5.転機










祐巳と分かれた後、由乃は薔薇の館へ向かうことにした。
今日の会議は参加しないつもりでいた為、もう開始時間はとうに過ぎているだろう。
そのまま帰っても彼女としては問題無かったのだが、祐巳の目の前で一応参加すると言った手前、
形だけでも参加しておこうという結論に至ったのだ。
今更部屋に入ったところで待つのは祥子様と瞳子の説教だけだろうけれど、と
由乃は心の中で溜息をつきながら会議が行われている部屋の扉をそっと開けた。

「遅いですわっ!!!由乃さん、貴女一体どこで油を売っていましたの!?」

「・・・何?瞳子さんはごきげんようの一言も私に言わせて下さらないの?
 それとも貴女はその日初めて会う学友に対しての挨拶は罵声と決めているのかしら?」

「っっっっっ!!!!!!由乃さん!!!」

「二人とも、やめなさいっ!!」

机を囲み、一番上座に座っていた祥子の一喝に由乃も瞳子も押し黙り、互いに視線を逸らした。
立ち上がりかけた瞳子は、祥子の方に視線で訴えかけるが、
彼女のプレッシャーに根負けし、渋々と座っていた椅子に腰を据え直した。

「さて・・・と。由乃ちゃん、今日は話し合いがあるから遅れないようにと私は昨日貴女に伝えた筈だけど」

「申し訳ありませんでした。次からはこのようなことがないよう心掛けます」

「そんな心にも無いような言葉なんて私は求めてないの。
 そうね・・・この際だからハッキリと言っておくわ。
 由乃ちゃん、貴女のその行動は迷惑よ。貴女一人のせいで私達みんなが振り回されて迷惑するの。
 貴女は自分の立場が分かって?」

何を今更、と由乃は吐き捨てたい気持ちを抑え、祥子を睨みつけるように視線を合わせる。
小笠原祥子。紅薔薇であり、この山百合会のリーダー的存在である彼女の由乃への言葉は今に始まったことではない。

由乃は去年、すなわち一年生だった頃から山百合会へのスタンスは少しも変わっていない。
自分の仕事だけを完璧にこなし、山百合会の集りには顔を出す時の方が珍しいといった状況だったのだが、
当時の紅薔薇だった祥子の姉、水野蓉子はそんな由乃の行動を黙認していた。
蓉子に同調するように、黄薔薇である鳥居江利子、白薔薇である佐藤聖もまた同様に由乃の行動を咎めなかった。
本来ならば姉達を差し置いて、一年が山百合会を堂々とサボったりするのは常識では考えられない行動だった。
その為、当時の学内新聞などでは由乃に関して様々なことが書かれたりもした。
曰く、薔薇失格なのではないか。曰く、薔薇様の弱みを握っているのではないか。
その内容は面白おかしく脚色され、行き過ぎた内容のあまり、薔薇達が直接新聞部に向かったこともあった。

そのような状況に、年上の人間で一人だけ良しとしなかった人物。それが紅薔薇の蕾、小笠原祥子であった。
彼女は由乃の態度を改めさせるよう薔薇達をはじめ、由乃の姉である支倉令に訴えた。
だが、祥子の訴えは聞き届けられはせず、全員にその必要はないと逆に諭されてしまった。
それならばと、祥子は直接何度も由乃に態度を改めるように伝えたが、それも全く効果が得られなかった。
結局話は平行線のままに、二人はそのまま一つ上の学年へと移ってしまい、その状態が今もなお続いているのだ。

「祥子、もうその辺にしてあげてよ。
 もう会議も終わったんだからさ、今日のことは私が言っておくから」

「令!大体貴女がいつもいつも甘やかすから私がこうして!」

由乃を放って今度は令に声を荒げている祥子を見て、由乃は自分への説教が終わったことを確認する。
そして、いつものように鞄を置き、それこそ何もなかったかのように自分の席に座るのだ。
由乃の説教されたばかりとは思えない態度の自然さに、見慣れていない乃梨子は驚き、じっと由乃を見つめていた。

