5.宝石










祐巳が祥子の説教から解放されるのと同じくらいの時間に、他の薔薇様達は部屋に訪れた。
不満そうな祥子の表情を見て、楽しそうな笑顔を浮かべているところを見るに、どうやら彼女達は
ワザと遅れてきたらしい。恐らく、扉越しに祐巳と祥子の様子を眺めていたのだろう。
とりあえず祥子の説教から逃れられたことに変わりはないので、祐巳は少しだけ薔薇様達に感謝しようと思った。
そして祐巳は志摩子に大丈夫だよ、と困ったような笑みを浮かべて軽く首をすくめてみせる。
祥子の手前、志摩子は笑顔こそ浮かべているものの、どうやら祐巳が祥子に一方的に説教されていたことが
酷く不満だったらしい。今の志摩子が内心怒っていることに気付いているのは祐巳と聖くらいだろうか。
気にしないで、と祐巳は志摩子にそっと伝える。別に祥子に説教されることなど、実際祐巳は
微塵も堪えていないのだから。むしろ怒られている最中に祥子をからかう余裕すらあった。
まあ、そういうことをしていたからこそ未だに祥子が苛立ちを浮かべているのだが。

「それでは早速稽古を始めましょう」

祥子の言葉に、蓉子が思い出したように手を叩いた。

「そういえば祐巳ちゃん、まだ台本を貰ってないわよね?」

「いえ、台本なら祥子様から頂きましたが」

鞄から祥子から受け取った台本を取り出し、祐巳は蓉子に見せる。

「へえ。祥子もなかなかやるものね」

「別に。もう覚えてしまったので、私には不要の物ですから」

「そんな事言って。祐巳ちゃん、台本にロザリオが挟まっていなかった?」

「残念ながら。その代わりに先程は数々の愛の言葉を囁かれましたが」

「祐巳っ!!」

ガーッと怒鳴る祥子に、祐巳は楽しそうに笑みを浮かべて蓉子の後ろに隠れる。
何、先程はじっと我慢して(実際我慢してないし、祥子をからかってすらいたのだが)説教を受けていたのだ。
これくらいしても罰は当たらないだろう。そんな風に考え、祐巳は祥子を煽った。
祐巳と祥子の様子に、蓉子は楽しそうに笑っていた。成る程、これはこれで良いコンビなのかもしれないと。

「じゃ、頭からやろうか。祐巳ちゃんは向かって右袖にいて」

「はい」

指示された場所まで行こうとした祐巳だが、その肩を祥子に掴まれた。
何事かと不思議そうに首を傾げる祐巳だが、そんな彼女を見て祥子は軽く溜息をついた。

「貴女、台本を持たずにどうするの?台詞言えないでしょ?」

「えっと、言えますけど・・・シンデレラと姉Bですよね」

祐巳の言葉に、祥子を初めとしてその場の全員が驚いたような表情を浮かべる。
その様子に祐巳は更に首を傾げる。自分は何か変なコトを言っただろうかと。

「・・・『私は赤いビロードのドレスを着て、イギリス製の縁飾りをつけていくわ』」

祥子の台詞――それはシンデレラの台本中の姉Aの台詞だった。
ああ、成る程。祐巳は祥子の意図を理解する。つまり、自分が本当に台詞を覚えているのか試しているのだ。
祐巳は昨日の夜に暇潰しがてらに頭に入れた台本の内容を思い出す。そう、次の台詞は全て覚えている。

「『私はいつものスカートでいいわ』」

「『でもその代わりに、金の花模様がついたマントを着て、ダイヤモンドのブローチをつけるの。
  あれはかなり珍しい品ですもの』」

祥子が一呼吸置いた。そう、次の台詞はシンデレラだ。祥子が台詞を言う前に、祐巳は口を開いてみせた。

「『お義姉様。御髪はこんな感じでいかがですか?』」

先にシンデレラの台詞を言われ、祥子は再び驚きの表情を見せる。
そして、姉Bの台詞を続けようとした祐巳だが、その続きを口にすることはなかった。祥子が制止したからだ。

