23.マリア様がみてる










――映画館で一人、ただぼんやりと映画を見せられているようだ。それが由乃の最初の感想だった。


意識を取り戻したのはいつだったのか、最早覚えていない。
ただ、一つだけ分かるのは島津由乃が島津由乃として存在出来なくなってしまったということ。
もうこの世界には、祐巳を想っていた島津由乃は何処にも存在しないのだ。




世界は続いていた。以前と何も変わることなく、延々と。
島津由乃は黄薔薇の蕾で、山百合会の一員。少し姉馬鹿なところもあるが、至って普通の女子生徒。

ただ、二つだけ違うことがある。まず、島津由乃の身体を自分自身の意思で動かすことは出来ないということ。
自分の身体なのに、勝手に動くとはおかしい話だ。それは果たして自分の身体と言えるのだろうか。
だが、由乃の意識とは裏腹にその『島津由乃』は毎日の生活を送っているのだ。
その光景を、由乃はただ見ることしか出来ない。あたかも第三者のように、じっとその光景を見つめることしか。
数日かけて、由乃はようやく理解する。ああ、そういうことか。これが『塗り替えられる』ということか。
最早、この世界の島津由乃は『今の』島津由乃が本物なのだろう。自分は世界に否定されたのだ。
『今の』島津由乃の中で、自分はゆっくりと消えていくだけ。祐巳さんへの想いも、過去も胸に抱いたままで。
そして最後には、『今の』島津由乃と完全に一つになるのだ。心も、身体も全てを解け合わせる様に。

そして、この世界の最大の異なる点。
それは、由乃にとって全てを失うに等しいことだった。由乃の心を磨耗させるには充分なことだった。



――この世界には、祐巳さんは存在しない。



繰り返される日常は、由乃の意識を磨耗させるには充分過ぎた。
成る程、今なら志摩子の気持ちが痛いほどに分かる。つまるところ、彼女はこの状態だったのだ。
だから必死に祐巳を否定しようとした。そうじゃないと。祐巳の本当の姿はそうじゃないと。
志摩子は一体何日この日々に耐えたのだろう。どれだけ頑張ったのだろう。
これは地獄だ。屈服すれば幸せになれるという矛盾だらけの地獄。記憶の磨耗という永遠に続く拷問。
受け入れてしまえばいい。そうすればきっと楽になる。何も悩まずに幸せになれる。
――幸せになれるのだろうか。否、それは幸せなんかじゃない。それはただ、逃げているだけに過ぎない。
だってそうだろう。この世界には祐巳さんがいない。祐巳さんがいないのに、幸せになれる筈なんて無い。
そう自分に何度も言い聞かせ続け、由乃は幾度と無く甘い世界を見せられる。
それは幸せな日々。祐巳さんがいなくても、幸せになれるという証明。
ああ、この甘美な責め苦は一体何時まで続くのだろう。一体何時まで耐えればいいのだろう。



また、一日が始まる。

由乃の心を折る為に、世界が見せる吐き気を催すほどに甘い日々が。












 ・・・












朝、学園の門をくぐりぬけ、生徒達から挨拶の声がかけられる。
その声に、由乃は一人一人丁寧に対応していく。由乃が挨拶を返す度に、少女達は嬉しそうに微笑む。
成る程、この世界では自分の時とは違い、島津由乃は生徒達に人気があるらしい。
下級生だけでなく、上級生も嬉しそうに挨拶をしてくれるところを見れば嫌でも分かる。自分は嫌われていたから。

「おはよう、由乃さん」

「おはよう、志摩子さん。珍しいわね、こんなところで会うなんて。今日は一人?」

「ええ、いくらなんでも流石に朝まで乃梨子と一緒という訳ではないわ」

偶然出会った女性――藤堂志摩子の言葉に、由乃は『それもそうね』と笑って答えた。
島津由乃と藤堂志摩子は親友。これも何度も見せられた光景だった。
今となっては以前の自分は志摩子に対してどのような感情を抱いていたのかもおぼろげになるほどに。

