Epilogue.姉妹の門出に祝福を 愛しき貴女に花束を










マリア祭当日。
午前中に執り行われたミサが終わり、午後からは山百合会主催の新入生歓迎会が行われようとしていた。
お御堂には一年生が集められ、山百合会の面々も後はその場に入場するだけという段階まで準備が終えられた。
ちなみに、山百合会の人々はまだお御堂に入っておらず、用意された準備室に集っていた。
それは勿論、歓迎会の段取りに対する最終確認が行われる為である。

「それでは今から最終確認を行うけれど、本番だからといって私達のすべき事は何も変わらないわ。
 山百合会として、この学園の一員として、新たに入学した一年生達の門出を祝いましょう」

祥子の言葉に、山百合会一同が力強く頷いた。
そう、このマリア祭は一年生達の記念すべき行事。誰もの記憶にずっと残るような、そんな素敵なモノにしなければならない。
それは山百合会一同誰もが胸に抱く気持ちだった・・・筈なのだが。

「はい、お姉様。最後に一つだけお願いがあります」

先程からニコニコと何やら楽しそうに笑顔を浮かべている少女が一人。
その少女――福沢祐巳の挙手に、何か嫌なモノを感じ取ったのか、祥子は少し眉を顰めながらも口を開く。

「何?今から『眠たいので今日はサボります』なんて言っても当然却下よ。
 これはバレンタインイベントとは訳が違うの。そんな祐巳一人の我侭が認められる訳・・・」

「いえ、そうではなくて。先に謝らせて欲しいんです。ゴメンなさい」

突如、頭を下げる祐巳に祥子をはじめ、他の面々もポカンと表情を失う。
否、その場の全員という訳ではなかった。唯一、志摩子だけはクスクスと楽しそうに祐巳に微笑んでいた。

「私が言いたかったのはそれだけです。今日は一年生達の思い出に残るような、素晴らしい歓迎会にしましょう」

「ちょ、ちょっとお待ちなさい!貴女は今、一体何に対して謝ったのよ!?」

「え〜・・・だって、先に謝っておかないとお姉様、凄く怒りそうですから。
 大丈夫ですよ、別に歓迎会を壊そうとかそんな事を考えてる訳じゃありませんから」

「どうしてそこでそんな物騒な発言が出てくるのよ!?
 祐巳、怒らないから今すぐ何に対しての謝罪なのかハッキリおっしゃい!」

祥子の怒声にも、祐巳はにゃははと笑うだけではぐらかす事に徹している。
ギャーギャーと騒ぐ紅薔薇姉妹を置いて、黄薔薇姉妹はただ首を傾げながらその光景を見つめているだけだった。
そんな他の面々を置いて、唯一祐巳の発言を意味を理解したのは白薔薇、静だった。
口元を楽しそうに歪ませ、傍に居た志摩子に小さな声で語りかける。

「何やら祐巳ちゃんが歓迎会で面白そうなことをやってくれそうね。
 ちなみに志摩子は祐巳ちゃんが何をするのか知ってる?」

「すみません。実は祐巳さんに堅く口止めをされてまして」

「そう、それは残念。玉手箱の中身は開いてみないと分からないという訳ね。
 フフ、はてさて傍迷惑な乙姫様は私達に一体何を見せてくれるのやら」

静の言葉に、志摩子は『きっと煙などではないと思いますよ』とだけ返して楽しそうに微笑む。
一年生の晴れ舞台、マリア祭の舞台裏。その中で繰り広げられるいつもの喧騒は、山百合会のいつもの日常。
彼女達にとって、きっと本番での緊張やら焦りなどは無縁の存在なのだろう。
何故なら彼女達の輪の中心にはいつも、誰よりもマイペースで誰よりも自由気ままで
周囲の人々をいつも笑わせている少女の姿が在るのだから。





















