それは舞い散る桜のように
~another story~



6月24日(月)


始まりの雨~長原朋絵~












放課後の教室は部活に行く人間、さっさと帰宅する人間、教室に残る人間等様々なタイプの人間に分かれるのだが、
今日の舞人は三番目の行動を選んでいた。
彼の机の前に級友の山彦、つばさ、希望といういつものメンバーを集めて
どこから持ってきたのかトランプゲーム(ポーカー)に興じていた。

「ふふん、ギャンブルと言う名の神に選ばれし才能に見放された凡庸なる諸君。
 友人としてキミタチに一つ忠告しておこうではないか。
 今の俺は誰にも止められないくらいの強さがありますよ?だから早くドロップした方がいいですよ?」

「お前さっきもそんなこと言って役無しだったじゃないか。それにお前嘘をつくとき口調が妙に敬語になるんだよな」

「そーそー。さくっちの手が弱いことくらいみんなお見通しだよ」

「や、まあ諦めて早く降参したら?今抜けるとペナルティー無しだよ」

「ば、馬鹿いうんじゃありませんっ!憶測でモノを言わないで下さい!!」

クラスメート達からの矢継ぎ早に突っ込まれ、思わず敬語になってしまう舞人だが、
全部事実なので強く否定は出来ない。
彼はこういうゲームにすぐ熱くなりやすい性格をしているのだが面白いほどに弱いことは
彼と親しい付き合いの友人なら誰もが知っていることだった。

「ちょっと桜井、話があるんだけど」

ドロップするかしないか迷っていた彼の真横に先ほどまでは教室にいなかった女子生徒――結城はるかが
話を聞けと言わんばかりの表情で彼を見つめていた。
視線で他のメンバーに『文芸部の用事。中断させて悪いわね、すぐ終わらせるから』という無言のメッセージを
即座に送る技巧は既に達人の領域だ。これも今年に入って何度もこういうやりとりがあったからこそ成せる業であろう。

「あ?お前の眼鏡は伊達眼鏡か。どこをどう見ても今俺は取り込み中だろうが。
 忙しいって顔に書いてあるだろうが。ったく、いつもいつも俺が忙しいときに呼び止めやがって。
 多忙なる身の俺様に直接話がしたいだなんて十年早い。そういうのはまず秘書に話を通してからにしてくれたまえ」

「机囲んでポーカーしてるあんたのドコが多忙な身なのよ!まあいいわ、ポーカーしながらでもいいから聞いて。
 今日は部活は急遽休みになったから」

分かった分かった、と舞人は勝負の方に気をとられているようではるかの話を話半分に聞いていた。
その様子を見てはるかは都合が良いとばかりににやりと悪笑を浮かべた。

「じゃあせーので手札オープンな。
 負けたら今度全員にクレープ奢るという厳しい罰ゲームのこの一戦、いざ尋常に勝負!!
 ・・・・J(ジャック)のワンペア」

「お、悪いな舞人。俺3のスリーカード」

「さくっちありがと~!6と9のツーペアだよ」

「じゃあ今度の日曜日にでも楽しみにしてるから。ちなみに私はAとK(キング)のフルハウス~」

「それであんた図書室に行って誰も部員いないかを確認してきて。それで部員がいたら今日は休みだって伝えること」

「な、何ですとーーーーー!!!!!!!!!!!!」

彼の叫びは勝負に対するものだったのか、はたまたはるかの一言に対するものだったのだろうか。
恐らく両者であるだろうが。
















「クレープが一つあたり500円オーバーと仮定して・・・それが三人分となると・・・神よ、今月俺に死ねと?」

今回の勝負の負けを思うと懐がとても寂しいことになることを自覚した舞人は
トボトボと図書室の方へと一人ふらつきながら歩いていた。
勝負に負けたときのことを考えずにクレープ賭けを提案した舞人は今更ながら後悔している彼だが、
後先、負けたときのことをを考えずに行動するところは彼らしいといえば彼らしい。

「大体今日部活が休みだってコト全員の携帯にメールで連絡したんだろ。
 だったら誰もいるはずが・・・・・・・・・・・・・・・・・いた」

図書館の扉を音を立てて開けた彼の目には一人図書館の奥の机で本を読んでる女子生徒――長原朋絵が映っていた。
彼女は舞人の存在に気付いたのか、本を本棚へと戻して嬉しそうな笑顔を浮かべてトコトコと舞人の元へ近づいてきた。

「桜井君こんにちわ~」

「こんにちわ~、ではない。何故貴様はここにいる。今日は部活が休みだって携帯にメールで回ってきただろうが」

あきれ果てたような表情を浮かべる舞人に、そうなの?と言わんばかりの顔で彼女は首をかしげた。

「私携帯は学園では見ないから全然知らなかったよ」

「ちょっと待て長原。お前授業中に携帯で暇潰したり休み時間にメールチェックとかしないのか?」

「しないよ~。だって私そもそも学園に携帯持ってきてないよ。
 校則で『携帯電話の学園内への持込は禁する』って書いてあったもの」

「馬鹿者、あんなの守ってる人間が損をするだけの形だけの規則だっつーの。
 現にお前の周りで携帯を学園に持ってきてない奴なんて誰もいないだろーが」

彼の一言にそんなことないよ~、と答えて少しだけ考える仕草を見せる。
自分の周りで携帯所持者で学園に持ってきてない人物を答えようとしているのだろう。
しかし、『そんなことはない』と答えたものの自分のほかに誰もいないことに気付き、
照れ隠しの笑みを浮かべて彼の方に再度視線を合わせる。

「そ、そういえばそうかもしれないね。ん~・・・あはは」

「笑って誤魔化すな天然素材。ったく、携帯のメアドとか友人から聞いたりするときお前どうしてんだよ・・・」

「えっと、こうやってメモ帳にアドレスを書かせてもらって・・・」

「あー、実践しなくていいから。そんな訳で今日は部活は休みなんだ。
 さっさと良い子はさっさとゴーホームだ。悪い子はコンビニに深夜まで入り浸れ」

「うん、そうするよ~。それじゃあ雨も降ってきたみたいだし私はお先に失礼するね。
 部活が休みだってこと教えてくれてありがとね~」

分かったからさっさと帰れという仕草を見せる舞人に朋絵は笑みを浮かべたままでそのまま図書室から出て行った。
そして自分も帰ろうとした舞人だったが、彼女の先ほどの台詞の中に自分の帰宅にとって
最大級の障害とも言える単語が出ていたことに気がつく。

「雨!?うおっ!!何時の間に!!!長原ストップ!!ちょっとお待ちなさい!!」

舞人は慌てて図書室の外の廊下にいた彼女を捕まえて、声を荒げた。
その様子を見て彼女は驚いた様子を浮かべている。それもまあ、当然なのだが。

「ど、どうしたの?桜井君」

「いや、えっと、何だ。たまにはこう、同じ学年同じ部活同じ空の下で帰るのも悪くないと思ってな」

「???もしかして一緒に帰ってくれるのかな?」

「うむ。要約するとそういう言葉になるな。
 私とて下賎の者とも触れ合っておかねば愚民どもに偏った政治と非難されてしまうのでな。
 何、俺とお前は甲子園を一緒に目指す約束したバッテリーだ。
 それに時々は友情という大切な繋がりを確認しておかないと将来きっと寂しい大人になってしまうよ?」

「あはは、そうだね。人と人の繋がりってとても大切なことだよね」

「そうとも。そしてその人と人の繋がりをしっかりと確認するために
 途中のコンビニまで俺を傘に入れてもらえるときっと将来イイことがあるぞ?」

「えっと・・・それを要約すると桜井君が傘を忘れちゃったってことでいいのかな」

「うぐっ・・・ま、まあ、そうとも言わないこともないな」

図星を突かれた舞人を見て、自分の言ったことが当たっていたことが嬉しいのか、凄く嬉しそうな笑顔を彼女は浮かべた。

「それならそうと早く言ってくれれば良かったのに。
 勿論いいよ~。今日は部活のこと教えてもらったし日ごろからお世話になってるしね」

「・・・長原、お前イイ奴だよな。その街中のキャッチに絶対騙されそうな優しさは
 将来きっと大切なものになるから大事にするんだぞ?」

「褒められてるのか貶されてるのか全然分かんないよ~・・・」

勿論褒め言葉だぞ、という彼のフォローになってないフォローを受け、
彼女はう~ん、と困ったような表情を浮かべていた。

















「それでね、はるかったら酷いんだよ~。この前一緒にショッピングに行った時も
 私に『行動が相変わらず鈍い』とか言うんだよ~・・・」

雨の中、朋絵の傘に入れてもらっていた舞人(傘は身長の問題で勿論舞人が持っていたが)は
とても不思議な感覚に捕らわれていた。
彼女――長原朋絵と寄り添う距離にいて胸の高鳴りを感じてしまっていたのだ。
彼女は異性だとは当然分かっていた。だが、こんな状態になるのは今日が初めてだった。
彼の目の前で彼女は表情をころころと面白いように変えていく。笑ったり怒ったり悲しんだり喜んだり、
普段のぼーっとしている様子とはまた違った近くで彼女のことを見つめていないと見ることが出来ない一面だった。
彼女は確かに舞人にとって、とても話しやすい女の子だろう。話の聞き上手で、
しかも話の一つ一つにちゃんと反応してくれている。そして彼女自身は大真面目なのだ。
この感覚を彼は知っている。彼はこの感覚を覚えている。だがそれははっきりと意識に出さない。
出してしまうと深い檻に囚われてしまうから。それは自分で感じていること。
けれど、彼には分かっていた。彼女への感情はこれではまるで・・・

「?桜井君どうしたの?」

ぼんやりとした舞人の様子に気付いたのか、彼女は彼を下から覗き込むような形で彼へと尋ね掛ける。
彼女の言葉に意識をはっきりとさせた舞人は、同時に彼女との距離が更に近い距離へと縮まっていることに気がついた。

「あ、いや、何でもない。しかし俺もその場にいたらきっと同じことを言うと思うぞ。
 結城と同じ意見と言うのが気に食わないが」

顔が赤くなるのを誤魔化すように彼女へ皮肉交じりの冗談を言って顔を上げる。
何て子供じみている。彼は心の中で己にそう毒づいていた。

「ひ・・・酷いよ桜井君・・・もう桜井君なんか傘に入れてあげないもん」

「まあ残念なことにお前の傘は今俺の手にあるわけだが」

「うう~・・・イジワルだよ桜井君・・・」

しゅんとした表情を朋絵は浮かべ、『いいよ、いいよ』と子供のように舞人の傍で拗ねていた。
そんな彼女の様子に舞人は苦笑を浮かべながらも相変わらず不思議な感覚を感じていた。
そして舞人は不意に自分の口から発した言葉に自分で驚くことになった。
それは彼が意識していた訳ではなかったのだから。

「そう言えば長原はさ、何で文芸部に入ろうと思ったんだ?お前確か二年の最後の方に突然入部してきただろ」

「うん、そうだよ~。でも、どうしたのいきなり?」

「いや、別に深い意味はないんだが・・・なんとなく」

ぶっきらぼうに答える舞人にはるかは『なんとなく思っちゃったなら仕方ないね』と困ったような笑顔を浮かべた。
だが、舞人は自分で質問した理由が『なんとなく』という理由ではないことは自覚していた。
明らかに彼女――長原朋絵のことを彼は『知ろう』としている。
今まで気にもしなかった疑問だった。彼女が二年の三学期という、明らかに部活に入るにしては遅すぎる入部の理由。
だが、彼はその疑問を今、彼女の口から知ろうとしている。

「えっとね、一番の理由ははるかに頼まれたからだよ。
 はるかが『文芸部三年が引退したら半数近く部員がいなくなっちゃうから
 週一くらいの参加でいいから入部してくれ』って」

「あいつが?意外だな・・・あの眼鏡は何だかんだ言ってそういうコトを人に頼むような柄じゃないだろ。
 人数足りなくても構わないわってタイプだと思うんだが」

「あはは、確かにそうだよね。でも私も何度か文芸部遊びに来てたし
 智里ちゃんや香奈ちゃんとはお友達になってたからOKだしたんだよ~。
 私の方は部活辞めちゃってたからやることも無かったしね」

「え、お前文芸部の前に何か部活入ってたのか?」

「あれ、言ってなかったかな?私元々は家庭科クラブだったんだよ~。
 こう見えても裁縫とか料理とか得意なんだよ~!
 ただちょっと色々あって二年の途中で辞めちゃったんだけど・・・」

明らかに表情の曇ってしまった彼女を見て、
舞人は先ほどの彼女の困ったような笑顔の理由がここにあるような気がしていた。
けれど、その部分に舞人は突っ込むようなことはしなかった。触れられたくない部分は誰にだってあるだろうし、
何より彼女のそこへ『今の自分』が触れることはいけないことだと認識していた。

「そっか。まあお前みたいな奴だったら人生色々あるんだろう。
 それよりも俺はお前が以前から文芸部に遊びに来てたってトコロも突っ込みたい。
 俺はお前のような奴を文芸部で見たことないぞ?去年は俺も夏休み辺りからフルで魔女共に扱き使われてたんだが」

舞人の言葉に朋絵は彼女には珍しく不満そうな表情を浮かべて『それはそうだよ~』と反論した。

「だって桜井君私と会話したことなかったし、何より桜井君は文芸部の人だって
 親しい人以外名前も顔も覚えようとしてなかったでしょ?
 ひかり先輩にこだま先輩、佐竹先輩に宇都宮先輩、
 それにはるかに智里ちゃん香奈ちゃん以外で部員の名前その時言えなかったでしょ?」

彼女の言葉に舞人は驚きのあまり言葉を発せずにいた。
どうして三年のときに知り合った彼女がそのことを知っているのだろうか、と。
確かに舞人は朋絵の言う通り、文芸部でも女の子は親しい者や
彼に話しかけてくる人しか決して覚えようとしなかった。それは彼自身の昔からの悪いところでもあった。

「・・・な、何のことやらサッパリですよ?というかお前、その情報をどこから聞き出した・・・
 何故俺の過去の部活内の在り方を知っている」

「えへへ、私の情報網を甘く見ちゃ駄目だよ~。
 でもこれは誰かに聞いてたからじゃないよ。私がその場で見ててそう感じただけだよ」

「俺はお前のことを知ったのは長原が入部してきたときだったけどお前は俺のこと前から知ってたんだな。
 このストーカー女めっ!訴えるわよ!」

「ひ、酷いよ~!私ストーカーなんてしてないよ~・・・
 でもね、その時から桜井君といつかお話出来たらなって楽しみにしてたんだよ~」

彼女の口から笑顔で突然予想だにしてなかったような言葉が飛び出し、舞人はびくっと身体を反応させた。

「ふ、ふんっ!まあ確かにこんなに格好良くてハードボイルドな男が部活にいて
 会話もしたことないんじゃ憧れても仕方がないんじゃないな」

「うーん、そうじゃなくて・・・きっと桜井君は優しい人なんだろうなって、私勝手に思ってたから」

先ほどまでとは少し違う彼女の声に、舞人は彼女の方に視線を送った。
そこには先ほどまで表情をころころと変えていた彼女が何かを懐かしむような、
嬉しそうでいて、そして悲しそうな表情を浮かべていたのだ。

「桜井君がいるとね、部室の中が急に明るくなって空気がとても優しくなってたんだよ。
 それにね、文芸部のみんなと話してるときの桜井君の顔、凄く優しい顔してたよ」

「俺が優しい顔・・・?」

「うん。凄く温かくて、優しい顔。だからね、その頃から私はいつか桜井君とお友達になりたいなって思ってたんだよ。
 そして私のその考えは間違ってなかったことが入部してみてちゃんと証明されました~」

いつもの様子に戻った彼女を見て、ようやく先ほどまでの言葉が如何に恥ずかしい言葉なのかを
頭で理解した舞人は顔が真っ赤になっているのを自分で感じることが出来た。
恥ずかしい素直な台詞をトントンと簡単に言える彼女を舞人は恥ずかしいと同時に羨ましくも感じていた。

「ややや優しくなんかありませんっ!!何を根拠にこのお嬢さんはっ!」

照れ隠しに声を荒げた舞人に朋絵は嬉しそうな笑顔を浮かべたままで彼の右肩の方を指差した。

「肩」

「へっ?」

「肩、濡れちゃってるよ~」

彼女の指摘するとおり、彼の右肩は傘を差しているにも関わらず雨によってずぶ濡れになっていた。
濡れてしまった理由は簡単なことだ。彼女が持ってきた女性用の傘ではどう近づいても
舞人と朋絵の二人を完全に包み込むのは不可能なのだ。
だから彼は彼女を傘からはみ出させない為に傘を彼女寄りに持っていた。
その結果逆にはみ出した彼の肩が雨で濡れてしまったのだろう。

「私ね、人によくぼーっとしてるって言われたりするし勉強もスポーツも得意じゃない駄目駄目さんなんだけど、
 人を見る目だけは自信があるんだよ?桜井君はね、本当にとっても優しいんだよ~」

彼女は本当に曇りの無い笑顔で舞人に心から思っている本音をぶつけてくる。
それがひねくれモノの舞人にとってはとても眩しくて、とても恥ずかしく思えてしまう。
けれど、だからこそ彼女の言葉に触れる度に彼の心の中で不思議な感覚が風船のように膨れ上がっていく。
もしこの風船が爆発したのなら、彼はどうなるのだろう。

「・・・か、勝手に言ってなさい」

「うんっ!そうするよ~・・・って、あ、もう着いちゃったね。えっと、ここまでで大丈夫なのかな」

目の前にコンビニがあるのに気付いた朋絵は舞人に尋ねる。
舞人は心の中で少し残念がっている自分に不思議さを感じずにはいられなかった。

「ああ、ここで傘を買ってのんびり帰るとするよ。方向逆なのに付き合わせて悪かったな、長原」

「全然そんなことないよ~!とても楽しかったしこちらこそありがとう、だよ。それじゃあ桜井君また明日だね」

雨が振っているのに遠ざかりながらも手を大きく振ってくれる朋絵を見て、
舞人は苦笑しながらも彼女が後ろを向くまで見つめ続けていた。
そして舞人はコンビニの中に入ろうとすることはなく、雨の降りしきる中で何かに取り付かれたように
さくら荘とは別の方向へと駆け出していった。



























雨が降りしきる中で舞人はあの丘へとやってきていた。誰もいない空気、
その中で降りしきる雨の音は弥が上にも孤独さを感じさせる。
そんな中で舞人は迷うことなく二本並び立っている桜の樹の元へと歩んでいく。そして近くに寄り添って、口を開く。

「・・・朝陽の言う通り、本当に君はここにはいないのかい。桜香」

彼の言葉は暗い雲に覆われた空へと吸い込まれていく。
たださめざめと、雨が止まることなく降り続く音が聞こえるだけ。

「僕は負けない。今度こそ負けたくないんだ。僕は・・・」

その言葉は誰に向かって言った言葉だろうか。
彼の言う桜香という存在のため、彼自身のため、それとも負けてしまった『過去のヒト』へのため。
風邪に揺られる桜の木々の葉の擦れ合う音が拍手の音に、バックミュージックは降りしきる雨。今こそ舞台の幕が開く。






――さあ始めよう。第二幕、開幕。












7月5日(金)


変わりはじめる二人




「みんな揃ってるわねー?ちょっとこっちに集まって頂戴」

図書室で各々部活動に勤しんでいた(と言ってもなつき以外は雑談に興じていた)彼らに、
職員室から戻って来たはるかは集合をかける。
テストも終わってしまったこともあり、図書館利用者が放課後とはいえほとんどいなくなってしまっている。
というより現在は文芸部員しかいないのだが。

「今日谷河先生から夏合宿の予定表を預かったから、今から日にちと場所の予定を確認しておくわよ」

「あ、今年も夏合宿やっぱりするんですね」

「そりゃそうでしょ!こんな楽しいイベントは毎年絶対決行しなきゃ!」

「私は初参加だから楽しみだよ~」

「お前ら浮かれてられるのも今のうちだぞ・・・
 あれはこの世の物とも思えないほどの疲労と苦痛を味あわされる言わば地獄だ・・・」

「そりゃあんたが先輩たちに顎で使われてたからでしょーが・・・」

各々が嬉しそうな反応を見せる傍で一人遠い目で虚空を見上げる舞人にはるかが容赦ない突込みを入れた。
なお何を思い出しているのか彼の目尻に小さく光るものが溜まっていたのを
はるかは気付いてはいたが無視する事にした。

「?遠野さん、夏合宿って何?」

「あ、私も知りたいですー!」

小町の質問にかぐらも便乗して智里に問い掛ける。
智里はあれ?という表情を浮かべたかと思うと、即座に何か納得するような表情に切り替えた。

「そっかー、かぐらちゃんは当然として雪村さんも初参加なんだっけ。
 えっとね、一言で言うと文芸部のお泊りパーティー?」

「智里、それはちょっと間違ってると思うんだけど・・・」

「あはは、でもまあ半分は当たってるでしょ?まあ詳しくは今からはる先輩が説明してくれるって!ですよね?」

「ん、そうね。初参加が三人もいるんだから説明いるでしょ。
 この夏合宿は元々『学校に一泊する事で部活内での結束力を強くし、部活動の更なる発展を望む為』ってのが名目。
 けどまあ実際のところは智里の言った通り、思い出作りと考えてもらってもいいわ。
 去年も学校に泊まってて家に帰った人もいたしね。それで今年も場所はここ、図書室ね。
 泊まる場所は女子が体育館、男子っていうか桜井は学校の適当な教室でいいんじゃない?」

「んなっ!!いいんじゃないって、聞きましたか皆さん!!この強烈なまでの女尊男卑の発言!!
 きっとあの世で平塚雷鳥先生も涙を流して喜んでるほどですよ!?
 お前らがそんな適当に去年したから俺は危うく用務員のオッサンに泥棒と間違えられかけたんだぞ!!」

ダンダン、と机を叩いて力説する舞人を見て、智里が笑いを堪えきれずにいた。というか笑っていた。
香奈も何かを思い出しているようで、少し笑いを耐えている表情に見えなくもない。

「あの時は傑作でしたよねー!学校中にさくっち先輩の『俺は無実だああ!!』って叫び声が
 木霊したときは私達ずっと笑いっぱなしでしたもん!」

彼女の言う通り、舞人は去年もこの夏合宿に参加していた。勿論男子は舞人ただ一人だった。
そのため、女子は全員体育館に布団(学校の備品)を敷いたのとは対照的に
舞人には布団はおろか部屋すらも支給されなかった。
結局彼は去年の彼の教室である2-Aで無許可で寝泊りすることにしたのだが、
夜中に用務員の教諭に見つかってしまい、あわや警察に通報されそうになってしまったのだ。
この事件は文芸部内だけに留めてくれという舞人の強い要望があり、校内には出回ってないが、
文芸部内ではかなり笑いのネタにされる一品である。

「笑い事じゃねーよ!!ともかく今年は男子専用の部屋をワンルーム用意しろ!!
 そうじゃないといつ用務員に夜這いをかけれらるかと心配でオチオチ夜も眠れんわ!!」

「あーもう、うっさいわね。分かったわよ。
 後で私が3-Aの教室に泊まれるように許可取ってくるからそれでいいわね?
 あと日にちの方は八月の十五、十六の二日間なんだけど来れない人、夏休み中補修があって遅れる人は?」

誰も肯定の意を示さない様子を一瞥して、はるかは持っていたプリントに何かを記入する。
恐らく出欠の報告か何かだろう。

「ん、それじゃあ全員参加ね。もし途中で都合が悪くなったりしたら私か桜井に連絡して。
 以上で夏合宿の件の話は終わりね。それじゃあ部活に戻っていいわよ」

解散を告げ、はるかはプリントを持ったまま再度図書室を後にした。
そして舞人は目を丸くして、ある二人の文芸部員を見つめていた。

「・・・お前ら、補修じゃなかったのか」

「ひ、ひどいよお・・・私悪いのは数学だけだもん・・・」

「わ、私だって大丈夫でしたよ!あ、あははは・・・」

人のことを言えない舞人が言うのもどうかと思うのだが、それは誰も口にはしなかった。
今年の文芸部は奇跡的に補修対象がゼロという快挙を成し遂げていた。















「桜井君、ちょっといいかな?」

机に向かい、山彦から借りてきた漫画雑誌を読み耽っていた舞人に、朋絵が遠慮がちに声をかけた。
朋絵に不意に声をかけられて多少驚いた舞人ではあったが、それを表には出さないようにした。

「別に構わないが何か用か?面倒な仕事ならあそこで睡眠を貪ってる奴に頼るといいぞ。
 何せ毎日が睡眠だから体力が有り余ってるに違いあるまいて」

舞人が指差す方には百科事典を枕にすやすやと心地よい眠りに突入しているなつきがいた。
その表情はとても気持ちよさそうで、起こすのが躊躇われるほどにぐっすりと眠っている。

「ちょっとなっちゃんじゃ身長が足りないよ~。あのね、新しく入荷した本の整理をしたいんだけど、
 高いところに置かなきゃいけない本を置くのを手伝ってほしいんだよ~」

「むう・・・まあよかろう。ただしこの労働はツケとするから、いつかしっかりと対等なお返しをしろよ?
 むしろ日本人らしく律儀に三倍返しってくらいがちょうどいいと思うぞ」

「あはは、期待に添えるように頑張るよ~」

舞人の冗談交じりの了承に、何一つ曇りの無い笑顔で答える朋絵。
そんな彼女から気恥ずかしさで思わず視線を逸らしてしまう舞人。最近こんなことが多いな、と
彼は心の中で毒づいていた。











そんな二人の様子を少し離れていたところで見ていた女性徒――遠野智里はむむむ、と首をかしげて思考に耽っていた。
そしてそんな彼女らしくない様子を隣で見ていた香奈は不思議そうな表情をして、彼女を見つめる。

「?どうしたの智里」

「あー、いやいや、何でもない何でもない。
 香奈、ちょーっと厳しくなったかもしれないけどまだまだ諦めないようにね?」

「えっ?」

ぽんぽん、と肩を叩かれて何を励まされたのか全然分かっていない香奈を他所に智里は再び思考の海へとダイブする。

「んー・・・鈍感なさくっち先輩と天然のともちゃん先輩だから絶対にありえないとは思うんだけど・・・
 でもそうなった場合はどっちを応援すればいいのかな・・・ともちゃん先輩も大好きだけど香奈も大好きだし・・・むうう」

「智里、さっきから何のことか全然わかんないよ~・・・」













彼女の言うとおり、図書室の隅に置かれたダンボールには新しく入荷された本がずっしりと詰まっていた。
それを二人で本棚の近くまで運び、協力して本棚にしまっていく作業を始める。
舞人が棚に収め、朋絵が場所の指摘とフォローという役割だ。
二人で雑談に興じながらの作業ではあったが、ダンボールの本は次々と棚へと納められていく。
何だかんだでこの二人は意外と息が合うのだろう。

「『文化論』はこっちで・・・あ、『一契りの花』はあっちだよ~」

「おお、こっちか。うむ、しかし長原はアシストが上手いな。こんなにスムーズにはかどるとは思わなかったぞ」

「あはは、自分だけですると凄く遅くなっちゃうんだけどね。
 でも桜井君凄い手馴れてるよね。もしかして昔からこういう作業に関わってた?」

「お前、ワザと言ってないか?俺は去年先輩方にパシリとして文芸部の労働作業のほとんどを
 苦役させられてたんだよ。お前この部に遊びに来てたんだから知ってるだろーが」

「そ、そうだったね・・・」

「そうだぞ?ったく、最近のお嬢さんはこれだから・・・っと、これは向こうの棚か・・・おーい!雪村ー!」

遠く離れた本棚に直さなければいけない本を見つけた舞人は、智里達とわいわい騒いでる小町を呼びつける。
舞人に呼ばれた小町ははーい、と大きな声で返事をしてトコトコと舞人の方へと駆けてきた。

「はいはいー!呼ばれて飛び出て引っ込んでー!
 ぱんぱかぱーん!雪村小町参上いたしましたー!願い事なら三つまで受け付けますよー!」

「ほれ、パス」

彼女のボケを簡単にスルーして、舞人は持っていた本を彼女へと放り投げる。

「うっわー、友達と交友を深めてた後輩を呼び出した挙句パシリさせてるー。かっこいー」

ぶつぶつと文句を言いながらも彼女は舞人に指摘される必要も無く、その本を棚へと納めに行く。
そんな様子を見ていた朋絵は少し驚いたような表情で二人を見ていた。

「え、えっと・・・何だか凄いね」

「ん、そうか?確かに雪村の脳内は現代の医学でも手におえないくらい凄いモノがあると思うが」

「あ、そうじゃなくて、何ていうか二人とも意思疎通がぴったりだなあって・・・
 よく小町ちゃんは桜井君の言いたいこと分かったなあって・・・」

「長いこと腐れ縁やってりゃ嫌でもこうなるぞ。お前と結城だってそうだろ」

「あ・・・うん、そうなんだけど・・・」

彼女にしては歯切れが悪い様子に舞人は気付くことも無く、作業へと戻る。
本をどんどんと納めていき、次の本へと手を伸ばしたとき、その本を見て頭を捻る。

「この本は・・・なんだこりゃ?
 全部英語で書かれてちゃジパング生まれの舞人君にはさっぱり何のジャンルかすら分からんぞ。
 おい、長原。これって上から何段目の棚に直せばいいんだ?」

彼女に尋ねかける舞人だが、返事が一向に帰ってこない。
不思議に思った舞人はふと彼女の方を向くと、そこには下を少しうつむいた彼女がぼーっとしたままで突っ立っていた。

「長原?」

「ふぇっ?あ、な、何かな?」

舞人の二度目の呼びかけにやっと気付いたのか、彼女は慌てて舞人の方に視線を向けた。

「だからこの本はこの棚の何段目に直せばいいんだって聞いてるんだっつーの」

「あ、その本は童話だから上から五段目だよ~。
 ジャンルが分からない本は貼ってあるシールの記号を見れば分かると思うから」

「あ、なるほどね。しかしどうしたんだお前、いきなりぼーっとして。
 ボーっとしてるのはいつものことだが、さっきはいつも以上にぼーっとしてたぞ」

「うーん・・・自分でもよく分かんないんだけど・・・どうしたのかな、私・・・
 それに桜井君、今さりげなく酷い事言ったでしょ・・・」

彼女の指摘に、『気付いたか』と内心で思ってる舞人だが、
それを理由に彼女が舞人を責め立てられるほどの技量はないことを彼は知っていた。
だからこそ舞人の攻勢は止まらない。彼女の発言ですら彼は揚げ足取りという名の己の武器へと変えてしまう。

「酷いと思うってことは自分がボーっとしてるってことを多少なりとも自覚してはいるってことだ。
 はっはっは、しっかり改善したまえよ」

「ううー・・・ボーっとなんてしてないもん・・・」

悔しそうにいじける彼女を見て舞人は笑いを堪えられずにいた。
そして、ある一つの疑問に辿りついた。俺はいつから彼女と一緒にいることが楽しいと感じ始めたのだろう、と。










7月11日(木)


King-kong-Jack-Song









なかなか忘れがちなのだが彼――桜井舞人は今年受験生である。
それ故に彼らには例年までとは違い、新たに受験勉強という名の苦行が今年は課せられる。
例えば学校の昼休みなど、いくら勉強嫌いの舞人とはいえ仮にも桜学特Aのはしくれ。
彼が教室で勉強してるシーンも最近になって多々見られるのだ。

「だからここはこのログを微分しないと答えが出ないんだって。そのままじゃ式変換が成り立たないだろ」

「ぐぐぐ・・・よし、そろそろ休憩にしよう。何、流石の俺も六時間も近く集中してると脳が疲労してしまったようだからな」

そんな昼休み、いつものように親友の山彦に勉強を教えられている彼だが早々に根を上げる。
勉強癖のついていない彼では集中出来る時間が少ない為だろう。
机の上でぐったりとしている舞人に山彦は少々呆れた表情を浮かべるのはいつものこと。
最近はこれが日常化してきていた。

「まだ初めて五分も経ってないだろ。
 でもそこは二次試験に出やすいからしっかりと解けるようになっておいた方がいいぜ。
 秋になったらセンター対策に追われるんだから二次対策は今からしてないとマズイし」

