春の訪れ過去への決別
四月。それは春の穏やかな日差しが感じられる季節であり、始まりの季節でもあった。
今までの寒気が途絶え、暖かい春風が優しく街を駆け抜けていく。
そんな暖かい季節を彼――北川潤は商店街のベンチで感じていた。
潤は春が好きだった。理由の中に『暖かくて気持ちが良い』と言うのもあるが、
何より春は彼の心を『溶かす』ことができるから。
今日は日曜日という事もあり、商店街は多くの人々で溢れかえっていた。ある人は買い物へ。ある人は息抜きにゲームセンターへ。
そんな折角の休日に春の風情を楽しむためだけに商店街へ行くほど潤は暇人ではなかった。ましてや、情緒に溢れてもいなかった。
「遅いな、栞ちゃん・・・確か10時に来てくれって言ってたよなあ」
潤は腕時計へと視線を落とす。彼のデジタル時計には10:30と表示されている。彼の記憶通りならば30分の遅刻である。
「しかし身体の方はもう大丈夫かね。美坂はもう心配ないって言ってたけど」
そう、潤は待ち合わせをしていた。相手はクラスメートである美坂香里の妹、美坂栞だ。
昨日の夜、潤の家に彼女から電話があった。内容は明日一日付き合って欲しいというものだった。潤は即座にOKをだした。
潤は昨日学校を風邪で休んでしまった事もあり暇を持て余していたということもあるが、何より彼女は潤にとって気心の知れた人だからだ。
潤と栞は中学の時からの友人だった。二人は中学の時に同じ陸上部に所属していた為、互いに面識があったし仲も良かった。
そんな旧知の仲だからこそ彼女の遅刻には新鮮さを感じずにはいられなかった。
もう一度視線を時計に落とそうとした時、目の前に見知った人影があった。
「すいません、潤さん。遅れてしまって」
潤の目の前にショートヘアでストールを羽織った少女――美坂栞が立っていた。
「いや、大丈夫だよ。そんなに待ってないから」
そう言って潤は立ち上がろうとしたが、長時間座っていたため足があまり言う事を聞かずによろけてしまう。
「今日はどうしたの?昨日は用件聞きそびれちゃったけど・・・」
「はい、実は潤さんに話があるんです。とても大事な話です」
姉妹喧嘩の仲裁か、と冗談を言おうとしたが止める。栞の顔がかなり真剣な顔だったからだ。
潤はこんな彼女を少し前に見た事がある。そう、彼女と出会ったばかりの時期に。
「・・・分かった。場所は百花屋でいいかい?」
潤の言葉に栞はただ首を縦に振った。
休日の百花屋は老若男女様々な客で賑わっていた。
商店街には色々な甘味屋が立ち並んであるが一番人気はやはりこの店だろう。
空いた席に案内されながら潤はそんなことを考えていた。席に栞と向かい合う形で席についた潤は何か注文することにした。
「コーヒー一つお願いします。栞ちゃんも頼みなよ、おごるからさ」
「本当ですか!だから潤さんって好きです!」
目を輝かせながらメニューを見つめる彼女が潤にはとても愛らしく思えた。
彼女のこんな笑顔を見る事が潤にとって幸せに感じられた。
「うーん・・・アイスパフェお願いします」
それが少々考えて彼女が出した結論だった。彼女がここに来る度に同じものを頼んでいることに気付き潤は苦笑した。
「栞ちゃんは昔から変わらないな」
「・・・それは成長してないって意味ですか?そんなこと言う人嫌いです」
「違う違う、誉め言葉だよ」
何か納得いかないと言わんばかりの顔で栞は潤を見つめていた。
「そういえば、栞ちゃん相沢とうまくいってる?」
「ふふふ、潤さんそれは野暮ってものです」
それもそうか、と潤は相槌をうつ。相沢とは彼の親友であり栞の彼氏でもある相沢祐一のことである。
「懐かしいです。中学生の時はよく部活動の後にここに来ましたよね」
「ああ、俺と栞ちゃんはここの常連だったからね。美坂も連れてよくここに三人で来てたよなあ」
「あの頃はわざと財布を忘れたりして潤さんに奢ってもらっていましたね」
「何ィ!あれはわざと忘れてたのか!おかげで俺の懐はいつも寂しい思いをしてたんだぞ!」
「わっ、嘘です!冗談です!聞き間違いです!」
「ったく、ひどいマネージャーだったんだな」
潤と栞は昔話に花を咲かせ、懐かしい思いに心を巡らせていた。
そして話が小休憩に入ったところで潤は話の本題を栞に聞く事にした。
