7.惹かれあう週末










土曜のお昼頃、薔薇の館に二年桜組からのカレーの差し入れがあった。
そのカレーを食べて各々が感想を言いあっていた中で、祐巳はカレーを頬張りながらずっと祥子の方を眺めていた。

正直、祐巳は驚いていた。祥子の唇を強引に奪ったのが昨日なのだが、
昨日の今日にも関わらず、祥子は以前までと同じように祐巳に接してきたのだ。
朝の会議中に軽く欠伸をすれば注意をするし、馬鹿なことを言う祐巳に呆れたような表情も見せる。
祐巳に対する己の在り方を少しも変えようといないのだ。祐巳の本性に触れてもなお。それが祐巳には意外だった。
今まで祐巳が堕としてきた女の子はほぼ例外なく祐巳の本性を知ったときにその在り方を変えた。
ある女の子は祐巳に盲目的になった。ある女の子は祐巳に怯えた。ある女の子は逃げるようになった。
そのリアクションによって、祐巳は次の一手を決めていた。押すか、引くか、揺らすか、かどわかすか。

だが、祥子は違った。志摩子と同じく、祐巳の本性を知ってもなお在り方を変えようとしなかった。
潔癖症な祥子だけに、大きなリアクションを見せると祐巳は思っていた。下手をすれば、嫌悪されるとも。
それが祐巳の考えていたシナリオだった。こういう場合は一度嫌われた方が動きやすい。相手が余計意識するから。
現にそういう反応を見せてきた女の子達を祐巳は例外なくモノにしてきたのだから。
しかし、祥子がそういう反応を見せなかったことを祐巳は少しだけ安堵していた。
嬉しかった。祐巳の期待を良い意味で裏切ってくれる祥子が。本当に面白い。祥子様は本当に素晴らしい。
――欲しい。祥子が今すぐ欲しい。心の奥底から湧き上がる感情を祐巳は何とか抑えるので精一杯だった。
キスをした時の祥子の無防備な表情。それはまさしく穢れを知らなかった乙女のもの。あれはきっと初めてのキス。
穢したい。あの純白の色を自分色に染めてしまいたい。真っ白な雪原に自分の足跡をつけるように。
心だけじゃ物足りない。身体も自分のモノにしてしまいたい。祥子様は一体どんな音色をきかせてくれるのだろう。

「――祐巳ちゃん、お願い出来る?」

「へ?何をですか?」

白昼堂々思いっきり妄想していた祐巳に突如蓉子から声がかけられる。
全く話を聞いていなかった祐巳は、思いっきり素の返事をしてしまい、祥子が呆れたような溜息をついた。

「祐巳、貴女もしかして話を全然聞いていなかったの?」

「はあ、まあ・・・ちょっと頭の中で色々と立て込んでまして。もう少しで良いところだったんですが」

「何を訳の分からないことを・・・しっかりなさい。今から祐巳にお使いを頼みたいと言っているのよ。
 正門にいる人をここに連れてきて欲しいの」

「えっと、それは構わないんですがどんな人ですか」

祐巳の問いに、祥子は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、答えようとしなかった。
不思議そうに首を傾げる祐巳に、蓉子は祥子の代わりに会話を続ける。

「花寺の生徒会長さんよ。名前は柏木さん。出来るだけ急いでね」

「ああ、つまり王子様役ってことですね。分かりました」

薔薇の館から出て、祐巳は下履きに履き替え、少し急いで正門へと向かった。
急いで、と言われても頼まれたのは今さっきなのだから遅れても自分のせいじゃないし。祐巳はそう考えていた。
それに正直、祐巳はその王子役に対して興味はなかった。男嫌いな訳ではないが、純粋に興味が無いのだ。
そして、門の外に出てみると、いかにもな王子様が待っていた。祐巳の感想はそれだけだった。