「受験ねえ・・・山彦は近場の大学志望だろ?おまけに医学部とは小癪な」

「まあその為に特Aクラスに入ったんだしな。舞人はどこか志望校決めてたっけ?」

山彦の言葉に、舞人は表情を顰める。彼がこういう表情を浮かべるのはあまり聞かれたくないところを突かれた時だ。

「いや・・・まだその辺の大学を適当に記入してるだけだが、
 それが原因で先日浅間に個人相談と言う名の拷問を受けさせられてしまった。
 全く、志望校なんてそのうち嫌でもきまるっつーのにお前は俺の親かと言いたい。
 あれは親身な相談と言うよりも取り調べだ」

「おいおい、焦って決めるようなことでもないけど、『自分のしたいこと』は早めに見つけたほうがいいぜ。
 もし大学適当に決めて入学して、自分に合ってないなんてなったらシャレにならないしな。
 大学入った後で辞める事ほど金と時間の浪費はないぜ」

「くっ・・・山彦の分際で俺に説教するとは・・・
 ちょっとこの前の全国模試の結果が奮ったからと言って調子に乗るなよ愚民。
 せいぜい今のうちに優越感に浸っているがいい。だが最後に笑うのは俺だ。
 スロースターターな者が最後に努力して勝つと言うのは昔からの定説なのだ。
 その教えは古く、カメとウサギが会話の出来る古の時代からだということは言うまでもない」

「それじゃまるで俺がサボってるみたいじゃんか。俺こう見えても頑張ってるんだぜ?」

「俺よりは成績高い。よって貴様はウサギだ」

彼らしいと言えば彼らしい無茶苦茶な言葉に再度山彦は呆れ果てる。
そんな山彦の視線に耐えられなくなった舞人は思わず視線を彼から背けるが、
視線のその先――教室の入り口付近に意外な人物の姿を見つけた。

「悪い、山彦。ちょっと待っててくれ」

一言残し、舞人はずんずんとその人物の元へと向かっていく。
先ほどから教室の入り口の前で教室の中を覗いたり、困った表情を浮かべたりしているその人物は
彼に一向に気付く気配がない。
舞人は溜息を一つついて、その不審人物――長原朋絵に声をかけた。

「・・・おい、そこの不審女。我が教室(テリトリー)で何を暗中模索している」

「あ、桜井君~。ちょっと聞きたいんだけどはるか見なかったかな?
 ちょっと用があるんだけど教室にいないみたいで・・・」

「結城か?あいつならさっき昼休みが始まると同時に教室から出て行くのを見たな。
 というか結城を探してるんなら教室の外側から覗いてないで堂々と入ってくればいいだろうが」

舞人の言葉にうう、と言葉を詰まらせる。
これは先ほどの舞人と同じで余り突かれたくないところを突かれた時の彼女の表情だ。

「うう・・・だって私はるかと桜井君以外にこのクラスには知ってる人がいないから入りづらいよ。
 私は特Aを選択しなかったから去年同じクラスだった人もいないし・・・」

「おいおい、そんな引っ込み思案じゃ世間の波に押しつぶされるぞ。そんなこと気にせずに堂々としてりゃいいんだよ。
 ちなみに俺は以前男だらけの理系の3-Eに入り込んで知らない奴らの前で
 堂々と黒板に徳川代々将軍の全員の名前をラクガキをして帰りました」

「それは自慢にならないよ・・・。でも、はるかは戻って来るまで時間が掛かりそうだね。
 それじゃ私は一旦教室に戻るよ~。はるかが帰ってきたら私が探してたって伝えてくれるかな」

「うむ、頼まれ申した。一言一句洩らさずにしっかりと伝えよう」

彼の言葉を聞いてありがとう、と一言告げて朋絵は笑顔で教室へと帰っていった。
それを見届けて舞人も自分の席へと戻ると山彦が意外そうな表情を浮かべていた。

「今のってC組の長原さんだろ?舞人知り合いなのか?」

「知り合いも何もアイツは文芸部だぞ。部長の俺が他人だったらシャレにならんだろ」

舞人の返答を受けて、山彦の表情が更に意外そうな表情へと変わっていく。

「文芸部?いや、だって長原さんって確か家庭科部だろ」

「二年の三学期に唐突に入部してきたんだよ。家庭科部は辞めたって本人は言ってたぞ。
 というかお前、長原の事やけに詳しくないか?アイツを知ってるのか?」

「野郎の名前は忘れても一度でも聞いた女の子の名前は忘れるわけないだろ。
 俺は直接は話したことないけど、あの娘って結構有名じゃないか。
 C組は女の子が多いクラス編成だけど、その中でも結構あの娘を狙ってる男子多いぜ~。
 まあ、人気で言えば星崎さんや八重樫さん辺りには到底及ばないけど」

「そ、そうなのか?あいつが・・・?」

彼の言葉が信じられないと言った表情で尋ねる舞人に、山彦は大きく頷き肯定の意を示す。
山彦の言葉は普段文芸部で馬鹿をし合ってる舞人にはなかなかどうしてにわかに信じられないものだった。

「ああ。俺のダチにも狙ってる奴がニ、三人はいるしな。
 大体容姿自体が良い線いってるし、誰に対しても優しいらしいし、言う事ないだろ。
 まあ俺よりもお前の方が詳しいだろうけど」

「あいつが・・・ねえ・・・」

山彦の言葉を彼は心の中で否定し切れなかった。確かに彼女――長原朋絵は優しい。誰もが好感を持つほどに。
しかし彼の中には何故か山彦の言葉を肯定したくない自分がいた。

「それと話によると長原さんって、どうしてか男友達が全然いないらしいんだ。いないというか、作ろうとしないらしいぜ。
 彼女と仲良くなろうとする男子はみんな肩透しくらったように思うんだってさ。
 何ていうか、近づきやすいんだけど近づかせてはくれないような感じなんだと」

「ふん・・・大体アイツがそんな器用な真似を意識して出来るか。全部天然だろ」

「全部受け売りで俺が直接感じたわけじゃないから何とも言えないなあ。
 でも、一つ言えるのはそんな風に男子とは疎遠な彼女だけど、さっきの様子を見るにお前に対しては
 それが全然感じられないよなってことだけだよ。
 文芸部で一緒に活動してるお前は特別なんだろうな。さあて、話はこれくらいにしてさっさとプリントの続きしようぜ」

山彦の言葉を最後に勉強を再会し始めた舞人ではあったが、その後はあまり身に入ったとは言えなかった。
彼が先ほど言った言葉、その全てが彼の胸の中を何故か焦燥に掻き立てる。普段の彼女――長原朋絵とは違った別の一面。
確かに男友達を沢山作るような器用なタイプではないことは彼だって分かる。
では自分は、『桜井舞人』は彼女にとって何なのか。ただの部活の部長でしかないのか。
そんな下らない考えに捕らわれている自分に気付き、彼は頭を強く振って思考をクリアさせる。

(何か最近変だな・・・)

彼女に対する感情。それが何なのか彼は本当は気付いているのだろう。けれど認めない。認められない。
そんな自分の中にある『閉ざされた檻』が今の彼をこのようにしてしまっていることに気付くのは
そう遠くないのかも知れない。そしてその檻の開放の時も。











7月24日(水)


sprout




一学期の終了を告げる担任の解散の言を受け、
3-A組の生徒達はそれぞれが帰路についたり、部活へ向かったりする。
多くの生徒たちが教室から出て行く中で彼――桜井舞人は何故か自分の机の上に立ち、
徐にスピーチをし始める。彼の心の喜びという名の感情を表現する為に。

「あー、あー、本日は天候も良く、このような晴天に恵まれたことを感謝すると共に
 我々が今この瞬間に自由という名の翼を手に入れたことを嬉しく思います」

「さくっち、天候が良いのと晴天に恵まれたってのは同じ意味だよ?」

彼のことを先ほどから下方で眺めていた女生徒――星崎希望が舞人のスピーチに間髪を入れずに突っ込みを入れる。

「お前はどうしていつもそう水を差すんだ星崎。
 俺たちはとうとう三年生という死のマラソンロードの休憩所、いわゆる夏季休業に突入するんだぞ?
 ほらほら、そんな空気の読めないことを言ってないで子供らしく身体全体で喜びを表現しなさい。ほらほらこのように!」

「わわっ!や、止めてよ恥ずかしいなあ・・・」

突如机の上で奇妙なダンスを踊りだした舞人に教室に残っている生徒全ての視線が集まり、
彼女は慌ててその行動を止めようとする。
もしこの場にいるのが希望ではなくつばさだったならば、間違いなく彼は放置されていただろう。

「それじゃ私はバイトだから先に帰るけど、いつまでもそんな恥ずかしいことばっかしてちゃ駄目だよ」

自分が恥ずかしいことをしている訳でもないのに、何故か希望は顔を真っ赤にして教室の外へと出て行ってしまった。

「ふん、最近の若者は素直に感情を表現するということを忘れてしまっている。なんと嘆かわしいことか。
 山彦は山彦で用事だとか言ってさっさと帰りやがるし、釣り目に至っては俺様に挨拶も無しだ。
 失礼しちゃうわ!ぷんぷん!」

声を荒げる舞人だったが、ふと冷静に辺りを見渡して初めて教室に自分以外いないことに気付く。
先に帰っているどころか舞人がいるにもかかわらず、教室の電灯すら消されているのがある種の哀れみを誘う。
一応彼は学級委員長というクラスで一番の立場ではあるのだが。

「さて、では俺様も愚民どもを見習ってさっさと我が家へと帰るとするか!
 いや何、いくら孤独を愛し、孤独に生きる俺様とて帰巣本能には逆らえぬのだよ!」

胸の奥底からとめどなく湧き上がる虚しさを誤魔化すように明るく独り言を呟きながら、
鞄を片手に教室の外へと向かっていった。
孤独を愛するハードボイルド桜井舞人。だがそれと同じくらい寂しさを嫌う蒼いうさぎな彼であった。















「あ」

「ああ~」

「グッバイマイフレンズ」

下校をするために昇降口へ続く廊下を歩いてた舞人だが、
そこでばったりと会ってはならない女性達――結城はるかと長原朋絵に会ってしまった。
何事もなかったかのように彼女たちの横を通り抜けようとした舞人だったが、勿論通してもらえる訳もない。
あっさりとはるかに制服の首元を後ろから掴まれてしまう。

「ちょっとアンタ。これから部活だっていうのに鞄持って何処へ行くつもり?そっちには昇降口しか無いんだけど」

「い、いや・・・ちょっと受験勉強で運動不足でな。少しグラウンドでランニングして爽やかな汗でも流そうかと・・・」

「ほーう?爽やかな汗を流すために?鞄を持って?制服で?
 サッカー部と陸上部が所狭しと場所を取り合ってるグラウンドで?なかなか面白い寝言言ってくれるじゃない。
 で、どうやって死にたい訳?」

「は、はるか~!駄目だよそんなに怒っちゃ。桜井君も今から部活に参加してくれるなら万事解決だよ~」

本気と書いてマジな彼女の目を見て、朋絵は慌てて二人の間に入って無理矢理和解に結び付けようとする。
この三人が集まるときは大体このパターンだ。
朋絵の笑顔を見て毒気を抜かれたのか、はるかは大きく溜息をついた。

「もう・・・あんたはいつもいつも桜井に甘すぎるわよ。
 そんなことばっかり言ってるからこいつが付けあがるんでしょーが。
 こいつは活かさず殺さずくらいが丁度いいのよ」

「良くねーよ!!ったく、相も変わらずとんでもないクソ眼鏡だ。それで、今から図書室なのか?」

「あら。逃げないでちゃんと参加するわけ?」

「ふん、たまには愚民の活動に参加してやるのも良かろう」

挑発的に言葉を投げかけるはるかに対し、彼もまた挑発的に言葉を返す。
お互い一歩も引く気はない為、またも二人の間に不穏な空気が流れ出す。
しかし、そんな空気もまたも朋絵の一言で断ち切られてしまう。

「うん、ありがとね~!桜井君~!」

彼女の一言で舞人もはるかも再び完全に毒気を失った。
舞人とはるか、その二人の唯一の共通点は『弱点が朋絵』ということなのかもしれない。
お礼を述べて笑顔を向けられ、舞人は慌てて視線を彼女から外す。はるかは毒気を抜かれて呆れたままだ。

「ばばばバカモノ!第一俺は部長なんだから
 サボること自体が問題っつーかお前が礼を言う必要など欠片もないっつーか!黙れ小童!!」

「え、ええ~?な、何で?」

「はあ・・・馬鹿漫才やってないでさっさと図書室に行くわよ。もうみんな待ってるんだから」

二人の掛け合いに完全に力抜けしたはるかはスタスタと先に図書館へと向かて歩き出した。
疲れ果ててるのか心なしか足取りが重い。

「わわっ!はるか待って・・・」

先に行こうとするはるかを急いで追っかけようと方向転換した朋絵だが、それが災いした。
舞人の方を向いていた為、(彼女にしては本当に)急な方向転換に足をもつれさせ、そして。

「きゃっ!!」

「おわっ!!!」

派手に舞人を巻き込み転んでしまった。それも見事なまでに。
そしてそのことが事態を大きく混乱させることになる。

「おいおい・・・急に走り出したら危ないっつーの!もう少し考えて・・・・え」

「あ・・・」

「ちょっとあんたら何遊んで・・・え」

三人の時間が見事なまでに凍りつく。
舞人の顔の前に朋絵の顔が。朋絵の顔の前に舞人の顔が。二人の互いの吐息が感じられる距離。
朋絵が転んだ拍子に舞人が下敷きとなり、朋絵が舞人に覆い被さった状態となっているのだ。
舞人の顔に朋絵の髪がかかるまでの。彼女の髪の淡い良い香りが舞人の脳に警鐘を鳴らす。
これはマズイ、と。何を口にするのか頭にあるわけでもないが舞人はとにかく口を開く。

「えっと・・・あの・・・あのな?いや待ちなさいお嬢さん、これは別にそんな」

舞人が声をやっとのことで捻り出しても朋絵からの反応はない。
ただ、舞人は自分の心臓の高鳴りがやけに五月蝿いことに今気付いた。
混乱状態による麻痺が少しずつ取れているのだろう。
その証拠に先ほどまでは感じていなかったが彼女の顔、それを冷静に見ることが出来た。
彼女の表情は止まったままだ。だがそれ以上に彼は今になってようやく自分でも気付けたことがある。
それは彼女の存在が近すぎて今まで分からなかったこと。
――ただ純粋に、彼女を可愛いと。

「・・・や・・・」

「や?」

やっとのことで彼女から言葉が発され、舞人は恐る恐るその言葉を鸚鵡返しする。
彼女の顔は言葉を発した途端うつむき、その上でも分かるくらいの急スピードで真っ赤に変化していく。
もはや言葉の意味通り彼女は真っ赤な顔をしている。
そしてうつむいた顔を再度上げたかと思うと彼女は眼にいっぱいの涙を溜めていた。そして――絶叫。

「やあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「がああああああ!!!!!!!!」

「ちょっと朋絵!?朋絵!!」

舞人の至近距離で悲鳴をあげて、朋絵は普段の彼女からは考えられないくらいのスピードでこの場から走り去っていった。
それは運動神経抜群のはるかですら追いかけられないような驚異的スピードで。

「な・・・長原の前に俺を心配してくれ・・・耳が・・・耳があ・・・」

絹を引き裂くよな悲鳴を直撃させられた舞人は色んな意味で絶命しかけていた。
結局その日部活に彼女――長原朋絵の姿が見えることはなかった。











8月1日(木)


彼女のいない図書室で





夏休み期間の学校は人が少なく、大半の教室が静けさに包まれている。夏『休み』なのでそれは当然なのだが。
それはここ、図書室においても例外ではないらしく、文芸部の面々は静かに部活動に勤しんでいた。
ただ、静かな理由は夏休みだからという訳ではないのだけれど。

「あ~あ。今日もともちゃん先輩とうとう部活に来なかったな~」

図書室の中の張り詰めたような静寂を智里が溜息交じりの呟きで打ち消す。
その声に反応してるのかしてないのか、机を挟んで彼女の向かい側に座っている舞人は
先ほどから読んでいる本から視線を外そうともしない。

「あ~あ。これでともちゃん先輩八月になっても部活に参加しなかったな~」

彼女の溜息交じりの呟きは止まらない。先ほどより声を強めて再度言葉を発する。
その呟きは明らかに方向性を持たせたものだ。
その声の先、舞人は先ほどと同じく彼女に反応無しにただひたすら本から目を背けない。
ただ彼の本を持つ手が若干力強く握られたが。

「あ~あ~」

「・・・遠野、お前さっきから何が言いたい」

ついに耐えられなくなったのか、舞人は本から視線を外し先ほどから独り言(?)を呟く智里の方を睨みつける。
彼が意識してかどうかは定かでは無いがその視線には多少苛立ちが含まれていた。
しかし彼女はその視線を何事も無く涼しげに受け流している。

「い~え、べっつに~。ただ~、ともちゃん先輩はどうして部活来ないのかな~って思ってるだけですよ?
 何かっていうか、誰かに原因があるんじゃないのかな~って」

「それで何故俺を見ながら言うんだ。まるで俺のせいで長原が部活に来ないみたいじゃねーかよ」

「や、別にさくっち先輩のせいとは言ってませんよ?
 でも私の第六感が何故かさくっち先輩を責めろ責めろと言ってくるんですよ」

「ぐ・・・」

智里のあまりの勘の鋭さに舞人は思わず口を噤む。彼女の勘の良さに舞人は度々苦汁を飲まされたことを思い出す。
言葉に詰まる舞人を他所に『どうなんですか~?』と言いたげな視線を惜しみなく送る智里。
舞人は気まずげに彼女から視線を逸らした。

智里の言うとおり、長原朋絵は夏休みが始まって一度も部活に来ていない。
それだけならまだしもメールや電話での連絡もつかないのだ。
その事態に文芸部の面々は多少戸惑いを覚えていた。
時々抜けてはいるが、真面目な彼女が部活を何日も無断で欠席するとはどうしても考えられないからだ。

「や、止めようよ智里・・・桜井先輩が悪い訳じゃないんだから。
 もしかしたら何か都合が悪いことがあるのかもしれないし・・・それに私たち全員に問題があるのかもしれないし・・・」

「もしかしたら風邪かもしれませんよ?夏場は冷房で体調を崩したりもしますし」

困り果てた舞人を援護するするように、舞人と智里の横にそれぞれ座っていた香奈とかぐらが口を挟む。
ただ、二人とも表情は暗い。それだけ朋絵のことを心配しているのだろう。

「あはは、かぐらちゃんそれはないよ!ああ見えてもともちゃん先輩は身体が強いから。
 病気になったなんて今まで聞いたことないし!あ、私もこう見えても意外と風邪引かないんだよ!」

「お前は意外でも何でもないけどな。だって馬鹿だし」

自慢げに言う智里へ舞人は先ほどまでのお返しにと、皮肉を漏らす。
転んでもただでは済まさないところが彼らしいといえば彼らしい。

「なっ!何て失礼なことを言うんですか!さくっち先輩に言われたくないです!!
 ね、ね、なつき!私馬鹿じゃないよね!?」

「ウルトラ馬鹿」

助け舟を求めるように智里は自分の横、香奈とは反対隣に座っているなつきに尋ねたが、一言でバッサリと切り捨てられた。
橋崎なつき、自分に素直な二年生。意外でもなんでもなく空気は読めない方である。

「う・・・う、う、う、う、ウルトラ馬鹿言うなーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」

「ち、智里~・・・」

半泣きでなつきに抗議し始めた智里を尻目に見て、呆れながら舞人は席を立った。
どうも今ひとつ部の空気がおかしいのは朋絵がいないからだけではない。その原因の一つの元へ舞人は歩み寄った。

「ったく、長原も長原だがお前も問題だ。どうしたって言うんだよ結城。そんなやる気の無い顔しやがって。
 お前がそんなんじゃこの部活は遊ぶこと以外目的としない大学生のブラックサークルみたいになってしまうぞ?」

その原因――結城はるかは他の部員とは少し離れた席でぼんやりと窓の外を眺めていた。
彼が声をかけてきたことは分かっているものの、視線を彼の方へと向けようともしない。ただずっと、窓の外だけを眺めていた。

「おい、聞いてるのかアマゾネス」

「・・・うっさいわね、分かってるわよそんなこと・・・」

舞人の声にようやく反応した彼女だか、相変わらず視線を窓から外そうともしない。
ただ、声だけが疲れているような、そんな印象を受ける。
そんな様子に彼は大きく溜息をついた。彼女のこんな様子は一日や二日だけではない。
最近の彼女はずっとこんな調子なのだ。

「・・・お前、本当に結城か?最近お前どうしようもないくらいらしくないぞ?
 いつもなら俺が『アマゾネス』なんて言おうものなら二、三発引っぱたいて
 ローリングソバットくらいのことはしてたっつーのに・・・」

「・・・あんたになんで私が『らしくない』なんてことが分かるのよ。
 ・・・私のこと何も知らないくせに勝手なこと言わないで!!」

舞人の言葉が癇に触ったのか、彼女は今まで彼に見せたことも無いような表情で彼に怒鳴りつけた。
その表情は本当に怒りが込められて、そしてあまりに儚げでか弱くて。
その様を直接見てた舞人は当然、さきほどまで騒ぎ立てていた智里達ですら言葉を発せずにいた。
はるかに気押され、図書室に再び静寂が立ち込める。

「ゆ、結城?」

恐る恐る声をかける舞人の声に、はるかは今自分が怒鳴り声を上げたことに気付いたのか、はっと口を押さえた。

「・・・ごめん、今のは流してちょうだい。
 けど、本当に朋絵どうしちゃったのかしらね・・・こんなこと今まで一度も無かったのに。
 メールしても返事は帰ってこないし、家に行っても何だかんだ理由付けられて会ってくれないし・・・」

「長原のヤツ、お前にも会わないのか?」

「ええ・・・夏休み入って以来一度も会ってないわ。
 色々とあの娘が部活に来ない理由も色々と考えたんだけど全然分からないし・・・
 桜井、あんた朋絵のことで何か分からない?」

「い、いや・・・悪いが」

はるかの言葉に舞人の脳裏に一瞬あの日のことが思い出された。
それは彼女を最後に見た、夏休みに突入する前日のこと。
あの日、彼と朋絵はもつれるように転び、仰向けに転んだ舞人の上に朋絵が覆いかぶさるような状態となってしまい、
彼女が悲鳴をあげてどこかへ走り去ってしまったことを。
確かにあの時は彼女の顔が真っ赤になっていたのも気付いたし、自分だって今彼女に会って何と言えば良いのか
分からないほど気まずいという思いはある。しかしそれがサボる理由までなりえるだろうか。
その現場を見たはるかがそのことを原因として考えていないのならば、
あの時のことは彼女にとってはそんなに重くないのかもしれない。
彼女が自分に会うのが気まずくて、気恥ずかしくて休んでいるのではという考えを舞人は心の中で大きく否定する。
その考え方はただ自分が自惚れてるだけなのではないかと。
そのように考えてしまい、どうしても舞人には彼女の質問に首を横に振るしかなかった。

「そう・・・本当に、どうしちゃったのかしらね・・・」

舞人の返事を流すように聞き、はるかは視線を再び窓の外へと戻した。
彼は『長原朋絵はあの日のことを何も思っていない』という自分の決めつけに、
何故かただただ胸が痛くなるのを感じていた。
















「・・・それで舞人兄はこんな夕方にも関わらず朋絵さんって人を探してるんだね」

夕暮れ時の公園。舞人はその場所で見かけた子供――佐伯和人にこれまでの事情を話していた。
部活が昼少し過ぎくらいに終わり、解散したのだが舞人はその後ずっと街中を歩き回っていた。
ずっと連絡の取れない長原朋絵を探し出すために。
何故自分がそんな行動を取ったのか、彼は毛頭考えるつもりはなかった。
ただ、彼女に会わなければならないと。そんな焦燥感に彼は駆られていた。
そして公園に差し掛かったときに偶然和人に会った為、彼に事情と朋絵の特徴を話して
彼女を見なかったかと尋ねているという訳だ。

「おい待て小坊主。それじゃ俺がまるで長原のことが心配で仕方が無いみたいに聞こえるだろーが!!
 俺は部長として長原が部活に来ないことに心を痛めてだな・・・」

「それが心配してるってことだと思うんだけど・・・でも、今日はボクずっと瑞音や瑛達と
 遊んでたけどこの辺りじゃそんな人は見かけなかったよ」

和人の言葉に舞人はそうか、と溜息混じりに呟く。そして無理矢理にでも明るい表情を作り、再度和人へ向ける。

「悪いな、もう帰らなきゃいけないのに引き止めて。和観さんが心配するから気をつけて帰れよマセガキ」

「うん、そうするね。けど舞人兄・・・なんか、無理してるでしょ」

「無理?俺が?」

「うん・・・何ていうか、本当は気付いているのに気付かない振りして自分を誤魔化してるっていうか、そんな感じだよ。
 何があったかまでは分からないけど、自分に嘘ついちゃだめだよ」

そう言い残し、和人は公園の外へと走って行った。

「自分に嘘・・・か・・・」

夏の赤焼けの空の下で、彼は誰にでもなく一人呟いた。
もう本当は分かっていた。彼女が部活に来なくなり、ずっと会えないことでようやくのことで気付けたこと。
今まで霞のように曖昧だった自分の気持ちが今一本の線になる。どうしてこうまで自分が彼女を探しているのか。
どうして彼女を追っているのか。どうして彼女に会いたいのか。

「ははっ・・・和人の言うとおり、簡単なことじゃないか。お前は長原が・・・長原朋絵が好きなんだろ・・・」

舞人は自嘲するように自分に向けて言葉を紡いだ。心の中の本音を口にしてみて
今まで胸につっかえていたモノが全て霧散するような、そんな清清しい気持ちに彼はなることが出来た。
そして同時に彼の記憶の奥底に沈めていた『過去の記憶』がとめどなく流れ込む。
思い出さないようにしていた昔の恋人――里見こだまとの思い出。


――彼女と初めて会った時に彼女の学年を間違ってしまい慌てて誤魔化したこと。

――彼女の親友の結城ひかりの脅迫により、自分が彼女の所属する文芸部に入部したこと。

――彼女が髪を切ってイメージをガラッと変えたとき、思わず目を奪われてしまったこと。

――彼女の誕生日に猫のリュックをプレゼントし、彼女が終始困り果てた表情をしていたこと。

――彼女がドクターイエローと熱論していたとき、初めて嫉妬という名の感情を覚えてしまったこと。

――彼女と海に行ったとき、初めて彼女への想いに気付けたこと。

――彼女にどしゃぶりの雨の中で想いを告げ、はれて恋人となったこと。

――彼女といた時間がどんなに幸せだったかということ。

――彼女の笑顔を見ているときが何よりの幸せだったこと。



――彼女の憧れの人物が自分だったということを知らされたこと。





――彼女とは、どこまでも一緒にいられると思っていたこと。








――その想いは








――決して叶えられることはなかったということ










全ての思い出が鍵をかけられた檻から解き放たれ、彼の思考に怒涛の如く流れ込む。
それ以上は止めろ、と。再びツライ思いをするのか、と。
彼の心に刻まれた根は想像を絶するほどに深い。もはや普通の人間からは考えられないほどへの
人間の愛に対する抑制力、自制心。もはや呪いとまで昇華したと言っても過言ではない代物。
人間が自分を守るために制止力が働くのは当然の摂理。だが、彼にとって『この』感情だけはもはや異常。
その『呪い』が彼の全てを縛り付ける。

「分かってる・・・分かってるんだ。でも、俺は・・・今度は負けない。負けたくないんだ・・・。
 こだま先輩の時のことは絶対に忘れられない。けど、だからと言って何もせずに怯えてるだけなんて
 もっと駄目なんだってことも分かってるから。
 何よりも、人を好きになるっていうことがどんなに素晴らしいことなのか、もう気付いてしまったんだから・・・」

全ての心の檻の鍵を開放し、彼は正面から自分の想いに向き合った。これが彼の下した決断。
正しいかどうかなんて誰が分かろうか。傷つくことから逃げること、傷つくと分かって立ち向かうこと。
その正誤など誰にも分かりはしないのだ。
一つだけ分かることは、彼が自分に嘘をつくことを止め、前を見て歩き出したということ。
公園のベンチの上で、彼はただ自分の拳を何かに耐えるように精一杯の力で握り締めていた。











8月7日(水)


大切な場所









夕暮れ時の図書室に舞人が足を踏み入れたとき、そこは意外な光景が広がっていた。
来ている筈の部員達が明らかに来ていない――というか、図書室には結城はるか唯一人しかいなかった。
その彼女は机に座って考え事をするような仕草を見せている。

「どうした眼鏡。まさか部員全員にボイコットをくらってこんな薄暗い部屋でベソかいてたのか?
 ふふん、鬼の目にも涙とはよく言ったものよな」

からかいながら声をかける舞人に気付き、彼女の先ほどまでの暗い表情は多少和らいだものの、
普段の表情とは程遠い。窓から刺さる赤みを帯びた光が、彼女の雰囲気を更に重みを増しているようにすら感じてしまう。

「アンタ、人が真剣に考え事してる時にフザケたこと言ってると本気で叩くわよ?
 それに、今日は他のみんなは部活来ないわよ。私が今日は来ないでいいって連絡したから」

「はあ?おいおい、長原だけじゃなく、部活全員まとめてサボりかよ。しかも副部長公認ときた。
 ・・・ってちょっと待て!!だったら何で俺には連絡しないんだよ!!
 何が悲しくて用もないのに学校へ行かなきゃならんのだ!!
 しかも今日に限って夕方出勤に時間を変えやがって!!せめて朝方だけとかにしろ!!
 そうすれば間違いなく寝坊してサボったっつーのに!!」

「うっさいわね・・・アンタにはちょっと話があんのよ。むしろ他のみんなを呼ばなかったことを感謝しなさいよね」

「ぷ、ぷじゃけるなよ小娘!!そんな貴様に一人呼び出されて
 マンツーマンで説教されるようなことをした覚えは最近は無いっつーの!!
 どうせ遠野や八重樫辺りからとんでもないホラ話を吹き込まれたんだろーが!俺は無実だ!潔白だ!」

「・・・真剣な話なの。真面目に聞いて頂戴」

彼女の口調が明らかに重たいものを感じ取ったのか、舞人は思わず口を噤む。
彼に向かいの椅子に座るように指示をし、渋々と着席した彼を見て彼女はようやく口を開く。

「昨日、ようやく朋絵を捕まえたわ。居留守とか散々されてきてたせいで少々頭にキてたから
 ちょっと荒っぽい方法使って引っ張り出したけどね」

「お・・・おい、目が素で怖いぞお前・・・サボってたあいつが悪いんだが、今回ばかりは長原に同情する」

「それで、どうして部活に来ないのか色々と話し合ったんだけど、簡単な理由だったわ。
 普通の人にとってはこれ以上ないくらいの簡単な理由。
 けれど、あの娘にとってはどんな難問よりも難しい理由」

「お前、言ってることが全く意味分からないぞ。
 結局あいつのサボってた理由ってのは何だったんだ?表現技法が遠回し過ぎだ」

答えを促す舞人に、はるかは少し間をおいて、彼に視線を合わせた。
その視線――彼女の目に一瞬舞人は恐怖を覚えた。
今まで散々彼女に怒鳴られたりしてきたが、彼女のこれほどまでの威圧が込められた目を見るのは
彼にとって初めてだった。十人いれば十人が恐怖を覚えるような凍りつくような視線。

「その前に私の質問に答えて頂戴。これを確認しないことには、私はその理由をアンタに話せない。
 もし朋絵から本当のことを聞いててアンタが今の態度でいるのなら、私は絶対にアンタに話すつもりはない」

彼女の言葉に舞人は軽く首を縦に振った。
言葉で答えなかったのは、口を挟んでこの場の雰囲気を汚すことを躊躇った為。
それほどまでに彼女の真剣な雰囲気が、重々しさがこの場を支配しているのだ。

