8.想いが募る二週目










放課後、薔薇の館を訪れた祐巳を待っていたのは一人窓辺に椅子を寄せる祥子だった。
祐巳の来訪に気付いたのか、祥子は顔を窓から離して祐巳の方へと向けた。

「いつ来たの?」

「ちょうど今です」

「そう」

「他の方はまだ来られないんですか?」

「クラス活動とかで、忙しいんでしょう。そういえば、志摩子は?」

「え〜っと・・・何だったっけ・・・確か何とか整備委員会とかいうのだったような・・・」

「・・・環境整備委員会ではなくて?」

「あ、そうそう、そんな感じです。あはは」

笑って誤魔化す祐巳に、祥子は軽く溜息をついて視線を窓に移した。
先ほどから祥子から溜息が漏れている様子を見て、祐巳は何となく祥子が
あの王子様のことを考えているのだと確信した。祥子が嫌悪する、あの花寺の生徒会長のことを。
祥子の柏木に対する態度を見て、祐巳は一つ分かったことがあった。祥子は柏木に想いを寄せている。
それがどうしてあのような突っぱねるような態度に出ているのかは良く分からないが、
祥子が柏木を好きだということは祐巳には簡単に見抜くことが出来た。祐巳は軽く息をつき、口を開いた。

「祥子様、悩み事でもおありなんですか?」

「あったら助けてくれるの?」

「助けますよ。祥子様が本当に私に望むことならば、私は何だってしてあげます。
 どうぞ遠慮せずにおっしゃって下さい。それで『小笠原祥子』が本当に良いと思うなら」

まっすぐな祐巳の瞳に、祥子は言葉を続けなかった。
祥子は軽く息を吐き、視線を再び祐巳の方へと向け直した。

「・・・本当に意地悪な娘ね、祐巳は。
 そんな風に言われたら『代わりにシンデレラをやれ』なんて言えないじゃない」

「好きな娘には意地悪したくなる性質なんですよ。誰かさんと一緒ですね」

「どうしてそこで私を見るのよ」

「さあ?どうしてでしょうね。それにシンデレラの願いを叶えるのは魔法使いの役目でしょう?
 姉Bが出しゃばってしまってはそれこそ物語が破綻してしまいます」

笑う祐巳に、祥子は少しだけ悔しそうな表情を浮かべる。それはまるで子供のようで愛らしかった。
祐巳は鞄をテーブルの上に置き、自分もまた椅子へと座った。そして、祥子に尋ねかける。

「そんなに嫌なんですか?」

「嫌よ」

何が嫌なのか、ということを言ってもいないのに、柏木と踊ることだと祥子は理解していた。
本当は『柏木さんのこと好きなのに?』と言ってしまいたかったが、
そこまで他人の心に土足で入り込むほど祐巳は馬鹿ではない。これは祥子の問題なのだから。
だが、困る。いくらなんでも目の前でそんな顔をされては堪らなくなるではないか。先日我慢すると決めたばかりなのに。
迷子になり、親とはぐれてしまったような祥子の表情が堪らない。彼女は今、どうしていいか分からないのだ。
祐巳はなんとか必死に自分を抑え付ける。まだだ。まだ、手を出す段階ではない。予感がするのだ。
もし祥子がこの悩みを乗り切れば、彼女はもっと美しくなる。もっと綺麗な花を咲かせる。だから、我慢。今は我慢。
今、自分がすべきことは祥子の背中を軽く支えてあげるだけでいい。そう、例えるなら『妹』のように彼女の心を。

「そんなに男が駄目ですか。というかこの場合は柏木さんが」

「もしや会ってみたら大丈夫かも、って期待したんだけど・・・でも、駄目だったわ」

「そうですか。だったら、私が祥子様を押し倒しても問題ないですよね」

「そうね・・・って、どうしてそうなるのよ!?」

突拍子も無い祐巳の発言に、祥子は思わず声を張り上げてしまった。
そんな祥子を前に、祐巳はあれえ?とワザとらしく首を傾げた。

「だって先週の土曜日に私言ったじゃないですか。
 『私も我慢するから祥子様も王子様の事我慢して下さいね』って。祥子様、柏木さんのこと我慢出来ないんですよね?
 だったら私も我慢しなくてもいいかなあって」

「い、いい訳ないでしょう!?」

「それに祥子様、私に言ったじゃないですか。『自分からは逃げない』って。
 一度自分で口にしたんですから、最後まで頑張らないと。ですよね?」

祐巳の言葉に、祥子は自分の言った言葉を思い出したのか口を閉ざした。
そうだ。自分は確かにそう口にした筈だ。負けるのだけは絶対に嫌。それが私の譲れない想いだった筈だ。
祥子の表情が変わったのを見て、祐巳は笑う。そうだ。祥子様はそうじゃないといけない。
常に自分らしく、唯我独尊で無意味に自信に満ち溢れていなければいけない。それが祥子様なのだから。

「それに、本当に辛いときは私がいますから。私が祥子様の背中を支えます。
 どんな時でも、私が必ず祥子様の傍にいますから。私は祥子様を絶対に一人になんてしませんから」

「祐巳・・・」

「逃げる手助けは私には出来ません。ですが、立ち向かう手助けなら私は何でもしてあげたい。
 だから、頑張りましょう。祥子様なら柏木さんの一人や二人、適当にあしらうくらいが丁度良いですよ。
 私は無駄に自信に溢れて無駄に周囲を振り回すような祥子様が大好きなんですから」

祐巳の言葉に、祥子が『それは全然褒めてないじゃない』と微笑んだ。
それは、今日祐巳が初めて見る祥子の微笑だった。――やっぱり、祥子様は笑ってるのが一番良い。
気付けば、そんなことを考えてしまっていた自分が少し恥ずかしくなり、祐巳は軽く苦笑した。

