6.ここからもう一度










登校し、由乃を待っていたのはリリアン女学園の生徒達からの好奇の視線だった。
上級生から同級生、そして下級生から様々な感情を込められた視線を由乃は教室に辿り着くまで、
一身に受け続けていた。無論、その理由は先日由乃がインタビューを受けた学内新聞によるものである。

今朝、学内新聞に書かれていた記事の内容は無論、由乃と祐巳に関するモノで、
タイトルに『スールに負けない絆!黄薔薇の蕾と一年生の学年を超えたかけがえのない友情』と
大袈裟なくらいの見出しが書かれ、その内容に、黄薔薇の蕾である由乃と一年生の間で人気があり、
将来薔薇候補と囁かれていた祐巳との二人のことが余すところ無く、そして惜しみなく記載されていた。

それは二人の出会いから、仲良くなるまでの過程、放課後に会っていたことなど、
新聞は読み手が求めるであろう情報を詳しく与えていた。それこそ、勝手に湾曲したような噂が流れる隙も無い程に。
その記事の内容に触れてみれば、以下のような説明が事細かに書かれている。
二人の出会いは今年度一年生の入学式の日のこと。
マリア像の前で一人泣いていた祐巳を、由乃が温かく抱きしめ、励ましてくれたこと。
それから二ヶ月のときが過ぎ、祐巳の噂を聞いた由乃が中庭で祐巳を見つけ出し、
とうとう二人が再会できたこと。(無論、その時由乃が泣いたことは本人の意向により記事にされていない)
それから二人は逢瀬を重ね、友人としての絆を深めたということ。
そのように、この新聞には、二人にとって他の生徒に教えても問題ない内容がしっかりと書かれていたのだ。
インタビューの内容も勿論同じで、読者が聞きたがっていそうな内容を全て丁寧に答えている。
由乃と祐巳の関係についてや、スールではないこと、山百合会について等々に至るまでだ。
そしてその新聞が二人の許可を得て行ったモノ、つまり勝手な憶測で書いたものではないことが、
この新聞の広まりを更に加速させる結果となった。

そのような新聞が公開されているというのに、その内容の張本人である由乃が視線を集めない訳が無かったのだ。
しかし、由乃はその視線を気にすることもなく堂々と教室まで辿り着いた。
教室の扉を開けると、ざわついていた教室内が静まり返り、皆由乃の方へと視線を向ける。
その視線を気にすることもなく、由乃は自分の席に座り、鞄の中身を机の中へとしまってゆく。
その様子を見て、クラスの女生徒達は由乃に聞こえないような小声で会話を再開する。恐らく話の内容は由乃のことだろう。

――いつもと同じ、クラスの風景。これが由乃の日常だった。
彼女はクラスで浮いた存在だった。それは一年の頃から何一つ変わらない。
そしてもう一つ。彼女は自分が多くの人間に『嫌われている』ことを認識している。
特に山百合会の信奉者から目の敵にされてることを、由乃は自覚していた。
山百合会の一員なのに山百合会信者に敵視されるというのも不思議な話だが、
過去に起こったこと、由乃の山百合会へのスタンスを考えれば、その疑問はいとも簡単に氷解する。
まず、彼女は薔薇として異様だった。仕事はするが、会議や集りには真面目に参加しない。
そして何より、紅薔薇姉妹とは犬猿の仲なのだ。この時点で紅薔薇信者に由乃は疎まれる存在となった。
無論、そのような自分勝手な黄薔薇の蕾を白薔薇信者も好ましく思うはずも無い。
そして、黄薔薇信者は口を揃えて非難する。『令様の妹に相応しくない』と。
ニ、三年生には由乃にとって味方など誰一人としていないのだ。
それは自業自得でもあるし、自分が望んだことなのだからと由乃は気にしてもいなかった。
だから、新聞にあのような記事を載せることはニ、三年の連中のいい娯楽を提供するだけでしかない。
きっと彼女達は自分を笑いものにするだろう。由乃のことを話のネタに陰で盛り上がるのだろう。
山百合会をサボって自分は下級生と逢引か、相変わらず自分勝手な人間だ、本当に冬薔薇だ等。

