4.また明日










確かに自分は退屈だと言った。
姉である支倉令は剣道の練習に行ったし、折角の休日だというのにやることもなかったことは事実だ。
だからこそ、彼女――福沢祐巳からの外出のお誘いの電話は一つ返事でOKした。
外で何をするのかなんて聞いていなかったし、誘った側の祐巳が予定を立てているのだと考えていた。
無論、どこに行こうとも暇を潰せるならば別に何処でも良かった。折角のお誘いなのだ。
相手が考えてくれたデートコースにケチをつけるなど、由乃は更々無かった。
だが、だがしかしだ。いくらなんでも、よりによって、何は無くとも。

「すいません、このシナモントーストを一つ」

「おいおい、いくら何でもそろそろ遠慮すべきじゃないか。
 君だけでいくら分頼んでると思ってるんだよ」

「うるさいな。最初に奢りだって言ったのはアンタだろうが。
 ほら、祐巳ちゃんも由乃ちゃんも静も遠慮せずにどんどん頼んじゃいなよ」

「何で君が言うんだよ」

「えーっと、それじゃ私はアップルパイを追加でお願いしま〜す」

「そうね、私はレモンティーを頂こうかしら」

いくらなんでもこのメンツの中に私を引きずり込むのはイジメ以外の何物でも無いのではないだろうか。
喫茶店の一角、一番窓際の席に座っている由乃は一人小さく溜息をついた。何故こんなことになったのだろう、と。

「ほらほら、由乃ちゃんも何か頼む!
 柏木なんかに大切な時間を割いてやってるんだから、今食べておかないと割りに合わないでしょ」

「僕は祐巳ちゃんしかお誘いしていなかったつもりだったんだけどね」

「それで祐巳ちゃんにいとも簡単に振られた馬鹿は何処の誰だっつーの。
 私達が参加してなきゃ祐巳ちゃんはこの場にいなかったんだから感謝の一つもしてほしいところね」

聖の言葉に、柏木は反論出来ない為、渋々コーヒーを口に運んだ。
そう、話のきっかけはこうだ。先日の夜、祐巳の家に柏木から『明日一緒に出かけないか』という電話が入った。
その電話を祐巳は考える間もなく『嫌です。面倒です。何で私が。可愛い女の子が相手なら考えますが』と一蹴した。
去年の祥子との騒動以来、祐巳と柏木は何度か接する機会もあり、このように電話が来ても驚かない間柄にまで
なっているのだが、祐巳の柏木に対するスタイルは何ら変わらない。というより彼が男の時点でアウトなのだが。
そういう訳で祐巳の即答をこれまでの経験から予想出来ていた柏木は祐巳に条件を提示した。
『明日一日のデート代はこちらで全て持ち、なおかつ祐巳ちゃんの友達も連れてきていいから時間を作ってくれ』と。
その言葉に祐巳は了承し、日曜に用が無いメンバー、すなわち今この場にいるメンツを集めた訳である。
ただ、祥子だけは柏木の要望で呼ばなかったのだが。そういう訳で、今に至るのである。

「大体祐巳ちゃんを一人で連れ出そうって考えが戴けないね。それも祥子に内密で」

「いやらしい言い方をしないでくれないか。僕はただ祐巳ちゃんに話があっただけさ。
 最初からデートに誘うつもりならもっと綿密に計画を練って行うだろ」

「あはは、柏木さん普通に気持ち悪いです。
 なんで私が男とデートに行かなきゃいけないんですか。可愛い女の子と行くからデートは楽しいんじゃないですか」

「祐巳さん、凄い正しいこと言ってるようで滅茶苦茶間違ったこと言ってるから」

やれやれと突っ込みながらも、由乃はナプキンで祐巳の頬についたクリームを拭いてあげる。
どうやら現在食べているケーキの方に夢中で、会話への参加はそのついでといった様子だ。
こういう子供みたいな顔を時折見せるからこそ、母性本能の塊である志摩子は祐巳を手放せないのかもしれない。

「ほら、さっさと話の内容を言ってみなよ銀杏王子。
 私達を呼んでも良いってことは、別に祐巳ちゃん一人だけに納めておくつもりじゃないんだろ?」

「君だけは関係ないけどね。まあ、静ちゃんにも由乃ちゃんにも関係ある話といえば関係ある話だね」

柏木の言葉に、由乃と静は顔を合わせて不思議そうな表情を浮かべる。
・・・否、どうやら静は不思議そうな表情を浮かべる由乃の真似をしているだけらしく、唇の端は小さく微笑んでいたりする。
それが何となくからかわれているようで、由乃は少しだけ頬を膨らませた。