「もういいわ。祐巳、貴女本当に台詞を覚えているのね」

「ええ〜・・・昨日私に覚えるように言ったのは祥子様だったと記憶しているのですが」

「確かに言ったけれど、それはあくまで当日までという意味だったに決まってるじゃない。
 まさか一日で暗記するなんて誰も思う訳ないでしょう?」

「少しは見直して下さいました?ご褒美にキスをねだってもいいですか?」

「馬鹿」

照れながらぺちんと軽く祐巳の頭をはたく祥子を見て、蓉子は先程から驚かされっぱなしだった。
祥子の台詞から考えるに、祐巳に台本を渡したのは昨日で間違いないだろう。
だが、目の前の少女はたった一日でシンデレラと姉Bの台詞を全て暗記してきたのだ。
昨日の聖ではないが、蓉子は思った。この娘は、本当に底が知れないと。
そして、祥子の様子。もう彼女は完全に祐巳に心を許している。ある種において人見知りをする祥子がだ。
あんな風に喜怒哀楽を下級生に見せることなど今までの祥子からは考えられなかった。
昨日、自分は祐巳に対して『祥子を支えられる』と言ったが、それは誤りだった。過小評価もいいところだ。
ダンスの件といい、今回の事といい、祐巳は間違いなく山百合会を背負っていくべき人材だ。そう蓉子は確信した。

「すいませーん」

さあ、立ち稽古を再開しようという時に、薔薇の館に訪問者の声が響き渡った。

「あ、私が」

この場で一番の新入りだと一応は自覚しているらしく、祐巳は部屋を出て階下へと向かった。
しかし、扉を開けて祐巳はすぐに『ごきげんよう』の言葉が出なかった。
その場にいた六人の女の子全てに見覚えがあったからだ。それはクラスメイトでも何でもない。そう、彼女達は――

「ごきげんよう、祐巳さん。お久しぶり」

「えっと・・・智子さんに恵子さんに仁美さんに由香さんに彩音さんに裕恵さんじゃない。
 えっと・・・え?なんでこんな場所に?」

不思議そうに祐巳は疑問符を頭に浮かべずにはいられなかった。
そう、彼女達は中等部の頃に祐巳が『手を出してきた』女の子達だった。無論、今は全員クラスが祐巳と別である。
理解出来ないといった表情を浮かべている祐巳に、先頭に立っていた女の子が代表して口を開く。

「ふふ、祐巳さんに会いにきた・・・って本当は言いたいのだけど、今日は別件なの。
 私達は手芸部。彩音さん達は美術部。仁美さん達は発明部。それぞれ部活の件で薔薇様達にお話があって」

「ああ、成る程。そっか、貴女達は文化部だからね。
 うん、分かった。それじゃ、少し待っててね」

彼女達の訪問の理由に納得した祐巳は、二階へと踵を返す。
そして、薔薇様達に入室の許可を貰い、彼女達を部屋へと案内する。

「どうぞ。とりあえず、あんまり面白くは無い場所だと思うけど」

「もう、祐巳さんったら。私達以外の生徒だったらその台詞は怒るところよ。
 仮にも山百合会といえばリリアン女子の憧れの場所なんだから」

「あれ?みんなは怒らないの?」

「勿論よ。私達の憧れはあくまで祐巳さんだけだもの」

先頭を歩いていた娘の言葉に同調するように他の娘達も微笑む。
その言葉に、祐巳は苦笑する。ただの友達関係に戻ったとはいえ、
彼女達は未だに自分へ好意を抱いてくれているらしい。
昔の自分は、それこそ手段を選ばずに彼女達をこんな風にしてしまったのに。
取り分け、彼女達はまだ祐巳が手馴れていない中等部の初頭頃に、ある種強引な方法でモノにした女の子ばかりだ。

「私達、祐巳さんが祥子様の妹に・・・というより、山百合会に入ってくれることを願ってるの。
 もしそうなれば、堂々と祐巳さんのファンだって言えるでしょ?薔薇の一員だったらおかしいことも何もないし」

「そっか・・・みんな、私が『普通』でいたいってお願いをきいてくれてるんだよね。
 だから今では私と『ただの友達』でいてくれているんだよね。みんなと私の関係がばれると『普通』が難しくなるから。
 ごめんね、私の我侭でみんなを振り回しちゃって」

「ううん、祐巳さんのお願いだもの。全然大丈夫だよ。
 それに祐巳さんからは中等部の頃に沢山の想い出をもらったもの。私達、本当に幸せだよ」

祐巳の言葉に、その場の全員が同意する。その言葉に祐巳は思わず掌で顔を覆ってしまった。
彼女達の言葉が嬉しすぎて。こんなにも自分を想ってくれているなんて。
最早、祐巳は感情を抑えられなかった。だからこそ、両手で顔を隠したのだ。
彼女達にこんな表情を見せる訳にはいかないから。

