ハッピーバレンタイン










バレンタイン当日。
山百合会、というよりも新聞部が企画したバレンタインイベントが開催されるということもあり、
早朝にも関わらず、山百合会のメンバーは薔薇の館に集ることになっていた。無論、最終打ち合わせの為だ。
そんな朝、祐巳はふらりふらりと頭を揺らしながらバスを降り、危ない足取りで学園の門を潜り抜けていた。

「祐巳さん、大丈夫なの?」

「あ〜、多分・・・ふぁ」

よろよろとふらついている祐巳に、校門前で偶然一緒になり、共に登校していた由乃は思わず声をかけた。
由乃の言葉に、祐巳は何とか聞こえているとばかりに一応返事はするものの、目蓋は相変わらず重たげだった。

「・・・本当に大丈夫なの?そもそも昨日、一体何時に寝た訳?」

「寝てないよ」

「寝てないって・・・一体何してたのよ」

「そんなの決まってるじゃない・・・あ、そうだ。言われて思い出したよ。
 そうだよ。私は渡す為に頑張って起きてたんだよ。・・・はい、由乃さん。ハッピーバレンタイン」

祐巳はそう言って鞄からチョコレートを取り出して由乃へと手渡した。
突然のチョコレート授与に驚いたのか、由乃は信じられないといった表情でチョコと祐巳を交互にみつめていた。

「何でそんな『ありえない』みたいな顔するかなあ・・・」

「え・・・あ、ご、ごめんなさい。だって、祐巳さんって貰う専門だと思ってたから・・・」

「酷いよ由乃さん。私、これでも一応乙女なんだよ?
 好きな人にはチョコレートをちゃんと渡したいって思うよ。頑張って作ったんだから」

「う・・・えっと、その、ありがと」

好きな人という言葉にあてられたのか、由乃は思わず照れてしまいそっけなく返してしまう。
だが、祐巳はそんなことを気にすることもなくニヤニヤと楽しそうに笑みを浮かべていた。

「そ、れ、で、由乃さんは私にくれないの?私、由乃さんからのチョコレート楽しみにしてるんだけど」

「う・・・ちょ、ちょっと待ってて。今この場で渡さないといけないの?」

早朝ではあるが、流石に人は二人以外にもちらほらいるのだ。
先ほど、由乃に祐巳がチョコを渡した光景を見て周囲の数人から黄色い声が上がっているのだ。
流石にこの場で手渡すのは・・・そう考えている由乃に、祐巳は無慈悲に笑顔を浮かべたままで告げる。

「だ、め。私だけ由乃さんに思いきって渡したのに、由乃さんは恥ずかしいからってチョコをくれないなんて駄目だよ」

「祐巳さん全然恥ずかしがってなかったじゃないの・・・はい」

視線を逸らしたままで、由乃はぶつぶつと文句を言いながら祐巳に鞄から取り出したチョコを手渡した。
由乃から受け取ったチョコを祐巳は満面の笑みを浮かべながら鞄の中へとしまった。

「ありがと〜!本日記念すべきニ個目のチョコレート!」

「大声で言うなー!!・・・ていうか、二個目?祐巳さん、今日誰かに既に貰ってたの?」

「うん。貰ったよ、志摩子さんから。渡したのも志摩子さんが最初だよ」

「志摩子さん?・・・でも、志摩子さんいないじゃない。朝渡したなら一緒に登校してる筈じゃないの?」

「志摩子さん、一度家に帰って着替えてから来るって」

どうも話がかみ合わず、由乃は思いっきり首を捻る。
チョコを祐巳に渡す為にわざわざ早朝に来たのなら、そのまま一緒に登校すればいい。
それなのに何故一度帰る必要があるのだろう。そもそも着替えとは何だ。
嫌な予感が爆発し始めた由乃に、祐巳はあっけらかんと言い放つ。

「昨日、志摩子さんウチにお泊りしてね。一緒にチョコレート作ってたんだよね。
 その時に余りそうな材料で志摩子さんの全身に思いっきりチョコレートを・・・」

「あー。ごめん。もういいから。もう分かったからお願いだからそれ以上言わないでいいから」

「でね、私もお返しに身体にチョコレート塗ってね、お互いに・・・んむぐっ」

喋り続ける祐巳の口を押さえ、由乃は祐巳を引き摺るようにして早足に薔薇の館へと歩いていった。
こんな道の往来で思いっきりマズイ話を出来る訳も無く。由乃は顔を真っ赤に染めてズカズカと歩いていく。