「何ですか。またドライブに行こうとかそういう話ですか。この前行ったばかりじゃないですか」

「嘘っ!?祐巳さん柏木さんとドライブに行ったの!?」

「ああ、行ったよ由乃ちゃん。
 ただ、相手は祐巳ちゃんじゃなくて女装したユキチだったけどね」

柏木の言葉に、聖は飲んでいたコーヒーを思いっきり吹き出しそうになってしまった。
むせ返る聖を他所に、由乃は開いた口がふさがらないとばかりに祐巳に視線を送る。
その視線に気付いた祐巳は、少しも悪びれることもなく笑って言ってのける。

「だって眠たかったんだもん。それになんか面倒だったし。そもそも乗り気じゃなかったし。
 これでも当日に断るのは可哀想かなって思った私なりの配慮だったんだよ?」

「配慮だったんだよ、じゃないわよ!何無茶苦茶なこと弟にさせてるのよ!
 ていうか祐麒君も少しは反抗しなさいよ!!」

「やだなあ、由乃さん。祐麒は私のたった一人の可愛い弟だよ?
 祐麒の嫌がることなんて私がする訳無いじゃない。柏木さん、祐麒喜んでたでしょ?」

「ああ、喜んでたね。嬉し過ぎて壊れちゃったのか助手席でずっと独り言呟いてたなあ。
 二人で夕日に染まった海を見たときなんか喜びのあまり泣いてたからね」

「ほら」

「ほら、じゃない!!というかそもそも何で柏木さんのデートの誘いにOKしたのよ!?」

「だって、柏木さんがお姉様の小さい頃の写真くれるっていうから・・・
 ところで柏木さん、私まだ写真貰って無いんですけど」

「簡単に買収されるなああ!!というかデート行ってないのに厚かましく要求するなああ!!」

「はい、これ約束の写真ね。さっちゃんが四歳の頃」

「って何で渡してるんですか!?」

「由乃ちゃん、由乃ちゃん」

「何ですか静様!!」

「お客さんも店員さんもみんな見てるわよ」

「・・・あ」

静に指摘され、由乃は顔を真っ赤にして席に座る。
何だこの空気は。これではまるで私の方が非常識みたいではないか。それとも私の感性がおかしいのか。
苦悩する由乃を置いて、柏木は再び口を開いた。

「まあ、デートの誘いは今度にするとして。
 今日祐巳ちゃんにしたかった話というのは瞳子のことなんだよね」

「瞳子ちゃん?柏木さん、瞳子ちゃんの事知ってるんですか?」

「まあね。瞳子、由乃ちゃん達に言ってなかった?小笠原とつながりがあるって。
 小笠原につながりがあるということは、すなわち僕ともつながりがあるってことなんだよね」

「ああ、なるほど・・・」

「ねえ、瞳子ちゃんって誰?」

納得する由乃の横から聖が疑問を口にする。
瞳子と聖は入れ替わりの為、当然聖が瞳子のことを知るはずも無く。

「だから言っただろ。君には関係ない話だって」

「そのムカつく言い方を止めろ。で、瞳子ちゃんって?」

「新入生の一年生です。最近よく薔薇の館に来て祐巳さんとよく戯れていらっしゃいますわ」

あれが戯れるなんて優しい表現できるのか静様は。由乃は心の中で思いっきり叫んだ。
いつも少し離れたところから二人をニヤニヤ眺めてると思ったらそんなことを考えていたのか。
静の話を聞いて、聖は成る程ねえとばかりに楽しそうに笑った。

「何、その祐巳ちゃんの妹候補生の女の子がどうかした訳?まさか祐巳ちゃんに妹にしろとでも言うつもり?」

「まさか。祐巳ちゃんの妹を選ぶのは当然自由意志でなければならない。そんなつもりは更々無いよ。
 まあ・・・その座に瞳子が座れたなら僕としては喜ばしいことこの上ないけどね」

「それは遠回しに祐巳ちゃんに妹にしろって言ってるのと同じだろ」

「これはあくまで僕の願望だろ?何でもそうやって勝手に話を結びつけようとするのは良くないな。
 その癖は直した方がいいんじゃないのかい?」

「大きなお世話だ。・・・それで?」

元白薔薇様と元花寺生徒会長の言葉の応酬に由乃は紅茶を飲みながら一人思った。
実はこの二人、なんだかんだで相性が良いんじゃないだろうかと。口に出すと命が危ない為、しなかったのだが。

