それは舞い散る桜のように
〜another story〜



5月1日(水)


クリーンアップ





「なあ結城。お前確か文芸部で一番いるの長かったよな」

桜の花びらで埋め尽くされた道で舞人は学級委員の相方――結城はるかに話し掛ける。
放課後、生徒がまばらになっているこの時間帯に彼らは『委員長の務め』ということで
担任から学校内の歩道掃除を命じられていた。
桜の花弁が道を覆い尽くしていた状態ではいかんだろう。常に清く正しくすがすがしくだ、という
浅間の言葉に舞人たちは嫌々ながらも承諾した。
舞人は最後まで必死の反抗を試みたのだが、
諦めきったはるかの援護が全く受けられなかった為にやむなく折れることとなったのだ。

「そうね。確かに誰かさんが入部届けを出したっきりで一度も部活に来なかったから私がダントツってことになるわね」

手に持った箒で花弁を集めながら、はるかは憎らしい笑みを浮かべて答える。
文芸部の在部期間において一番長いのは間違いなく結城はるかである。
現三年であり、この高校への入学と同時に部活に入ったのだから。
三年生での文芸部員は他にも舞人や朋絵がいるのだが、舞人は一年のときは一度も来なかったし、
何より入部している事すらも忘れていたのだ。
一方朋絵は部活に入ったのが二年の終わり頃と、部員の中でもかなりのスロースタートだと言える。

「ぐっ・・・そんなことはどうでもいい。それほどの部活経験が豊富ならば俺の崇高なる疑問にも応答出来よう」

「聞きたい事があるから教えて下さいって素直に言いなさいよ。ひねくれてるわね」

「お前が人に言える台詞かっつーの!じゃあその経験を頼りに聞くが、文芸部の顧問のティーチャーって誰だ?」

「・・・さて、と。後は集めた花びらを捨てるだけね」

ふう、と溜息をついてはるかは何事もなかったかのように花弁をチリトリへと入れ始めた。
言う必要もないかも知れないが、敢えて彼女の行動を表現するとしたらいわゆる『スルー』である。

「おい眼鏡。人の話を聞かずに流すとは何て礼儀知らずな奴だ。
 お前の辞書には礼節に始まり礼節に終わるって言葉が載って無いのか」

「私ってどうも一定以上の馬鹿な質問は受け付けないみたいなのよ。
 それにあんた以外の相手になら多分載ってると思うし」

「何て差別的かつ偏見的な女なんだ。きっとジャングルで過ごすたくましい姉の背中を見て育ってきたせいで
 性格もユリ・ゲーラのスプーンのように大きく捻じ曲がっちゃったに違いない。何て可哀想な娘さんだ!」

「可哀想なのはあんたの頭でしょうが!
 大体あんた部長なのに何でそんなことも知らないのよ。かぐらちゃんだって知ってるわよ」

「去年までの顧問は覚えてるんだよ。けど今年度から人事異動のせいで顧問が変わったって昨日長原に聞いてな。
 で、そいつは誰なんだって聞いても教えてくれないんだ」

舞人の言葉を受け、はるかは先程よりも大きく嘆息をつく。
それは舞人と朋絵の二人に対してのものであった。

「ったく、朋絵ったら・・・。まあ別に知らなくてもいいんじゃないの?近いうちに嫌でも知ることになるんだし」

「その口振りからするとお前も黙秘権の行使か。まったく、どいつもこいつも・・・」

「はいはい、納得したらさっさと集めたのを捨てに行くわよ。早くしないとみんな待ってるんだから」

「みんな?」

クエスチョンマークを浮かべた舞人を見て、はるかは軽い笑みを浮かべながら校舎の窓を指差した。
その窓には舞人たちに向けて大きく手を振っている彼女言うところの『みんな』が映し出されていた。
無論、その窓は知恵の宝庫とも呼ばれる場所のものだ。

「ったく、どいつもこいつも・・・」

先ほどとは違った意味で発した言葉に、彼は自分自身が少し照れていることに気付いた。
恥ずかしさを打ち消すように、彼は少々手荒に地面にある桜の花弁でいっぱいのチリトリを拾い上げる。
そんな舞人をはるかはからかう様に笑いながら見つめていた。








5月3日(金)


黄金週間〜始まる休日〜





ゴールデンウィーク初日の朝。何も予定の無い舞人は当然のように睡眠を貪っていた。
元来朝が強くない彼に加えて、昨日の夜は深夜番組を見続けてしまったというのだから確かに当然といえば当然なのだが。
幸いにして本日は休日の為、舞人は夕方まで寝るという人として駄目っぷり全開な決意を固めていた。
しかし、そう簡単に人生が思い通りにいかないのが世の常である。
突如彼の携帯の着信音が静けさを引き裂くように鳴り出したのだ。はっきりとしない意識を元に手探りで携帯を探しあてる。

「ふぁいもしもし・・・山彦の分際で俺の睡眠を妨害するとは許しがたいので
 貴様の部屋のいかがわしい本やビデオを全て鬼浅間の机の引き出しにぶち込んでやる・・・」

「わざわざ私が電話をかけてやってるのにまだ寝ぼけてるつもりなら来月の仕送り五十パーセントカットするぞ」

「おはようございますお母さん。
 やはり朝という祝うべきものを母親に起こしていただけるというのは感動もひとしおといったところでしょうか?」

電話先の相手――桜井舞子からの死の宣告とも言える言葉に彼は霧がかった頭を瞬時に覚醒させる。
桜井舞子とは彼の母であり、彼の命の綱(仕送り)を握っている人であった。

「こんな休日の朝から電話なんかしたからには当然何か大事な話でもあるんだろうな」

「ない」

皮肉たっぷりの舞人の言葉を彼女は一言であっけなく断ち切った。
彼女の後輩であるあの和観ですらも勝てないと言うだけのことはあると舞人は自分の母ながら悔しく思っていた。

「ならばお互い時間の無駄は避けてこれにて閉幕としようじゃないですか。いやいや、俺も多忙な身な訳でですね・・・」

「雪村クリーニング屋の小町っちゃんいるだろ?
 あの娘が今こっちにゴールデンウィーク中帰省してるの知ってるよな?」

「話を無視かつ強引に変えやがって・・・。
 知ってるよ、昨日あいつが俺のトコ来てお土産は何がいいのかって聞いてきたからな」

舞人の言う通り、先日の夕刻時に小町は舞人の元を訪れてきた。
里帰りの理由は彼女の母や姉たちが久々に小町に会いたがっているからと彼女から舞人は聞いていた。

「ほう?それでお前は『母親の首級が欲しい』と頼んだわけだ。
 小町っちゃんを使ってまで母を侮辱するとはいい度胸だな」

「げっ!小町の奴本当に伝えやがったな!冗談だって言ったのに・・・」

「来月の仕送りが益々楽しみになっただろ?お前の想像通りにコトを全て運んでやるさ」

「な・・・なんつー母親だ・・・。小町の奴、帰ってきたら覚えてろよ・・・」

「それにしても小町っちゃんは少し見ない間に大人っぽくなってたな。お前も思わず発情したくなるんじゃないか?」

「なっ、なりません!言うに事欠いてなんつーコトを言うんだ、あんたは!」

母親からの突然の攻撃に舞人は思わずたじろいでしまう。
小町のことで昔から彼女に何度もからかわれたことはあるが、
いつまでたっても慣れないのは彼らしいといえば彼らしいのだが。

「ふん、慌てるってことは多少は脈アリってところか。喜べ小町っちゃん」

「な!おい、そこに小町がいるのか!?ちょっと代われ!今すぐ代われ!」

舞人が叫んだ拍子に受話器の向こうからごめんなさい〜といつもの聞きなれた声が微かに聞こえた。

「喚くな鬱陶しい。今から小町っちゃんからお前の数々の悪行を一つ残らず教えてもらうから安心しろ」

「ぷ、プライバシーの侵害だ!母親とはいえ、息子の日常をそう無闇に人様に聞くんじゃありません!俺を信じなさい!」

「信じられるか。ああ、それとお前の部屋にあるいかがわしい本やビデオは
 私に生意気な口を叩いた罰としてちゃんと処分しておいてやる」

「ああっ!待てこら!やめ・・・」

舞人が話し終わる前に受話器からツーツーという電子音が聞こえてきた。
帰ってきたら覚えてろよ、という彼の小町に対する間違った決意が他の物質の何よりも硬かったのは言うまでも無い。











5月5日(日)


笑顔の裏にあるココロ





一人暮らしをする者にとっての休日にしなければならないことは何か。
その質問に心から答えることが出来るのは一人暮らしをした者だけではないだろうかと舞人は何気なく考えていた。
勿論、未経験の者でもその質問に答えるだけなら出来るが、それでは言葉に何の重みもないのだ。
料理も何も出来ない一学生である彼はその質問に、胸を張って、堂々と答えることが出来る。



「それはインスタント食品の買出し他ならない・・・と、ラーメンラーメン」



スーパーの中のインスタント食品コーナーにある商品を一つ掴んで舞人は呟く。
ゴールデンウィークの最終日、彼はこの連休で尽き果ててしまった食料の調達の為に
さくら通りのスーパーマーケットを訪れていた。
以前ならば食べるものが無かった時にはよく隣人の女の子のお世話になっていたのだが、
現在その娘は引っ越してしまい、今はもう頼る事も出来ない。
手作り料理という生命線を切られた彼にとってインスタント食品とはそれ程までに大きな重要性を占めているのだ。