「全くもう・・・志摩子さんに一体何をやらせてるのよ何を。本当にこの馬鹿ップルはもう・・・」

多分、祐巳がそういう風に要望したからこそ実行したのだろうが、普通はしないだろう。
だが、迷わず実行できるからこそ、彼女が祐巳の恋人なのだろう。そして由乃は思うのだ。
もしかしなくても、睡眠不足の原因はチョコ作りなどではなく、そっちなんじゃないかと。実際問題、その通りなのだが。














 ・・・















放課後にも関わらず、薔薇の館の周りは多くの生徒達で賑わっていた。
本日開催されるバレンタイン『宝探し』のイベントの説明を、祐巳は興味が無いといわんばかりの表情を浮かべながら、
ベンチに座って聞いていた。それどころかあくびすら浮かべていた。・・・失礼、訂正しよう。彼女は実際興味が無いのだ。
朝から続く眠気が、未だに振り切れていない。授業中にも居眠り等で睡眠はしたのだが、如何せん足りていない。

「ふぁ・・・もう寝ちゃおうかな。あの部屋ならお姉様にもばれないだろうし」

「おやおや、放課後なのに大あくびとは良い身分じゃないの。
 受験生の私にもその余裕を分けて欲しいね」

「これ以上聖様が余裕なんか持っちゃったら人間として完全に終わっちゃうんじゃないですか?
 そもそも受験に対してそんなに焦ってるようにも見えませんし」

そんな気だるそうな祐巳の隣に、元白薔薇様――佐藤聖が茶化すように笑いながら座った。
突如現れた聖に祐巳は慣れきってしまったのか、驚くこともせず視線を向けることも無い。

「相変わらずきっついなあ。あ〜あ、我が妹にはあれだけ甘いのにどうして私にはこんなに冷たいのか」

「愛あればこそですよ。現に今朝、ちゃんと聖様にもチョコレート渡したじゃないですか。
 私の貴重な睡眠時間を削ってまで作り上げた愛の結晶が」

「ああ、朝はありがとうね。祐巳ちゃんのチョコ、美味しかったよ。
 ところでチョコレートの一つに、思いっきり甘すぎるのがあったんだけど、あれって嫌がらせ?」

「聖様、この前自分で『私は砂糖の精』って言ってたから甘いものが好きかなと思いまして。
 砂糖増し増し大サービスチョコです」

「増し増しねえ。思わず蓉子のパックジュースを奪っちゃうくらい口当たり最高だったよ」

「それはどうも。作った甲斐があったというものです」

笑いながら言う聖の言葉に祐巳はやる気なさげに答えるだけだった。
否、実際何もやる気が起きなかったのだ。その理由は勿論眠気だ。いつもの祐巳なら聖の冗談にも付き合っただろう。
だが今は眠気で脳があまり動いていないのだ。昼休みも睡眠時間に使ったが、まだ足りないらしい。

「・・・決めました。私眠ってきます。もう眠気の限界です。
 お姉様が何か言ってきましたら福沢祐巳は気分が悪くなったので早退したと言っておいて下さい」

「ありゃ?バレンタインイベント参加しないの?祥子のカード誰かに取られちゃうよ」

「別に構いませんよ。カードが取られたところで、お姉様がどうなる訳でもなし」

「デートには連れて行かれると思うけど」

聖の言葉に、祐巳は『そんなこと』とばかりに笑ってみせる。
それは絶対の自信を持った者しか浮かべられない会心の笑みだ。

「私はいつでもお姉様とデートに行けますけど。
 それに、こんな折角の数少ない機会まで私が奪ってしまっては、お姉様のファンの娘達が可哀想でしょう?」

「ひゅー、流石は祐巳ちゃんだ。言うねー。
 それじゃ、もしかして祥子のカードの場所は?」

聖の質問に祐巳はただ笑って返すだけだった。それはつまり、肯定の意。
成る程ねと肩を竦ませる聖に、祐巳はもういいですねとばかりに足を校舎の方へと進めようとした・・・が。