だが、由乃はそれでも構わなかった。由乃はただ、祐巳のことだけを考えていた。
祐巳も黄薔薇の蕾の悪評を知っているだろう。だが、それでも一緒にいたいと言ってくれたのだ。
だから、自分は祐巳の為に出来ることだけをすると決めた。
新聞で、祐巳との繋がりを強調しておけば、恐らくニ、三年は祐巳には何もしないだろう。
もし、噂のままで終わらせておけば、祐巳に近づき下らないことを言って祐巳を傷つける人間が出てくるかもしれない。
しかし、由乃とのことを表沙汰にし、祐巳の一年生の支持が強いことを記事にしてもらっていれば、
流石に祐巳に近づこうとする人間などそうはいないだろう。誰が好き好んで薔薇と一年を敵に回すだろうか。
最早、この状態になってしまえば、由乃のことが気に食わない人間達の出来ることは
陰で由乃を笑いものにすることだけだ。それならば良い。それは由乃が一年間ずっと経験してきたことなのだから。

「ごきげんよう、由乃さん。どう、新聞の方は読んでくれたかしら?」

鞄の中身を全て机に入れ終えた頃、突然誰かに声をかけられ由乃は驚いて視線を向ける。
まさかこの教室で自分に声をかける人間がいるとは彼女も思っていなかったらしく、由乃は隠すことなく驚きを表に出した。

「どうしたの?何か『私凄い驚いてます』って顔しちゃってるけど」

「それはそうよ。だって実際『私凄い驚いてます』って思ってるもの。
 ・・・まずは挨拶の方が先かしら。ごきげんよう、真美さん」

由乃から帰ってきた挨拶に、真美は不思議そうな顔をしながらも再度挨拶を交わす。
昨日、真美とは初めて会話した為、教室で会話を交わすのは初めてのことだった。

「ところで、どうして驚いてたの?私が話しかけてきたのがそんなに意外?」

「まあ・・・率直に言うと意外ね。
 貴女が話しかけてきたことが、ではなくて教室で他人に話しかけられたことが意外だったわ。
 今日は誰もが私を遠巻きに見て下らない話に花を咲かせてるモノだと思ってたから」

「どうして記事を担当した私まで遠巻きに貴女の話題で盛り上がらなきゃいけないのよ。
 それに、私は別に今まで貴女のことが嫌いだから話しかけなかった訳じゃないわよ。
 由乃さんって、周りの人間をいつも拒絶してたでしょ。私に近づくなオーラ出してたもの」

「あら、今は違うっていうの?私は今もそのつもりだけど」

「そうねえ、私は由乃さんが笑ってるとこ見ちゃったからね。
 貴女を馬鹿にするような下らない話をしてるより、貴女にもっと直接触れてみたいと思った訳よ。
 どうも由乃さんって、噂されてるような人間じゃない気がしてきたのよね。祐巳さんと一緒にいるところを見てると」

「・・・真美さんって、馬鹿よね。
 どうして自分から周りの人間を遠ざけるような行動をするのかしら。
 私と一緒にいても何にもならないでしょうに。むしろ貴女、他の友達からも色々言われるわよ」

「それを貴女が言うのもおかしな話よね。貴女に友達付き合いの心配されるなんて夢にも思わなかったわ。
 ま、別にいいでしょ?別に好き好んで一匹狼してる訳じゃないでしょう。
 クラスに友達の一人や二人作ったところで重荷にはならないでしょ」

あっけらかんと言う真美に、由乃は大きな溜息をついて返事代わりにした。
それが照れ隠しだったのは見え見えだったので、真美はニヤニヤするだけで何も言わない。
全てを見透かされてるような空気に、由乃は地団駄をふみたい衝動に駆られるが、
現在クラス中の視線を集めている為、なんとか必死に自制した。