「祐巳さん、泣かないで」

祐巳を取り囲む女の子達に、祐巳は大丈夫だと首を振って応える。

――ああ、本当に彼女達にこんな表情を見せる訳にはいかない。そんなこと出来るものか。
自分のことをこんなにも想ってくれている娘達に、ただ只管ニヤケが止まらない顔を見せるだなんて。
本当、昔の自分を褒めてやりたい。こんなにも良い娘で可愛い娘達をここまで調教出来た自分自身を。













 ・・・













だが、その数時間後に祐巳は自分の考えを百八十度変えることになる。
――なんて余計なことをしてくれたんだ昔の自分。タイムマシンが存在したのなら、過去に戻って
色んな女の子に好き放題手を出すほどに荒れていた自分自身を思いっきり引っぱたいてやりたい気分だった。

「あの・・・志摩子さん、まだ怒ってる?」

「?変な祐巳さん。私怒ってなんかいないわ」

「ううう〜・・・お願いだから許してよお。そんなつもりであの娘達を連れ込んだ訳じゃないんだってば〜!」

その日の帰り道、祐巳はバスが来るまで志摩子に延々と怒られていた。
志摩子が不機嫌な理由は、さきほど薔薇の館を訪れた六人によるものだった。
用を済ませた六人に、その時機嫌が良かった祐巳が『練習を見ていかない?』と誘った。
そして劇の練習をその六人は見ていたのだが、彼女達が見ていたのは他ならぬ祐巳だけだった。
勿論、彼女達のそんな熱い視線に気づかない志摩子ではない。『あ、ヤバイ』と思った祐巳だったが、
今更彼女達に『志摩子の機嫌を損ねるから帰れ』とも言えない。結局、練習が終わった後、
志摩子はずっとこのようにニコニコしたままだった。そして祐巳は理解していた。この状態が一番危険なのだと。
普段温厚で優しい志摩子で、他人からは祐巳の浮気にも大目にみそうな気はするが、実はそうではない。
外見に見せないだけで、志摩子は人一倍ヤキモチ焼きで寂しがりなのだ。
本当は欲しているのに欲してない振りをする。そして諦めようとする。それが祐巳が知った本当の藤堂志摩子だった。
だからこそ祐巳はその枷を解いた。もっと自分の気持ちに素直になるように。欲しいものを欲しいと言える様に。
それ故に祐巳は祥子の時も志摩子に許可を貰ったのだ。志摩子の心に負担になるようなら、祥子を諦めるつもりだから。
志摩子の中で、祥子は祐巳と姉妹の関係と割り切れたが、今回はそうはいかない。
何せ相手は昔の祐巳の相手していた女の子達なのだ。それは、志摩子の知らなかった祐巳を知っている女の子達。
だからこそ、志摩子は知らず知らずのうちに嫉妬してしまった。祐巳に悪気はなかったことは分かる。
だが、志摩子は感情をどうしても上手く制御できないのだ。志摩子が恋愛を経験するのは祐巳が初めてなのだから。

「む〜・・・志摩子さん、安心して?
 私、本当に高等部に入ってからは志摩子さん以外の女の子なんて抱いてないから。
 これはマリア様に誓ってもいいよ。私が抱くのは志摩子さんだけ。あ、でもキスまでは許して欲しいかな、なんて・・・」

「・・・もう、祐巳さんってば」

苦笑して言葉を紡ぐ祐巳に、志摩子はようやく表情を綻ばせた。
その笑顔に、祐巳はホッと心をなでおろした。そして志摩子を抱き寄せながらしっかりと己を戒め直した。
手を出すのは、あくまで志摩子さんに許可を貰った女の子だけ。昔の女の子も含め、今の自分には必要ない。
彼女を失ってまで手に入れる必要のある宝石など、この世に存在しないのだから。
――だが、小笠原祥子。彼女の存在は自分にとって唯の宝石なのだろうか。
あの外見とは反比例して、意地っ張りで子供染みたお嬢様が、祐巳の心に小さな棘のように刺さっていた。
最初は外見に惹かれた。だが、祥子は外見だけのそんな薄っぺらい女性では無かった。ある種、祐巳には新鮮だった。
知れば知るほど面白くなる。志摩子とは別の意味で彼女の事を知りたいと思うようになっていく。
それはまだ愛欲とは言えない感情。だが、他の女の子達に対するものとも違う感情。
祐巳は思う。祥子もまた、今日再会した女の子達のように、ただの宝石に過ぎないのだろうか。
それとも――そんな考えを振り払うように、祐巳は少しだけ強引に志摩子の唇を奪った。













戻る

inserted by FC2 system