「・・・祐巳の言う通りね。私、言ったもの。自分からは逃げないって。
 本番が近くなって、どうも私弱気になってたみたい。本当にらしくないわね。今更こんなことに気付くなんて。
 ・・・本当、貴女は不思議な娘ね。貴女はいつも私の心に優しく入り込んで来て、一番欲しいモノをくれる」

「だったら私にも欲しいモノを下さい。祥子様ばっかりもらっては不公平だと思いまーす。
 そうですね、今は取り分け祥子様のキスが欲しい、なんて言ってみたり・・・」

――不意打ちだった。祐巳の言葉の途中で祥子が椅子から立ち上がり、祐巳の頬にそっと口付けをしたのだ。
予想外の展開に呆然とする祐巳に、祥子は顔を真っ赤にしながらも、楽しそうに笑っていた。
そして、祐巳に告げるのだ。『これでおあいこね』、と。ようやく何が起こったのか把握し、祐巳は小さく両手を上げた。
どうやら今日は私の完敗らしい。本当、私の未来のお姉様は根っからの負けず嫌いでいらっしゃるようだ。
















 ・・・


















その日の夕刻、祐巳は志摩子と二人で学園のベンチで寄り添っていた。
志摩子の肩に、祐巳は頭を置いて何をするでもなく時間を過ごしていた。それは二人だけの時間。

「久しぶりだよね、こういう時間も。最近は忙しかったからなかなか時間が取れなかったもんね」

「そうね・・・学園祭の準備や劇の練習で忙しかったから」

「だから今日は久々に志摩子さん分をたっぷり補充しないとね。
 私、志摩子さん分が切れちゃうと死んじゃう生き物だから」

ごろごろと猫のように祐巳は志摩子に擦り寄った。
志摩子の膝の上で寝転がる祐巳に、志摩子は苦笑しながらも嬉しそうに祐巳の頭を優しく撫でる。
膝枕のような形になり、祐巳は志摩子を見上げながら口を開く。それは自然に漏れた言葉だった。

「・・・志摩子さん、大好きだよ」

「・・・私も大好きよ。でも、どうしたの急に」

「ううん、ただ口にしたかっただけ。
 私だって女の子だし、好きな人にただ自分の気持ちを伝えたくなる時だってあるんだよ」

「ふふ、そうね。祐巳さんは女の子だものね」

笑う志摩子に、祐巳は少し不満げに軽く頬を膨らませて抗議するが、結局志摩子につられて笑ってしまった。
――心地良い。志摩子と自分の時間は決して誰にも侵すことの出来ない領域。
志摩子だけいればそれで良かった。それが一週間前までの自分だった筈だ。
だが今、そこに一人の例外が生まれようとしている。

「祐巳さんが今悩んでいるのは祥子様のこと?」

「・・・本当、志摩子さんには敵わないなあ。私まだ何も言ってないのに」

祐巳の言葉に、志摩子は微笑んだ。
いつだってそうだ。志摩子は祐巳の考えていることを簡単に理解してくれる。
そして、それは祐巳とて同じ。祐巳は志摩子の悩みをすぐに理解することが出来る。
志摩子と祐巳がこのような関係になって二ヶ月も経っていないというのに、二人の心はそれほどまでに結ばれているのだ。

「・・・祥子様の存在が私の中で大きくなってるんだ。
 これが色欲だけなら良かったんだけど・・・違うんだよね。祥子様の事、何故か放っておけないんだよ。
 見ていて危なっかしいし、でもそれが凄く魅力的に思えるし、保護欲って言うのかな・・・
 そりゃ祥子様は綺麗だし、常に私は欲情してるんだけど・・・それだけじゃないって言うのかな」

祐巳はそっと志摩子の頬に手を触れた。その手に志摩子もまた自分の掌を重ね合わせる。

「志摩子さんへの想いは『愛してる』なんだ。けれど・・・」

祐巳は志摩子の手を取り、自分の胸へと持っていく。
志摩子の掌に伝わるのは祐巳の鼓動の音。彼女が生きているという証。

「祥子様への気持ちは・・・それとは違う気がする。
 私の心がそう言ってる気がするんだよね。だったら、祥子様は私にとって一体何だろう?
 家族でも、恋人でも友達でもない特別な存在・・・これがスールって言うものなのかなあ」

言い終えた時、祐巳は志摩子が楽しそうに微笑んでいることに気付いた。

「きっとそれが祐巳さんと祥子様の姉妹の形なのだと思うわ。
 祐巳さんと祥子様、きっと合っていたのよ。だからこんなにも惹かれあうのだと思う」

「姉妹の形・・・かあ。ゴメン、よく分からないや。
 とりあえず祥子様は楽しいよ。一緒に居ると飽きないもん」

「今はそれでいいと思うわ。まだ二人は姉妹になっていないのだし、それを見つけるのはこれからだもの。
 だから答えを急がないで。いつも通り、祐巳さんの思うように祥子様に接するのが一番だと思う」

そっか、と祐巳は答え、志摩子に微笑み返した。
『ありがとう』は必要ない。そう志摩子の微笑が語りかけてきたような気がしたから。
以前、祐巳は自問したことがある。祥子は自分にとって唯の宝石か否か。
その問いに祥子は見事に答えてみせた。小笠原祥子は唯の宝石なんかではなかった。
ならば祥子は祐巳にとって一体何なのか。宝石でないのならば、果たして――
その答えを志摩子は急がなくてもいいと言ったけれど、その答えを導き出す日はそう遠くないのかもしれない。













戻る

inserted by FC2 system