「その瞳子なんだけどね。多分もう知ってると思うけど、ちょっと難のある性格なんだ。
 多分祐巳ちゃん達にとっては可愛くないところも多々あると思うんだけど、可愛がってあげてくれないかな。
 本当はこんなこと言うつもりは無かったんだけど、瞳子の祐巳ちゃん達への反応を見たら・・・ね」

意味ありげに笑う柏木に、聖は何か思うところがあったのか何も言わなかった。
柏木の言葉を聞き、正直なところ由乃の感想は『そんなことか』だった。
確かに瞳子ちゃんの性格は少し難しいところもある。ある種において自分と同族な為か、それには共感出来る。
柏木に言われずとも、山百合会に参加するのならば由乃は普通に接してあげるつもりだった。
あの娘が祥子様を狙って祐巳を踏み台にしようとしている等、色んな意味で心休まらない問題は多々あるが、
それでも一応入学してきたばかりの可愛い後輩に違いはないのだから。
それは祐巳も同じだろう。そう考えていた由乃だが、すぐにその考えを改めることになる。
ケーキを食べながら今まで適当に柏木の話を聞いていた祐巳がようやく口を開いた。

「それで?」

「それで・・・って、祐巳さん?」

「配られたカードの数字も分からない客がヒットやスタンドをコール出来るとでも思ってる訳でもないでしょう?
 それとも何ですか、私にこのままカードを伏せたままで勝負しろとでもいうつもりですか?」

表情こそ崩してないものの、由乃には祐巳の感情がハッキリと伝わってきた。
――愉しんでいる。彼女は、これ以上ないくらいに愉しんでいる。楽しんでいるのではない。ただ、只管愉しんでいる。
祐巳の言葉に、柏木は笑って言葉を返す。

「さっちゃんの時もそうやって勝負したんだろう?だったら今回も是非挑戦して欲しいね。
 他ならぬ君だ。バーストすることなんてまずあり得ないだろうしね」

「呆れたディーラーですね。そうやってサマ師に急かされて私が勝負にいくと本気で思ってるんですか?」

「思ってるよ。何度も言うけれど、他ならぬ君ならね。
 話を聞いたところ、満更賞品に興味がない訳でもないだろう?」

「言われるままにテーブルに着くだけが賞品の獲得方法じゃないんですよ。
 例えば由乃さんを席に着かせて、私が別に稼いだチップを与え続けてもいずれは賞品を得られるんです」

急に話を振られて、由乃は目を丸くして祐巳の方を見る。
二人の会話が何を話しているのか全く理解出来ていないのだ。
周囲を見ると、聖は不機嫌そうにコーヒーを飲んでいるし、静は笑って二人の会話を聞いている。
どうやら話を理解出来ていないのは自分だけのようで、不安になった由乃は祐巳に小声で話しかける。

「ちょっと祐巳さん、一体何の話をしてるのよ。私には何がなんだか・・・」

そんな由乃に、祐巳は微笑みを浮かべて何でもないように言った。『柏木さんが私を聖者か何かと勘違いしてるだけ』だと。
その言葉に我慢できなかったのか、祐巳の隣で静が声を押し殺して上品に笑っていた。




















 ・・・



















バスの停留所のベンチで、乃梨子は何も言葉を発せずにいた。
乃梨子が沈黙を保っているのは、その場に一人でいるからではない。隣に人は居るのだ。
しかし、その人にかけるべき言葉が見つからない。それも当然だ。どうして趣味で訪れた寺にこの人がいるのだろう。
――白薔薇の蕾、藤堂志摩子。小萬寺に訪れた乃梨子の前に現れた女性こそ、桜の木の下で出会ったあの人だった。
だが、乃梨子はバス停まで送ってくれたこの場所まで志摩子と何一つ会話することが出来なかった。
口にすべきことは沢山あった。貴女はあの日私と出会った人なのか、貴女は白薔薇の蕾なのか等。
しかし、どれも口にしてしまえば、結局一つの質問へと辿り着いてしまうことを乃梨子は恐れたのだ。
寺の娘である貴女が、どうしてリリアン女学園に通っているのか。それは聞いても良い質問なのか。
仏像趣味の自分なんかとはレベルが違う逆キリシタン。それは果たして他人が触れて良いものなのか。
答えが出ない。だから沈黙。何か言いたいのに言えない。何も言えない。
乃梨子のそんな気持ちとは裏腹に、そんな歯がゆい空気を、目の前の少女は簡単に一蹴した。

