5.絡み始めた糸










月曜日の朝。
少し早めに登校し、乃梨子は例の桜の木の下にやって来た。
昨日、別れ際に志摩子から一交わされた約束。また明日この木の下で。その約束を果たすために。

「ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう」

約束通り、志摩子は桜の木の下に佇んで乃梨子を待っていた。
静かに微笑んで挨拶をする志摩子に、乃梨子は慣れない挨拶を返した。

「ちゃんと来てくれたのね。ありがとう」

「約束・・・しましたから。それに」

そこまで言って乃梨子は口を噤んだ。
いくらなんでも流石に『自分も志摩子さんとまた会いたかった』などと簡単に口に出来る訳も無く。
そんな乃梨子の雰囲気を察してくれたのか、志摩子は微笑を絶やさずに浮かべるだけで追求したりはしなかった。

「昨日は唐突な約束を勝手にしてしまってごめんなさい。
 でも、どうしても貴女ともう少しお話したかったの」

「私と、ですか?」

「ええ、貴女と」

志摩子の言葉に、乃梨子は小さく首を傾げた。
何故なら志摩子が乃梨子と話をしたいというその理由が思いつかなかったからだ。
もしかして、自分では気付かないうちに志摩子に対して失礼なことでもしてしまったのだろうか。
そんな見当違いな不安に襲われる乃梨子だが、それが杞憂に終わることをすぐに知ることになる。

「話の途中だったから」

「え・・・」

「乃梨子さん、昨日の最後に私に何か尋ねようとしてたでしょう?
 バスが来てしまったから話を切ってしまったようだけれど、今ならしっかりと聞いてあげられるわ。
 昨日は私が一方的に話してばかりだったものね。沢山お話を聞いて頂いたのだから、今度は私が聞いてあげる番」

優しく微笑む志摩子に、乃梨子は驚きを隠せなかった。
確かに自分は最後にあることを言おうとしていた。だが、そんな小さな言動をこの人は覚えていてくれていたのか。
たったそれだけの為に、こんな朝から時間を作ってくれたのか。
昨日少し話しただけの一年生を相手にこの人は。瞬間、乃梨子の胸に熱いものが込み上げそうになった。

だが、その事を今話してもいいのだろうか。
昨日、最後に志摩子に言おうとしたことは『紅薔薇の蕾と会わせて下さい』という内容。
だが、昨日結論が出たようにそのようなコトを言ったところでどうなる。志摩子に頼って、会ったところでどうなる。
向こうが自分を覚えているのかすらも分からないし、何より会って一体何をするというのか。
ただ会いたいから志摩子さんに頼みましたとでも自分は言うつもりなのか。それこそ愚か。失礼にも程がある。
けれど、乃梨子の胸には彼女と出会ったあの日から小さな棘が刺さったままなのだ。
『またね』。彼女の再会を期したその言葉が、乃梨子の胸に今もなお。あの日出会ったもう一人のマリア様の言葉が。
この感情は一体何なのだろう。どうして自分はこんなにもあの人に会いたいと感じているのだろう。
目の前で微笑む志摩子を見て乃梨子は思う。もしかしたら、この人なら分かるかもしれない。
自分の胸の中で持て余している、この感情が一体何なのか。この人になら。

「・・・会いたい人がいるんです」

「会いたい人?その人はこの学園の方なの?」

優しく聞き返してくれる志摩子に、乃梨子は子供のように小さく頷いた。

「この学園に来て、その人とは一度会っただけなんです。
 お互いに自己紹介しあった訳でも何でもない・・・本当に一度会って少し話しただけなんです。
 それなのに、私はまた会いたいと感じているんです・・・その時からずっと、また会いたいって。これって変ですよね」

尋ねる乃梨子だが、志摩子からの返事は返ってこなかった。
恐る恐る乃梨子は視線を志摩子の方へ向けると、そこには声を押し殺して上品に笑っている志摩子の姿があった。

「し、志摩子さんっ!?」

「ふふ、ごめんなさい・・・何だかおかしくて。本当にごめんなさいね。
 その乃梨子さんの言い分だと、私も変な人になってしまうわ」

「な、なんでそうなるの!?志摩子さんは全然変な人じゃ・・・」

「だって、私も乃梨子さんと正式にお話したのは昨日だけよ。
 それなのに、私はまた会いたいって感じたの。だから今日こうやって乃梨子さんと会う約束をした。
 ほら、これって乃梨子さんの言ってる事と同じでしょう?」

