手がトラキア人だというだけで行われる差別。沸騰する関税。酷いときには我等に輸出するものは無いという。
我等はもう北方トラキア相手に貿易すらも出来なくなってしまったのだ。
こんなふざけた話があるか。我等は外からの作物を受けなければ飢えて死ぬだけだというのに。
もう我慢の限界だった。民も、国も、北方トラキアに対する怒りは収まりきれるものでは無かった。
私は血反吐を吐くような時を重ね、短期間で武と学を身につけ、若くして王の座についた。
天槍グングニルをその手に担い、国の頂点へと最速で辿り着いたのだ。
憎悪、嫌悪、憤怒、嫉妬、焦燥、殺意。ありとあらゆる負の感情が私の身を包んでいた。
そうでなければ、私が私でいられなかった。
己の身体を敵意で包み、怨念の刃をその手に抱きながらも絶対唯一の正義を信じ、私は戦場を駆けた。
殺した。殺した。敵を殺した。殺した。殺した。敵となりえぬ人間すらも殺した。
どんなに汚い依頼も、どんなに非道な殺しも何一つ迷わず遂行した。
悪鬼とも修羅ともなりて。煉獄の戦場を乗り越えて。返り血に身を包み、私は戦場で常に勝利を勝ち取ってきたのだ。
奥底の見えぬ深い闇に心を委ね、私は私の信じる正義を貫くのだ。全ては我が愛する祖国トラキアの為に。








――そして、こんな私を父と呼んでくれる、大切な我が子達の未来の為に。





























Isolation





















連日の軍事会議は本日、休戦論を唱えていたセリスが折れる形で終局となった。
高ぶった兵たちの士気を削ぐどころか、こちらに不穏な感情を抱かせない為にも、
最早休戦などは不可能だとセリスは悟ったのだ。
先日行った、レヴィンとの二人での会話もセリスがそう考えるに至った理由の一つだった。
トラバントは自国のことしか考えていない。我々は大陸全ての幸福を考えなければならない。
そう考えればトラバントは確かに悪なのだ。
そのように相手より大きな大義をかざし、理由付けを行うことでセリスはトラキアとの戦争を肯定した。
そうでもしなければ自分の心が折れてしまいそうだった。
早速明日から再度進軍することが決まり、各部隊は戦争の前の独特な緊張感に包まれていた。
最早犠牲無くして止める術などありはしない。この戦争を非難することなど誰も出来はしない。
英雄の死が生んだ、悲しい戦争の始まりだった。







「また戦争が始まるのね・・・」

軍上層部の決定を受け、ジャンヌは軽く溜息をついた。
現在彼女は亡き父の部屋で仕事に励んでいた。
内容は父、フィンが普段行っていた部隊編成や軍上層部への報告書等である。
ランスリッターは彼女の妹であるフィーナが隊長となったが、文官としての職務を今のフィーナが行える筈がない。
そこで、ランスリッター隊の副官としてジャンヌが現在、その処理を行っているのである。

「ああ、恐らくこの戦いはトラバント王の首を刎ねるまで終わりはしないだろうな・・・。
 それほどまでに兵の戦意が高揚しきってるからね・・・」

仕事をする彼女と同じ部屋で、壁に身体を持たれ掛けさせたままで青年、デルムッドは淡々と応える。
彼にもまた分かっていたのだ。この戦が最早何の犠牲も無しに止めることなど出来はしないと。
それほどまでに父の死は大きかったのだと。
この戦争は以前のトラキアとの戦争とは最早別物なのだ。
以前の戦争ならばまだ和平の道もあっただろう。休戦の道もあっただろう。
しかし、今やその道は完全に絶たれている。解放軍は英雄フィンを失い、トラキア軍は数多の将を失った。
この戦争は勝利か、敗北しかありえないのだ。
種火を撒いたのは彼等の父『英雄フィンの死』であり、その火を燃え上がらせたのは娘フィーナの台頭である。
父を失った悲しみを胸に収め、父の代わりにランスリッターの頂点に立ち、兵達を導く戦乙女。
その清廉な姿に心を打たれる人間の何と多きことか。
そして彼等は謳うのだ。正義は我らにあると。英雄フィンの仇討ちだと。
戦乙女の為にも憎きトラキアには負けられないと。
今のフィーナに求められているのはフィンの娘としての彼女であり、トラキアへの戦意高揚の為のお飾りなのだ。
そこに以前の少女としてのフィーナは求められていない。
何て酷い話なのだろうか。誰よりも少女らしく、一人の男を想って生きてきた少女が、
今や誰よりも少女らしからぬ人生を歩まされている。
そのことが、ジャンヌは腹立たしかった。
そして何よりも、フィーナ自身がそんな生き方しか望んでいないことが、彼女にとって苦痛だった。

「ねえ・・・デルムッド。もし、もしもの話よ・・・?
 もしも、トラキアとの戦争が終わったら・・・いいえ、トラキアだけじゃない。
 帝国との戦争も終わって、平和な世の中が訪れたら・・・あの娘は、フィーナはどうするのかしら・・・」

「それは・・・」

デルムッドは応える言葉を失った。否、見つけられなかった。
以前のフィーナならば、迷わず答えられた。父フィンと共にレンスターに戻り、残りの一生を父の傍で過ごすのだろう。
もしかしたら、彼女は想いを伝えたかもしれない。もしかしたら、フィンと夫婦になる未来もあったかもしれない。
近い将来に子を成し、フィンに寄り添い、死が二人を別つまでずっと共に歩んでいく。
そんな女としての幸せを得ることが出来たかもしれない。
恐らくそれが彼女が描いていたであろう戦後の話。本来ならばきっと叶えられた筈だった、そんな未来図。
そして、今となっては叶う事のない、掴むことすら出来ない未来図。

「私ね、あの娘の夢を知ってた。
 あの娘は、フィーナは私に恥ずかしそうに微笑んで『ずっとお父様の傍にいたい』って、そう言ったの」

想像通りのジャンヌの言葉に、デルムッドは己の胸の中に湧き上がる苛立ちへの対処を上手く出来ずにいた。
妹が望んだ、一人の女の子が望んだたった一つの小さな願い。
そんな小さな幸せすらも神は奪うのか。こんな非道を許すというのか。
彼女の望んだ未来は最早叶わない。傍にいるべき相手、フィンその人がもうこの世に存在しないのだから。
だからフィーナがこの世の人間である限り傍にいることなど出来はしない。
フィンとフィーナは最早共に生きることなど叶いはしないのだ。

「・・・馬鹿な。まさかフィーナは戦争が終わったら・・・」

デルムッドの言葉に、ジャンヌは答えない。答えることなど出来なかった。
愛する妹が父と再会できる唯一の方法。それはあっけないくらい簡単に見つかってしまったのだ。
父がこの世にいないのならば。父が自分の元に訪れてくれないのならば。彼女の取るべき道は唯一つ。

――フィーナが己の死をもってフィンに会いに行けばいいのだ。

「本当の悪は私達なのかもしれないね・・・
 フィーナの生きる為とはいえ・・・復讐なんて言うべきじゃなかったのかもしれない・・・
 本当に死ぬべきなのは他でもなく・・・私達なのかもしれないね・・・」

ジャンヌの呟きに、デルムッドは『そうかもしれないな』、と自嘲交じりの返事を返すことしか出来なかった。




















夕焼けに包まれた修練場に、フィーナは一人佇んでいた。
紅の光に身を委ね、彼女は槍を大きく振るう。その軌道は縦横無尽、英傑フィンの娘の名に恥じない槍捌き。
彼女は上機嫌だった。その理由は現在槍を振るっているからではない、槍を振るえることが決まったからだ。
トラキアとの戦争。そのことが軍上層部より通達された時、彼女は歓喜に打ち震えた。
今までとは違い、これからは堂々と『トラキア兵を殺すことが出来る』のだ。
彼女は踊る。槍を左右に薙ぎ払い、演舞のようにその身を流し、武の円舞曲を時と共に重ねていく。
まさに戦乙女、ヴァルキュリアの名に相応しきその美貌と武才は見るもの全てを惹きつけるだろう。
今の彼女はまさしく鋭い刀剣の輝き。彼女を視界に入れた者は美しさと畏れを持って彼女に魅入るだろう。
美しさと冷たさと鋭利さを併せ持つ今の彼女に、凡夫はその身では理解出来ぬ武の芸術に目を奪われ、
不可視の縄で己が心を縛られるのだ。
そんな刹那、彼女の演舞がピタリと止まる。
楽しげだった彼女の表情も、まるで楽しい玩具を奪われた子供のように不機嫌なモノへと変わっていく。

「私に何か用ですか、アレス様。
 明日の進軍のことならば副官のジャンヌにお伝えして下さいと会議の席で申した筈ですが」

感情の一切を感じさせない彼女の言葉に、ククッと苦笑いを浮かべながら一人の男が彼女の後ろに現れた。
――黒騎士アレス。セリス軍の騎馬隊の要にして、多くの武勇を誇る解放軍が英雄の一人であり、フィーナとは従兄である。
その旨をデルムッドやフィンから聞かされてはいたが、フィーナはアレスに興味を持たず、
軍議の席以外では一切会話をしない程彼女には無縁の人物である。
そのような、自分に関係の無いような相手に自分の楽しみを邪魔されたからこそ、
フィーナはこんなにも目に見えて不機嫌を表に出しているのだろう。