「失礼ですが、柏木さんですか?」

「あ、はい」

顔を上げて笑う彼に、祐巳は一礼して告げた。

「山百合会よりお迎えに参りました。福沢祐巳と申します。本日はよろしくお願い致します」

いつも通り羊の皮を被って挨拶する祐巳の脳内には、最早目の前の王子様のことなど何処かへ行ってしまっていた。
祐巳の頭の中では如何に志摩子に許可を取って祥子を抱くか。その一点だけだった。















 ・・・













柏木を薔薇の館に案内した祐巳だが、ここに来る途中に見たあることが頭から離れなかった。
ここに来る時に、祥子を見かけたような気がしたのだ。しかし、すぐに図書館の裏に消えてしまったので
正確に確認することは出来なかったのだが。
現に祥子が今、薔薇の館にいないところを見るにあれは本人だったのかもしれない。
探しに行こうかどうか考えていたところに、祐巳は聖から話しかけられる。

「祐巳ちゃん、どう思う?」

「どう、って?」

「彼を見てどう思うか、ってこと」

アゴで柏木を示す聖につられ、祐巳は柏木の方へと視線を向ける。
つまるところ、聖は祐巳に王子様の印象を尋ねているらしい。祐巳はうっすらと苦笑を浮かべた。
よりによって貴女が私にそれを聞くのか。そう言いたい気持ちで一杯だった。だから思ったことを率直に口にする。

「どういった感想を期待されてます?」

「うーん、そりゃ格好良いとか?惚れそうとか?王子様素敵とか?
 『普通』の女の子の祐巳ちゃんからそういうのを聞きたくてさ〜」

「今度は本気で押し倒しますよ?」

「そりゃいいね。それじゃ今年の冬休み辺りに二人っきりで旅行なんてどう?」

「言いましたね。志摩子さんへの言い訳は勿論聖様がして下さるんですよね」

「OKOK、ちゃんと志摩子には私から許可とっておくから任せて。
 むしろ志摩子に関しては祐巳ちゃんに都合が良い方向に持っていってあげるからさ。
 まあ、今年一番の楽しみは確約できたとして・・・今回の話はちょいとばかし、真面目な話でね」

聖が言うには、今回の舞台劇には祥子の男嫌いを克服するという目的があった。
そして祐巳は祥子が男嫌いになった理由を聞かされた。祥子の家庭の事情。女関係の問題。
それを聞き終えた時、祐巳はそういうことかと納得した。そして、首を捻る。

「仮に舞台が成功したとして、祥子様の男嫌いが治るとは思えませんけどね」

「まあ、この一回で克服させようなんて蓉子も思ってないみたいだしね。いわば免疫作りの最中だよ。
 それに彼なら間違っても祥子に手を出したりしないだろうし」

「しないんですか。つまり柏木さんは私達と同族ってことですか?」

「ふふ、流石は祐巳ちゃん。鼻が利くね。まあ、純粋にそういう訳じゃないみたいだけどね。
 どうも祥子はそういう対象外らしいよ。あの王子様にとっては」

「勿体無い話ですね。そう言えば祥子様はどちらに?私がここに来た時は既にいらっしゃらなかったんですが」

「体育館だよ。どうもシンデレラはご機嫌斜めのご様子で」

「うーん・・・私ちょっと様子を見てきます」

「あれ?もしかして祐巳ちゃん、祥子の心配してるの?
 へえ・・・なんだ、祥子の一方的な負けかと思えば祐巳ちゃんもなかなか祥子に惹かれてるみたいじゃない」

笑って言う聖に、祐巳は何も言わずにただ笑い返すだけだった。
聖の言う通り、祥子に惹かれている自分がいるのは事実。だって自分は今こんなにも祥子を求めているのだから。
ただ、それが純粋無垢な欲望とはかけ離れてるのがリリアン生徒として残念で仕方ないのだが。















 ・・・















体育館に辿り着いた祐巳は、一人で舞台に腰をかけていた祥子を見つけた。
軽く息をつき、祐巳は祥子の下へと歩いていく。祐巳に気付いた祥子は顔を上げ、祐巳を見つめていた。