「お待ちなさい、祐巳。貴女、今一体何処へ行こうとしたのかしら?」

「・・・あちゃあ」

どうやらタイミングを誤ったらしい。
祐巳の視線の先には彼女の姉、小笠原祥子がいかにも不満気ですといったばかりの表情を浮かべていた。
今朝、チョコレートを互いに渡しあって機嫌が大層良かったのだが、それはどうやら一過性のものだったらしい。
だが、祐巳とてこの数ヶ月、このお嬢様の妹を務めていた訳ではない。
いつものように祥子に満面の笑顔を見せ、滑るように口を動かした。

「勿論お姉様のカードを探しにいく準備です。
 私はお姉様のカードを誰にも譲る気はありませんし、デートは私以外の人とはして欲しくありませんから。
 お姉様には私だけを見つめて欲しい・・・そんな風に思うのは私の我侭だとは分かってます・・・だけど」

「祥子ー、祐巳ちゃんこのままサボる気だってさ。お姫様は大層眠たいそうです」

「・・・あと少しだけ我慢なさい。終わったら好きなだけ眠らせてあげるから」

溜息をつく祥子とは反対に、祐巳はキッと視線を裏切り者の方へと向けた。
そんな視線を物ともせず、ユダはただ楽しそうに笑うだけだった。
そして祐巳は思うのだ。卒業までに、やっぱりこの人とは完全に決着をつけなければならない、と。

















 ・・・
















少女はただ戸惑っていた。何にと問われれば、目の前の光景にだ。
宝探しイベントが始まって数分が経過したくらいだろうか。
いきなり友人達とはぐれてしまい、どうしようかと困り果てて中庭をうろついていた所にこの光景だ。
彼女で無くても戸惑わない訳が無い。それほどまでに言葉に困る光景だった。
ではどんな光景だったのか。ずばりその答えを言ってしまおう。

紅薔薇の蕾の妹が、ベンチの上で思いっきり眠りこけている。

参加者全員が薔薇の館付近でカードを探している為か、この辺りには人気が少ない。
加えてちょうど木が上手い具合に立って、薔薇の館方面からはこの辺りは丁度死角になっている。
そんな人に気付かれにくいようなところで、彼女は寝ていたのだ。紅薔薇の蕾の妹、福沢祐巳は。

「えっと・・・どうしよう。気分が優れないから休まれているのなら人を呼ばないといけないけど・・・」

呼びにいける訳が無いではないか。少女は自分自身に呟いて、一つ溜息をついた。
彼女が人を呼びにいけないのには理由があった。それは彼女――内藤笙子がここリリアン高等部の生徒ではないからだ。
彼女は実はまだリリアン中等部の三年生であり、この学園には在籍していない。
では何故、今ここに高等部の制服を着て参加しているのかというと、簡単な話、フライング参加である。
姉に無断で制服を借り、こっそり友達と参加していたのだ。これだけ人がいれば、自分達が紛れてもばれないだろうと。
そんな訳で、彼女が人を呼びにいくなんて行動が取れる訳がないのだ。
どうしてリリアン高等部の生徒に自分から接触することが出来よう。もしバレては摘み出されるだけでは済まないかもしれない。

「だけど・・・」

このまま放っておくわけにもいかないだろう。
何しろ、相手はあの山百合会の一員、紅薔薇の蕾の妹、福沢祐巳なのだ。その祐巳が倒れているのだ。
彼女の想像の範疇にはまさか祐巳がサボって眠りこけているなどある訳も無かった。実際はサボって寝ているだけなのだが。

「可愛い寝顔してるでしょ。生きてるんだよ、コレ」

「きゃうっ!?」

突如耳元に声をかけられ、笙子は思わず驚いて声を上げてしまう。
その反応を見て、声をかけた人物――佐藤聖はさも楽しそうに声を上げて笑っていた。

「え、あ、え?あれ!?」

「あははっ、ごめん最高。君、良い反応してくれるね。こんなに気持ちよく驚いてくれるとは思わなかった」

「しっ!しししっ!白薔薇様っ!!?」

聖を視界に入れた途端、笙子は思いっきり動揺を表に出してしまう。
唯でさえリリアン高等部の生徒に声をかけられないようにしていたのに、まさかこんな有名人に捕まるとは。
驚きと感動と恐怖と様々な感情が入り混じってしまい、思いっきり上ずった声を上げてしまう笙子に、
聖は面白い玩具を見つけたとばかりに楽しそうな笑みを浮かべる。