志摩子の言葉に、乃梨子は思わず『あ』と声を漏らした。
微笑む志摩子に、自分が言いたいことはそういうことじゃないとばかりに乃梨子は言葉を続ける。

「で、でも志摩子さんは私の為に来てくれたんですよね!?私が昨日何か尋ねようとして、それが出来なかったから!
 私の場合はそうじゃなくて・・・その、会いたいけど、そもそもその人に会って何がしたいのかが分からなくて・・・
 会いに行って何の用も無いっていうのはその、相手に凄く失礼ですし・・・」

「乃梨子さんはその方にお会いしたいのよね?」

「は、はい・・・会いたいです、けど」

「だったらその気持ちだけで充分よ。
 その『会いたい』という気持ちだけで、その方はきっと喜んでくれると思うわ。
 ふふっ、乃梨子さん、その人の事がとても好きなのね」

好き。その言葉を聞いた瞬間、乃梨子は自分の顔が熱くなっていくのを感じた。
ちょっと待った。おかしい。いやいやいや、だってそうだろう。その人とは一度会っただけなのだ。
それなのに好きだなんておかしいにも程がある。相手は同性だとか以前の問題だ。
そもそも、どうしてそんな単語が出てくるのだ。どうして今までの話の流れから。

「?それっておかしなことかしら?」

「いや、おかしいですよどう考えても。
 ですからさっきも言ったように私は一度しかその人に会ったことがないのに好きだなんて・・・
 そもそも私はただその人にもう一度会いたいと思ってるだけで・・・」

「その方と一度お会いしたのよね?」

「はい・・・」

「話もしたのよね?」

「はあ・・・」

「その方にまた会いたいとずっと思っていたのよね?」

「えっと、はい・・・」

「・・・?つまり乃梨子さんはその方の事が好きだということではないのかしら?」

志摩子の言葉に乃梨子は思いっきり頭を垂れる。
駄目だ。会話がループしている。乃梨子は軽く息を吸い、気を引き締めなおして志摩子に向かい合う。
このままだとズルズルと志摩子の異様なペースに巻き込まれてしまう。

「ですからっ!どうして一度しか話した事のない人相手に好きなんて言葉が出るんですか!?
 志摩子さん、いくらなんでもそれは流石に変だよ!!」

必死に否定する余り、乃梨子の言葉尻から敬語が外れてしまった。
もしこの場に他のリリアン生がいたら、乃梨子を厳しく叱り付けるところだろう。
そんな乃梨子に志摩子は優しく言葉をかける。

「人を好きになるのに会った回数なんて問題ではないと思うわ。少なくとも私はそうだったもの」

「だから、それは・・・って、えええ!?しっ、志摩子さん好きな人がいるの!?」

乃梨子の言葉に、志摩子は恥ずかしそうに微笑を返した。
驚きの余り乃梨子は言葉を失う。どこか浮世離れして聖女のように感じていた志摩子に好きな人がいるなんて。
それが乃梨子にとっては予想外以外の何物でもなかったのだ。

「ええ。昨日、お話したと思うけれど私に大切なコトを教えてくれた人、その人が私の好きな人よ。
 その人がいてくれたから、今の私が存在するの。とても大切で、誰よりも大好きな人」

志摩子の言葉に、乃梨子は理解した。
――ああ、成る程。きっとその人の傍が、志摩子さんがこの学園で見つけた居場所なのだと。
それにしても、なんて幸せそうに笑うんだろう。きっとこの笑顔は、その人が志摩子さんに与えてくれたものなのだろう。
だから、志摩子さんの笑顔はこんなにも魅力的なんだ。同性からも見惚れてしまうくらい綺麗で、輝いていて。
そして何よりも羨ましくて。無いもの強請りとは分かっている。だけど、それでも羨望せずにはいられなくて。
自分もこんな風に笑いたい。この学園で自分の居場所を見つけた志摩子さんのように、私も――