「朋絵・・・長原朋絵が文芸部にどうして二年の三学期なんていう時期に入部したか知ってる?」

彼女の口から出た言葉の内容は舞人が全く予想だにしていなかったものだった。長原朋絵の入部動機。
彼は多少考える仕草を見せた後、ふと思い出したように質問に答える。

「・・・ああ。以前長原に一度だけ直接聞いたことがある。
 『人手が足りないって結城に頼まれたから』ってアイツは言ってた気がする。
 あと前に部活に入ってた家庭科部を二年の途中で辞めたから時間が空いてるから了承したとも言っていたな」

「やっぱり・・・ほんと、あの娘はどこまで馬鹿なのかしらね・・・」

呆れ果てた口調ではるかは溜息を大きくついた。
そんな様子を見て、『どういう意味だ?』と無言で尋ねる舞人に、はるかは再度視線を戻した。

「あの娘はね、文芸部に入部すると同時に家庭科部を止めてるのよ。
 時間が空いてるから入部なんてデタラメにも程があるわ。
 それに私が頼んだってこともね。大体、朋絵は文芸部に入る前は家庭科部の部長だったのよ?
 いくら人手が足りないからってどうして私が他の部活の部長相手に頼むのよ?」

「なっ・・・!?お、おい!!長原が家庭科部の部長ってどういうことだ!?」

彼女の口から苛立ちを隠そうともしない口調で告げられた内容は舞人を驚かせるのには充分すぎるモノだった。
それは彼が初めて聞く事実。
そしてそのことは同時に彼に朋絵が嘘をついていたということを証明する内容でもあった。

「言葉通りの意味よ。あの娘がこの部活に入部するとき・・・去年の二月くらいだったかしら。
 散々家庭科部の人達と揉めたのを今でもハッキリ覚えてるわよ。
 そりゃ向こうからすれば当然よね。一年の一学期からずっと家庭科部に在籍してて、
 しかも来期の部長に朋絵が決まってたのに、突然辞めて他の部活に入るっていうんだからね」

はるかの一言一句全てが彼の耳から離れない。彼女の言う全ての言葉が彼の知ってる内容と一致しない。

「・・・でもね。あの娘は決して家庭科部を辞めて文芸部に入部する理由を家庭科部の人達に言おうとしなかったわ。
 ただ申し訳なさそうにずっと『ごめんなさい』って謝ってた。
 そのことが更に家庭科部の人達を逆撫でしたのか、結局最後まで理由を言おうとしなかったあの娘は
 家庭科部を逆に追い出される形で辞めたのよ。
 部員達から中傷されてもあの娘は決して何も言わなかった。なかには朋絵に手を上げた娘もいたわ。
 けれどあの娘は黙って受け入れた。悪いのは全部私だからって。
 皮肉な話よね。誰よりも家庭科部に貢献してきたあの娘が、誰よりも家庭科部で慕われたあの娘が、
 たった一つの行動で部員全員から恨まれることになったんだからね・・・」

嫌なことを思い出したのか、はるかは苦虫を潰したような表情で嫌悪感を全く隠そうともしない。
それほどまでに彼女にとっては口にすることすら阻まれる嫌な記憶なのだ。
そのことをずっと黙って聞いていた舞人だったが、表情は誰が見ても分かるくらい怒りという感情が込められていた。

「・・・ふざけるなよ。長原が何でそんな行動を取ったか知らないが、どうしてそこまでする必要があるんだ。
 あの馬鹿はボケーっとしてて、方向音痴で、すぐ泣くような奴だが、誰よりも人のことを考えられる優しい奴だろうが!!
 どうして二年間も同じ部活をしてたような奴らがそんなことも分かってやれない!?」

「・・・あんたの怒りはもっともよ。けれど、それ以上に向こうの怒りだってもっともなのよ。
 さっきも言ったように、朋絵は結局追い出される形で家庭科部を辞めて文芸部に入部したわ。
 そんな背景を文芸部の全員は知ってたし、何よりも私やお姉ちゃんと幼馴染だった縁でよく部活に遊びに来てたからね。
 既に部員達と仲が良かったのもあるわ。私達はすぐに朋絵を受け入れた。
 私達は繋がりが他の部活の何倍も強かったからね。すぐにお姉ちゃんや佐竹先輩、宇都宮先輩達が
 家庭科部の人達に話をつけにいったわ。
 『色々あったのは分かるけど、長原朋絵は私達の仲間なんだから貶したり文句を言ったりすると許さない』ってね。
 まあ・・・お姉ちゃん達は三年の中で色んな意味で凄い権力持ってたから、
 家庭科部の人達はそれを機に朋絵に何も言わなくなったし、関わるのすら止めたわ。
 だから今はもうイジメとかそんなのはないことを先に言っておくわよ」

はるかの説明を聞いても舞人は納得するような表情一つ見せない。否、出来る訳が無かった。
彼の知ってる長原朋絵は人に恨まれるなんてこととは全く無縁の少女だった。
むしろ誰からも好意を抱かれるような少女――それが長原朋絵のイメージだった。
少しの間、静寂が図書室を支配したが、それを振り払うように舞人は口を開く。

「何でだよ・・・どうしてアイツはそんな思いまでして文芸部に入ったんだよ。お前は・・・結城は知ってるのか?」

「知ってるわ。もっとも・・・私にとってその理由は呆れるとしか言いようがないくらいの理由。
 そんな思いまでしたのに、あの娘の理由は見返りを全く求めていないような報われないかもしれないような内容」

ふう、と一息つき、はるかは舞人に視線を向ける。

「朋絵が文芸部に入った理由はね、桜井舞人。あんたよ」

「・・・はあ?」

彼女の言葉の意味が全く理解できなかったのか、言葉の意味を必死で探し出しているかのように舞人は疑問符をあげる。
そんな彼の様子に、『まだ気付かないのか』といったような呆れた様子で眺めていた。

「だからアンタが理由なのよ。あの娘はね、一年の頃から部活が休みだったり時間が出来たりすると
 文芸部に遊びに来てたわ。私やお姉ちゃんがいたからね。
 ずっといたから、全部知ってるの。二年の頃にあんたが入部してきたときのこともね」

入部してきたとき――それは彼が愛した女性、里見こだまに連れられて無理矢理部活に参加させられたときのこと。
懐かしさが一瞬胸を過ぎったが、そのことは今回の件にあまり関係ないと判断し、
舞人はその思い出を記憶の奥底へと沈めなおす。

「あの娘が男の子が苦手なのは知ってる?あの娘はお姉ちゃんや私とは別の意味で男が苦手なの。
 ただ純粋に、男の子に慣れていない。
 小さい頃からあんな風だから、男の子からよく虐められたりもしたの。
 その度に・・・お姉ちゃんが守ってくれてた。けど、あの頃の朋絵は本当に男の子のことを怖がってたわ。
 そんなことがあったから、中学の頃も高校に入っても誰一人として男の子の友達を作れなかったわ。
 今では平気そうに見えるけど、結局は表面だけ。あの娘に男の子の友達はいなかった。
 けどね、そんなあの娘が文芸部に遊びに来るときにいつも楽しそうにあんたのことを話してたわ。
 『桜井君って凄く不思議な人だね』って。
 ・・・こだま先輩とアンタが付き合ったときに一番喜んだのは他の誰でもなく、間違いなく朋絵よ。
 『こだま先輩は絶対幸せになるよ』って。変な話だと思わない?
 あんたと一度も話したことなかったあの娘が、楽しそうにアンタのことを私に話すのよ。
 今まで男の子へ自分から遠ざかっていたあの娘が、話したこともない男の子のことを私にね」

はるかの言葉に舞人は朋絵と雨の中を一緒に帰ったときのことを思い出す。
その時の彼女の台詞が脳裏に不意に蘇る。

(きっと桜井君は優しい人なんだろうなって、私勝手に思ってたから)

(だからね、その頃から私はいつか桜井君とお友達になりたいなって思ってたんだよ。)

朋絵は確かに舞人のことを見ていた。
男性が苦手な筈の彼女が、何故か話したことも無い舞人に興味を示していた。そのことを舞人は思い出す。
そして同時に、友人である相良山彦が長原朋絵について言っていたことも記憶の断片から拾い上げる。

(それと話によると長原さんって、どうしてか男友達が全然いないらしいんだ。いないというか、作ろうとしないらしいぜ。
 彼女と仲良くなろうとする男子はみんな肩透しくらったように思うんだってさ。
 何ていうか、近づきやすいんだけど近づかせてはくれないような感じなんだと)

仮にはるかの話が本当だとしたら、山彦の言葉には簡単に説明がついた。
彼女がわざと男友達を作らない理由も証明できる。
だが、どうして朋絵は舞人には興味を示したのか。その疑問の答えを舞人は出せずにいた。

「そんなあの娘だから・・・こだま先輩とアンタが別れたとき、凄いショックを受けてたわ。
 ・・・あんたが色んな意味で文芸部の雰囲気を変えてくれたこと、知ってたからね。
 あの娘は文芸部が好きだった。お姉ちゃんがいて、こだま先輩がいて、みんながいて、
 そしてアンタがいるあの部活。それが壊れてしまうことが凄く嫌だった。
 あの時のアンタは部活に来なかったから全く知らないだろうけど、香奈や智里なんか凄い落ち込んでたんだから。
 三年生は受験だったから、文芸部に明かりという明かりが全て消えた感じだった。
 だから、あの娘は決めたのよ。・・・あんたが、桜井舞人が部活に戻るまで私が頑張ろうって。
 少しでも、この場所を守りたいって」

彼女らしくない、儚げな表情で言葉を紡ぐはるかを見て舞人はその言葉が確かであることを悟った。
そして、それと同時に先ほどよりも更にやるせない怒りが彼の心に込み上げてくるのを感じた。
自分が腑抜けている間に彼女に――長原朋絵にどれだけ助けられていたのかということに。

「そんな・・・そんな理由で二年以上も在籍してた部活を辞めるなんてあるかよ!!
 そんな理由でそこまでツライ思いをする理由なんてなるかよ!!
 大体あいつはどうして・・・話もしたことなかったような奴の代わりにそんなつらい思いに耐えられるんだよ・・・」

吐き出すように言う舞人を見ながら、はるかは大きな溜息をついた。
目の前のどうしようもないくらいに鈍感な男をどうしてくれようか、と悪魔の囁きに思わず耳を傾けそうになったほどだ。

「・・・あんたね、鈍い鈍いとは思ってたけど鈍いにも程があるわよ。
 どうでもいい男相手にあの娘は自分を犠牲に出来るほど馬鹿じゃないわよ。
 あの娘はね、入部する前から・・・ううん、アンタを遠くで見てるときからずっとアンタに惹かれてたのよ。
 あんな娘だから、自分の気持ちに全く気付いてないみたいだけどね。
 大切な人の為に何かがしたいってことに理由なんて要らないってことくらい、アンタなら・・・
 いえ、アンタだからこそ分かる筈でしょ?」

舞人だからこそ分かること。そう、大切な人がいた彼だからこそ朋絵の気持ちは痛すぎるほどに分かるのだ。
大切な人の為に何かが出来るとして、そんなことをするのに理由が必要なのか。
――否、理由なんて後付でもいい。行動することが肝要。
だからこそ、理解できるからこそ彼はもうじっとしていられなかった。
彼女に、長原朋絵に会わなければいけないと、体中が命令している。

「・・・頭にきた。頼んでもないのに、そんなツライことを全部一人で背負い込んだあの馬鹿をちょっと説教してくる」

「説教って、あんた・・・あの娘が今どこにいるか知ってるの?家だって知らないでしょ?」

「お前と話す前の俺じゃ分からなかっただろうが、今なら分かる。
 というか、アイツのいる場所なんてもう一つしか思い浮かばない」

椅子から立ち上がり、図書室から出て行こうとする舞人を見てはるかは今日何度目になるのか分からない溜息をついた。
けれど、表情はとても穏やかだった。
今までの真剣な表情とは打って変わったような、彼の様子を見て安心したような、そんな表情。

「話はまだ終わってないんだけどね・・・まあいいわ。『どうして朋絵が部活に来ないのか』。
 その理由は本人から聞きなさい。
 むしろ、ここまでの話を聞いて気付けない方がどうかと思うけどね。あの娘のこと、頼むわね。
 私にとって・・・かけがえの無い親友なんだから」

「ふん・・・今日は柄でもない台詞ばっか吐きやがって。真夏なのに明日雪が降っても俺は知らんからな」

「そうね、この際だから大雪を降らせてみてもいいかしら。
 あんた・・・桜井舞人は未だ里見こだまのことが好きなの?」

はるかの突然の質問に、一瞬の静寂が訪れたが、舞人はその質問を一蹴した。
もう答えが出ている。はるかも答えを分かりきっている。それ故に質問など無意味。
答えが分かっている質問など質問として成り立ち得ない。

「・・・好きじゃないと言ったら嘘になる。けれど、俺はもう見つけたから。
 今の自分が一番誰を必要としているのか。今の自分が誰を好きでいるのか。だから、俺はもう逃げない」

「そう・・・明日は豪雪決定ね。引き止めて悪かったわね。
 最後にひとつだけ言っておくわ。もし朋絵が文芸部に入ってなかったら、きっと部は廃部か同好会になってた。
 それくらい朋絵は三年の抜けた文芸部を支えてくれた。それだけは、忘れないで」

はるかの言葉に頷き、舞人は走って図書室を後にした。
舞人が図書室を完全に出て行ったのを確認して、はるかは机の上に突っ伏した。
普段の彼女からはあまり見られない仕草だ。

「はあ・・・ホント柄にも無いことしちゃったわね。
 損な役回りったらこの上ないわ・・・香奈にどうやって謝ればいいのかしらね・・・」

「別に謝る必要なんて無いと思いますよ?
 そんなことではる先輩を恨んだりするほど私の親友は安い女じゃありませんし」

突然聞こえた声にはるかは『しまった・・・』と言ったような表情を浮かべて図書室の分室の扉の方へ視線を送った。
そこには彼女の予想通りの人物――遠野智里が楽しそうな表情を浮かべて立っていた。

「・・・あんたね、盗み聞きなんて悪趣味よ。加えて言うなら今日は部活は休みだから来るなって言ったでしょうが」

「いえいえ!こーんな一大行事に参加しないほど私はアホじゃないですよ~!
 はる先輩も人が悪いですよ!こういうことがあるならちゃんと連絡してくれないと!
 私の勘が働かなければ危うく見逃すところでしたよ!」

全く悪びれる様子の無い智里に、はるかはただただ苦笑するしかなかった。
楽しげな表情を変えないままで、智里は先ほどまで舞人が座っていた椅子へと座り込む。

「全く、あんたって娘は・・・けど、あんたはいいの?結局私は香奈の想いを知っていながら朋絵とあいつを・・・」

真剣な表情で言葉を選ぶはるかに、智里は『全然問題ないですよ』とでも言うように手を振った。
意外そうな表情を浮かべるはるかに、智里は心外ですよ、と苦笑する。

「むしろ私がはる先輩の立場だったとしても同じことしてると思いますよ。
 まあ・・・ちょっと香奈には悪いかなって思いますけど、結局さくっち先輩が選んだのは
 ともちゃん先輩だった訳でしょ?だったらしょうがないですよ。
 それに香奈は本当は、さくっち先輩には自分なんかじゃ駄目だって思ってますから・・・」

「そう・・・」

はるかは敢えて言及することはしなかった。智里が少し困った表情を浮かべていたのが見えたし、
何より彼女も朋絵のことに踏み込んできていないのだからこちらだけ聞くのはアンフェアだと躊躇われたのだ。
そんな二人の間につかの間の静寂・・・などが訪れるはずもなかった。智里が静寂などを許す訳がなかった。

「それじゃあ私たちは先輩たちの青春劇を邪魔しないように帰りましょうかー!それと帰りにクレープ屋行きません!?
 私昨日の夜からずっとクレープ食べたいって思ってたんですよ!
 ドラマ見てたときに流れてた、おいしそうなクレープ焼いてるCMを見ちゃったらもう!」

「はいはい、分かったわよ。ったく、この娘は本当に・・・」

苦笑しながら、はるかは智里と共に帰る準備を始め、図書室の扉のノブを掴んだ。
――だが、その動作は智里の一言によって止められた。『ちょっとこれは独り言なんですけどね』という一言に。

「はる先輩が本当に許しを乞いたいのは香奈じゃないですよね。
 はる先輩がさくっち先輩と付き合って欲しかったのは本当は香奈やともちゃん先輩、
 加えて言うならこだま先輩なんかじゃなったんでしょ?
 さくっち先輩のことを本当に好きだった人、他の誰でもない『はる先輩だからこそ』分かってたんですよね?」

はるかは止まったままで、後ろにいる智里の方をを振り向こうとしない。
いや、振り向けない。彼女の方を見ると今のはるかの表情が見えてしまうから。
その内容ははるかにとって誰一人として話した事の無い内容だった。勿論、親友の朋絵にすら。
それをどうして今真後ろにいる後輩である少女が知っているのか――。
だが、それも数瞬。彼女にとってはもう別に構わないことだった。桜井舞人があの人ではなく、長原朋絵を選んだ。
その結末を自分で導いた自分に、そのことを否定するような資格はないのだから。

「・・・全く、あんたには本当に叶わないわね。そこはクレープ屋で奢るってことで永久に伏せといて頂戴」

「やったー!だからはる先輩って大好きなんですー!!」

ぴょんと飛び跳ねてはるかに抱きつく智里を見て、今日一番の溜息をつくはるか。
今日の自分の星座の運勢が最下位だったことをふと思い出したが、
それはあながち間違いではないのかもしれないと他人事のように思っていた。












――夕焼けの空が世界を包み込む風景。その神が作り出した美術に人は幾度心を奪われてきたのだろう。
舞人はその茜色の空がこの辺では最も近い場所――学園の屋上へと足を運んでいた。
彼女はここにいる、という確信を持って。
そしてその確信は彼女の姿を視界に捉えて初めて現実のものへと変わる。
彼女はフェンス越しに夕焼けに照らされた街の風景を一人眺めていた。

「よお、サボり魔。部活休んで屋上とは本物の不良女に化しつつあるな」

「えっ?わっ!さ、桜井君!?いつからそこに!」

突然の声に驚きを隠せない彼女を見て、舞人はふとデジャヴを感じたのは決して気のせいなどではなかった。
以前ここで一度だけ彼女と同じようなやり取りを交わしたことが彼にはあった。
動揺する彼女を他所に舞人はようやく見つけたといった表情を浮かべ、彼女の元へと近づいていく。

「お前、前も確か同じ様なことがここであったよな?まあ、そのことも俺がいつ来たかなんてことも今はどうでもいい。
 いいか、そこを動くなよ。お前には山ほど言いたいことが沢山ある・・・」

「来ないでっ!!!」

突然の彼女の大声に舞人は思わず足を止めた。彼女が示したのは舞人への拒絶の意思。
あっけに取られた舞人を見て、朋絵は今ようやく自分が大声を上げたことに気付いたようで、あたふたとしている。

「ご、ごめんね・・・でも、駄目なんだよ・・・桜井君は、桜井君だけは今は来ちゃ駄目だよ・・・」

屋上のフェンスに背中をつけ、困ったような表情で明らかな拒絶を告げる彼女に舞人は驚きを隠せない。
彼女がどうして自分を拒絶するのか、その理由が彼には全く分からないからだ。

「お、お前っ!!全く意味がわかんねーよ!!大体来るなってなんだ来るなって!!
 そんな真正面から行動をバッサリ全否定されると俺の立つ瀬どころか座る瀬すらないっつーの!!
 ちゃんと理由を言え!理由を!!」

「理由なんて自分でもよく分かんないよ・・・と、とにかく駄目なの!お願いだから今日はもう帰ってほしいんだよ~!」

「だが断る。そんな風に理由も教えられずにノコノコと帰る馬鹿がドコにいる。
 よし、決めた。俺はお前の言うことは一切聞かん。何てったって俺は銀河にその名を轟かせる程の
 自己中心的主義の塊、略してジコマリだからな」

そう言って舞人は足を再度彼女の方へと動かす。一歩一歩、彼女の元へ近づいていく。

「や、やだよ~!!だ、駄目!!近づかないでってば!!お願いだから・・・あっ・・・」

「・・・ようやく捕まえたぞ、この天然馬鹿娘」

声を荒げる彼女の腕を掴み、舞人は疲れたような表情を浮かべる。
舞人に触れられた瞬間、彼女の表情が夕焼けだけでは説明できないほどに
赤く染まり上がったことに舞人は気付けなかったが。

「あ・・・うう・・・・」

言葉も出せないような状態に陥ってる彼女(目にはもはや涙すら貯めている)を見て、
舞人は多少罪悪感を覚えたのか彼女の腕を掴んだ手を離した。
ホッとする彼女を他所に、舞人は真剣な表情を浮かべ、口を開く。

「・・・お前がどうしても部活を休んでた理由を言いたくないならそれでいい。
 けどな、俺はそれ以上に頭にきてることがある。
 お前はどうして・・・どうして俺なんかの代わりになる為に家庭科部を辞めて文芸部に入ったんだ」

瞬間、朋絵の表情が驚きを浮かべた。
そして、彼女の表情は悲しげなものへと変わり、舞人から視線を外した。いや、外さざるを得なかった。
今の彼女にとって舞人を直視するなど到底不可能なことだったのだから。

「・・・文芸部の誰かから、聞いちゃったのかな・・・」

「ああ、全部結城の奴に教えてもらった。
 俺はお前は家庭科部を辞めてから、何もすることがないから文芸部に入ったものだと思ってた。
 けど、実際に話を聞いたらそんな簡単な話じゃなかった。
 どうしてお前は自分の大切な場所まで捨てて文芸部に入ったんだ!
 つらい目にあって!仲間だった奴らから裏切り者扱いされて!それなのにどうして!!
 そんな馬鹿な話ってあるかよ!?」

言葉の一つ一つに怒気が含まれた舞人だが、朋絵はふるふると小さく首を振って答えた。それは違うよ、と。

「他の人たちは全然悪くないよ・・・私が勝手にみんなを裏切ったんだから、当然だよ・・・
 だから、他の人を悪く言っちゃ駄目だよ・・・みんな優しい人なんだから。凄い、優しくて、温かい友達だったから・・・
 そんな人たちを裏切っちゃったのは私だから・・・」

懺悔。今の彼女を表現するならこれほど合う言葉はないかもしれない。それはまるで罪人の独白。
そしてその彼女の言葉は舞人に向いていないようにすら感じる。
彼女は一度大きく息を吐き、舞人に笑顔を向けた。その笑顔はいつもの彼女と同じ笑顔。
いつも彼に向けられた笑顔。その筈だった。
――けれど、その笑顔には悲しさ以外の何も感じられない、彼女らしくない笑顔だった。

「・・・私ね、一年生の頃から凄い文芸部が大好きだったよ。時間が空いた日の放課後はいつも遊びに行ってたんだよ。
 小さい頃から仲良しだったはるかやひかりお姉ちゃんがいて、いつもにぎやかで。家庭科部も好きだったけど、
 文芸部は特別だったんだ。あの場所は暖かくて、優しくて・・・それは二年になっても変わらなかったよ」

「ひかりお姉ちゃん・・・?ああ、ひかり姐さんのことか」

「うん。私とはるか、それにひかりお姉ちゃんは幼馴染だから、私は部活以外ではそう呼んでたんだよ。
 だから桜井君の呼び方もあながち間違いじゃないよね。
 そしてね、二年になると香奈ちゃんや智里ちゃんが入部してきて、それから少し遅れてなっちゃんが入部したかな。
 みんなともすぐ仲良くなれたよ。そしてその少し後に・・・桜井君をこだま先輩が連れてきたんだよ。
 そのときの部員みんなの一段と楽しそうな光景は今でも忘れてないよ。
 私が知ってるなかでも、男の子が文芸部に来るなんて初めてだったんだもん。凄くビックリしたよ」

彼女が今思い出の中で描いてる光景は舞人も描ける光景。それは初めて彼が文芸部に参加したときのこと。
ただ、決定的に違うことは、彼女の記憶に舞人は映っているが、彼の記憶に朋絵は映っていないということ。

「そして桜井君が部活に参加してくれるようになって、文芸部は変わったよ。
 前以上に明るくて、凄い楽しい部活になったんだよ。
 ひかりお姉ちゃんも、はるかも、こだま先輩もみんな楽しそうにしてた。
 それまでの文芸部よりも更に楽しくて、とても温かい部活になってたんだよ。
 桜井君がこだま先輩と付き合い始めてからその空気は更に膨らんでいったよ。
 多分、部活って言うよりも一つの家族って感じだった。
 こんな日がいつまでも続けばいいなって。部員でもないけど、私は凄く思ってた。
 はるかもひかりお姉ちゃんも笑っていられるこんな部活がいつまでも続けばいいなって」

――いつまでも続けばいいと思っていた。それは舞人も同じだった。
騒がしいながらも温かいあの部活がいつまでも続けばいいと思ってた。そんな日々が終わることなんて想像すら出来なかった。
そして、舞人の思考は終局へと導かれた。不幸なクライマックス。
それは朋絵も同じなのか、先ほどまでの笑顔が完全に消え失せてしまい、悲しそうな表情を浮かべている。

「でも・・・それは続かなかったよ。ある日突然こだま先輩が・・・」

「記憶の消去・・・か・・・」

舞人の呟きに、朋絵は小さく首を縦に振った。
文芸部員でそのことを知らない人は誰一人いない悲劇。それはまるで御伽噺や漫画の世界のような出来事。
――里見こだまから、桜井舞人に関する記憶が抜け落ちていったという信じられない結末。

「最初は桜井君とこだま先輩がケンカしちゃったのかなって、みんなそう思ってた。
 けど、そんな簡単な問題じゃなくて、こだま先輩から『桜井君の記憶そのもの』が無くなってたんだよ・・・
 手のひらから砂が零れ落ちるように消えていったんだよ。
 桜井君が部活に来なくなって日を追うごとにこだま先輩の症状は進んでいったよ。
 でも、病気とかじゃないって・・・大丈夫だからって、ひかりお姉ちゃんがみんなに説明してくれて・・・
 でも、それから文芸部はガラリと変わっちゃった・・・三年生は受験だし、
 二年生ははるかだけで、一年生は香奈ちゃん達三人だけ。とても寂しくなっちゃったんだよ・・・
 ・・・私は嫌だったんだよ。凄く辛そうなはるかや香奈ちゃん達を見るのは・・・
 あの大切な場所を無くしちゃうのは・・・桜井君の帰ってくる場所が無くなっちゃうのは・・・」

一端言葉を切って、朋絵は目を閉じた。
これから先もちゃんと舞人に本当のことを伝える為の勇気を体中から集めるかのように。
そして数秒経って、彼女は目を開いて話を続けた。

「家庭科部を辞めて文芸部に入った理由はね、私のただの我が侭だったんだよ。
 ウチの家庭科部って凄く忙しいから・・・一年や二年の頃は多少遊びにいけたけど、
 三年生で部長になっちゃったら、絶対に文芸部に二度と行けなくなるって分かってたから・・・
 ・・・だから・・・選んで、捨てちゃったんだよ・・・家庭科部を。私、凄く酷い人なんだよ・・・
 自分勝手な我が侭で部のみんなに嫌な目に会わせちゃったんだよ・・・
 家庭科部と文芸部を勝手に天秤にかけて、本当なら絶対選ぶべき方を私は捨てちゃったんだよ・・・」

彼女の言葉が途切れ途切れになる。けれど、しっかりと伝えようとしている。頬には既に一筋の涙が伝わってる。
自分にとって都合の悪い部分を含め、ありのままの事実全てを包み隠さずに人に伝えるというのは
とんでもなく勇気がいること。果たして何人の人間がそんなことを出来るだろうか。
彼女は決して強い人間じゃない。けれど、堪えている。本当は逃げたりしたいのに、踏みとどまって頑張っている。
舞人は彼女のそんな意思の強さを正面から受け止めていた。

「馬鹿・・・野郎が・・・どうしてそんな大切なコトを今までずっと黙ってたんだよ・・・」

「・・・桜井君に、知られたくなかったから・・・だよ・・・」

彼女の言葉に舞人は『どういうことだ』と視線で訴えかける。
舞人はどうしても知りたかった。彼女が自分に黙っていた理由を。
もし早く知っていれば少しでも彼女の力になれたかもしれないという遅い後悔の念。
今更無駄だとは分かっていても、彼は聞かずにはいられなかった。

「私、凄く臆病なんだよ・・・桜井君にだけはこんな卑怯な私を知られたくなかった・・・
 軽蔑されたくなかった・・・友達を裏切るような女の子だって知られたくなかった・・・
 最初はそんなつもりじゃなかったよ。桜井君が聞いてきたら話そうって。別に隠す必要は無いって。
 ・・・でも、あの雨の日に一緒に帰ったときに聞かれて・・・思わず嘘をついちゃった。
 きっと桜井君なら笑って済ませてくれるって思ってたのに・・・正直に言えなかった。
 ズルイ私への神様からの天罰なのかな・・・その日から、私おかしくなっちゃったんだよ・・・
 桜井君が小町ちゃんや智里ちゃん達と仲良く話してるのを見るだけで胸の中がもやもやしたり、
 嫌な気持ちになっちゃうんだよ・・・こんなこと、今までなかったのに。
 それで・・・少し前に、その、桜井君ともつれあったときから・・・
 そんな変な気持ちが爆発して自分でどうしようもなくて・・・だから、駄目、なんだよ・・・」

その理由は至って単純なものだった。舞人に自分の汚れた部分を見せたくなかったという至極単純な理由。
好意を抱いてる異性にそんな感情を抱くのは当然のことなのだけれど、
彼女にはそれすらも分からなかった。それは今まで恋をしたことがなかったから。
恋をしたこと無い彼女にはそんな自分がただの嘘つきにしか映らなかった。
自分を誤魔化す最低な人間にしか映らなかった。
だから今、不必要に責め立てている。嘘をついた自分に。不可思議な感情を小町達に抱く自分に。そして、それを悩む自分自身に。

言葉を切った彼女を見て、舞人は今ようやく全てを理解した。
自分が彼女に何をすべきなのかを。こんな彼女をどうすれば救えるのかを。
自分を救ってくれた馬鹿なまでに純粋な少女が今自分自身を責めている。そんなふざけた話は認めない。
そんなことがあってたまるか。彼は強くそう感じていた。

「・・・俺は今ほどお前が馬鹿だって思ったことはないぞ。
 今日でお前は俺の人生の中で決して誰にも抜かれることの無い馬鹿女王の称号を捧げてやる」

「ひ、ひどいよ・・・私、凄く真面目に話してるのに・・・」

泣きそうな表情(現に涙は流しているのだけれど)を浮かべる彼女を見て、舞人は全ての決心を済ませた。
過去の悲劇も、過去の最愛の人も、過去の絶望も、今全てを置きさって目の前にいる彼女を救う。それが彼の決意だった。

「いいか、よく聞け。お前は卑怯なんかじゃない。
 俺が軽蔑する?俺は自分の居場所を守ってくれた女を馬鹿にするほど人間腐っちゃいないんだよ。
 例え誰がお前の行動を貶したとしても俺は、少なくとも俺だけはお前に感謝してる。
 お前は俺を、『桜井舞人』を救ってくれたんだ」

彼女は自分を救ってくれた。
自分が絶望にくれてる間に、彼女は自分の大切な場所を守ってくれた。話したこともない女々しい大馬鹿野郎の為に。
そして彼女と初めて出会った時、彼女は何事もなかったかのように笑顔を浮かべてくれた。
あの時彼女が彼に最初に言ってくれた言葉を舞人は今この瞬間に思い出した。
それは何気ない一言だった。けれど、今考えれば確かにあの一言で彼は救われた。それは間違いなかった。

「桜井・・・君・・・」

それは久々に部活に来たときのこと。彼は部活に退部届けを出して辞める為に来たつもりだった。
自分でも女々しい行動だと彼も自分で理解していた。
けど、あの時の彼にとっては里見こだまに関する全てのことが苦痛だった。

「お前があの場所を守ってくれなければ、お前と出会わなければ俺は絶対に立ち直れなかった。
 きっと今でも一歩が踏み出せない臆病なままだった。
 だから今度は俺が、お前を救ってやる。お前のその生まれて初めて味わっている天罰とやらから解放してやる」