「・・で、その変わり者の真美さんは私に聞きたいことがあったんじゃないの。
 さっき新聞がどうとか言ってたじゃない」

「あ、そうそう。新聞は読んでくれた?私達、二人が帰った後で今日に間に合うように
 結構力入れて頑張ったんだから是非とも感想を聞かせて欲しいのよ」

「馬鹿ね、私が読んでる訳ないでしょう。新聞が貼られた掲示板の前に一体どれだけの生徒がいたと思ってるの。
 そこに新聞内容の張本人が現れ生徒をかき分け、その新聞を読む?私にモーゼにでもなれっていうの」

「それもそうね。残念、本人の口から直接感想が聞きたかったのだけど。
 特に写真の部分なんか我ながら中々の自信が・・・」

「あんなピントがずれた写真のどこが自信作なのよ、もう」

真美の言葉を遮るように、一人の女生徒が不機嫌そうに二人の会話に割り込んでくる。
由乃はその女生徒の顔を見て、名前を思い出す。写真部在籍の武嶋蔦子。
確かそのような名前だったな、と記憶の底から由乃の中では余り使われていない情報を拾ってきた。

「あら、蔦子さん。
 ごきげんよう。どうしたのよ、そんな不機嫌そうな顔して。何かあったの?」

「ごきげんよう。不機嫌なのは真美さんのせいなんだけどね。
 どうしてあの写真を撮る時に私を呼んでくれなかったのよ。私だったら最高の作品に出来たのに」

「突然の事態だったのよ。むしろ、あの状況で写真を撮った私を褒めて欲しいわね。
 普通の人なら由乃さん達に魅入って息をすることすら忘れるような状況だったのよ」

得意げに話す真美に、未だに納得がいかないといった表情を浮かべる蔦子。
その様子を見ながら、呆れ果てる由乃に、蔦子はとびっきりの笑顔を浮かべて視線を向け直した。

「ごきげんよう、島津由乃さん。私は同じクラスの武嶋蔦子。以後お見知りおきを」

「知ってるわ。確か写真部の方よね。私は別にお見知りおきするつもりはあんまり無いんだけど・・・」

「あら、そういう訳にはいかないわ。
 だって私、これから由乃さんの写真を傍で取り続けたいもの。出来るなら友達になって欲しいのだけど」

突然の申し出に、由乃は呆然の余り、しばらく開いた口を塞ぐのも忘れてしまった。
満面の笑みを浮かべる蔦子に、真美は軽く溜息をつく。由乃に同情していると言ったほうが適切かもしれない。

「・・・あのね、何だって、私の写真なんかを」

「私は美しいものを美しいままに写真に閉じ込めておきたいの。
 だから由乃さんの写真を撮りたい。それでは駄目かしら?」

「今まではそんなことしてなかったじゃない」

「そうね、今までの由乃さんなら私は何の興味も持たなかったわ。
 だけど、新聞に載ってる写真に写ってた由乃さんに私、何よりも惹かれるの。
 祐巳さんだったかしら?あの娘を見てるときの由乃さんの表情、言葉に出来ないくらい綺麗だったもの」

蔦子の言葉に、由乃は昨日の光景を思い出す。
それは、祐巳に手を握られて素面ではとても聞けないような恥ずかしい台詞を言われた時のこと。
今思い出せば、あの場には新聞部の人達もいたのだ。加えて言えば、その写真は現在、新聞に貼られている。
そう考えると恥ずかしさのあまり思わず穴に入りたくなるような光景だった。

「あ、その表情頂くわ」

「っ!!?なっ、か、勝手に撮るなあっ!!」

一瞬の間に蔦子に写真を撮られ、由乃は憤慨して抗議する。
だが、聞こえないとばかりに蔦子は次々と由乃のベストショットを求めてカメラを動かしていく。

「あのねっ、さっき真美さんにも言ったけど、私の傍にいたって何の得にもならないわよ。
 それどころか、蔦子さんの友達だってきっと離れていくわよ。それでも・・・」

「別にいいわよ。その程度で離れていくような友達なんてこっちから願い下げだもの。
 それで、私と友達になっていただけるかしら?真美さんは良くて私は駄目なんて言わないわよね」

真美以上にスッパリと言い放つ蔦子を見て、由乃は全身から力が抜けていくように机に頭から倒れていった。
由乃は頭を抱え、自分が考え過ぎなのかと自問自答を繰り返した。
こんな風に言ってくれる同級生がいたなんて、考えたこともなかったからだ。