「王子様、来てますよ?」

「ええ、来てるわね」

「さっき図書館のところで見てたんですよね?」

「・・・見てないわ」

「そうですか」

何て嘘が下手なお姫様だろう。祐巳は苦笑しながら祥子の隣へと座った。
汚れるわよ、と指摘されても祐巳は少しも気にしなかった。祥子も同じように座っていたのだから。

「・・・本当は、見てたわ」

「でしょうね。素直なのは良いことです」

何故かは知らないが、先ほどの嘘を訂正する気になったらしい。
良し良しと祥子の頭を撫でる祐巳に、祥子は顔を赤らめながらも祐巳の手を振り払う。

「このまま帰っちゃってもいいんじゃないですか?本気で嫌なら誰も怒らないと思いますけど」

「帰る?誰が?」

「祥子様が。だって、嫌なんですよね?花寺の王子様と踊るのが」

祐巳の言葉に、祥子は『逃げないわ』と答えた。
それは、小さな声だったけれど、確かな意思の篭もった言葉だった。

「いい?確かに花寺の生徒会長と踊るのは不本意だけど、私は自分からは逃げないわ。
 私は何事に関しても負けるのだけは絶対に嫌なの」

祥子の言葉に、祐巳は思わず笑みを零した。
祥子は美しい。何が美しいのか、それは彼女の外見だけや高貴な振る舞いによるものではない。
本当は弱いのに、常に強くあろうとする姿勢、その精神、その在り方。だからこそ彼女は美しいのだ。
どんなことでも彼女は決して逃げない。どんなに回り道をしても必ず最後には立ち向かう。
そんな祥子に祐巳は自分が惹かれていることを認識した。そうだ。だからこそこの人を手に入れたいのだ。
紅薔薇の蕾の小笠原祥子など要らない。周囲の認識する小笠原祥子など要らない。
自分が欲しいのは全ての鎧を脱ぎ捨てた、ありのままの小笠原祥子なのだ。

「祥子様、みんなが来るまで踊りましょう」

舞台から飛び降り、祐巳は笑って自分の手を祥子へと差し出した。
最初は呆然としていた祥子だが、苦笑を浮かべて祐巳の手を取った。
そして、二人はゆっくりと舞い始める。誰もいない、二人だけの体育館で。

「・・・祐巳は不思議な娘ね。貴女といると、凄く心が落ち着くの。
 そして同時に胸がこんなにも高鳴るわ。本当、どうしてかしらね」

「不思議なのは祥子様も同じですよ。本当の私を知っても未だにこうして普通に接してますし」

「あら?だって祐巳は祐巳でしょう?貴女は貴女らしくいればいいのよ。
 確かに突然の事で驚いたけれど・・・むしろ本当の貴女を知ることが出来たのだしね」

「あは、じゃあ私らしくもう一度祥子様の唇を奪っていいですか?今度は同意の上で」

「っっ!?あ、あれは一度だけよ!!大体それとこれは話が別でしょう!?」

「祥子様照れてる。ということはちゃんと私を意識してくれてるってことですよね?」

「あ、当たり前でしょ!?大体、あんなことされて意識しない人なんている訳が・・・」

「あはは、初心で可愛いなあ、もう」

「っっ!!祐巳っ!!」

踊る足を止め、祐巳はぎゅっと祥子に抱きついた。
そして顔を上げ、祥子に満面の笑みを向けた。

「仕方ないから今はこれで我慢してあげます。
 私も必死に我慢するんですから、祥子様も王子様相手に頑張って我慢して下さいね」

「全くもう・・・本当に訳が分からない娘ね、祐巳は」

微笑み返す祥子に、祐巳は『傷つくなあ』と笑って返した。
志摩子とは違う祥子の温もりに、祐巳は姉妹と言うものはこういうものなのかもしれないなと一人考えていた。














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