「もうすぐ夏休みだけど、志摩子さんのご予定は?」

「ふふ、乃梨子と遊びに行くことは決まったんだけど、まだ何処に行くのかまでは」

「ちぇー、いいなあ妹持ちは。私も早く妹を持って志摩子さん達みたいに無駄にイチャイチャしてみたいわ」

「あら、由乃さんだって妹はいるようなものじゃない。
 笙子さんがいつ由乃さんの妹になるのか、私達楽しみにしているのよ」

志摩子の言葉に、由乃は照れながらも嬉しそうに微笑む。
そう。この世界に祐巳が存在しない今、由乃の妹候補は笙子だった。
祐巳と出会った時のことも、祐巳と起こした騒動も、その全てが笙子とすり替えられてしまっているのだ。
そして、この世界の由乃の心も笙子にあった。しかし、それは仕方ないのかもしれない。
もし、祐巳がいなければ自分でもそうなっていたかもしれないのだから。
笙子ちゃんは良い娘だ。それこそ、私の妹には勿体無い程に。健気で、どこまでも一生懸命で、優しくて。
――そうだ、祐巳さんもそうだった。だから私は祐巳さんに惹かれた。祐巳さんを欲しいと思った。

「それじゃ、また放課後に」

「ええ、今日も一日頑張りましょう」

日常が回っていく。祐巳さんがいない、祐巳さんが消えた日常が今日もまた。














 ・・・












彼女に心惹かれていなかったと言えば嘘になる。
確かに島津由乃は内藤笙子に確かな好意を抱いていた。

「笙子ちゃん、もうすぐ夏休みだけど何かご予定は?」

「予定ですか・・・そうですね、祖父母の元に里帰りするくらいでしょうか。
 あとは特に何もないです。あまりウチの家族って旅行とかしませんから」

「そう。それじゃ私と一緒ね。私も予定は全然ないのよ」

福沢祐巳の友達で、由乃を慕ってくれた可愛い後輩。
由乃の自由奔放かつ無茶苦茶な行動にも、彼女はいつも楽しそうに笑っていてくれた。
それこそ、まるで子犬のように由乃についてきてくれた。心に絶対の信頼を抱いて。
そんな少女が自分なんかを慕ってくれたのだ。嬉しくない訳が無い。好意を抱かない訳が無い。

「そうですか。それじゃ、一緒ですね」

「そう、一緒。だから・・・その、一緒ついでに、ね。
 夏休みも一緒に遊ばない?私達二人で、色んなところに遊びに行ったりして、ね」

「あ・・・は、はいっ!わ、私なんかでよければ!」

「もう、私なんかなんて言わないで。私は笙子ちゃんがいいのよ。
 笙子ちゃん以外と遊びに行くなんて考えてなかったもの」

笙子以外、考えられない。それは何て優しく、そして酷い言葉なのだろう。

笙子は確かに大切な存在だ。一緒にいて笑いあっていると、幸せになれる。
笙子と一緒ならば、きっとどんな時も一緒に歩いていける。彼女ならば、いつまでも私の傍にいてくれる。
自分の中の絶対が変わっていく。自分の中の祐巳が薄れていく。
――ああ、それにしてもこの私はなんて幸せそうに笑うんだろう。笙子ちゃん相手に、凄く幸せそうに笑ってる。
もし私が祐巳さんではなく、笙子ちゃんを選んでいたらこんな風になれていたのだろうか。
私が心惹かれたのが、祐巳さんではなかったら。私は――私は、一体今何を考えた。
そんな考えに至るようになってしまった自分自身に由乃は本気で嫌悪する。馬鹿げてる。祐巳さんがいなければ、なんて。
怖い。次第に祐巳さんの存在が心から希薄になっていく自分が怖い。祐巳さんへの想いが薄れていく自分自身が。
それは掌から砂が零れ落ちていくように、ゆっくりと、だが確実に磨り減っていく。
優しい世界が、甘い世界がどこまでも由乃を溶かしていく。ああ、これが消えるということか――











 ・・・













結局のところ、あんな目にあってもなお祐巳さんは祥子様が大好きだったのだ。

大好きだったからこそ、祥子様を誤解していた自分自身が許せなかった。認められなかった。
祐巳さんの姉は、祥子様以外にありえないのだ。悔しいけれど、認めたくないけれど、やはり祥子様なのだ。
あんなに祐巳さんをボロボロになるまで振り回すことが姉のすることなのか。
たとえ事情があったとしても、それが姉として妹にすべき対応だったのか。
憎い。けれど、それ以上に情けない。祐巳さんの心を救えなかった自分自身が腹立たしい。
何が救うだ。何が姉になるだ。結局、自分は祐巳さんに何もしてあげられなかったではないか。
勝手に突っ走って、迷走した挙句にこの結末だ。最早救いようがない。
結局、自分は祐巳さんに一体何をしてあげられたのだろう。何をすればよかったのだろう。
日に日に祐巳さんとの想い出が磨り減っていく。しっかり意識を保ってないと、簡単に流砂に飲み込まれてしまいそうで。