「そう邪険にするな。別に俺はお前の訓練を邪魔しに来た訳ではない。
 ただお前が槍を振るっている姿が見えたんでな。少し見学に来たというだけだ」

「そうですか。ならば早々に帰って頂けますか。
 私の槍など貴方に興味を抱かせるようなものではないでしょう」

フィーナはアレスに興味は無いとでもいうように言い放ち、槍の演舞の続きに入ろうとする。
だが、彼女の槍は彼の一言によって動きを止められた。

「お前がどれだけ槍を振るおうとも、その槍がフィンに届くことは無い」

フィンの死後、戦場以外ではその瞳の輝きを失っていたフィーナが今アレスの発言を受け、
城内で初めてその瞳に色を灯した。
――この男は何と言った?フィーナの目は、この瞬間に初めて真っ直ぐアレスへと向けられた。

「もう一度言ってみなさい、黒騎士アレス。私の槍が何ですって?」

最早敬語をつけることも忘れ、フィーナは質問をアレスにぶつける。
そんな彼女の反応を楽しむように、アレスはいいだろう、と彼女の質問に答える意を見せる。

「お前の槍捌きは大したものだ。いつの間にそれ程までの腕を身につけたのかは分からんが、恐るべき程だ。
 恐らく今のお前の槍の腕に敵う者などこの解放軍にそうは居はしまい。
 もっとも、フィンが生きていればどうだったかは分からんがな。
 さて質問だ。何故お前はそうまでして槍を自在に振るえる?
 今までフィンという最高の師がありながら、お前はその力を出せずにいた。
 フィンの槍を追いかけたならば、お前は以前よりその力を発せたはずだ。ならば何故?」

アレスの言葉に、フィーナは表情を初めて歪めた。
今の彼女にとってアレスの言葉、アレスの表情、アレスの纏う空気、その全てが憎悪すべきものに思えた。
この男は何が言いたい。この男は何がしたい。気付けばフィーナの槍を握る手に力が入っていた。

「答えは簡単だ。お前が今振るっている槍の力はフィンの力では無く、黒騎士ヘズルの血によるものだからだ。
 我等がヘズルの血は確かに剣だ。だが、ヘズルが剣だけの男ではないことくらい、
 いくらノディオン王家を捨てたお前でも知っていよう?
 聖堂騎士(パラディン)たるヘズルは槍の腕も桁外れだ。
 無論、俺や父上のように剣に特化した者がヘズルの子孫に多いのは事実であり、それは魔剣ミストルティンを継ぐ為。
 だがな、かの黒騎士の子孫の中にはお前のように槍に特化した人間だっている。
 ・・・そう、お前はフィンに近づく為に槍を始めたようだが、それは間違いだ。
 お前が槍を振るう姿、返り血に身を包めば包む程、呆れる程に黒騎士ヘズルに近づいて行くの・・・っさ!!!」
 
瞬間、アレスは身を真横に跳躍させた。
その刹那、アレスの居た場所に獣が牙を突き立てるかのようにフィーナが飛び掛った。
避けた場所から更に槍を振るってくるフィーナに、アレスは迷うことなく腰に帯剣していた剣を走らせ、槍戟を受け止めた。

「貴方さっきから何・・・?黒騎士の血だとかノディオンがどうだとか・・・独り言なら自分の部屋で一人で言ってくれる?
 それに、お父様の名前を軽々しく口にしないで。例えエルトシャン様のご子息だからと言って、
 貴方みたいな傭兵上がり如きが簡単に口にしていい名前だと思ってるの・・・?」

「ハッ、そんな傭兵上がり如きの俺よりも先に死んじまった人間に敬意など払えるか。
 それよりも先程のように力で全てを薙ぎ払うような槍捌きをフィンが教えたか?
 これこそ力のヘズルの槍術たる動かぬ証拠だろうよ」

鍔迫り合いを続けていた二人だが、アレスの一言にフィーナが後ろに大きく跳躍して、距離を離す。
瞬間、フィーナの纏う空気が変わった。戦場でしか見せない、人を殺すことに躊躇いを持たない戦乙女の本当の顔。
彼女にとって『死んでも構わない人間』に見せる、妖艶な微笑。

「もういいわ・・・貴方、死んで。貴方みたいな人、いらない。お父様を侮辱するなんて許せない。
 誇り高き槍騎士フィンを汚した罪はその身をもって償いなさい。お父様の娘として黒騎士アレス、貴方を殺すわ」

「そうやってフィンの名前を利用して自分にとって都合の悪い人間を殺し尽くすのか?
 成る程、大したお姫様じゃないか。これ程までに癇癪を起こされては死んだフィンも浮かばれんだろう」

呆れて吐き捨てるようなアレスの言葉に、フィーナの表情から先程まで浮かべていた笑みが消える。
そして、その表情は見る見るうちに憎しみの篭もったものへと変わっていく。
それこそ、今まで彼女が浮かべたこともないような、烈火の如き怒りの表情。
彼女は気づいていないだろうが、その表情は彼女にとって久々に己の嘘偽りの無い感情の篭もったモノでだった。

「何よ・・・分かったようなこと言わないで!!!
 貴方にお父様の何が分かるのよ!!不快・・・貴方の存在、貴方の言葉、貴方の全てが不快だわ・・・!!」

「分かるさ。今のお前を見てあの世で嘆いてるってことくらいはな。
 今のお前は所詮、ただ己の呪われし血に振り回されているに過ぎん。フィンの娘として?笑わせるなよ。
 お前はただ、フィンの名を免罪符にして己の復讐の正当化をしているに過ぎんさ。・・・いや、違うな。
 最早復讐だけじゃない。今のお前は自分の気にくわないという理由だけで人を殺すことが出来るだろう。
 現に今、俺を殺そうとしてるんだからな」

「違う・・・違う・・・違う違う違う違う違う!!!!
 私はそんなことで人を殺したりなんかしない!!・・・私はただ、お父様の為に・・・」

瞳に困惑の色を宿し、否定の言葉を繰り返す彼女に、アレスは少し安堵の息を漏らした。
――大丈夫。まだ目の前の少女は完全に闇に染まりきった訳ではないと。今ならば、まだ引き返せると。

「殺すさ。今のお前はどんな些細な理由でも人殺しを正当化する。
 己の正義というたった一つの道の為、敵の全てを殺し尽くした呪われし黒騎士ヘズルのようにな。
 全ては自分の為に、父の名を語り、お前は人を殺すのさ。別にそれが悪いとは言わん。
 俺も父の復讐に一度は身を堕とした人間だ。
 お前の気持ちは分からないでもないし、毛頭、否定するつもりも無い。
 だがな・・・今のお前は、明らかに殺戮を楽しんでいる」

「私が・・・楽しんでいる・・・?」

「そうだ。今のお前はさぞや戦争が楽しいだろう?
 父の為という免罪符を得て、人を殺すことへの躊躇いを捨て去った今のお前は
 敵の返り血を浴びることに何も感じないのさ。
 大義?敵討ち?それはそれは大層な理由だな。だがな、お前の殺した相手もまた人間なんだよ。
 お前のように家族がいるんだ。
 お前がフィンの命を奪われた時の絶望を、お前は多くの人間に与えているのさ。
 お前の殺してきた人間の家族たちにな」

「ち・・・ちが・・・だって、あの人達だって、私の命狙ってきたもの・・・
 そ、それに他のみんなだって、敵兵の命を奪ってるもの・・・貴方だって、そうじゃない・・・」

「俺達はお前とは違う。少なくとも、俺達は自分の悦びの為に人を殺したりはしない。
 今更俺達が人殺しであることには反論せん。何一つ間違ってないからな。
 だが・・・お前のように周囲から逃げ、自分の為だけに人を殺したりはしない。
 お前には人の死を背負う覚悟が無い。人を殺しても、そのまま目を塞ぎ、ただ現実から目を逸らしている。
 そしてそれを逃げだと自覚する強さも無い」

フィンの死ぬ前のお前の方が、それこそ遥かに強い人間だったとアレスは吐き捨てる。
父が死ぬ前のフィーナは確かに、業をしっかりと背負っていた。人を殺したことを忘れる訳ではない。
父のように、しっかりと敵の死をも尊んでいた。
だが今の彼女は敵兵の死を本当の意味で認識していない。分かるのは薄れきった敵の死という事実のみ。
敵が現れ、自分が殺したという余りにリアルとかけ離れた、あたかも他人事のような認識。
そこには何の感情も想いも込められてはいない。

「今のお前は、誰かを救う為に戦っているか?今のお前の戦いは誰の為だ?
 お前は何を望み、この戦争に参加している?帝国やトラキアと戦い、人々に何を与える?
 答えられんだろうさ。今のお前は何もしない。何も出来ない。誰も救えない。
 狂気と自虐に捕らえられた今のお前に、この問いは絶対に答えられない」
 
