生徒会長辞任。それが自分なりのけじめの着け方だった。敗者として、為すべき事は勝者への願いの成就。
しかし自分のした事を後悔した事は一度も無い。川澄舞を退学にしようとしたことも
倉田佐祐理を生徒会へ引き込もうとしたことも。
全ては一つの目的の為。個人的かつ他の人々の気持ちなど考えていない自分勝手な望み。
















彼女の本当の笑顔を・・・












いつまでも君と共に在るために













放課後の生徒会室は静寂な空間を作り出していた。
人の気配が無くひっそりと静まり返った机の上で僕は生徒会長最後の仕事に取り掛かっていた。
残された仕事は私物や身の回りの整理だけだったが僕には何よりも充実した仕事のように思えた。

「生徒会長・・・か。まぁ、それなりに楽しめたかな」

自分の机に貼られている『久瀬』と書かれたネームプレートを剥がし、それをごみ箱へと投げ捨てた。
今までの生徒会長としての自分の仕事を振り返ろうと試みるが別段特別な事を行なっていない事に気付き、苦笑する。
主な事と言えば『川澄舞事件』の処罰位だろうか。やはり自分は
飾りだけの生徒会長でしかなかったのだ。毛頭、それを望んだのは僕自身なのだが。
目の前にある日めくりカレンダーに目をやると、大きな文字で二月二十三日と書かれてあった。
あの『川澄舞事件』からまだ数週間しか経ってないことに多少の驚きを感じた。
この数週間は僕にとっては色々ありすぎて、単に時間の流れに億劫になっていたのかもしれない。
そう、色々と・・・。


そんな事を頭の中で巡らせていた時、コンコンとノックの音が聞こえてきた。生徒会役員か何かだろうか。

「鍵は掛けていません。どうぞ」

そう言い放つと扉がゆっくりと開いていく。もし新聞部か何かだったら追い払ってやろうと
心の内で悪態の一つでも考えていた。

「・・・失礼します」

ゆっくりと入って来た女生徒は僕へ向かって浅くお辞儀をした。
だが僕は驚きのあまり一瞬硬直してしまい挨拶を返すことも出来なかった。

「みっ、水瀬さん・・・何故ここに・・・」

「久しぶりだね、久瀬君。話すのは中学卒業以来だったよね」

目の前には見知った女性――水瀬名雪が立っていた。それは懐かしさと同時に寂しさを感じさせる名前だった。

「・・・生徒会メンバーなら一人もいませんよ。また後日改めて・・・」

「用は生徒会じゃなくて久瀬君にあるんだよ。とっても聞きたい事がね」

何となくだが予想していた答えだった。彼女が生徒会に用などあるはずも無いからだ。

「・・・いいでしょう。まあ、座って下さい」

彼女をソファーに腰を掛けさせ、僕も向かい側へと腰を落とした。

「しかし本当に久しぶりですね」

「そうだね。今日は聞きたい事があってね。どうしても納得できない事があるんだよ」

「では、その聞きたい事とやらを聞かせて頂きましょうか」

「・・・生徒会長を辞める理由とこの三学期に何があったのか・・・だよ」

彼女は真剣な眼差しでこちらを見据えている。何事に対しても真面目な所は中学の時と少しも変わっていない。

「最初の方は理解できますが、後の質問の内容がよく解かりませんね」

「三学期に何かあったからこそ川澄先輩を退学にしようとしたんでしょ。久瀬君をその行為に走らせた理由だよ」

「・・・何故僕があなたにそんな事を説明しなくてはいけないのですか。
 それに、何故あなたがそんな事を聞く必要があるんです?」

僕の言葉に彼女は口を閉ざした。こんな口先で逃げる真似は正直嫌いだったが止むを得ない状況だった。
彼女にはもう僕に近づいて欲しくない、それが僕の正直な気持ちだった。