「多くの人間はコンビニでインスタント食品を買う傾向にあるようだが俺に言わせて貰えればそれこそ愚の骨頂。
 確かにコンビニは近い、早い、お湯がもらえる、箸がつく等様々なプラス面があるが、
 その為に定価で買うなど本末転倒ではないか。
 スーパーのタイムサービスでいかに安く、いかに多量に買い込めるか。それが節約ってもんですよ奥さん」

「成る程・・・流石舞人さん!長い一人暮らしでもう買い物の事ならお任せって感じで凄く頼りになります!」

舞人の横でショートカットの女の子――芹沢かぐらが嬉々として彼の言葉に相槌を打った。
彼女とはスーパーの中で偶然出会い、お互いの目的が買い物であるならば一緒にしようということになり今に至っている。

「ふふん、こう見えてもさくら荘に二年以上一人暮らしだからね。
 かぐらちゃんも何か困った事があったら遠慮なく俺を頼りなさい。
 昔の人は言いました。『持たぬ知識は先人に学べ』と」

かぐらの返答に満足したのか、舞人は揚々気分で彼女と共にレジの方へと向かい出す。
自分勝手に話を進める舞人に対し、聞き上手なかぐらというペアは
見事と言うくらい息がぴったりである事は文芸部ではちょっとした有名事である。
舞人のことを心からかぐらは慕っているということからもこのコンビネーションはきているのかもしれない。

「さて、と。俺の買い物は終わったけどかぐらちゃんの方は?まだ行かなきゃならないところはある?」

支払いを終え、店の外に出た舞人は彼女の要望を問いただす。
ちょっとしたことではあるが、こういうところがかぐらや香奈と言った女の子達に
好印象を与える要因となっていることに彼は気付いてはいないのだが。

「えっと・・・特に無いんですが、今ひとつ出来ちゃいました!いいですか?」

「まあ、近場ならいいよ。と言っても、俺的にはロサンゼルスやシベリア辺りまでが近場となっているんだけどね。
 日本全国なんか庭みたいなもんだから」

「それじゃ、舞人さんの住んでいるお部屋に遊びに行ってもいいですか?
 まだ一人で舞人さんのお部屋に行った事ないですから是非!」

「何だ、そんなことならお安い御用さ。さあさあ、よっといで見ておいで。
 世にも格好いいナイスガイの部屋に是非とも案内してあげよう」

彼の了承を得て、かぐらは更に明るい笑顔になる。
普段から見ている彼女の笑顔だが、何度見ても嬉しいものだと心の中で舞人はそっと呟いた。













夕日が紅く照りつく中で、二人はとあるアパートの一室の前に佇んでいた。
ドアの横にあった表札は既に取り除かれており、現在は誰も住んでいないことがはっきりと分かる。
そこはお互いにとって思い出の地だった。舞人にとっては妹とも呼べるべき女の子の思い出が。
かぐらにとっては親友と言うべき女の子の思い出が。

「あはは・・・やっぱりここに来ると何かこう、しんみりしちゃいますね」

背中を向けたままの彼女の言葉に舞人は答えない。否、答えられなかった。
正直舞人の中の淋しさと彼女の淋しさは大きさの度合いが絶対的に違う事を彼は痛快しているのだから。

「電話じゃ話は出来るけど・・・姿だけは見れませんから。会えるのだって本当に時々ですし・・・」

「・・・かぐらちゃんはやっぱり寂しい?」

舞人の問いにかぐらはそっと首を横に振る。自分は違うと頭で否定するように。

「桜坂学園に入って新しいお友達はいっぱい出来ましたし、部活の先輩方もいます。
 それに舞人さんもいるのに寂しいなんて言ったらそれこそバチが当たります。
 青葉ちゃんも向こうで頑張っているのに私だけ泣き言なんて言っていられません」

彼女の言葉の一つ一つが自分を無理矢理納得させるように聞こえてしまうのは何故だろうか、と舞人は思う。
とても気丈に振舞っている彼女がどうしてこんなに脆く見えてしまうのだろうか、と。

「私は青葉ちゃんも桜坂学園を受けて、一緒に入学するんだって思い込んでました。
 そして引越ししたことでの寂しさもそれで終わり。
 また私がいて、青葉ちゃんがいて、そして舞人さんがいるいつもの楽しくて温かい日常が始まるんだと思ってた」

「でも・・・青葉ちゃんは受験しなかった」

彼女の言葉を代わりに舞人が紡ぐ。かぐらは何も言わない。それは肯定を態度で表しているのと同義だった。
その話は以前かぐらから聞いたことがある。本来ならば青葉は桜学を受けるはずだったのに、それすらもしなかった。
これは彼女にとってどんな意味を成すのか彼には考えられない。

「・・・私、やっぱりまだまだ弱いです。ふと思うときがあるんです。
 私はあの時から全然成長していないんじゃないかって・・・あはは、駄目ですよね本当に・・・」

「かぐらちゃん・・・」

「だから、こんな弱虫な私は私じゃないから・・・今日はやっぱり帰りますね。
 いつか平気でここに来れるようになったら舞人さんのお部屋にお邪魔させて下さいね!」

振り向きざまに笑顔を見せた後、彼女は走るようにさくら荘を飛び出して行った。
その小さな背中が抱えている悲しみを癒す方法は残念ながら今の彼には思いつくはずも無かった。










5月8日(水)


太陽と月と






放課後の図書室は文芸部の活動の場となっている。と言っても、何も文芸部が全てを使用しているわけではない。
あくまで活動教室の一環として使用しているわけであり、
放課後のこの部屋に本を返しに来る生徒だっていたし、本を読んでいる生徒だっていた。
この部屋の鍵を返すのが文芸部なのは彼らが最後まで残っている人だからであり、決して彼らの部室だからと言うわけではない。
しかし、今年度からこの学園において放課後の図書室に文芸部以外で人が来る事は正直ほぼ皆無に等しかった。
理由は多々在るが大きな表向きの理由は文芸部の活動日程の変更である。
去年までの文芸部、結城ひかりが部長だった頃は週にニ、三回の活動が基本であった。
つまり、他の生徒はわざわざ文芸部が活動している日に行かずとも、文芸部の休日に図書館に行けば良かったのである。
しかし、今年度からは新しい顧問の教師たっての要望で毎日部活が行われることになった。
それを学校側が快く認めたため、上記のような生徒達は必然的に文芸部が活動している
中の図書室に入らなければならないのだ。見知らぬ人たちの中で本を読むことが出来る人が多いはずもなく、
結果として生徒たちの中で本を借りたり読んだりするのは昼休みにというものが成り立っているのが現状である。
つまり、何が言いたいのかというと『図書室は放課後でも決して文芸部だけのものではない』ということである。

「ああ〜〜〜〜!!!もう全然わかんないよ〜〜〜!!!も〜〜も〜〜も〜〜!!!!」

だから放課後の図書室で大声で雄たけびをあげるのはどうなのだろうか、と
モラリストではない舞人ですら思わず考えさせられてしまった。
放課後になり、部活の為に図書室を訪れた舞人が見た光景はとてつもなく奇妙なものだった。
図書室特有の広い机に座って数学の教科書とにらめっこしつつ大きな声でシャウトをしている
部活の後輩――遠野智里の奇行は流石の舞人も驚きを隠せなかった。
そしてそれ以上に彼を驚かせたのが彼女の前に座っている少女――橋崎なつきの存在である。
彼女もまた文芸部で舞人の後輩だが、目を覚まして起きているところを見たのは彼にとっては中々久方ぶりである。
何事かと図書室の入口で固まっている舞人に気付いたのか、智里は「せんぱ〜い・・・」と情けない声で彼を呼び出す。

「おいおい、お前の地団駄踏みながら雄たけびをあげる姿にも驚かされたが、何よりも何故こいつが起きてるんだ?
 例えマグニチュード7の大地震が起こり、人々が絶望の悲鳴をあげる最中でも絶対起きそうにないこいつが」

なつきの方を訝しげに見ながらも舞人は疑問をはっきりと口に出す。

「それを説明するなら初めから言った方が早いかなあ・・・。
 えっとですね、実は今日の数学の時間にですね、ちょっとした先生の誤解と言いますか私とのコミュニケート不足から
 きたものと言いますか。私が分からないところを隣の席の某K・H嬢に聞こうとしましたところ
 先生と目がぴったりあってしまい有難いお言葉を受け賜ったっていうか」

あはは、と言葉を濁す智里を見て舞人は人事ながら何が起きたのかを理解する事が出来た。
理由は恐らく彼女と同じ経験を何度も自分が踏んできたからに違いないだろう。

「ストレートに授業が退屈だったから香奈ちゃんに構ってもらおうと思って
 横向こうとしたら教師に見られて大目玉くらったって言え。まわりくどい。
 全く、授業中に人様の迷惑になるなんて礼儀知らずにもほどがあるぞ。は、恥をシレ!!」