そんな三人の光景を一人、松平瞳子は冷めた瞳で自分の席から見つめていた。
その表情に感情の色は無く、あたかも虚空を眺めるかのような。けれど、それでいて凍てつくような、そんな瞳で。


















 ・・・















その日の昼休み、由乃は弁当を入れた袋を片手に一年の教室に向かっていた。
廊下を歩いている時、多くの一年生がすれ違い様に由乃を見ては、挨拶をし、その後にキャーキャーと声を上げている。
その光景を見て、由乃は何とも言えない複雑な表情を浮かべながら、目的の教室まで向かっていく。

だから、止めようと言ったのだ。

由乃は愚痴の一つでも零したくなる衝動に駆られたが、その相手が教室で待っているのだから
今の自分に出来ることは、ただただ下級生達の視線を浴びながら彼女の待つ教室へと向かうだけだった。
どうしてこのようなことになったのか、思い出せば自分の祐巳に対する押しの弱さに泣きたくなる。
先日のインタビューの後、教室に戻ろうとする二人を見送ろうとした時に、祐巳がとんでもない提案をしてきた。
何がどうしてそうなったのかは分からないが、祐巳が唐突に『明日、お昼は一緒に私達の教室で食べよう』と言い出した。
最初、由乃は冗談かと思っていたのだが、祐巳の言葉を聞き続けると、どうやらそれが本気で言っているのだと
いうことに気付き、慌ててその誘いを断った。
ただでさえ多くの生徒に疎まれている自分が、一年の教室で、しかも堂々と弁当を食べる姿など想像することすら在り得ない。
普段煙たがられてるような冬薔薇とクラスメイトでもないのに、誰が好き好んで同じ教室で食事を取りたがるのか。
そんなことすれば、教室の空気が悪くなることは間違いない上に、祐巳や笙子に迷惑がかかる。
それだけは絶対に避けたかった為、由乃は祐巳に無理だと言ったのだが、その進言は聞き届けられることはなかった。
祐巳に加え、終いには笙子までもが由乃に来て欲しいと言い出し、最後には結局由乃が折れる形となった。

一年菊組の教室に辿り着き、由乃は最後に一つ大きな溜息をついて、ようやく教室内で食事をする決心をした。
今更逃げるなど出来はしない。それならばもう開き直ってしまおうという実に由乃らしい考えに至ったのだ。
考えがそこに辿り着くと由乃はそれからが早い。教室から出てきた女性徒に満面の笑みを浮かべて声をかける。

「ごきげんよう。少しいいかしら」

「え・・・ろ、黄薔薇の蕾っ!!?ごごご、ごきげんよう!!」

由乃に声をかけられた女性徒は驚きの余り、上ずったような声をあげて慌てて挨拶をした。
まるでお化けにでも出会ったかのような反応に、由乃は苦笑しながらも用件を簡潔に伝える。

「こちらのクラスの福沢祐巳さんを呼んで頂けるかしら。
 もし、不在でしたら内藤笙子さんでも構わないのだけれど」

由乃の言葉を受け、その女性徒は相変わらず動揺したままで教室に戻り、祐巳達に話しかける。
そして、由乃の存在に気付いたのか、祐巳がトコトコと子犬のように由乃の元へ歩いてくる。

「ごきげんよう、由乃さん。上級生なんだから何も言わずに教室に入ってもよかったのに」

「馬鹿ね、私だって最低限の礼儀くらいは弁えるわよ。
 私が何も言わずにズカズカと教室に入ったら、この教室が大変なことになるでしょう?」

それもそうだね、と祐巳は納得したようで、由乃を連れて自分の席の方へと戻っていく。
そこには、祐巳の机を囲むように椅子が三つ並べられ、笑みを浮かべた笙子が二人を迎えてくれた。