「・・・解からないよ、理由なんて。だけど、何かを行動するのに理由なんていらないって教えてくれたのは裕樹だよ」

彼女が発した言葉に、心がまるで何かに浸食されるような感覚に襲われる。暖かさと悲しさの入り混じった何かに。

「今の僕は『裕樹』じゃないよ、水瀬さん。今の僕は『久瀬』だけでいい。・・・肩書きだけの名前でね」

裕樹。それは僕の名前。親ですら呼んでくれなかった無意味な名前。

「・・・生徒会長辞任の件の理由は君なら知っているはずだ。同居している相沢君に聞いただろう」

「私は信じられない。祐一が言っている事は一方的過ぎるから・・・」

「期待に背くようで悪いが彼の言っている事は正しいな。僕が倉田佐祐理の権力を得るために川澄舞を利用した。
 その作戦が見事に失敗して生徒の支持を失い、会長の座を追われた。まあ、当然の結果だね」

「裕樹・・・・」

「僕がこの行動に走った理由は・・・っと、先程説明した内容と同じだね」

「嘘だよ・・・そんなの全部嘘だよ!
 中学の時に言ってたじゃない、権力は自分を守るものじゃなく皆を守るためのものだって!」

「そうだね。ただ『皆』の中に不良生徒である川澄舞は含まれなかった」

「違うよ!川澄先輩は不良なんかじゃないってことは裕樹だって知っているはずだよ!」

「学校の窓ガラスを幾度となく割り、深夜の無断校内侵入、そして舞踏会の一件。不良というには軽すぎるくらいだ」

「どうしてその行動に理由があるって考えることが出来ないの!」

彼女の言葉が脳裏に響く。それはどこかで聴いた言葉だった。

『どうしてその行動に理由があるって考えられないんだよ!!』

そうだ。それは倉田さんと相沢が直接僕に直訴してきたときの言葉。川澄舞の行動理由。

「・・・・・・・」

「川澄先輩はずっと祐一を待ってたんだよ・・・雨の日も、風の日も、どんな日でも・・・・」

「それは君も同じだろう!!」

彼女の言葉を受け、思わず大声を上げた。自分の声が二人しかいない生徒会室に響き渡る。
感情の高ぶりを抑える事などできる筈がない。彼女が自分の心を殺している姿など見たくもなかった。