「本っ当にいいご身分ですわね。全く、お姉様方を差し置いて一人社長出勤なんて考えられませんわ。
 それで、今日はどちらへ出張かしら?」

「別に貴女には関係ないわ。
 この台詞、私は一体貴女に何回言ったかしら。そろそろ同じことを言うの、止めたいのだけれど」

「だったらちゃんと山百合会に参加すればいいのではなくて?
 瞳子だって由乃さんが真面目に参加して下さればこんなこと言わずに済むのですけど」

「そう。困ったわね、貴女のその鬱陶しい嫌味を私は卒業するまで聞かなきゃいけない訳だ」

「っっっ!!聞かされなくてもいいように努力するという選択肢が貴女にはないんですの!?」

「だから一々うるさいのよ貴女は。話し相手が欲しいなら私じゃなくて志摩子さんとでも話せばいいでしょう。
 貴女は私のこと嫌いなんでしょ?それは構わないわ。だって私も貴女が嫌いだもの。
 お互い嫌いあってる二人なのよ。だったらお互い話さなければ精神的にも負担がなくていいじゃない。
 私に説教するより、そういう努力をした方がよっぽど有意義な選択肢だと思うのだけど」

「な、な、なっ!!貴女!!本人に面と向かって嫌いだなんて失礼にも程がありますわ!!」

二人の口論を、また始まったとばかりに志摩子は溜息をついた。
もう二人のケンカを見て、オロオロとしていた過去の志摩子は存在しない。完全に慣れてしまったのだ。
彼女がこのように達観するようになるほどに、二人のケンカは山百合会での日常と化していたのだ。
二人の横では、紅薔薇と黄薔薇がなおも口論を続けてる辺り、
どうも紅薔薇ファミリーと黄薔薇ファミリーはこういう関係になってしまうものなのかもしれない。

「どうせ大方中庭にでもいたんでしょう!
 山百合会をサボってまで下級生と会うなんて余程お熱が入ってるようですわね!」

「なっ!!?ど、どうしてそんなこと知ってるのよ!?
 何、何な訳!?覗いてたの!?」

予想だにしなかった瞳子の切り返しに、由乃は普段見せない程にうろたえた。
その様子に、瞳子をはじめとした山百合会の全員が驚きを見せた。このような由乃を見るのは初めてだったからだ。
そして、真っ先に我に帰った瞳子が勝機とばかりに言葉を畳み掛ける。

「あ〜ら?何か瞳子、由乃さんを慌てさせるようなことを言いまして?
 別に変なことなんて言ってませんわよ?ただ、由乃さんが放課後に下級生と逢引なさってると言っただけで」

「あ、あ、あ、逢引って何よ!!!?そんなことより瞳子、貴女見てたの!?答えなさい!!」

「別に瞳子は見てませんわよ。でも、瞳子のお友達からお噂を何度かお聞きしましたの。
 何でも放課後になると中庭で黄薔薇の蕾が下級生の女の子と仲睦まじくお話をなさってたとか。
 初めて話をお聞きした時は我が耳を疑いましたが・・・その反応を見ると、どうやら本当のことのようですわね」

したり顔の瞳子に、由乃は隠そうともせずに舌打ちをし、憎憎しげに瞳子を睨みつける。
祐巳と過ごした放課後の時間を誰かに見られていた。それは由乃にとって好ましくない事態だった。
黄薔薇の蕾である由乃が下級生、それも一年生に人気の高い福沢祐巳と放課後に仲良さげにしていたということが
知られれば、由乃が危惧していた事態に発展してしまう。それは、祐巳に迷惑をかけるということだ。
恐らく、新聞部あたりが近日中に祐巳に探りを入れてくるだろう。瞳子が知っている程だ、新聞部に伝わらない筈がない。
それは、由乃にとって避けたかった事態だ。祐巳に、自分のせいで嫌な思いをして欲しくはなかった。
学園新聞なんていう下らないもので、祐巳があれこれ謂れの無いことを書かれてしまうこと。
過去の自分のように好奇の目に晒されてしまうこと。そして、そうされることの辛さ。それを、祐巳に味あわせたくなかった。
だからこそ中庭の人目のないところで会うようにしていたというのに。
結局のところ、自分の考えの甘さが招いた事態だということに、由乃は自分自身に苛立っていた。

