人気も少なくなり、夕日で赤く染め上げられたプロムナードの風景は余りに綺麗で――。
私は最後の時が来るまでその場所をずっと見つめ続けていた。
最愛の彼――舞人君との最後の繋がりを胸に抱きしめて。






Days








それはまるで手のひらから零れ落ちる砂のように。
それはまるで雨の日の後の水溜りが人知れず乾いていくように。

忘れていくことが『当たり前』となる自分自身が怖かった。ただ、怖かった。
他の記憶は一切関係なく、ただ彼との思い出だけを忘れてしまっている事実だけが悲しかった。
彼と共に過ごした時間さえ思い出せなくなり、そんな事実が悲しくて何度も何度も泣いた。
ただ、そんなコトですらもう私は感じることが出来ないのだろうか。


――限界だったのだ。今日図書館での出来事が私が自分で最後の時を悟った瞬間だった。
舞人君に声をかけられても私は彼のことを『恋人』として認識することが出来なかった。
舞人君のことを『桜井君』と呼んでいた自分。まるで出会ったばかりの頃のような、少し間を置いた距離での会話。
舞人君が図書室を出て行き、ひかりに理由を問い詰められたことでようやくその異変に気付けた自分。
その途端、私が舞人君のことを桜井君と呼んだ時の表情がフラッシュバックした。
あの表情の舞人君は本当にツライときの舞人君で、彼を傷つけたのは自分自身で。


――告白しよう。私は残酷で卑怯な人間だ。
この結果は最初から分かっていたことだったのに。いつの日か舞人君を傷つける日が来ると。
記憶が零れ落ち始めた日から・・・いや、いつの日かすら忘れたけれど、『二人が離れ離れになってしまうような、
そんな嫌な予感』がしたときから分かっていた。
本当はあの時に舞人君にお別れを言えば良かったのかもしれない。そうすればこんな風に彼を傷つけることはなかっただろうから。
けれど、私は逃げた。舞人君を傷つける結果が分かっていたのに、私は付き合い続ける道を選んでしまった。彼にお別れを言うなんて嫌だったから。
彼のことが好きなのに、愛しているのに、どうしてお別れをしなければいけないのか、と自分を正当化して。誤魔化して。そして結果、彼を傷つけ続けた。
私なんかじゃこの恋物語のヒロインは務まる筈もなかったのだ。
恋とは程遠い脇役がヒロインになんかなったりするからこんなことになったのかもしれないなと思わず嘲笑する。
だから、役を履き違えた脇役は逃げ続けた最後の務めを果たして舞台を後にしよう。
これ以上、あんな最愛の人の悲しむ顔を見たくないから――。


「や・・・やだ、よ・・・・やっぱり・・・そんなのは・・・やだよ・・・」


気付けば私は泣いていた。涙が頬を伝っている感覚すらワカラナイ程に意識は思考の渦へと入り込んでいたのか。
思考とは裏腹に口に出したのはハッキリとした本音。舞人君のことをこのまま忘れていくなんて嫌だという想い。
神様はイジワルだ。好きな人のことを心に留めることすらも私には許してくれないのか。
ただ私は舞人君を傷つけることだけしか許されないのか。

嗚咽。ただ只管に自身の嗚咽が止まらない。
泣けるのに。こんなに舞人君のことで泣けるのに私は舞人君と一緒に過ごした記憶が無い。私と彼との大切な思い出。
もはや何故自身が泣いているのかすら理由が分からない。
舞人君との恋人として過ごした記憶が無くなっているのにどうして彼のことで泣けるのだろうか。
好きだという想いはここに。されどそれを理由付ける思い出は彼方に。今の自分はハッキリ言って矛盾だ。
どうして彼のことが好きなのか、好きになったのか――そんな簡単なことですら思い出せない。


――でも。思い出は無いけど一つだけ分かることがある。舞人君と一緒にいられて私は本当に幸せだったということ。
彼との思い出は何一つ残ってないけれど、けれど私の胸の中には彼との時間の温もりが残っている。
きっと私は彼のおかげでずっと笑っていられたのだろう。
思い出はなくとも、心に残っているこの想いは確かなものだから。
私は本当に舞人君のことが好きだったという想いは絶対に変わらない事実だから。

だからもう、我侭はこれまでにして。
センパイとして、お姉さんとして、舞人君に笑顔でお別れしよう。


「考えはまとまったかしら?」


刹那。私の背後から聞きなれた声が私の耳を刺す。
その声の主を私が間違える筈が無い。そう、それは私が長年共に過ごした幼馴染の声。

「やだな、ひかり・・・いつからいたの?」

私は振り向きながらその相手――結城ひかりの方に苦笑いを浮かべた。
もしかしたら先ほどの情けない泣き顔を見られてしまったかもしれない。
そんな危惧を抱く私を他所にひかりは溜息をつきながら私のほうを見つめなおす。

「アンタが泣き始めた辺りからかしら。
 まあ、アンタの泣き顔なんて小さい頃から飽きるほど見てるから今更別に何も言やしないわよ。
 ・・・それで、今日部活を早退したアンタが私をここに呼んだ理由は何かしら」