「君だって相沢祐一を待っていた!雨の日も風の日も君は彼を想い続け、待ち続けたはずだ!」

「そ・・・それは・・・」

僕の言葉に彼女は押し黙った。そんな彼女へ僕は更に言葉を続ける。

「どうして・・・どうしてあいつは忘れていたんだ・・・。君との大切な思い出を・・・君を傷つけた事を!」

全てを吐き出した後、部屋の中に静けさが戻ってきた。もうこれ以上彼女を見ていられなかった。

「・・・すまない、もう帰ってくれないか。これ以上討論をしても無意味だろう。もうすぐ生徒会の皆も戻ってくる」

「・・・分かったよ。今日は色々とごめんね」

彼女はソファーから立ち上がり、ドアノブに手をかけた。

「・・・何もしてやれなくてすまない・・・名雪・・・・・」

「・・・そんなことないよ。転校したばかりの祐一が思い出さなかったなら、それが一番幸せなんだよ。でも裕樹・・・」

彼女はゆっくりと振り向いた。目に涙を溜めて・・・。

「やっと名前で呼んでくれたね・・・」

そう言い残し彼女は生徒会室から出ていった。
その直後、彼女が出ていったはずのドアが再びゆっくりと開いた。

「・・・いつから聞いていたんだい?」

僕の視線の先には見知った女性徒が一人ドアの前に佇んでいた。
彼女はふう、と溜息をついて僕の目をしっかりと見据えた。

「水瀬先輩が久瀬先輩の生徒会長辞任の件の理由を問いただしたときからですよ」

「相変わらず悪趣味だな、天野君は・・・・」

「それはお互い様です」

彼女の名は天野美汐。生徒会の書記を務めている一年生で、こともあろうか僕とは小学校からの腐れ縁である。

「全く・・・。女性を泣かせるなんて人として不出来ですよ。こともあろうに水瀬先輩を泣かすだなんて」

「おいおい・・・、勘弁してくれよ。説教は潤からだけでも沢山なのに」

彼女はふふっ、と笑って自分の机に向かった。恐らく資料を取りにでも来たのだろう。

「潤さんも怒ってましたよ。『あいつはいい加減人が良すぎる』って」

「その言葉、そっくりそのままあいつに返すよ。優しさで損をしているのはあいつだとね」

「ならば、今最後に見せた水瀬先輩への感情は『優しさ』ではないのですか?」

「・・・天野くんは俺が間違っていると?」

「それを判断するのはあなた自身でしょう」

「ふう・・・相変わらず手厳しいな」

「お互い様ですよ」

彼女の一言一言が胸に残る。彼女が疑問としてあげた水瀬さんへの僕の感情。
何故僕は水瀬さんを『名前』で呼んでしまったのか。もうそんな資格はないのに。いや・・・最初から、出会ったときから無かったのだろうが。

「天野君、俺は自分のしたことに後悔はないよ。
 川澄舞のことも生徒会でのことも全てに懺悔などするつもりなど毛頭ない」

「ならば何に懺悔なさるのですか?」

彼女の言葉に僕は自嘲的に笑って答える。

「そんなものは決まっているさ。彼女の、水瀬名雪の『本当の笑顔』を創らせることが出来なかった。それだけさ」

「その笑顔を作る作家はあなたではいけないのですか?」

「無論だよ。物語を創る作家は物語に比例して輝く人でなければならない。彼女の笑顔には相応の人物がいるだろう」

「あなたは・・・やはり中学生の頃から考えは変わっていないのですね」

「彼女が相沢を望むなら、僕はその願いを叶えるだけさ。彼女の幸せが・・・彼女を愛した僕の幸せなんだよ」

「もう・・・潤さんといい久瀬先輩といい本当に馬鹿ですよ・・・」

天野君がはあ、と溜息をつく。そうだった、
潤と彼女もまた優しさからの擦れ違いを乗り越えて現在交際しているんだったな。

「自己犠牲なんて思わないでくれよ。潤や君とは違って僕は自分のしたいように、
 望むように行動しているんだ。我侭なんだよ・・・僕は」

「そう・・・ですか。ならば何も言いません。ただ最後に二つだけ言わせてください」

彼女はドアの前まで歩きドアノブに手をかける。

「一つは・・・生徒会長本当にお疲れ様でした。
 こんな結果になってはしまったけれど、私達生徒会メンバーはいつまでもあなたと共に歩きたかった」

「・・・ありがとう。その言葉だけで十分だ。後は潤が上手くやってくれるから心配はいらない」

「ええ、そしてもう一つは・・・水瀬さんの『本当の幸せ』に早く気付いてあげるべきですよ」

そう言い残して彼女は生徒会室を後にした。部屋には最初から僕一人しかいなかったような感覚が残る。
天野君の最後の言葉に何故かどうしようもない不安を覚えた。何故だ、僕は間違っていないはずなのに。
水瀬名雪の、彼女の幸せは『いつまでも相沢と共にあること』じゃないのか?いや、合っている。
ならば何故天野君はそんな言葉を言い残したのだろうか・・・。まるで、何かの歯車が食い違ってるようだ。
思考を張り巡らせていると、ドアの前に再び人の影が映るのが見えた。

「・・・今日は客人の多い日だな。・・・今更君達が何の用だい?」

ドアの方には一組の男女が立っていた。その顔は忘れもしない・・・いや、忘れられる筈も無い。
彼らはつい数週間前に解決した『川澄舞事件』の関係者二人であり、そして男の方は・・・。