必死に自分を保とうと反論するフィーナに、アレスは断固として言い放つ。彼女の最後の逃げ道を塞ぐかのように。
言葉を返せず、やがてフィーナは力無く槍を地面に落とした。表情は俯いて見えないが、彼女の身体は震えていた。
その様子を見て、剣を鞘に収め、アレスは蔑んだような目でフィーナを一目見た後、その場から歩き出した。
最早フィーナに、先ほどの様に戦う意思が無いことが分かっているからだ。
そして彼女と擦違い様に、吐き捨てるように言葉を紡いだ。

「今のお前を見て、フィンが本当に喜ぶと思っているようなら悪いことは言わん。
 お前がいつか本当に大切な人間をその手で殺す前に、お前はさっさと槍を捨てるべきだろうな」

痛烈な言葉を浴びせ、アレスはその場から去っていった。
フィーナは言葉を発せずに虚空を見つめていた。父が、フィンが自分の行動を望んでいない。
それならばこの身は何だ。父の復讐の為に、生を永らえている己の身体は一体何の為に存在するのか。
何故私は生き続けているのか。
己が胸中に浮かぶ疑問に答えは返ってこない。
もし、父が復讐を望んでいないのならば。もし、あの男の言う言葉が全て確かならば。

――この身は己の殺人意欲を満たす為だけに生き永らえた、とんだ殺人鬼では無いか。

違う。違う違う違う違う違う違う。フィーナは奔流する吐き気を抑えて、必死に男の言葉を否定する。
認められない。あの男の言を認めてしまえば、私の全てが崩壊する。私の身体に染み付いた返り血の意味が失われる。
兄は言ってくれた。復讐の為にもお前は生きなければならないと。
姉は言ってくれた。貴女が生きることを誰よりも父は望んでいると。
だからこそ、私は生きた。父の復讐の為に生きることこそが
私に許された最後のアイデンティティー。その為に私は生きようと思ったのに。
もしも父が今の私を望んでいないとしたら。私の復讐が父の名を汚す、父の想いを裏切る行動であったとしたら。
私はただの返り血に汚れた殺人鬼ではないか。
怖い。嫌だ。認めたくない。父の為に、父の元へ行く為に多くの人間を殺した。
殺して殺して殺し尽くしたのに。それが父の名を汚す行動だったなんて認めたくない。
それが他の人の大切な人を奪うことに繋がっていたなんて考えもしなかった。
私は奪っている。多くの人の幸せを、大切な人の命を私は楽しみながら奪っている。
助けて。誰か助けて。
お父様を愛しただけなのに。私はただ、お父様がいればそれで良かったのに。どうして。どうして。どうして。どうして。
お父様。お父様。返り血で汚れきった私は最早、貴女の娘ですらいられないのですか。
愛することすらも許されないのですか。答えて。誰か答えて。でないと私は。私は。私は・・・




















「アレス、どうしたの・・・?何だか凄く苛立ってるように見えるけど・・・」

フィーナと別れ、途中で合流したリーンの言葉にアレスは軽く自嘲染みた笑みを浮かべる。
先ほどのフィーナとの会話を頭の中で思い出していた彼だが、
先ほどの内容は彼の思い描いていたモノとは全く違う内容となってしまっていたのだ。

「・・・無力だな、俺は。デルムッドにアイツのことを相談され、力になろうと思っていたにも関わらず、結局あの様だ」

彼は、正直フィーナのことをあまり良くは思っていなかった。
その理由は彼女の存在が己に流れる『ヘズル』の血を、まるで否定しているように感じたからだ。
父の死の真相を探る為に解放軍に入った彼は、その真実を彼女の父、フィンから教えられた。
彼の前に訪れたフィンは一通の手紙を彼に手渡した。
それは伯母であるラケシスが彼の父エルトシャンからアレスへと渡すように頼まれていた手紙である。
そこに書かれていた内容により、彼はセリスの父、シグルドへの誤解が解けたのだ。
彼はその手紙を読み、顔も知らない父の想いに涙した。
そしてもう一つ彼から手渡された伯母ラケシスの日記。
そこには父がどうやって最期を遂げたのか、という内容を初め、彼が欲していた全ての情報が書かれていた。
ページを進めていくにつれ、彼はある内容に目を奪われる。それは、伯母ラケシスには二人の子供がいるということだ。
一人はデルムッド。デルムッドはアレスも良く知っていた。
共に戦場を駆け、親しい友人の少ないアレスの良き理解者であり、良き友である。
しかし、伯母のもう一人の子供である女の子――ナンナという名前に彼は目を大きく見開いた。
彼の知るデルムッドの妹の名前はナンナなどでは無かった。彼の妹はジャンヌとフィーナ、そのような名前ではなかったか。
彼は胸に残る疑問を包み隠すことなくフィンに問いただした。すると、フィンはその謎に対し、明確な答えを教えてくれた。
フィーナが、ナンナであること。
どうして名を偽っているのか、ということまでは教えてくれなかったが、フィンは確かにフィーナがラケシスの娘だと断言した。
ならば、フィンは俺の叔父にあたるのか、という質問にフィンは少し複雑そうな表情で軽く首を振って否定した。
それ以上、フィンは何も語ることはなかったが、その詳しい話をデルムッドからアレスは聞くこととなる。

フィーナを初め、フィンの三人の子供とフィンに、血の繋がりはないということ。
フィーナはラケシスの娘であることを捨てたということ。

彼女に一体何があったのか、そこまで深い事情を不躾に聞くつもりはない。
けれど、アレスにとってその事実は少々受け入れ難いものであった。
獅子王エルトシャンの息子であること、己の身体に流れる黒騎士ヘズルの血。彼はそれを誇りとしていた。
だが、フィーナはどのような事情があれど、それらを捨てたのだ。そのことに批判をするつもりなど毛頭無い。
しかし、そのことはアレスにとって快いものでは無かった。何か己の大事な物を否定された、そのような気分にさえなった。
だからこそ、アレスはフィーナと接点を余り持とうとはしなかった。きっと口を開けば嫌言の一つでも出てしまうであろうから。
彼女がノディオンを、アグストリアを捨てて生きたいのならば、そうすればいい。
そう心で思うことで、彼はこの問題に自分なりに区切りをつけていたのだ。
それ故にデルムッドから今回のことを相談された時、彼はハッキリと断った。『俺では何の力にもなれない』と。
他人以下の繋がりでしかない少女を、どうして自分が救えるのかと。
しかし、その後も彼の心にはフィーナのことが忘れられずにいた。
父の復讐に全てを捨てて修羅の道へ。それはまるで少し前の自分のようで。
そして思うのだ。もし、トラキアに勝利し、帝国軍に勝利した後に彼女は生を望むだろうか。
戦後、彼女が生きる道はあるのだろうか、と。
彼女のように、一時期を復讐に生きたアレスだからこそ、デルムッド達よりも先に辿り着いた解答。
恐らく彼女は死ぬつもりだろう。己の死をもって、復讐を正当化しようとするだろう。
ならば、彼女の復讐を完遂させてはならない。このまま戦争が続けば、トラキアは確実に滅ぶのだ。
そうなれば、彼女はいつ死んでもおかしくはない。
その考えに至った時、気付けば彼はフィーナの前に対峙していた。
自分にとってのセリスがそうであったように、汚い理由でもいい。彼女に少しでも生きる理由を植え付ける為に。

「だが、間違ったことを言ったとは思っていない。
 フィーナはあのままでは遅かれ早かれ確実に自分を殺し、そして二人を・・・デルムッドとジャンヌを殺す。
 そういう未来だけは通って欲しくないからな・・・」

「うーん・・・さっきのが励ますっていうのはちょっと・・・
 私みたいな相手ならともかく、フィーナには効果ないような気がするんだけどなあ・・・ましてや、今のフィーナは・・・」

「励ます、じゃない。力になる、だ。
 俺はアイツを救おうなんてこれっぽっちも思っちゃいない。フィーナが戦場で人を殺すのにもとやかく言うつもりもない。
 だが、アイツの望むままに死なせる訳にはいかん。
 デルムッドもジャンヌも自分達がアイツをあんな風にしたと思い込んでいる。恐らくフィーナが死ねば奴等も死ぬだろう。
 だったら、少しでも生き永らえる理由を作っておかなければならないだろう?」

アレスの言葉にリーンは苦笑する。長い付き合いだからこそ分かる、アレスの意固地なまでの不器用さ。
そんな彼の不器用さが、彼女にはとても愛おしく思えた。彼は人に誤解されるけれど、本当は優しい人間なのだと。
だからこそ、今だけは自分以外の女の子を想うことを許してあげようと心の中で思っていた。

「だからって普通、自分の命を狙われるようなこと言うかなあ・・・あれじゃ絶対フィーナ貴方のこと恨んでるよ。
 アレスが強いのは分かるけど、それでも味方から命を狙われるなんてちょっとシャレにならないよ・・・」