自分のことを大きく棚に上げた舞人を呆れた目で智里は見つめた。
呆れた理由には彼女の隣のクラスの有名人のモノマネを彼がしたことにも含まれてはいるのだが。

「・・・言っておきますけどそれが誰の物マネかは追及しませんから。
 まあ、そういうわけで先生に特別プレゼントとして宿題いっぱい出されちゃったんですよ〜。
 酷いと思いません?こんなか弱い乙女に対してあんまりじゃありません?」

「ほう、お前が仮にもか弱い乙女ならうちのクラスにいる柔道部の池谷さんも立派な聖女にあたってしまうな。
 大体もう少しで香奈ちゃんにまで迷惑がかかりそうになったんだろーが。自業自得だ馬鹿」

「あ〜!えこひいきだ〜!香奈には優しいのに私は駄目なんですか〜!
 こんなに先輩の事を敬愛してるのに!うう・・・さくっち先輩のことを大切に思ってるのに!」

「一度でいいから俺の目を真っ直ぐ見て言いやがりなさい。ったく・・・それでお前はここで数学の宿題をしてるんだな。
 それじゃ何か、どうせ一人じゃ解けないし香奈ちゃんもいないみたいだから
 図書室で寝てた思いのほか頭の良いなつきを無理矢理起こして
 無理矢理手伝わせてるって訳か。無理矢理」

「む、無理矢理無理矢理って連呼しないで下さいよ!人聞きの悪い・・・。
 なつきにはちゃんと友情という繋がりのもとで教えて貰ってるんです!」

ふふん、と胸を張る智里を見て、舞人はほ〜う?とでも言うような悪笑を浮かべた。

「で、お前は何で買収されたんだ?言ってみ?」

「甘露飴」

友人の即座の裏切り(この場合裏切りもクソもないが)にメロスこと智里はがくっとうな垂れる。
予想通りの答えに満足した舞人は大袈裟な口調で追い討ちをかける。

「なるほど、これは確かに素晴らしい友情だ。ああ、今までおじさんは女同士の友情と言うものを舐めていたよ。
 モノで釣っておきながら友情と言う、なんという素晴らしいことだろう!!
 君達の友情は後の後世にもしっかりと語り継がれるだろう!」

「ううう〜・・・そ、そんなのどうでもいいじゃないですか!
 で、それがなつきが起きてる理由と私が苦しんでる理由です!分かりましたか!」

もはや負けを認めきった智里に対し、舞人はまだ一つ疑問を口にした。

「でもお前さっき『わかんなーい!!』みたいなこと叫んでなかったか?
 なつきが教えてるんだから分からないことはないだろ。
 問題の解き方を目の前の天然寝ぼすけ娘に教えて貰えばいいじゃんか」

舞人の言葉を聞いて智里は『分かってないなあ』と言わんばかりの溜息をついた。
その様子が癪にさわったのか、舞人は思わず声を荒げる。

「な、何だその呆れたような顔は!?だってその通りだろうが!!」

「じゃあ先輩、なつきの説明を一度聞いてみて下さいよ。う〜ん・・・じゃあここの問題教えて」

智里の差し出した教科書を受け取り、問題の箇所をなつきは今までとじっと変わらない表情で見つめ、
たっぷり数十秒経った後に口を開いた。

「まず左辺と右辺が違うから揃えるために二倍角の公式でコサイン2シータを1マイナス2サイン二乗シータに
 変換してみてその後に移行して整理をするから右辺の数値を全て左辺に移してその結果
 2サイン二乗シータプラス3サインシータマイナス2イコールゼロでそこから左辺を変形して
 括弧サインシータプラス2括弧閉じる括弧2サインシータマイナス1括弧閉じるイコールゼロとなり
 2サインシータマイナス1イコールゼロつまりサインシータイコール二分の一の数値が出てそれを
 シータはゼロ度以上三百六十度未満の条件に当てはめるからシータは三十度と百五十度となる」

「・・・・なんの呪文?」

彼女の口から次々と矢継ぎ早に放たれた言葉に舞人は思わず息を呑む。
彼女の口調は決して早くない、むしろゆっくりしたものなのに言っていることが理解できない為か
彼にとって早口に聞こえてしまう。

「ですよね・・・。頼んでおいて言うのも何ですがなつきって人に教えるの本当に下手みたいなんですよ。
 良くも悪くもマイペース人間だからなあ・・・」

はあ、と脱力した智里を他所になつきは何事もなかったかのように渡された教科書を閉じる。そして、

「智里が馬鹿なだけ」

と、極めつけのトドメを刺し入れた。

「あぐ・・・ち、違うもん!なつきの教え方が下手なだけだもん!
 確かにその・・・私はあんまり・・・頭良くはないけど・・・」

ごにょごにょと段々声が小さくなっていく智里を見て舞人は多少驚きを与えられた。
それは何だかんだ言っても彼女は自分が勉強で他のみんなより劣っている事を気にしていることに気付いたからだ。
同時に、彼女はどんなことにも動じない問題児だと思い込んでいる自分の存在が心にいたことにも。
何か声をかけようと舞人が口を開こうとした瞬間、智里の頭の上になつきの手が乗せられていた。
智里も今気付いたらしく、自体を良く飲み込めていないらしい。
そして、なつきはその手を子供をあやすようにと軽く撫でさせ、智里に先ほどとは違った柔らかい口調で語りかける。

「でも、悪いことじゃないと思う。それはゆっくり考えれば答えを見つけることが出来る証だから・・・」

「そ・・・そうなの?あんまり褒められてる気がしないけどなあ・・・」

突然のことに対する驚きと頭を撫でられている恥ずかしさが入り混じっているのか、
智里は顔をほんのり赤らめながらもなつきのされるがままになっていた。
舞人は苦笑しながらも結構この二人っていいコンビなんじゃないかと心の中で呟いた。












5月10日(金)


強さ優しさかっこよさ







「おい、八重樫。俺はお前を見習う事にした」

休み時間となり、舞人がクラスメートの八重樫つばさの席に向かって放った第一声がこれである。
舞人の訳のわからない言葉を聞き、つばさは読んでいたファッション雑誌を机の上に置く。

「や、いきなりそんなこと言われても訳が分からないから。
 私の何を見習うって?さくっちに勝ってるトコいっぱいありすぎて分かんないんだけど」

「ふん、貴様のそのふてぶてしい態度こそ汚れを知らない天使こと俺が見習うに相応しい。
 いいか、俺はお前のその自己中なところを見習うのだ。
 俺は昨日テレビを見て知った。女の狡猾さこそが現代の世で生きていくに必要なスキルであり、技能だと。
 つまり俺はお前をその点に置いて絶大な信頼を置いている」

「あのねえ・・・さくっちの方が十分自己中だと思うんだけど。
 大体見習う女の子ならクラスに山ほどいるでしょうが。問題児クラスなんだし」

例えばほら、とつばさはクラスの女子達の輪の中にいる一人の女性徒――星崎希望の方を指差した。
彼女自体は問題児と言う訳ではないが、彼女が原因で男供が問題を起こしたことが多々あるため、
問題児認定はされてしまうだろう。

「あれは将来絶対騙されるタイプだ。気付けばAV女優デビューをしているか他国に拉致されるか、
 はたまた友人のつり目にいわれの無い借金を押し付けられるか。
 あいつではこの世を生き残る事はおろか、学食戦線を生き残ることすら不可能だ」

「言いたい事はいっぱいあるけど流しとく。じゃあ、あっちはどうなのよ」

今度はその輪の中で少し身長が高い女性徒――結城はるかの方を指差す。
希望のようにいるだけで問題が起こるというようなことはないが、
多少なり性格が問題児認定されかねない人材ではある。

「あれは生き残るという点に置いてはずば抜けて秀でた性能を持っているが、俺が求めているものとは大きく違うぞ。
 俺が欲しいのは現代を生き抜くスキルであり、
 草木の生い茂るジャングルの奥地で虎と戦って生き残るようなスキルではない」

だから頼む、と舞人はつばさに教えを請う。
つばさは若干考えるような仕草をした後に、結論を出す。

「・・・ま、いいか。何か暇つぶしになりそうだし。
 けど、具体的にどうすんの?」

「だからお前のその鉄パイプが腐り折れ曲がったような性格を身に付ける方法を俺に惜しみなく教えてくれ。
 さあ、八重樫の性格の出生秘話を聞かせろ。原因はなんだ?
 竜の返り血を浴びたのか、はたまたボールを七つ集めてお願いしたのか?」

「生まれつき」

「ば、馬鹿者!それじゃあ話がここで終わっちゃうだろうが!何かないとそんな他人を省みない性格になれない筈だ!
 謙遜するな、クイーン・オブ・自己中。正直な話を赤裸々に俺に語ってみなさい!」

「や、キング・オブ・自己中に何を言われても効かないから。
 大体そんなに狡猾なり非情なりになりたかったらその辺の廊下とかで練習でもすりゃいいじゃん」

「それはどういう風にだ?」

つばさの言っている事がイマイチ分からないというように舞人は少し首を傾ける。
そんな舞人に気付いたのか、つばさはいかにも何か思いつきましたといわんばかりの笑顔を浮かべ、彼を見る。

「そだね。例えば一人の女性徒が重たい本とかをいっぱい抱えて廊下でフラフラしていたら、
 その娘にわざとぶつかって逆切れして因縁ふっかけるとか」

「お・・・お前時々恐ろしいことを平然と言うな。
 しかしそんなヒロインが事故にあって植物人間になっちゃうような展開滅多にあるわけないだろうが。
 まあ、もし実際にあったら俺なら因縁の後にドロップキックかまして泣いて謝らせるけどな。
 非情の貴公子と呼ばれる俺には簡単すぎだ」