「ごきげんよう、黄薔薇の蕾」

「ごきげんよう、笙子ちゃん。
 食べるのを待っててくれたのね、ありがとう」

「い、いえ・・・全然気にしてませんし、一緒に食べたかったですから・・・」

顔を真っ赤にする笙子に、祐巳は楽しそうに笑顔を浮かべている。
その光景を今一つ理解出来ない由乃は、そんな二人を見比べて頭に疑問符を浮かべるしか出来ないのだが。

「それでは早速、頂きましょうか。
 急いで食べる必要も無いけど、折角この教室に来たんだもの。二人とゆっくり話がしたいわ」

由乃の言葉に、祐巳も笙子も笑って同意する。
その光景を、他の一年生達が熱の入った視線で見つめていたことを、まだ由乃はこの時気付いていなかったのだが。














 ・・・













「でも、今日は大変だったでしょう?」

昼食を終え、雑談を広げていた三人だが、由乃の言葉に祐巳は何が?と不思議そうな顔をする。
おいおい、と苦笑する由乃を見て、笙子も笑みを浮かべながら祐巳に何のことかを教えてあげる。

「ほら、祐巳さんと黄薔薇の蕾のことが新聞に載ったじゃない。
 今日は祐巳さん、昼休みになるまでの休み時間全てにみんなから質問攻めだったでしょ?
 きっと黄薔薇の蕾はそのことを仰ってるのではないかと思うの」

ああ、そのことかと祐巳はようやく納得した表情を浮かべる。
その様子を見るに、祐巳にとってはあまり大した労苦ではなかったらしい。

「笙子ちゃんは察しが良くて助かるわ。後は私のことを名前で呼んでくれると完璧ね。
 出来れば今度からは私のことを由乃って呼んでもらえないかしら。
 私、黄薔薇の蕾って呼ばれるのがあまり好きじゃないからね」

「え、でも・・・」

困惑する笙子に、『構わないわよ』と由乃は軽く笑ってみせる。
笙子は困り果てて祐巳に視線を送るが、祐巳もまた笑ってみせるだけだ。
かなり迷ってはいたが、笙子は意を決したのか、由乃を見て口を開く。

「よ、由乃・・・様・・・」

「はい、良く出来ました。笙子ちゃんは本当に良い子ね」

そっと笙子の頭を撫でる由乃に、笙子は顔を真っ赤にして、なされるがままにされていた。
それを見て祐巳は心底楽しそうに笑い、由乃に教えてあげる。

「実は笙子ちゃんは黄薔薇の蕾の大ファンなんだよ。それも高校に入学する前からの。
 由乃さんの良さはやっぱり分かる人には分かるものなんだよね」

「ゆ、祐巳さんっ!!」

祐巳の言葉に、声を荒げる笙子だが、それとは対照的に由乃は驚きのあまり固まってしまった。
それも当然かもしれない。由乃は、自分をそのような目で見るような生徒に出会ったことがなかったからだ。

「笙子ちゃん、貴女って変わってるわね・・・
 憧れるような薔薇なら他にも沢山いるでしょうに、よりによって私なんかのファンになってもしょうがないでしょ。
 私を好きだなんて変わった人、祐巳さん意外に知らないのだけど」

「そ、そんなこと無いです。私、由乃様じゃなきゃ嫌です。
 それに、失礼ですが由乃様は自分のことを全然分かっていません。
 由乃様は、その、一年生に人気があるんです」

それこそまさか、と由乃は苦笑する。
笙子の言葉は嬉しいが、とてもじゃないが人気がある訳がない。
ニ、三年生に嫌われ、一年生に対し何もしていない自分がどうして好かれる道理があるのか。
呆れて祐巳の方へ視線を送るが、祐巳は由乃の期待した言葉とは反対の内容を告げた。

「笙子ちゃんが言ってることは本当だよ。
 その・・・ね、ここだけの話なんだけど、今の一年生にとって山百合会って凄く近寄りがたい存在なの。
 なんていうか、私達みたいな普通の生徒達じゃ近づけないっていうか・・・そういう雰囲気だから」