「構わん。俺の命を奪うつもりなら、後百年は生き永らえないとアイツには無理だ」

「それって一生無理って言ってるようなものじゃない・・・」

彼女の言葉に当然だ、とアレスは堂々と言い張る。
フィーナは気付いていないが、彼女は今多くの人間に支えられていた。
人によって、その想いの向け方はバラバラだが、全ての人がフィーナに生きて欲しいと願っているのだ。
無論、周囲の世界を閉じ、自分の世界に閉じこもってしまった今の彼女に、そのことに気付く気配は一切無いが。























トラキア城内、とある一室にアルテナは居た。
その部屋の中には、彼女一人ではない。父、トラバントと兄、アリオーンの姿がそこにあった。

先日、フィンの死に錯乱し、気絶してしまった彼女は数日の眠りを経た後に目を覚ました。
目覚めた彼女に待っていたのは、父トラバントからの全ての独白だった。
本当の娘では無いこと、実の父は宿敵レンスターのキュアン王子であったこと。
――そして、その実の両親の命を奪ったのは他ならぬ自分自身だと言う事。
全てを語るトラバントの姿はまるで罪を神の前で告白する咎人のようであった。
全てを語り終えた後、トラバントはアルテナに告げた。『お前はこのまま解放軍に行け』と。
アリオーンも父の発言に何も言えなかった。
これから先、帝国の後ろ盾を失ったトラキアは遅かれ早かれ敗北するだろう。
そして我等トラキアの城主は間違いなく大罪人として処刑される。
そのことにアルテナは付き合わずとも良いと。お前の全てを奪った、偽りの父が出来る最後の娘への行動だと。
そう、トラバントは謝るように言ったのだ。
数刻、間を置いて、アルテナは泣きながら首を横に振った。
例え実の両親を殺したのがお父様でも、私はトラバント王の娘、アルテナだと。
例えどんな過去があっても、私はお父様に愛され、お父様に育てられた。
私は家族を、トラキアを愛しています。だからこそ、今更自分だけ逃げるつもりはありませんと。
アルテナは言ったのだ。今の自分は、トラキアの民だと。最後まで、運命を共にすると。父と兄の前で、アルテナは言い放ったのだ。
その言葉を受け、トラバントは涙した。
己の娘の覚悟が、実の親の敵である自分への想いが、長い間、泣く事を忘れていた彼に涙をもたらしたのだ。

――話を戻そう。今、彼らは一室に集り、最後の話し合いを進めていた。
トラバントと、アリオーンと、アルテナと。トラキアの騎士として、君主として、最後まで民の為に戦うことを心に誓って。
彼らが取る最後の作戦、『三頭の竜作戦』の内容は以下の通りだ。
解放軍に奪われたミーズ、グルティア、カパトギア城に残存兵力の全てを分け、特攻する作戦である。
無論この戦に勝ちなど一切考えていない。
騎士として、最後まで勇敢に戦ったと民に、後世に伝えることがこの作戦の目的なのだ。
死など恐れない。民の為に最後まで戦い、誇りを持って死ぬ。
それが彼ら最強と謳われた竜兵団の最後の戦として語り継がせるべき内容なのだ。
セリス達が率いる主戦力がいるグルティアにトラバントが、歩兵部隊を中心に構えているミーズにアリオーンが。
レンスター兵中心に配置されているカパトギアにアルテナが飛翔する。
彼らを含め、兵士たちに迷いは無かった。トラキアの為に死ぬ。それだけが彼らの最後の誓いなのだ。

「作戦開始は明日の明朝。我等最後の将のうち誰か一人でも死ねばそれで作戦は終わりだ。
 後は解放軍に下るなり、己の死を全うするなりして構わない。戦後処理は全てハンニバルに任せてある」

トラバントは二人の頷く顔を見て、了承の意を確認する。
最終確認を終え、二人に解散の言葉を発し、アルテナが部屋を出て行った後、
部屋を出て行こうとするアリオーンのみをトラバントは呼び止める。

「何でしょうか、父上」

「アリオーン。この戦争は負ける。これは変える事が出来ない。それはお前も理解してるだろう」

トラバントの言葉に、悔しそうな表情を浮かべながらもアリオーンは頷き肯定の意を示す。
残存兵力も残り僅か、主たる将も最早数える程。そんな戦力しか残されていないことをアリオーンも理解していたからだ。
苦虫を噛み潰したような顔をするアリオーンに、トラバントは迷うことなく言い放った。

「もし、俺が戦場で倒れた報を受けたら、アリオーン、お前は残存兵を連れて解放軍に降伏しろ」

トラバントの言葉にアリオーンは驚愕の表情を浮かべる。
先ほどまでと、言ってる言葉が180度違う父の言葉に、アリオーンは当然反論する。

「どういう意味ですか父上。我々に恥を承知の上で生き延びろとでも言うのですか。
 いくら父上とはいえ、我等の騎士としての誇りを汚すような発言は止めて頂きたい。
 我々は父上と生死を共にする覚悟です」

「お前がただの一兵ならそれも許そう。だが・・・お前は生き延びねばならん。アルテナと共にな。
 もし解放軍が我等三人を亡き者にしたとしよう。そうすればトラキアはどうなると思う」

「解放軍の領地となりましょう。それは最早仕方がないことではないですか。
 我等の力不足、そして解放軍の強さ。それらが合わさった結果なのですから」

「そうだ。トラキアの地は解放軍の土地となり、恐らく戦後はレンスターの若造が治める土地となろう。
 だが、トラキアの民がそう簡単に認めると思うか?我等を惨殺し、トラキアの地を奪い取った解放軍に素直に従うと」

トラバントの言葉に、アリオーンは発する言を失う。
彼の言うことは確かなのだ。他国はどうあれ、民のことを第一に考え、民の為に生き抜いてきたトラバント達を殺し、
その後長年の恨みを募らせたレンスターの人間に土地を治められる。そのようなことを民達が納得できる訳がないのだ。
恐らく暴動が起きるだろう。何度も一揆が起き、その度に弾圧され、多くの民が犠牲になるだろう。
 そしてそのことを厭わない民も多い筈だ。

「だからこそ、お前とアルテナは生きねばならない。お前はトラキア王家の最後の生き残りとして・・・
 アルテナは北方トラキアとの橋渡し、緩衝材として・・・な」

「ならば・・・ならば父上はどうなのですか。私達に生き恥を晒せと言いながら、貴方は一人死ぬと言うのですか」

「・・・俺は余りに多くの命を奪い過ぎた。民の為とは言え、多くの無実の人間の命を、な・・・
 それに腐っても俺の命には、まだ戦争を収めるだけの価値があるらしい。
 民の為ならば俺の首など喜んでレンスターの若造にくれてやるさ」

久々に笑顔を浮かべ、昔の口調に戻る父に、アリオーンは悟った。
父は、自分を犠牲にして、この戦争の全ての争いに終止符を打つつもりなのだと。
トラバントと言えばレンスターにとってキュアンを殺した大罪人だ。
その首を取ったとなれば戦争を終わらせるにこれ以上無い理由だろう。
もし、トラバントの首さえあれば、アリオーンやアルテナを初め、トラキアの人間を殺す必要が無くなる。
トラキアの民に戦争は敗北したという証明になるのだから。
正論。全てが正論なのだ。だが、アリオーンは認めたくなかった。
己の父の死が、多くの人間に幸せをもたらすなど。父の死が、多くの人間に望まれているなどと。

「父上が死ねば、アルテナは悲しみますよ」

「そうだな・・・アルテナはあれに似て感情的で頑固なところがあるからな。
 フフ・・・可笑しなものだな。血が繋がってない仮初めの母に、他人の娘が似ているなどというのだから」

「アルテナは父上の娘です。それ以外の何モノでも無いとアルテナは言ったではありませんか」

「そうだったな・・・本当に、良く出来た子供達だ。俺には勿体無い程にな・・・
 だからこそお前に頼む。一国の王として、お前達の父親として、俺はお前達は何としても生き延びて欲しいのだ」

しっかりと意思を込めた言葉に、アリオーンは言うべき言葉を見つけられなかった。
父の背負った責任と罪。その全てから今、父は解放されようとしているのだ。
全ては国民の為に走り続け、多くの泥を啜り、侮蔑に耐えてきた父の最期の願い。
それをアリオーンは断る言葉を見つけられなかった。
アリオーンは誓う。誇り高き父の死を無駄にはしないと。
トラキアの為に生きた父の背中は、我等が死んでも永久に語り継がせようと。
それが天槍グングニルを父より受け継いだ、最期のトラキア王トラバントの息子である自分の役目なのだから。


















その日の夜、アリオーンは父の意向を告げる為にアルテナの元へと訪れていた。
最初、彼女の部屋へと向かったが、彼女はおらす、城内を少し探したところ、アルテナは城の屋上で一人佇んでいた。

「あまり長居をすると風邪を引くぞアルテナ。最近の夜は幾分冷え込んでいるからな」

「兄上・・・」

アリオーンの言葉に、空を見上げていた視線を、彼の方へと移す。
その容貌は多くの人は大人びた印象を受けるだろうが、実兄同然のように育ってきたアリオーンには
まだまだ幼い少女にしか見えなかったが。