「へ〜、わ〜、超凄い〜」

気付けば視線を雑誌に戻して空反応をするつばさを見て舞人は顔をしかめる。

「・・・貴様俺を欠片も信じてないな。
 いいだろう!今から俺がこの学校という小さな小宇宙(こすも)に満遍なく俺の名がとどろき渡るように
 武勲をあげてきてやる!
 もしそんな女が廊下を歩いてたら前言通り、俺に怯え戸惑わせ学校に二度と来れないようにしてやろう!」

「はいはい、頑張ってね〜」

迷惑この上ない決意をした舞人につばさは再びどうでもいいといったような返事を返す。
そんな彼女を見て舞人はますます後には引けなくなり、廊下へと歩き出す。

「ふん、後で吠え面かくなよ。まあ、そんな女の子がいればの話だけどな。い・れ・ば・のな」

















「・・・何てお約束な・・・」

つばさとの会話を終えたとき、彼に嫌な予感はしていたのだ。彼女と賭け事をして今まで自分が勝てたことはあるのか。
時が味方したとかしなかったとかそういうレベルじゃないのだ。彼女と彼の賭けはいつだって彼女の方に運が向く。
今回だってそんなお約束な少女が廊下にいる訳が無いと決め付けたこと自体が愚かだったのだ。
何故ならこれは『八重樫つばさ』との賭けだったのだから。
そう、今彼の前方20Mくらいのところに大きなダンボールいっぱいの本を抱えた少女がこちらへよろよろと向かってきていた。
ダンボールのせいで顔は見えないが、恐らく知らない人だろうと舞人は決め付ける。ならばやるべき事はただ一つ。

「これも宿命・・・。恨むならこんな馬鹿な提案をした八重樫を恨めぃ!」

そう叫び、舞人はその少女の下へと一直線に走り出した。
他人の迷惑より、何よりも今は八重樫つばさにあっと言わせてやる。その考えだけが彼を突き動かしていた。
もはや少女は目の前、せめて怪我だけはさせないように軽くぶつかる程度に押さえようと彼は胸の前で十字を切った。

「もらったああ〜〜〜!!!」

「せ・・・先輩?」

少女にあと少しでぶつかるというところでダンボールの方から聞き慣れた声が聞こえた。
慌ててブレーキをかけ止まりきれずに尻餅をつく。
立ち上がる間もなくダンボールの向こうを覗くとそこには彼の親しき後輩が不思議そうな顔をしていた。

「か・・・香奈ちゃん?」

「どうしたんですか?いきなり走ったりなんかして」

ダンボールを持った少女――平塚加奈はとてつもなく不思議そうな顔をして舞人に尋ねる。

「えっ?あ、これはあれだ!一種の健康法でね!
 最近老後について考え出したんだよ、アナタノミライハダイジョブデスカ〜って感じで!
 ほらほら!見なさい、このアメリカナイズな健康ボディを!!」

慌てて立ち上がり、ごまかすように彼特有のハイテンションで場を和ます。
流石の彼でも『ぶつかろうとして因縁ふっかけてドロップキックしようとしてました』なんて言える訳が無い。

「そ、そうなんですか?た・・・大変ですね」

そうなんだよ、あはは・・・とごまかし、舞人は自分の想像通りの人がいないことを祈りつつ後ろの方へ視線を送る。
しかし、当然のようにそこにはつばさが笑顔で立って彼の方を見ていた。
もはや事態は彼女の理想のものとなっていたのだ。
笑顔で舞人にゴーサインを出し続けるつばさに、舞人はひたすら首を横に振って答える。
そんなやり取りが少し続いた後、舞人は渋々覚悟を決めた。

「香奈ちゃん!」

「は、はい!?」

突然の彼の大声に香奈は驚きの声をあげる。
そんな彼女を他所に舞人は決意に固められた言葉を紡ぐ。見ろ、八重樫、これが俺の勇姿だと言わんばかりに。

「・・・・・・本運ぶの手伝うよ」

「あ・・・ありがとうございます」

香奈の持っていたダンボールを受け取り、廊下を歩いていく最中につばさから
『かっちょいいじゃん、自称非情の貴公子君』とからかわれたのは言うまでも無い。
桜井舞人、未だに八重樫つばさには勝てそうもなかった。












5月13日(月)


グッド・アフタヌーン






昼休みになり、昼食を終えた舞人は胃のものを早く消化するようにと友人の山彦とポケット将棋を打ち合っていた。
将棋で消化が早くなるのかが大いに疑問だが、彼にとっては遊ぶ為の屁理屈なので
理由などはこの際どうでもよかったようだ。山彦もその所をしっかりと理解していた。

「はいよ、王手飛車取り!ど〜だ舞人、伊達や酔狂で桜学の将聖と言われてる訳じゃないぜ!」

「ぐうう、誰からもそんなこと言われた事ないくせに・・・。ま、待った!」

「おいおい、そんな簡単に待ったを使ってたんじゃ先が思いやられるぞ。もう飛車は諦めろよ」

「いいや!恐らく何か手はある筈だ。貴様の悪意に彩られた降伏勧告なんぞに乗ったら俺の飛車にあわせる顔が無い」

「別に後で取り返せばいいだろ。ったく、俺はトイレ行ってくるからその間にしっかり考えな。
 間違っても駒を入れ替えたりするんじゃないぞ」

彼の行動を先読みしたのか、山彦は舞人に一釘刺して席を立った。
山彦が教室を出て行ったのを見計らってから舞人はちっ、と舌打ちを鳴らす。

「ぐぬぅぅ・・・あんのエセ爽やかエロ魔神め、もう勝ち誇った顔しやがって!
 見てろよ、少し本気で考えれば俺の神の一手ならぬ翼神の一手が・・・」

そう言って舞人は彼の忠告を無視し、将棋版(ポケットサイズだが)に手をのばす。
これだけ駒があるのだから一つくらい異動させてもばれないだろうという
悪魔とも馬鹿とも取れる考えが彼の頭を支配していた。

「・・・何やってんの、あんた」

「うるさい、今取り込み中だ。俺の『駒空間転移破壊魔術』によって悪の爽やかピンク星人の野望はここに潰える。
 そう、勇者舞人の手によって・・・」

よって、声をかけた相手がクラスメート――結城はるかだということにも気付かずに舞人は声を荒げる。
否、相手が彼女だと気付いていても彼は後のことを考えるような余裕などないのだ。

「ようするにどうあがいても将棋で相良に勝てないからそんな小学生みたいなことしてるって訳でしょ。
 なっさけないわねえ」

「何とでも言え。貴様に学食一食分を賭けた男の戦いが理解出来るものか。大体俺に何の用だ、結城」

舞人の問いかけに少し考え込む素振りを見せた後、まあいっかとでも言うような顔をしてはるかは再び彼を見据える。

「あんたに、っていうか相良とあんたになんだけどね。
 今日の授業五時間目の英語いつもの清川先生じゃなくて広田先生が授業に来るみたいだから」

「うえ!?何で広田なんかが来るんだよ!
 あいつ授業じゃなくて俺を怒鳴りに来るだけの教師としての能無しティーチャーじゃないか」

包み隠そうともせずに舞人は負の感情を露にする。
それは毎回の授業で広田という教諭に煮え湯を飲まされている為であろう。
広田公康――舞人たち三年の学年主任であり、彼らのクラスで受け持っている担当教科はないのだが、
英語の教師が休んだ時は必ずといっていいほど代理として現れる。
どのような教師かというと舞人の様子から簡単に読み取れる。いわゆる一昔前の瞬間湯沸し機型の人間である。

「あんたがいつも癇に障るようなことばっかするからでしょうが。
 大体、忘れ物とか居眠りとかしなけりゃあいつだってそうそう怒んないわよ」

「あ、今日俺英語の教科書を忘れた」

「・・・最悪」

呆れかえるはるかを他所に舞人はどうしたものかと一考し始める。

「ぬぅ・・・流石に放課後居残らされて延々と意味のない説教をされるのは勘弁願いたい。
 と言う訳で結城、俺に教科書を貸しなさい」

「次は星崎にこのことを伝えなきゃね。それじゃ」

「ま、待て眼鏡!可哀想な俺に対する温情とか優しさとか
 そういう人間として当然の感情を持ち合わせてないのかお前は!」

何処かへ去ろうとするはるかを止め、彼の自己中っぷりはますます暴走に磨きがかかる。

「うるさい、馬鹿。大体私の教科書貸したら私はどうするのよ」

「それは大丈夫だ。授業が終わったら返してやるから。それで万事解決だろ・・・「ぶぇぷ!?」」

「星崎〜、次の授業のことなんだけどね〜」

舞人の自分勝手な提案は見事にはるかのビンタ一発で捻じ伏せられた。
遠ざかるはるかを見つめながら舞人は姉譲りの彼女の気性を今更ながら恨んでいた。













「ったく、ちょっとしたお茶目でフランクな冗談じゃないかっつーの・・・。あんの眼鏡、いつか覚えてろよ・・・」

とてもお茶目でフランクとは言えない冗談を発した舞人は見事に天罰の傷痕を頬に残らせていた。
いわゆるビンタの跡である。
頬を押さえて彼は二つ隣のクラス、C組の前まで来ていた。彼の数少ない他のクラスの友人に教科書を借りるためだ。

