13.瞳










朝起きて、家族に挨拶する私。うん、いつもの私。

登校して、クラスメイト達に挨拶する私。うん、いつもの私。

授業中、先生に問題を当てられて答える私。うん、いつもの私。

休み時間、笙子ちゃんと一緒にお喋りをする私。うん、いつもの私。

お昼休み、由乃さんに振り回されて時間を過ごす私。うん、いつもの私。

放課後、乃梨子ちゃんと笙子ちゃんと一緒に薔薇の館へ向かう私。うん、いつもの私。



薔薇の館で、こっちでは初めて瞳子ちゃんに会う私。うん、いつもの私・・・私?

薔薇の館で、由乃さんと瞳子ちゃんの口喧嘩を眺める私。いつもの・・・

薔薇の館で、由乃さん、私には見せない表情を瞳子ちゃんに見せてる。・・・・・・たし。

薔薇の館で、由乃さんの視線は瞳子ちゃんを追いかけてる。・・・う私。

薔薇の館で、瞳子ちゃんに指導される私。・・・と違う私。



瞳子ちゃん、笑ってる。・・つもと違う私。




笑ってる。私を見て笑ってるんだ。
笑ってる。笑ってる。笑ってる。笑ってる。笑ってる笑ってる笑ってる笑ってる笑ってる笑ってる笑ってる。



笑ってない。瞳子ちゃんは笑ってなんかない。
だって、こっちの世界で瞳子ちゃんと私は無関係。もう大切なモノを盗られる心配なんてない。
祥子様は瞳子ちゃんの大切な人。祥子様は私と他人。
だから怖くない。怖くない。全然怖くない。何も怖くない。怖いのは、再び大切なモノを盗られることだけ。


祥子様は、もういない。


一度失ってしまったものは、二度と手には入らない。
だから、今度は盗らせない。奪わせない。私の大切なモノを勝手に盗らせたりなんかさせない。








私の中に、私がいる。
いつもの私の中に、もう一人の私がいる。
泣いてる私の裏に、笑ってる私がいる。
笑ってる私の裏に、泣いてる私がいる。








それはきっと




いつもと違う、もう一人の知らない私。



















 ・・・















「祐巳さん、少しここを教えて欲しいのだけど・・・」

昼休みの教室、前の時間に行われた授業の内容を質問する人々で祐巳の周りは囲まれていた。
その光景を、笙子は少しだけ距離を置いて祐巳の説明が終わるのを一人待っていた。
祐巳と友達になって二ヶ月余り、笙子にとってこの光景は決して珍しいものではなかった。
クラス中の誰もが祐巳の成績の良さを知っていたし、祐巳も授業より分かりやすく説明してくれる。
入学から一ヶ月も経てば、クラス中の人が祐巳に勉強で分からないところを聞きに来るようになっていたのだ。

最近の昼休みは、由乃が毎日のように訪れてきた為、他の人も遠慮していたのだが、
今日は何故か由乃がまだ教室に訪れていない為、祐巳は由乃が来る以前の状態になっていたのだ。
由乃が来る前はいつものことだったので、笙子は慣れた様子で祐巳の事をじっと待っていたのだが、
何故か輪の中から祐巳が一人出てきて、笙子にすまなそうに話す。

「ごめんね、笙子ちゃん。ちょっと時間かかりそうだから、先に食べてていいよ。
 もし良ければ、薔薇の館で食べるといいかも。由乃さんも遅くなりそうだし、私達に遠慮することないからね」

困ったような笑顔を浮かべる祐巳に、笙子は『分かった』と伝えるように笑顔を返した。
笙子は、祐巳が好きだった。こんな風に多く人に慕われ、困った人を助けずにはいられないような祐巳が。
手に弁当の入った袋を持ち、笙子は祐巳に一度手を振って教室を後にした。
こういう時に、自分がじっと待っているより先に食べた方が祐巳の心に負担をかけないことを
二ヶ月の付き合いで学んできたからだ。他人に、自分の行動で迷惑をかけるのを、祐巳は嫌がった。

「・・・ご飯、どこで食べようかしら」

教室を出て、笙子は一人これから何処へ行くかを考えることにした。
以前なら別の友人達と学食に行ったりしたのだが、今日はあまりそういう気分にならなかった。
食べる場所は学食、中庭・・・色々と選択肢はあるのだが、笙子は今一つどこで食べるか決めかねていた。