祐巳さんが消えた世界で、私はどうして今もなおこうして必死に残ろうとしているのだろう。
最早、祐巳さんはいないのだ。ならば私が『島津由乃』である必要など何処にも無いではないか。
この世界は回る。私じゃなくても、祐巳さんがいなくとも、世界は何処までも続いていく。
もう、いいんじゃないだろうか。眠ってしまえば、祐巳さんに会えるかもしれない。そんな奇跡が起こるかもしれない。

ねえ、祐巳さん。私はどうすればいいの。
痛い。痛いよ。心が痛い。祐巳さんとの記憶が薄れていく度に自分が自分じゃなくなっていく気がするの。
貴女に会いたい。会いたいよ。声が聞きたい。傍にいたい。抱きしめたい。
何より・・・貴女が今も一人で泣いているなんて絶対に嫌なの。私じゃ駄目なの?私じゃ貴女を救えないの・・・?















 ・・・
















その日の放課後、由乃は笙子と待ち合わせをしていた。
待ち合わせの場所は、いつもの裏庭のベンチ。いつも二人で過ごしていた、思い出の場所。
その光景に、由乃は軽い既視感を覚える。――ああ、そうだ。この光景は確かに良く似ていた。
自分が祐巳に、妹になって欲しいと想いを伝えた時の光景に。
恐らく、決心したのだろう。笙子に妹になって欲しいと伝えることを。そして、ロザリオを渡すことを。
そして、由乃は悟った。ここが終着点。私の終わり。祐巳さんとの絆の終焉を告げる場所。
幾度と無く、それこそ永遠かと思えるほどに繰り返された光景も、きっとここが終点なのだと。

「お待たせしました、由乃様。それでお話とはなんでしょうか」

「うん・・・多分、もう分かってると思うけど、私は貴女の事がずっと好きだった。
 初めて会った時から笙子ちゃんに惹かれていたの。貴女との傍にずっといたいと思った。
 貴女の特別になりたいと・・・そう、思っているの」

特別になりたかった。そうだ。自分は特別になりたかった。
泣いているあの娘を支えてあげたかった。傷ついたあの娘を励ましてあげたかった。
あの娘を元気付けてあげたかった。誰よりも傍で、あの娘と一緒に笑いあっていたかった。
こんな私を救ってくれたあの娘に、誰よりも笑っていて欲しかった。それが私の望みだった。

「由乃様・・・」

「笙子ちゃん・・・いえ、笙子。私は貴女が欲しい。貴女の傍にいつまでもいたいの。
 だから、言うわ。私は貴女と、いつまでも一緒にいたいから・・・笙子、私の妹に――」

終わる。祐巳への想いが。私の想いが。
もう、楽になってしまおう。そうすればもう苦しむことも悲しむことも怖がることも無い。
これは、祐巳さんが望んだ終焉。祐巳さんがくれた最後のカタチ。
ならば、その流れに身を委ねてしまおう。そうすれば、何もかも忘れてしまえるだろうから。
















『それでいいの?』















声が、聞こえた。

どこから聞こえたのかは分からない。けれど、確かに聞こえた。













『貴女は、本当にそれでいいの?』













構わない。だって、私はもう諦めているのだから。

きっと、笙子ちゃんを妹にすれば、この世界を受け入れてしまえば私も祐巳さんも楽になれる筈だから。












『だったらどうして』










どうして?それならどうして・・・
















『どうして貴女は泣いているのよ』

――どうして私は泣いているのだろう。















「由乃様・・・」

声が出ない。言葉が続かない。笙子に告げる筈だった言葉の続きが出てこない。
ただ、由乃の瞳からは止め処なく涙が溢れていた。悲しくなんかないのに。悲しい筈がないのに。
笙子ちゃんを妹に迎え入れる、それはとても幸せなことである筈なのに、どうして涙が止まらないのだろう。
どうして言葉が続けられないのだろう。『妹になって下さい』、その一言がどうしても出てこない。