「・・・瞳子、貴女の口ぶりからして、その下級生が誰なのか分かってるみたいね」

「あら?由乃さんの口から聞かせてもらえるものだと思って、瞳子は口にしませんでしたのに。
 いいんですの?私の口から言ってしまっても」

好きにすれば、と言葉を残して、由乃は鞄を片手に椅子から立ち上がる。
何て迂闊。瞳子ですら祐巳が相手だとまで知っているのだ。恐らく、既に新聞部は動いているだろう。
そして、動くならばインタビューに時間がたっぷりと使え、明日の新聞に間に合わせることが出来る放課後。
放課後ならば、由乃は山百合会に参加している為、邪魔されるということもない。狙うならば、由乃と別れた今。
そう考えた由乃は真っ直ぐに新聞部の部室へと向かうことにした。

「ちょ、ちょっと由乃さん!?貴女また勝手に何処へっ!!」

「由乃ちゃん!!待ちなさいっ!!」

「急用が出来たので失礼しますっ!ごきげんよう!!」

一礼し、由乃は突風のように部屋の外へと出ていった。
いつもの由乃とは明らかに様子に、一同は戸惑いを隠せなかった。

「一体、何だって言うんですの・・・」

「瞳子ちゃん、ちょっといいかな。その一年生の名前、教えてくれる?」

令の一言に、瞳子は未だ状況が理解出来ないといった表情を浮かべながらも、
尋ねられたことに答えることにする。

「はい。一年菊組、福沢祐巳さんですわ。
 何でも花寺の生徒会長を務められている方の妹だとか。一年生にかなり人気があるようですわ」

福沢祐巳という名を聞いて、志摩子と乃利子が反応する。
その名は確か、先週にここで聞いた名前だった。瞳子が話題に出した、噂の一年生。

「でも、びっくりしたわね・・・あの由乃ちゃんがあんな風に取り乱すなんて。
 普段のいつも不機嫌そうな由乃ちゃんからは考えられないわね・・・」

「そうですね・・・私もびっくりしました。
 由乃さん、あんな風に自分の感情を表に出すことって滅多にないから・・・」

祥子と志摩子の言葉に、令は違うよと首を振って否定する。
そして、令は軽く目を細めてどこか遠くを見るようにして呟いた。その声は、いとも簡単に壊れてしまいそうな程に儚げだった。

「由乃はね・・・本当はああいう娘だったんだよ。
 怒りたいときに怒って、泣きたいときに泣いて、笑いたいときに笑う・・・そういう娘だったんだよ」
















 ・・・















山百合会を走って抜け出した由乃は、まず祐巳の教室に向かうことにした。
由乃と放課後に会うとき、祐巳は鞄を教室に置いたままにしている。
だから、教室に行ってもし机の上に鞄があれば、新聞部に連れて行かれた可能性が高い。
もし、鞄が無ければそれはそれで構わない。自分が新聞部に行き、祐巳にちょっかいかけさせないように、
先回りして少しきつめの釘を刺しておくだけだ。由乃は方針を固め、祐巳の教室に入室する。

「黄薔薇の蕾っ!お待ちしていましたっ!!」

「なっ!?何よいきなり・・・って、貴女はこの前の」

入室するなり一人の女生徒から声をかけられ、由乃は驚いてしまったが、
その生徒に見覚えがあった為、即座に落ち着きを取り戻した。
確か、以前祐巳の教室を訪ねたとき、一人教室に残っていた生徒。祐巳を探していた時に出会った少女だ。
ふわふわの巻き毛が特徴的な、どちらかというと志摩子に雰囲気の近い可愛らしい少女だった。

「はい・・・一年菊組、内藤笙子といいます。
 その、福沢祐巳さんとは入学式からのお友達で・・・」

「そう・・・ところで、貴女は・・・笙子ちゃんは私を待っていたと言ったわね。
 理由を教えて下さるかしら」

「そ、そうなんですっ!!祐巳さんが、祐巳さんがっ」

慌てふためいて落ち着きの無い様子ながらも、笙子はしっかりと由乃に事のあらましを説明してくれた。
笙子は祐巳と由乃が放課後に二人で会っていたことを知っていた。それは、祐巳が教えてくれたからだそうだ。
いつものように、祐巳が教室に戻ってきて、一緒に帰ろうとした笙子達のところに、
新聞部の人達が現れ、祐巳を連れて行ったらしい。無論、聞きたい内容は唯一つ、由乃との関係についてだ。
どうすればいいのか分からずにオロオロとしていた笙子に、祐巳は微笑んでそっと耳打ちしてくれた。
『もしこの場所に由乃さんが来たら、大丈夫だからって伝えて欲しい』とのこと。
二人のことは他の人に黙っているように、祐巳にも由乃にも言われた笙子は、山百合会に伝えに行くわけにもいかない為、
祐巳の言う通り、ここで由乃を待っていたという訳だ。
全てを聞いた後、由乃は唇を噛み締めて胸の内で呟く。『してやられた』と。