「祐巳さんは薔薇の館で食べるといいと言ってたけれど、薔薇の館っていつも解放されてるものなのかな・・・」

祐巳の言葉に疑問を浮かべながら、笙子はものの試しにと薔薇の館に向かってみることにした。
もし開いてなければ、中庭で食べればいい。今日は天気も良くて、雨に降られたりすることもないだろうから。
考えもまとまり、足を薔薇の館の方へと向けた笙子だが、
祐巳や由乃と昼食を一緒しないのは久々だということに気付き、改めて二人と一緒に過ごす時間が
自分は好きなのだということに気付かされる。由乃と祐巳の笑ってる傍にいることが、笙子は何より好きだった。














 ・・・













薔薇の館の扉は、笙子の杞憂を晴らすように施錠されていなかった。
これは防犯的にどうなのだろうと頭を傾げていた笙子だが、その理由は二階に上がったと同時に知ることになる。

「あれ、笙子?珍しいね、昼休みに薔薇の館に来るなんて」

「ごきげんよう、笙子さん」

薔薇の館には先客――乃梨子と志摩子の白薔薇姉妹が席につき、食事を取っていたのだ。
笙子は驚きながらも二人に挨拶を交わし、乃梨子に誘われるがままに自分の席へと座る。

「今日はどうしたの?笙子は確か、教室で祐巳や由乃様と一緒に昼食とってたよね」

「えっと、今日は由乃様がまだ来られなくて、祐巳さんも他の人に勉強を教えてて忙しそうだったから。
 祐巳さんに気を使わせるのも悪いから、先に食べてることにしたの」

「そう。それじゃ祐巳さんは今頃由乃さんと昼食をしているのね。
 では笙子さんは今日は私達とご一緒だけど、いいかしら?」

「え、あ、はい。不束者ですが、どうかよろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそお願いします」

「・・・笙子も志摩子さんも、会話おかしいから」

変なところで噛み合った会話をする二人に、乃梨子は一人頭を痛める。
弁当を広げ、昼食を取り始める笙子だが、その傍らで楽しそうに話している白薔薇姉妹が視線に映る。
そこには楽しそうに笑顔を浮かべる志摩子と乃梨子の姿があった。
互いに心を許し合い、触れ合う姉妹の姿に笙子は何故か目を奪われてしまった。

幼い頃からリリアンのエスカレーターだった笙子は、
スールというものがリリアンにあることは入学する前から分かっていたが、実際に目にする機会はあまりなかった。
友達に姉がいるという人は何人かいるが、その友人が姉と一緒にいるところを実際に見ていた訳ではない。
山百合会の手伝いを初め、令や志摩子を見て初めて実際の姉妹という形を見ることが出来た笙子だが、
本当の意味で姉妹がこんな風に過ごす日常を見るのは初めてだったのだ。
互いがこんなにも心を許しあって、こんなにもキラキラと輝ける。それが姉妹というものなのだろうか。
笙子は二人を見ていると、何故か心が温かくなるのを感じた。そして同時に羨ましいとも思ってしまう。

その視線に気付いたのか、志摩子は笙子へ視線を向けてそっと微笑んだ。
志摩子の笑みにまるでカンニングがばれた生徒のように、笙子は慌てて頭を下げる。
別に悪いことをしている訳ではないのに、何故か二人の邪魔をしてしまったような気がしたからだ。

「笙子さんは、由乃さんに誘われて山百合会の手伝いを決めたのよね」

「は、はい。由乃様から手伝って欲しいと頼まれたので、祐巳さんと一緒にお引き受けさせて頂きました。
 由乃様には大変感謝しています。乃梨子とも友達になれましたし、色々な経験をさせて頂いてますから」

「でも感謝してる一番の理由は由乃様の傍にいられるのが嬉しいからだよね。
 志摩子さん、笙子って由乃様の大ファンなんだよ」

「の、乃梨子っ」

顔を真っ赤にする笙子に、あらあらと志摩子は嬉しそうな笑顔を浮かべる。
笙子の反応から、この娘は本当に由乃の事が好きだということが伝わってきたからだ。

「笙子さん、由乃さんのことが本当に好きなのね」

「う・・・は、はい・・・その、中学生の頃に由乃様を初めて見た時からずっと憧れてました。
 祐巳さんを通じてお知り合いになる事が出来、その気持ちは更に大きくなったと思います」