だから、彼は逃げようとした。思い出の場所から逃げようとした。そして、いつの日かきっと忘れてしまい、ラクになれると。
けれど、訪れた図書室には見知らぬ女生徒が一人いただけだった。
そしてその娘は舞人に気付き、彼の元へと近づき、そして彼に一言――







『桜井舞人君だよね。おかえりなさい、だね』


「長原のことが好きだ。俺と付き合って欲しい」


――おかえりと、言ってくれた。








だからこそ。彼の帰る場所を用意してくれた彼女に、舞人は自分のありのままの気持ちを伝えた。
自分に飾る必要などない。彼女に伝えたい想いさえ伝わってくれればいい。
それが彼の想いのカタチ。自分の本当の気持ちだった。

「ど・・・どうして・・・だ、だって桜井君、こ、こだま先輩のことが・・・」

彼の言葉の意味をようやく理解したのか、ワンテンポ遅れで朋絵は言葉を返す。
そして質問の内容に舞人は苦笑する。そして同時に喜んでいる自分を感じた。
さきほどはるかからも舞人は同じ質問をされたばかりだ。舞人とこだまは他の文芸部員から見て
それほどまでに愛し合えていたんだという、そのことが彼は少し誇らしかった。
人を愛せた。人と愛し合えた。たとえ相手が忘れても、その記憶は他の人に残っている。
それだけで充分だった。こだまと付き合っていた事実を知っている人がいるだけで彼には充分すぎた。

「俺はもう迷わない。こだまさんとのことを忘れる訳じゃない・・・
 けれど、俺は今目の前の長原朋絵って女の子に自分でも呆れるくらい心底いかれてるらしい。
 昔の俺と今の俺は違うんだ。今の俺は長原朋絵が好きなんだよ。俺はお前じゃないと駄目なんだよ。
 お前にずっと笑っててほしい。お前と一緒に歩いていきたい。
 ただでさえお前のことが好きだったのに、そんな話を聞かされちまったらもう止まれない。
 お前が余計なツライ思いをした分の代価をきっちり払って幸せにしてやる。
 俺の全てを守ってくれた女の子を・・・俺の大切な場所を自分を犠牲にまでして守ってくれた女の子を
 幸せに出来るなんてこれ以上の幸せは今回を逃すともう二度と望めそうもないからな」

「で・・・でもっ、でも!私、全然男の子と付き合ったことなんてなくって・・・
 これが好きって気持ちなのかも分からなくって・・・」

「もう考えるのはよせ。直情で行動した方がいい。
 人間は考える葦とは言うが、それ以前に本能のままに行動する生物でもあるんだ。
 長原が今どうしたいのか、その素直な気持ちで俺の言葉に答えてくれればいい。
 どんな答えでもお前からなら俺は受け入れる。お前からだからこそ、受け入れられる」

彼女の言葉を言葉で制する。彼はただ、答えを待った。想いを伝えた少女からの返答を聞くために。
けれど、既に答えが出ている質問が無駄であるように、既に答えの分かりきっている答えを待つのも
無駄なことではなかろうか。
舞人の居場所を守ってくれた朋絵。朋絵の全てを受け入れてくれた舞人。これは悲劇で終わった舞台のエピローグ。
悲劇で終わった後の話ならそれ以上悲劇になる必要性がない。
最高の悲劇で終わった舞台なら、あとはハッピーエンドに向かうだけ。
それ以上の悲劇など存在しては客など入り得ない。そう、これは舞台。だからこそ答えは分かりきっていた。

「・・・ずるいよ、桜井君・・・はるかと全く同じこと言うんだもん・・・
 そんなこと言われたら私、本当に駄目になっちゃうよ・・・」

溢れる涙を拭うこともなく、朋絵は舞人の胸の中へと飛び込んだ。そして舞人もしっかりと朋絵を抱きとめる。
茜色に染まった空の下で、初めて彼女の涙を見たあの日と同じ赤い空の下で、二人の影と想いは一つになる。

「・・・ようやく、本当に捕まえたってとこか?」

「捕まっちゃったね・・・うん、私も桜井君のこと大好きだよ・・・
 これが大好きって気持ちなんだね。だって変なんだよ・・・凄く嬉しいのに涙が出るんだよ・・・
 こんなのって恋愛小説とかドラマだけだって思ってたのにおかしいよね・・・私、凄く幸せなのに涙が止まらないんだよ・・・」

彼女は笑顔のままで涙を流していた。生まれて初めて恋をした少女は、生まれて初めて恋をする喜びを抱いた。
彼は笑顔のまま彼女をしっかりと抱きしめていた。今度こそ大切な人を失わないために。目の前の少女を幸せにするために。

「馬鹿、こんなところで幸せになってもらっちゃ困るんだよ。
 お前には今までの分も幸せになってもらわなきゃいけないんだからな。
 それに泣きたきゃ好きなだけ泣け。俺の胸はお前専用だからな。いくらでもレンタルさせてやる。
 無論七泊八日の一週間レンタルも可能だ」

「あはは・・・うん、もう少し借りちゃうよ・・・ありがとう、こんな私を受け入れてくれて・・・」

「こっちこそ・・・な。俺を救ってくれて・・・ありがとな」

そして二人の距離は自然と近づき、淡く触れるようなキスを交わした。
赤いスポットライトに照らされた舞台の上で、長い遠回りを経て知り合った二人の恋は始まりを告げた。

今は唯、恋という名の幕間劇に興じよう。第二幕のクライマックスはまだまだ先なのだから――












8月8日(木)


風にあそばれて




彼らの想いが通じ合った翌日。
その日は一言で言うなら嵐のような一日だった。

「はいはいはいはい!!新婚さんいらっしゃーい!!!」

部活の為、図書室を訪れた舞人に向けて放たれた第一声は智里のこのような言葉であった。
とてとてと舞人の元に走り寄り、にやにやと子悪魔染みた笑みを零す智里を見て、舞人は大きく溜息をつく。

「お前、朝っぱらからやかましいぞ。というかあれだな。
 お前はまず先輩に顔を合わせたら第一声はちゃんと礼儀礼節秩序道徳を重んじて挨拶をすべきだ。
 特に俺のような誰からも尊敬されるような人間国宝相手ならば尚更だ。
 まあ、今日の俺は心が明鏡止水の如き穏やかさゆえ、先ほどの言葉は水に流して差し上げようではないか。
 さあ、この尊敬する先輩に向かって一言『おはようございます桜井先輩』と心から挨拶するがいい。
 そうすれば俺もお前の心意気を汲み取って・・・・・・・待て、お前さっき何て言った?」

驚き以外の感情が読み取れない表情を浮かべる舞人に対し、智里の表情は更に子悪魔ぶりを加速させている。

「で・す・か・ら~!新婚さん、いらっしゃ~いって言ったんですよ~?
 あ、あとおはようございます!可愛い彼女が出来て幸せ絶頂のさ・く・ら・い・せ・ん・ぱ・い!」

彼女の言葉に呆気に取られたままの舞人を、智里はどうぞどうぞと図書室の奥へと引きずり込む。
部屋の奥では、机についていた他の部員全員(小町は金曜以外は来られない)が舞人の方を祝福するような笑顔で迎えている。
・・・失敬。一番奥の席に座らされていた舞人の最愛の人――長原朋絵のみ顔を真っ赤にして、
今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
加えて言うならなつきは最中(もなか)を食べるのに夢中で視線すら向けていない。

「あの・・・先輩、本当におめでとうございます・・・
 長原先輩はとても素敵な人ですし、お二人は凄くお似合いだと思います」

「はい!すっごく寂しいというか、残念というか、悲しい気持ちもいっぱいですけど
 今は舞人さんと長原先輩の門出を祝福なのです!!」

「おめでとうございます」

呆けたままの舞人を他所に香奈、かぐら、なつきは次々に祝福の言葉を投げかける。
香奈とかぐらは少し寂しそうな、けれど心から祝福するような笑顔で。
なつきは相変わらず食べかけの最中(もなか)に視線を残して舞人の方を全く見ていない状態で。
舞人が驚くのも無理は無い。舞人と朋絵が想いを通じ合ったのが昨日。
そして昨日は二人一緒に途中まで下校し、それから部員の誰にもそのことを知らせていないのだ。
それなのに何故かこの場の全員が二人が付き合ってることを知っている。
舞人が誰にも話していない、ということは彼に思いつく理由は一つ。

「おまっ!!長原!!他の奴ならともかく遠野にばらす奴があるかっ!!
 こいつに話すということは学園中に広まるのは確実ってことだぞ!?」

「ち、違うよ~!わ、私は話してなんかいないよ~!部活に来たら智里ちゃんが何故か知ってたんだよ~・・・」

舞人の言葉に朋絵は相変わらず半泣きな状態で答える。
今の彼女はイッパイイッパイという表現が見事に当てはまるような状態だった。
彼女の言葉に彼は思考を巡らせる。朋絵が喋っていない。なのに智里が知っていた。
自分も喋っていない。それではおかしい。矛盾が生じる。

「何・・・?じ、じゃあ何で・・・あ」

思考の海にダイブしていた舞人であったが、視界の隅に一人の女生徒を見つけてその疑問は氷解する。
彼と朋絵以外で昨日の出来事を知っている人物。その答えは深く悩むようなものでもなかったのだ。
朋絵もその考えに至ったらしく、その女生徒に視線を送っている。

「・・・そこでどうしてアタシを見るのよアンタらは」

「いや・・・別に深い意味は無いが・・・なあ?」

「う、うん・・・はるかには本当に申し訳ないけど・・・」

その二人の視線の先には二人の仲を取り持ったと言っても過言ではない人物――結城はるかが
納得いかないような表情で椅子に座っていた。
舞人と朋絵以外で昨日あの場にいたのを知っているのは彼女以外ありえないのだ。
何故なら舞人と朋絵は智里があの場所に来ていたことを知らないのだから。

「『私は』何も言ってないわよ。まあ、壁に耳あり障子に目あり。真実はどこから漏れてもおかしくはないってことね。
 それよりもいいの?私なんかよりもアンタ達と話をしたそうな人が目の前にいるのに放っておいて」

はるかもなかなかどうして楽しんでるような表情――悪魔の笑みを浮かべて舞人の後ろを指差す。
そこには目をキラキラと輝かせた(実際はそんな乙女チックな表現など出来はしないのだが)智里が
二人の顔を交互に眺めていた。

「お二人とも息ぴったりではる先輩を疑っちゃうなんて凄いですよね~!いえいえいえ!!お熱いことで何よりですよ!!
 でも~!ちょっと久々にともちゃん先輩が来て明るさが戻った部活でそんな風に見せ付けられると~!
 折角冷房きかせてるのに無駄になっちゃうっていうか~!」

「か、香奈ちゃん香奈ちゃん・・・遠野のヤツ、何でこんなにテンションが高い訳・・・?」

普段の三倍以上のテンションで暴走する智里に困り果てた舞人は、
彼女と長年の付き合いである香奈に疑問を投げかける。
香奈は困ったような表情を浮かべ、たどたどしく理由を語りだす。

「・・・智里って他人の恋愛ごとが大好きなんです・・・
 友達の女の子に恋人が出来たりするといつもそれをネタにして・・・」

「め、迷惑極まりない馬鹿だなオイ・・・
 ああいう奴をどんどん警察は取り締まるべきだと俺は思うんだが。もしくは罪人を裁くノートに名を連ねてもいい。
 もはやあいつの存在自体が犯罪だな。流石は遠野と言ったところか」

「あ、あはは・・・で、でも先輩、智里はああいう風にしてますけど、本当はお二人のこと凄い祝福してるんです。
 どんな人相手でもからかったりはするんですけど、智里があんな風に喜ぶのは、本当に大切な人のときだけですから・・・」

「分かってるよ、香奈ちゃん。なんだかんだ言っても、あの馬鹿とは一年以上付き合ってるからね・・・。
 ったく、ちったあ大人しく感情を表現できんのかね・・・」

「あ、あの・・・でもいいんですか?長原先輩、凄く泣きそうなんですけど・・・」

「へ?んな馬鹿な。いくらあの長原とはいえ流石に遠野に泣かされるようなことは・・・」

「で?で?で?お二人はどこまでいっちゃったんですか!?
 そこら辺を丁寧かつ大胆に優しく厳しく教えて欲しいんですよ~!
 ていうか、ぶっちゃけともちゃん先輩はさくっち先輩のドコに惚れちゃった訳ですか!?
 私が言うのもあれですけど、さくっち先輩って凄い捻くれてますよ!?
 まあ容姿は悪くは無いですけど、将来性なんて皆無中の皆無!
 絶対近い未来で苦労を背負い込むこと間違いなしの逸材ですよ!?」

「え・・・あ・・・あうう・・・」

香奈の言葉に舞人は苦笑しながら二人のほうを見ると、まさにその通りの状況になっていた。
物凄く楽しそうな笑みを浮かべて小町並みのマシンガントークで攻め立てる智里、
そんな彼女に押されて上手く言葉を発せていない朋絵。というか泣きそうである。
傍から見ては分かりづらいかもしれないが、一応言うと智里が二年、朋絵は三年である。
加えて言うなら部活において立派な先輩後輩の立場である。

「って、マジかよおい・・・こら、そこの歩く四大公害。
 お前はいい加減大人しくしろっていうか黙れっていうか息をするな」

智里の制服の襟首を掴み、朋絵の元から引き上げる舞人。その様子はまるで猫を鷲掴みしているかのようだ。

「何ですかー!いいじゃないですかー!
 独り身で寂しい思いをしてる私の目の前に熱々のカップルが目の前にいるんですよ?ムカつくじゃないですか!
 その精神的慰謝料代わりにお二人の恋愛模様をちょっと聞くくらいしたっていいと思いません?
 むしろこれは当然の権利の行使ですよ!」

「何が当然の権利だ馬鹿たれ!いいか、よく聞け。そもそも時代を担う若者がこんな風に
 下賎なニュースに振り回されるようだから日本社会は根元からどんどん腐っていってしまうんだ。
 そんな下らない情報に一喜一憂してる暇があったらやれ一に勉学、二に勉学。
 三、四がなくて五に勉学。学業と言う名の義務に励みなさい。お前の流した分の汗は決して無駄にはならん。
 日々の努力研磨を怠り、楽しみばかりに目を囚われてしまうと気付けば堕落の一途を辿ってしまう。
 大げさのようだが貴様はまさにその典型だ。
 お前を過去の偉人に例えるのもどうかと思うが歴史上のどんな偉人も没落するのには必ず理由があるものよ。
 例えば秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の禄山。奴らは皆政を怠り・・・」

「さくっち先輩がまともなことを言うときは何かを誤魔化そうとしてるときって八重ちゃん先輩が言ってたんですけど?」

「ちっ、ちちち違います!!誤魔化そうとなんかしてないです!!本当なんです!!」

じと目で見つめる彼女を前に慌てふためく舞人。その様子は明らかにその通りだと言ってる様なものである。
もし彼の物語に某プリンセスと付き合うようなIFがあったとしたら毎日がこのようなやり取りをしていたのかもしれない。

「そ・れ・に~、たとえさくっち先輩がどんなに毒舌人間でも言っていいことと悪いことがありますよ~?
 いくらなんでも彼氏に目の前で付き合ったことを『下らない情報』なーんて言われちゃったら私だったらすっごい傷ついちゃいますけどね?いいんですかね~?」

ふふん、と勝ち誇った笑みを零す智里の言葉に嫌な予感が全身を駆け巡った舞人は、恐る恐る朋絵の方に視線を送る。
そこにはお約束と言おうか予定調和と言おうか。朋絵が涙を目一杯浮かべあうあうと今にも泣き出しそうな状態だった。

「ば、馬鹿!!今のは言葉のあやだっつーの!!遠野の策略だ!だからそんな深く考えるな・・・『ぶぇぷっ!!』」

慌ててフォローを加えようとした彼だが最後まで言葉を続けさせては貰えなかった。
頬に見事な衝撃(ビンタ)を加えられ、気付けば地に伏す無様な醜態を晒していた。
そう、彼は忘れてしまっていたのだ。彼女の――長原朋絵の親友が結城はるかであったことを。

「なーに付き合って二日目で彼女泣かせるようなマネしてんのよアンタはっ!!
 アンタね、朋絵を泣かすようなことしたら許さないわよ!どつくわよ!?」

「な・・・何で未然形で言うんだこのクソ眼鏡・・・もう既にどついてんじゃねーか・・・」

フラフラと立ち上がる舞人の視界には先ほどまで子悪魔の笑みを浮かべていた智里の姿が確認できなかった。
そのことに気付き、慌てて視線を朋絵の方へ送るとまたも智里が朋絵に食らいついていた。物凄く楽しそうな笑顔で。

「それで、それで!?さくっち先輩のどこがいいんですか!?ドコに騙されて付き合うことになっちゃったんですか!?」

「え・・・ええと・・・や、優しいところ・・・かな・・・」

顔を真っ赤にしながらもあまりに見事な笑みを浮かべる彼女を見て、かぐらや香奈は慌てて視線を逸らした。
同性から見ても顔を赤らめてしまいそうなくらい、朋絵の心からの笑顔は魅力的なものだった。

「うっわ~・・・ともちゃん先輩、絶対いつかは詐欺に騙されるとは思ってたんですけど、まさかこんな学生生活で・・・
 さくっち先輩!こんな純粋な女の子を騙していいと本当に思ってるんですか!?
 見損・・・いえ、最初からそういう人でしたっけ。これは失礼しました~!」

「遠野・・・今日という今日はきっちり貴様とケリつける必要がありそうだな。
 何か言い残す言葉はないか?俺はこう見えて温情家だからな。お前の墓標に刻む言葉くらいは聞いておいてやろう」

竜虎相打つ。舞人と智里の間に目に見えない火花が散らされた。
ちなみにはるかと舞人ではティラノサウルスVSゴキブリくらいの差があるので竜虎とは表現できないので念のため。

「はいはい、そこまでにしときなさいよアンタ達。こんな調子じゃ部活がいつまでたっても始められないでしょーが。
 今日はずーっと無断欠席してた誰かさんを扱き使わないといけないわけだしね。
 休んでた分の仕事を今まで誰がしてきたのかきっちり教えないといけないしね」

ふっふっふ、とはるかは朋絵の方を見て怪しい笑みを浮かべる。
彼女がこんな表情を浮かべるときは十中八九『ヤバイ』時だ。
その彼女の笑みを見て、他の部員達は一斉に解散して部活動を始めた。
その理由は勿論巻き添えによる被害を被りたくないためである。

「あう・・・は、はるか少し怖いよ・・・さ、桜井君~・・・」

「諦めろ。散々サボってきたお前が悪い」

最愛の人に助けを求めた朋絵であったが、舞人の一言によって一蹴される。
彼の言うことはもっともではあるし、何よりも舞人自身があの状態のはるかに関わりたくないのだ。

「そ・・・そんなあ~・・・ゆるしてよはるか~・・・」

「はいはい、聞こえない聞こえない」

腕をつかまれてずるずると図書室の奥にある書庫へと連れて行かれる彼女を見て舞人はただただ合掌するしか出来なかった。
願わくば、彼女が無事で今日と言う一日を終えられますように、と。
















――そんなことがあったのが今日の午前中。午後になり、舞人と朋絵はさくら通りを二人でブラブラと歩いていた。

「はうう・・・今日は本当に酷い目にあったよお・・・」

そんな午前中のことを思い出したのか、朋絵はうう、とうなだれた様子で舞人の横を歩いている。

「うむ、近日稀に見る結城のサドっぷりが発揮された日だったな。
 いやいや、あれほど見事に扱き使われてる人間を俺以外で見るのはなかなかどうして久しいものよ。
 て言うかあれだな、普段の俺は結城からあんな風に扱き使われてたんだな。
 いや何、第三者視点で自分を見つめ直すというのは大事だなと教えられたぞ」

「そんな他人事みたいに言わないでよ~。桜井君手伝ってくれても良かったのに・・・あうっ」

む~、と不満げな表情を浮かべる彼女だが、舞人は彼女の頭に軽くチョップをして
その考えはお門違いだという意思表示を示す。

「馬鹿を言うな。自分から好き好んで震災地に向かうことなんか出来るかっつーの。
 だからこうして今お前を慰めようと仏の心を持ってショッピングに付き合ってやったのではないか。
 本来ならば俺は今頃イ○ローばりのレーザービームでバックホームしてたところだ」
 
「それはそうなんだけど・・・でもでもっ、私が部活来なかったのは・・・その、桜井君の責任も少しはある訳で・・・」

「おいおい、今度は責任転嫁か。虫も殺さぬ顔して自分(てめえ)の恋人に罪を押し付けようとは何て恐ろしい女だ」

「うう・・・もういいよお。でも、買い物に付き合ってくれてありがとうね」

「っ・・・!お、おうよ。思う存分俺に感謝しやがりなさい」

先ほどまで怒ったり困ったりしたような表情を浮かべてた彼女が
唐突に見せる笑顔に舞人は思わず胸が高鳴るのを覚えた。
ころころと色々な表情を見せてくれる感情表現豊かな朋絵。そんな彼女に俺は惚れたんだな、と
舞人は柄にも無く考えていた。

「うんっ!あ、後これからもうすぐスーパーのタイムセールが始まっちゃうからそっちに寄っていってもいいかな?
 お母さんが部活帰りに行って来いって言われてたの思い出したよ~」

「ほう。タイムセールとはお前も主婦じみてるではないか・・・まあ良かろう!
 俺が昔全国への切符を手にしたラン&ガンでお一人様2パックまでの卵も三周してきてやろうではないか!
 タイムセールは生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの世界だからな。
 お前のような常にボーっとしてるような女人が立ち入れる世界でないことを身を持って教えてやろう」

「えっと、よくわかんないけどOKってことだよね?」

「ああ、俺の技巧(テク)の真髄をお前に叩き込んでやろう!
 いいか、俺のことを今日からハート○ン軍曹と・・・って、おい!?」

彼が言葉を喋り終える前に、舞人の手を握り駆け出していた。
彼に比べ小さな、それでいて温かい手の感触が今彼女と繋がっているのだということを意識させる。

「早く行かないとタイムセール始まっちゃうよ~!もう五時前だから急がないと~!」

彼女の少し赤らめた満面の笑みを見て、舞人は気付けば自分も笑みを零しているのに気がついた。
その笑顔はまるで芙蓉。綺麗でいて、そしておしとやかさも感じさせる。けれど決して受身のように感じることはない。
そんな彼女を時には振り回し、時には振り回される日常。
そんな毎日がこれから続いていくのだと思うと彼は笑みを零さずにはいられなかったのかもしれない。
なお、スーパーの前で朋絵がようやく舞人の手を握っていることに気付き、顔を真っ赤にして大暴走してしまい、
その現場を佐伯親子に押さえられたというのはまた別のお話。














8月15日(木)


優しさの雨に抱かれて




八月十五日。それは文芸部の夏合宿の日である。場所は予定通り桜坂学園である。
夏合宿とは『学校に一泊する事で部活内での結束力を強くし、部活動の更なる発展を望む為』に行う
部活動の一環である・・・筈なのだが。

「うおらっしゃーーーー!!!!!!貰ったァーーーーー!!!!!」

怒声とも咆哮とも区別のつかないような雄叫びを上げながら文芸部部長こと桜井舞人は
全速力で学園の廊下の直線を駆け抜けている。
彼の視線の先にあるものは唯一つ、リノリウムの床に置かれた空き缶である。
彼はただ、それだけを視線に捉えて真っ直ぐに走る。
誰もいない直線路。駆け抜けるは我が身のみ。何人たりとも彼を止めることなど出来ない。――その筈だった。
彼の視線の先にある缶。そのまた先に一つの影が彼の視界に映った。そう、それは彼が最も恐れていた存在。
最後の生存者である彼を地獄へ落とす死刑執行人(エクゼキューター)。
気づいた時にはもう遅い。走る体躯を今更止めることなど出来る訳も無い。
逃げることも出来ない。生き延びる為には唯、死神よりも早く缶を仕留めることのみ。
彼は駆ける。駆ける。駆ける。唯遮二無二駆ける。缶とはもう距離3Mも無い。
――だが、死神は彼よりも速く断罪の鎌を振り下ろした。

「百兆年甘いわっ!!!桜井見つけ!!!せやっ!!!」

死神――結城はるかが声を上げながら舞人よりも早く缶を踏みつける。
そして若干遅れて舞人が缶の元へ滑り込むが時既に遅し。見上げた彼の視線の先には
勝ち誇った笑みを浮かべたはるかが存在していた。

「えっと・・・桜井先輩、アウトです」

「桜井君お疲れ様~」

その様子を横で見ていた香奈と朋絵が舞人に声をかける。
彼女達の他にもかぐら、智里、小町といった文芸部の面々が笑いながら舞人の方を見つめていた。
夏合宿で文芸部が現在行っている活動、それは缶蹴りだった。勿論この遊びを提案したのは舞人と智里である。

「ぐう・・・馬鹿な・・・桜坂のスタリオンと呼ばれる程の韋駄天を誇るこの俺が・・・」

「ふん、予想よりも早かったことは認めるけどまだまだね。残念ね、囚われのお姫様を助けることが出来なくて」

「しかも助けようとした自分が捕まってるところなんて格好悪いですよねー。
 多分今のでともちゃん先輩の中での株が大暴落しましたよ?
 あ、ちなみに私の中ではさくっち先輩の株は既に市場撤退してるんでお忘れなくー!」

「やかましい!くそ・・・いつも俺を追っかけるとき以上のスピード出しやがって。
 いつもは本気じゃなかったとでも言いたいのか眼鏡」

「当然。長距離と短距離を考えなしに同じスピードで走るような馬鹿に見えるかしら?」

「はるかは運動神経凄くいいんだよ桜井君」

「でもでも舞人さん凄いです!!その結城先輩と走りあってギリギリの差だったなんて驚きです!!
 缶は蹴られなかったという事実やみんなを助けられなかったという事実や何のために出てきたんだろうって
 いうのが事実だったりしても凄いです!!」

「あ、かぐらちゃんそれトドメ」

あ、と口元を押さえるかぐらであったが遅かった。
彼女の言葉は見事に舞人のハートを貫いていた。(間違った意味ではあるが)

「今・・・富とか・・・名誉ならば・・・要らないけど・・・翼が欲しい・・・」

「センパイセンパイ、『私たちに翼はない』ですから」

「黙れ雪ん子。今すぐ新作に謝ってこい」

「じゃあこれで全員ね。今回は私の勝ちかしら」

「あれ?はる先輩、なつきがまだ捕まってないんじゃないですか?ここにいませんよ?」

智里が首を傾げながら尋ねる。確かにこの場には文芸部員の残る一人、橋崎なつきの存在が見えなかった。
全員が『そういえば』といったような表情を浮かべる中で、はるかは苦笑を浮かべた。

「なつきなら一番最初に捕まってるわよ。あの娘普通に図書館で寝てたからすぐ捕まえたわ」

「あんの馬鹿・・・」

「それじゃあ次の鬼はなつきは寝てるから繰上げで智里ね」

「うえっ!?ま、マジですか・・・」

「何だお前二番目に捕まってたのか。口ほどにもない野郎だなオイ」

「お、女の子に向かって野郎って言うなあ!!
 いいですよいいですよ・・・さくっち先輩なんかすぐに捕まえてやりますよ。
 それじゃあ開始するから誰か缶を蹴って・・・」

智里が言葉を言い終える前に、人気の少ない廊下にカコーンと気持ち良いくらい澄んだ音が響き渡った。
彼女がそれに気づき辺りを見渡すと既に皆が散開している様子だった。
皆が申し訳なさそうな表情を浮かべる中、舞人だけが清清しい笑顔で智里の方へサムズアップをしていた。

「ってもう蹴ってるし!!!!さくっち先輩最悪!!馬鹿!!鬼!!!人でなし!!
 ああああーーーー!!!一度蹴った缶をまた蹴るなーー!!!!」

夏休み期間ということもあり、人気の皆無な廊下に智里の絶叫は突き抜けるようによく響き渡った。













その日の夜、舞人を除く文芸部員達は体育館へと移動していた。
女子は体育館で、唯一の男子である舞人は3-Aの教室で一晩過ごす為である。
とは言っても当然体育館の床にそのままゴザ寝する訳ではない。
学園から布団を借り(体育部等がよく合宿等に使う為、学園に置いてある)、それを敷いて眠るのだ。
今から行われるのは布団を敷くというだけの作業なのだが、何故かいつの間にやら
枕投げ大会が実施されていた。勿論智里が無理矢理開催した為であるが。
参加者は智里、香奈(無理矢理参戦させられた)、かぐら(喜んで参戦)、なつき(甘露飴で買収)の四人なのだが、
なかなかどうして激しいバトルになっている。
智里となつきの二人が息をつく間もなく枕を投擲しあってる為、ある種戦場と言っても過言ではない程に
場は盛り上がっていた。ムキになってる智里に対しあくまで無表情ななつき。
かぐらはそのノリを楽しんでいる様子ではあるが、香奈に至っては逃げ回るのが精一杯という状態で
既に半泣き状態である。文芸部の次世代を担う部員達の上下関係が見事に現れた戦場であった。
そんな後輩たちの様子を楽しそうに眺めていた朋絵であったが、
ふとあの場に一人だけ後輩がいないことに気がついた。雪村小町である。
体育館内をグルっと一周視線を彷徨わせても彼女の姿はドコにも見当たらないことに少々不安を覚えたのか、
朋絵は一人布団の中で読書に耽っていたはるかの元へ歩み寄った。

「ねえ、はるか。小町ちゃんドコにいるか知らない?」

「小町?あの娘なら桜井のところに行ったわよ。
 『校舎内の鍵閉めの確認だけはするように』って桜井に伝えるように頼んだのよ。
 本当なら私が行こうと思ったんだけど、あの娘も桜井に用があるって言ってくれたから」

「そ、そうなんだ・・・」

――小町が舞人の元に向かった。それだけのことなのに朋絵は凄く胸が痛むような感覚に襲われた。
舞人と付き合う前の彼女ならこの感情がなんなのか分からなかっただろうが、今ならば分かる。これは嫉妬という感情なのだと。
人と付き合うことが初めて故、朋絵はこの嫉妬という感情を抱く度に自分がどうしていいのか分からなくなる。
言いようの無い不安に襲われてしまうのだ。
朋絵の複雑そうな感情を読み取ったのか、はるかは面白そうに含み笑いを浮かべて読んでいた本を一度閉じた。
本を読むより楽しいことを見つけたようだ。

「そんな泣きそうな顔しないの。別に小町やあの馬鹿がどうこうなるって訳じゃないんだから。
 現に桜井はアンタと付き合ってるんでしょーが」

「な、泣きそうな顔なんてしてないよ~・・・た、ただ小町ちゃんが一人だけいなかったから少しだけ心配だったんだよ・・・」

「はいはい、そういうことにしておいてあげるわよ」

「うう~・・・はるか、凄く意地悪だよ・・・」

朋絵の困った顔を見てはるかは優しい笑みを浮かべる。彼女がこのような笑顔を見せることは本当に稀である。
言葉が止まり、話が終わったことを確認して、はるかは再度本に視線を戻した・・・のだけれど、
朋絵ははるかの横にちょこんと座ったままで動こうとしなかった。
気にしないように読書を続けようとしたはるかであったが、朋絵の何か言いた気な、まるで捨てられた子犬のような
視線に耐えられず、再び読んでいた本を閉じる。

「・・・あのね、そんなに気になるなら桜井のトコロに行ってみれば?
 『小町と二人っきりだって思ったら、いてもたってもいられなくなった』って」

「あうう・・・で、でも・・・そんな恥ずかしくて情けない理由で行ける訳がないよ・・・それに凄く桜井君に迷惑だよ・・・」

「あんたね、どうして桜井に関してだけいつも後ろ向きなのよ。桜井の馬鹿ならむしろ喜ぶに決まってるじゃない。
 そりゃね、アンタが男と付き合うのは初めてだからしょうがないかもしれないけど、
 もう少し彼女としての自信ってものを持ちなさい自信を」

「だ、だって・・・本当に自分でも凄く分からなくなるんだよ・・・
 桜井君のこと大好きなのに、他の女の子と楽しくしてるのを見たりすると時々凄く不安になったりするんだよ。
 胸の中がもやもやして、こういうの駄目だって分かってるのに・・・
 自分は彼女だって、分かってるのに・・・でも、そんな風に思える確かなものが無いから凄く不安で・・・
 桜井君と私、付き合う前とあんまり変わらないから・・・それでいいのかなって・・・」