「大丈夫よ」

「え・・・」

気付けば、乃梨子を包み込むように志摩子が優しく抱きしめていた。
何が起こったのか分からずに困惑する乃梨子に、志摩子は優しく声を発した。それはまるで子供をあやす母親のように。

「見つけたのでしょう?貴女にとって、大切な人を。
 感じたのでしょう?貴女にとって、もう一度会いたいと想える人を。
 だったら大丈夫よ。昔の私とは違って、貴女はもうちゃんと大切な人を見つけることが出来ているんですもの。
 だから・・・ね?そんな風に泣きそうな顔をしないで」

志摩子の言葉に、乃梨子は驚きの表情を浮かべた。
泣きそうな顔をしていた?誰が?――何を馬鹿な。この場所には志摩子さんの他に自分以外の誰がいるというのか。
何故。どうして自分が泣きそうな表情を浮かべる必要がある。悲しいことなんて一つも無いのに。
この学校に来て悲しいなんて思ったことなど何一つ無い。他人との空気の違いなど少しも気にしていない。
この学校の誰もが自分と一線を引いている気がした。否、他人が線を引いているのではない。自分が引いているのだ。
別に仲良くなる必要なんて無い。この学園での生活は受験へのステップとしか考えていない。
この学園に自分の居場所なんて必要ない。そう思っていた。思っていた筈だったのに。

「あ・・・」

乃梨子の頬を一筋の涙が伝った。
――ああ、何てことはない。本当はそんなこと少しも思っていなかったのだ。
つらかった。急に自分の住む世界が大きく変わってしまったことが。自分の居場所が失われてしまったことが。
悲しかった。クラスメイトの誰もが自分を余所者扱いすることが。まるで客人のようにあれこれと世話を焼かれることが。
世話を焼かれる度にまた一つ境界線が増えたような気がした。仕方ない、貴女は余所者なのだからと。
だから、嬉しかった。出会ったばかりなのに、自分の胸の内を理解してくれたあの人の言葉が。
だから、羨ましかった。この学園で自分の居場所を手に入れた志摩子さんが。
悔しい。悔しい。こんな涙なんて流す筈じゃなかった。二条乃梨子はこんなことに泣く様な人間じゃなかった。
泣くつもりなんかなかったのに。どうしてだろう。どうしてこの人はこんなにも自分の胸の内を理解してくれるのだろう。
卑怯だ。志摩子さんは卑怯だ。志摩子さんも、あの人も、みんなみんな卑怯だ。
初めて会ったばかりなのに、どうしてこんなにも私の心を理解してくれるのか。こんなの卑怯。
そんな風に優しくされたら、泣かないでいられる訳ないじゃないか。
そんな風に欲しい言葉ばかり貰ったら、強くいられる訳ないじゃないか。その優しさは、絶対に卑怯だ。

「・・・うん」

だから、少しだけ強がって涙を服の袖でゴシゴシと拭ってみせた。
志摩子さんの胸の中でわんわんと泣くほど乙女じゃないし、何よりもそんな姿を晒したい訳じゃない。
志摩子さんは私を励ましてくれた。だったらもう、立ち直らないと。

「・・・ごめんね、志摩子さん。もう大丈夫だから」

乃梨子の言葉に、志摩子は微笑んでゆっくりと乃梨子の身体から腕を離した。
自分から言ったことなのだけれど、志摩子の温もりが失われたことを、乃梨子は少しだけ残念に思った。

「・・・昔ね、私は好きな人にこう言われたわ。
 志摩子さんは臆病だって。その人の言う通り、私は本当に臆病だった。
 いつか来る別れを怖がって、他人を傷つけることを怖がって・・・いつか、大切なモノを失う事が怖くて。
 私は彼女の言う通り、本当に弱い娘だったわ。どうしようもなく弱くて、臆病だったの。
 結局、その人に引っ張って貰うまで、私は最後まで自分では一歩も動けなかったのだから」

だけど――志摩子は微笑んで乃梨子の頭を優しく撫でた。
少し驚いたものの、乃梨子は志摩子の手を難なく受け入れた。そして、志摩子は微笑んで言葉を続ける。

「だけど、私とは違って乃梨子は本当に強い娘だものね。
 貴女は今、こうして自分の力で動こうとしているわ。自分から居場所を探そうとしている。そうでしょう?
 あとは、前を向いてその人に会いに行くだけ。その方はきっと貴女を受け入れてくれる筈だから」