「中学生の頃?笙子、中学って確かリリアンの中等部だよね。
 由乃様が中学に在籍中のときに会ったことが?」

乃梨子の言葉に、笙子はふるふると首を振って否定する。
不思議そうな顔をする乃梨子に、笙子は小さく舌を出して悪戯が見つかった子供のように答える。

「実は私、今年のヴァレンタインデーの宝探しのイベントに参加してたの」

ヴァレンタイン?と首を傾げる乃梨子を他所に、志摩子は納得がいったように笙子に微笑みかける。
外部受験だった乃梨子には分からない企画の為、その内容を笙子は乃梨子に説明する。
そして、全てを聞き終えた時、乃梨子は盛大な溜息をついて笙子に呟く。

「それって、完全にフライングだよ」

「うん、フライングだね。ごめんね、乃梨子」

いや、そこでどうして私に謝るのよと乃梨子は笙子に小さく突っ込みを入れる。
目の前の少女の意外な一面を見て、志摩子は楽しげに少し認識を改める。
大人しくて周りを和ませるだけでなく、行動力もあるらしい。その考えは、薔薇としての藤堂志摩子のモノだった。

「その時に、企画に参加している由乃様を見まして」

笙子の言葉に、乃梨子はあから様に表情を変える。
乃梨子の表情からは『絶対在り得ない』というような言葉がひしひしと伝わってくるようだった。
今の由乃ならともかく、以前の由乃なら乃梨子の知っている限り
そんなイベントに参加するような人物では無かったからだ。
乃梨子の考えに気付いたのか、笙子は笑って乃梨子に口を開く。

「多分、乃梨子の想像通りだと思うよ。由乃様は参加されてなかったの。
 みんながカードを探し回る中、一人何をするでもなくただ中庭のベンチに座っていたわ」

「やっぱり・・・というか、黄薔薇の蕾の妹として、それはどうなのかなあ・・・」

「あら、その時はイベントに参加しただけでも私達は驚いたのよ?
 お姉様が無理矢理由乃さんを連れてこなければ、きっと由乃さんは参加しなかっただろうから。
 現に由乃さん、最後の最後まで参加を嫌がっていたもの」

姉の言葉に、乃梨子は更に頭を痛める。
黄薔薇の蕾の無茶苦茶な行動に乃梨子は
今の由乃がおかしいのか、昔の由乃がおかしいのかさえよく分からなくなってしまう。

「でも、座っていただけで何もしていなかった由乃様に憧れたの?」

「ううん、私、由乃様のことは噂だけは知っていたの。山百合会のことは、中等部でも有名だったから。
 こんなことを言うのは失礼だけど、由乃様ってあまり良いお噂は聞いた事が無くて。
 だから、私はその時まで由乃様のことを怖い人だって思ってたの」

「リリアン瓦版ね」

志摩子からの山百合会に対する情報源への指摘に、笙子は首を縦に振って肯定する。
当時のリリアン瓦版は由乃の山百合会への参加態度等が問題となり、
山百合会が動くまで色々と謂れの無いことも書かれた時期が続いていたのだ。

「その時、友達とは別行動していたし、怖い人だと思っていたから由乃様と話すなんて考えてもいなかったの。
 だから、由乃様と視線を合わせないようにその場を去ろうと思ったんだけど・・・その・・・」

「?どうしたの?」

「えっと・・・よ、由乃様の前で・・・こ、転んじゃって」

顔を真っ赤にして答える笙子に、志摩子と乃梨子は互いに顔を見合わせる。
本当は笑う場面なのだろうが、目の前の少女が余りに申し訳なく言うもので、流石に笑えなかったのだ。

「転ぶ私を見て由乃様は流石に呆れたみたい。でも、ベンチから立ち上がり、私に近づいて手を貸して下さって。
 そして私に『貴女、何もないところで転ぶなんて変な才能があるのね』って言ったの」