顔を真っ赤にして泣きそうな表情を浮かべてしどろもどろに話す親友に、はるかは大きく溜息をつく。
そして徐に読んでいた本を布団の上に放り投げた。驚いた朋絵を他所にはるかは無言のままで立ち上がり、
親友の手を握り締めて体育館の出口の方へ歩き出した。
状況についていけない朋絵をそのままに引っ張り、はるかは体育館の外まで連れ出した。そして一言。

「いい?今さっきアンタが私に言ったこと一字一句全て桜井に言うのよ?
 それが出来るまでアンタはここに帰ってきちゃ駄目だからね」

そう朋絵に告げて思いっきり体育館の扉を閉めた。
状況が把握出来ずに呆然としていた朋絵であったが、何とか意識を取り戻して泣きつく様にドアを叩く。

「ひどいよはるか~!開けてよ~!どうしてこんな酷いことするの~!これって立派ないじめだよ~!」

しかしドアの向こうからは一向にはるかの声は聞こえなかった。ドアを開けようにも当然のように開かない。
鍵が掛かってるわけではなく、どうも向こうから抑えつけているらしい。
しばらくドアを駄目元で叩いていた朋絵であったが、結局諦めて舞人の元へ向かうことにした。
一度こうと決めた親友がそう簡単に許してくれないという事を長年の付き合いで分かっているからだ。

「うう・・・はるかのばか・・・」

どうしてこんなことになっちゃったんだろう、と考えながら朋絵は人気のない学園の方へと向かっていった。



















休日の学園、それも夜ということもあり、校内は朋絵の想像以上の静けさに包まれていた。
いくら慣れ親しんだ学園とはいえ流石に夜の学園ともあれば恐怖心を抱かない訳が無い。
朋絵のような年頃の女の子ならば尚更である。
人気の皆無である廊下を歩いてゆき、何とか舞人の教室である3-Aまで辿り着いた朋絵であったが、
教室の中から話し声が漏れている事に気づいた。恐らく舞人と小町であろう。
二人が会話してる間に入るのも悪いと思い、朋絵は教室の外で待つことにしようと、
扉から手を離そうとしたのだけれど、中から聞こえてきた一言に思わず手を止められた。

「私、ずっと前からセンパイのことが好きでした・・・」

小町の言葉に朋絵は言葉にならないような衝撃を受けた。
今、扉一つを挟んだ向こうで後輩の女の子が彼氏である舞人に告白をしているのだ。
朋絵はその場から動くことが出来ずにいた。

「小さい頃から私はセンパイのことばかり見ていました・・・
 でも、自分の気持ちを真っ直ぐに伝える勇気がありませんでした。
 恋人とかそんな関係じゃなくてもいい、ただ傍に置いてもらえるだけでいいんだって・・・
 そうやっていつも逃げ道を作って自分に言い訳してきました。
 でも・・・センパイが里見先輩と付き合ってるって聞いたとき、凄く後悔しました。
 どうして気持ちを伝えないまま逃げたんだろうって。臆病な自分が大嫌いでした。
 そして今回も私は同じ失敗を繰り返すところでした・・・でも、それももう終わりにします。
 もう・・・自分の気持ちに嘘ついて逃げるなんて出来ません。
 臆病な私の背中を押してくれた、大切な約束を交わしてくれたあの娘の為にも・・・
 だから、センパイ。見届けて下さい。雪村の・・・雪村小町の最後の晴れ舞台を。
 ・・・センパイのことが、大好きです・・・どうか私と、付き合ってください・・・」

小町が言葉に込めた想いを伝え終えたとき、場に静寂が訪れる。
扉で仕切られている為、朋絵に中の様子は伺えないが、小町の言葉に込められた想いの深さと決意は
充分に理解できる程に場の空気は伝わっていた。
そして永遠に続くかと思われた場の静寂を切り裂いたのは舞人だった。
ただ、教室の中から一言、『ごめん』という言葉が場内に小さく響き渡った。

「・・・ごめんな、雪村・・・俺は、お前の想いに応えてやれない・・・
 俺が好きなのは雪村小町じゃなくて長原朋絵なんだ・・・。だから・・・ごめん・・・」

自分の名前が出され、朋絵はビクっと身体を震わせた。そして一気に体中の力が弛緩していくのが自分でも分かった。
不安だったのだ。目の前で彼氏である舞人が告白されている状況が。彼女であることに自信を持てていない自分自身が。
――もし自分じゃなくて小町ちゃんを選んでしまったら。
そんなことが脳裏に過ぎってしまう大きな理由は彼女であることに自信を持てない朋絵だからだろう。

「あはは、やっぱり振られちゃいました。
 うんうん、でもちゃんと想いを告げて相手の気持ちも聞くことが出来て恋する乙女には大満足なフィナーレですよね。
 小さい頃から本当に長い間付きまとって本当にすいませんでした!
 あ、でもでも振られたからといってこれから付きまとわなくなる訳じゃないのでご心配なく!
 これからも良き友良き隣人良き幼馴染良き恋人としてよろしくお願いしますねー!」

「だから良き恋人は無理だっつってんだろ雪ん子。・・・けど、まあ・・・なんだ・・・これからもよろしくな・・・」

「いえいえ、こちらこそ!それでは今夜は失礼させていただきますね!睡眠不足はお肌に良くないですからね。
 では今夜はありがとうございました!おやすみなさいー!」

小町が教室から出て来る雰囲気を感じ取り、朋絵は慌ててどこかに隠れようとするが一足遅かった。
ドアをガラリと開けた小町の視線の先には朋絵の姿が捉えられていた。
朋絵を見て驚いたような表情を浮かべていた小町だが、すぐに笑顔に戻り、朋絵の背中を押して舞人の前へと押し出した。

「センパイセンパイ、長原先輩のこと、大切にしてあげないと駄目ですよ?
 雪村を振ったんですから、その分までキッチリ幸せにしてもらわないと凄く怒りますからねー!」

そう笑顔で言い残して教室の外へと出て行った。
教室には舞人と朋絵の二人。舞人は、ばつが悪そうな表情を浮かべて朋絵の方を見つめていた。

「聞いてたのか・・・」

「う、うん・・・その・・・えと・・・ご、ごめんね・・・私・・・私・・・」

舞人の言葉に上手く返答できず、朋絵は謝ることしか出来なかった。
なんとか言葉を紡ごうとする朋絵ではあったが、涙がどんどん溢れ出て上手く舞人に言葉を伝えることが出来ていない。

「な!?お、おい!!そこでなんでお前が泣くんだよ!?ていうかお前なんでここにいるんだ!?」

「私・・・凄く、最低だよ・・・小町ちゃんのこと、何も考えずに・・・自分のことばかり・・・考えてた・・・
 はるかに小町ちゃんが桜井君に会いに行ったって聞いて・・・凄く、不安になったよ・・・
 桜井君と、小町ちゃんが二人っきりになることが・・・
 私、桜井君と付き合ってるって分かってるけど・・・彼女だって分かってるけど・・・凄く、不安で・・・
 胸を張って彼女だって言えるような自信が無くて・・・
 そんな風に自分のことばかり考えて・・・自分のことしか考えてなくて・・・
 桜井君のところまで会いに来て・・・それで・・・私・・・私・・・」

「と、とりあえず落ち着け長原!な?」

慌てて朋絵を抱きしめる舞人を他所に、朋絵の涙は止まらない。
まるで父親の胸の中で泣きじゃくる子供のようだ、と舞人は苦笑を浮かべながら泣き止むまで待つことにした。
朋絵が落ち着いたのを確認して、舞人は一つ溜息をついて朋絵と視線を合わせる。

「あのな・・・まず初めに、お前はやっぱり馬鹿だ。
 馬鹿女王どころじゃない、馬鹿女帝と言っても過言ではないくらいの大馬鹿だ」

「ひ、酷いよ桜井君・・・また馬鹿って・・・」

「恋愛ってのは自分のことを考えて当たり前だろーが。
 他人のことばかり考えて自分のことを少しも考えないような奴なんて恋愛できるか。
 雪村のことは悪いとは思ってる・・・けどな、お前は俺が雪村のことを考えて、
 俺と雪村が付き合うのを許せるのか?そうした方がお前はいいのか?」

首を横にぶるぶると強く振って否定の意を表す朋絵。
強く振りすぎる余り、勢い余って桃色の長髪が左右に激しく乱れる。

「だったら二度と自分のことを責めるな。恋愛には誰が悪くて誰が最低なんてもんは無いんだよ。
 後な、どんなに不安になっても俺を信じろ。その度に何度でも言ってやる。
 俺はお前が好きなんだよ。お前じゃないと駄目なんだ。それは何があっても変わらない」

それは想いの込められた言葉。舞人と朋絵が想いを通じ合った日に彼から送られた言葉。
泣き止んでいた朋絵であったが、舞人の心から純粋な朋絵への言葉を受け、再度涙が両目に溜まり頬を伝った。

「桜井君・・・ふええ・・・」

「だー!!だから泣くなっつってんだろこのエコノミックアニマル!!
 そ、それに・・・その、あ、あれだ・・・そんな不用意に抱きつくな!
 今のお前、マジ、ヤバイって・・・流石に鉄壁の理性と呼ばれた俺の精神もレッドゾーンに突入して
 終いにはパターン青とナビゲーターが叫びだすような状況が・・・」

舞人は慌てて視線を朋絵から逸らす。いくら奥手で友人から精神的EDなどとからかわれてるとはいえ、彼もまた男なのだ。
朋絵の姿はパジャマ姿な上、シャワーから上がって余り時間がたっていないのか、
程よいシャンプーの香りが舞人の脳を刺激していた。
オマケに朋絵は舞人に抱きついており、彼の身体には柔らかい女性特有の膨らみが押し当てられている状態である。
朋絵の『それ』は文芸部の他の人よりも正直ふくよかである。
小町ほどではないが、そんな破壊力を秘めたものを押し当てられ、何より現在の時間は夜なのだ。
しかも教室には自分が寝るために敷いた布団まであるという極めつけ
。むしろ舞人だからこそ何とか現在理性を保っていられていると言えるだろう。
何とか距離を取って自制をかけようとする舞人であったが、それも無駄な抵抗であった。

「や、やだよ・・・離れたくないよ・・・」

朋絵の一言に舞人の中で何かが壊れた。理性の堤防とでも言おうか、見事なまでに激流に押し流された。
むしろ青春真っ盛りの若者としてはよく頑張った方ではあるのだけれど。

「・・・悪い、長原。俺はどうも己の欲望に素直な駄目人間だったようだ。恨むなら可愛すぎる自分自身を恨め」

「え・・・・んっ、んんっ」

朋絵の返事を待たずして舞人は彼女に口付けをする。今までのような幼いキスではなく、濃厚なディープ・キス。
自分の口の中に突然異物が入り込み、慌てる朋絵であったが、何とか順応して舞人の舌に自らの舌を絡めさせる。
数秒だろうか。数分だろうか。時間の流れが狂ってしまったかと思う程に、彼らにとっては永遠とも思えるような口付けだった。

「ふぇ・・・」

キスを終えた朋絵は堪らずその場に腰を落としてしまった。
初めて交わした深い接吻のせいか、思考が上手く回っていない状態だった。
そんな彼女の初心な様子を舞人は愛おしく思った。
未だ呆然としている朋絵を舞人は抱きかかえ、布団の上へと運ぶ。お互い言葉は無いが、理解していた。自分たちが何をするのか。
顔を真っ赤にして明らかに固くなっている朋絵に舞人は笑顔を浮かべた。
彼女は間違いなく初めてなのだ。怖くないはずがない。何も感じないはずがない。
それなのに、彼女は何も言わずに受け入れようとしている。だから、少しでも彼女が安心できるように。
少しでも楽になるように。少しでも想いを共有できるように。

「俺がお前の彼氏だって、お前のものだって証明するよ。
 桜井舞人が長原朋絵の彼氏であるって確かなモノをお前に残す。
 だから、お前の全てを俺にくれ。俺がお前の彼氏であることを証明するように、
 お前が俺の大切な人だという確かなモノを俺の中に残させて欲しい」

舞人の言葉に、朋絵はこくんと小さく頷いた。涙は流れている。けれどこれは喜びの涙だから。
二人で一つの幸せを感じられるように。胸を張って二人で一緒にいられるように。
二人で愛を確かめ合えるように。二人の愛がどこまでも続きますように。

「ありがとな・・・朋絵・・・」

「舞人君、大好きだよ・・・」

互いに名前を呼び合い、再度唇を交し合う。
月明かりが大地を照らす中で、愛し合う二人は初めて一つになる。
異性から愛されることを恐れていた少年と、異性を愛することを知らなかった少女。
けれど、二人はそんな自分達と決別し、自らの足で歩き始める。
これから先に待ち受けている運命を忘れるかのように、今はただ、互いの温もりを感じあい、幸せを享受しよう――















8月25日(日)


彼と彼女の事情・他人版




この回の話のデータが現在見つかっていない状態です・・・PC内を今必死に探しているんですが・・・(汗)
話の内容は、本屋で漫画を立ち読みしていた舞人が見ず知らずの
女の子(中学生くらい、桃色の髪でツインテール)から
『恋人がいるなら折角の夏休みなんだから海に行け!!』などと訳の分からないことを言われるお話。
・・・だった気がします。書いた側もうろおぼえですが。確かそんな話です。
次の話で分かるんですが、その少女は朋絵の妹です。













8月31日(土)


彼と彼女と妹と









夏休み最後の日、舞人は彼女である朋絵と遊ぶ約束をしていた。
長期休暇の間は部活やデートで度々顔を合わせていたが、流石に最後の一日は
恋人同士の彼らにとっては特別な日であった。
これから新学期が始まり、彼らは本格的に受験勉強の道を歩まねばならない為、
そのことも踏まえて本日は思いっきり遊ぼうという計画であった。
しかし、これまでの間に目ぼしいデートスポットは網羅してしまった状態だった為、
肝心の遊ぶ場所が二人には思いつかなかった。
最後の夏休みの一日なのだから同じ場所に遊びに行く訳にもいかない。
否、朋絵ならば同じ場所でも気にしない・・・むしろ充分楽しんでくれるだろうが舞人がそれを許さなかった。
どこにすべきか舞人が場所を延々と考えていたのだが、朋絵の一声でその問題に一発でケリがついた。

「それじゃあウチに来るのはどうかな?お母さんや妹が舞人君に会いたがってたしね~」

彼女である朋絵の親と初顔合わせという突然のビックイベントに舞人は一瞬怯んでしまったが、
朋絵の笑顔に思わず首を縦に振った。
現在舞人と朋絵は付き合っているのだし、彼女の家に行くことに何の問題がある訳でもなし。
むしろ今まで行っていなかったことがおかしいのだ。
それに、向こうの親が会いたいと言っているのにそれから逃げるのは
男として情けないと舞人は考えた。ならば断る理由は無い。

そして、約束の日である本日。昼一時に待ち合わせ場所である駅前プロムナードで朋絵に会い、
彼女に案内されるままに住宅街を歩く舞人。
自分の知っている道を抜け、見知らぬ住宅街のやや奥に歩いたところに彼女の住んでいる住宅は存在していた。

「ここだよ~」

笑顔で舞人の方を振り向く朋絵を他所に、舞人は朋絵の家をマジマジと眺める。
普通の二階建ての白い住宅でほぼ舞人のイメージ通りと言うか、むしろイメージ通り過ぎてどうしようかと思うほどであった。
車庫には車が入っておらず、現在親は帰宅していない様子だが、
部屋はカーテンが開いているところをみるに中に人はいるようだ。
恐らく彼女がいつも話していた妹と弟だろう、と舞人は住宅を眺めながら考えていた。

「ふむ、お前らしいというか正に長原朋絵をイメージしたような家の造りだな。想定内の範囲だ。
 これで恐ろしいまでの豪邸とかだったら思わずピンポンダッシュして逃げ帰ったところだ。運が良かったな小娘」

「あはは、ウチはお金持ちなんかじゃないよ~。普通の家だし普通の家族だよ。
 それじゃあ舞人君、こっちだよ~」

「お、おう!それじゃあお邪魔するぞ・・・」

彼女に手招かれるままに舞人は恐る恐る彼女の家の扉を過ぎる。
玄関は綺麗に片付けられており、活かされてる花からも家族という集団の生活の息吹を感じさせられた。
朋絵に案内されるままに階段を上り、彼女の部屋へと辿り着いた。
舞人の視界に入り込んできたのは当然ながら自分の部屋とは全く異質な『女の子の部屋』であった。

「それじゃあ飲み物を持ってくるから部屋で待っててね~。
 あ、でもでも部屋を色々調べたりしちゃ駄目だよ?」

そう言い残し、朋絵は返事を待たずして部屋を後にし、舞人は一人残されてしまった。
仕方ないので舞人はその場に座って部屋の中を軽く視線を走らせる。
朋絵の部屋は綺麗に片付けられていたが、ところどころに部屋の持ち主の性格が表れていたりした。
テレビ等はないが、本棚には小説や料理の本、古ぼけた少女漫画等が並べられており、
机も参考書が律儀に片付けられていた。衣類用の箪笥等も綺麗に置かれている。
後はベッドに備え付けられた棚にも小説文庫、目覚まし時計といったものが綺麗に整理されており、
すっきりした印象が強い。言い方を買えれば本以外あまりこれといって物がない。
しかし逆に娯楽と呼べるようなものは他には無く、以前無理矢理拉致(?)されて
香奈と一緒に遊びに行った智里の部屋とは180度正反対な部屋作りだと感じさせられた。
なお余談ではあるが智里の部屋は音楽CDや漫画、ファッション雑誌等がところ狭しと並べられ、
お世辞にも整理されているとは言えなかった。
そのことを本人に言うと逆に開き直って『乙女の部屋に来て文句を言うなんて最低ですよ!』と反論された。
それを聞いて舞人は呆れ顔、香奈は苦笑するしかなかったのだが。

「しかし、これが彼女の部屋か・・・ふ、ふん。なかなかどうして俺の鉄壁の精神を乱してくれる。
 べ、別にあれですよ?緊張してるとかそんな訳じゃ全然無いんですよ?ほ、ホントだよ?
 良い香りがするとか全然思ってないですよ?」

ブツブツと独り言を呟きながらも全然落ち着かない様子を見せる舞人。
それも当然である。彼が彼女の家に行くなど初めてのことであった。
約半年前に付き合っていた里見こだまを自分の部屋に招いたことはあるが、
彼女自身の家、それも彼女の部屋に行くなど正に初体験なのである。
部屋中に興味が沸く健全な青少年である舞人であったが、鋼の理性をフル動員して自制を必死に促す。
駄目だとは分かっていても物色してみたいという誘惑に駆られてしまう。

「ええい!!宇宙紳士と世界に轟くジェントル・舞人らしくないではないか!
 女の家ではゆっくりステップをと相良先生も教えて下さったではないか!
 光だ!!真夏の眩しい正義の光を浴びればきっと俺の汚れたギザギザハートも温暖化の影響を受ける
 南極の氷の如くゆっくりと溶かしてくれるはずだ!俺はこの扉を選ぶぜ!!」

大袈裟に叫びながら、舞人は朋絵の部屋にある唯一の窓にかけられたカーテンを思いっきり左右に開いた。
だがそこは舞人の予想したような太陽の光の差込は無く、隣家の窓が見えるだけであった。
そしてその先には一人の女性の姿が見えた。
向こうの女性は机に座ったままで、固まったように舞人の方を凝視していた。否、舞人のほうも同じだった。
想定の範囲外のイベント過ぎて舞人の思考回路は緊急停止を余儀なくされていた。
時の停止の中で、舞人はゆっくりと己の脳内コンピュータを再起動させ、現状の理解、及び把握に努める。
窓の向こうの女性は誰だ。――知っている。同じ部活で副部長を務めている結城はるかだ。
何故彼女が隣家の部屋にいる。――以前朋絵に結城は隣の家に住んでいると聞いたことがある。
恐らく隣家は結城はるかの家なのだろう。

「・・・・・・・・なんでアンタがそこにいる訳?そこ、私の記憶違いじゃなければ確か朋絵の部屋だった筈なんだけど」

先に口を開いたのははるかの方であった。
机から立ち上がり、部屋の窓を開けて舞人に怪訝そうな視線を向けて尋ねかける。
彼女がそのような態度に出るのも無理は無い。突然想像だにしなかった人物が窓の先に現れたのだ。
皮肉の一言も言ってやりたくなるものだろう。

「馬鹿かお前は。彼氏が彼女の家に遊びに来た以外の理由がどこにあるんだ。
 お前の理解力は読書や勉強にしか使われてないのかっつーの」

「・・・楠奈に会った訳?」

「楠奈?誰だそいつは」

「ははぁ・・・」

舞人の言葉がとても満足のいくものだったのか、はるかは含み笑いを浮かべる。
そっかそっか、と言葉を呟きながら彼女は楽しそうに舞人の方を眺める。

「・・・おい、気持ち悪い笑みを浮かべて会話のキャッチボールを自己完結するな暴力眼鏡。
 楠奈って誰だ。俺がそいつに会ってないということがお前にとってそんなに面白いのか」

「そうね、私にしてみれば確かに面白いわね。
 まあ、朋絵の家にいるのなら後々嫌でも分かるでしょうから気にしないことね。
 それよりも朋絵はどうしたのよ。あの娘を放っておいて私と会話なんかしてる場合じゃないでしょうが」

「ああ、あいつなら飲み物を取りに行ったぞ。大体何で朋絵を放ってまでお前と会話なんかせにゃならんのだ。
 自意識過剰にも程がある考えだ。まあ親友に恋人が出来て焦る気持ちも分からなくmあがっ!!?」

会話を終える前に舞人のアゴに綺麗なアッパーが炸裂する。
脳を揺さ振る、普通の人間なら即ダウンものの見事なナックルである。
ちなみに舞人は普段から殴られなれているせいか、ダウンせずに踏みとどまることが出来た。

「アンタ、次調子乗ったら本気で殴るわよ?」

「い、今ので本気じゃなかったのかよ・・・」

「ふん、本気で殴って気絶なんかさせちゃったらあの娘が悲しむでしょうが。朋絵に少しは感謝しなさい。
 ・・・まあ、そういう訳で私はこの辺で退散しとくわ。馬鹿ップルにあてられて勉強に支障が出られちゃたまらないからね」

「おー行け行け。さっさと行くが良い。部屋に篭もってシャーペンをノートに走らせて陰湿に受験勉強でもしてるがいい。
 暗い部屋で一人勉強して成績と共にどんどん眼鏡の度数を上げるが良い。つーか視力もっと落ちやがれ」

「言われなくても勝手にするわよ。アンタも最近成績上がってるからといって慢心せずに努力を重ねることね」

窓から離れようとしたはるかだが、ふと何かを思い出したように立ち止まり、再度舞人の方を振り返り、

「多分もうすぐ朋絵の部屋がうるさくなるだろうと思うけど、そうなったら騒音の原因を私の部屋に投げ入れなさい。面倒見といてあげるから」

そう舞人に告げ、はるかは今度こそ窓から離れていった。
彼女の言葉の意味がさっぱり理解できなかった舞人はただただ首を捻るしか出来なかった。













舞人がはるかと会話をして数分くらい経っただろうか。朋絵の部屋の扉のドアノブからガチャリと音が発された。
朋絵が戻ってくるのを待っていた舞人だが、ドアの向こう側から現れたのは彼が期待した朋絵ではなかった。

「あーーーーーーーー!!!!!本当に来てるーーーーー!!!!!!!!」

扉の方に視線を送ると、そこには桃色の髪を左右で結んだ少女が舞人の方を見て驚きの声を上げていた。
普通驚くのは彼女の部屋に来て早々見知らぬ少女に絶叫される舞人の方だと思うのだが。

「・・・おい、初対面の人間に向かっていきなり指さして絶叫とはどういう了見だ小娘。
 そういう場合はまずはお互いジェントルに自己紹介から始めるのが筋ってもんだろうが。そうやって人と人との繋がりというコミュニティーの輪が広がってな?」

「あんたね!!!どーして夏休みの最後なのにこんなところに居るのよ!!海は!?どーして海に行かないの!?
 私が折角アドバイスしてあげたのに何でこんなところでノンビリと過ごしてる訳!?」

舞人の話が全く耳に入ってないようにズンズンと少女は舞人に詰め寄ってくる。
そして気付けば彼女は舞人の座っている前まで歩み寄り、怒りを隠そうともせずに彼の前で仁王立ちしていた。

「海?・・・ああ、成る程な。最愛の彼女の部屋で時を過ごすことは
 母の胎内で浮かんでいるが如き温もり、すなわち原初の海とでも言いたい訳か。
 誰がそんな話に綺麗なオチをつけろと言った。大体正直言わせてもらえるなら全然面白くもなんともないぞ。
 しかも内容がベタで恥ずかしい。
 つーか人の話を聞け小娘。お前は誰だというこの俺の崇高なジャパニーズが聞こえんのか?
 ぷじゃけるなよ?業務用加湿器で殴るぞクソアマ」

「うっさい!!私が言いたいのは!!どうしてアンタは!!お姉ちゃんと!!海に!!遊びに行かないのよ!!
 夏休み最後の一日をこんなところで時間を潰すなんて普通のカップルとして駄目駄目過ぎ!!
 甲斐性無しもいいとこじゃない!!」

「・・・あのね、くーちゃん・・・何度も何度も私の部屋を『こんなところ』なんて言われるとね・・・
 お姉ちゃん凄くショックだよ・・・」

怒鳴り散らす少女の後ろにいつの間にか朋絵が戻ってきていた。
トレイの上にお茶を三つとお菓子を並べているところを見るに、どうやら朋絵がこの少女を部屋に招き入れたらしい。

「あ、ち、違うわよお姉ちゃん!!私はそういうつもりで言ったんじゃなくて・・・えと・・・その・・・」

「・・・朋絵、泣きそうなところ申し訳ないんだが、コイツ誰だ?
 すまんがお前が通訳してくれない限りどうも俺とコイツの異文化コミュニケーションは上手くいかないらしい。
 まあ、お前の言葉から何となくお前の妹だってことは想像できるんだが・・・」

「あ、うん、えっとね、この娘は私の妹で楠奈ちゃん。今は敬星女学院の三年生だから、私達より三つ年下だね~」

嬉しそうな笑顔を浮かべて少女――楠奈を舞人に紹介する朋絵とは対照的に楠奈はフンと舞人から顔を背ける。
挨拶をしようともしないところを見るに、どう考えても彼女は舞人に対して良い印象を持っていないらしい。
まあ、先ほどまでの舞人に対する態度からでも簡単に窺えるのだけれど。

「いや、別にそいつの年齢なんかはどうでもいいんだが・・・
 つーかお前さ、いきなり初対面の人間を指差したと思ったら海海なんて叫び回ったりして、一体何が言いたいんだ?
 失礼感極まると思わないか?俺は一人の人間として朋絵の妹の未来がとてつもなく心配になってきたぞ?」

「・・・なんか、そう表現されると凄く変な人みたいだよ、
 くーちゃん。それに、初対面の舞人君に対してそんなことしちゃ駄目だよ?
 ちゃんと『ごめんなさい』って言わないと」

「お、お姉ちゃん何気に酷いこと言わないでよ!!
 大体アンタね、初対面じゃない人間に対して初対面なんて言う事の方がよっぽど失礼じゃないの!!」

「あれ?舞人君ってくーちゃんと知り合いだったの?」

「全然?お前の妹はさっきから一体何を言っとるんだ?」

ほえ?と疑問符を浮かべてくる朋絵に対し、さも当然といった風に言葉を返す舞人。

「あ、あ、あ、アンタねーーー!!!この前本屋で会ったじゃない!!!一週間くらい前に!!」

「一週間前・・・本屋・・・・・・・あー」

そこまで言われて舞人はようやく目の前の少女が初対面ではないことに気付いた。
以前本屋で立ち読みをしていたとき、舞人にちょっかいをかけてきた少女。
キリッとした目に桃色のツインテールが特徴的で赤の他人である舞人に散々絡んできた少女。
ここにきて舞人はようやく彼女の言っている言葉の意味を理解することが出来た。

「あの時の家出少女か」

「家出少女って言うな!!!」

「くーちゃん・・・家出してた何てお姉ちゃん何にも知らなかったよ・・・どうして何も相談してくれなかったの?
 お姉ちゃん、少しも頼りにならないかもしれないけど、凄く悲しいよ・・・」

本気で泣きそうな表情をする朋絵に『信じるなっ!!』と大声で突っ込みを上げる楠奈。
そんなまるで正反対な性格である姉妹の様子を見ながら、舞人は本当に姉妹なのかと少々疑問を感じてしまった。

「とにかく私とは初対面じゃないでしょ!!
 その時に海に行けって言ったのに、どうしてお姉ちゃんを誘わなかったのよ!!」

「ああー・・・そう言えばその時もそんなことを叫んでたなあ。
 というかな、名前も素性も知らない小娘から『海行け海』なんて言われて
 『はい、そうですね』なんて言う馬鹿はそうそういないと思うんだけどな。
 大体あの時のお前、他人に向かって海海連呼するただの変人以外の何者でもなかったぞ?」

「ぐ・・・た、確かにそうだけど・・・でも、それでもちょっとくらい『よし、彼女を海にでも誘ってみるか』とか
 普通は思うでしょ!?普通のカップルなら!!」

「思わないだろ。大体お前の思想の根幹となっている『普通のカップル』って何だ?海行ってその後何をするんだ?」

「決まってるじゃないの!海行って、二人で楽しく過ごして、夕方になったら浜辺で二人追いかけっこして、
 捕まえた彼女を抱きしめてそして二人は・・・な、何よその哀れむような目は・・・」

「朋絵、お前の妹さ、超弩級の馬鹿だろ」

舞人の一言に朋絵はただただ苦笑していた。
馬鹿とまではいかないが、確かに楠奈は少々色んな意味で『足りてない』と舞人以外の人間でも感じるだろう。

「言うに事欠いて馬鹿って言うなあ!!しかも対象の姉に向かって同情するように言うなあ!!」

「そんな短絡的な思考でお前は俺に朋絵を海に誘えって叫んでたのか。
 なんていうか、最早色んな感情通り越して可哀想になってきたぞ俺は。
 大体お前、何で俺が朋絵の彼氏だって分かったんだよ。会った事もないのに。
 朋絵に写真でも見せてもらったのか?」

「あ、え、えっと・・・その・・・」

突然の舞人の質問に突如言いよどむ楠奈を見て、舞人は更に疑問に思った。
一応視線を朋絵のほうに向けてみると、彼女はふるふると小さく首を横に振った。

「私、くーちゃんに舞人君の写真見せたことなんてないよ?
 家族には直接会ってもらって舞人君を紹介しようと思ってたから・・・」

朋絵の言葉が決定打となったのか、楠奈は少々バツが悪そうな表情を浮かべて口を開く。
その様子を見るに、あまり口にしたくはない、もしくは口止めでもされていたのかもしれない。

「・・・えっと・・・その・・・少し前に、はる姉に写真で教えてもらって・・・」

「はる姉?コイツの他にも姉妹がいるのか?」

「ううん、違うよ舞人君。はる姉っていうのは、はるかのことだよ~。
 私達、小さい頃から家族ぐるみで付き合いがあったから、はるかもくーちゃんにとってはお姉ちゃんなんだよ」

「ああ、なるほどね。でも何でまた結城の奴が俺の写真を持ってるんだ?
 アイツが俺の写真なんて藁人形に五寸釘くらいしか用途が思いつかないんだが・・・」

「えっと、確か文芸部の集合写真だって言ってたと思う・・・
 ひかり姉も映ってたし・・・お姉ちゃんはまだいなかったけど・・・」

「・・・ああ、成る程な・・・」

彼女の答えに舞人は全てに納得がいった。恐らくはるかが写真を見せたことを口止めしたのだろうと。
その写真は、去年の文芸部の面々で撮った写真だろう。
はるかがいて、ひかりがいて。――そして、写真の中央には舞人と、こだまが写っていて。
きっと楠奈はこの頃の舞人とこだまの関係をはるかに聞いていたのだろう。だからこそ言い淀んだのだろう。
そしてはるかも口止めをしたのだろう、と。