私と同じ制服姿のひかりを見るに、部活が終わった後にそのまま直接この場所に来てくれたのだろう。
ひかりの言う通り、私は舞人君を傷つけてしまった後、部活を早退していた。
あの場所にあのままいることなど出来はしなかった。
彼女を呼んだ理由はただ一つ。ひかりに私の『最後の本当の気持ち』を知っておいて欲しかったから。

「・・・ここね、舞人君が私に告白してくれた場所なんだ。だから、最後に見ておきたくて」

最後、という言葉にひかりの表情が見るからに険しくなる。
とは言ってもずっと長年一緒にいた私だから分かるくらいの変化なのだけれど。

「最後って・・・こだま、アンタまさか桜井と別れる気?」

「うん・・・そう、なっちゃう・・・のかな・・・あはは、ごめんねひかり。何か急な話で・・・」

「・・・アンタ一体どうしたのよ?今日の図書室の件といい、今といい、桜井と何かあったわけ?
 理由を聞かせてもらえないとこれじゃ桜井があんまりなんじゃない?」

ひかりの声が少し荒くなる。確かにいきなりこんな話をされたらそう思うのも仕方ないと思う。
だけど、ひかりはもう私がどんな状態なのかを気付いてるのではないかと何故か勝手ながら感じてしまう。
彼女はそんな娘だから。

「・・・もう、本当は薄々とは分かってるんでしょ?
 ひかりは人のことに全然関心がないようで、実は誰よりも他人のこと見てるからね。
 私、変なんだよ・・・私の中で舞人君と一緒に過ごした記憶だけがどんどん無くなってるの。
 この場所だっておぼろげに告白してくれた場所だとしか思い出せないんだよ・・・」

「・・・桜井との記憶『だけ』?」

「うん・・・実はね、もう舞人君の顔も思い出せないんだよ。
 好きだって気持ちだって今日図書館であのコトがあって何とか『思い出せた』状態なんだ・・・」

私の言葉一句一句を頭の中で咀嚼するようにひかりは考え込む様子を見せる。
けれど、こんなことは信じてもらえないだろう。普通の人は元よりリアリストな彼女がこんな空想物語染みたことを信じるはずが無い。

「・・・にわかには信じられないわよ、そんな話。
 アンタの言うことだから信じたいんだけど、でも余りに現実離れし過ぎてるわよ・・・」

「しょうがないよ。ひかりはリアリストだもん。だから、ね?
 今日は友達の下らない与太話に付き合う感じで私の話を聞いて欲しいんだ」

予想通りの彼女の言葉に苦笑しつつ、私は彼女に何とか話を聞いてもらえるように会話を向けた。
そう、自分がしなければいけないこと、言わなければいけないことを残すために。
――例えそれがどれだけ本心から離れていたとしても。

「きっと・・・きっとまた明日になると舞人君のことが好きだって気持ちも全部忘れてると思うから・・・
 だから、もしそうなっちゃったら・・・舞人君のこと、文芸部のみんなで支えてあげて欲しいんだ・・・
 舞人君は凄く傷ついてるから、だから・・・」

言葉を終える前に私の身体は何かに引っ張られる感覚に襲われる。何
だろう、と考えるまでも無い。私の目の前には彼女しか、ひかりしかいないのだ。
話をしていた私の胸倉を掴み、ひかりは無理矢理私を引き寄せた。彼女は怒っている。
今までに数度しか見たこと無い彼女の本当の怒った顔。その矛先が生まれて初めて私に向けられたのだ。

「あんたねっ!!それってあんまりだって思わないの!?
 もし仮にその話が本当だとしたらアンタは桜井を傷つけるだけ傷つけて
 自分は全て忘れて楽になるって言ってるのと同義よ!?」

ひかりの言葉が心に突き刺さる。一字一句違わずそれが正しい意見だから。
けれど、頭にくる。私だってそんなことしたくない。私だって別れたくない。
けどこのままじゃ舞人君をずっと傷つけるだけ。それが分かってるからこそ私は決断したと言うのに。
なのに勝手なことばっかりひかりは言ってくる。酷いと思う。楽になれるわけないのに。
舞人君のことを傷つけて私が楽になれるわけないのに。

「だってしょうがないじゃない!!私だって嫌だよ!!忘れたくないよ!!
 舞人君のこと大好きだもん!!離れたくないよ!!
 けどっ・・・けどっ・・・駄目なんだよ・・・
 私がこんな状態のままで舞人君と一緒にいてもずっと傷つけるってことも・・・分かってるんだよ・・・
 でも、別れたことにすれば痛みは少しの間だけだから・・・だから・・・
 駄目だったら私は舞人君にお別れを言わなきゃ駄目なんだよ・・・」

――気付けば私はひかりに向かって叫んでいた。
本音と言う濁流に嘘で塗り固められた堤防が押し壊されてしまったかのように。
こんなに声を荒げたのは小さい頃以来だと自分でも思う。それくらい私は大声で叫んでいた。
夕刻時ということもあり、人が回りにいなかったのがせめてもの幸いだろうか。
そんな私を見て、ひかりは私の胸倉を掴んでいた手の力をそっと緩める。表情もいつの間にか呆れ顔へと戻っている。