「あ〜、君君。ちょっといいかな?」

「はい?何ですか?」

知らないクラスにどかどかと踏み込むのもどうかと考えた舞人は、
今C組の教室から出てきた見知らぬ女生徒に声をかける。

「うむ。このクラスに常日頃ボケーっとしてて物事を考えていなさそうで数学は群を抜いて悪く、
 人の面倒を見てるのが好きなのに気付けば自分が見られてるような
 我が桜坂学園が誇る特別天然記念物指定の女の子はいるかね?」

彼の説明に当然のようにクエスチョンマークを浮かべる女生徒だが、
やや間をおいて『ああ、なるほど』とでも言うような納得した顔を浮かべた。

「ふふ、ちょっと待ってくださいね」

女生徒が教室に戻って数十秒は経ったほどで、
舞人の探していた人物がとぼとぼと落ち込んだ様子でC組から出てきた。

「・・・・・・桜井君、酷いよ」

落ち込んでいる女生徒――長原朋絵は舞人に対し、不満を口にする。
不満の内容は当然、先ほどの舞人の彼女の説明の内容だろう。

「でも、伝わったぞ?つまりこのクラスの連中もお前のことをそんな風に見てるってことだ。心から喜んでいいぞ」

「喜べないよう・・・。もう、唯奈ちゃんに変なこと言わないで。
 大笑いされちゃうし変な誤解されちゃうし、もう散々だよ〜」

「変な誤解?」

「あっ!な、何でもないよ〜!何でも!そ、それで桜井君は私に何か御用なのかな?」

慌てて自分の両手を胸の前で大きく振ってごまかす朋絵を見て不思議に思いつつも、
舞人はとりあえず説明をする事にする。

「用もないのに他人のクラスにずかずかと入って来る奴はそうそういないだろ。
 あのな、実はクラスに英語の教科書を忘れた可哀想な奴がいるんだ。
 そいつは日頃善業ばかりやってるのに『教科書忘れ』という一罪のためだけに
 悪徳教師に説教されてしまいそうなんだ。是が非でも助けてやりたいと思わないか?」

「う〜ん、それは確かに可哀想だね。誰だって忘れ物くらいするもん」

「だろ?だから彼を救う為にも長原の持っている異国文化のたっぷり詰まったテキストブックを俺に預けなさい。
 そうすると彼はきっとお前のことを次の時間くらいまでは感謝するだろう」

「うん、それはいいんだけど誰に貸すの?重要なところとかにいっぱい赤線とか入れてて綺麗じゃないから
 あんまり知らない人に貸すのって気が引けちゃうよ」

「大丈夫。多分知ってる奴だから」

「そうなの?えっと、誰かな?」

朋絵の疑問に舞人は何故か自信満々の笑顔を浮かべながら、親指を自分の方に向けて答える。

「俺」

貸す相手が舞人だと分かった途端、朋絵はむすっとした顔になり、舞人に対し非難の声を上げる。

「・・・さっき誰かさんは私の悪口を散々言ってたよね」

「は?誰だそんな酷い事する奴は。そういうことは早く俺に言えよ、長原。一人で悩むなんて水臭いぞ」

「うう〜、本当に調子がいいんだから・・・。うん、じゃあ放課後に返してね」

一度教室に戻り、取ってきた教科書を舞人に手渡した。

「分かった分かった。その願いしかと聞き届けよう」

「あ、それと最後に質問なんだけど・・・その、頬っぺたどうしたの?」

朋絵が先ほどから口にしようかどうか迷っていたことを口にすると、舞人は少し考えたあと、返答を口にする。

「詳しくはお前の昔からの友人であるどこぞの眼鏡アマゾネスに聞け。
 そのときに暴力反対根絶運動を薦めてやってもらえると尚良い」

舞人の台詞を聞いて、朋絵は少し肩を落として舞人の方を再び見る。
その表情は先ほどまでのものとは少し変わっていた。
いや、『違和感』を覚えたと言った方がいいのかもしれない。

「また何かはるかにしちゃったんだね・・・それに駄目だよ桜井君、そんなこと言っちゃ。
 はるかってああ見えて結構傷付きやすいんだから・・・」

「はああ!?何だそりゃ?その表現はあいつとは真逆だろう。
 傷付きやすいんじゃなくて傷付かないと表現した方が適切だ」

「それは・・・そっか、桜井君にはやっぱりそういう風に『映ってる』んだね・・・」

朋絵はそっと呟いた後、俯いて言葉を切ってしまった。何かを言いよどんでいるかのように。

「それじゃ、部活でまた逢おうね」

少し間をおいて、朋絵はそう舞人に告げる。先ほどの表情は幻だったかのように消えてしまっていた。

「あ、ああ・・・その・・・ありがとな」

そう言い残し、舞人は朋絵の返答も聞かずに教室を後にした。
これ以上聞くと、彼女の口から何かが、『自分の世界の何か』が壊されてしまう。
――そんな奇妙な感覚が彼の心を支配していた。

「桜井君・・・本当は・・・はるかは」

彼の遠くなる背中を見つめながら、朋絵はぽつりと呟いた。
その声が舞人に届かない――届いてはならないことを知りながら。











5月16日(木)


文芸部の日常〜騒がしき風〜






「それでですね、私はこう思ったんですよ!
 『ああ、このバンドグループはきっと一年も持たずにみんなに飽きられるだろうな』って。
 まあ結果は予想通りだった訳ですけどね」

「ふん、そんなの見分けがついたところで何になるんだアホたれ。
 もっと人生において為になるような事を自慢しろっつーの。例えば俺の生活の知恵集とかだな・・・」

「や、さくっち先輩の明らかに不健康に生活水準が偏った知恵なんて何にも自慢にならないですって。
 それよりは私の話の方が有意義ですよ」

「な、何を!!?ええい、ちっとは先輩に花を持たせるって事を知れ!
 そんなのじゃこれからの辛い現代社会で生き残るなど至難の業、お前の将来見えたも当然だな」

「ええ、きっとさくっち先輩よりは幸せになってますよね〜。私って良い子だし」

「ほう?いつも宿題は香奈ちゃんのを写して授業中は学業ではなく睡魔と戦い
 現在は部活の先輩をけなしているお前が良い子なのか?厚かましい」

「うぐぐ・・・し、宿題ちゃんと自分でやってますよ!・・・・時々ですけど」

「・・・あ、あの・・・二人とも何をやってるんですか?」

「「部活」」

放課後の図書室で舞人と智里が不毛な会話をしているときに、今図書室に入ってきたばかりの香奈が疑問を投げかけた。
声のした方に振り向いて二人が同時に出した答えは、その二人の様子からは導き出せないような答えだった。

「部活って・・・えっと、その・・・箒をお互い振り回しながらですか?」

香奈の言う通り、二人は図書館に備え付けられてある箒をお互い闘技場の剣士であるかのように交錯させ合っていた。
現在は剣道言うところの鍔迫り合い(つばぜりあい)という状態である。

「あ、これはさくっち先輩が嫌がる私に『俺とチャンバラしろ〜!』って無理矢理強要させたんだよ!
 酷いと思わない、香奈!」

「ばっ!ぷ、ぷじゃけるなよ遠野!!お前が俺に他の奴らが部室に来るまで暇だから遊んでくれって
 言ったんだろうが!だから俺が由緒正しき剣道とやらをだな・・・」

「あの・・・でもこんな机を全部下げたままにしてると結城先輩が来たら多分怒られちゃいますよ?」

香奈の指摘したとおり図書室の机という机は全て奥へと下げられていた。
普段の掃除などの時には全くやる気の起きない机移動だが、彼らの場合遊びの時は全く別物らしい。

「げっ!!そ、それはマズイ・・・あの眼鏡にばれると俺は学校に来れない身体になってしまうではないか」

「もうこの際思い切って骨の一本や二本さっぱりと折ってもらうってのはどうですか?
 骨が次は頑丈になってはる先輩の攻撃に強くなれるかもしれませんし!」

「お前本気で俺のことを先輩と思ってないだろうが!
 しかしまいったなあ・・・そうなるとかぐらちゃんには悪いことしちゃったな」

「ですねえ。かぐらちゃんがはる先輩に捕まる前にこっちが捕まえないと怒られちゃいますよね、さくっち先輩が」

「・・・おい、一応聞いておくが何故貴様は自分を説教される勘定に入れない?」

「嫌ですね、そんなの決まってるじゃないですか〜!
 さくっち先輩に罪を全て擦りつけるからですよ。私怒られたくないですもん」

ジロリと視線を投げつけた舞人に対し、智里はあっけらかんとして彼の問いに答えた。
彼の予想を遥かに上回る回答に舞人の中で何かがぷつんと切れる音がした。

「お前・・・いい度胸だ。流石の俺も堪忍袋の尾どころか袋自体が破れてしまったようだ・・・
 お前に死より辛い制裁を加えてくれるわ!!
 貴様は俺を怒らせた・・・それだけで天地が揺るぎ、海が荒れ果て、神をも殺すほどの大罪であったことを
 地獄の底のガイアの大穴の下で寝ている勇者のパパの横で涙を流しながら悔いるがいい!」