「と、とにかく理由は分かったでしょ!?
 ともかくアンタは今からでもお姉ちゃんを海に連れてくべきなの!!さっさと行けってば!!」

場の空気を無理矢理変えるかのように大声で舞人に詰め寄る楠奈だったが、
そんな彼女を見て舞人は苦笑した。不器用なところは何となく朋絵に似ているな、などと考えながら。

「いいか、朋絵妹。お前は少しカップルというものについて勘違いしている。
 というかな、カップルというよりも朋絵に関して勘違いをしている。
 朋絵、お前さ、今から海に行きたいか?」

舞人の突然の質問に朋絵は一瞬びっくりし、考える素振りを見せた後に答えを紡ぐ。

「えっと、私は舞人君と一緒に居られればどこでもいいよ~。
 あ、でもでも、今日は家族と一緒に舞人君と過ごしたいよ。きっと楽しいよ~」

「お、お姉ちゃん・・・」

「分かったか朋絵妹。朋絵はこういう奴だから場所なんて関係ないんだよ。
 つーかそういう姉貴だってお前が一番よく知ってる筈だろーが。
 分かったならさっさと自分の部屋にでもドコへでも行くなりして妹としての最大限の気遣いを見せやがりなさい。
 俺の部屋から出ていけ」

しっしと手を払いながら追い出そうとする舞人に、うー、と舞人に視線をぶつけつつも朋絵のほうをチラチラ窺う楠奈。
そんな様子を見て舞人は楽しそうに悪笑を浮かべた。楠奈が実は姉に構って欲しいだけ、ということが分かったからである。

「うー・・・い、嫌よ!お姉ちゃんに出て行けって言われた訳じゃないもん!!
 それにさっきお姉ちゃんだって『家族と一緒に過ごしたい』って言ったもん!!
 ていうかここは私の家よ!!何でアンタにそんなこと言われなきゃなんないのよ!!」

「えっと、舞人君もくーちゃんも、ここは私の部屋でもあるんだけどな・・・」

朋絵の突っ込みもお構い無しに二人はどんどんヒートアップしていく。
どうやら舞人と楠奈は朋絵のこと抜きにしても相性があまりよろしくないらしい。

「おい、朋絵妹。さっきまで『海に行け』と散々二人っきりにさせようとして突然手のひらを返すとは何事だ。
 つーかお前は俺達の仲を応援してたんじゃなかったのか」

「うっさいうっさい!!気が変わったのよ!!やっぱりアンタなんか認めないわ!!
 さっきからアンタ何処見てるのよ!!さり気なくお姉ちゃんの胸を見てたことに私が気付かないと思ったの!?」

「ふぇ!?」

「んなっ!!!?み、みみみっ、見てませんっ!!憶測でモノを語らないで下さいっ!!」

「うるさいスケベ!!お姉ちゃん騙されてるよ!!
 コイツ絶対最低な男だよ!!悲しい想いをする前に別れた方が絶対良いよ!!」

「えっ、えっ?ええっ!?」

怒涛の口撃を続ける少女を見て舞人はどうしたものかと溜息をついた。
折角夏休み最後の一日なのだ。彼女である朋絵と過ごす予定だった時間を楠奈に奪われてはたまったものではない。
悩む舞人だが、視線をふと窓の外に向けるとそこに答えはあった。
そう、先ほどの『彼女』の言うとおりにすればいいのだ――

「はあ・・・しょうがない。朋絵の妹だから優しく諭してやろうと思ったが、どうやら無駄なようだな。
 恨むなら己のやかましさと口の悪さと素行の悪さを恨むが良い」

立ち上がって楠奈をおもむろに抱きかかえた舞人は窓側の方へと歩いてく。

「ちょ!ちょっとアンタ何するのよ!!?やだっ!!ど、どこ触ってるのよスケベ!!変態!!痴漢!!」

じたばたと暴れて反抗する楠奈を他所に、舞人は朋絵の部屋の窓をあけて隣の家の窓をノックする。
少し待つと、そこに『彼女』――結城はるかが現れ、舞人の意図を完全に理解してるかのように窓を開けた。

「ほれ、パス」

「ん」

はるかに向かって楠奈を投げる舞人に、それを眉一つ動かさずに受け止めるはるか。
楠奈が小柄だからこそ出来ることだが、二人はここが二階であることは余り気にしていないらしい。
落ちたらどうするつもりなのだろう。

「は、はる姉!?」

「すまんな、後のことは頼んだ」

「貸し一ってことにしておくわよ。それじゃ頑張りなさい」

「な、なんではる姉コイツの味方するの!?コイツ絶対最悪な男だよ!!
 二人っきりにしちゃうとお姉ちゃんが襲われ・・・」

「くー、アンタ朋絵から聞いたけど最近成績落ちてきたんだって?
 しかもそのことアンタの家庭教師してるお姉ちゃんに言ってないんだって?
 今お姉ちゃん部屋にいるみたいだからちょっと話し合おっか」

「え、ええええ!!?だ、駄目駄目ーー!!ひかり姉にばれたら明日から私の自由時間が無くなっちゃう!!
 許してっ!お願いだから許してはる姉っ!!ああーーーううーーー!!!」

はるかに強制連行されていく楠奈を見届けて、何事もなかったかのように窓を閉めて朋絵の前に再度座りなおす舞人。
彼女の持ってきたお茶を飲み、一息ついて、軽く一言だけ言葉を漏らした。

「・・・お前の妹ってさ、超弩級のアホだろ」

「え、えっと・・・あはは・・・」

結局その日、舞人が帰る時間になっても部屋に楠奈が現れることはなかった。
何となく気になった彼がはるかに楠奈はどうなったのかメールで尋ねたところ、
一言『お姉ちゃんに差し出した』とだけ返って来たので舞人は気にすることを止めた。













9月2日(月)


始まる新学期、二人の作る道









新学期の始まりである九月一日の朝。
彼――桜井舞人は学園に辿り着くまでの道のりで何故か居心地の悪さを覚えていた。
それはほんの些細なこと。しっかりと気を張り巡らせておかなければ分からないくらいの小さな違和感。
だが、舞人は確かにそんな奇妙な感覚を敏感に感じ取っていた。それはまるで誰かに見られているような。

「という訳なんだが・・・理由は分かるか山彦よ。
 ただでさえ夏休みが終わってしまって気が重たいというのに、朝っぱらから
 こんな気持ち悪い空気を押し付けられては敵わんぞ」

教室に辿り着いた舞人は、早速親友の山彦に尋ねた。
山彦はそうだな、と少し考える仕草を見せた後、舞人の方を楽しそうな表情で見つめた。

「おまえ、夏休みに入ってなんかあっただろ?自分の身の回りで大きく変わったこととか」

「馬鹿言え、たった一月余りの短い休みでそうそう変化などあってたまるか。敢えて言うなら学力くらいだ。
 いいか、確かに俺の勉学は夏休み前の俺と比較すれば当社比5.6倍は向上したであろう。
 しかしそれはあくまで俺の天賦の才と不断の努力の成せる業。そんなことでイチイチ他人に嫉妬されちゃ
 いくら俺様がスーパースターとはいえ体が持たん」

「いや、そうじゃなくてだな。
 ・・・そうだな、じゃあお前、その勉強一人でしてたのか?」

「あん?当たり前だ。他人に教えを請うなど愚の骨頂。目指す大学は同じとはいえアイツとは学ぶ学問が違うからな。
 共に図書館に通って学問書を千切っては投げ千切っては投げ。
 学問書を借り息抜きに司書に嫌がらせはしたものの、俺の夏休みは日々学問書と愛を語り合う日々だったぞ」

「成る程。それじゃ舞人君、アイツって誰だ?」

「アイツってそりゃお前、長原朋絵以外誰が・・・」

そのとき舞人はようやく気付いた。目の前の親友がとても嬉しそうにニヤニヤ笑っていることを。
気付いた時にはもう遅い。彼の口からしっかりと『長原朋絵と一緒に図書館で勉強していた』ということが
引き出された後なのだから。

「は、謀ったな山彦!!貴様、そんな姑息な権謀術数を張り巡らせてまで俺を陥れるとは見損なったぞ!」

「いや、勝手に口滑らせたのはお前だろ・・・。まあ、とりあえずお前の口から聞けて何よりだ。おめでとな、舞人。
 それにしても水臭いじゃないかよ親友。彼女が出来たなら一番に俺に教えてくれよな」

「す、すまん・・・もしかしてお前、俺と朋絵が付き合ってるの知ってたのか?」

「ん・・・まあな。お前と長原さんがさくら通りで手を繋いでたところ見たってダチが何人かいるからな」

寂しそうにいう山彦に、思わず舞人は謝ってしまう。
実は何度も山彦に知らせようと思ってはいたのだが、結局気恥ずかしさに負け、
舞人は連絡することが出来なかったのだ。

「まあ、それは置いといて、だ。まさかお前と長原さんが付き合うことになるとはなあ」

「何だ?そんなに意外なことか?」

「意外も意外。だってお前も長原さんも異性をある一定内に入れないタイプじゃん。
 前にも言ったと思うけど、長原さんって男子に対して完全に線引きしてるし、お前に至っては精神的EDだろ。
 そんな二人がくっついたんだからなあ。いや、そういう二人だからこそくっついたんだろうな」

「そうか・・・長原ってそういや男子に線引きしてるとか言われてるんだったな。男友達もいないって言ってたしな・・・」

「お、長原さんに男友達がいなくて安心したか?
 良かったな舞人君。あんな可愛い娘が他の男に脇目も振らずにお前だけを見てくれるんだぜ?」

「んなっ!!?そそそ、そんなこと言ってませんっ!!!」

「分かった分かった、そういうことにしておいてやるよ。
 んで、話を戻すけどな。お前さっき朝に視線を感じたって言ってただろ。多分原因はそれだと思うぞ」

「は?」

山彦の言葉に、意味がさっぱり分からないといった表情(実際分からなかったのだが)を浮かべる舞人。
そんな彼を見て、山彦は『やっぱり』とでも言いたそうな表情を浮かべて軽く溜息をついた。

「だからな、これも前に言ったと思うけど長原さんってC組の女の子の中でも男人気高いんだぜ?
 狙ってる男も俺の知り合いに結構いたからな。大方そいつらに『長原さんが桜井舞人と付き合ってる』って噂が知られたんだろ。
 まあ、さっきのお前じゃないけどある意味お前に対する嫉妬が原因なんじゃないか?」

「いや、それはちょっとおかしいぞ。
 確かに朋絵の奴は男に幾らか人気があったかもしれんが、今朝感じた視線はそんなもんじゃなかったぞ。
 確かにそういうのもあったかもしれんが・・・何というか、どちらかというと覚えてもいないことに
 感謝されてるような、そんな視線が・・・」

要領を得ない舞人の言葉だが、山彦は『成る程』と軽く考える仕草を見せる。
舞人の部分的な言葉の意味を彼がしっかりと読み取る辺り、
他人から見れば彼等の付き合いの確かな深さを感じ取れるだろう。

「それじゃあきっと星崎さんと八重樫さん絡みじゃないか?」

「はああ?それこそ訳が分からん。
 そこでどうして星崎や八重樫が出てくるんだ。あいつらがクレープ屋を襲撃しようが何しようが
 俺には何も関係ないだろうが」

「だから、考えても見ろよ。星崎さんと八重樫さんの男人気は知ってるだろ?
 特に星崎さんのプリンセス人気はお前も去年嫌と言うほどに肌で感じてただろ」

「ばっ、当たり前だ!というか死んでも忘れられんぞあの悪寒は。
 星崎と一緒に行動するだけで全方位から恐ろしいほどに視線と重圧が突き刺さってくるんだぞ?」

「だろ。つまり、星崎さんも八重樫さんも凄いんだよ男人気。
 でだ、星崎さんと八重樫さんの男友達で仲が良いのは誰だ?特に星崎さんだな」

「あ?星崎の交友関係なんか知るか。
 悪いが俺はロイヤルガードじゃないからアイツのパーソナルデータなんぞ携帯のアドレスや電話先くらいしか知らん」

「お前、本当に鈍い奴だな・・・そのプリンセスの携帯アドレス知ってる男がこの学園に何人いると思ってるんだよ。
 ストレートに言うけどな。星崎さんと学園で一番仲が良い男は三年A組桜井舞人なんだよ」

「いやいやいや、それこそ待て。それを言ったら山彦だってそうなるだろうが」

そうだろう?と訴える舞人に、改めて大きく溜息をつく山彦。
彼の言うとおり、確かに山彦も舞人と同じく希望やつばさと共に遊んだり行動したりしていたが、
舞人と山彦は他人から見える希望やつばさに対するポジションが完全に違うことを彼は気付いていなかった。
他人から見て舞人と山彦、どちらが希望やつばさと『友達としてではなく異性として仲が良く見えるか』は
他人が見れば一目瞭然なのだが。

「・・・お前、本当に鈍い奴だな。
 まあいい、とにかくそいつ等はお前が星崎さんと付き合うんじゃないかと不安になってたんだよ。
 その星崎さんの一番仲の良い異性であるお前に恋人が出来たんだぞ?星崎さん以外の。
 つまるところ一番の危険牌だと思ってたお前がアンパイに変わったんだよ。そりゃ星崎さんのファンの連中は
 大喜び、お前に感謝するだろうさ」

「はあ・・・?そんな下らん理由で俺は今朝あんなに憂鬱にさせられたのか?
 ぷじゃけるなよ?星崎と付き合うだなんてそんな自殺願望誰が持つか」

「そうか?お前と星崎さん、結構お似合いだと思ってたんだけどな」

「朝から俺の首元に死神の鎌を当てるような発言は止めてくれ。何度も言うが、俺は自分から死に向かうつもりはない。
 例えこの世に平行世界なるものが存在したとしても俺が星崎と付き合うような世界は決して存在しない。断言する。
 ましてや俺が星崎とイチャイチャしたり痴話げんかしたり海に行ったりなんて・・・
 おお、考えるだけで恐ろしい。常に死と隣り合わせの世界じゃないか。
 見ろ、お前のせいで自分の死というモノを身近に感じてしまったではないか。
 くそう、朝から最悪な気分にされっぱなしだ。どうしてくれる。これはもう誰かに精神的慰謝料払ってもらわないと気が済まん。
 俺の爽やかな朝を返せ法廷に出て来い貴方の黙秘権は保証する示談は受ける用意がある」

「まあまあ、いいじゃないか。これでお前はロイヤルガード達からの精神的苦痛を受けなくて済むようになったんだからな。
 むしろ奴等公認の普通のお友達になれたんだからラッキーじゃないか。
 それにお前には長原さんがいるし、星崎さんはどの道もう関係ないだろ?」

「む・・・まあ、確かにその通りだが・・・何か納得がいかん・・・
 くそう、この俺の熱き迸る情熱は何処にぶつければ・・・」

「そんなの長原さんに遠慮なくぶつければいいじゃないか・・・っと、チャイムか。
 それじゃ舞人、話はまた後でな」

「いいいいきなり変な言うなっ!!!この下ネタ星人がっ!!」

笑いながら席へと戻っていく山彦に、舞人は顔を赤らめながらも渋々自分の席へ戻っていった。
微妙な表情を浮かべたままの舞人の顔を、隣の席である希望はホームルームの間、終止ずっと不思議そうに眺めていた。


















「おい、舞人。今日の昼飯はどうする?学食行くか?購買か?それとも出るか?」

午前中の最後の授業を終え、いつものように舞人に尋ねかける山彦。
弁当を持って来ない二人である為、本来ならば学食か購買のどちらかしか選択肢は無い筈なのだが、
彼等は学園の外に出て食事を取ったりコンビニに向かったり時々するので第三の選択肢が存在するのだ。
無論、言うまでもなく校則違反である。

「む、その一声を待っていたぞサガラ軍曹。
 俺の胃袋も二時限目から絶え間なく空襲警報が鳴りっ放しで如何ともしがたい状況なのだ。
 早く物資を補給せねば午後の戦に挑むことも出来ん。さあ学食へ行くぞ山彦よ。
 天が呼ぶ地が呼ぶ人が呼ぶ、おふくろヒレカツ定食が俺を呼んでいるのだ」

「分かった分かった、腹減ったって事だな。
 んじゃさっさと学食行こうぜ。早くしないと席が埋まっちまうからな」

「ざんね~ん。相楽君、ごめんね。悪いんだけどさくっちは学食へ行けないんだ~」

学食へ向かおうと席を立った二人に、突如見知った女子生徒――星崎希望が無邪気さに溢れた満面の笑顔で声をかける。
否、無邪気さに溢れた笑顔というよりも、何か楽しい玩具を見つけた子供のような、そういう表現が似合うかもしれない。

「急に現れて意味の分からんことを抜かすな星の字。
 お前はいつから俺の専属秘書になったんだ。俺はお前にスケジュールを左右される筋合いはないぞ。
 俺はこれから山彦と共に学食という荒れた荒野を二人支えあって生きていくのだ。
 その熱き鼓動は誰にも止められん。ましてやお前のような軟弱な女は引っ込んでろ」

「あ、むっか~。ちょっと可愛い彼女が出来たからって調子に乗っちゃって。
 ふんだ、さくっちなんかさっさと振られちゃえっ」

「い、言うに事欠いてなんつー恐ろしいことを言うんだこの女は・・・
 ちょっとお兄様、この不良娘、教育が行き届いていませんわよ?」

「あ~・・・とりあえず話戻していいかな。
 それで星崎さん、なんで舞人は学食にいけないの?」

山彦の言葉に『あっ』と声を漏らす希望。
どうやら彼等に対する用件を思い出したようでを希望は舞人を睨むのを止めて先ほどまでの穏やかな表情へ戻る。

「それはね、さくっちにお客さんが来てるからだよ~ちょっと待っててね、今呼んでくるからね」

希望が満面の笑みを浮かべたままで廊下へ向かって数十秒。
何事かとクエスチョンマークを頭に浮かべていた二人の元に再度彼女が戻ってくる。
舞人にとって馴染み深い女生徒を連れて。

「んなっ!!?と、朋絵!?お前、何で!?」

「あ・・・えっと、こ、こんにちは・・・」

驚きの余り声を荒げる舞人に、顔を真っ赤にして答える朋絵。
彼の大声に周囲がざわつくが、今の舞人には周囲の状況を認識することなど出来る筈も無かった。
彼女――長原朋絵が彼の教室に入って来るなど初めてのことなのだ。
慌てる舞人に顔を真っ赤にして俯いたままの朋絵。
そしてそんな二人を楽しそうに見つめる希望に、『なるほどねえ・・・』と感慨深そうに眺める山彦。
大袈裟に言わなくとも、傍から見てかなり不思議な空間である。

「いや、こんにちは、じゃなくてだな。何でお前はウチのクラスに来てるんだ。何か用があるのか?
 あ、もしかしなくとも結城の奴に用か?ちなみにその暴力エセインテリ眼鏡なら自分の席にいるぞ。呼ぶか?」

「あ、えっと・・・今日は、その、はるかに用事じゃなくて・・・
 えっと・・・あの・・・ま、舞人君と・・・お昼ごはん、一緒に食べようと思って・・・
 舞人君、夏休み中に、その、お昼はいつも学食だって言ってたから、その、お弁当、作ってきて・・・」

「 な ん で す と ! ? 」

再度の舞人の大声にびくりと身体を反応させる朋絵。周囲の視線が集ってることを彼女は気づいているのか、半分涙目である。
あうあうと言葉を上手く発せていない朋絵に硬直状態が続く舞人。そんな二人に助け舟を出すのは当然その場にいた山彦と希望である。

「ひゅ~、舞人やるじゃん!いきなり彼女と昼飯とは隅には置けませんなあ。
 しかもお弁当とは彼氏冥利に尽きますなあ」

「尽きますなあ。あ、さくっち赤くなってる~」

「だだだ黙らっしゃい!!!ああああ赤くなんてなってません!!!」

「またまた~、照れちゃって~」

からかう二人に舞人は何とか意識を取り戻し、反論を試みるものの相手にされていない。
それも当然のことで、顔を真っ赤にして照れてないなどといっても説得力の欠片も無く、誰も信じないのは当たり前である。

「あ・・・えと、もしかして、迷惑だったかな・・・?」

朋絵のワントーン落ちた言葉に、舞人は心臓が跳ね上がる気持ちで朋絵の方に視線を向ける。
知らない人達に注目された状況が続いたせいか、現在の朋絵は涙目どころか今にも泣きそうな表情である。

「へ?あ、いや、そんなことはなくてですね、いや、嬉しさは心の中で有り余るほどに感じてる訳なのですが、
 えっと、はい、何と申しますか、その、私としましては心の準備というものがですね・・・」

「おいおい駄目だろ舞人、そこはちゃんと素直に『嬉しい、ありがとう』って伝えないと情けないだろ。
 舞人には思い遣りが足りない」

「そうだよ~。ちょっと今の対応は減点モノだよね~。舞人君には甲斐性も足りない」

「ううううううるさいっ!!!外野は黙ってろ!!あと星崎は舞人君って言うな!!!」

「あ、ご、ごめんねっ!?そ、そうだよね・・・いきなり人のクラスに来るのは失礼だもんね。
 舞人君も予定色々あるのに、こういうこと私しちゃ駄目だよね・・・えと、その、邪魔しちゃってごめんね・・・」

「ばっ!?そんな事誰も言ってないだろうが!!」

叫んだ後に、舞人はぞくりと身の危険を感じ、思わず首を軽く後ろの方へ向ける。
そこには自分の席に座りながらも禍々しいオーラを放って二人の方を見る結城はるかがいた。
言葉こそ発してないものの、彼女から『アンタ、ここで朋絵泣かしたら殺すわよ』というメッセージが
ありありと舞人に伝わってきていた。
無論はるかだけではない。クラス中からぼそぼそと舞人に対する不平不満の声が漏れ始めていた。
『マジかよ桜井・・・』『彼女泣かせるなんて桜井君最低』
『可愛い娘を泣かせるなんて殺すしかないだろ常識で考えて』『やっぱアンタ俺達の怨敵だよ』
クラス内での株価急落にだまらっしゃいと大声で反論を上げる舞人だが、その前に朋絵がアクションを起こしていた。

「わ、私は自分の教室に戻るから、こ、これ良ければ食べてね・・・?
 あ、も、勿論無理しなくていいからねっ・・・そ、それじゃ本当にごめ・・・」

「だああああ!!!勝手に自己完結して帰ろうとするな馬鹿モノ!!」

テスト後ばりに脱兎を見せようとした朋絵の腕を掴み、軽く自分の元へ引き寄せる舞人。
一度大きく溜息をついた後、目に一杯涙を溜めた朋絵に向かって口を開いた。

「いいか、一度しか言わないからよく聞け!俺はお前が弁当を作ってきてくれて嬉しかったんだよ!!!
 突然のことだったから驚いただけだ!!!
 お前と飯を食うのが嫌な訳あるか!!だからそんな泣きそうな顔するな!!俺はお前と一緒に飯を食いたいんだよ!!」

舞人のあらん限りの大声が教室中に響き渡り、気付けば教室には静寂の空気が張り詰めていた。
数秒間はたっぷり静けさを保っていただろうか。
二人に対する山彦の拍手が皮切りとなり、希望、そしてクラス中へと拍手が連鎖する。
そして気付けば教室中から大きな拍手の嵐が起こり、二人を取り囲むようにクラスメートの輪が発生していた。

「・・・・あ」

「・・・・あう」

今更ながら、自分たちが何をしたのか気付いた二人の顔が先ほどよりも更に赤くなる。
朋絵にいたっては最早泣いてるような状態である。

「やるじゃん桜井ー!!俺すげえ見直したよー!!!」

「桜井君格好良かったよー!!!彼女さんを大切にしてあげてねー!!!」

「いいぞー委員長!!やっぱアンタ俺達の英雄だよ!!!」

クラス中から巻き起こる舞人コールにやけっぱちになった舞人はまるで道化のように手を振って答える。
そんな舞人を揉みくちゃにするかのような男子生徒の群れ。さながら甲子園大会で優勝したかのような大騒ぎである。

「まあ話は纏まったみたいだし俺は学食に行って来るよ。
 あ、ちなみに長原さん。俺はコイツの親友で相楽山彦。これからよろしくね」

「あ・・・・は、はいっ、長原朋絵です、よろしくお願いします・・・」

「私は星崎希望。さくっちのクラスメートだよ。よろしくね、長原さん」

「私は八重樫つばさ。ま、一応さくっちの悪友ってことで一つ」

「よ、よろしくお願いします・・・」

山彦に希望、そしていつの間に現れたのか、つばさが朋絵に笑顔で自己紹介を始めていた。
朋絵は少し緊張に強張りながらも、そんな三人に応えるかのように笑顔で会釈した。

「つーかいつの間にお前等自己紹介し合ってるんだ!!
 ていうか八重樫、お前さっきまでいなかっただろうが!!」

先ほどまで生徒達に三度ほど胴上げされていた舞人がズタボロになって朋絵達の元へ不満を漏らす。
彼を胴上げして満足したのか、クラスメートたちは散り散りとなり、気付けばいつの間にかいつものクラスに戻っていた。

「や、さくっちさっきから接続詞多すぎだから。
 そりゃあんだけ大騒ぎしてれば嫌でも興味沸くし。あと、さくっちの彼女ってのも興味あったしね」

「まあまあ、積もる話はこれからゆっくりと、ね?
 それじゃ長原さん、さくっちの席まで案内するよ~」

さあさあ、と朋絵の肩を押して自分の席の隣(つまりは舞人の席)に連れて行こうとする希望に、
面白い暇つぶしが出来たとでも言わんばかりの笑顔を浮かべるつばさの二人に、朋絵はなすすべも無く連れられていく。
山彦は『学食でパン買ってきたらすぐ戻ってくるから、
それまで長原さん引き止めといてくれよ』と言い残し、教室から去っていった。
今の舞人の心境を表すならば『大きな嵐が過ぎ去った』、そういう表現が一番ピッタリなのかもしれない。
舞人は疲れ果てたような表情を浮かべて、朋絵達がいる場所ではなく、
最後までこの騒ぎを傍観に徹していた人間の元へと近づいていった。

「おい眼鏡。お前このこと知ってやがったな」

舞人の発された言葉の先には終止その騒ぎを見つめていた生徒――結城はるかが自分の席に座っていた。
大きな溜息をつく舞人を見て苦笑しながら『まあね』とだけ一度言葉を返した。

「昨日アンタが帰った後からあの娘、アンタにお弁当作ってあげるんだって張り切ってたわよ。
 まあ元が家庭科部だし小さい頃から料理頑張ってたからね。味の方は私が保証するわよ」

「・・・何かお前、楽しそうだな」

舞人の指摘され、はるかは初めて自分が笑っていたことに気付いた。
至極冷静に振舞っていたつもりなのだが、どうやら彼女は自分の表情を上手く隠すことが出来なかったらしい。
その事実をあっさりと認めたのか、はるかは『そうね』と呟き、笑みを零した。

「楽しいわよ。ええ・・・これ以上ないくらい本当に、ね。
 普段は引っ込み思案で他人のクラスに入ることすら躊躇してたような朋絵が、今はウチのクラスに遊びに来てる。
 そして全く接点の無かった希望やつばさ、そしてそれ以上に苦手な男である相楽と友達になろうとしてる。
 彼氏であるアンタの世界に少しでも近づこうと頑張ってる。
 あの娘の頑張る姿をこんな風に見ることが出来る・・・それってとても楽しいことだと思わない?」

はるかの話す言葉に舞人はようやく心の中の疑問を氷解することが出来た。
何故先ほど朋絵が教室に来たときにあんなにも動転したのか。
何ということはない。『彼女が他人のクラスにいる』ことがおかしかったのだ。
彼女は仲の良い人には人懐っこい性格をしているが、反面人見知りで引っ込み思案な面が強い。
その一側面においては文芸部の平塚香奈をも越えるかもしれない。
だからこそ彼女は他人のクラスに入りたがろうとしていなかった。夏休み前もそんなことがあったではないか。
だからこそ『違和感』を感じたのだ。

そしてそんな彼女が頑張ろうとしていると目の前の少女は言うのだ。
他の誰でもなく、舞人の為に。舞人に少しでも近づく為に。同じ世界を見る為に。
誰よりも一途で、不器用で、遠回りをした彼女の頑張りを。そんな頑張りを享受している自分はどれだけ幸せ者なのだろうか。

「ったく・・・親馬鹿ならぬ親友馬鹿、幼馴染馬鹿だな」

感情の篭もってない声で思わず悪態をつく舞人だが、
それは溢れ出る喜びを押さえ込む為に誤魔化そうとしてるだけに過ぎない。
事実、目の前の女生徒には舞人のそんな思惑は筒抜けらしく、彼の言葉を面白がって返答する。

「まあね。親友に悪い虫がついちゃったからね。最近どうも過保護になってるみたい」

「最終的にその悪い虫をくっつけたのはお前だろうが」

「それじゃあ私も責任を取らないとね・・・あの娘の笑顔を最後まで見届けないと」

はるかの言葉に全くだ、と笑いながら舞人は視線を自分の席の方へと向ける。
そこには希望やつばさと一緒に談笑している朋絵の姿が映った。
少し前まではお互い知らない仲だった彼女たちが、もう笑い合っている。
彼女と付き合うことで、互いの世界が広がっていく。彼女を愛することで、確かな絆が築き上げられていく。
二人の頑張りが二人の道を作っていく。
二人の想いが二人の世界を作り出す。そんな世界も悪くないな、と舞人は苦笑しながら彼らしくもないことを考えていた。













9月18日(水)


引き継がれていくもの




放課後の図書室、そこに毎日のように活動している筈の文芸部員が今日は三人しか訪れていなかった。
いや、三人しか訪れていないというのは語弊があるかもしれないので訂正しておこう。三人以外を今日は休みにしたのだ。
その場にいるのは最上級生である部員のみ。すなわち、桜井舞人に長原朋絵、そして結城はるかである。

「それで、どうするの?そろそろ決め始めないといけない時期なんだけど」

「だから、俺は香奈ちゃんを押すって言ってんだろうが。つーか、それ以外考えられんだろ」

「そうかなあ?舞人君の例もあるし、私は智里ちゃんでもしっかりやってくれそうな気がするんだけどなあ」

「まあ、結局のところ、その二人に絞られるしかないわよね・・・どうしたものかしら」

三人が頭を抱えて話し合っている内容、それは『文芸部の次期部長』についてである。
時期も九月となり、数ヵ月後に行われる文化祭を最後に彼等三年生は文芸部を引退することになる。
その際に二年生の新部長を三年から新しく任命するのがこの部での慣わしだった。無論、今年も例外ではない。
ある種、二月ごろに新部長を告げられた今年が例外のような感じがするが、実はそうではない。
舞人が部長に任命することが急遽決まるまで、実はそれまではるかが新部長を任命されていた。
だが、こだまとのことを含め、文芸部内に色々なことが重なってしまった。
その経過、はるかは快く舞人に部長を譲り、周りの人間も納得したのだ。
だからこそはるかは舞人に代わり、部長の仕事を行うことが出来たのだ。部長としての仕事は
全て姉のひかりから指導を一通り受けていたのだから。

話を戻そう。三人が現在話し合ってることは『平塚香奈と遠野智里のどちらを部長にすべきか』である。
二年生は現在四人の部員がいるが、部長という選択肢において橋崎なつき、雪村小町は既に除外されている。
理由は簡単で、なつきは部室で寝てばかりで部長の仕事等引き受ける筈も無く、
小町はサッカー部との掛け持ちだからである。
よって、毎日部活に来て、部長の仕事を任せられるのは香奈と智里、消去法でこの二人ということになるのだ。

「なあ、普通に二年の連中に決めさせるっていうのは駄目なのか?
 二年の部長なんだから二年が決めればいいと思うんだが」

「アンタにしては正論ね。確かにそういう決め方もあるわ。
 けど、三年が任命して部員全員が賛成したら可決というのがウチの決まりなのよ。いわば昔からの伝統みたいなもんね。
 それを私達の代で壊すわけにもいかないでしょう?それにね、上級生から任命されるのとされないのでは
 やる気が全然違うものなのよ?」