「・・・ごめん、やっぱりどう聞いても笙子が由乃様に憧れる理由が分からない。
 それ、由乃様は貴女の事思いっきり馬鹿にしてるからね」

「え、えっと、まだ話には続きがあって・・・
 慌てて謝る私を、由乃様は気にすることもなく、何もなかったようにベンチに座り直されたの。
 その時、もう一度謝るべきかこのまま立ち去るべきか、どうしていいのか分からずオロオロしてたんだけど・・・
 そうしたら、由乃様が私の方をもう一度見て、『落ち着きがないわね。鬱陶しいからここに座ってなさい』って。
 そう言って私を由乃様の隣に座らせたの。」

「・・・・・・・・・・・・・・ごめん、やっぱりどう聞いても笙子が由乃様に憧れる理由が分からない。
 もう無茶苦茶だよ。どこから突っ込んでいいのか分からないし」

乃梨子の言葉に、あははと苦笑を浮かべる笙子。
だが、茶々を入れる乃梨子とは反対に、志摩子は真剣な表情で笙子の話を聞いていた。
あの当時の由乃が、他人にそのような行動をすること、そして興味を示すことは珍しかったからだ。

「それで、その後どうしたの?由乃様に散々虐められた訳?」

「ううん、何も無かったよ。ずっと一緒にベンチに座ってたの。
 ヴァレンタインのイベントが終わるまで、ずっと一緒に」

「何も無かったって・・・会話もしなかったの?」

「うん、無かったよ。ただボーっと二人で一緒に時間を過ごしただけ。
 あ、別れ際に一言だけ由乃様がおっしゃったかな」

「何て?」

「『本当に変な娘なのね、貴女』って。そう言って笑ってた」

溜息をつく乃梨子だが、志摩子にとって先程の笙子の一言は衝撃以外の何モノでもなかった。
――笑っていた。当時、あんなにも心を閉ざし、誰に対しても壁を作っていた由乃が笑った。
相手は見ず知らずの少女、それも由乃なら笙子が中等部の生徒だとすぐに見抜いた筈だ。
そんな少女相手に、由乃が少なからずリアクションを起こしたのだ。それは、山百合会の誰もが為し得なかったこと。

「それで、転んで呆れられて鬱陶しいって言われて最後には変な娘扱いされた笙子さんは
 由乃様の一体何処に惹かれたのよ」

「・・・どこだろう。私、由乃様の一体どこに惹かれたのかしら」

「ちょっと・・・そこまで話してそれはないよ」

乃梨子の言葉に笙子はごめんねと謝るしかなかった。
そして、笙子は少し考える素振りを見せ、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「理由は分からないけど、私は由乃様を好きになりたいなって思ったの。
 一緒に時間を過ごして、たった少しの間だったけど、私は凄く楽しくてドキドキした時間だったんだもの。
 それ以来、由乃様の噂を全然信じられなくなったし、他の人が言う由乃様は嘘っぱちなんだって思うようになった。
 きっと、他の人は知らないだけで、由乃様はもっとキラキラしてるのにって、そう勝手に思ってた。
 一度そう思ったら、もう止まらなくて。だから、今こうして由乃様と一緒に過ごせる事が嬉しくて仕方ないの」

「ううん・・・よく分からないけど、笙子にとっては運命的だったんだね。
 ・・・でも、由乃様は笙子と出会ったのは祐巳さんを通じてだって言ってたけど」

「あはは、流石に覚えてる訳がないよ。由乃様にとっては、日常の一コマだったんだから。
 その一コマを、私が勝手に大切な思い出にしてるだけなの。だから、私だけが知っていればそれでいいよ」

そんなことは無い、そう志摩子は思った。
出会ったばかりの由乃を、目の前の少女は理解した。
いや、理解までとは言わないかもしれないが確かに本質を見抜いたのだ。
山百合会で、一年間を共に過ごした志摩子も見抜けなかった、由乃の本当の姿を。
そして、それ以上にこの少女は由乃を信じた。由乃は本当はあんな姿じゃないのに、と。
周りに流されることもなく、ただ自分が見た島津由乃を信じることが出来た。
先程まで、志摩子は笙子の事を一年生に多く存在する由乃のファンの一人だと思っていたが、
それは大間違いだったと痛感する。