「あんたって娘は・・・ったく、どうやらそれは本当に本当の話みたいね・・・
 ・・・桜井のことを文芸部で支えてあげるってのはOK出してあげる。けど、桜井に別れを言うっていうのは絶対に許さない」

「ひかり・・・」

「もし仮に桜井のことを明日全てを忘れちゃったとしても、アンタは諦めちゃ駄目よ。桜井のことを。
 いつの日か桜井のことを思い出せる日が来るかもしれないわ。
 だから、アンタが桜井に別れを言いに行くのだけは絶対に認めない。力づくでも止めさせてもらうわ」

言い終えたひかりの目は本気だった。
もし私が今すぐ舞人君の下へ別れを告げに行こうとするならば彼女は本気で止めるだろう。
ひかりの言うことは私にとってとても魅力的な意見だ。――だけど、あまりにそれは希望的観測過ぎる意見でもある。
あまりに可能性の少ないと思える意見。
そして何より、私が記憶を全て思い出すまで舞人君を傷つけ続けるという余りに残酷な意見でもある。

「でも・・・それじゃ舞人君が・・・」

反論しようとする私の口元にひかりの指が触れる。まるで親が何も分かってない子供を躾けるかのような仕草。

「馬鹿ね。アイツは今アンタに別れ話される方が傷つくわよ。
 それも致命傷のね。アンタがもし桜井の立場だったらどう、ってのを前提に考えなさい。
 好きなんでしょ?アイツのことが。嫌なんでしょ?離れたくないんでしょ?
 だったら自分から捨てるなんて馬鹿なこと言わないの。そして意地でもあの馬鹿のこと思い出してあげること。
 それが今桜井のためにアンタが出来ること・・・しなきゃいけないことよ」

――ひかりは卑怯だ。どんなにつらいときでもいつだって私の欲しかった言葉をくれる。
――ひかりはイジワルだ。私がどれだけ試行錯誤して決断した意見が馬鹿みたいに感じるような意見をくれる。
いいのだろうか。ひかりの言葉を信じても。
私はまだ――舞人君のことを好きでいてもいいのだろうか。こんな私を舞人君は許してくれるのだろうか。
そんな私の考えを見抜いたのか、ひかりは優しく笑いながら私の手を握ってくれた。
私達が小さい頃、私が泣いてたときに彼女がよくこうやって不安を取り除いてくれたように――

「それに、アンタの帰る場所はアイツの胸の中でしょ?
 だったら今は私に騙されなさい。私の考え方が桜井の考え方だって」

彼女の言葉にとうとう私の感情の堤防は決壊してしまった。途端に涙が溢れ出した。
嬉しかった。舞人君のことを好きでいていいんだと言われたことが。
嬉しかった。舞人君のことを自分から諦めるなと言われたことが。
私は馬鹿だ。勝手に自分で決め付け、勝手に考え込み、自分で大切なものを全て自分から捨てようとした。
それさえも自分で気付けなかった。
私のしなくちゃいけないことは思い出すこと。きっといつの日か舞人君のことを思い出すこと。
それだったのにそのことも分からなかった。
路上で嗚咽を漏らす私を見てひかりは苦笑しながらハンカチで涙を拭いてくれる。
他の人が見れは私たちは姉妹のように見えるのかもしれない。

「ほらほら、折角さっき泣き止んだばっかでしょうが。その涙は桜井のことを全て思い出せた時にとっておきなさい」

「そうだね・・・うん、ありがとう、ひかり・・・」

涙が収まり、落ち着いたところでひかりに私はお礼を言う。彼女が親友で本当に私は幸せ者だと思う。
彼女がいなければ大切なものを全てを自分で捨ててしまったのだろう。

「別に礼を言われてもしょうがないわよ。
 けど・・・先に言っておくけど、もしアンタが思い出す前にアイツに好きな人が出来ても私は何も言わないからね。
 それが嫌だったら死ぬ気で早く思い出しなさい」

悪魔的な笑みを浮かべて激を飛ばすひかりに私は思わず苦笑する。
ただ、その言葉にはとても温かみが含まれていた。彼女らしい、とても遠回りな優しさが。

「あはは・・・うん、分かったよひかり。
 私は諦めない。早く思い出して舞人君に謝って伝えたいことだってあるんだからね」

そう言って私はもう一度辺りの風景を見渡した。この場所は舞人君が私に告白してくれた場所。
どんな告白の内容だったのか、そんなことすら思い出せないけれど、だけど今の私にとって一番確かな繋がり。
私はきっと舞人君のことを忘れてしまうだろう。けれど、絶対に思い出してみせる。
例え何度忘れても何度だって思い出してみせる。
そして今度舞人君に再会するときには今日彼を傷つけてしまったことの謝罪と、
そのとき言った言葉の撤回を伝えたい。『――物語は絶対にハッピーエンドのほうがいい』って。
私の心からのこの本音がいつの日か彼に伝えられますように。
そしていつの日か再び舞人君に『大好き』の一言が伝えられますように。







 







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