「ふ~ん・・・そういうもんかね」

納得のいった様ないってないような微妙な返事をする舞人に、『そういうもんなの』とあしらうはるか。
三年が決めなければならないからこそ、はるかは今日放課後に三年だけで集るように彼等に指示したのだ。
これが二年だけで決めていいのならば、早々にはるかは二年全員に誰を部長にするか決めろと告げていた筈である。

「まあ、普通に考えるなら、アンタの言う通り香奈が適任よね」

「だろう?つーか、俺はお前がどうしてここで悩むのかが分からんぞ。
 香奈ちゃん以外の選択肢をその曇った眼鏡でよく見てみろ。
 遠野に橋崎に雪村・・・はっきり言ってどうしようもない連中ばかりじゃないか。
 そんな連中に我が伝統ある文芸部の部長の座は任せられんな。俺にバトンを渡し、旅立たれたひかり姐さんも浮かばれん」

「今の部長がアンタだから悩むんでしょうが。ぶっちゃけサボリにサボるアンタよりも寝てるだけのなつきの方が百倍マシね。
 つーか後勝手にお姉ちゃんを殺すんじゃないわよ。今度ふざけたこと言ったらアンタを地獄巡りさせるわよ」

はるかの言葉に舞人は『聞きましたか奥さん』と朋絵に不平を漏らす。ちなみに朋絵は先ほどから苦笑しっぱなしである。
確かに舞人の言うとおり、部長に抜擢するに辺り、平塚香奈が一番的確であろう。
文芸部に一年当初から在籍し、今まで一度たりとも休むことなく部活に通った上に、性格が真面目と問題無しの人材である。
かてて加えて言うなら彼女は本当に芯が強い。何事にも投げ出さないで取り組むし、内面の強さで言えば部内随一であろう。
だが、彼女にも欠点は当然ある。自分の意見を前に出そうとしないのである。絶対的に自分に自信を持っていないのだ。
もし、予算会議等の議会で彼女を部長として立てるのは、少々酷な事ではないのか。
ひかりやはるか、舞人のような良い意味での図々しさが彼女には足りていないのだ。

「私は智里ちゃんでも全然大丈夫だと思うよ~。
 何だかんだ言って智里ちゃんって実は文芸部の仕事全部出来るし、全然問題ないよ」

「ほう?それは文芸部の仕事を未だに全部出来ない部長である俺に対する当て付けか」

「ふええ!?ち、違うよ~!わ、私はただ智里ちゃんも選択肢にあるよねってことを・・・」

「あーもうやかましい!!イチャつくなら廊下でイチャつきなさい!!」

やれやれと溜息をつきながらはるかは再度思考を巡らせる。
朋絵の言う通り、確かに智里という選択肢もかなり有用である。
文芸部の仕事も出来、真面目・・・とは断言できないが、活動にはちゃんと参加する。
そして何よりも彼女、遠野智里は何事にも立ち回りが上手い。交友関係は幅広いし、上級生にも下級生にも顔が利く。
話術もそうだが、何よりも人を惹きつける才能を持つ。人に好感を持たれ、自分の意見を
ハッキリ言える彼女は部長にはうってつけかもしれない。
しかし、無論彼女にも問題はあり、それは非常に気まぐれだということだ。部長の仕事もそうだが、
気分によっては会議参加すらままならないかもしれない。
かてて加えて彼女のことだ。最初から時期部長は香奈であり、
面倒な仕事である部長という任を自分は毛頭するつもりは無いという考えだろう。
良い意味でも悪い意味でも自由気まま。それが彼女の大きな利点でもあり、欠点でもあった。
香奈も智里も一長一短が存在するのだ。

「ああもう・・・どうしてこんなに良い人材が二人もいるってのに・・・勿体無さ過ぎるのよ。
 いっそのこと二人を足して二で割れないかしら・・・」

「な、なんつー無茶苦茶なコトを言う女だ。
 おい朋絵、お前の親友が何かふざけた妄想語ってるが、友人としてそれを止めてやらねばならんのではないか?
 大声ではいえないが、お前の親友は確実に薬やってるぞ。毎晩一人でドラッグパーティーだぞ」

「それはないよ~。だってはるか薬苦手だもん。風邪のときだって未だに薬飲むのを嫌がるし」

「あ、いや、そういう意味じゃなくてだな・・・つーか、今素敵なことを聞いた気がするんだが。コイツ薬飲めないのか?」

「うん、そうだよ~。小さい頃からお医者さんから出された薬が飲めなくて、凄くおばさんやひかりお姉ちゃん困ってたよ。
 今では何とか甘い粉薬は飲めるようになったんだけど、未だに苦い粉薬と錠剤が・・・」

「朋絵」

楽しそうに自分の思い出(はるかの恥話の何モノでもないが)を語っていたはるかの頭を片手でがっしりと掴み、
名前を呼ぶはるか。眼鏡の奥にあるその瞳は確かに明らかな殺意を抱いていた。

「ひゃ!?なななな何!??」

そんなはるかの様子に気付いたのか、自分の余りの失言に今更気付いたのか、
朋絵の返答は声が震えて上手く発音出来ていない。
震える朋絵を前に、はるかはあらん限りの笑顔を浮かべ、一言――

「アンタ、今日家に帰ったら私の部屋に来なさい。話があるから」

そう言って、朋絵から掴んでいた片手を離した。
そして視線を舞人の方へ向け、再度笑顔を浮かべる。
舞人は後に語る。その時の彼女の笑顔はあたかも天使のような悪魔の笑顔であったと。

「そういえば、さっき朋絵が何か話してたけど・・・まさか聞こえてないわよね、桜井?」

「さ、サー!!じゃなかった、イエスマム!!この桜井、先ほどより何の音も耳に届いていないであります!!」

「あっそう、それは良かったわ。聞こえてたら後々処理が面倒なことになるところだったし・・・」

何をどう処理するんだ、とどうしても言葉に出来ない舞人。人間である以上、我が身が恋しいのは仕方が無いのだ。
現に彼の隣に座っている彼女は『あわわわ・・・』『やだやだやだやだ・・・』などと震えながら言葉を漏らしている。
舞人は朋絵の冥福を祈るしかなかった。

「つーか話が逸れすぎなのよ!今日は部長をどうするかのミーティングだって言ってるでしょうが!
 ともかく桜井、少なくともアンタは今からでも誰が部長に合ってるか考えなさいよ!
 勿論香奈も智里も現部長としての平等な目で見ること!いいわね!?」

「よし、平等な目で見よう。・・・結論、香奈ちゃん」

「その根拠は?」

「遠野は生意気。以上」

「現部長としての平等な目で見ろっつってんでしょうがーー!!!!」

「ちょ!!冗談だっつーの!!首!!首が絞まってる!!ウグググっ!!!」

再度大騒ぎをする舞人とはるかに、小動物のようにただただ震える朋絵。これが文芸部員の会議だと誰が思うだろう。
結局部長を誰にするかは決まらなかったが、実は三人の考えはある一つの結論に一致していたのだ。
『誰が部長になろうと、きっと間違いなくこの文芸部を良い方向に引っ張ってくれる』と。
香奈でも、智里でも、なつきでも、小町でも。例え誰であっても、この文芸部を好きでいてくれる彼女たちならば、きっと。











9月22(日)


家族









日曜日。それはつまり私立桜坂学園が休みであるということ。
そして平日が活動日である文芸部の活動も当然休みであることを示している。
文芸部の活動が行われていない上に何の遊ぶ約束もしていなかったのだから、
舞人が部員達と顔を合わせることは無い筈である。

しかし舞人は今日(日曜日にも関わらず)という日の夕暮れ時に、何故かいつもの見慣れた文芸部員達と顔を合わせていた。

周囲を見渡せば恋人の朋絵に始まり、はるか、香奈、智里、なつき、かぐら。
小町こそサッカー部の活動の為いないものの、いつもの見慣れた面々が、
くるくると表情を変えて楽しそうに時を過ごしていた。
彼等が現在いる場所はいつもの図書室などではない。では現在彼等はどこにいるのか。
それは彼等が時折部活帰りに寄って行ったりする軽食、喫茶店の『シャルルマーニュ』。
どうして彼が休日に彼女たち文芸部員とシャルルマーニュで時を過ごしているのか。その理由は実に単純明快である。

「あっれー?桜井ィ、アンタ全然飲み食いして無いじゃん!主役がそんなんじゃ全然盛り上がらないっての!!」

「まあまあミヤ。そりゃ真横にお姫様が座ってりゃ喉を通らないって。恋する乙女してんじゃん桜井ってば!」

「いえ、少々というか多大な先輩方の心遣いが倒産寸前企業の不良債権の如く溜まりすぎてしまい、
 喜びの余り思わず食欲を抑えてしまうのです。
 あと先ほどから人の頭をバンバンと気安く叩いて下さってやがります佐竹先輩、俺は乙女などではありません」

「いーじゃないの!こういうおめでたい席なんだから細かいこと言いっこ無し!
 ウェイトレスさーん!デザート追加ねー!」

「朋絵もよくもまあ桜井なんかを選んだもんだよね。
 で、どっちが告白したの?そこんところ詳しくお姉さんに教えてみなさい?」

「え・・・えっと、あうううう・・・」

「頼みますから朋絵をいじめるのは止めて下さい先ほどから見てるこっちが気持ち悪くなるほど
 ケーキばかり頼んで来月の体重が非常に楽しみな宇都宮先輩。
 貴女は先輩としての思い遣りをもう少し持つべきかと思われます」

「え~?すっごい優しくしてるじゃん私。聖母か宇都宮かってくらいじゃない。私は誠心誠意真心込めていじめてるのよ。
 それにさあ、この娘を見るとついつい優しく虐めたくなっちゃうんだもーん!こだまもいいけどやっぱ朋絵も最高よねー!」

「ふ、ふええ・・・」

「あー、頼むから抱擁に見せかけたヘッドロックをかますのも勘弁してあげてください。思いっきりキマっちゃってるんで」

そう。去年卒業した彼等の先輩である元文芸部員の面々に半強制的に呼び出されたのである。
朋絵と一緒に図書館で勉強したその帰り道、突如彼の携帯によく見知った人からの呼び出しが掛かった。
そして着信先の相手――結城はるか――から『今すぐシャルルマーニュに集合。
一緒にいる朋絵にも言っといて』とぶっきらぼうな声を投げつけられたのだ。
何事かと思い、二人で頭上に疑問符を浮かべながら来店してみればこだまと小町以外の新旧文芸部員の大集合。
そして現在に至るという訳である。

「・・・というか、姐さん。あんた、妹けしかけてまで何というものを開催してくれやがったんですか。
 そんな他人事みたいな顔してシナモンティーなんて似合わないもん飲んでるんじゃありませんよ。
 極道の世界では下っ端のモンが上(かみ)の許可なく恋愛をするとこういう晒し上げの儀式を行うのが通例なんですか」

「あんたね、メチャクチャ人聞きの悪いこと平然と言うの止めなさいよ。
 あんたと朋絵が交際を始めたって聞いたから、私たちの奢りでパーティーしてあげてるんじゃないのよ。
 正直あんたはどうでもいいけど、朋絵とは付き合いが長いし私にとって妹みたいなもんだからね。
 初めて男の子と付き合うとなっちゃあ祝わない訳にはいかないわよ」

不満が溜まりに溜まったのか、舞人は思わず彼等の座っている席の真正面に座っていた
今回の仕掛け人――結城ひかりに言葉を投げつける。
しかしひかりは軽く溜息をつきつつも、そんな舞人の言葉をサラリと軽くあしらい返した。
ひかりと舞人の掛け合いはある意味においては他の人達とは別次元のレベルである。
例えはるかでも、こうは舞人の会話にテンポ良く合わせられないだろう。
ちなみに現在彼等はシャルルマーニュにいるのだが、客席を三箇所使用している。
現在の配置は舞人に朋絵、その真正面にひかりと佐竹と宇都宮。舞人と朋絵に去年卒業した先輩たちという席である。
そしてその隣の机に、はるかになつきにかぐら、その正面に智里と香奈という席である。
いわゆる現文芸部といったところだろうか。
残る一机には荷物の類を置いている。本来、こういう行為は他人の迷惑になる為、二机だけ使うつもりだったのだが、
店員であり、顔見知りのクラスメートでもある八重樫つばさがあっさりと許可を下したのだ。
むしろその机を荷物置きにしろと言ったのは他ならぬつばさである。

「ほうほう、しかも自分よりも先に異性と交際をしたとなるとその行為には嫌がらせも多分に含まれる訳ですな。
 いやいや、流石は姐さん。抜け目がない。
 きっと将来は良い姑になりますよ。息子の妻をいびっていびっていびりまわして
 泣き寝入りさせる技術は今でもその片鱗を感じさせますな」

「桜井、あんた朋絵と交際して浮かれてるからって軽い発言ばっかりしてると五体満足で家に帰れなくするわよ。
 まあ・・・そんな訳だから今日はお金のことは気にせずに楽しみなさい。もう既に楽しんでる娘達もいるけどね」

ひかりは楽しそうな笑みを浮かべて隣の机へと視線を促す。
それにつられて舞人は隣の机を覗き見ると、そこには後輩達の狂気の宴とも言えそうな程に恐るべき惨状が広がっていた。

「八重ちゃん先輩、これおかわりお願いしま~す!!あとパフェも追加で!
 ほらほら香奈!今日は貴女の失恋慰めパーティーも兼ねてるんだから自棄食いしないと駄目だよ!かぐらちゃんも!
 小町が部活で来れない分、小町の失恋の分までアンタ達が食べないでどうするの!あ、あとチーズケーキも追加で~!」

「そ・・・そんなに沢山食べられないよ・・・そ、それに智里、よくそんなに食べられるね・・・」

「奢りに勝る食欲増進のスパイスは無いの!こんな機会は滅多にないんだからどんどん食べるっ!
 それに私なんかよりもなつきの方がヤバイって!だってさっきからずっと抹茶アイスしか食べてないもん!
 入店してからずっと!」

「そう言えばそうだよね。なつき、その抹茶アイス何個目?」

「13個目」

「・・・・た、食べすぎなんじゃないかな・・・流石に・・・」

「おかわり」

「あ、あはは・・・か、かぐらちゃんは大丈夫かな・・・」

「失恋がなんだー!初恋がなんだー!王子様がなんだー!」

「か・・・かぐらちゃんまで・・・ゆ、結城先輩・・・」

「私に助けを求められても困るわよ。残念だけど、今日ばかりは智里の味方。
 アンタも今日は何も考えずに楽しまなきゃ駄目よ。折角の奢りなんだからもっと笑ってなさい。・・・特にアンタは、ね」

「そ・・・そんなあ・・・」

歓喜に満ち溢れデザートを楽しむ智里。同じく絶叫しながらもケーキを頬張るかぐら。
一人無言で黙々と緑色のアイスを食べるなつき。あわあわと困惑する香奈。
そしてそんな雰囲気を楽しそうに見つめるはるか。
このシャルルマーニュ店内にありながら、彼女達は見事なまでにいつもの図書室の雰囲気を醸し出していた。

「・・・この風景を楽しんでると表現出来るとは姐さんのピカソ並の感性には甚だ驚かされっぱなしですな。
 見てみなさい。香奈ちゃんなんかどっかの誰かさんの妹のせいで今にも泣きそうじゃないですか。
 今すぐ姉として至らない妹を罰してきなさい。つーか殴りなさい、その今もなお文芸部で語り継がれ
 燦然と光輝く伝説の右ストレートで」

「いつ私の拳が語り継がれるようになったのよ!アンタをこの場で沈めて本当に文芸部の語り草に残すわよ!?
 とにかく!あんたらは今日の主役なんだから楽しむことだけを考えておきなさい。
 それにさっきからずっと困った顔してる朋絵、あんたもよ」

「あ、う、うん・・・」

急に話題を振られた朋絵は上手く対応することが出来ずにコクコクと首を縦に振り返答する。
困った顔をさせてるのはアンタ達先輩連中のせいじゃ・・・と今にも言葉に出そうな視線で
舞人は佐竹と宇都宮に視線を送るが、二人は何も見えない振りをして華麗にスルーする。

「それと桜井。あんたは朋絵と付き合うって決めたなら、前の彼女のことくらいスパっと吹っ切りなさいよ。
 今日はこだまはココには来ないけど、遅かれ早かれ文化祭にはあの娘、絶対に来るわよ。
 文芸部主催の劇を楽しみにしてるんだから。
 その時に朋絵の前でこだまに未練タラタラな行動してみなさい。文芸部全員でアンタを半殺しにしてあげるから」

舞人だけに聞こえるような声で話すひかりの瞳に、誰が見ても分かる程に本気の光が宿っている。
その様子に舞人は今更ながら再確認する。彼女ならば、自分に対して半殺しどころか
七割殺しを必ず有言実行に移すだろうと。

「それじゃ佐竹!ミヤ!私たちも向こうに混ざるわよ」

「「いえっさー!」」

二人を残し、騒がしくなっている隣の机に飛び込む三人を舞人は呆れた表情で見送る。
どうやら三人の次のターゲットは香奈らしく、香奈の周りに陣取り早速弄る体制に入っていた。

「・・・ったく、本当におせっかいというか、何というか・・・困ったセンパイ達だよな」

「あはは・・・うん、でも、やっぱりみんな凄く温かいね・・・それに、私たちのこと、喜んでくれてる・・・」

そう、確かに喜んでくれた。ひかりも、佐竹も、宇都宮も、みんなが二人の仲を祝福してくれている。
舞人の辛いときを、朋絵の辛いときを知ってる三人だからこそ、その辛さを乗り越えた二人のこれからを祝うのだ。
先輩として、愛しい後輩たちの二人の歩く道を。いつまでも二人が笑っていられるように。

「そうだな・・・文芸部は『家族』みたいなもんだもんな。こうなりゃ自棄だ。むしろ楽しまなきゃ損だ。
 朋絵っ、俺たちも続くぞ!!遠野如きに遅れを取るなよ!!」

「あ・・・う、うんっ!」

朋絵を引っ張って舞人は文芸部員達の騒ぎの輪の中へとダイブする。
喧騒の中から香奈の叫び声が聞こえてくるのはそれから数分と経たないウチの出来事だった。





















ひかり主催の宴会(?)が始まって一時間は経っただろうか。
舞人達が一つの机でぎゃあぎゃあと楽しそうに騒いでる中、端の机に一人離れて座っている人物がいた。
その人物、結城はるかは少々疲れたのか、喧騒を抜け出し、ぼんやりと舞人達の方を眺めていた。

――正直、諦めていた。こんな風景がこんな風に見れるなんて。
少なくとも桜井とこだま先輩が別れたときは思ってもいなかった。
きっと私だけでは文芸部の明るさは失ったままだった。だからこそ、朋絵に感謝しよう。桜井には少しだけ感謝してあげよう。
そんなことをはるかは騒ぐ舞人達を眺めながら他人事のように思っていた。

「お疲れ様。隣、いい?」

ぼんやりとしていたところに急に声がかかり、はるかはハッとして声の主の方を見る。
そこには彼女と似た容姿を持つ女性、実の姉である結城ひかりが楽しそうに笑みを浮かべて立っていた。

「・・・別にいいよ、断らなくても」

「そう。それじゃあ遠慮なく座らせてもらうわね」

視線を合わせることも無く、ぶっきらぼうに言い放つ妹の様子に、ひかりは思わず苦笑した。
長年の付き合いだからこそ分かる、はるかの本当の表情。仮面の下に隠れている本当の表情。
それが本当のはるかなのだとひかりは知っていた。

「・・・何か話があって来たんじゃないの?」

隣に座って言葉を発そうとしないひかりに、はるかは拗ねた子供のようにツンケンとしながら言葉を続ける。
恐らく今の様子を他の部員達が見たら色んな意味でびっくりするだろう。いや、恐らく朋絵は驚かないかもしれないが。

「まあ・・・ね。朋絵から聞いたわよ。アンタが桜井と朋絵のキューピッド役を請け負ったんだって?
 しかも誰に頼まれる訳でもなく自ら勝手に。どういう風の吹き回しかしらね」

「別にどうもこうも無いよ。私は私のしたいようにしただけだし・・・って、何でお姉ちゃん笑ってるのよ!」

「いや、ごめんごめん。アンタがそんなことを言う日が来るなんて思ってなかったからね。
 去年散々アタシに対して怒鳴り散らしてたアンタに今の台詞を聞かせてあげたいわ」

ひかりの言葉にハッと口を押さえ、みるみるうちに顔を真っ赤に染め上げるはるか。
そんな妹の様子を見ることが出来て満足なのか、ひかりは意地悪そうな笑みを浮かべている。

「・・・そういう風に言うのって凄いイジワルだよね。
 けど・・・ゴメン。あの時のお姉ちゃんの気持ち、今なら分かるから・・・
 だから、あの時勝手なことばかり言って・・・本当にゴメン」

「馬鹿ね。どこに謝る必要があるって言うのよ。そんな顔しないの。
 朋絵ならともかく桜井達が今のアンタを見たらビックリしちゃうわよ。
 それで、今の貴女はこだまのこと、ちゃんと許してあげられるのかしら?」

「・・・別に、許すも許さないもないよ。
 私なんて、最初から関係ないんだから・・・私の独りよがりの感情なんて何も関係なかったんだよ。
 それに、結局私はお姉ちゃんと同じことしちゃったんだもん。今の私に二人を責める資格なんてある訳ないよ・・・」

「相変わらず不器用な娘ね。何事ももっと簡単に割り切ったほうが楽よ?
 例えばいい加減その重たそうな虚鎧を脱ぎ捨てて生きていく、とかね」

「いいの!!私は好きでこんな風に生きてるんだから放っておいて!」

「はいはい。ったく、本当に強情な娘なんだから。流石は私の妹ってトコロかしらね」

「・・!!わ、私みんなのところに行ってるから!!」

普段の彼女らしからぬ荒声を上げ、はるかは逃げるように文芸部の輪の中へと飛び込んでいった。
そんな妹にひかりは苦笑しながらも、優しい視線を送り続けていた。そして彼女は願うのだ。

誰よりも真っ直ぐで、誰よりも不器用で、誰よりも臆病で、誰よりも純粋で――そして、誰よりも姉想いな、
私の自慢の可愛い妹。

そんなはるかが、いつの日かありのままの自分でいられる日が来ますように。
愛しい妹が、桜井の隣で微笑んでいるもう一人の妹のように、ありのままの笑顔を皆に見せてくれますように、と。














9月30日(月)


電車は急に止まれない




桜井舞人には『この人には決して逆らってはいけない』という人間が三人存在する。


一人は彼の母親である桜井舞子。
幼い頃より実母から受けた教育という名の追憶の罰は、彼の瞳から雫を消えさせ、悲しみの淵に幾度追い込んだだろうか。
子供の頃からヤンチャだった舞人が、何か悪いことを行う度に母から送られた愛の体罰。そして母の豪胆かつ唯我独尊な性格。
そのような母に、舞人は未だ勝てる気がしないのだ。否、初めから戦うなどという土俵に上がる気力すら無い。
己の寿命を自ら縮めようとするような自殺願望を彼は一ミリたりとも持ち合わせていないのだから。

そして、もう一人は彼の母親、桜井舞子の後輩であり親友である佐伯和観。
現在、故郷である雫内を離れ、桜坂で毎日を過ごす彼にとって親代わりであり、保護者代わりである彼女。
そんな彼女も自分の母に負けず劣らずぶっとんだ性格をしているのだから、舞人が勝てる筈も無い。
残る一人、ドクターイエローこと谷河浩暉に関しては後の機会に語るとして、
佐伯和観――その人には何があろうと舞人は逆らえないのである。





「分かるか和人。勇気と無謀は違うのだ。勝てない相手に真っ正直に命を投げ出すなど最早ただの蛮勇に過ぎんのだ。
 つまり何が言いたいのかというと、現在俺がこの公園に拉致されている状態は決して情けない訳ではない。
 相手が常人ならば俺だって当然抵抗したさ。
 だが悲しいかな、俺を拉致した相手は和観さんなのだ。メダカが鯨に勝てるものか。
 アリが象に勝てるものか。いいか和人、お前なら分かってくれると思うが・・・」

「舞人兄がお母さんに勝てないってことはずっと前から知ってるから、そんなに言い訳並べなくても・・・」

「い、言い訳なんかじゃありません!!分かってない!お前はちっとも男のプライドと言うものを分かっていない!!
 大体だな、そんな最初から『逃げた』と決め付けるんじゃないと俺は言いたい訳だ。
 それでは俺がまるで戦う牙も持ちえないチワワみたいじゃないか。
 俺は頑張った。頑張って逃げようとしたんだ。だがな、相手が和観さんなんだぞ?
 その誘いを無下に断ったらどうなると思う?」

「どうなるの?」

「言葉にするのも躊躇われる。
 とりあえずこっちに引っ越したばかりの頃、和観さんの買い物の付き合いを断った後、
 三週間通院する羽目になったことを付け加えておきます」

「あはは、良かったね。三週間で済んで」

笑い事じゃない、と舞人はベンチの隣に座っていた佐伯和人に不満をぶつける。
和人の言うとおり、和観相手に三週間で済んだのは偏に舞人が舞子の息子だったからであろう。
現在、舞人自身の言うように、彼は公園に来て・・・否、強制連行されていた。
学園からの帰り道、偶然ばったり会ってしまった和観に連れられ、彼女の息子である和人を迎えにと
共に公園へと訪れたのだ。

「それにしても和人や。今日はどうもお前のチビッ子ハーレムのメンツが少々足りないような気がするのだが。
 あの娘はどうした?ほら、俺の愛する卵達の屍を乗り越えて貴様との愛を育んだあの・・・」

「舞人兄の卵もハーレムも訳分かんないし、僕との愛も育んでないけど椿なら今日は用事があるから先に帰ったよ。
 今日は家族と外食するって言ってた」

「ほう。ならばそれに何故貴様は着いていかなかったのだ。
 どうせ早かれ遅かれお前も家族の一員になるんだ。
 今のウチに家族に顔見せしておいても親の心象が悪くなることは決してないだろ。
 いや、是非すべきだ。さあ行け今すぐ行け瑛ちゃんも瑞音ちゃんも和観さんも一緒に連れて」

「舞人兄・・・その言い方じゃ朋絵姉と二人になりたいって気持ちがバレバレなんだけど・・・」

「ち、ちちち違いますっ!!!別に二人っきりになりたいからとかそんなんじゃありませんっ!!本当なんですっ!!!」

慌てる舞人を見て和人は笑みを零し、視線をブランコの方へと向ける。
そこには舞人と一緒に和観に拉致された彼の彼女――長原朋絵が楽しそうに水無月瑛と川原瑞音と共に遊んでいた。
そんな三人の様子を笑みを浮かべて傍で眺めている佐伯和観。舞人達を置いて、女性陣たちが和気藹々と談笑していた。
ちなみに和観達と朋絵が会うのは今日が初めてではない。
以前舞人とのデートの途中で彼女は和観達と見事に出会っていた。
その際に色々あり(和観の暴走等)、朋絵は和観と和人とは面識を持つようになった。
ただ、瑛や瑞音達と会うのは今日が初めてだった。

「何だ何だ。お前、もしかして瑛ちゃんと瑞音ちゃんが構ってくれないからイジけてるのか?
 いやいや、いくらお前が子供とはいえ朋絵相手に嫉妬するのはどうかと思うぞ?
 まあ安心しろ。朋絵は同性愛者でもましてやペドフィリアでもないからな。
 お前から大事なお嫁さん候補を奪うようなマネはせんさ」

「朋絵姉に構ってもらえなくてイジけてるのは舞人兄の方じゃない。
 お母さんに捕まらなかったらこのまま二人で遊びに行けたのにってさっきずっと言ってたし」

「ぷ、ぷじゃけるなよ小童!!誰が構ってもらえなくてイジけてますか!
 日本男児たるもの懐の広さ、寛容さが男の器を表すモノ。
 その点においてこのラストサムライこと桜井舞人は人間国宝クラスと言えよう。
 俺がそんな狭量な人間に見えるか?いや、見えまい。見える筈も無い。
 何故なら俺という人間の大きさをお前なら十二分に理解している筈だからだ」

「大きいって言えば確かに大きいよね。
 体育の授業で長距離を走りたくないからって、夜中に学校に忍び込んで400Mトラックを勝手に
 200Mトラック書き換えようとする人って舞人兄くらいだよ」

「そんなところは理解しなくていい。ちなみに夜中の間に書き換えるまでは成功したんだがな、
 如何せん陸上部の朝練の存在を忘れていたのが痛かった。
 あいつ等は人が折角書き上げた200Mトラックを朝のウチに元に戻しやがったんだぞ。非人道的じゃね?」

「多分、陸上部の人達が書き換えなくても、体育の授業のときに気付かれて書き換えられると思うんだけど。
 それと舞人兄、体育での長距離走ってことはかなりの確率で時間走だから、
 トラックの距離を変えてもあんまり意味は無いと思うんだよね・・・」

「・・・ええい、そんな過去の話はどうでもいい!ともかくアレだ。俺は決して小さくない。それだけは胸を張って言える」

「あらはー?坊ったら小さいの?」

「ちちち、小さくなんかありませんっ!!むしろ標準サイズですっ!!」

「・・・舞人兄、何の話?」

和人との会話の方に夢中になり過ぎていたのか、舞人はいつの間にか和観が傍にいることに全く気付くことが出来なかった。
そんな慌てふためく舞人を見て、和観はしてやったりといったような笑みを浮かべる。
そんな彼女に、舞人は心の中で早々に白旗を上げた。
そして、和観の後を追うようにして朋絵達も舞人達の元へ歩み寄ってきた。
瑛と瑞音に両手を繋がれ、朋絵はとても嬉しそうな笑みを浮かべている。

「おいおい、何だそのだらしない笑みは。それでも年頃の娘さんですか、はしたない。
 いくら瑛ちゃんや瑞音ちゃんが可愛いといってもお持ち帰りは不可だからな。持ち帰ったら和人に殺されるぞ」

「分かってるよ~。でもでも、やっぱり瑛ちゃんも瑞音ちゃんも可愛いよぉ~・・・」

そう言って朋絵はその場に腰を下ろし、二人をぎゅっと抱きしめる。
その行動に瑛ちゃんは苦笑、瑞音ちゃんは嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「こらこら、二人が・・・特に瑛ちゃんが凄く困ってるからな。
 まさかお前がここまでペドフィリアだったとは知らなかったが、これ以上手を出すと普通に犯罪だからな。
 同性同士でも性犯罪は成立するからな」

「あらは~?坊ったらジェラシー?」

「どこをどう聞き取ればそういう解釈に繋がるんですか」

「えっと、僕が聞いても舞人兄が嫉妬してるようにしか聞こえないんだけど」

「お前はまず耳鼻科に行ってこい。話はそれからだ」

「うぅ~・・・二人とも可愛いよ・・・私もこんな妹が欲しいよお・・・」

「いや、お前普通に妹いるからな。しかもスンゲー輪をかけてシスコンな妹だからな」

「・・・くーちゃん、最近私に冷たいもん・・・私が話しかけても凄い不機嫌だし・・・舞人君の話になると凄く怒るし・・・
 きっとくーちゃん、私のことなんか飽きちゃったんだよ・・・」

「いやその発言物凄く意味深だからな?あとその発言聞いたらアイツ絶対泣くからな?
 その後でアイツ絶対俺を殴るからな?」

うう、と変な唸り声を上げる朋絵を二人から無理矢理引き剥がし、舞人は朋絵を立ち上がらせる。
そんな彼に不承不承ながらも、朋絵は二人から手を離した。
その表情は明らかに『私まだ満足してません』と描かれていた。

「う~ん、前も言ったと思うけど・・・坊、本当に良くやったわよ!
 こんなに可愛い彼女を連れてくるなんて、和観ちゃん、感激しちゃったわ。もうこれで先輩も安心だわよね~」

そう言って、今度は和観が朋絵に手を回して抱きしめる。
突然のことに朋絵は対応出来ず、和観になされるがままに愛の抱擁を受けることとなった。

「それで坊!式の方はいつ頃に予定を入れてるのかしら?
 早く私に朋絵ちゃんの可愛いウェディングドレス姿を見せてほしいわ~。
 あ、ああ見えて先輩は子供が好きだからね。何なら学生&出来ちゃった婚でも全然構わないわよ~」