――この少女もまた、福沢祐巳と同じ瞳を持っている。
『本当の島津由乃』を見つめることが出来る、純粋な瞳を。

だが、この少女には祐巳のような異質さを感じることが志摩子には出来なかった。
笙子から感じられるのは島津由乃に対する純粋な好意であり、憧れだ。そこに、異物は一切感じさせない。
しかし、それは福沢祐巳も同じではないのか。彼女も由乃に純粋に好意を抱いてるだけでは無いのか。
笙子の由乃に対する好意、祐巳の由乃に対する好意。それは一体何が違うというのか。
内藤笙子はしっかりと由乃を見つめ、まるで妹であるかのように由乃の全てを敬愛する。
福沢祐巳は優しく由乃を包み込み、まるで心を許しあった親友であるかのように由乃の全てを許容する。

二人とも同じように由乃を見つめる瞳を持つのならば、何故あんなにも由乃は祐巳にだけ依存するのだろう。
祐巳と由乃の間には、このような理屈では説明出来ない絆でもあるというのだろうか。
そして、志摩子は同時に思う。
もしかしたら、由乃にとって本当に妹にすべきは、目の前で嬉しそうに由乃の事を語るこの少女ではないのだろうか。
友人が誰を妹にしようと、それに口出しすべきではないとは思う。だが、それでも考えてしまうのだ。
もし、この少女が先に島津由乃と出会い、心の枷を解いていたのなら、一体どうなっていたのだろう。
やはり今のように笙子に依存したのだろうか。それとも。そこまで考え、志摩子は己の考えを振り払った。

最早、それは自分が考えることではない。
自分は早まったのだ。判断を誤り、由乃の心の傷を抉るような真似をしてしまった。
もう自分には、由乃と祐巳についてどうこう言える資格は無いのだ。今はただ、由乃を傍で見守るだけ。
そして、由乃がまたつらい思いをしそうになったなら、抱きとめてあげればいい。今度は自分も傷を共有しあえるように。
自分の為すべきことはそれだけ。先日、自分が持つ最後のカードを切ってしまったのだから。
その最高のカード――あの人なら、きっとこの胸の不安の正体を簡単に見抜ける筈だ。
福沢祐巳と島津由乃の間に結ばれた絆への、己でも不可解な程の大きな不安を。
















 ・・・
















白薔薇姉妹と談笑し、食事を終えた笙子が教室に戻るとそこには祐巳の姿があった。
だが、少しだけ様子がおかしいことに笙子は気付く。
祐巳は、己の机の上で依然袋に包まれたままの弁当をただじっと見つめていた。

「どうしたの、祐巳さん。もしかして、お昼食べてないとか・・・」

笙子の声に気付き、祐巳は初めて表情に色を戻した。
そして、あははと苦笑を浮かべて言葉を濁す。

「ちょっと、お腹が減ってなくて・・・これじゃ残りの授業が大変かも」

「そう・・・大丈夫?気分が悪かったりしない?」

笙子の言葉に、大丈夫と返事を返し、祐巳は笑顔を浮かべる。
だが、その笑顔は笙子にはどう見ても無理しているような笑顔にしか見えなかった。

「由乃様、心配されてたでしょ?」

「・・・由乃さん、今日は用事があって来れなかったんだ。
 新聞部の真美様が、わざわざ教室まで来て教えてくれたの。
 由乃さんが動けないから代わりに伝言を伝えに来たって」

「え・・・」

迷惑かけちゃったよね、と告げる祐巳に、笙子は驚きの余り声を漏らした。
由乃が教室に来ないなど、笙子達と一緒に食事を取るようになって初めてのことだったから。

「うん、突然入った山百合会の仕事があるから、瞳子様と教室で作業してるって。
 仕事なら仕方ないよ。だから笙子ちゃん、そんな顔しないで。私は全然大丈夫だから」

無理矢理仕事させられて由乃さん凄く怒ってるんだって、と笑う祐巳に、笙子は上手く返事が出来なかった。
何故だろう。ただ、由乃に仕事が入り、食事が一緒に出来なかっただけ。
ただそれだけなのに、笙子にとっては大変なことに思えたのだ。否、そう感じさせる理由が目の前の少女にあった。

「・・・本当に仕方がないよね。・・・仕方の無い、瞳子ちゃん」

祐巳の最後の呟きは余りに小さすぎて、笙子の耳に届くことは無かった。
しかし、祐巳の声が聞こえなかったのは、笙子が別の事に気を取られていたからだ。
笙子は、祐巳の笑顔からどうしても温度を感じることが出来なかった。彼女が見せる、陽だまりの様な温かさを。










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