10.結ばれる日曜日










祥子を手を引いて祐巳は、第二体育館へ続く道の途中で見つけた温室に入った。
沢山の花や木々が植えられた人工の自然の園、その一番奥にある棚に祐巳は少しも遠慮することなく座った。

「貴女、この場所を知っていたのね。少し意外だわ」

「へ?全く知りませんよ。この場所が目に入ったから入室しただけで。
 ここなら二人っきりになるには丁度良いかなと思いまして。ここって園芸部か何かの活動場所ですか?」

「・・・呆れた。園芸部はリリアンに存在しないわよ。
 貴女って本当に自分の興味があること以外はどうでもいいのね」

「それが私、福沢祐巳ですから。こういう人間はお嫌いですか?」

祐巳の言葉に祥子は思わず笑みを零した。
『そんな訳無いでしょう』、そう言って祥子は祐巳の隣に腰をかけた。

「・・・聞かないのね」

「え、聞いていいんですか?スリーサイズ」

「馬鹿」

茶化す祐巳に祥子は少し顔を赤らめながらも窘める。
そりゃ残念、そう口にする祐巳だが、祥子が何のことを言っているのかは当然分かっていた。
――柏木との事に関すること。それを祐巳が追求しないことに祥子は疑問を感じているのだろう。
祐巳は苦笑する。確かに、少し前の迷っていた自分ならここで追及したかもしれない。
しかし今は柏木と祥子のことなんて心からどうでもよかった。自分本位、祥子と自分の間に柏木は何の関係も無いのだから。

「祥子様と柏木さんが婚約者であろうが無かろうが、私には関係ないですよ。
 だって、心の底から興味が無いですし」

「祐巳・・・」

祐巳の言葉に、祥子はまるで捨てられた子犬のような寂しさを感じさせる瞳で祐巳を見つめていた。
どうやら祐巳の言葉が祥子には『祥子様のことなんか興味ない』と聞こえてしまったらしい。
祐巳は『本当に仕方ないお姫様だなあ』と苦笑しながら、祥子に笑顔を向けた。それは祐巳の心からの本当の笑顔。

「柏木さんがどうあっても、祥子様は私が手に入れますから。
 私と祥子様の二人の間に、柏木さんなんて関係ない。婚約者なんて関係ない。
 たとえ柏木さんがどんな手を使って祥子様をモノにしようとしても、私がさせません。
 ・・・いえ、柏木さんだけじゃなく、他の誰が相手でも祥子様は渡しません。だって私、祥子様のこと大好きですから」

祐巳の言葉に祥子は言葉を返すことが出来なかった。
――嬉しかった。目の前の少女から好きだと言って貰えたことが。
――嬉しかった。目の前の少女が自分に興味を失した訳ではないということが。
柏木の事で思い悩んでいた自分の気持ちを、彼女はこんなにも簡単に雲散させてくれた。
柏木から守ると言ってくれた。祐巳は、自分にとって欲しかった言葉をあまりにも簡単に与えてくれる。
だから、仕方ないではないか。祐巳の言葉に、今まで塞き止めていたモノが溢れ出てしまうのは――

「祥子様、泣いてます?」

「・・・馬鹿、こういうのは・・・何も言わないのが・・・マナーでしょう・・・」

涙が止まらなかった。悲しい訳ではない。つらい訳ではない。ただ、嬉しかったから。
祐巳の言葉が自分の胸の中をこんなにも温かくしてくれる。こんなにも胸のつかえを氷解させてくれる。
祐巳の存在が嬉しかった。祐巳が傍にいてくれることが、祐巳が祥子を誰にも渡さないと言ってくれる事がただ。
子供のように泣いている祥子を、祐巳はそっと優しく抱き寄せる。

「祐巳・・・」

「好きなだけ泣いていいんですよ。どんな時でも私は祥子様の傍にいますから。
 つらい時は私が祥子様を支えますから。だから・・・ね?」

子供をあやす様に微笑んで、祐巳は優しく祥子の頭を撫でる。
完全に張り詰めていた糸が切れたのか、祥子は祐巳の胸の中で泣いていた。
年下の女の子の胸の中で祥子が泣くなど、リリアンの生徒が知れば似つかわしくないと思うかもしれないが
祐巳にはそんなこと全く気にすることはなかった。むしろ、今の祥子が祐巳の求めていた本当の祥子だった。
着飾った祥子など要らない。子供のように意地を張り、子供のように感情を見せる小笠原祥子。
それこそが祐巳が惹かれた祥子であり、手に入れようとした女性だったのだから。
祥子が泣き止んだ後も、祥子は祐巳の胸の中から離れようとせずにそのまま時間が過ぎていった。
そして、祐巳が気がついた頃には、祥子は祐巳の胸の中で眠ってしまっていた。
溜め込んでいた感情を一気に吐き出した反動だろうか。祥子の寝顔を見て、祐巳は苦笑する。
本当に困ったお姫様。だけど、これこそが自分が本当に欲していた祥子様。
子供のような寝顔を浮かべる祥子様を、祐巳は美しいではなく、心から可愛いと感じていた。