新入生歓迎会の幕が上がる。
乃梨子は新一年生の一人として、お御堂に用意された椅子に座って紅薔薇様の挨拶に耳を傾けていた。
しかし、彼女の視線は常に別の人物の方へ。紅薔薇の蕾、福沢祐巳の姿を彼女の瞳は捉えていた。
紅薔薇の蕾である祐巳は、マイクを持った祥子の後ろに立っているが、その瞳は遠くからどう見ても開かれていない。
普通の生徒ならば、紅薔薇の妹は姉の話に心から耳を傾けているのだろうと思うのだろうが・・・

(祐巳さん・・・いくらなんでも式典中に寝るのは不味いんじゃないかな・・・)

そんな事を一人考えながら、乃梨子は思わず苦笑を浮かべてしまう。
乃梨子の言う通り、実は祐巳は完全に立ち寝の状態に入っていた。よくもまあ、こんな式典の最中にあんな事が出来るなと思う。
だけど、それが彼女の大好きな人。常に自由奔放、風の吹くまま気の向くままに。
祐巳が寝ているのに気付いたのか、隣に立っていた黄薔薇の蕾が慌ててこっそりと祐巳をトントンと叩くが、
彼女の努力も虚しく祐巳は一向に起きる気配が無い。黄薔薇の蕾とは対照的に、
祐巳が寝ている事にはとうに気付いていたのか、白薔薇の蕾が黄薔薇の蕾に向かって小さく首を振って応えている。
あれはきっと『そのままで』というコトなのだろう。その光景に乃梨子は思わず笑い声を発してしまいそうになる。
きっと、自分の周りの人達は薔薇様に憧れや敬意を抱いてはいるが、あの本当の姿を知らないだろう。
祐巳さん達は彼女達が思うほど、そんなに遠い存在なんかじゃなくて。
知ってしまえば、きっと触れずにはいられない。求めずにはいられない。彼女達は決して、崇拝や憧れの対象なんかではないのだから。

「それでは呼ばれたクラスは、一列に並んで前へ」

その光景に意識を捕われすぎていたのか、乃梨子が気付いた時には
いつの間にか紅薔薇様の挨拶は終わっていて、マイクは既に黄薔薇様の手の中だった。
どうやらおメダイの贈呈を今から行うらしい。一年李組は白薔薇様、藤組は黄薔薇様、そして菊組は紅薔薇様の前に並んでいる。
そのことに乃梨子はあまり興味が無かった。三薔薇様の事は誰一人として知らないのだ。誰から貰っても別段変わりは無い。
もし、その蕾から貰えるのならば誰からだって乃梨子は大歓迎なのだが。
祐巳さんや志摩子さんは勿論のこと、由乃さんから貰っても乃梨子は喜びに身をゆだねる自信があった。
ただ、薔薇の蕾は薔薇様の手伝いをする為、おメダイの授与の時に三人を近くで見れるのは少しだけ嬉しかったが。

「次。桃組、松組、椿組。前に」

自分のクラスが呼ばれ、乃梨子はその腰を上げる。どうやら自分のクラスは紅薔薇様が担当らしい。
ということは祐巳さんが近くで見られると言う事。そう考えると、やはり乃梨子は心が自然と躍動してしまう。
祐巳さん、自分の事に気付いてくれるといいんだけど。そんな事をぼんやりと考えながら、乃梨子は列へと並ぶ。
一人。また一人と紅薔薇様に祝福されていく中で、乃梨子は祐巳の事で頭がいっぱいだった。
本当、現金なモノだと思う。少し前まではおメダイの授与なんてこれっぽっちも無かったのに。
目を爛々と輝かせて語る瞳子に苦笑しつつも呆れてた筈なのに、祐巳さんが近くで見ることが出来ると考えただけでこの様だ。
もしかしたら、自分は自分で考えている以上に乙女なのかもしれないな。そんな事を乃梨子は苦笑しながら考えていた。
あと三人。あと二人。あと一人――そして、とうとう乃梨子の番が訪れた。
直前にメダイを貰い終えた生徒が後ろに下がり、目の前に現れた紅薔薇様が乃梨子を見て優雅に微笑んで――