「でねでね!香奈にお願いなんだけど数学のプリント後で写させてくれないかなあ?うん、明日提出のやつね」

「って、人の話聞けよ!!オイ!!」

ぎゃあぎゃあと言い合っている音にまぎれて、
ガラガラと図書室のドアの開ける音がして、女性徒――長原朋絵が入ってきた。
舞人たちは全く気付かない様子で、わき目も振らず互いに口論を続けていたが。

「なんだかとても賑やかだね〜。どうかしたのかな?」

「あ、長原先輩こんにちわ」

「うん、こんにちわ〜。あれ?部活にきてるのは智里ちゃんに香奈ちゃんに桜井君だけ?」

「いや、かぐらちゃんも来てるぞ。さっき俺とこの馬鹿で頼み事をしてちょっとお使いに出てる」

いつの間にやら朋絵の存在に気付いた舞人が香奈の代わりに事の経緯を説明しようとする。
しかし、彼の余計な一言を智里が聞き逃さないはずもなく、智里はむっと更に不機嫌になる。

「なっ!?何で私がさくっち先輩に馬鹿って言われなくちゃいけないんですか!
 馬鹿って言った方が馬鹿なんですよ!」

「あ〜、もうやかましい!馬鹿に馬鹿と言って何が悪い!?俺は死ぬまで自分に正直に生きると決めてるんだよ!」

「ああ〜!また言った!!絶対許さない!!もう許さないですから!!
 大体さくっち先輩には前から言いたかった事が山ほどあるんですからね!」

「その台詞そのままお前に返すっつーの!俺だってお前に言いたい事はエベレストの標高以上にあるね!」

そして間隙をつく暇もなく再び彼らは口論へと移った。
もはや中身の無いお互い歯に衣どころか紙一枚挟まないような本音のぶつけ合いで。
その戦いの様子を朋絵と香奈は苦笑いで見守っていた。願わくば、はるかが帰ってくるまでにこの戦いが終わりますように、と。
なお、余談ではあるが、購買部にて剣道の審判が使う赤白旗を買おうとした少女がいたという話を
舞人は翌日耳にする事になった。












5月20日(月)


姫と下僕






季節上では春とはいえ、もう桜などといった春の風物詩は見えなくなってしまった早朝の登校道を
舞人と小町は雑談に興じながら歩いていた。
彼らの雑談自体の内容は文字通り大した内容でもないが、
彼らの一日は必ずここからスタートするという言わば日常と化していた。

「それで心霊現象なんか信じてる馬鹿な奴らがテレビ画面の中で真面目な顔して話し合ってる訳だ。
 『心霊写真に呪いを感じる!!』とか叫んでるのな。
 まあ超リアリストで高貴なまでのニヒリズムを追及する俺から言わせてもらえるとアレは作りもんだな。
 あんなバレバレの心霊写真作る方がこええっつーの」

「せんぱい、せんぱい。リアリストはともかくニヒリズムは心霊写真を信じる、信じないに全然関係ないですよ?
 ニヒリズムとは虚無感のコトでおばけにそんなこと感じても・・・きゃう!」

笑顔で舞人の言うことに突っ込む小町を一閃(ただぽかりと叩いただけだが)し、再び話に戻るのもいつものことだった。
この穏やかな日常が彼らにとっての当たり前となり、そうなってしまったのはいつのことだったか。
今ではもうお互いに触れないほどのささやかな記憶であった。
そして校門付近で小町は必ず舞人と別れて、お互いが別々に校門をくぐる。それもまた一つの日常であった。






廊下を抜け、自分の教室に入るなり舞人は席に座っていた友人、桜坂プリンセスこと星崎希望の元へと近づく。
舞人に気付いたのか、彼女はおはよう、と笑顔を向けて挨拶をした。舞人もぶっきらぼうにああ、と言葉を返した。

「いやあ、星崎!お前は運がいい!
 今日はお前が誰よりも早起きしたという点で得が出来る、まさに『早起きは三文の得良かったねDAY』だ!」

「え?そうなの?でも、私が来たときにはもう他の人が何人か教室にいたよ?」

「NON、NON!他の画面の隅っこにも映らないような脇役どもはどうでもいいんだよ!
 とにかく、お前は選ばれし勇者だ!この世のヒーロー、いや、ヒロインだ!」

「ええ〜・・・何かそこまで言われちゃうと照れちゃうな。じゃあ私はどんな得が出来るのかな?」

彼女のその言葉を待ってましたと言わんばかりに舞人は説明しだす。

「おう!その得とはこの光り輝く銀河一の美男子、立てば春菊座れば牡丹、歩く姿は百合の花と評判高いこの俺、
 桜井舞人様に宿題を見せてあげる権を進呈しよう!
 さあ、遠慮なくお前の昨日寝る間を削って解き明かした数学のプリントを写させなさい!」

「やだよ」

「そうか〜!嫌か〜・・・・って何い!?お前、嫌だってどういうことだよ!?こんな光栄なこと他にはないぞ」

「だってそれ私何にも得してないじゃない。得できるのは何にも苦労せずに宿題を写せるさくっちだけだよ」

「いやいや、そんなことはないぞ。今日一日お前は胸を張ってこう言えるんだぞ?
 『私はかの有名な桜井君に宿題を見せたんだよ〜』って。もうそれだけで得だぜ?」

「どこが?私そんなこと胸張って言いたくないんだけど・・・」

「ええい!兎に角俺に宿題を見せやがりなさい!悪いことは言わない!お前の人生ここで決まるぞ!?」

「ええ〜・・・どうしよっかなあ〜・・・見せてあげてもいいんだけど〜・・・
 頼むときには言うことがあるんじゃないかなあ〜?」

彼女は先ほどとはまた違った色を持つ笑顔を舞人に向ける。
それは、傍から見ればとても魅惑的で、挑発的な笑顔だった。

「ぐぐ・・・ば、馬鹿モノ・・・
 男子たるもの女に頭を下げるなど屈辱以外の何ものでもないんだと昔の偉い人は言ってましたよ?」

「私昔の人じゃないもん。
 さあ、観念して頭を下げて『星崎さん、宿題を写させて下さい、お願いします〜』って言いなさい!」

「ふ・・・ふん!誰が貴様如きに!俺をあまり見くびるなよ!?
 お前なんかに頼まなくてもクラスにはお前の他に・・・他に・・・」

言葉を言い終える前に、舞人はとある疑問を抱いた。
それは、自分のクラスの他の友人が希望以下の条件で果たして宿題を見せてくれるかどうか、である。
まず頭に思い浮かんだのは親友であり、悪友でもある相良山彦。
しかし、彼も舞人程ではないが不真面目な部類であり、宿題を終えてるとは言い難い。
そして次に八重樫つばさ嬢が思い浮かんだが、無論却下である。
彼女の性格ならば希望の何倍もの重さの要求をしてくることは火を見るよりも明白だった。
そして、最後に出たのは結城はるか。しかし、彼女にそんなことを頼むと説教フルコースの上に
放課後どんな仕事を要求されるのか分かったものでもないのだ。
よって、ここで希望に見せてもらえなければ終わりだと、舞人は認識した。そして、とうとう心が折れた。

「可愛くて高貴で知的でみんなの心のオアシスである星崎希望様、
 どうかこの哀れで惨めでどうしようもない私めに数学のプリントをお貸しください・・・」

悔しそうな顔で懇願する舞人に舞人に満足したのか、希望は満面の笑みを浮かべた。

「え〜、もう!そこまで言われちゃ仕方がないなあ。はい、どうぞ」

希望にプリントを借り、舞人はよろよろと自分の席に向かい、席に突っ伏した。
その様子を一部始終見てたのか、いつの間にか来ていた親友、相良山彦は呟くように言った。

「なあ・・・お前、星崎さんの下僕宣言してたのか?」

「ええ・・・そうですとも・・・私めは桜坂プリンセスの犬です・・・」

宿題は何とか写すことが出来たが、人間として何かを失ったと感じずにはいられない、
舞人はそんな思いでいっぱいだった。












5月24日(金)


responsibility





五月も終わりごろだと言うのに図書館内の空気は乾ききっていた。
そう、まさにひび割れでも入ってしまいそうな程にだ。
図書館内にいるのは文芸部員のみ。今の時間帯は放課後だが、この時間は一般の生徒にも開放されている時間だ。
だから文芸部員しかいないというのはとてつもなくおかしいことになる。
かくいう文芸部員達の様子もおかしい。一人の女生徒を除き、他の部員達は椅子に座り、
図書館の大きな机を挟んで皆顔を揃えて俯いてしまっている。そう、なるべく一人立っている彼女と視線を合わせないように。
そして図書館内の状況。あちこちの床に何故か本が無造作に散らばっているという始末。
全く事情を知らぬ人が見れば地震でもあったのかと思えるような惨状である。
そんな中で無表情、否、爆発しそうなまでの感情を堪えている一人の女性徒が腕を組んでスタンディングしている。
それは本当に不安定そのものの空間だ。
もうお気づきの方が大部分かもしれないが、この図書館の乾いた、ひび割れそうなほど張り詰めた空気の原因は
間違いなく彼女である。――彼女の満ち溢れんばかりの怒りによったオーラで・・・