「あらあら、祥子ったら眠っちゃってるの?」

「・・・蓉子様?」

いつの間に訪れたのか、温室の扉の向こうから蓉子が現れ、苦笑を浮かべていた。
蓉子の訪れに気付かなかった程、どうやら自分は祥子の寝顔に見とれていたらしい。

「祥子、よっぽど祐巳ちゃんのことが好きみたいね。
 この娘がこんな風に誰かを頼ったりすることなんて、今まで無かったもの」

「ふふ、蓉子様にそう言って頂けると自信が持てそうです。
 大切なお嬢様を頂くには、まず親の許可から得ないといけませんからね」

「あら?それじゃ私は祥子のお母さんってことかしら。
 それは光栄ね。祐巳ちゃんなら是非ともウチの娘になって欲しいわ」

「それは祥子様が決めることですので。そうなれるといいのですが」

笑って言う祐巳に、蓉子は微笑みながら花壇の方へと足を進めていく。
そして、一本の木の前で立ち止まり、蓉子はその木に咲いた花を指差して、祐巳に口を開いた。

「祐巳ちゃん、この花が何か分かる?」

「薔薇・・・ですか?」

植物関係の知識に疎い祐巳だが、その花が薔薇であることくらいは分かった。
祐巳の答えに、蓉子は軽く頷いて言葉を続ける。

「これがロサ・キネンシス。この花のことを覚えていて頂戴。
 それじゃ、祥子のことはよろしくね。祥子が起きたら柏木さんは帰ったと伝えておいて」

「柏木さん、帰っちゃったんですか。
 まあ、流石にリリアンの生徒に本気で蹴られそうになったとあっては当前ですよねえ。
 いやあ、婚約者の前であんな風にされちゃ誰だって帰りますよね。あはは」

笑いながらさも他人事のように言う祐巳を見て、蓉子は苦笑を浮かべる。
そして、部屋から出て行く際に祐巳の方を振り返り、一言だけ告げた。

「祐巳ちゃん、聖からの伝言。『ターゲットは祥子から祐巳ちゃんに変更』ですって」

「あはは・・・・・・は?」

蓉子の言葉の意味が全く理解できなかった祐巳は、湧き出た疑問をそのまま声に出してしまった。
それじゃまた、そう言って去っていった蓉子の背中と祥子の寝顔を交互に見つめながら、祐巳は嫌な予感が全身に走った。
『もしかして、面倒なことになってしまったのではないか』、と。

「祐巳・・・」

「はい?」

祥子に呼ばれ、視線を自分の膝の上で眠っている祥子の方へ向けたが、彼女は眠ったままだ。
どうやら寝言を言っているらしい。お嬢様の祥子も寝言を言うんだな、そんなことを考えて祐巳は笑う。

「祐巳・・・」

「はいはい、何でしょうシンデレラ。私ならちゃんとここにいますよ」

「祐巳・・・大好き」

祥子の寝言に、祐巳は笑みを零して祥子の頭を優しく撫でる。
そして、その頬にそっとキスをした。きっとマリア様も、これくらいの悪戯は許してくれるだろうから。
愛しい眠り姫の言葉に、想いをカタチにして応えるくらいなら。






















 ・・・

















文化祭を終え、グラウンドの中央でファイアーストームが行われているのを
祐巳は一人トラック外の土手の部分から眺めていた。
――結果から言うと、シンデレラの舞台は大成功を収めた。
柏木との件を吹っ切れた祥子は完璧にシンデレラを演じてみせたし、祐巳も姉Bとして完璧に演じてみせた。