「それで栞ちゃん、朝言ってた大事な話って何だい?」
話を切り出した途端、栞の顔が真剣そのものへと変わった。
栞は少しの間、ためらってはいたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「では、単刀直入に聞きます。・・・潤さんはお姉ちゃんのことが好きなんですか?」
「・・・・え」
瞬間、潤の周りの時間が止まった。いや、そう感じたのは潤だけであろう。
栞はじっと彼の目から視線を外そうとしなかった。
「・・・は、はは・・・はははははは!俺が、美坂を?まさか、ありえないよ」
「何故です?お姉ちゃんと潤さんはかれこれ長い付き合いです。
一番長い時間を共にした異性ならそういう感情が芽生えたって何ら不思議はないと思いますよ」
栞は平坦のない声で言った。潤は一瞬言葉に詰まる。
「あいつは俺の一番の親友であり、悪友だよ。そんな感情が起こる訳がないよ」
笑いながら潤は答える。しかし栞の表情は変わらなかった。
「そうですか。では好きだったと言ったほうが良いですか?『祐一さん』が現れるまでは」
「・・・・・!」
「それとも『私の病』を知るまでですか・・・それとも『自分の感情』を知ってしまうまでですか」
「止めてくれ!!」
だんっ!と潤は強く机を叩いた。ざわついていた店内が一瞬静まりかえる。
「一体何が言いたいんだ・・・栞ちゃん」
淡々と語る彼女に潤は苛立たしげに尋ねる。普段温厚の彼がここまで感情を露にするのは珍しいことだ。
しかし、栞は気にした様子もなく口を開く。
「・・・先日、お姉ちゃんから祐一さんと交際すると直々に聞かされました」
「なっ!?」
思いがけない言葉に潤は言葉を失う。それは当然だ。彼女は現実からは考えられないような言葉を発したのだから。
「それはいいんです。祐一さんがお姉ちゃんを好きになって、
お姉ちゃんもまたそうなったのなら止めることなんて出来ません」
「いいって・・・待ってくれ!相沢は栞ちゃんと付き合っているはずなのに、なんで!おかしいだろ!」
「私だって最初は困惑しましたよ。お姉ちゃんが何を言っているのかも分かりませんでしたし、
何より祐一さん・・・いえ、相沢さんに聞くまでは納得出来なかった。
信じられなかった。だから私、すぐに相沢さんに電話しちゃいました」
「・・・」
栞は一息おいて言葉を続ける。
「全て『現実』だと愛していた人に告白されたときの絶望感は言葉に表せないほどでした。
信じていた恋人に、もう離れないと誓った姉に裏切られ、私は部屋に閉じこもって泣くことしか出来なかった。
折角病気が治ったのに・・・やっと幸せを感じることが出来たのになんで・・・って」
そう思うのは当然だ、と潤は思う。
彼女は少し前まで不治の病と医者に宣告され、いつ死んでもおかしくは無いような状態だった。
そして絶望に浸かった彼女の心を救ってあげたのが彼女の彼氏である相沢祐一だった。
彼は彼女だけでなく姉の美坂香里の心さえも救った。
長い間を共にいた『自分』ではなく少しの時で彼女たちを救った『彼』がそんな残酷な答えを出すなんて信じられなかった。
「でも、泣きながら私はこう思ったんです。
お姉ちゃんと相沢さんの二人の幸せと私一人の幸せを秤に掛けたらどちらが重いんだろうって。
ふふっ、自分でも笑っちゃいましたよ。だって答えはやる前から出てるんですから」
栞は自虐的とも思える笑みを浮かべて潤を見る。そうでしょう、と同意を求めるかのように。
「だから私はお二人を認めました。今日帰ってからお二人にそう告げる、それが美坂栞の出した答えなんです」
栞が言葉を切ったとき、潤は強く唇を噛み締めた。
理不尽。理解不能。どうして。何故。様々な言葉が潤の脳内を通り過ぎていく。
「・・・本当に栞ちゃんはそれでいいのか?後悔しないと言えるのかよ・・・」
「当然です。相沢さんもお姉ちゃんも大切な人ですから。それと・・・」
栞はキッと潤を睨みつけ、その瞬間店内にバシンという乾いた音が響き渡った。
「あなたが、あなたがそれを言うんですか!ふざけないで下さい!!」
栞に怒鳴られて潤はその音が何なのかようやく気づいた。
ああ、なんてことは無い。それは北川潤が美坂栞に思いっきり頬を打たれた音なのだと。
「それでいい?後悔しない?それはこっちの台詞ですよ!