「分かったわ。今恐らく祐巳さんは新聞部の部室にいるのね。
 新聞部の連中・・・祐巳さんを少しでも泣かせてたら、そのことを一生後悔させてあげる。
 それと笙子ちゃんだったわね。ありがとう、貴女がここで我慢して待っていてくれて本当に助かったわ。
 もし山百合会に直接来てたら面倒なことになっていたから・・・本当、助かった。
 私は今から祐巳さんを連れ戻してくるから、貴女はここで待ってなさい」

「あ、あのっ!私も一緒に行かせて下さいっ!!私、祐巳さんの友達なんですっ!
 祐巳さんはクラスで初めて出来た友達なんですっ!だから・・・」

笙子の言葉に、由乃は笑顔で答え、指を教室の外へと向ける。
そして駆け出した由乃を追って、笙子も新聞部を目指して走り出す。
廊下を走る二人は、リリアン女学生として決して褒められたものではないが、
今の二人にそのようなことを気にする余裕なんて無かった。とにかく前へ。一歩でも前へ。
そして、新聞部の部室に辿り着くや否や、由乃はノックもせずにドアをあらん限りの力で叩きつけるように開いた。

「な、何っ!?」

室内では六人程度だろうか、新聞部の部員達が机でデスクワークをしているところだった。
そして、その奥で席に座ってインタビューを受けている祐巳が、目を丸くして由乃の方を驚いた様子で見つめている。

「一年の教室に集団で乗り込んで挙句の果てには一年生を拉致して『何!?』、じゃないわよ。
 祐巳さん、迎えに来るのが遅くなってごめんなさいね。我ながらこの事態に気付けなくて嫌になるわ」

「もう、大丈夫だって言っておいたのに・・・」

笑顔を浮かべる祐巳に、由乃もまた笑顔で答える。
そして、突然の由乃の登場に驚いていた部員達だが、現れた人物が山百合会の人間、
ましてやインタビューをしていた人物のお相手ともなれば、普通でいられる訳がない。
由乃の視線から皆目を逸らし、顔を青くして俯いてしまっていた。

「ふん・・・何、私の顔を見てそんな反応をするってことは昔書いた記事が
 私に対して酷い内容だったって認識はあるみたいね。まあ、今更そんなことはどうでもいいのだけど。
 それよりも貴女達は祐巳さんを連れ去って、一体何をしようとしてるのかしら?」

「由乃さん、連れ去ったのではなくて任意同行よ。そこを間違えないで頂戴」

「・・・山口真美さん。成る程、そういえば貴女は新聞部だったわね。
 話したことが無いからあなたが今喋るまで思い出せなかったけど」

由乃に反論した人物、山口真美は表情を変えずにそう、とだけ答える。
彼女は由乃と同じクラスだったが、話したことはなく、由乃の言うように今この場で会話するのが初めてだった。

「私達は祐巳さんからお話を聞きたくてこの部屋に来て頂いたの。
 それは貴女には何の関係もないことでしょう?」

「私が祐巳さんの傍を離れた途端に連れて行ったのに関係が無い、ねえ・・・
 それじゃ、これから祐巳さんをインタビューして記事にする内容も、当然私は何の関係もないわよねえ?
 一年生が黄薔薇の蕾と放課後に逢引してる、なんてのはもっての他よね。
 ・・・で、祐巳さんをインタビューして何を記事にするつもりかしら?期待の一年生とでも特集にするつもり?」

それはいいわね、と笑う由乃に、真美は一瞬押し黙る。
これから記事にする内容は、確かに黄薔薇の蕾との事に関する内容だ。
記事のメインである本人相手に関係が無いでは通らない。
しかし、本意ではないとはいえ、一度は記事にすると決めたことだ。そこで謝って記事にしないという訳にはいかない。

「私達が祐巳さんと黄薔薇の蕾とのことを記事にすることに反対なのね。
 でも、二人のことを知りたがっている生徒は沢山いるわ。なら私達は生徒達の期待に応えてあげたい。
 そのことで祐巳さんにインタビューしていけないなんて決まりはない。貴女に止める権利なんてあるの?」