振り返れば、高等部に入学して一番慌しい二週間だったように思える。
祥子にタイを直してもらった出会いから、一目で祥子を手に入れると決意した。
高等部では志摩子以外に何事も興味を示さなかった自分にとって、唯一の例外。それが小笠原祥子だった。
その時から、自分は『普通』の皮を再び脱ぎ捨てた。きっと、あの出会いは運命の分岐点だったのだと思う。
あのまま、普通のリリアンの一生徒として生きていくか。それとも表舞台に上がるのか。そして運命は後者を選んだ。
ならば、それも悪くない。山百合会の一員として、学園を引っ張っていく。
我ながら福沢祐巳らしからぬ行動だとは思うが、そんなに悪い気はしなかった。
『福沢祐巳』という根幹は決して変わらない。けれど、やはり自分はどこか変わってきたのかもしれない。
祐巳はグラウンドの炎を見つめながら、そう考えていた。そして、自分を変えたのはやはり――

「探したわよ」

肩を叩かれ、祐巳が振り返るとそこには祥子が立っていた。

「・・・祥子様なんだろうなあ」

「?いきなりどうしたの?変な娘ね」

祐巳の呟きに首を傾げながら、祥子は祐巳の隣に腰をかけた。
その時に祐巳は、祥子からりんごジュースのパックを一つ手渡された。

「舞台成功を祝って、ね」

「ふふ、悪くないですね」

祐巳は祥子のパックに自分のパックを押し当て、小さく乾杯をした。
そして、互いにストローに口をつけた。そして、ストローから口を離し、祥子は楽しそうにクスクスと笑う。

「何ですか?」

「気がついた?私、ダンスの時に優さんの足を三回踏みつけてあげたの」

「へえ・・・流石は祥子様、と言いたいところですが、どうせならもっと踏んであげてもよかったのに」

「ふふ、祐巳ならそう言うと思ってたわ。祐巳、今日はずっと優さんを睨んでたものね」

「そうなんですよね・・・何ていうか、やけに視線が気にかかるっていうか・・・こっち見ないで欲しいっていうか。
 私の中では柏木さんは『どうでもいい人』から『気持ち悪い人』に降格しましたので。
 やっぱりあの人に祥子様は渡せませんね。そんなことしては勿体無いお化けが出ちゃいます」

祐巳の言葉に、祥子は笑った。そして、それにつられて祐巳も笑う。
周りの目など、祥子も祐巳も気にせずに心から。それはきっと、二人とも良い笑顔だったのだと思う。

「・・・ありがとう。今の私が笑っていられるのは、祐巳のおかげよ」

「えーっと・・・そう言われてしまうと、『私何かしたっけ?』とか思っちゃうんですが・・・」

「ふふ、してくれたのよ。祐巳は沢山私に大切なモノをくれたわ。
 貴女が傍にいてくれたから、私は最後まで自分に負けなかった。だから・・・」

ジュースを地面に置き、祥子はポケットからロザリオを取り出した。

「私は祐巳が欲しい。これからも祐巳の傍にいたいの。
 だから、私を貴女の姉にして頂戴」

祥子の言葉に、祐巳は二週間前の賭けを思い出した。
『自分から妹になりたい』『自分から姉になりたい』そう言った方が負けのゲーム。
これは祥子にとって、シンデレラを逃れる為の賭けだった筈だ。だが、今祐巳の目の前で祥子は何と言った。
『私を貴女の姉にして頂戴』。そう言ったのだ。それはつまり、賭けは自分の負けだと認めているということ。
それは祐巳にとって達成目標の一つだった筈だ。今、目の前でそれが叶ったのだ。
だというのに、祐巳は胸の中でスッキリしない感覚を覚えていた。これは違う、と。
確かに祥子は祐巳に惹かれている。だからこそ、負けを認めて『姉にして欲しい』と言っているのだ。
だが、自分はどうだ。自分は祥子に惹かれていないのか。――否。断じて否。自分もまた、確かに祥子に惹かれている。
だから、こんなカタチはフェアじゃない。だから――祐巳は笑みを零し、祥子に口を開いた。

「駄目ですよ、祥子様。貴女は賭けに負けた訳じゃない。だから、そんな風に言わないで下さい」

「どういうこと・・・?」

「もう、祥子様ったら鈍感なんだから。
 私も祥子様に惹かれているんです。だから、祥子様だけにそんな風に言わせる訳にはいきません。
 私も祥子様が欲しい。祥子様の傍にいたい。祥子様をこれからも支えていたい。だから――」

その言葉は全て真実。福沢祐巳がこの二週間で見つけた新たな想い。
志摩子に対するモノとは違う、祥子への特別な想い。その絆。
この感情が一体何なのか、未だに答えは出ていない。だけど、それは焦る必要なんて決して無い。
いずれ、その回答は見つかる筈だから。




「――私を祥子様の妹にして下さい、『お姉様』」




祥子様と――お姉様と一緒に歩いていけば、いつかきっと。









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