自分自身の気持ちを理解しようとせず、現実から逃げ続けたあなたにそんなこと言われたくはありません!
結局潤さんは怖いんでしょう!お姉ちゃんに振られることが!」
「ち、違う!俺は・・・俺はただ・・・」
「何が違うんですか?いいえ、違いませんよ!その恐怖ゆえに
潤さんはお姉ちゃんと友人であり続けようとしている。それで本当に後悔してないんですか!
それで満足なんですか!?本当はお姉ちゃんが好きなくせにどうして自分の気持ちを押し殺そうとするんですか!」
「っ!!君に何が分かるって言うんだよ!」
栞の言葉を認めることを拒むかのように潤は声を荒げる。いや、ある意味認めたからこそ声を荒げたのかもしれない。
静寂が二人の間を支配し、やがて苦虫を噛み潰したように潤は話し出す。
「そうだよ・・・確かに俺は美坂香里が好きだった。そしてそれ以上にあいつと君を守りたかった!力になりたかった!
けれど、俺じゃ駄目なんだよ!美坂も栞ちゃんも辛い思いをしていたのに結局救ったのは俺なんかじゃない!相沢だ!
そんな二人に気付けなかった俺がどうして美坂が好きだなんて欺瞞に満ちた感情を口に出来るんだ!」
潤は自虐的に言葉を放つ。自らの負の感情を吐露するように。
今年の冬、一つの悲しい事件が起きた。いや、既に以前から起こっていたのだ。
それは美坂栞が原因不明の病を患い、残された命は後わずかだということ。
しかし彼女は笑ってその現実を受け入れた。その哀しさがかえって彼女の姉の心も病ませた。
辛い現実から目を逸らすかのように『栞は最初からいなかったのだ』と香里は考えるようになった。
自分にも他人にも言い聞かせるように。
そんな香里を目覚めさせたのは潤ではなく、転校してきたばかりの相沢祐一だった。
彼は数日の付き合いだった香里の心の氷壁を見事に溶かしたのだ。
そして奇跡は連鎖し、栞は助かった。確率で言えば数パーセントにも満たない手術を
祐一と香里の祈りが成功と言う名の奇跡を掬い上げたのかもしれない。
しかし、その場に『北川潤』はいなかった。いや、それ以前に潤は栞の病気を知りもしていなかった。
全てを知ったのは事の終わり。栞の現状。病気。自分の取った行動。そして・・・祐一による救い。
それらを『美坂香里』の口から直接聞かされた潤の心は散々たるものだった。
何も知らなかったこと、何も出来なかった事、そして何も気付けなかった事。
少し考えれば分かる事なのに自分は気付けなかった。いや、気付こうともしなかった。
潤は全てのことを悔い、自分を蔑んだ。親友を救えなかったどころか、その危機すら理解できなかった
自分の馬鹿さ加減に呆れ果て、絶望した。
だからこそ潤は香里に対する想いを捨てた。自責の念と後悔、そして相沢祐一への悲しき嫉妬。
そのような醜い感情を抱く自分が彼女を想う資格はないと。
「だから・・・俺なんかが美坂に・・・香里に想いを寄せるなんてことがあっちゃいけないんだよ・・・
怖いのは美坂に振られることなんかじゃない・・・自分の情けないくらいの惰弱で無様な感情が
吐露してしまうかもしれないということが俺は怖いんだ・・・」
そう言い終え、潤は握りこぶしを自分の膝の上で固めた。
自分の弱さに押しつぶされないように。栞に蔑まれても自分を保てるように。
そんな潤の様子を見て、栞は瞳を閉じてそっと口を開いた。
「潤さん・・・こんな言葉を覚えてますか?