「!!!!」

和観の言葉に、朋絵は顔を真っ赤にして反応しているが、
生憎抱擁の現在進行形な為、上手く言葉を発することが出来ないでいた。

「あの、とりあえず社会に出るまでは結婚とかそういうのは全く考えていないんで、
 そろそろ朋絵を離してあげてくれませんか・・・」

「あらは?駄目よ坊~!結婚は乙女の永遠の夢なのよ?そんな常識人ぶって格好つけてちゃ駄目よ~。
 ちなみに私は和人に意地でも学生結婚させるつもりよ?坊、女の子はね、常に待ってるものなのよ?
 彼女だからって、いつまでも傍にいるとは限らないんだから。
 その辺をしっかり頭に入れておかないと後で後悔するのは坊なんだから」

「とても為になるご教授恐れ入ります。ですが、そろそろ朋絵の方を離してあげないと、あの・・・」

「あらは?何、ちょっと坊!朋絵ちゃんって胸が大きいじゃない!こんなに可愛い顔してこのスタイルは反則よね~。
 う~ん・・・これにはちょっと流石の和観ちゃんも負けを認めざるを得ないかなあ・・・」

「!?!?!?!?!?!?」

「ちょ!?和観さん人の彼女のドコを触ってるんですか!!」

突然自分の胸を揉まれて、慌てふためく朋絵の必死の行動に、ようやく和観は抱擁を止める。
身体の支えを失った朋絵は、よろよろと舞人の元へと倒れ掛かっていった。それを舞人は抱きとめる。

「だ、大丈夫か朋絵!?」

「うう・・・舞人君、ごめんね・・・私、舞人君以外の人に触られちゃったよ・・・」

「うんうん、愛する人の前で汚されて心に影を落とす彼女、それを必死に支える彼。
 いいわよね~、眩いわよね~、青春だわよね~」

「いや、汚したのは和観さんなんですが」

「坊!いくらなんでも女の子に『汚した』なんて言っちゃ駄目よ!
 坊が朋絵ちゃんを愛してるなら、どんなに汚れたって受け止めてあげないと。むしろ忘れさせてあげるくらいじゃないと」

「いや、汚したって最初に言ったのは和観さんなんですが」

「無駄だよ舞人兄。こうなったらお母さん人の話聞かないから」

和人の言葉に、舞人は思わず軽く溜息をついた。
暴走特急和観号。この新幹線に跳ねられると相変わらず酷い目にばかりあう。
最早これは天災レベルだと舞人は心の中で呟いた。

「でも、舞人お兄さん、とても素敵な彼女さんを捕まえましたよねっ!
 朋絵さん凄く優しくて可愛くて素敵です!舞人お兄さんには勿体無いくらいです!」

「あはは・・・うん、ありがとう瑛ちゃん。とりあえず後半部分は聞かなかったことにしておくよ」

「私もとても素敵な方だと思います。私、大きくなったら朋絵お姉様のような大人になりたいです」

「ううぅぅ・・・二人とも凄く良い子だね・・・ありがとう、お姉ちゃん凄く嬉しいよお・・・」

「だからそう抱きつこうとするなっつーの」

再度二人に抱きつこうとする朋絵を舞人は疲れたような表情を浮かべて制止する。
まだ連れて行ったことは無いが、彼女を動物園に連れて行ったら大変だろうなと舞人は未来の己の不幸を予想した。

「そういえば坊に朋絵ちゃん。二人は来年卒業だけど、もう進路は決まったのかしら?」

突然の和観の言葉の内容に、舞人は驚いた。
いくら保護者代理とはいえ、和観が舞人の進路や学業のことを聞いてきたのはこれが初めてだったからだ。

「ええ、一応まだ希望なんですが・・・二人とも、今のまま地元進学しようと考えています。
 大学は桜坂大学で・・・」

「それって坊達の学校のエスカレーターね。それでどう?受かりそう?」

「多分大丈夫かと。鬼あさ、じゃなくて担任からも今の成績を維持できれば大丈夫と言われましたし。
 一応校内推薦もありますから」

舞人の言葉を聞き、和観は我が子供の吉報を受けたかのように嬉しそうな笑みを浮かべた。

「それじゃあ坊は後四年はこっちにいられるのね。良かったわ~。
 雫内の方に進学するって言われたら和観ちゃん泣いちゃうところだったわ。
 センパイには申し訳ないけど、もう少しだけ坊の母親でいたいからね~。
 今となっては坊も私の大切な息子なんだから。ね、和人」

嬉しそうに語る和観に、和人も笑顔で頷いた。
その二人を見て、舞人は胸が自分の胸が熱くなるのを感じた。それは純粋に嬉しかったから。
舞人は思う。自分がこの地で、桜坂で生活できるのはやはり和観達がいるからだと。
だからこそ、母も自分の一人暮らしを許したのだろうと。

「もう少しだけ、お世話になります」

そう言って舞人は頭を下げる。そんな舞人を見て、和観は楽しそうに笑った。

「あらは~、もう少しだなんて水臭いわね。私は坊達の結婚式に親族として参加するつもりよ?
 そして朋絵ちゃんの投げたブーケは瑛ちゃんや瑞音ちゃん達が受け取るのよ?」

和観の言葉に、舞人は苦笑、朋絵は顔を真っ赤にして答える。
自分の結婚など何年後の話だろうか。だが、そんな未来図を嬉々として語ってくれる目の前の『母』が、
舞人にはとても嬉しかった。

「ええ、それじゃあその際は頼みますよ。ウチの母親は人前でスピーチとか本気でウザがるんで」

「そりゃそうよ。だってセンパイはセンパイだもんね~。
 ・・・そういえば、坊は私の息子。それならば坊と結婚する朋絵ちゃんは私の娘になるってことよね?」

「へ?」

突然の突拍子も無い和観の言葉に、舞人は一瞬言葉を失う。
その間がいけなかった。気付けば、彼の胸にいた彼女は再度和観の腕の中へと引き戻されていた。

「あああ~!こんな可愛い娘が私の娘になるなんて~!瑛ちゃんや瑞音ちゃんに次いで朋絵ちゃんまで!
 朋絵ちゃん、私の事は遠慮なくお母さんって呼んでいいのよ?
 あ、センパイがお母さんだから和観お母さんでいいわよ~」

「あううう・・・・ま、舞人君・・・」

和観と朋絵を見て、舞人を始めその場に居る人々はただただ苦笑するしか無かった。
和観相手ですらこのような状態なのに、もし実の母である舞子に会う機会があったら、
朋絵は無事でいられるのだろうか。
そんな一抹の不安を舞人は今は未来へ先送りすることしか出来ずにいた。













10月6日(日)


走れ捻くれ者









体育祭。それはここ桜坂学園において毎年秋に行われるクラス対抗の恒例行事である。
ただ、桜坂学園は進学校ゆえか、多くの参加者にとって体育祭は半ば体育のクラスマッチのような
お気楽な行事となっており、一部の生徒を除いて『楽しむ』ことに重きを置いた行事となっている。
だから、舞人達三年生にとっては受験勉強の丁度良い息抜き、そういう気持ちで参加している者が殆どであった。

「よう、星崎。今年も見事ハードル走でのブービー賞獲得おめでとう。見事なまでの三連続ハードルクラッシュだったぞ。
 いや~、今年こそはリベンジするとか息巻いてた二十分前のお前が懐かしいな。
 お前の掲げた最下位の旗は見るもの全てに失望と落胆を与えただろう」

「・・・」

応援席で嫌味たっぷりに希望の帰還を迎える舞人に、希望は無言のじと目で応える。
無論舞人も本気で言っている訳ではないが、彼の捻くれた心はどうも
彼女にこういうことを言わずにはいられない難儀な性格らしい。

「おいおい、舞人。お前だってさっきの百メートル走でぶっちぎりの最下位だったじゃないか。
 あんまり星崎さんのことそんな風に言えないんじゃないか?」

「ふん、俺にとって百メートル走など言わば児戯に過ぎん。
 つーか山彦よ、お前は走者6人中5人が陸上部とサッカー部で構成されたあの化物共に
 こんな正統派競技でどうしろと言うのだ。
 いいか、俺は帰宅部なんだよ。どんなにあがこうが帰宅部が運動部に勝てるものか」

「いや、お前文芸部の部長だろ・・・それに八重樫さん、帰宅部だけど100M走でダントツ一位だったじゃん」

「あんな化物は勘定に入れなくていい。とにかく、俺の本領は毎年恒例の『借り物競争』にありだ。
 悪いが俺は過去二年、この競技において一度の敗走もなく一度の敗北も無いのでな。
 ええと、さっき星崎が最下位だったから今ウチのクラスは総合ポイントで三位か・・・まあいい。
 星崎、負け犬のお前はそこの応援席で大人しく俺への黄色い歓声でも上げてなさい。
 お前の負けは俺達の負け。この委員長様がお前の敗北分をしっかりと次の競技で取り返してやる。
 者共、委員長の出陣じゃ!!敬意をもって送り出すがいい!!」

「・・・」

つばさとはるかが競技中で現在この場にいないのを良いことに、好き勝手に言い残し、舞人は応援席を後にする。
ただ、彼を送り出したのは、クラス全員からの敬意ではなく、希望の相変わらず無言のままのじと目であったが。














前の競技が終わり、ようやく舞人の出番である借り物競争が始まろうという時に、舞人は対峙する人間に溜息をつく。

「・・・一応聞いておくけどな、何でお前がいるんだ」

「ふ・・・愚問だな、桜井舞人。貴様のような悪漢相手だと競技中に何をされるか分かったものではないからな。
 クラスの友を危ない目にあわせるくらいなら、この俺がお前の相手をしてやろうと思っただけだ。
 俺にとっては役不足も甚だしいがな」

そこには彼にとってあまり相手にしたくない人物、牧島麦兵衛が余裕の笑みを浮かべて対峙していた。
彼は雪村小町に淡い感情を抱いており、その小町に取り付く悪い虫(?)とも言える舞人を嫌悪していた。
よって彼らが会うたび、二人の間で(一方的にではあるが)度々衝突が起こっていた。

「つーかな、お前もう知ってると思うけどな、俺付き合ってるヤツがいるんだよ。
 だから俺と雪村はもう無関係だろ?俺はお前に関わらない、お前も俺に決して関わらない。
 その二つが丁度交わる結論に俺達の未来があると思わないか?」

「無論、認めたくはないが、貴様が現在付き合ってる女性がいるとは相楽先輩からも聞いている。
 どのような権謀術数を使ったかは知らんがな。
 だが、この件は小町さんは関係ない。俺が個人的に貴様を完膚なきまでに打ち負かしたいだけだ。
 そうすれば、きっと平塚さんや橋崎さんも目を覚まし、貴様に騙されている自分自身を知るだろう」

「あ?何だお前、香奈ちゃんや橋崎のこと知ってるのか?
 つーか何でその二人が俺に騙されてることになるんだよ。
 お前もしかして雪村だけに飽き足らず、香奈ちゃんにまで手を出そうとしてんのか?」

「な!?ふ、ふざけたことを言うな!!は、恥を知れ!!
 大体俺はそういうことが言いたいのでは無い!平塚さんとは委員会が同じであり、何度か顔を合わせて
 会話をしたこともあるが、あの人も小町さんと同じ瞳をしていた。貴様のような歪んだ人間に捕われた、悲しい人だ。
 同じ委員の人間として、関わりを持った人間として、俺は平塚さんを放ってはおけん」

「はあ。まあ、俺がお前の中で大層な極悪人なのは分かったが、橋崎はどうなんだ。
 橋崎って確かD組だろ。お前や雪村はA。
 アイツが委員会に参加してるとは考えにくいし、どう考えてもお前との接点が繋がらん」

「フン、貴様の脳は相変わらず蝿以下か?いや、これは蝿に対して暴言だったな。
 人間という生物は日々社会の繋がりを大事にし、人とのコミュニケーションを取っていれば
 関係と言うものは後からついてくるんだよ。
 橋崎さんは平塚さんの仲の良い友達であり、小町さんの友達でもあるのだ。
 橋崎さんのことは小町さんから聞かされているし、二人が一緒にいるのも見たことがあるからな」

お前それって全然橋崎自身と繫がりないからな、そう言おうとした言葉を舞人は飲み込んだ。
何を言っても目の前の男には桜井舞人=絶対悪という方程式が成り立ってしまうことは、
去年の一年間で充分その身に染みていたからだ。

「そういや、お前香奈ちゃんや橋崎知ってたくせに、遠野のことは話に出さないんだな。
 香奈ちゃんや橋崎はともかく、馬鹿なくせに社交性だけは一丁前に広いアイツなら
 お前と知り合いって言ってもおかしくなさそうなんだが」

舞人の一言に、麦兵衛は一瞬言葉に詰まる。
その表情の変化を見逃す舞人ではない。彼は一瞬、舞人以外の人物に対して明らかに
麦兵衛らしからぬ『嫌そうな』表情を浮かべたのだ。

「何だお前、もしかして遠野と仲悪いのか?」

「悪くなどないっ!!!ええい、無駄話はこれまでだ!
 戦う前にお得意の手練手管で俺の精神状態に揺さ振りをかけようとしてもそうはいかんぞ!
 貴様は今日、敗北と言う名の辛酸を舐めることになる。滅ぶべし、悪の栄華!」

無理矢理に話を逸らし、慌しくトラックへと向かう麦兵衛の背中を見つめつつ、舞人はにやりと楽しそうな笑みを浮かべる。
これは後で是が非でも遠野に事情を聞いておかねばなるまい、と。















レースが始まり、普段は使わない肉体を最大限に稼動させて舞人はトラックを疾走する。
序盤戦は当然のように麦兵衛を初めとした運動部所属の生徒達に差を付けられてはいるが、
舞人は少しも動じることはない。
何故ならばこのレースは徒競走ではなく、借り物競争。後半次第でこの程度の差など充分取り返せると知っているからだ。
トップ集団より少し遅れて、舞人は借り物のお題が書かれた封筒を開き中を確認する。
そこに書かれていたのはたった一言『眼鏡』。
心の中で舞人は勝利を確信し、迷うことなく3-Aの応援席の方へと駆け出す。
そして、舞人はそこに目的の人物がいることに安堵した。

「おい結城!!何も言わずその顔についてる眼鏡を俺に貸せ!!!おし、そうか!!恩に着る!!
 このレースが終わったら返すからな!!それじゃ!!」

言いたいことを早口に捲し立て、舞人は返答を待たずにはるかから眼鏡を奪い、ゴールへ向かって疾走する。
ただ、舞人が走り出すと、背後の3-Bの応援席から一際大きな歓声が巻き起こる。
何事かと舞人は後ろに視線を送ると、そこで信じられないものを目撃する。

「こらああああーーー!!!!!!!誰が眼鏡を貸しても良いといったあああああああああ!!!!!」

「なっ!?結城っ!?」

そこには手の平で顔を隠したはるかが、物凄いスピードで舞人の方を追走していた。
普段から彼女の怒りを買っては追いかけられている舞人ではあるが、今回のはるかのスピードは尋常ではない。
舞人は恐怖に捕らえられた心を振り払うように、真っ直ぐにゴールを目掛けて突っ走る。
彼は本能で理解していたのだ。『捕まったら死ぬ』と。
他の競技者・・・ましてや麦兵衛の存在など、今や舞人の頭から完全に消えうせていた。
舞人の心の中を占めるものは、彼の後ろから迫り来る一人の羅刹だった。
舞人は荷物になる眼鏡を自分の顔に掛けて、腕を必死に振って奔走する。その際、舞人はふと奇妙な感覚に捕われた。
はるかの眼鏡をかけたものの、彼の目はいつもと何ら視界が変わらない。
近視や遠視、ましてや乱視などの補正といったモノが一切この眼鏡にはかかっていない。
そんなことに気を奪われたのが運の尽きか、とうとう追いつかれ、舞人は右肩をがしりとはるかに掴れた。
そしてその急激な引力に、彼は無様にその場に転倒してしまった。
否、その場がちゃんとゴールを過ぎていた点においては、幸運だったのかもしれない。
試合には見事勝利を収めたが、その代償は余りに大きかったといえよう。

大きく転倒し、身体を大の字にグラウンドに投げ出した舞人の上に、はるかは容赦なくマウントポジションを取った。
そして舞人の顔から、文字通り奪い取るようにして(実際奪い取ったのだが)眼鏡を引っ手繰った。
その際、はるかの顔を隠していたほうの手がずれ、彼女の顔が舞人の視界に見事に収まった。
眼鏡を最初奪ったときには慌てていて、見れなかった彼女の素顔。
――似ていない。何にかは分からない。誰にかは分からない。どうしてかは分からない。
何を違和感を持ったのか、どうしてそう思ったのか。
あまりに刹那的な感覚ゆえ、舞人は言葉にすることも出来なかったが、確かに彼はそう感じたのだ。『似ていない』、と。

「・・・いいわね、今度許可なく同じことやったら、本気で殺すからね」

そう言い、はるかは眼鏡を掛け直し、静かに怒りを滾らせながらも舞人を立ち上がらせる。
ビンタの一発でもくるかと思っていただけに、舞人はああ、と言葉を小さく返すことしか出来なかった。















また、この後の昼食時の話となるが・・・



「・・・あの、朋絵さん。どうして貴女はそんなに機嫌を損ねていらっしゃるのでしょうか・・・」

「私、不機嫌じゃないもん。全然不機嫌じゃないもん」

「いや・・・・ほら、何つーか・・・その割には全然会話という名のキャッチボールをして頂けないと申しますか・・・」

「食事中は静かに食べないと行儀が悪いってお母さんに言われたもん」

昼食時、朋絵に弁当を作ってきて貰い、一緒に食べている舞人ではあるが、
朋絵は明らかに不機嫌そうな様子を醸し出していた。
否、不機嫌というか、どちらかというと小さい子供が拗ねているような、そんな表現が似つかわしいだろうか。
しかし、彼女が怒るのも当然かもしれない。
借り物競争での舞人とはるかの追いかけっこ、ゴールした後のマウントポジションを全学年の生徒が見ていたのだ。
競技の後、学園中で噂の二人となってしまった彼氏と親友・・・無論、中には色恋沙汰めいた話も飛び交っているのだ。
自分の彼氏が、別の女性との噂になっている。
そのようなことになってしまい、朋絵の機嫌が少し損ねるのは至極当たり前のことだろう。
むしろ、弁当だけはちゃんと渡して一緒に食事を取ってくれている点では、かなり優しい方だと言えよう。

「ぐ・・・も、もしかして、さっきの借り物競争のことか?あれは不幸な事故っていうか・・・しょうがないと申しますか・・・
 さっきも事情を話したと思うが、借り物に『眼鏡』って書いてあったら、
 そりゃ俺が思いつくのはあのアマゾネスしかいないだろ?
 ただ、アイツが追っかけてくるのは予想外の出来事だったっていうか・・・その後のことは不可抗力っていうか・・・」

しどろもどろに必死に弁明する舞人に、『朋絵は少しやり過ぎたかも』というような申し訳なさそうな表情を一瞬浮かべたが、
すぐに作ったような不機嫌そうな表情を浮かべ直した。
普段は温厚な朋絵でも、今回のことは彼女にとってはなかなかどうして許せないことだったらしい。

「そ、そんな風に謝ったって駄目だもん。私、本当に泣きたいくらい悲しかったんだから・・・
 もし、もしもだよ?舞人君が私の立場だったらって考えてみて?
 今回のこと、舞人君が私ではるかが相楽君みたいな立場だったら、どう思う?」

「山彦殺す」

「え・・・や・・・そ、そういう物騒なことは思ってないよ~!でもでもっ、とにかくすっごく悲しいんだよ?
 大好きな人が別の人と噂されるって・・・クラスで私と舞人君が付き合ってること知ってる人達から、
 私励まされちゃったんだよ?
 『次の恋はすぐ見つかる』って。酷いよ・・・私まだ舞人君に振られてないよ」

それは俺が悪いのでは、と言いたい衝動を抑え、舞人は只管謝罪の言葉を並べ続けた。
この借り物競争で彼が得られたものは、クラスの勝利と、彼女の不機嫌だった。
普段何を言っても怒らない彼女だが、怒らせると大変手に負えなくなるということを学べただけでも、
彼の将来にとってはプラスだったのかもしれない。
ちなみにこの後彼女の機嫌が直った理由は、昼休みいっぱい時間を掛けた謝罪と、
彼からの強引なまでの口付けによるものだったりする。












10月11日


愛しき後輩達の序曲(金)




体育祭を無事(?)に終え、ほっと一息を付く間もなく、来月初頭に迎える学園行事である文化祭。
その準備に文芸部の面々は放課後毎日のように追われていた。
無論、舞人やはるか、朋絵は三年生の為、先月をもって部活動を引退しているものの、
上級生三人がいなくなると部内の人数不足は否めない。
だからこそ、彼らは受験生として支障のない程度に個々の判断で部活動へ参加していた。
最も、結局は図書室で勉強する為、三人揃って毎日のように参加しているのだが。
三年が引退した文芸部ではあるが、結局のところ彼らが引退する前となんら変わりない部活動の光景が
毎日のように繰り広げられていた。
そして、その活動内容は無論文化祭の準備である。彼ら文芸部が毎年行っている芝居劇、
それは例年と変わることなく今年も行われることになった。

「みんな、揃ってるわね~。ちょっと一旦作業止めて席について頂戴。大事な話があるから」

放課後の図書室、いつものように文芸部員達がみんなで文化祭の準備を進めているところに、
今しがた遅れて図書室に入ってきた副部長である結城はるかがその場の全員に声をかける。
はるかの様子に、舞人と朋絵は彼女が何をするのか理解を示したように笑みを浮かべて着席し、
下級生たちは何事だろうかとそれぞれが頭に疑問符を浮かべながらも、席についていく。
全員が席に着いたところで、はるかも椅子に座り、話を再開する。

「みんなも知ってると思うけど、先月で私達三年生は無事文芸部を引退し、来月の文化祭が影ながらでも
 貴女達を手伝える事実上最後の仕事になるわ。
 まず、そのことに関してお礼を言おうと思うの。みんな、こんな私達に何も言わず今までついてきてくれて本当にありがとう」

はるかの言葉に、下級生たちから笑顔で拍手が送られる。
本来、こういうことを言う仕事は部長である舞人の仕事である筈なのだが、彼はこの仕事をはるかに押し付けた。
自分が言っても締まらない、ということもあるが、何よりも舞人はこういうことは
本当に部活に尽くした功労者であるはるかが言うべきだと思ったからだ。
そのことを伝えると、はるかも朋絵も苦笑しながらも承諾をした。
こういう舞人だからこそ、誰もが文句を言わずに彼を部長と認めたのかもしれない。

「私達は一応卒業まではこの部活に参加すると思うけど、今後は私達に遠慮することなく
 貴方達らしい文芸部を築き上げて頂戴。
 そして、話は今からが本題なんだけど・・・それはこの部活、文芸部の次期部長を誰に勤めてもらうか。
 小町やかぐらちゃんは知らないと思うから説明するけど、ウチの部活は次期部長を先輩達で話し合って指名するの。
 そして選ばれた人を発表し、後日下級生達で話し合いを行って、その人選に
 反対が無ければ正式な決定というシステムなのよ。
 本当は下級生たちだけで決めさせてもいいんだけど、これがウチの部活での伝統みたいな感じになってるからね。
 まあ、そんなに重くは考えないで頂戴。それじゃ、早速私と朋絵、桜井で話し合った結論なんだけど・・・」

言葉を一旦止め、はるかは視線を一人の女生徒の方へと向ける。
気付けば舞人や朋絵も同じように視線を送っていた。そして、その視線の先にいる女性徒。

「平塚香奈。私達三年生は貴女を次期文芸部部長に推薦するわ」

「え・・・わ、私ですか・・・?」

自分の名前が呼ばれたことが半ば信じられないのか、か細げな声で香奈は尋ねかける。
しかし、香奈への返事に応えるつもりがないのか、はるかは意地悪そうな笑みを浮かべて周囲に視線を送る。

「桜井、朋絵、智里、なつき、小町、かぐらちゃん、はい祝福」

「「「「「「わー!!!」」」」」」

「え、ええええええ!?」

文芸部特有のコンビネーションに、香奈はあわわ、と全員からの拍手を顔を真っ赤にしてその身に浴びている。
彼らなりの愛の祝福が終わった後、はるかはゴホンと咳払いをし、調子を戻して再び会話を再開する。

「こういう破天荒な娘達が集ってる部活だからね。
 やっぱり部活をまとめられるのはしっかりしてるアンタしかいないと私達は思ったのよ。
 まあ、この推薦を決定するかどうかはアンタ達が話し合うことだから、後でゆっくり話し合って・・・」

「別に後で話し合う必要なんか無いと思いまーす!
 ていうか、ぶっちゃけ香奈以外部長に相応しい人間なんていませんしね」

「ち、智里・・・」

「だってそうでしょ?小町はサッカー部との掛け持ちだから無理に決まってるし、かぐらちゃんは一年生。
 そりゃ、一年からの部長としてなら、ひかり先輩の例はあるけど、かぐらちゃんはリーダーシップ取るタイプじゃないですし。
 なつきに至っては論外ですよ。寝てばかりで文芸部らしい活動してるところなんて一回も見たことないですもん」

「そして遠野は気まぐれボイコットの常習犯、と。ついでに言えば学業の方もあんまり芳しくない、と」

「う、ううううるさいですよ外野っ!!とにかく、私と香奈なら文句無しに香奈ですよ!
 それに部長が他ならぬ香奈なら正直誰も文句ないよね?どうかな?」

「はい、私も全然問題ないと思います。ええ、掛け持ちの分際でこのような偉そうなことを
 申しますのはどうかと思いますが、いえやっぱり言わせて頂きます。
 私が思うに平塚さんは何事にも真面目で、部活動に毎日休むことなく参加し、加えて書の知識も豊富です。
 恐らく、いえ、間違いなく文芸部一だと思います。
 それに平塚さんは凄く良い人ですし、何よりも一緒にいて心が落ち着くと申しますか、
 凄くリラックス出来る人なので、きっとこの文芸部を良い方向に進めてくれると思うんです」

「・・・私も賛成。香奈は良い子」

「私も大賛成です~!香奈先輩はすっごく優しくて色々と文芸部のことも教えて頂きました!
 きっと来年は新入生にも凄い良き部長さんになられると思います!」

智里の言葉に、周囲は頷いて肯定の意を示す。
そして次々と上がる賛同の意。この様子に三年生達は楽しそうに笑みを浮かべる。

「あらあら・・・これは、私達が推薦するまでも無かったかしら。
 どうやら香奈以外の下級生達の間では次期部長は決まってたみたいね。
 どうかしら、香奈?お姉ちゃんから桜井へ渡ったバトン、今度は貴女が受け取ってくれるかしら?」

「先輩・・・はい、こんな私なんかでよければ」

はるかの言葉に、顔を真っ赤にしてこくりと頷く香奈。
小さな頷きではあったが、その動作にはしっかりとした彼女なりの決意が込められていた。

「ふふ、おめでとう香奈ちゃん。大丈夫だよ、舞人君だって出来たんだから、香奈ちゃんならきっと大丈夫だよ」

「ほっほう?やっぱりお前は俺が部長として色々と問題があると、そう言いたい訳だな?」

「えええ!?そ、そんなこと言ってないよお~!いたた!痛い、痛いよ舞人君!!」

「ええい!!こんな時までイチャつくなこのバカップル共がー!!!」

両拳を朋絵のこめかみに押し付けている舞人の頭をはるかは遠慮なく殴打する。
結局何だかんだで締まらない三年生たちの様子に、下級生達は堪えきれずに笑い出す。
いや、一人は笑ってないというか常に無表情なのだが。

「まあ、そんな訳で香奈!アンタは今日から私達の新しい部長さんな訳だからこれからもよろしくね!
 間違ってもさくっち先輩みたいな部長になっちゃ駄目だよ?目標は高く大きく!
 やっぱひかり先輩くらいの女帝になってもらわないと」

「じょ、女帝って・・・アンタね、そういう目で人の姉を見てた訳ね・・・」

「え、えっと・・・こんな頼りない私だけど、これから一年間よろしくお願いします。
 桜井先輩や結城先輩に負けないように、頑張って部長を務めたいと思います・・・
 至らない点も多々あるかと思いますが、その・・・」

「大丈夫だよ香奈ちゃん、至らない点は遠野がサポートするだろうから。
 つーか雑用は全部遠野がするから。なんたって副部長だしな」

「そうだよ香奈、私が副部長なんだから・・・って、うぇええええ!??何で私まで役職がついてるんですか!?
 ていうか私が次期副部長だなんて今初めて聞いたんですけど!?」

「は?馬鹿かお前。何で香奈ちゃんが部長なのに自分が副部長だと思わんのだ。
 大方さっき部長を香奈ちゃんに体よく押し付けて自分は面倒事から逃げ切れたと考えたんだろうが、そうはいかんな。
 まあ、香奈ちゃんが真面目だから俺は別に橋崎が副部長でも一向に構わんのだが、
 そうしたいならお前が橋崎を説得しろよ?」

「な・・・なつき!アンタ副部長に・・・」

「嫌」

「ぐ・・・馬鹿!どうしてそんなことを言うの!?
 アンタには香奈を影ながら傍で助けてあげたいという思い遣りとかそういう優しい気持ちはないの!?
 馬鹿馬鹿!この大馬鹿!私は見損なったよ!?アンタだけは、アンタだけは香奈と本当の友達だって思ってたのに!」

「うわあ・・・智里ちゃん、何か物凄い自分のことを棚に上げて言ってるね・・・」

「これから先、自分がサボれないことが分かって心に余裕が無くなってるな。だが、それでこそ遠野だ」

「アンタね・・・幼馴染の香奈が頑張るって言ってるんだからアンタも少しは性根入れ替えて頑張りなさいよっ!
 桜井が折角引退するんだから、アンタもこれを機に部活サボるくせを直しなさいっ!
 後アンタそんな露骨に私の後釜を嫌がるってどうなのよ!?」

「いひゃい!いひゃいでふはるへんはい~!!はかりまひは!はかりまひは!!
 ふくふひょうよろほんてうへたまはりまふ~!!」

はるかの愛の説得(両ほっぺたを全力で引っ張られた)により、ついに智里の心が折れたらしい。
どうやら満足のいく答えが返ってきたのか、はるかは嬉しそうな笑みを浮かべて両手を智里の頬から離した。

「ううう・・・嫁入り前の乙女の柔肌になんてことを・・・もう駄目、私お嫁にいけない・・・」

「嫁にいくつもりだったのか。相手もいないのに」

「うるさいですよそこっ!!!ともかく、そんな訳で副部長の座をありがたくも相続させて頂きました遠野智里です。
 これからは心機一転なるべく部活をサボらず香奈を全力でサポートしていこうと思うので、よろしくお願いしま~す。
 あとなつきは豆腐の角に頭ぶつけて永眠しろっ」

「負け犬の遠吠え」

怨念めいた智里の暴言にも、なつきは鼻で笑って一蹴し、いつものように軽くあしらう。
一部で火花が散りあってるとはいえ、そんな智里の副部長就任に周囲から再度拍手が巻き起こる。
その拍手に一応応える智里も満更ではないのかもしれない。

「それじゃ、香奈と智里はこれから頑張って文芸部を引っ張って頂戴。
 なつき、小町、かぐらちゃん。貴女達もこの二人をしっかりサポートしてあげてね」

「分かりました」

「任せてくださいっ!」

「頑張ります!」

三人の色好い返事に、三年生達は満足そうに笑顔を浮かべる。
あと少しで、文芸部における自分達の仕事は全て終えることになるが、何の問題も無い。自分達が背負ったものは、
彼女達がしっかりと担ってくれるだろう。

思えば多くの想い出が詰まったこの図書室。楽しいことも、辛いことも、沢山のことがあった。
そんな輝く想い出の数々も、きっと彼女達は次の世代へと受け継いでくれるだろう。
きっと今まで以上に文芸部をより良いものにしてくれるだろう。
きっと文芸部に入っていなければ感じることが、得られることが出来なかった宝物の数々。
そして、自分の隣に佇む愛しい彼女との出会い。
そんな運命の巡り合わせに、舞人は似合わないと思いながらも心の中で感謝していた。
文芸部に出会えて、本当に良かったと。















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