「・・・・で、原因は何よ・・・返答次第によっちゃ生きて帰ることが出来ると思わないことね・・・桜井」

その女性――結城はるかの凍りつくような一声にその場の全員が視線だけを舞人へと向ける。
同情、哀れみ、その類の感情を込めた視線を。

「なっ!!なんで俺なんだよ!!?ちょって待て!何もしてない善良な一般市民を疑ってかかるってのはどうかと・・・」

「(ほら!やっぱりさくっち先輩が謝らないことには何も解決しないんですよ!
 今ならまだきっとはる先輩も八割殺しぐらいで勘弁してくれますって!)」

「(えっと・・・その、悪いのは桜井先輩だけじゃないと思うんだけど・・・)」

「(香奈!こういうときはさくっち先輩に全部責任を押し付けて後で
 『桜井先輩、ごめんなさい・・・えううう』って感じで泣いて謝るふりをすればいいんだってば!)」

「(遠野・・・お前終いには本気で業務用電子レンジで殴るぞ・・・)」

「(センパイセンパイ・・・あの・・・結城先輩もう既に限界点超えそうって感じなんですけど・・・
 何とかしないと本当にやばそうですよ?)」

「(馬鹿!そういうのは長原に任せとけばいいんだよ!
 俺が結城に話しかけたところで火に油を注ぐようなもんだろうが!という訳で行け、長原)」

「(えええ!?む、無茶言わないでよお〜・・・怒ったはるかは数時間は止まらないんだよ・・・うう)」

「(ま、舞人さ〜ん・・・・すごく結城先輩怖いですよ・・・な、泣きそうなんですけど私・・・)」

「(駄目だかぐらちゃん!人生は長いんだ!こんなことで挫けちゃ君の人生は
 これから先ずっと辛いものになってしまうよ!?耐えろ、耐え抜くんだ!
 これからの人生の荒波に比べたら目の前の眼鏡をかけた鬼なんて大したことはないんだから・・・)」

「誰が眼鏡をかけた鬼だーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

怒りが頂点に達したはるかの叫び声は図書館を突き抜け、グラウンドのサッカー部まで届いたというのは後日談。
当のはるかはと言うと叫び終えた後でさえ拳を握り、ワナワナと震えている。まさに暴発寸前といったところだろうか。

「は、はる先輩ストップ!!暴力はほら!よろしくないっていうか
 言葉による平和的解決をわが国は望む所存でありますっていいますか・・・」

「そ、そうだよ〜!今のは確かに桜井君が悪いけど、
 多分、あんまり、桜井君も悪気はないんじゃないかなあ〜、と・・・あ、あははは」

「とにかくっ!!まずはこの惨状になった理由を詳しくかつ丁寧に誰か教えなさい!」

「えっとですね・・・だから原因はどう考えてもさくっち先輩だと・・・」

「遠野・・・貴様まだ言うか・・・お前にはワンフォーオール、オールフォーワンの精神がないのか?
 嘆かわしい!草葉の陰でお前の爺さんも泣いてるっての!」

「さくっち先輩が一人犠牲になれば正しく一人は皆のためにじゃないですか!
 それにうちのお爺ちゃんは二人ともまだ生きてるんですけど」

「馬鹿者!そこは先輩である俺の顔を立てて嘘でも死んでるって設定にしろっつーの!
 むしろ今私の祖父は天国という名の圏外に出ており、電話に出ることが出来ませんくらいの芸を見せろ!」

「(さ、桜井君って時々言ってること凄い無茶苦茶だよね・・・)」

「(それがセンパイですからね〜・・・
 むしろああじゃないセンパイはセンパイじゃないってレベルの無茶苦茶人間ですからね〜・・・)」

「(そ、そうなの雪村さん?)」

「(そうだよ平塚さん。センパイはね、小さい頃からあんな風だったしセンパイのお母さん自体が凄い人なの)」

「ゆ〜き〜む〜ら〜!お前は何さりげなく身内の恥を晒してんだ〜!!」

「痛い痛い痛い!!ごめんなさいごめんなさい〜!もうしませんからその手を離して下さい〜!!」

「うっわ・・・女の子に手を出すなんて最低ですね・・・この学園でさくっち先輩がモテない訳ですね〜」

「や、やかましい!!貴様の今の一言で桜坂の無縁仏とまで言われたほどの温厚な俺も限界にきてしまったようだ・・・
 貴様には今から吉田○ロのギャグ百連発をビデオで夜通し見るよりも辛い地獄があることを教えてやる!!」

「(舞人さんは女の子に暴力的なのでこの学園内ではもてない・・・メモメモ)」

「(か、かぐらちゃん何か間違ってる気がすると思うよ・・・あ、あはははは・・・)」

「(吉田○ロ私は意外と好きなんだけどなあ・・・)」

「(こ、小町ちゃんも何か間違ってる気がすると思うよ・・・)」

「ええい、うるさーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!!!!!!!
 結局は誰が悪いのよ!!?なつき!!」

二度目の咆哮が学校のグラウンドを飛び越え、学校の近隣の主婦の方々にまで届いたこともまた後日談。
はるかは苛立たしげに机の上でさも当然のように居眠りをしていたなつきを起こす。
はるかがこういう場面でなつきに聞くのは今にはじまったことではない。
なつきは何時も寝てたりボーっとしているときが殆どで、裏を返せば常に絶対的第三者の立場に視点を置いているからだ。
突然起こされて小さな欠伸を一つしたところでなつきはさも当然のように口を開いた。

「桜井先輩と智里。二人で図書室内を走り回って暴れてました。その最中に本棚に何度も二人がぶつかってました」

「な・・・・」

「あう・・・・」

なつきの口から放たれた死刑執行の言葉に舞人と智里は思いっきり顔を青ざめた。
まるでこれからの自分達の運命を悟りきってしまったかのように。
彼女の言葉に満足したのか、はるかの表情は先ほどとは打って変わってとても爽やかな笑顔になっていた。
ただ、その笑顔を見て部員全員の背筋に何か冷たいものが走ったのは言うまでも無い。

「ん。じゃあアンタ達は今から私とちょーーーっとお話があるからこっちに来なさい。
 残りの人は悪いんだけど散らばった本元に戻してくれる?
 この二人絞ったら私もすぐに手伝うから。もしかしたら少ーーーしばかり話が長引くかもしれないけどね」

「いだだだだだだだだだ!!!!!耳!!耳いいい!!!
 結城落ち着け!!離せば、いや、話せば分かる!!ああああだだだだ!!!」

「うああああああん!!!!なつきの裏切り者おおおおおおおおおお!!!!!
 あんた寝てたのに何で知ってるのよ〜〜〜〜!!!!!」

はるかは笑顔のままで部員達に指示を送り、舞人の耳、智里の制服の襟を掴んで
図書室の奥へと二人を引きずっていく。二人の無意味な抵抗と一緒に。
二人を見送る部員達一同はさながら戦地へ肉親を送る人のような気分だった。
いや、唯一人未だ机の上で睡眠を貪っている少女を除いては。
この後二人が解放されたのは部活終了時間ぎりぎりになってからで舞人の両頬が赤くはれ上がっていたことと、
智里が泣きながら何度も小さく『ごめんなさい』と呟いていたという。











5月28日(火)


想いと想いの協奏曲






夜の桜荘の一室――その部屋の主、桜井舞人は
普段はほとんど向き合ったことの無い自分の部屋の机とただ無言で対峙していた。
そう、もうすぐテストが近いためいくら勉強嫌いの舞人とは言え、
自分の欲望を抑えて勤勉に励まなくてはならないのだ。受験生ということもあり、
尚更悪い点は取れないという理由もあるが。
だが舞人は今、大変困った状態にある。今日から勉強すると勇んだのはいい、
学校にいつもは置いている教科書類を持ち帰ったのもいい。だが・・・

「肝心の筆箱を忘れるってのも如何なるものか・・・」

誰も答えてくれないことを分かった上で舞人は一人呟く。
そう、彼は肝心要の筆記用具を全て学校に置いてきてしまったのだ。
終わったことは仕方が無い、今日は寝ようと割り切るのがいつもの彼なのだが今年からはそうもいかない。
これからのテストは彼の進路、ひいては未来に大きく関わる大事なものだからだ。
今回だけは点数を少しでも多く取っておくこと、引いては努力することが大事なのだと彼自身理解しているのだ。
もっとも、そういう考えを持つに至ったのはおせっかいな友人達から散々そのことを叩き込まれたせいなのだけれど。

「去年までならこういうときは青葉ちゃんに迷わず借りに行ってたんだけどな・・・」

舞人は思いを玄関の向こう、今は空き部屋となっている隣人の部屋へと向ける。
舞人をお兄ちゃんと慕ってくれていたあどけなさが残る少女へ。
彼女――森青葉は今年の一月頃、親の再婚という理由で引越しをした。
それは本人から引越しの際に直接別れの言葉も聞いたし、突然いなくなるというものではなかった。
しかし彼女とはまた会えるだろうと舞人は思い込んでいた。その理由が彼女の親友、芹沢かぐらから
『二人揃って桜学を受験する』と笑顔で一度聞かされたことがあったからかもしれない。
桜学のレベルは高いため、二人一緒に入学は難しいかもしれない。
けれど舞人は二人とは合否に関わらずまた会えると、何故かそう信じて疑わなかったのだ。