「・・・もう、いいんです」

「笙子、ちゃん・・・」

震える由乃の手を、笙子はそっと両手で包み込む。
そして、笙子は微笑を浮かべ、由乃に告げた。それは、彼女をもう一度立ち上がらせる言葉。

「由乃様、その言葉の続きは私に言っちゃ駄目です。
 きっと、待ってる筈ですよ。由乃様が助けに来てくれることを。
 行ってあげて下さい。きっと、助けてあげられるのは由乃様しかいないから・・・」

――瞬間。由乃は身体の自由を取り戻したことに気付いた。
どうして笙子への言葉の続きが出てこなかったのか・・・そんなのは決まっている。自分は、諦めてなどいないからだ。
祐巳を救う。祐巳を助ける。祐巳の姉になってみせる。自分は何一つ諦めていないからだ。
諦める訳にはいかない。自分は誓ったのだ。絶対に祐巳を守ってみせると。救ってみせると。

「笙子ちゃん・・・」

「・・・馬鹿ですよね、私。折角、由乃様の妹になれるチャンスだったのに・・・自分で捨てちゃいました。
 今ではもう誰だったのか、思い出せませんが・・・確かにいた筈なんです。
 由乃様が大切に想っていた人が・・・由乃様にとって、大切な人が・・・私にとって、大切な人が・・・いた筈なんです。
 その人と一緒に私は沢山の時間を過ごした筈なんです・・・とても、大事な友達だったんです・・・」

最早、笙子に祐巳の記憶は無い。当然だ。祐巳に関するモノは全て塗り替えられてしまっているのだから。
けれど、笙子の心には残っていたのだ。祐巳との絆が、祐巳への想いが、祐巳の欠片が。
最後の最後で、由乃は踏みとどまることが出来たのだ。笙子の想いが、由乃の想いが、最後の一線を。

「・・・ありがとう。笙子ちゃん、貴女のおかげで私はギリギリのところで踏み止まることが出来た。
 本当に・・・ありがとう。貴女がいなければ、私は祐巳さんを救えずに終わるところだった」

笙子を引き寄せ、由乃は強き抱きしめた。
少女の温もりが由乃の身体に伝わっていく。この温もりが、由乃を救ったのだ。
由乃の胸の中で笙子は泣いていた。自分の手で、由乃の妹になるチャンスを捨ててしまった少女。
あのまま黙っていれば、きっと由乃の妹になれた筈なのに。それを良しとすることが出来なくて。
――ああ、そんなことは最初から出来る筈もなかったのだ。何故なら、笙子は本当に由乃の事が好きだったのだから。

「一つだけ・・・お聞きしてもいいですか・・・」

「何?」

「もしも・・・もしも私が由乃様の妹だったら、由乃様は幸せになれましたか・・・?」

笙子の問いに、由乃は微笑んで頭をそっと撫でて答えてあげた。
答えなど決まっている。笙子ちゃんと一緒にいるだけで、私は幸せだった。妹だったら、もっと幸せになれただろう。
本当、私は果報者過ぎる。こんな良い娘と巡り合えた奇跡に、無神論者だけど今だけはマリア様に感謝しよう。















 ・・・













笙子と別れ、由乃は学園の道を真っ直ぐに駆け抜けていた。
身体の自由を取り戻し、意識がハッキリと覚醒した今ならば分かる。祐巳の居場所はただ一つしかない。
それは、由乃にとって全ての始まりだった場所。あの場所で、泣いている少女と出会った事、それが全て。
あの出会いから、由乃の日常は大きく変わった。今までの自分を変えることが出来た。
自分の全てを救ってくれた少女。その少女が今、再び独りで泣いているのだ。独りぼっちで泣いているのだ。
多くの辛いこと、悲しいことをたった一人で背負い込み、自分を責め続けているのだ。
認めない。絶対にそんなことは認めない。救ってみせる。他の誰でもない、この私が救ってみせる。
もう迷わない。諦めない。振り向かない。この場所に立っているのは、自分だけの想いではない。
笙子に背中を押されたのだ。ならば情けない姿を見せるわけにはいかない。絶対に祐巳を助けてみせる。

「よーしのちゃん、パース」

突如、声をかけられ、その方向を振り向いた瞬間、何かが飛んでくるのを知覚した。
そして、思わず由乃はそれを手で掴んでみせる。その場に立ち止まり、何事かを確認する為に掌を開く。