「久瀬・・・!てめえ、名雪に何をしやがった・・・!なんであいつは泣いていたんだよ・・・!」

彼は、まるで今にも僕に飛び掛かって来そうだった。僕は眼鏡を外して彼の元へ歩み寄る。

「例え何かをしていたとも君には関係無いだろう?相沢祐一君」

「てめえ!!!」

殴り掛かろうとした彼の拳を掌で受け止める。彼はグッと僕を睨み付けてきた。

「君は喧嘩をするためにここへ来たのか?もしそうなら、さっさと消えてくれないか。正直言って目障りだ」

「もう、祐一さんも久瀬さんも止めて下さい!」

「くっ・・・」

彼は渋々拳を引いた。それは僕の言葉を聞いたからではなく、後ろの女生徒の声が届いたからであろう。

「ふん・・・もう一度言いますが今更僕に何の用ですか。相沢祐一君に倉田佐祐理さん」

僕は眼鏡を付け直し、二人の方を見据えた。彼、相沢祐一は未だ怒りをあらわにしている。

「実はですね、今日は久瀬さんに大事なお話しがあるんですよ」

「倉田さん。残念だが僕はもうあなた達と話す事など何も無い。早急に立ち去ってくれないか」

「な・・・てめえ!」

「祐一さん!!」

彼女の声が再び殴り掛かろうとする相沢を寸前の所で止める。

「ふう・・・君には学習能力というものが無いのか・・・。僕を殴って停学、退学となったら悲しむのは彼女達なんだぞ」

「わ・・・分かってるよ!お前に言われるまでもなくな」

「分かってないな・・・。君が守り続けたものをそう簡単に手放されては困るんだよ。
 君はもう少し周りの人々の想いを汲み取るべきだ」

「・・・・久瀬さん」

「おっと、余計な話でしたね。では、本題を聞きましょうか。大切なお話しとは?」

「あ、ええ。実はですね〜。今日は久瀬さんを引き止めに来たんですよ」

僕が彼女の言葉に全く理解が出来なかったのが顔に出たのか、相沢が言葉をつなぐ。

「生徒会長辞めるんだろ・・・。しかも『辞任』って形でな。舞が無事な今、お前が辞める必要なんかないだろ」

相沢から発された言葉に思わず胸の中の何かの糸が切れたような気がした。
どす黒く、そしてとてつもなく自己嫌悪に陥りそうな感情が浮き上がってくるのを到底抑えられそうに無かった。

「ふ、ふはは・・・ははははははははははは!!!!
 何を言い出すかと思えば、この状況に追い込んだ君たちがそれを言うのかい!?」

「別に俺達は生徒会長であるお前を辞めさせる為にしたわけじゃない!
 お前がもう二度と舞と佐祐里さんに干渉さえしなければ済む話だ!!」

「馬鹿か、君は!よく考えて物事を語れ!
 もし僕が生徒会に残留して再び倉田さんを権力のために利用しようとしたらどうするんだ!?
 いや、倉田さんだけじゃない。僕が他の生徒を倉田さんにしたように権力の道具として使うかもしれないんだぞ!?」

「いいえ、久瀬さんはもう二度とそんなことしない。そうでしょう?」

「・・・・!何故そんなことが言えるのですか・・・。
 あなた方は自分が僕にどんな目に遭わされたのか憶えてないのか?何故僕を責めない!」

「責められる訳がないじゃないですか・・・。佐祐里達は・・・理由を知ってしまったのですから・・・」

「なっ・・・」

倉田さんの言葉に思わず息が詰まった。動揺しているのが自分でも手に取るように分かる。

「・・・昨日名雪が俺の部屋に来て、お前が生徒会辞めるってことを言ったんだよ。
 俺はそのとき何も知らずに『自業自得だ』って言ったんだ。
 そうしたら名雪の奴が本気で怒って泣きながら『久瀬くんは・・・裕樹は悪くなんかないんだよ!』って叫んだんだよ」