昔とある少年が一人の少女を救った言葉。・・・『俺は北川潤であるように君は美坂栞』という言葉を」
栞の言葉に潤は驚愕し、栞の方を見た。いや、気付けば視線を彼女の方に向けてしまっていたと言った方が正しいだろう。
彼女の言葉が潤の中のある記憶の痕跡を刺し貫いた。それは彼女の口にした一つのフレーズ。
「俺は・・・『北川潤』で・・・君は・・・『美坂栞』・・・」
先ほどと同じ台詞を潤自身がもう一度呟くように反芻する。まるで記憶の迷路の出口を捜し求めているかの様に。
彼の呟きを聞いて、栞はそうです、と言い放つ。
「覚えてますか?私がまだ中学に入ったばかりのときの・・・あの時のことを」
栞の言葉に潤はゆっくりと、しかし強く頷いた。
そのフレーズを『潤が口にした』のは今から数年前、潤と栞が初めて出会った時の事だった。
栞が中学生になったばかりの頃、彼女は学校に行くことが嫌になっていた。理由は優秀すぎる彼女の姉の存在である。
彼女の姉、美坂香里は中学の頃から成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗と
非の打ち所の無い云わば学校の有名人だった。その欠点の無さが逆に栞を苦しめた。
入学当初から栞は常に周りの人々から『美坂の妹』と言われ、常に姉と比較されていた。
栞にとってそれは悲しいこと以外の何モノでもなかった。
自分の存在が希薄になっていく感覚、『美坂栞』ではなく『美坂香里の妹』だけの存在、
その扱われ方全てが彼女にとって苦痛に思えた。
「覚えてるよ・・・。初めて会った時の栞ちゃんは表情というモノが欠落していたね」
潤の言葉に、栞はくすりと笑う。彼が覚えていてくれたことが彼女には嬉しかった。
「そうですね。確かにあの頃の私は全てが希薄でした。
お姉ちゃんが好きなのに嫌いになっていく、そんな感情を持ってしまう自分が更に嫌いになっていく・・・。
自分の弱さを棚にあげて全部をお姉ちゃんのせいにしようとしたんです」
本当に馬鹿ですよね、と栞は自嘲するように言葉を紡いだ。
潤は何も言わずに栞の話を聞いていた。今の彼に栞に何かを言うようなことなど出来なかった。
「それで、ある日とうとう教室にいるのが耐えられなくなり、授業をサボろうと思って屋上に行ったんです。そうしたら」
「どっかの馬鹿が先客でいた・・・」
「ふふっ、ただのお馬鹿さんじゃないですよ。その人のおかげで今の私がある訳ですから。
それで初めて会ったばかりの私にその人はいきなり『美坂栞ちゃんだろ?』って言ってきたんですよ。
もうその時は本当にびっくりしましたよ。
だって、中学校で初めて『私の名前』を呼んでもらえた気がしたんですから」
「はは・・・そいつは誤解だよ。その馬鹿は単に君の事を君の姉から聞かされてただけなんだよ。
勿論写真でもその姿は見せてもらってた。
だから知ってて当然だったんだ。そいつは君の周りを取り囲んでいた
『君を美坂の妹』としか見ていなかった連中となんら変わらない」
「そうでしょうか?そして私はあなたと出会い、気持ちが緩んだ。その時ずっと張り詰めていたものが解けちゃったんですね。
その日から私とあなたは屋上で他愛も無いことを毎日のように話した。
日常で私が欲しかった、求めていたものを潤さんは与えてくれたんですよ。
私をただ『栞という一人の女の子』と見てくれる人はあなただけだった。だから私は潤さんにだけ心を許したんでしょうね」
「そして私は一つの決意をした。
あなたに私の悩みを打ち明けること・・・潤さんなら、私の存在を認めてくれるあなたなら私に答えをくれると思った。
その考えは見事に当たっちゃうわけですけどね」
とても輝くような笑顔で笑う彼女に潤は正直見惚れていた。こんな表情の彼女を見るのは本当に久しぶりだった。
ある夕暮れ時の放課後、栞は屋上で潤に悩みを打ち明けた。
周りの人に対する自分の在り方への疑問、美坂香里の妹というだけの自分の存在、そして姉への感情。
彼に全てを相談した時彼女は目に涙を溜めていた。実の姉に嫉妬という無様な感情を抱いた自分を、
周りの期待に答えられない情けない自分を彼に拒まれてしまうことが怖かった。
しかし、彼は全てを話した彼女の頭にそっと手を載せて撫でてくれた。そして笑顔で彼女に言葉を送った。
『嫉妬してもいいじゃないか。君は美坂がそれだけ好きなんだってことなんだから。
それに、周りの連中なんか気にする事なんかないさ。