「明日のことで少々話があるのだが・・・時間をもらえるか」

「ええ、構いません。とは言え、話の内容は何となく察しがついているのですが・・・」

苦笑を浮かべるアルテナに、アリオーンはやれやれと笑みを浮かべる。
そう。彼女とてトラバントとは長年の付き合いなのだ。父が自分達に何を求めるかくらいは言わずとも分かっていた。
そしてアリオーンは先ほどの話を全てアルテナに語った。父、トラバントの最後の決断。彼ら我が子への願い。
その話をアルテナは何も語らずに黙って聞いていた。まるで一度聞いた話の内容を再度確認しているかのように。

「父上は恐らく・・・いや、間違いなく次の戦場で死ぬだろうな・・・それを父上も、世界も望んでいる。
 ならば我等は父上の子として、王の部下として最後の願いを聞き届ける必要がある。分かるな、アルテナ」

「ええ・・・父の最期を傍で看取れないのは残念ですが・・・」

言葉を一旦切って瞳を閉じ、空を仰ぐ彼女に、アリオーンは何も言えなかった。
本当ならば彼女は父の死を止めたいだろう。けれど、それは許されない。
父の騎士としての誇りを汚すことは、絶対に許されない。
ここで生き延びろ、などと誰が言えるものか。父は確かに我等にとって英雄だった。
しかし、民の為に余りに多くの他者の血を流しすぎた。
時代の流れは最早我等には無い。女神は解放軍に微笑んだ。
ならば、父は悪として、誇り高き敗者として死なねばならないのだ。
それだけがこの戦争に民を巻き込まない、我等にとって真の勝利なのだから。

「アルテナ、私は父上の死は無駄にはしない。父は誰よりも誇り高く、トラキアの為に生きたのだ。
 たとえ世界から悪と疎まれても、私はそんな父を誇りに思う。誰よりも、他の誰よりもだ。
 だからこそアルテナ、我等は生き延びねばならない。
 父上の死を、後世に誇り高き竜騎士の姿を語り継ぐ為に。トラキアの民を守る為に」

「ええ・・・そうですね、兄上。我等は生き延びねばならない・・・父上の為にも・・・」

「・・・どうした、アルテナ。先ほどから様子がおかしいが、何か迷いでもあるのか」

言葉の切れが悪いアルテナに、アリオーンは疑問を投げかける。
彼の言葉に軽く首を振り、彼女は父上のことではないのですが、と前置きをする。

「先日、私は兄上に話しましたよね・・・騎士フィンの話を。
 私が幼き頃、私の面倒を見てくれた、一人の優しい蒼騎士のお話を・・・」

物悲しそうな声で言葉を紡ぐ彼女に、アリオーンはああ、と肯定の意を示す。
先日、彼女が錯乱状態のまま戦場から帰還させ、数日の眠りから目を覚ました時、彼女は泣きながら彼に語ってくれた。
自分が幼い頃、我等が宿敵であり、レンスターの英雄、蒼騎士フィンに育てられたこと。
いつの彼女の我侭を困ったような笑顔を浮かべるフィンが大好きだったこと。
――そして、そんな彼の命を奪ったのが、他ならぬ自分だということ。
まるで罪を懺悔するかのように泣きながら語る彼女は、繊細な硝子細工の様に今にも壊れそうな、
そんな儚げな状態だった。

「私はフィンを殺しました・・・フィンは私を守って死にました。
 数日前まで私はこの現実に苦しんでいました。私はこの手で大好きだったフィンを殺した・・・
 その事実は何があっても変わらないのですから。
 フィンに謝りたかった。ごめんなさいと言いたかった。
 たとえそれが許されざる罪だと分かっていても、唯一言、謝りたかった。
 ・・・でも、フィンはこの世にはいないのです・・・私がこの手で殺めたのですから。
 最早、私はフィンに何の贖罪も出来ない。
 だから私は思ったんです。ならば、代わりにこの命を捧げればあの世でフィンは許してくれるのかもしれないと」

アルテナの言葉に驚き、大声を上げようとするアリオーンをアルテナは制止する。
話はまだ終わっていません、と。今の私にそのようなつもりはありません、と。

「・・・でも、私は死ねないのです。私の後ろには守るべきトラキアの民がある。
 私はトラバント王の娘、アルテナ。それは何があっても変わらない、私の絆。お父様との、大切な絆。
 お父様の娘だからこそ、成すべき大義があるのです。私はトラキアの民の幸福を導く責務があるのです。
 だからこそ、私は何があっても生き延びようと思います。フィンを殺したことが許されるとは思っていない。
 私は大切な人をこの手に殺めました。これから先も、ずっとその事実は消えません。いえ、消すつもりもありません。
 これから先、私はフィンにずっと謝り続けます。フィンを殺めたことを、ずっと後悔し続けます。多くの人に恨まれます。
 それでも死にません。死ねないのです。
 それが私の、王女アルテナの選ぶ道であり、選ばなければならない道なのですから」

――目の前に佇む少女の何と強きことか。アリオーンは妹の言葉に、言うべき言葉を失っていた。
いつも私の後ろをついてまわり、どこか幼さの残る少女だと思っていたのに、いつの間にかこんなにも大きくなっていたのか。
アリオーンは思わず笑みを零した。大切な妹の、大きな成長を、兄として心から喜んでいた。

「――それでいい。アルテナ、お前はいつまでも自分の想いを真っ直ぐに貫け。
 お前の心を聞き、このアリオーン、何の迷いも無い。この身、この命、全てはトラキアの民の為に捧げよう」

アリオーンは誓う。たとえこの先、どんなことがあっても生き延びてみせると。
戦場で死ぬのは騎士の誉れ。だが、最早そのような誇り高き死など求めはしない。
民の為、妹の為、泥水を啜ってでも生き延び、そして無様に死んでいこう。
誇り高き死は父が、誇り高き生は妹が成せばいい。
この身は全てはトラキアの為にある。騎士の誇りにかけて最後まで戦うなどという選択肢など、とうに捨てた。
私は最後まで、無様に民の為に生きる。
アリオーンの言葉に、笑みを浮かべるアルテナ。だが、その笑みはやはり儚げで。彼女は目を瞑り、再度言葉を紡ぐ。

「私の誓いは変わらない。私の決意は変わらない。でも・・・」

アルテナは最後まで言葉を続けることが出来なかった。
彼女の心に浮かぶのは、フィンの亡骸の傍で幼子のように泣いていた少女の顔。
恐らく歳は自分よりも下だろうか。フィンのことをお父様と呼んでいた、間違いなくフィンの娘だろう。
彼女は一人残されてしまった。フィンに、父親に先立たれた。そして、フィンの命を奪ったのは他の誰でもない、この私。
恐らく・・・否、間違いなく彼女は私を恨んでいる。憎んでいる。私を殺したいと思っている。
実の父を、実の家族をこの私に奪われたのだから。
彼女はきっと解放軍に所属しているだろう。ならばこの先、彼女と出会うこともあるかもしれない。
では私は、彼女と出会った時に、果たして今の気持ちのままでいられるだろうか。フィンの死に、今もなお縛られている私に。
私の誓い、私の決意。泣いていた彼女を目の前にして、私の心は変わらずにいられるだろうか。
アルテナの不安は、この夜決して晴れることは無かった。






















夜が明け、出撃を控えた解放軍に早馬で報告が入った。
トラキア軍が、残存兵力全てを使い、最後の勝負に出たのだ。
ミーズ城、グルティア城、カパトギア城を同時に攻めるという大胆不敵な強襲作戦。
この突然の進軍に、解放軍は対応が一手遅れた。
解放軍は軍を三つに訳、城を後ろに防戦を敷くことになる。
トラキア軍との接触まであと幾許の時の猶予も無いというのが今の状況だった。
現在、カパトギア城内にはレンスターのランスリッターが存在し、セリス達の救援が来るまで徹底防戦の構えを見せていた。
出陣を間近に控えたランスリッター隊であったが、
この戦を前にランスリッター隊の隊長であるフィーナの姿が見当たらないという事態が発生した。
兵達に動揺が及ばないように、現在副官のジャンヌ、デルムッドがランスリッターを率いて、防衛線を構成し、
トラキア軍を迎え撃つ構えを取る。
そしてレンスター軍の上層部や、親しい人間だけでフィーナ捜索が始まった。とはいえ、
トラキア軍が目前に迫っている為、大きく人数は取れなかったが。
そんな狂騒の中、フィーは真っ直ぐにある場所を目指して走っていた。
彼女にフィーナがいる場所なんて、たった一つしか思い浮かばなかったからだ。
長い階段を下り、大きな扉を開けたその場所にフィーナは居た。
――霊安室。フィンの遺体が安置されているその場所に、少女は一人うずくまっていた。

「何やってるのフィーナ!!もうすぐトラキア軍が攻めてくるのよ!!こんなところにいる場合じゃ・・・」

大声で叫ぶフィーに、フィーナは膝にうずめていた顔を上げた。
――泣いていた。少女は一人泣いていた。フィーは驚きの余り、言葉を最後まで続けることが出来なかった。
フィンが死んだ時、彼女はみんなの前で泣かなかった。ただ呆然と、虚空を見つめるだけだった。
その時以来、彼女は人形のように感情を失っていた。
まるで平面に表情を貼り付けたような、作られた表情。それを見るのがフィーは何より痛ましかった。
しかし、今目の前の少女はどうか。泣いている。確かに泣いているのだ。
フィーは今、久しぶりに親友のフィーナに会ったような気がした。