「・・・」

「名雪が落ち着いた後に聞いたよ。お前が名雪と中学が同じだったってこと。
 中学時代に二人とも生徒会に入っていたこと。
 そして・・・お前と名雪が付き合っていたこともな」

「だから・・・だからどうした!僕の辞任の理由とは何の関係もないだろう!」

「名雪が疲れ果てて眠った後、北川の家まで行って相談したよ。
 そしたらアイツ、俺の顔面に思いっきりパンチくれやがってさ。
 『今のは久瀬からの分を先に送っとくぜ。相沢ならあの馬鹿の目を覚まさせてやれるかもな』って言って
 お前の全てを話してくれたよ」

「久瀬さん、あなたが舞を・・・『川澄舞』を退学にさせようとしたのは全ては名雪さんのためなんですか・・・?」

もう隠し通せない。そう思った僕は全てを語る決意をした。
どうせもうこの学校からは離れるのだから最後くらい悪役らしく捨て台詞の一つでも吐きたかったのかもしれない。

「そうですよ・・・。僕が川澄舞を退学にしようとしたことも、
 倉田さんを生徒会に引き入れようとしたことも全ては水瀬・・・名雪の為だよ・・・
 川澄舞が相沢祐一と昔接点があったのは知っていた。だから何とか引き離そうと思ったんだ」

「何でだよ・・・それが何で名雪のためになるんだよ!!舞と名雪は関係無いだろうが!」

「あるんだよ・・・。君はもう分かっているんだろう?
 彼女が、水瀬名雪が何年も何年も君を想い続け、再会する日をいつまでも待っていた事を!
 そんな彼女の想いを気付こうともせず、君は川澄舞に惹かれていった。
 これがどれほど彼女にとって残酷な物語だったのか君に分かるのかい!?」

相沢の反論を考える暇も与えず矢継ぎ早に言葉を放つ。

「中学のとき、君の事を聞かされたとき僕は激しく憎悪に駆られたよ!
 何故彼女だけこんなに辛い思いをしているんだ、何故お前は彼女の側にいないんだってね!
 彼女に別れを告げたときから心に決めてたよ。君たちがいつの日か再会したときは
 彼女には今度こそ幸せになってもらうとね!」

「お前の・・・それがお前の出した結論か・・・名雪が本当に幸せになれる方法なのか・・・」

「そうだ・・・。君無くして彼女の幸せはない。それが僕の考えだ」

言い終えた瞬間パシンと頬に衝撃が走った。
ずれた眼鏡をかけ直すと、倉田さんが僕の頬を引っ叩いたのだと分かった。
彼女が僕を叩くのも当然だ。他人の、自分勝手な行動で自分の親友が傷付けられたのだから。

「あなたは・・・・あなたは本当は何も分かっていないじゃないですか!
 名雪さんが・・・名雪さんが本当にそんなことを望んでいると思っているんですか!!」

「な・・・・」

「そんな訳ないでしょう!!あの人は、あの人は誰よりも、誰よりもあなたの事を想っているんですよ!!
 それなのに・・・それなのに・・・」

彼女の言葉がどうしようもないくらいの動揺を生み出した。それは有り得てはならない、考えとは相反するコトバ。

「ば・・・馬鹿な・・・彼女は相沢のことをずっと・・・」

「名雪はな・・・、中学時代お前のことが本当に好きだったんだって教えてくれたよ。
 誰よりもひたむきで、生徒の事を考えてあげられるお前がな。
 お前に俺のことを話したときから何かが音を立てて崩れていった、多分私が裕樹を傷つけたからだってな」

「ち、違う・・・僕は名雪が幸せになって欲しいから、だから!」

「いい加減に気付けよ。名雪のお前に対する想いは今も色あせてなんかいない。
 名雪が求めている場所は俺なんかじゃないんだ・・・。お前が名雪の一番の居場所なんだよ・・・」

音が遠くなった。自分の中の世界が大きく壊れていく。
彼女を傷つけていたのは相沢なんかじゃなかった。他の誰でもなく僕自身だったんだ。
相沢への想いを隠れ蓑にして僕は彼女から逃げたという事実。ならば、もはややるべきことは一つしかなかった。