「・・・ロザリオ?」

その手の中に収められていたのはロザリオだった。
どこかで見たことがある、記憶の奥底にくすぶっている形状。
そして、由乃は視線をそのロザリオを投げた張本人の方へと向ける。そこには、予想通りの人物が立っていた。

「聖様・・・」

「それ、祐巳ちゃんのだからさ。渡してあげてよ。
 そのロザリオが、祐巳ちゃんを向こうの世界へと導く道標だから。
 これがあれば、祐巳ちゃんは戻れる筈だよ。向こうの世界・・・まだ手遅れに至っていない時間へと」

その人物――佐藤聖の言葉に、由乃は言葉を発することが出来なかった。
それはつまり、祐巳が元の世界へ戻るということ。これを渡してしまえば、祐巳は帰ってしまうということ。
だが、それも由乃は予測していたことだった。祐巳は、祥子にもう一度会わなければいけないのだ。
会って、自分の想いを伝えるべきだ。それがきっと、祐巳を救う本当の道。
――それはつまり、この世界の住人である自分との永遠の別れ。渡してしまえば、もう二度と会えない。

「どうしたの?もしかして、覚悟が鈍っちゃったかな」

「・・・冗談。私は約束したの。祐巳さんを救うと。今度は私の番だと。
 それに、祐巳さんと私が離れ離れになったとしても絆まで失われる訳じゃない」

そうだ。自分と祐巳をつなぐ絆はそんなことに決して負けない。
悲しくない訳がない。辛くない訳がない。祐巳と離れ離れになるなんて絶対に嫌だ。
――だけど、このまま祐巳が独りこの世界で泣いているなんて、もっと嫌だ。祐巳の事を忘れるなんて、もっと嫌だ。
祐巳には笑っていてほしい。あの娘はいつまでも笑っていなきゃ駄目だ。そうじゃないと嘘だ。
祐巳が幸せになること。笑っていられること。それが、私の一番の願い。
ボロボロだった私を救ってくれた祐巳の、愛する祐巳の幸せが私の何よりの願いだから。

「・・・強くなったね。由乃ちゃんは本当に強くなった」

「強くなんてないわ。今でも気を緩めると泣きそうだもの。
 祐巳さんと別れるなんて嫌。離れ離れになるなんて絶対に嫌。けど、祐巳さんが不幸なままなんてもっと嫌。
 私は祐巳さんが好きなの。大好きなの。この世で誰よりも大好き。だから、やるのよ」

由乃の言葉に、聖は嬉しそうに笑った。それはまるで、子供のような笑顔だった。
そして、聖は由乃に語りかける。自分の最後の仕事を果たす為に。

「由乃ちゃん、君は本当に頑張ったよ。だから聖様から最後のアドバイス。
 最後まで自分の想いに嘘はつかないで。そうすれば、きっと君の想いは届くはずだから。
 自分がどうしたいのか、自分の心のままに――それだけを最後まで貫いて」

それじゃ、と手を振って由乃の元から去ろうとする聖に、由乃は『待って』と呼びかける。
振り返る聖に、由乃は笑って問いかける。それが、最後のおせっかいな先輩との会話。

「今ならもう一度聞いても構わないでしょう?
 ――貴女、誰?本当は、こっちの聖さまでも、向こうの聖さまでもないんでしょう?」

由乃の言葉に、聖はうーんと軽く考える仕草を見せた後に、楽しそうな笑みを浮かべて由乃に尋ねる。
その笑顔はどこまでも本当に楽しそうな笑顔で。そして何より綺麗な笑顔だった。

「由乃ちゃんさ、マリア様って信じてる?」

「・・・偶然ね。今しがた、ちょうど信じてみてもいいかなって思ったところよ」

「そっか。それじゃ、その信仰を卒業するくらいまでは続けてみてもいいんじゃないかなあ。
 間違ってもマリア様にこんなことをしちゃいけないよ。どんな時でもマリア様がみてる・・・ってね」

片手で銃の形を作り、聖は由乃に向けて撃つような仕草を見せて笑ってみせた。
どこまでも子供っぽい笑顔に、由乃は何故か心が捕えられて仕方がなかった。
――本当に、少しだけマリア様を信じてあげてもいいのかもしれない。そんなことを思いながら。
















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