「フィーナ、どうして泣いているの・・・何があったの・・・」

「・・・何でも、ないわ・・・もう、行くから・・・すぐに、行くから・・・
 もう少しだけ・・・もう少しだけ、待って・・・もう少しすれば、いつもの私に・・・戻るから・・・」

嗚咽交じりの涙声で紡がれるフィーナの言葉を聞き、フィーは背筋に氷柱を打ち込まれたような感覚に襲われた。
――今、目の前の少女は何と言った。『いつもの私に戻る』。そう言ったのか。
それはつまり、いつもの人形のようなフィーナは自分で作っていると言う事。
無意識での行動や、己の感情が殺された訳でも無い。
彼女が言っていることは、自分の本当の表情を押さえつけ、無理矢理に感情の仮面を被っていると言う事。
フィーは自分の身体が気付けば震えているのを感じた。彼女はもう『フィーナ』はどこにもいないのだと思い込んでいた。
いつも笑顔を見せてくれた、心優しい少女は、フィンの死と共に、消えてしまったのだと。
目の前の少女の感情は、死んでしまったのだと。
けれど、違っていた。フィーナは常に『そこ』にいたのだ。誰よりも心優しい少女は、消えてなどいなかった。
だからこそ、フィーは怖かった。彼女はここにいた。
・・・ならば、彼女は戦場でも、人を殺すときも『フィーナ』であったのだろうか。
何人もの命を、父の復讐の為に容赦なく奪ってきたフィーナ。
その復讐を遂げる瞬間も、彼女は微かでも、自分を持っていたとしたら。
きっと、耐えられない。例え自分の意思での復讐であったとしても、フィーナの根底は
人を傷つけることすら躊躇うような少女なのだ。
その心は、恐らくフィーよりも弱い。彼女は人の死を割り切れない。きっと人を殺す度に、精神が壊れていく。
フィーナがフィーナで無くなっていく。
きっと今、フィーの目の前で兎のように震えてか弱く泣いている少女こそが本当のフィーナなのだ。
己の罪の重さ、フィンの死、自分の存在意味、その全てに押し潰され、どうしようもなく、泣くことしか出来ない少女。
それが彼女の本当の姿なのだろう。
必死に表情を作ろうとするフィーナを見て、フィーは悟った。
これは彼女を元に戻す、人間に戻せる最後のチャンスなのかもしれないと。
誰が彼女をこうしたのかは分からない。何が彼女をこうさせたのかは分からない。
けれど、今を逃せば彼女はきっとこれから笑えないままだ。
だからこそ、フィーは決意した。親友として、大切な人として、目の前の少女を救ってみせると。
彼女の支えになると、誓ったのだから、と。

「戻らなくていい!!フィーナが元に戻る必要なんて無い!!
 フィーナは今のままじゃないと絶対に駄目だよ!もう私、人形みたいに笑うフィーナなんて見たくない!!」

「そんな・・・駄目・・・わたし・・・私、駄目だよ・・・
 今の私じゃ・・・お父様の、復讐、出来ない・・・人を、殺すことなんて、出来ない・・・
 お父様は、待ってるの・・・私が、全部復讐を終えて・・・お父様の元へ、会いに行くことを・・・待ってる・・・だから、私・・・」

「待ってなんかない!!!フィーナがフィンさんの為に人を殺すなんて、フィンさんは絶対望んでなんかない!!
 フィンさんが望むのはフィーナに生きて欲しいってことだけだよ!!
 ちゃんと思い出して!貴方の大好きだったフィンさんは人殺しなんか願う人だったの!?
 貴方がそんな風にボロボロになってまで復讐を遂げることを願うような、最低な父親だったの!?
そんなフィンさんが貴女は好きだったの!?」

フィーの叫びに、フィーナは堰を切ったように泣き出した。
感情の防波堤が壊れたように、長い間封じ込めていた感情が溢れ出していくかのように。
子供のようにフィーナは泣いた。
今にも崩れ落ちそうなフィーナを支えるように、フィーは優しく彼女を抱き止めた。
胸の中で泣きじゃくる親友の身体は、小動物のように震えていた。

「私、私・・・殺した・・・沢山沢山殺した・・・多くの人を殺して・・・
 でも、間違いだって・・・お父様・・・望んでないって・・・でも、私・・・もう多くの人を殺して・・・でも、望まれてなくて・・・
 私が生きる理由はもう・・・それしかなかったのに・・・私、ただの殺人鬼で・・・」

泣きながら一生懸命言葉を紡ぐフィーナを、フィーはその存在を確認するように力いっぱい抱きしめる。
何があったかは分からないけれど、今、目の前の親友は確かに『フィーナ』である。
もう二度と会えないと、そう思っていたフィーナがここにいるのだ。
ならば今の機会を絶対に逃してはならない。フィーナが、フィーナである為に。
フィーナがフィーナとして生きる為に。私が今支えなければならない。
フィーは優しくフィーナを撫で、落ち着くまで泣かせてあげることにする。
フィーナは嗚咽を漏らしながらも、少しずつ落ち着きを取り戻していく。

「どう・・・?少しは落ち着いた?」

「うん・・・ありがとう、フィー・・・ごめんね」

「別に構わないよ・・・それよりも、名前・・・久々に呼んでくれたね」

フィーは嬉しさの余り、先ほどよりも更に力強くフィーナを抱きしめる。
親友の抱擁に、流石に痛みが走ったものの、フィーナはなされるがままにした。その痛みが、とても温かかったから。

「それでフィーナ、どうして貴女は泣いていたの?何か辛いことでも・・・そうだね、辛いことは沢山あったよね・・・
 今までは泣いてなかったのに、どうして急に・・・」

フィーの言葉に、黙り込むフィーナ。そんな彼女の返事を、フィーは優しく待つことにした。
無理に聞き出していいことではない。彼女の口から、自分から発されることが大事なのだから。
少し時間が経ち、何かを決意したような表情を浮かべたフィーナの口からゆっくりと返答が返された。

「気付いてしまったの・・・私の間違いに・・・自分の罪に・・・」

フィーナの言葉に、フィーは一瞬かける言葉を失ってしまう。
彼女の口から発された言葉は、『彼女の生きる理由を消し去ってしまう』かもしれないものだったから。

「私ね・・・お父様が亡くなって、世界がどうでもよくなった。
 私の全てはお父様だったから・・・だから、もうこの世界なんてどうでもよくなった。
 何もかもが・・・色を失って。そして、最後には自分自身の色も存在もどうでもよくなった・・・」

彼女の言葉に、フィーは抑えられない程の悲しみに襲われた。
フィーナがフィンの実の娘でないことは教えられていた。その彼女がフィンを異性として慕っていることも。
父であり、師であり、愛する男でもあるフィンの死が彼女の世界から色を奪ったのも、当然なのかもしれない。
フィーナのそんな絶望を推し量るだけでも、フィーは言葉にならない程に胸が悲しくなるのだ。

「だから私・・・殺しちゃったんだね・・・多くの人が、どうでもよかったから・・・平然と、人を殺せちゃったんだね・・・
 お父様の為という言葉を逃げ道にして・・・自分が生きる為の理由付けにして・・・あんな風に人を殺せたんだ・・・
 敵とはいえ、誰にだって家族や友達だっているのに・・・
 私は何も背負おうとせずに多くの命を奪ってしまったの・・・人を殺すことに楽しみさえ覚えて・・・
 でも・・・それも、もうお終いだよね。分かっちゃったから・・・これが、間違いだって・・・
 私がやってることは、絶対に許されないことだって・・・」

「それは違うわ!!そんなのフィーナだけが悪い訳じゃ・・・!!」

「ううん・・・分かってる。この罪は全部私が犯した間違い。私は自分の都合の為に、多くの人を殺したの。
 ごめんね、フィー・・・私のせいで、フィーにも・・・お兄様にも、お姉様にも・・・
 ミランダ様にもサラ様にも、凄く迷惑をかけちゃったね・・・
 もう、終わるから・・・今日で、全てが終わるから・・・だから、ありがとう・・・
 こんな私を支えてくれて、こんな私の友達でいてくれて・・・」

「やだ・・・何でそんなこと言うのよ・・・そんなお別れみたいなこと言わないでよ!!
 フィーナは私の親友なのよ!!フィーナが死ぬなんて許さないんだから!!私、絶対に許さないんだから!!」

フィーの叫びに微笑みを浮かべ、その場から立ち上がるフィーナ。
その彼女の笑みは、フィーにとって懐かしい笑顔だった。同い年の彼女が憧れた、親友の優しい太陽のような笑顔。

「私は死なないよ、フィー・・・死んだらお父様が悲しむもの。
 だから、さようなら、だよ。・・・もし・・・もし、また会える日があったら・・・こんな私を許してくれるなら・・・
 また、友達になって欲しいな・・・」