「水瀬さんに・・・名雪に会わないと・・・」

「恐らくあいつは『あそこ』にいるはずだ。二度の別れを経験したあの場所にいつまでも座っていると思う」

相沢から言葉を聞かされて僕は慌てて外に飛び出そうとし、立ち止まる。

「相沢・・・倉田さん・・・。本当に済まなかった。そして・・・ありがとう」

そう言い残し、僕は彼女が待つあの場所へと駆けて行った。
もう二度とこんな過ちを、彼女に寂しい思いをさせないために。

「久瀬ーーーー!!!!今度何か奢れよなーーーーーーーーーーー!!!!!!!」

「そのときは佐祐里と舞も一緒にお願いしますねーーーーーーー!!!!」

彼らの言葉が僕の懐かしい感情を呼び戻させた。
そうだ・・・もう仮面をつけた『久瀬』は必要ないんだ。今の僕は・・・『裕樹』だ。
















日が既に落ち、真っ暗な闇が支配して人工的な光が輝く駅のベンチにやはり彼女は座っていた。
まだ二月ということもあってか、空からは雪が舞い降りて彼女の肩に少しだけ積もっているのが見えた。
その彼女に気付かれないように背後に回って声をかける。

「雪・・・積もってるぞ」

突然の声に多少びっくりしながらも後ろを振り返ることもせず彼女は答える。

「当たり前だよ〜。もうかれこれ二時間も座りっぱなしなんだから」

「・・・寒くないのか?」

「私ね・・・寒いのはへっちゃらなんだよ。
 昔ある初対面の友達から『名前からして寒さに強そうだね』とか言われたことがあるんだよ」

「ははっ、酷いなそいつ。初めて顔をあわせるのに礼儀も何もあったものじゃない」

「全くだよ。でもね、その人は慌ててこう言ってくれたんだよ・・・。『僕はその名前は好きだけど』ってね」

「うっわ・・・キザにも程があるぞ。多分そいつは自分の名前が嫌いだったんだよ。だから羨ましかったんだと思う」

「ふふっ、そうかも知れないね。でもね・・・私はその人の名前本当に好きだよ。大好きなんだ」

「・・・そいつにはその言葉が本当に救いになったと思う」

「でもね・・・。中学三年生の冬にね、その人ここで私に『もう二度と僕に関わらないでくれ』って言ったんだよ。酷いよね」

「全くだ・・・。そんなの償っても償いきれることじゃないな。
 でもそいつもそのときは一生懸命考えてだした結論だったんだよ」

「うう〜、でもでも、私本当に悲しくて・・・それからずっと笑えなかったんだよ?部活も休みがちになっちゃったし・・・」

「ああ・・・本当にそいつは許しがたいな。どうすれば許してもらえるかソイツ必死で今頭を悩ませてるよ」

「そうだね・・・本当はイチゴサンデーじゃ数えられないくらいだけど・・・。
 二つだけ言う事聞いてくれたら許してあげてもいいかな」

「二つでいいのか?そんなのお安い御用さ。言ってみなよ。そいつは多分今なら何でも叶えるはずだ」

「うん、私もそう思うよ。じゃあ言うね。一つ目は、川澄さんに謝ろうよ。一人が嫌なら私も謝るから」

「馬鹿っ!そいつは何歳だと思ってるんだ・・・。そいつなら一人で土下座も出来るし罰も受けることが出来るさ・・・」

「罰なんかないと思うよ。川澄さんは優しいから。じゃあもう一つを言うね」

「ああ・・・何でも言ってくれ」

「もう一度・・・もう一度『裕樹』に戻って全てをやり直そうよ。
 そして・・・出来る事なら、もう一度私と付き合ってください・・・
 もう二度と・・・裕樹と離れるのなんてやだよ・・・」