「・・・え?」

「ごきげんよう、乃梨子ちゃん」

――いなかった。そこに居る筈の紅薔薇様の姿なんかこれっぽっちもなかった。
乃梨子の目の前に悠然と佇むは彼女が恋した紅薔薇の蕾、福沢祐巳の姿。その祐巳が、太陽のような微笑を浮かべていた。
あれ、おかしいな。瞳子の話だと、おメダイの授与は薔薇様からではなかったのか。
突然の事に頭が混乱して、現状が全く把握出来ていない乃梨子だが、それは彼女だけではなかった。
その光景を視界に捉えた黄薔薇様、白薔薇様もおメダイ授与の手が止まり、ただ呆然とその光景を眺めている。
ちなみにあまり驚いていないのは他の蕾達。黄薔薇の蕾は呆れたように苦笑し、白薔薇の蕾は楽しそうに微笑んでいる。
他の生徒は言わずもがな。乃梨子の後ろに並ぶ同じクラスの生徒はもとより、
他クラスの生徒達も一斉に乃梨子達の方を驚きの表情で見つめていた。無論、そこには瞳子の姿も。
だが、真に一番驚いているのは他ならぬ紅薔薇様だろう。突如、自分の妹が『失礼しますね』などと言い、
おメダイ授与していた自分の前に割り込んだのだ。驚かない訳が無い。
やがて驚きが怒りと変わる。ふるふると震える祥子は周囲の視線も気にすることも無く、思いっきり怒りを祐巳にぶつけようとする。

「祐巳っ!!!貴女は・・・」

「お姉様、お静かに。大事な式典の最中です。
 お叱りの言葉は後々充分に承りますので、今は少しだけ私の好きなようにさせて下さい」

自分が怒りの原因にも関わらず。しれっと言い放つ祐巳に祥子はぐっと言葉を飲み込んだ。
それを確認し、祐巳は再び乃梨子に向き合ってニコリと微笑を浮かべる。
そんな祐巳に、乃梨子はどうしていいのか分からず未だに表情を固めたままだ。

「さて、と・・・お姉様の許可も頂いたことだし、始めよっか。
 まずは乃梨子ちゃん、入学おめでとう。貴女にマリア様の加護がありますように」

「あ、えっと・・・その、あ、ありがとうございます」

祐巳の言葉に、乃梨子はおずおずと形式ばった返事を返してしまう。未だに現状が飲み込めていないのだ。
とりあえず、この場はおメダイの授与だ。まずはおメダイを貰って後ろに下がらないと。
そう考えた乃梨子は前に並んでいた他の生徒達と同じように首を小さく傾け、おメダイが首にかけやすいように体勢を取る。
しかし、いつまで待っても肝心のおメダイは授与されない。
まさか仏像趣味の自分はマリア様に祝福されないのだろうか、などと訳の分からないことを考えながら、
乃梨子は祐巳の方を見る為にゆっくりと顔を上げる。そして、そこには――

「乃梨子ちゃんにあげるのは、おメダイじゃなくてこっち」

優しく微笑みながら、祐巳は乃梨子に向かって掌を差し出していた。
否、正確にはその掌に置かれたモノ――純銀に輝くロザリオを。

「これは・・・」

「あれ?もしかして乃梨子ちゃん知らない?これはロザリオって言ってね・・・」

「ち、違っ!そういう意味じゃなくて!!」

ロザリオの授与。その意味は先日瞳子に教えてもらった。
これを先輩が後輩に渡すことの意味、その重さ。それはつまり、祐巳さんが自分に――
混乱のあまり、言葉を発することが出来ない乃梨子に、祐巳は悪戯が成功した子供のように笑いながら口を開く。