そしてその時以来二人のことを耳にすることはなかった。――文芸部の新入生オリエンテーションでかぐらと再会するまで。
その数日後にかぐらから聞かされた事実。青葉が桜学を受験せずに地元の高校へ進学したこと。
その理由は聞かされていないこと。舞人にとっては驚きを隠せない内容だった。
受験をして落ちた、ではなく受験をしなかった、ということの裏に何があるのか。
青葉の事情等をかぐらちゃんに聞いてみたものの分からないとのことだった。
その時見せたかぐらの寂しそうな表情は今もなお舞人の目に焼きついている。
それがあまりにも『かぐらちゃんらしくない表情』だったから。

数分の間、舞人はぼんやりとそんなことを考えていたが、
このままボーっとしていても拉致があかないという結論を出し、玄関へと向かった。

「あんまりこの手は使いたくなかったんだが・・・仕方ないか」

溜息をつきながら舞人は目的の場所へと向かうことにした。
その場所はこの部屋の真上。そう、彼の『幼馴染』の部屋へと。


















ふと舞人は思うときがある。気づけば女に流されている世の中の男達の情けなさについて。
無論全ての男がそうとは思わない。だが、やはり男とは女に弱いもの。
ふとした瞬間気づけば振り回されているということだってよくあることだろう。
舞人はそんな男を是としない。男たるもの女を引っ張ってこそという信念も高らかに宣言したことさえある。
だから舞人はそんな男達を情けないとさえ思うのだ。

「センパイさっきからどうしたんですか?
 そんな遠い目をされましても私としましてはリアクション能力を問われてるのかと冷や冷やものなんですけど」

「ああ・・・己の信念さえ貫けぬ脆弱な天使を哀れんでいたところだ・・・気にするな」

テーブルを挟んで向かい側に座っている少女――雪村小町の不思議そうな顔を見て、
舞人は自分の不甲斐なさに目じりをそっと拭った。
二人が何故テーブルを挟んで向かい合って座っているのか。それはさかのぼる事十数分くらいだろうか。
筆記用具を夜遅くに借りに小町の部屋まで行った舞人を
意外(小町のことを考えれば以外でも何でもないが)にも小町が喜んで貸してくれたのだ。
ただ、話はそれだけでは終わらなかった。即座に借りて部屋に戻ろうと舞人は考えていたが、
小町が笑顔で『一緒に勉強したほうが互いに集中出来てきっと効率がいいと思いますよ〜!』と提案してきたのだ。
これには舞人も驚いたのだが、その提案を拒否した。舞人が断った理由は色々とあるが、
やはり一番はこんな夜に男女二人っきりになるというのが舞人には重すぎた。
そんな状況だときっと舞人の脳裏にあのことが浮かぶだろう。舞人の最愛の人と自分の部屋で過ごした、
あの最後の瞬間を。あの悲しみを。だが、彼自身はこの理由が大きいのだとは気づいていないだろうが。
無意識下での呪縛。彼を未だ苦しめ続けている純粋なまでの想いが小町の提案を是非としなかった。いや、出来なかった。
けれど、それは通らなかった。いつもの小町のマシンガントークに気づけば流されていて、
結局は舞人の部屋で深夜にはならないように勉強することとなった。
ただ、舞人はそれほど嫌な気持ちにはならなかった。先ほどは小町の言葉を拒絶したのにもかかわらず、
今の状況は先ほど舞人が拒んだ状況にもかかわらず、だ。

(自分の行動が訳わからないってのも変だよな・・・)

舞人は自分の気持ちが分からないままに、勉強を再開することにした。
小町ははあ、と取りとめもない返事をして勉強に戻る。
二人は学年が違うため、分からないところを教えあうということは出来ない(舞人から小町に教えることは出来るだろうが
彼はそこまで成績が良いわけではない)が、互いに勉強してるということで集中できる空間にはなっていた。
小町一人ではともかく、舞人一人ではこの状況は生み出せなかっただろう。
その点に関してはこの勉強会は成功だと言わざるを得ない。
数分お互い無言で手を動かし続けたとき、小町の手がふと止まったことに舞人は気づく。
顔を上げると彼女は真剣な顔をして舞人のほうを見つめていた。

「・・・・どうかしたのか?」

「あ、い、いえ・・・何でも・・・」

舞人の質問を遮る様に小町は慌てて視線を自分のノートの方へと下げる。
言葉とは裏腹に何も無いという様子ではないのは鈍感で名高い舞人ですら分かるほどだ。
また、このやり取りも今始まった訳ではない。舞人の部屋に来て数回はこの繰り返しを行っている。
いい加減気になってきたのか舞人もわざとらしく溜息をつく。

「馬鹿、それが何でもない顔か。さっきから言いたいことがあるならこの絶世の美男子、高貴なる人間、
 全てのタイトルを総なめしたスーパースターこと桜井ダンシングヒューマンに遠慮なく言いなさい。
 ただし俺を誹る言葉や金を貸せ等の暴言なんて吐いたら三秒で業務用洗濯機で殴られると思え」

「・・・・私が部屋に入っても・・・怒らないんですね・・・センパイ」

彼の言葉になかなか小町が反応しなかったので舞人は一瞬滑ったか、と全く方向違いのことを考えた時、
彼女がそっと口を開いた。余りに小さくてよほど注意してないと聞き損ねるほどの声で。
その内容は彼としては予想外以前に毛頭考えてもいなかった内容だった。
それは彼の知っている彼女からは考えられないような言葉。

「ばっ!!馬鹿者!!お前何をイキナリ訳の分からんことを!
 大体俺の部屋で勉強させろって言ったのおまえだっつーの!」

「で、でも・・・」

少し声を荒げる舞人をよそに、小町はますます声を小さくして異を唱える。
彼女の態度は本当にいつもの彼女からは考えられないものだった。
舞人は気づいていないだろう。彼女――雪村小町にとって『舞人の部屋に来ている』ということがどれだけ重いことかを。
彼と桜坂で再会し、同じように彼の部屋に来たときに彼の口から放たれた言葉を。
だからこそ今日舞人が小町の部屋を訪ねてきてくれたとき、彼女は本当に嬉しかった。
それは、桜坂で『舞人が初めて小町を訪ねてきた』から。その為に彼女は喜びのあまり彼のあの言葉を忘れてしまっていたのだ。



『いい加減、鬱陶しいぞ雪村・・・・・・間違ってもこことか学園で俺の周りをうろつくなよ』



「あー、もうやかましい!俺が良いって言ったら良いんだよ!!
 そんな小さいことでいちいち怒ってると俺はストレスが溜まり過ぎて二十歳になる前に大往生だろーが!!」

「は、はい・・・」

ずっと押し黙ってる彼女の様子に限界がきたのか、テーブルをバンバンと叩いて舞人は小町を無理やり納得させる。
沈黙が続くことが舞人は嫌だったし、何より小町の暗い顔という普段からのギャップを見るのが嫌だった。
その彼女の表情は何故か――何故か『あの人』の悲しい表情を連想させるから。

「大体お前さ、毎朝部屋には起こしに来てるじゃないか。
 それが良くて部屋に入るのが駄目って俺どんな人間だよオイ。別にそこまで怒る理由もないだろ。
 あ、いや、待てよ!いつでも部屋に来ていいっていってんじゃないぞ!
 用事があるときはお互い腐れ縁という名の繋がりを活かして相互扶助っていうか俺を助けろってことだ。
 詳しく言うならまず第一に今すぐ俺にお前の筆箱を貸しなさい。第二に自分の部屋に戻りなさい。
 そして明日の為に早く寝なさい。まあそんな感じか?」

「わ〜、さりげなく筆箱だけ渡してさっさと自分の部屋に戻って寝ろって言ってる〜。カッコいい〜。
 でも一区切りするまでは帰りませんけどね!私ももう二年生ですから勉強しないと駄目ですからね!
 それに文芸部っていう文化部に入ってるからには少しでも成績良い方が『やっぱり文化部!』って思われると思いませんか?」

「それは大丈夫だと思うぞ。現に遠野は絶対勉強してない筈だ。
 むしろあいつが多分文芸部の二年の質を一人で下げてるようなものだからな」

『それ本人に言っちゃ駄目ですよセンパイ』と笑顔で言葉を返す小町を見て、舞人はほっと内心で一息をついた。
いつもの彼女に戻った、と。
そしてふと、気になったことを口にすることにした。それは聞くにしては遅すぎるかもしれない日常と化していたこと。

「そういや雪村は何で俺を起こしに来るようになったんだ?
 そりゃ俺としては助か・・・いや、ありがた迷惑だっていうかそんな感じだが、ほら、お前去年はそんなことなかっただろ?」

そうですねー、と頬に手を当てて考える仕草を見せ、小町は柔らかい、そして少し儚げな笑顔を浮かべた。

「・・・約束しましたから。とても大事な約束」

そう言った小町が誰との約束のことを言っているのか舞人は分からなかったし、聞くことも出来なかった。
それは何故か、聞いてはいけないことのような気がして。
それから日付が変わる前に小町は部屋へと戻っていった。小町と二人でいた時間に、
『あの人』――里見こだまへの過去の想いという名の呪縛が彼を苦しめることがなかったことに
彼は最後まで気づかなかったが。














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