「・・・馬鹿だよ、名雪は本当に馬鹿だ・・・。そんなの・・・断れるわけないだろ・・・。
 それにそれは全部俺のセリフだよ・・・」

名雪の身体に後ろからそっと手を回す。
雪が舞い落ちる中で、一度彼女に別れを告げたこの場所で、想いは再び一つになる。

「今まで・・・本当にごめんな・・・。もう二度と・・・離さないから」

「私もだよ・・・もし今度何処かへ行っちゃいそうだったら・・・追いかけていくんだから・・・」

もう言葉は必要なかった。彼女の温もりが伝わるだけで、それだけで十分だった。
思えば大きく遠回りをした気がする。僕は彼女の笑顔を他人に託すことで逃げようとしていた。
けれどもう僕は迷う事はない。彼女が、名雪が僕を大切に思ってくれているのなら何処までだって行ける。
もう一度やり直そう・・・。彼女の笑顔と共に歩んでいく為に・・・。
























「だからな、ここはナイトで道を塞いでだな・・・」

「馬鹿か君は。そうするとルークの全面が手薄になるだろうが。この場合はビショップで・・・」

「・・・・何やってるんですか、相沢さんに久瀬先輩」

穏やかな風が吹く屋上で僕と相沢の真剣勝負に天野君が口を挟む。

「何って・・・チェスだよチェス。見て分からないか?」

「これを見て将棋に見えたら天野君はある意味天才だな」

「だから!そうじゃなくて何で放課後にこんなところでチェスなんかやっているんですか!」

「ああ、そういう意味か。話せば長くなるんだが、お前の馬鹿彼氏がチェスで勝てたら
 学食で一番美味いものを食わせてやるっていうから現在久瀬にチェスのイロハを習ってるんだよ」

「馬鹿!天野君の前で潤を馬鹿にしたら・・・」

「あっ!!や、やば!タイム、みっしー今の無し!」

「誰がみっしーですか!!それに誰の彼氏が馬鹿ですか誰の!!」

「じゃあ、僕は部活があるからこの辺で・・・」

「ああっ、ま、待て久瀬!!おい、逃げるな!!俺達は辛い時は共に苦しみを分かち合う仲として・・・」

「いいですか!相沢さん!前から言おうと思ってはいたのですが、この際はっきり言わせていただきます!」

天野君が説教始める前に僕はさっさと逃げる事にした。
彼女の長い説教をくらっても生きてられるのは恐らく潤だけだろう。
それに部活があるという言葉も嘘ではない。僕は現在陸上部に所属している。
中学時代に入っていたから、という理由もあるにはあるがやはり一番の理由は『彼女といつまでも共に在りたい』からだ。
二年の三学期からの入部という異常な例外ではあるが、部員達とはすぐに打ち解けることができた。
部員の奴らによく「お前本当に久瀬か?」などとはやしたてられることもあるが、それは僕が戻ることが出来た証だろう。
生徒会にはやはり戻らなかった。僕の後釜として潤が現在生徒会長として奮闘してくれているし、何の心配もしていない。
ただ、時々生徒会の仕事を手伝わされるのはまあ・・・諦めた。というか、毎日している気もするが。
相沢とは気付けば潤と同じくらいの親友になっていた。元来の彼の持つ人の良さは潤と並ぶくらいの国宝級馬鹿だと思う。
川澄さんも同様に僕のことを許してくれた。僕が彼女に謝った時、
「何故謝っているの?」と言われて相沢や名雪に大笑いされたことは記憶に新しい。


今、僕は以前とは違う道を歩いている。一人の少女の為として孤独なステージで踊り続けた自分に決別して。
これから先何が待っているのかなんて考えたことはない。だって、間違いなく未来は楽しい事が待っているのだろうから。
そう、これから先何度だって僕は願いをかけるだろう。僕がずっと願っていた想いが届いた今が続くと信じて。











『いつまでも、君と共に何処までも歩んで行くために・・・』















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