「止める権利?笑わせないで。それこそ貴女達に祐巳さんを記事にする権利なんてないわ。
 ふざけるのもいい加減にしなさいよ。私を他の薔薇と一緒にしないで頂戴。
 私は貴女達に寛容でもないし、薔薇として接するつもりもないわ。薔薇としての権限を使うつもりも毛頭ない。
 けどね、貴女達が面白がって祐巳さんを記事にするつもりなら容赦しない。
 一人の島津由乃として貴女達に徹底的に教えてあげる。ほんの面白半分の記事が、一体どれだけ人を傷つけるのかを」

由乃の言葉に、真美は言葉を返すことが出来ない。
そう、それは真美も感じていたことだ。そのような新聞を書き、傷つくのは本人だけ。周りは面白がるだけ。
そのような新聞に何の価値があるというのか。それなら何の面白みも無い特集を組んだ方が何倍もマシだ。
部活の仲間達に押され、やむなく記事にすることにしたのだが、最早今の真美には
このニュースに対する情熱を一欠けらも見出すことは出来なかった。

「・・・そうね、その通りね。新聞は常に大衆の為にあらねばならない。それは、記事にする人間も含まれる。
 祐巳さん、長い間こんな部屋に閉じ込めたりしてごめんなさい。今回のことは記事にはしないから安心して」

真美の言葉に、由乃は鳩が豆鉄砲をくらったように面食らった。
いくらなんでも、このようにすんなり祐巳が開放され、記事が諦められるとは思ってなかったからだ。

「・・・何、その顔。私がすんなり引いたのがそんなに意外?」

「そうね、ハッキリ言わせてもらえれば意外も意外ね。
 どうやら貴女に対する認識を改める必要がありそうだわ」

「そう、それは嬉しい言葉ね。どうせなら新聞部に対する認識も改めて欲しいのだけれど」

「それはこれからの活動次第ってとこかしら。何せ、過去に散々好き放題書かれたからね。
 いつまた私のことを書き殴られるか不安で不安で仕方ないのよ」

ふふん、としたり顔で笑う由乃に、真美は軽く溜息をついて応える。
そして、由乃は視線を自分の傍まで来ていた祐巳に向け、笑顔を浮かべる。

「祐巳さん大丈夫だった?何もされてない?真美さんにエッチなこととかされなかった?」

顔を真っ赤にして『するかー!!』と叫ぶ真美を無視し、由乃は楽しそうに祐巳に尋ねる。
祐巳もまた、楽しそうに笑みを浮かべて『当たり前だよ』と答えた。

「それにしても、本当にごめんね・・・私の気が回らなかったばっかりに、他の人に見られてたみたい。
 多分、これからは祐巳さんと私に関する色んな噂が流れると思う・・・」

「うん、それなんだけど・・・由乃さん、これって凄くいいチャンスなんじゃないかな」

「チャンス?」

祐巳の言葉を、由乃はよく分からないといった表情で続きを促す。

「あのね、これから先も、私は由乃さんと一緒に過ごしたい。
 でもね、好きな人と一緒に過ごしたいだけなのに、二人して放課後にこそこそ会うのも何か間違ってる気がするんだ。
 勿論、今までは変な噂が流れないようにってことでそうしてきたんだけど・・・今はもう、その必要はないよね。
 新聞部の方々が知ってるくらいだし、きっと結構な数の人が私達が二人でいることを目撃してると思うんだ。
 だからね、逆に私達のことを新聞部の方々にインタビューしてもらうことで、みんなに知ってもらおうって。
 インタビューにちゃんと受け答えして、真美様に答えられない部分は記事にしないようにしてもらえれば、
 間違った変な噂も流れないし、私達も一緒にいられるし、凄く良いことだらけだと思うんだ」

どうかな、と尋ねてくる祐巳に由乃はちょっと待ってと言い、少し考えることにする。
確かに、それなら祐巳との関係は堂々と続けられるし、何より余計な下らない噂が流れることはない。
新聞部は情報を欲しているだけだ。この提案は、二人だけでなく、何より新聞部に有益な提案だろう。
だが、一つだけ問題点がある。それは、由乃が一番大きな問題と考えるものだった。