志摩子の言葉に、乃梨子は彼女の言葉の意味を悟った。
きっと彼女は自分の背を押してくれている。あの人に会いに行く事を躊躇っていた自分の背を、優しく。
まるで我が娘のように接してくれる志摩子。だからかもしれない。彼女が乃梨子と呼んだことに、何の抵抗も覚えなかったのは。

「・・・変じゃないかな」

「変じゃないわ」

「一度しか会ってないのに、その人に頼ってもいいのかな・・・迷惑じゃないかな・・・」

「貴女の気持ちを迷惑だと思うような人ではないのでしょう?その方は」

多分、と返す乃梨子に志摩子は優しく微笑み返す。
――敵わない。乃梨子はそう思った。本当に志摩子さんはズルイと思う。
こんなに優しく背を押されて、立ち止まる人なんて絶対いないじゃないか。

「・・・ありがとう、志摩子さん。私、頑張ってみる。
 どうすればいいのかはまだよく分からないけど、その人に会ってみる。誰にも頼らず、自分ひとりで」

そう。志摩子さんに頼んだりしないで、自分だけの力で彼女に会いに行こう。それがきっと正しいと思うから。
乃梨子の言葉に満足いったのか、志摩子は『そうね』と乃梨子に同意して笑ってくれた。

「頑張ってね、乃梨子。きっとその人は、貴女にとってかけがえのない人になる筈だから。
 だから勇気を出して、しっかり一歩目を踏み出すの。そうすれば、そこからきっと世界が変わり始めるわ。
 以前の私と同じように、きっと貴女も」

優しく言ってくれる志摩子に、乃梨子は口を開いた。
――聞いてみたかった。それは、あの時桜の木の下であの人にしたものと同じ質問。
志摩子さんなら、一体何と答えてくれるのだろう。

「志摩子さんはどうして・・・どうして私に色々なことを言ってくれるの?」

乃梨子の質問に、志摩子は『そうね』と一度考えるような素振りをみせる。
そして、答えに至ったのか志摩子は微笑んで答えを返した。

「昨日までは貴女が昔の私に似ているからだったのだけど・・・今は違うわね。
 きっと貴女が可愛かったから。だからなのかもしれないわ」

志摩子の言葉に、乃梨子は顔に本当に火がついたかと錯覚しそうになった。
不意打ちだった。まさか目の前の少女がこんな風なことを言う人だとは思っていなかったから。
だから乃梨子は言葉を真正面から受け止めてしまったのだ。
まさかあの人と同じようなことを言うとは思ってもみなかった。きっと、志摩子さんの場合は間違いなく天然なのだろうけど。
悔しそうな表情を浮かべて、乃梨子は志摩子に言葉を返した。

「私はまだその人に対する自分の気持ちが一体何なのか分からないけど、
 志摩子さんに対する気持ちなら分かるよ。・・・私、間違いなく志摩子さんのことが好きだと思う」

「ふふ、ありがとう。私も乃梨子のことが好きよ」

本当に敵わない。乃梨子は自然と笑みを零した。
そして、しばらく二人は予鈴がなるまで談笑しあった。それこそまるで数年来の友人のように。
予鈴がなり、二人は笑って別れを告げた。再会の約束はもう必要ない。会いたいと思えばすぐに会いに行けばいいのだから。
一年棟に向かう乃梨子の背中を見送りながら、志摩子は微笑を浮かべる。
乃梨子の想いがその人にきっと受け入れられることを信じて。乃梨子の姿が見えなくなるまで、見守っていた。

「・・・乃梨子の好きになった人が、祐巳さんのような人でありますように。
 祐巳さんが私を救ってくれたように、乃梨子もまた・・・」

志摩子の呟きは、誰にも気付かれることなく教室へと向かう生徒達の喧騒に混じって消えた。




















 ・・・


















「祐巳さん、もう昼休みにホールに行くのは止めたの?」

「うん。大体の一年生の綺麗どころはチェック出来たし、流石にお姉様の説教を毎日受けるのもあれだしね」

「・・・祥子様は単に祐巳さんに妹を作られるのが嫌なだけだと思うけどなあ」

昼休みの薔薇の館。
そこで祐巳と由乃と志摩子はいつものように昼食を食べていた。
いや、いつものようにとは少し間違いかもしれない。つい最近まで祐巳は昼休みになっては一年生の集っている
ホールに向い、新入生を物色していたのだから。