「『元』白薔薇様、だけどね。白薔薇様はもう静に譲っちゃったから。
 それより貴女、面白い反応をイチイチみせてくれるね。なんていうか、ペットショップに売ってる小動物みたい。
 祐巳ちゃんも貴女くらい純粋な反応してくれたら良いのにねえ」

「えっと、えっと、あの、その・・・」

なんと言葉を返したら良いのか全く思い浮かばず、笙子は只管あうあうと口をもごもごさせることしか出来なかった。
それもそうだ。彼女が中等部の生徒とはいえ、高等部の薔薇様は憧れの存在なのだ。
そんな彼女にとってアイドル以上の存在がこんなにも近くに居るのだ。緊張しない訳が無いのだから。

「・・・本当に面白い娘だね。おかしいな、貴女みたいな娘が同級生にいたら
 祐巳ちゃんが真っ先にチェック入れてそうなものだけど。貴女一年生?それにしては・・・」

拙い。拙い拙い拙い。笙子は背中に冷たい汗が流れるような錯覚に襲われた。
格好は完璧な筈なのに、どうして。何で。滝のように汗を流す笙子を聖は嘗め回すように観察する。
笙子は知らないことだが、彼女――佐藤聖の勘と嗅覚はとんでもなく抜きん出ていたのだ。
自分の興味を示したものに関しては恐らく右に出る者はいないほどに。正直、あまり役に立たない能力ではあるが。

「制服もぶかぶかだし・・・ははぁ。もしかして、貴女」

あうあうとまさに酸欠状態の魚のようになっている笙子だが、救いの手は簡単に訪れてくれた。

「お姉様、どうかしましたか?」

「あ、志摩子。眠り姫を探しに来たら、何か面白いの拾っちゃって」

聖の後方から現れた人物――白薔薇の蕾、藤堂志摩子。
彼女に声かけられ、聖は楽しそうに笑って声を返す。その時視線が笙子から外れ、心底助かったとばかりに息をついた。

「えっと、その方は・・・」

「眠り姫の第一発見者かな。この娘なかなか面白いよ〜、今のウチに居ないタイプだね。
 もし祐巳ちゃんがいなければ、祥子辺りがこういう娘好きそうだよね。仕草がいちいち子犬みたいでさ」

「ひゃうっ!?」

突如、ぎゅっと抱きしめられて笙子は再度声を上げてしまう。
その時の彼女の感情はなかなかどうして複雑なものだった。恐らく緊張と感激と驚愕で三つ巴だったに違いない。

「お姉様、その方は多分お困りになられてると思うのですが・・・」

「まあ初対面の相手にこんなことされちゃ、それも当然か。
 それじゃ続きはこんな可愛い寝顔を私の前で晒している眠り姫で」

「駄目です」

笙子を解放し、手をワキワキとさせる聖と眠りこける祐巳の間に立ち、志摩子は笑顔でキッパリ言い放つ。
その答えを予想していたのか、聖は残念と一言呟いて苦笑しながらその手を引っ込めた。

「それじゃ、この眠り姫を薔薇の館へと届けることにしましょうか。
 いくら春に向かっているとはいえ、まだ二月だし。このままここで眠らせておく訳にもいかないでしょ」

「そうですね。それでは、祐巳さんを起こして・・・」

「あー、いいよ別に起こさなくて。さっき少し話してたんだけど、今日の祐巳ちゃんはちょっと無理みたいだし。
 せーの・・・よっ、と」

そう言って、聖はベンチに横たわっている祐巳を両手で抱きかかえた。
その光景に笙子は思わず見惚れてしまった。聖が祐巳を包み込むように抱き抱える光景は、彼女にとってそれだけ衝撃だった。
女性が女性を抱きかかえる光景など漫画やテレビでしか見たこと無かった。それが今、現実にここにある。
その光景のなんと美しいことか。そして二人は山百合会のメンバーなのだ。胸が高鳴らない訳がなかった。