「フィーナっ!!!」

フィーの叫びは彼女の心に届かない。彼女は、長き階段を登り、最後の戦場へと向かう。
人を殺した人数は多くは無い。恐らく数で言えば、フィーよりも人を殺していないかもしれない。
それでも、赦されない。自分の為だけに人の命を奪った罪は絶対に取り消せない。
彼女の優しい心が、騎士フィンの娘という存在がそれを赦さない。
憎かった訳じゃない。何かを救いたかった訳じゃない。ただ、逃げたかった。父の死から、目を背けたかった。
死してもなお父の為に何かしてあげたかった。
けれど、逃げることに彼女は終わりを告げた。それは、己の全ての罪と正面から向き合い、その全てを背負うということ。
成人にも満たぬ少女には余りに酷な贖罪の十字架。
だけど、彼女はもう逃げない。父の死という現実からも、己の罪からも、決して逃げはしない。
それが今の自分に出来る、最後の戦いなのだから。
フィンの娘として。己の過ちの清算として。彼女は自分を取り戻し、決意を持って贖罪の戦場へと向かうのだ。


























トラキア軍との戦いは終局を迎えようとしていた。
セリスやリーフ、アレスといった中心メンバーを主要とするグルティア、
シャナンや弓兵を戦力としたミーズは最早完全に解放軍が優勢だった。
そして、レンスター軍が主力となるカパトギアもフィーナが合流し、完全にトラキア軍を押し返していた。
元々数の差で優勢を誇る解放軍は、次々とトラキア兵を打ち倒し、
最早トラキア軍の滅亡も時間の問題という状況まで差し迫っていた。
その戦場の中、フィーナは槍を片手に駆け抜ける。他の雑兵など視界に入らぬ、目的は唯一人。敵軍の将のみ。
そして彼女は辿り着く。その場所には他の敵など誰一人いない。
ただ、敵将が彼女を待っていたかのように槍を担い竜上に佇んでいた。

「アルテナ様・・・」

「待っていたわ・・・この戦場はレンスター兵が中心と聞いていたもの。
 だったら間違いなく、貴女はここだと思った。フィンの娘である、貴女なら迷うことなく私の首を狙ってくると・・・ね」

アルテナは目を閉じ、槍を空へと掲げる。
彼女の抱くはゲイボルグではなく銀の槍。今より数年前、彼女が槍を学ぶことを決めたときに父から譲り受けた一槍。
この槍は彼女の全て。父の想い、今までの自分、その全てが詰まった彼女にとってこの世に唯一振りの宝槍。

「名前を聞かせてもらっても構わないかしら」

「・・・フィーナ。槍騎士フィーナ。
 それがお父様に頂いた、お父様を愛することが全てだった女の・・・私の大切な名前です」

「そう・・・とても良い名前ね。きっとフィンも貴女のことを、とても愛していたのでしょう・・・
 では尋ねるわ、槍騎士フィーナ。その身は何ゆえ私の前に姿を現したの?」

「・・・全てを終わらせる為に。己の罪を、背負って生きていく為に」

「父の復讐の為ではないの?」

アルテナの言葉に、フィーナは首を力無く横に振る。
意外な彼女の反応に、アルテナは少々意表をつかれる。

「最早私にその資格はありません・・・
 父の仇を謳うには、それを正義と叫ぶには、私は余りに罪の無い人々の血を流しすぎました」

「それは戦争ゆえ仕方のないことではないの?相手だって武器を持って貴方の首を狙っているのよ。
 自分の身を守るためなら獣だって相手を殺すわ。
 その命を奪ったことに後悔を感じているなら、それは死んだ者への冒涜以外の何者でもないわ」

「そうですね・・・でも、私は敵将とはいえ無抵抗の人間すらも自らの悦びをもって殺しました。
 父を想い、己を忘れ、全てを憎み、全てを恨み、そして全てを消そうとした。
 それはどんなことをしても償うことは出来ないでしょう。今の私の死をもってしても。
 ならば私は生きます。全ての罪を背負って、最後まで苦しんで、苦しみぬいて、死のうと思います」

フィーナの言葉に、アルテナは既視感を覚えた。
自分は民の為に、苦しみぬいて生きることを誓った。それはアリオーンとて同じ。
しかし、目の前の彼女は何といった。苦しんで、苦しみぬいて、『死ぬ』と言ったのだ。まだ成人ともならぬ少女が。
アルテナは悟った。目の前の少女が、どれほどまでに苦しんでいるかを。
そして、その原因を作ったのが父の死・・・つまり、自分だということを。

「そう・・・では問うわ。今、貴女の目の前にいる女は、貴女の最愛の父の命を奪った女よ。
 それを前にして、貴女は復讐以外の何を成そうというの?戦争を止める為、などという回答は認めないわ。
 私が生きても死んでも間もなく戦争は終わる。トラキアの敗北をもってしてね。
 それなのに、貴女は何故私に立ち向かうの?」

そう、彼女の言う様に、最早この勝敗など戦争には何ら影響しないのだ。
トラキアは負ける。それは何が起ころうと不変の事実なのだ。だからこそアルテナは問いたかった。
復讐も、戦争の勝利も関係無い、それを知って目の前の少女は何故槍を掲げるのかを。
アルテナの質問に、フィーナは数刻間を置いて、ゆっくりと話し出した。

「どんなに返り血で汚れたとしても、私は最後の時まで騎士でありたい。お父様の娘でありたい。
 だからこそ、お父様を倒したアルテナ様と戦いたい。
 そうすれば、勝っても負けても、私は迷うことなく槍を・・・名を・・・家族を・・・私の全てを捨てることが出来る。
 これはただの私の我侭なんです・・・アルテナ様、どうか私の最後の我侭に付き合って下さい」

アルテナは目を見開き、眼前の少女を見つめる。
少女の願いが分かってしまった。それは恐らく、死ぬよりも辛い道。愛する者がいる人間であればあるほど、茨の道。
それを彼女は選ぼうとしているのだ。
何て不器用な少女だろうか。罪など忘れてしまえばいいのに。そうすれば幸せになれる。
これから先も笑っていられるのに。
だが、その言葉をアルテナは紡げなかった。少女の決意が分かっているから。
その辛さが分かっているから。だから、自分に出来ることは唯一つ。

「最後に一つ・・・貴女の、願いは何?」

「叶うならば・・・こんな返り血で汚れた私にも、願うことが許されるなら・・・
 来世でも、お父様の娘として生きたい・・・お父様を愛したい・・・それはちょっと我侭でしょうか・・・」

歳相応の、少女らしい笑顔を浮かべるフィーナに、アルテナは笑い返す。
『そんなことは無い。それはとても素敵な願いよ』と心の中で呟きながら。
彼女は竜を駆って大空へ飛翔する。彼女の決意を見届ける為に。
彼女の人生を壊したことへ、これが少しでも罪滅ぼしになるのなら、と。
フィーナは馬上で父の槍を掲げる。悔いは無い。実の両親を捨て、父を選んだことも。父を愛したことも。
その全てが私の生きた証なのだから。
だからこそ全ての人に言いたかった。
ありがとう、と。私を今まで愛してくれて、本当にありがとう、と。父に。姉に。兄に。多くの人に。全ての人に。
そして竜は降下する。フィーナめがけて一直線に。それをフィーナは迎え撃つ。己の全てを戦槍に乗せて。
戦局を決した後の平原で、二人の戦女神は衝突する。
天の女神は苦しみぬいて生きる為。大地の女神は苦しみぬいて死ぬ為。それぞれが想いを乗せて交錯する。
聖騎士もいない、聖なる武器も存在しない、けれどもこれは確かな聖戦。
ヴァルキュリア達の饗宴は互いの覚悟を持って始まりを告げた。


































――戦争は、トラバント王の死をもってして終局を迎えた。


グルティア戦線において、トラバント王をリーフが破り、その首をもって戦争は終結した。
身体を剣で貫かれ、絶命する瞬間。その最期の最期までトラバントは誇り高き竜王であり続けた。
戦場での死、それはきっと彼にとって幸せだっただろう。
トラバント王の死後、すぐにハンニバル将軍が王の代わりとして敗北を宣言した。それをセリス達解放軍は受け入れた。
また、トラキア軍投降の条件で、
トラキアの民の命の保障、及びアリオーン、アルテナの命の保障の二つが掲げられたが、無論解放軍は受け入れた。
トラバントの死の報告を受け、アリオーンは涙し、力無く槍を捨てて投降した。
トラバントの言う通り、彼の首には戦争を収める力があったのだ。
その知らせは、無論カパトギアのトラキア兵達にも届いていた。
最後まで民の為に戦った誇り高き王の死に、兵達は涙を流し、槍を捨てた。
この終結によって、トラキア王国は終焉を告げたのだ。
戦の強国、竜の国トラキアは解放軍と時代の流れの前に遂に敗れ去った。
そして、解放軍達の勝鬨はトラキア王国中に響き渡った。それは無論、トラキアの国にいるものにとっては一人の例外も無く、だ。





