「それで、祐巳さんの眼鏡にかなうような女の子はいたの?」

「眼鏡って?」

「だから、祐巳さんの妹に相応しい女の子はいたのかってこと」

由乃の言葉に祐巳は首を軽く傾げたままだ。
話がどうも噛み合っていないらしい。そう感じた由乃は、祐巳に質問を投げかける。

「先週はずっと一年生のところに行ってたのよね」

「うん」

「綺麗どころをチェックしてきたんでしょ?」

「うん」

「それって祐巳さんの妹候補を探してたんでしょ?」

「違うよ?可愛い女の子いるかどうか見に行っただけだよ」

平然と言ってのける祐巳に由乃は絶句した。
ちょっと待て。それはつまり。

「・・・祐巳さん、貴女先週は一体何の為に毎日毎日ホールに行ってたのよ」

「だから可愛い女の子を見たりお話したりする為だってば。
 いいよね一年生。知らない顔も沢山あるから、まるでクラブで接待受けてるみたいだったよ。
 由乃さん、もしかして一緒に行きたかったとか?」

あっけらかんと笑って答える祐巳に由乃は全力で脱力した。もはやそれは女子高生の発想ではない。
ああ、成る程。流石は祥子様だ。祐巳さんが最初からそれ目的でホールに通ってたことを分かってたのか。
だから毎日毎日あんなふうに説教してたのか。やっぱり姉妹なんだな、そんなことを由乃は思った。

「じゃあ祐巳さん、気になる一年生とかいなかったの?
 こう・・・妹とかじゃなくてもいいから、中でも心に残った一年生とか」

由乃の質問に祐巳はそうだね、と箸を止めて考え始める。

「・・・二人、かな。面白そうだと思った一年生は二人いるね」

「二人?」

由乃の言葉に祐巳はうんと頷いた。
少し意外な言葉に由乃は驚きを見せる。どうやら今年の一年生は豊作らしい。
この時点でこの少女の眼鏡にかなう人材が二人も見つかるとは。

「まず一人目は瞳子ちゃん。良いよね、あの娘。
 何ていうか反応が可愛いから、いくら弄ってても飽きないもん」

「うわあ・・・」

鬼畜過ぎる。由乃はストレートにそう思った。
どうやら目の前の少女にとって瞳子ちゃんは完全に最高の玩具になってしまっているらしい。
そりゃ確かに最初にケンカ売っていた瞳子ちゃんが悪いのかもしれないが、いくらなんでも哀れ過ぎる。

「祐巳さん、瞳子ちゃんに対して流石にそろそろやり過ぎなんじゃ・・・」

「ん〜・・・そうかなあ。でも私、セクハラ止めちゃうときっと瞳子ちゃんに何の興味も無くなっちゃうと思うよ」

それはつまりセクハラするだけが瞳子ちゃんの存在意義なのだろうか。
そう突っ込もうとした由乃だが、思わずその言葉を飲み込んだ。祐巳の微笑みに何故か重圧を感じたから。

「演じられた松平瞳子に私は興味なんかないもん。私は素の瞳子ちゃんと触れ合っていたいの。
 由乃さんだってそうだったでしょう?普通を着飾った福沢祐巳に興味なんて持たなかった。それと同じだよ」