「何、志摩子。そんな風に睨まなくても私は別に何もしないって。
 それに貴女じゃ、流石に祐巳ちゃんは抱き抱えられないでしょ?」

「・・・お姉様、卑怯です」

「何とでも言いなさい。これも役得、ってね。
 それじゃ、私は薔薇の館に戻るけど、志摩子は別にカード探してる訳でもないんでしょ。
 だったらそこの娘にこの学園の紹介でもしてあげなよ。どうやらその娘、この学校のことが色々知りたいみたいだし。
 そうすると、もしかしたら数ヵ月後に傘地蔵が見れるかもよ?それとも鶴の恩返しの方がいいのかな」

「っっっ!?」

じゃあね、と言い残して聖は楽しそうに笑いながら薔薇の館の方へと去っていった。
ばれている。完全にばれている。そうでなければ、あのような言葉が簡単に出てくる筈がない。
もうイッパイイッパイの笙子に、追い討ちをかけるように志摩子が声をかけた。この時が、笙子の限界だった。

「あの・・・お姉様の言っていることがよく分からないのですが、どういう事なのでしょうか」

「ご、ごごごっ、ごめんなさいっ!!」

「え・・・」

もうこれ以上嘘を通すのを無理と判断した笙子は、事情を志摩子に説明した。
今回のバレンタイン企画を知って、友達と一緒にこっそり参加したこと。自分がまだ中等部の三年生であること。
この制服は姉のモノであること。全てを語り終えた時、志摩子は楽しそうに微笑んだ。

「ふふっ、笙子さんは凄く勇気があるのね。普通はこんな風に隠れて参加したりなんか出来ないわ」

「えっと・・・あの、怒ったりしないんですか」

恐る恐る尋ねる笙子に、志摩子は不思議そうな表情を浮かべた後で、いつものように柔和な笑顔を浮かべる。
そして、笙子の質問に答える代わりに優しく彼女の手を取った。

「あ・・・」

「それじゃ、何処から行きましょうか。
 この学園は広いし、バレンタイン企画の残り時間もそう多くはないから急いで回らないといけないわね」

優しく微笑む志摩子に、笙子は一瞬言葉を忘れた。彼女に魅入ってしまい、言葉の意味を拾えなかったのだ。
そして、少し間を置いて彼女の言っている言葉の意味を理解したのか、笙子は強く首を縦に振ることしか出来なかった。
それを見て、志摩子は微笑を浮かべたままでゆっくりと歩き出した。その手には、笙子の掌が。
まだ冬ということもあり、裸のままのサクラの木のアーチの中を二人並んで歩いていく。

「そうね・・・笙子さんが入学する頃にはこの桜の木々も満開に咲き乱れるでしょうね。
 その時は、是非一度足を止めてこの桜を見上げて頂戴。その光景は、きっと一生の思い出になると思うから」

志摩子の言葉に、笙子はこくんと小さく頷いた。
ああ、きっと忘れない。桜はまだ咲いていないけれど、この光景はきっと忘れたりしない。
数ヶ月余りの高等部へのフライング。そんな偶然がもたらしてくれたこの手の温もりは、絶対に忘れたりなんかしない。
















 ・・・














「ねえ、祥子。少し質問があるんだけどいいかな」

「何ですか、改まって」

薔薇の館の二階。
眠りこけた祐巳を膝枕している祥子に、聖は意地悪な微笑を浮かべながら口を開いた。
その笑顔に祥子は警戒はするものの、聖の質問を断ろうとはしなかった。

「もし祐巳ちゃんがそんな娘じゃなかったら祥子は祐巳ちゃんを妹にしてたのかな」

「・・・質問の意味が分かりかねます。もう少し分かりやすく言って頂けませんか」

そりゃ失礼、と聖は軽く苦笑して言葉を改める。
聖の質問に興味が沸いたのか、その場にいた他の山百合会のメンバーは何も口を挟まなかった。

「仮に、だよ。祐巳ちゃんが普通の女の子だったら。
 それこそ、祥子が初めて祐巳ちゃんと出会った頃に抱いてた時の印象そのものの女の子だったら。
 どこにでもいるような普通の女の子で、祥子に憧れてて、いつも子犬のように祥子について回るの」

「・・・うわあ」

その光景を想像してしまったのか、由乃は思いっきり怪訝な表情を浮かべた。
それはどうやら姉の令も同じだったのか、複雑そうな表情を浮かべている。静に至っては笑ってすらいる。
だが、それと対照的に蓉子や江利子は表情を崩さなかった。ただ、じっと祥子の方を見つめている。
そんな聖の無茶苦茶な質問だが、祥子は迷うことなく口を開いた。