「終わったわね・・・」

「そうですね・・・終わっちゃいました・・・」

槍を突きつけるアルテナの呟きに、身体を地面に横たえたままフィーナは答える。
そう、戦いは終わりを告げたのだ。――フィーナの敗北をもって、二人の戦乙女の戦いは終結した。
トラバントから教えられた槍術とフィンから教えられた槍術。互いの父から学んだ全てを出し切った死闘であった。
戦場で槍を振るったフィーナに狂気の色は一切無かった。
暴虐の槍ではなく、真っ直ぐな蒼騎士の槍。その槍術はどこまでもレンスターの槍騎士であった。
その結果、勝利の女神はアルテナに微笑んだ。アルテナとフィーナに腕の差は無い。
力はアルテナ、技はフィーナ、総量は互いに互角であった。
あったのはただ、経験の差。アルテナは一度フィンと死合をし、フィーナの師の槍術を経験していたのだ。
この差が勝負の明暗を分けた。
二人の顔に戦争の勝敗による暗さは無い。ただただ、晴れやかな気持ちだった。
怨恨や私情も無く、ただ純粋に槍を合わせたのだから当然かもしれない。

「それじゃ・・・そろそろ行かないといけないわね。
 槍ばかり振って生きてきたけれど、これでも一応は王女だから。敗戦国の姫として色々としなきゃいけないからね」

「そんな、アルテナ様は凄く素敵じゃないですか・・・どこから見てもお姫様です」

「ふふ、ありがとう・・・貴女の方こそ、どこから見てもお姫様に見えるわよ」

「もう、そのようなご冗談を・・・」

顔を赤らめて反論するフィーナに、アルテナは笑いかける。
そんなアルテナを見て釣られるように笑いながら、フィーナは服の汚れを払ってその場を立ち上がる。

「・・・本当に行くの?貴女を必要としてる人はまだ沢山いるのでしょう?」

「いえ・・・みんなの必要としてくれている『フィーナ』は今ここで死にました。
 お父様が生きる全てだった女の子は、お父様がいないと生きてはいけないんです。生きられないんです。
 ・・・私、今更みんなにどんな顔して会えばいいのか、分からないです・・・今のままじゃ、絶対に会えないです・・・」

彼女の決意を聞き、アルテナは何も言えなかった。
戦う前に、彼女は言った。勝っても負けても己の全てを捨てる、と。己の全ての消去、それは『死』に他ならない。
だが、彼女は生きて業を背負う道を選んだのだ。
生きて死を享受するということ、それはつまり『フィーナ』ではない人間としての第二の生。
それは純粋な意味ではない、存在という意味での死。
己の過去の全てを捨て、己の縋る全てを捨てて、彼女は残りの生を全て贖罪に使うと言うのだ。
成人にもならない少女の悲愴たる決意に、アルテナはただただ彼女の言を受け入れることしか出来なかった。

「それに・・・私は、探したいんです。自分の罪を償う方法を・・・自分自身で。
 解放軍にいると、きっとみんなに甘えてしまうから・・・みんな、優しいから、きっと私の事を赦そうとしてくれます。
 でも、それじゃ駄目なんです・・・それじゃきっと、私が私自身を絶対に赦せないから・・・」

「そう・・・それじゃ、ここでお別れね・・・
 これから私は解放軍に向かうけど、誰かに何か伝えたい事はあるかしら?」

「・・・これを・・・お父様に届けて下さい。これはお父様がキュアン様に頂いた、大切なものだから・・・」

そう伝え、フィーナは持っていた槍をアルテナに渡す。
――勇者の槍。それはキュアンからフィンに渡された、蒼騎士の象徴とも言うべき覇者の槍。

「分かったわ・・・しっかりと、フィンに届けるわ」

フィーナから渡された槍を、アルテナはしっかりとその手で受け取る。
顔も知らない、実の父の名を聞かされ、その手に温もりをアルテナは感じた。
これが、実の父がフィンに渡した槍なのか、と。
その槍は今確かに役目を終えた。蒼騎士と共に戦場を駆け、その娘を守り抜いたその名に恥じない名槍。
それはまさしく、勇者の名に相応しい槍であった。

「それと・・・みんなに、ごめんなさいと伝えてください。
 お兄様とお姉様に、私は生きていくことを・・・『ナンナは生きていく』とお伝え下さい。
 あ・・・あと、アルテナ様、リーフ様のこと、よろしくお願いします・・・
 リーフ様はアルテナ様の弟なのですから、大切にしてあげて下さい。
 えっと・・・えっと・・・あと、フィーにずっと大好きだよって・・・あと、アレスにありがとうって・・・」

「ふふ、そんなに伝えることが沢山あるなら自分で行けばいいのに。
 まあ、いいわ。これでサヨナラって訳じゃないんでしょう?またいつか、時が来れば会えるのかしら?」

苦笑しながら言うアルテナに、フィーナは驚きの表情を見せた。
そして、彼女の言っていることの意味に気がつき、とても嬉しそうな表情を見せる。
彼女は言ってくれたのだ。また会いましょう、と。

「アルテナ様・・・ええ、いつの日か・・・全ての罪を贖うことが出来たなら・・・自分自身を許せる日が来れば、必ず・・・」

「そう・・・それじゃサヨナラは言わないわ。他の人達にも、そう伝える。
 『フィーナは死んだ。けれど、ナンナとはいつの日かまた会える』って。
 それまで少しだけのお別れよ。また貴女に会える日を楽しみに待ってるわ。その時は、一緒にお茶を飲みましょうね」

はい、と笑顔で返事するフィーナに、アルテナは惹き付けられた。そして同時に、悲しさが心を襲った。
こんなにも綺麗に笑う女の子の大切なものを、こんなにも優しく微笑む女の子の全てを、私は奪ってしまったのか、と。

「・・・ごめんなさいね、ナンナ。
 貴女のお父様・・・フィンは私が殺したのに・・・こんな風にしか、貴女に贖うことが出来ない・・・」

気付けば、己の口から謝罪の言葉が出ていたことにアルテナは驚いた。
何を馬鹿な。言葉での謝罪など、何の意味もないと分かっていたのに。
謝ることはフィンへの冒涜だと分かっていたのに。それでも口にしてしまった。
フィンを殺したことを後悔していない、など何て欺瞞。そんな大嘘を平気でつける自分に腹が立つ。
後悔してない訳がないではないか。
フィンの命を奪ったこと、目の前の少女の幸せを奪ったこと、全てが後悔で自分を殺したくなる。
トラキアの民の為、それは逃げだ。本当は謝りたかった。フィンに、目の前の少女に謝りたかった。
そして許しを請いたかった。
許されなくともいい、けれど、謝りたかった。
言葉での謝罪が無意味でも、騎士としての恥であっても。自分は騎士である前に人間なのだから。

そんなアルテナの手を、フィーナは両手で包み込んだ。
それは暖かな温もり。少女が与えてくれる、人間の確かな温もりだった。

「アルテナ様・・・私、本当に幸せでした。お父様の娘で、本当に良かったと思っています。
 だから、誇ろうと思います。お父様と共に歩いた道を、お父様との全てを。そして、お父様の死を。
 お父様はアルテナ様と戦い、そして亡くなられた。それは、きっと誰が悪かった訳でもないんです・・・そうでしょう?
 お父様は、最後までお父様として亡くなられたのだから。
 アルテナ様を護り、そして亡くなられた・・・私、とても誇らしいです・・・だから、もう、お終いです。
 アルテナ様までそのような顔をされては、きっとお父様は悲しみます。
 だから、笑って下さい。アルテナ様はいつでも笑っていて下さい。
 私も・・・私もこれから、頑張りますから、だから、だから・・・」

気付けば、アルテナは少女を抱きしめていた。
これ以上、見ていられなかった。本当は誰よりも自分が一番辛いはずなのに。本当は誰よりも泣きたい筈なのに。
そんな気持ちを抑えて必死に励まそうとしてくれる少女が。
他人を癒そうとする少女が。アルテナは心から愛おしいと思った。

「本当に、優しい娘ね・・・貴女は・・・
 貴女に出会えて・・・貴女がフィンの娘で、本当に良かった・・・大好きよ、フィーナ・・・」

「アルテナ・・・様・・・」

優しく抱きしめてくれるアルテナの胸の中で、フィーナはそっと涙を流した。
悲しい訳ではない。辛い訳ではない。嬉しかった。自分のことをフィーナと未だ呼んでくれたことが、ただただ嬉しかった。
月明かりが照らす夜、本当の親子の絆として父フィンから貰った名前。フィンを愛する少女として、フィンの娘としての生を許された名前。
両手は返り血で汚れきった今もなお、父が与えてくれたその名でアルテナが呼んでくれたことが彼女は嬉しかった。
その喜びは、きっと最後の喜び。これから先、彼女の名前がフィーナと呼ばれることは二度とないのだから。








父に恋し、その全てを捧げた少女はその父の死を持って最期を遂げた。
全てを捨てた彼女が歩く第二の生は償いの道。誰が悪かった訳でもない。贖罪と呼ぶには余りに酷な道。
それでも彼女は止まらない。いつの日か、己の罪が赦される時が来るその日まで。
そしてその罪を償い終え、いつの日か迎えるであろう彼女自身の死の際に彼女はそっと願うのだ。



























――神様。こんな私でも、お父様を愛することをお赦し願えますか。
























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