由乃は一瞬祐巳の言葉がよく飲み込めなかった。
そして、祐巳の言葉の意味を理解したとき、思わず聞き返さずにはいられなかった。

「・・・嘘。あれが瞳子ちゃんの素の姿じゃないの?」

「ふふ、由乃さんもまだまだ修行が足りないよ。女の子は常にしっかり観察しないとね。
 それじゃ狙った女の子を落とすことなんて出来ないよ?」

「・・・それは一生出来なくて結構よ」

由乃の言葉に祐巳は残念とばかりにワザとらしく肩をすくめた。
呆れるような表情を浮かべる由乃を気にすることもなく、祐巳は話を続ける。

「それで、二人目なんだけど・・・実は私、その娘の名前知らないんだよね」

「それってどういうこと?」

「えっと、どういうことも何も無いんだけどね。
 一度出会って、少し会話しただけの娘なんだけど、ちょっと気になってて。・・・あ、勿論可愛い娘だよ?」

「いや、そこは教えて貰わなくても結構なんだけど・・・でも珍しいわね。
 祐巳さんが一度会っただけの女の子をそんな風に気にかけてるなんて」

「だよねえ・・・自分でもそう思うんだけど。やっぱり似ているからかなあ・・・
 まあ、縁があったらまた会えるだろうし」

「もう・・・本当に適当なんだから。
 志摩子さんも何か言ってあげてよ・・・って、志摩子さん?」

視線を志摩子の方に向けたとき、由乃はようやく彼女の異変に気がついた。
彼女は二人の話を聞いていなかったのか、ぼんやりと視線を宙に投げ出していた。
言われてみれば、先ほどから二人の会話に参加していない。由乃は志摩子に声を再度かける。

「ちょっと志摩子さん?話聞いてる?」

「・・・え?ご、ごめんなさい。何か言ったかしら」

ようやく意識を取り戻した志摩子に『しっかりしてよ』と由乃は軽く溜息をついた。
こんな風に志摩子がぼんやりとしている姿を見るのは、大変珍しいことだ。
そんなことを考えている由乃の隣から、がたりと椅子を引いたような音が響き渡る。
何事かと視線をそちらに向けてみると、祐巳が泣きそうな表情を浮かべてその場に立ち尽くしていた。

「ゆ、祐巳さん!?一体どうしたの!?」

「・・・女だ」

「はあ?」

「志摩子さん、今別の女の事を考えてたっ!!酷いよ志摩子さん!!私というものがありながら!!」

突然とんでもないことを叫びだした祐巳に由乃は思いっきり目を丸くした。一体何を言ってるんだと。
驚いたのは志摩子も同じだったようで、びっくりしたような表情を浮かべている。

「違うのよ祐巳さん。私はただ昨日知り合った友人の事を考えていただけなの。
 その娘が無事に好きな人に会えたのか、少し気になってて・・・」

「嘘だっ!!志摩子さんのさっきの目は間違いなく恋する乙女の目だったもん!!
 酷いよ志摩子さん・・・結婚してくれるって言ったのに・・・二人で幸せな家庭を作ろうって約束したのにっ!」

「いやいやいや。二人は結婚出来ないっていうか何勝手な約束を捏造してるのよ祐巳さん」

「祐巳さん落ち着いて。一体何が起こったのかは分からないけれど、私はその約束を反故にするつもりなんかないわ。
 私は祐巳さんの事が大好きだもの」

「してたの!?そんな滅茶苦茶な約束してたの!?」

「やだやだやだ!!!志摩子さんに捨てられたくないよっ!!
 私、志摩子さんに浮気されたら一体どうすればいいの!?私、こんなにも志摩子さんを一途に想ってるのに!」

「いや祐巳さんメッチャ浮気してるから。
 ていうかこの山百合会で祐巳さんに手を出されていない人いないから」

「祐巳さん、私を信じて。私が愛してるのは祐巳さんだけなの。
 それだけは何があっても絶対に変わらないわ。それに、私こそ祐巳さんに捨てられてしまったら・・・」

「泣くの!?え!?志摩子さんまで泣くの!?ていうかそこ泣くところなの!?」

「志摩子さん・・・ごめんね、気が動転して志摩子さんの気持ち、全然考えて無かった。
 私達、ずっと一緒だよね?信じてもいいんだよね?」

「ええ、ずっと一緒よ祐巳さん。私には貴女しかいないもの・・・」

「志摩子さん・・・大好きだよ」

「私もよ・・・祐巳さん」

「・・・ごめん、ちょっと頭痛薬飲んでくる。本気で頭痛くなってきた・・・」

抱きしめあう二人を放置して、由乃は洗面台の方へとふらつきながら歩いていった。
手の中に先ほど取り出した二錠の頭痛薬を握り締めて。














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