「桜の木」

「えっ」

志摩子の呟きに、乃梨子はふっと顔を志摩子の方へ向ける。

「貴女は確か、数日前に桜の木の下で出会った女の子よね。
 もし、私の記憶違いだったらゴメンなさい」

「えっ、あっ、そ、そうですっ!」

乃梨子の返答に安心したのか、このとき初めて志摩子は外向用ではない微笑を浮かべる。
その微笑に乃梨子は思わず見惚れそうになる。同性からも羨ましく思うほどに綺麗な微笑だったからだ。

「良かったわ。実は先ほど会った時からそうなんじゃないかって思っていたのだけど・・・
 ごめんなさいね。間違っていたらどうしようって気持ちばかり先走っちゃって。少し息苦しい想いをさせてしまったわね」

「い、いえっ!全然そんな事気にしてないです!
 私が気にしていたのはそんなことじゃなくて!」

瞬間、乃梨子はしまったとばかりに口を押さえた。何て迂闊。
乃梨子の言葉を聞いて、最初は疑問符を頭に浮かべていた志摩子だが、何かに気付いたのか、
微笑を浮かべて乃梨子に話しかける。

「ふふっ、やっぱり気になるかしら?
 私が寺の娘なのに、カトリックのリリアン女学園に通っているという矛盾が」

志摩子の言葉に、乃梨子は心臓を思いっきり鷲掴みにされたかと錯覚するほどに驚いた。
そんなに自分は表情に出ていたのだろうかとすら思う。そんな乃梨子を他所に、志摩子は楽しそうに微笑んでいる。
その志摩子の雰囲気に、乃梨子は不思議に思った。何故か、志摩子がそのことを余り気にしていないような気がして。

「乃梨子さんは、小学生の頃何になりたかったのかしら?」

「何って、職業の事ですか?」

唐突な質問だが、乃梨子は少し間を置いて『仏師』と答えた。
すると志摩子は少し微笑んで、『素敵な夢だわ』と返してくれた。それが乃梨子は少しだけ嬉しかった。

「――私はね、シスターになりたかったの。本当に小さい頃から」

「し、シスター?」

「ふふ、笑ってもいいわよ」

微笑んでそんなことを平然と言ってのける志摩子だが、流石に乃梨子は笑うことが出来なかった。
お寺の娘がシスター。そんなどうしても結びつかない組み合わせに一体何と言葉を返すことが出来るのだろう。
そんな乃梨子を他所に、志摩子の独白は続いていく。
成長するにつれて、その夢は言ってはいけないことのように思えてきてしまったこと。
抑えれば抑えるだけカトリックへの憧れは募っていったこと。
小学校六年生の時に、十二になったら修道院に入るから勘当して欲しいと親に言ったこと。
『お前は宗教の何たるかを知らない。カトリックの学校に入って、そこでちゃんと勉強してから決めるべきだ』という
父の言葉に従い、リリアンに入学したこと。

「それでリリアンに・・・」

乃梨子の呟きに、志摩子は小さく頷いて肯定した。

「でも、父の言う通りだと思うの。説得されて折れるような決心では、受け入れる側にも失礼だわ。
 反対されても貫き通せるほどの情熱が、自ら親を捨てるだけの強さが、当時の私には無かった。
 ただそれだけのこと」

それは情熱や強さの問題では無いんじゃないかと乃梨子は思った。
きっとこの人は真面目すぎるのだ。真面目すぎて、孝行者。そして優しすぎること。
志摩子の行動の全てが、それらが起因していることのように乃梨子は思った。

「それが私のリリアンに入学した理由。納得して頂けたかしら」

「え・・・あ、はい。
 それじゃ、今も志摩子さんはシスターになる為にリリアンで頑張っているんですね」

乃梨子の言葉に、一瞬志摩子は間を置いてすぐに『違うわ』と微笑み返した。

「もうシスターは目指していないんですか?」

「ええ。結局のところ、シスターになるという夢は私の唯一の支えだったの。
 それを追いかけることが、以前の私、藤堂志摩子の全てだった。私には他に何も無かったから。
 他に何もないから、それだけを必死に守ろうとした。それだけが全てと決め付けて歩いてきたの」

そして、志摩子は『だけど』と加えて笑った。
その微笑に乃梨子は吸い込まれそうになる。本当に幸せそうな笑顔。心から喜びを表している笑顔。
それはきっと、今の乃梨子では決して浮かべることの出来ない笑顔だろう。