「言ったでしょう?私は卑怯だって。祐巳さんは卑怯でズル賢くて我侭なの。
 乃梨子ちゃんは誰にも渡さない。渡すつもりは無い。だからロザリオを差し出したんだよ」

「だ、だからって何もこんな場所で!!」

「こんな場所だから、だよ。ここで断ったら乃梨子ちゃん、格好良いよ〜。
 多分学園のトップアイドルになっちゃうね。新聞部には『紅薔薇の蕾を振った一年生!』って見出しで
 大々的に取り立たされるだろうし、それはそれは楽しい学園生活を送れちゃいそう。羨ましいなあ、楽しそうで」

鬼だ。鬼がここにいる。否、鬼という言葉すら生ぬるい。目の前にいる少女は悪鬼だ。
もし、自分がここで断ったりしたら恐らく自分はこの場所から生きて帰れない。間違いなく袋にされる。
祐巳さんの人気はここ数日で嫌と言うほど、それこそ泣きたくなるくらい身に染みて理解している。
そんな人からのスールの誘いを断るなんて・・・一体どこの誰がそんな自殺願望を抱くだろうか。
あうあうと冷や汗を流す乃梨子に、祐巳は悪戯染みた笑みを潜めさせ、優しく微笑んで言葉を紡ぐ。

「・・・前に乃梨子ちゃんは言ったよね。『私は祐巳さんにとって一体どういう存在なのか』って。
 あの時は答えを見つけることが出来なかったけれど、今ならハッキリと言えるよ。
 私にとって乃梨子ちゃんは掛け替えのない存在。絶対に失いたくない存在。傍に居て欲しい存在。
 そして何より、これから先も一緒に歩んでいきたい存在だよ。手をつないで、笑いあって、それこそお腹が痛くなるくらいにね」

祐巳の言葉に、乃梨子は思わず笑みを零した。
参った。どうやら自分は本当にこの人だけには敵わないらしい。そんな風に言われて、断れる人などいる訳がないではないか。
自分が求めていた全てを与え、そして自分が与えたかった全てを祐巳さんは求めてくれる。
祐巳さんは自分に言ってくれた。共に歩みたいと。笑いあっていたいと。

「だから乃梨子ちゃん。今日から貴女は私の妹だよ。
 このロザリオを受け取ったら、私の事をちゃんと『お姉様』って呼んでね」

なって欲しい、ではない。なって下さい、でもない。
祐巳が放った言葉は既に確定の意。これ以外の選択肢はないと、それ以外の道など考えないという意思表示。
乃梨子はそれが嬉しかった。それでこそ祐巳さんだと思う。きっとそんな誘い方をするのは、祐巳さん以外にありえない。

「それじゃ、乃梨子ちゃん・・・私のこのロザリオ、受け取ってくれる?」

祐巳さんへの気持ち。それはただの憧憬の念から始まった。
桜の木の下で美しく佇む祐巳さんにただ目を奪われた。だけど、その人の本当の魅力はそんな上辺だけのものじゃなくて。
知れば知るほど祐巳さんのことが好きになった。山百合会として憧れの対象だった祐巳さんではなく、
一人の福沢祐巳という存在にどんどん心奪われていった。誰より自由で誰より勝手で誰より優しくて。
きっと祐巳さんと一緒なら、どんな壁でも乗り越えられる。きっと祐巳さんと一緒なら、私はどこまでも笑っていられる。
だから、応えよう。自分の気持ちをぶつけてくれた祐巳さんに、自分もありのままの気持ちを祐巳さんに。











「――お受けします、お姉様」








乃梨子の言葉を皮切りに、お御堂内には土砂降りの雨が降ったような拍手で包まれた。
その光景に、乃梨子は苦笑しながらも親友の言葉を思い出していた。
成る程、確かに瞳子の言う通り、マリア祭は一年生にとって忘れられない思い出になるだろう。




少なくとも、自分は忘れない。忘れたりしない。

祐巳さんの妹にして貰ったこの日この時この瞬間を、私は絶対に――














 END










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あとがき






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