「どんな祐巳であっても、私の妹に変わりはありませんわ。
 私の妹は祐巳しか在り得ませんし、祐巳の姉は私以外に在り得ません。
 例えどんな祐巳であっても、私は間違いなく祐巳の手を取っていた筈です」

「成る程ね。予想通りの答えをありがとう。全く・・・本当に良い姉妹だよ、祥子達は」

「当然です。私と祐巳以上の姉妹なんてこの学園に存在しませんもの」

ふふん、と言い放つ祥子に、由乃と令はそろって溜息をついた。
そんなベストスールが毎日のように説教をしたりされたりするのは、はたして如何なものなのだろうか、と。

「でも・・・もしもそんな世界だったら、世界はどんな風に変わっていたのかしらね」

「あら、蓉子は祐巳ちゃんがそんな風な世界の方が良かった?」

江利子の質問に、蓉子は苦笑して答えはしなかった。
その質問に答えなかった理由は、否定したくなかったから。どんな祐巳であっても、可愛い孫に違いはない。
それが例えIFの祐巳であっても、あの娘の存在を否定したりなんかしたくなかったからだ。

「ところで、聖はどうしてそんな質問をしようとしたの?」

「ん〜・・・まあ、さっき子犬を見つけてさ。その子と祐巳ちゃんを見比べてたら、何か思いついただけ」

「何よそれ・・・そもそも、どうして学園内に犬が入ってきてるの?」

「別におかしいこともないんじゃない?ネコだって入ってくるぐらいだもの。犬だって入ることもあるでしょ」

「あ、そういえばネコと言えばこの前ランチが・・・」

別の話題で盛り上がった一堂に聖は軽く溜息をついて、そっと席を立った。
そして、祥子の元へと歩み寄り、彼女の腿を枕にして気持ちよさそうに眠りこけているお姫様の頬を指でつつく。
ぷにぷにと柔らかい感触を楽しんでいたのだが、祥子が聖の手を押さえて止められてしまった。起こすなということだ。
そんな事を聖が気にする訳でもなし。彼女は悪びれることも無く笑った。それを見て、祥子は軽く溜息をついた。

「しかしまあ、本当、よく眠ってるね。それだけ昨日は夜遅くまでチョコレートを作るのに頑張ってたってことか」

「全くもう・・・そんなに無理をすることはなかったのに。授業中に居眠りしたりしてないでしょうね」

「そんな事言って、祥子ったら本当は嬉しいくせに」

「それとこれとは話が別ですわ。締めるところはしっかり締めないと、この娘はすぐにふらふらしちゃいますから」

母親のようにキッパリと言い切る祥子を見て、聖は苦笑する。
二人は本当に良い相手に巡り合えた。聖は心からそう思う。
彼女の言う通り、きっと祥子の妹は祐巳以外には務まらないだろう。そして、祐巳の姉も祥子以外には務まらない筈だ。
こんな二人を巡り合わせてくれたのは、それもまたマリア様のお導きなのかもしれない。
彼女が祥子に出会ったからこそ、彼女は今この山百合会にいる。そして、彼女を中心に大きな輪が出来たのだ。

「さあ、そろそろ宝探しも終わりの時間だから、そろそろ下に降りましょうか。
 勿論、祐巳ちゃんはそのまま寝かせてあげて構わないわよ。みんな祐巳ちゃんにチョコレートを貰ったことだしね」

「お姉様ったらもう・・・相変わらず祐巳に甘いんですから」

「それはそうよ。いつだってお祖母さんは孫が可愛いものなのよ。
 それに一番祐巳ちゃんを可愛がってる貴女が言っても説得力の欠片もないわね」

そう言って笑う蓉子に、その場の皆がつられるように笑顔を浮かべた。
笑いながら聖は思う。もうすぐこの輪から自分達三人が卒業という別れをもって抜けることになる。
けれど、この輪は決して壊れることは無い。祐巳ちゃんがいて、皆がいて、その上に築かれる山百合会。
祐巳ちゃんがこの場所にいる限り、この輪は絶対に壊れない筈だ。
何故ならみんな、この小さなお姫様の事が本当に大好きなのだから。


――誰よりも自由で誰よりも気ままな、少しばかり破天荒な祐巳ちゃんのことが、みんな大好きなのだから。














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