「私は見つけることが出来たから。本当に大切なことはそんなことじゃないって。
 自分の本当の生きる道を、幸せを。リリアンに入学して、大切な人と出会って私は教えられたわ。
 シスターになることは確かに大きな夢だったわ。だって、それまでの私の全てだったんだもの。
 だけど、今の私はシスターを目指している頃とは比べ物にならないくらい幸せよ」

志摩子の言葉に、乃梨子は全てを理解した。
彼女は、自分が寺の娘だからリリアンに居場所が無いなんて少しも感じていない。
彼女は今、しっかりと自分の居場所をあの学園で手に入れている。だからあんなにも綺麗に微笑んでいるのだ。
乃梨子はそれが嬉しくて、同時に羨ましかった。自分には無いモノを、彼女は手に入れたのだ。
今の自分はきっとリリアンに居場所など存在しない。だからこそ余計に羨ましかった。
――自分もこんな風に笑える日が来るのだろうか。以前のように、また。
瞬間、乃梨子の脳裏に桜の木の下で出会ったもう一人の女生徒の顔が浮かんだ。
あの人なら、福沢祐巳と呼ばれる少女なら、自分の力になってくれるのだろうか。この居場所の無い自分の。

「きっと、似ているのね」

唐突に話を振られ、乃梨子は思考を慌てて現実に引き戻す。
マズイ。話を聞いていなかった。一体何が似ているのだろうか。
そんなことを考えている乃梨子を見て、志摩子はクスリと微笑んだ。そして、再び口を開いた。

「貴女の瞳が、少し前の私にそっくりなの。
 自分の居場所が無いと思い込んで、その場所から動けなくなってしまっていた私と同じ、ね。
 だから私は貴女に自分の話をしたのかもしれないわ」

柔らかに微笑んで言う志摩子の言葉に、乃梨子は呼吸を忘れそうになった。
その言葉は、数日前にあの人からかけられたものと同じ言葉。そう、あの人も同じコトを言っていた。

『懐かしい瞳だよ。出会ったばかりの頃の志摩子さんがいつもそんな瞳をしていたもの。
 この場所に自分の居場所は無いって思ってる、自分自身を縛ろうとしてる人の瞳だよ』

志摩子さんの瞳。そうだ、この人はあの日福沢祐巳を探していた。
だったら、彼女なら。彼女ならあの人の居場所を知っているのではないか。
先日も志摩子さんはあの人と仲良く歩いていた。きっと、彼女とは友人なのだろう。
ならば――

「――ッ」

口を開きかけたところで、乃梨子は思い留まる。
ならば、一体なんだと言うのだ。志摩子さんに頼んで、あの人に会って自分は何と言うつもりだ。
『自分の居場所が無いんです』などとでも言うつもりか。それこそ馬鹿らしい。そんなこと誰が臆面も無く言えるだろうか。
居場所が無いのは他ならぬ自分のせいだ。自分がリリアンに溶け込もうとしないから、居場所が無いのだ。
この学園も、システムも、お嬢様たちも、何もかもが『当たり前』の世界なのだ。そして、あの人もそちら側の人間。
ましてや相手は生徒会。そのお嬢様学校のトップにいる人間の一人なのだ。どうして私何かを覚えているだろう。
所詮、誰かに頼ったところで仕方が無いのだ。これは全て自分の問題。少しずつ時間を費やしていかなくてはならない。
彼女達は言った。自分は志摩子さんと同じ瞳をしている、と。
ならば。逆に自分も居場所を見つけることが出来るということだ。目の前で幸せそうに微笑むマリア様のように、自分もまた。

バスが、姿を現した。
H駅行き。乃梨子が乗る予定のバスだ。

「待っているわ」

「え・・・」

バスに乗ろうとした時、背後から志摩子の声が聞こえた。
振り返った乃梨子に、志摩子は優しく微笑んで乃梨子に告げる。

「明日の朝、あの桜の木の下で待っているわ。また明日、ね」

何かを言おうとした乃梨子だが、既にバスの扉は閉まり、出発し始めていた。
扉の向こうでは志摩子が微笑みを浮かべて手を振ってくれていた。
志摩子の姿が見えなくなり、乃梨子は席について先ほどの志摩子の台詞を反芻した。

「また明日・・・か」

志摩子の言葉に、乃梨子は自分の胸の中が暖かくなるのを感じた。
そして、乃梨子は嬉しくて崩れてしまった自分の頬を押さえて思うのだ。
志摩子さんといい、あの人といい、どうして自分が欲しかった言葉をこんなにも簡単にくれるのだろう、と。














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