だって俺が北川潤であるように君は美坂栞なんだから。世界に二つとない、君は君だけなんだから。
誰かの代わりなんかじゃない、君は栞ちゃんだろ?』
だから、ね?と、潤が言葉を繋げた時の顔を栞は未だ忘れられなかった。
それは何よりも綺麗で、『無邪気な少年の笑顔』だったから。
「そしてあなたに救われ、私は自分を強く持つ決意が出来た。
それ以来お姉ちゃんのことで嫉妬したりすることはありませんでした。
そこからお姉ちゃんと私と潤さんとで・・・本当に幸せな中学校生活でしたよ」
一旦言葉を止め、栞は優しい笑顔のままで潤に再度言葉を紡ぐ。
「潤さん・・・あなたは『祐一さんの代わり』じゃないんですよ。
あなたにはあなたしか出来ないことがある。そしてそのおかげで救われた人も沢山居る。
今年の冬のことは気に病むことはないんです。だって、私もお姉ちゃんもあなたに
不治の病のことを始めとしたことを教えなかったのは『あなたが頼りにならなかった』からじゃない。
『あなたに知られたくなかった』んです。あなたに・・・潤さんに私達のことでまた負担をかけたくはなかったんです。
だってあなたは優しいから・・・全てを背負い込んでしまうから・・・」
「し・・・栞ちゃん・・・」
潤は栞の様子を見て驚いた。彼女は目に涙を溜めていたのだ。
誰の為でもなく、ただ自分の、北川潤のことを考えて、その為だけにただ。
「だから!あなたは前を向いて・・・堂々としてお姉ちゃんに想いを告げるべきです。
潤さんを『捕らえてた鎖』は既に解き放たれているでしょう?ならばもう今やるべき事は決まっているはずです。
祐一さんとお姉ちゃんが付き合っていても、今のあなたには関係無いはずです。
想いを伝える事があなたの心を救うはずだから。お節介だとは重々承知しています。
でも・・・もうあなたが・・・潤さんが私達のことで苦しむ姿は見たくないんですよ!
潤さんにはいつまでも笑っていて欲しいんです!
それが私達・・・美坂香里と美坂栞の願いなんです・・・だから、後悔だけは残さないで・・・」
伝えたかった言葉を全て言い終えたとき、彼女は一つの懐かしさを頭上に感じた。
彼の手の平が彼女の頭の上に置かれていたのだ。
目に涙を溜め、視界がぼやけてはいたが、目の前に立っていた彼は昔と変わらない『あの日の彼』の笑顔だった。
「ありがとう・・・そうだったんだ。
俺は本当に馬鹿だったんだ。君に偉そうな事を言っておいていざ自分のこととなるとこのザマだ。
相沢への嫉妬とか、君を助けられなかったとかそんなの言い訳だ。
ただ自分の為の逃げ道を作っているだけに過ぎなかったんだ。
そんなことを今更気付くなんてな・・・栞ちゃん、本当にありがとう」
「潤さん・・・じゅん・・・さあ・・ん・・・えううう・・・」
そして堰を切ったかのように栞は今までずっと溜めていた涙を流した。
彼の為に出来る事、彼のこれからの道を切り開くこと、それが自分の恩返しだと・・・
彼に昔救われた自分の心なんだと信じて彼女は彼を導いたのだ。
栞だって辛くない訳が無いのに。恋人の祐一は実の姉と付き合いだし、その辛さがまだ本当は吹っ切れていない
筈なのに彼女はこの状況を敢えて彼を救う為に利用した。
本当は誰よりも弱い自分を奮い立たせて、彼の為に出来ることを見つけ出し、実行に移したのだ。
それは誰よりも賞賛されるべきことだろう。
「あ〜・・・ほら、泣かない泣かない。ったく・・・大人のように見えることがあるかと思ったら、こんなに幼くも見える。
本当の君は一体どっちなんだか」
苦笑するように問いかける潤に栞は涙を拭いて答える。その答えはとうの昔に彼から貰っているのだから。
それが彼女の道しるべだから。どんな辛い事も乗り越えていける、彼から貰った大切な翼なのだから。
「そんなの決まってますよ。どんな私でも『私は美坂栞』です!」
「で、結局どうなったんですか?」
昼休みの学校の屋上で少女は興味津々とばかりに隣に座っている青年に身を乗り出して質問をする。
月曜日の昼の空は四月という月に相応しい天気で、心地よい日光が屋上の彼らを照らしていた。
「・・・聞かないでくれよ・・・思い出すだけで胃が痛くなるから」
青年は冗談交じりで苦笑しつつも彼女に答える。その答えを聞いて彼女はやっぱり、といわんばかりに溜息を吐く。
「なんだよ〜。どうせ美坂が俺を振るってことくらい栞ちゃん最初っから分かってたんだろ?」
「うええっ!?そ、そんなことないですよ?私は最後まで全身全霊をかけて信じてましたよ!