「・・・その方法だと、祐巳さんは逃げられなくなるのよ?
 私と堂々と一緒に過ごすということは、山百合会を避けて通れなくなるの。きっと周りからもそういう目で見られるわ。
 そして何より、私の妹と見られてもおかしくないわ。いえ、間違いなくみんなはそう思うわ。
 祐巳さんはそれでいいの?薔薇扱いされることの意味、分かるでしょう・・・?それでも、本当に・・・」

祐巳には山百合会に関係して欲しくなかった。
自分を閉じ込め、祐巳に会うまで彼女の世界の色を失わせた由乃の心の枷。
祐巳は間違いなく自分の辿った道を行くことになる。特別扱いされ、薔薇だからと諭され、
普通が特別に変わり、普通が望めなくなる由乃と同じ世界に。
自分は今、祐巳をその世界に連れて行ってしまってもいいのか。
俯き考える由乃に、祐巳は笑って由乃の手を握る。祐巳の小さな手の温もりが伝わり、由乃は顔を上げる。

「由乃さん、私が一番怖いことって何か分かる?
 ・・・それはね、由乃さんと一緒にいられなくなることだよ。由乃さんと離れ離れになることが怖いんだ。
 逆に言うとね、由乃さんが一緒にいれば、何も怖くないの。何もつらくないの。
 由乃さんが一緒ならどんなことだって笑って乗り越えられる気がするんだ。だから、大丈夫。
 どんなことがあっても、私は大丈夫。私にとってつらいことは、大切な人を失うこと以外、何一つないから・・・」

祐巳の言葉に、由乃は笑みを抑えられなかった。
何ということはない。全ては自分の完全な杞憂だったのだ。
この少女は自分のように弱くはない。自分が苦しんだことも、きっと簡単に乗り越えてくれる。
自分が悩んだことも、簡単に飛び越えてくれる。それを可能にする意思の羽が、彼女の背中にはあるのだ。

「全くもう・・・これじゃどっちが上級生か本当に分からないじゃない。
 私ったら祐巳さんに励まされてばっかり。たまには私にも格好良いことさせなさいよね」

「そんなことないよ。ここに来たときの由乃さん、凄く格好良かったもの。
 その・・・やっぱり、嬉しかった。笙子ちゃんにはああ言ったけど、やっぱり来て欲しかったんだね、私・・・」

「全くもう・・・笙子ちゃんに感謝しなさいよ。
 笙子ちゃんが山百合会に向かってたら大変なことになったんだから。ね、笙子ちゃん」

部屋の扉に背中をつけて一部始終を見ていた笙子は、突然話しかけられブンブンと力強く首を振った。
由乃の先程の口論時の姿に見惚れていたのか、まだ由乃と真美の話し合いの余韻が抜けきってないらしい。
その様子を見て祐巳は笙子に近づいて笑いかけ、笙子もまた緊張の糸がようやく切れたのか笑みを浮かべる。
由乃はその光景を満足そうに見つめた後で、真美に向かい直して口を開く。

「とまあ、そういうことになったのだけど、インタビューお願いしてもいいかしら?
 勿論さっきの今で随分都合がいい話だとは思うのだけど」

「馬鹿ね、気にしてないわよ。
 さっきまでの下らない記事の何百倍も輝きそうな記事が書けるんだもの。喜んで受けさせて頂くわ。
 それに、良い物も見れたことだしね」

頭にクエスチョンを浮かべる由乃に、真美は意地悪そうに笑ってみせる。
その様子が、今日どこかで見た顔とよく似ていた為、由乃は思わず身を構えた。

「まさか新聞部の部室であんなラブシーン演じてくれるとは思わなかったわ。
 貴女があんな風に優しい笑顔するなんて、勿体無いわね。蔦子さんがこの場にいたら泣いて喜んだでしょうに」

「・・・どうやら貴女に対する認識をもう一度改める必要がありそうだわ。
 そんなところは見なくていいのよ。さっさと忘れてしまいなさい」

「ところで、さっきそのシーンを拙いながらも写真撮ってみたんだけど。
 良かったら今回の記事で使わせてもらってもいいかしら?」

さっきまでのお返しと言わんばかりに笑みを浮かべる真美に、由乃は溜息をついて勝手にしろとだけ答えた。
どうやら、自分は少し視界が狭くなってしまっていたらしい。
こんなにも意地悪そうに由乃と笑いあってくれるようなクラスメイトが同じ組にいることすら知らなかったのだから。
そんなことを考えながら、由乃はまた一つ大きな溜息をついた。











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