潤さんの想いがお姉ちゃんに届く事を!」
視線を逸らしつつも少女――美坂栞は潤に都合のいいことを述べる。
その言葉に真実が含まれているとは到底思えないが。
「はあ・・・まあ、しょうがないか。相手が相沢じゃあ勝てるものも勝てないって・・・」
「そうですよ!だって相手はあの私が好きになった祐一さんですから負けるはずがないんですよ!・・・あ」
言い終えた後に栞はしまった、というような表情を浮かべた。それを青年――北川潤が見逃すはずもないわけで。
「ああ〜!やっぱり栞ちゃん俺が勝てないって思ってたんじゃないか〜!」
「えう〜!ご、ごめんなさ〜い!!」
謝る彼女の頭にてい、と軽くチョップをして潤は全く・・・とブツブツと愚痴を零していた。
そんな様子を見て栞はくすくすと笑っていた。それは彼の想いが実らなくて残念と思っていた気持ちの反面新たに、
いや・・・遠い昔に芽生えていた感情によるもの。
「全く・・・この罪はどうしてくれようか。俺のガラス細工よりも繊細なハートに傷がついちゃったじゃないか」
「う〜ん・・・そうですね。じゃあ今度の日曜日にお詫びの意味も兼ねて二人で遊びに行きませんか?
昔みたいにぱぁ〜っと!」
「お!ナイスアイディア!それじゃあその日は差し詰め『二人の失恋慰め記念日』とでもするか!」
潤の意気揚揚とした笑顔で出したアイディアを聞き、栞はあははと笑い出す。
昔得ていたこの時間。幸せだったこの時間が戻ってきたことを二人して噛み締める。
「ふふっ、それも良いんですけど私はやっぱり『新たな恋二人の出発記念』っていうのがいいですね〜。
そっちの方が何かドラマチックですよ」
「なるほど・・・って、あ、新たな恋って・・・」
栞の言葉に潤は顔を真っ赤にして言葉を詰まらせる。
それを気にしたでもなく、栞は潤にトドメの言葉を追加した。
「知ってますか?とある少女はただ今三度目の恋をしています。
一度目の恋はその人が自分の姉のことが好きなのを知っていたから身を引いた。
そして二度目は自分を救ってくれたある青年を。そして三度目は・・・」
恋の想いはいつか幸せに変わる時が来る。それはいつ聞いたフレーズだったのか。
潤は今、その言葉の意味をようやく理解する事が出来た。
そうだ、恋したときの想いは決して無駄ではなく、幸せを築く為の土台となっているのだと。
いつの日だったか潤は栞の姉に恋をした。そしてその想いは叶う事無く終わりを迎えた。
けれど、それで彼の気持ちが終わったわけではないのだ。
その想いは形を変えて必ず別の幸せへと繋がってくれる。そして今、彼は本当に大切な幸せを手に入れたのだろう。
その少女は彼の為に、彼はその少女の為に。長い遠回りはしたけれど、彼らの想いは一つになる。
潤は心から誓う。今度は見失わないと。自分の幸せはきっとこの少女の笑顔と共にあるのだと。
だから自分はどこまでも歩いていけるだろうと。
「今度は二度と幸せを離しませんよ!終わり方はいつでもハッピーエンドが良いに決まってますからね〜!」
そうだ。幸せはハッピーエンドがいいに決まっているから。
例えどんな経緯を辿ってもいつかは見つけられる幸せこそが幸せな結末なのだから。
今度こそ離さない。その想いがいつまでも続く限り、どこまでもどこまでも・・・。
「それはコッチの台詞だっつーの!ったく、今度の日曜はちゃんと俺が迎えに行くからな!
どこにいても・・・きっと見つけ出してやるから!」
その想いが離れない限り・・・幸せはどこまでも続いて行くのだから。
「はい!だから潤さんって大大大好きです!!」
彼らの季節は今――始まったばかりなのだから。
もしSSを楽しんで頂けたなら、押して頂けると嬉しいです。