祐巳の言うことに、由乃は納得する。
確かに、今の山百合会は一年生にとってはツライだろう。
リーダー的存在である祥子の厳しさは、この学園でかなり有名である。
それに加え、令も志摩子も、そして瞳子も明らかに一般人の枠を超えたオーラを放っている。
加えて唯一同じ一年生の乃梨子は志摩子意外興味はないといった状態だ。
そのような薔薇の館に誰が好き好んで訪れたり出来るだろうか。ましてや親しみを持つなど持っての他である。

「まあ、確かに今の山百合会は一年生にとって厳しいわね。
 今のあの場所はいわば貴族の集まりだもの。自分達がどんな状態なのかまるで見えていない。
 でも、だからといって私が一年生に人気がある理由にはならないわよ。
 私だって下級生を気にしたりなんかしたこと無いもの」

そうでしょう?と同意を求める由乃に、祐巳と笙子は顔を見合わせて軽く溜息をつく。
祐巳はやれやれといったような表情で由乃に教えてあげる。

「由乃さん、私と再会するまで放課後どんな風に過ごしてたか覚えてる?」

「祐巳さんと再会するまでねえ・・・まあ、一週間に二回くらいは山百合会に参加してた気はするけど。
 それ以外は学園内を適当に歩き回ったり、そのまま家に帰ったり・・・」

「その学園内を歩き回ってる時に、色々やってたでしょ?
 例えば、薔薇の館の前で困ってる下級生とかに話しかけたりとか・・・」

祐巳に言われ、由乃はそういえばと朧げな記憶の糸を手繰り寄せる。
確かに、薔薇の館の前で扉を開けることも出来ずに困ってる三、四人組くらいの一年生が
春先にいたような気がする。確か、薔薇に呼び出されたとか何とかで。

「そんなこともあったわね。確か、紅薔薇に捕まった新入生達でしょう?
 何でも山百合会が行った風紀の検査の時に、服装が乱れていたとかで放課後に呼び出されたとか。
 ああ、思い出した思い出した。その娘達、今にも泣きそうな顔して薔薇の館の扉の前で震えてたもの」

「その時、由乃さんはどうしたか覚えてる?」

「・・・何かしたかしら。
 確か、私はその生徒達を帰らせただけだと思うんだけど・・・」

そう、由乃はその生徒達を帰らせたのだ。
彼女達がわざと服装を乱していた訳ではないことは、彼女達の様子から分かっていたことだし、
何より、入学して間もない下級生をこんな牢獄に呼びつけて説教しようという姿勢が由乃は気に食わなかった。
だから、由乃は迷うことなくその娘達を帰らせたのだ。紅薔薇には自分から話しておくから、気にするなと。

「由乃さんがしたことは、由乃さんにとってはただの気まぐれだったのかもしれないけれど、
 その一年生の女の子達にとっては凄く嬉しかったんだよ。その由乃さんの行動に、その娘達は救われたんだよ。
 多分、この話は一年生ならみんな知ってるんじゃないかな。今じゃ多分、もう少し話が美化されてるかも」

「そんな事で・・・でも、私は」

「その行動を由乃さんが下級生を想ってしたことではない、なんてことは関係ないんだよ。
 由乃さんがどうあれ、その娘達は嬉しかった。そして、その話を伝え聞いた人達も由乃さんに興味を抱いた。
 人が人に憧れ、好きになる理由なんてそれだけで充分なんじゃないかな。
 少なくとも、由乃さんと仲良くなりたいって人は沢山いるんだよ。私や笙子ちゃんも含めて、ね。
 だから、そろそろ自分が学園中の人から嫌われてるなんて考えるのは止めようよ。
 勿論、由乃さんのことが嫌いって人もいると思う。でも、それと同じように由乃さんが好きって人も沢山いるんだよ」

祐巳の言葉に、由乃は頷くことが出来なかった。
学園で誰かに好かれるなんて、由乃にとってはとうの昔に捨てたことだ。
自分に近づく人間は変わり者でしかない。事実、由乃はそう考えていた。

そんな由乃の様子を見て、祐巳は苦笑を浮かべ、仕方ないなと呟いて突然椅子から立ち上がった。
何事かと驚く由乃に祐巳は楽しそうな笑みを浮かべた後で、
先程から三人の様子を遠巻きに眺めていたクラスメイト達に口を開いた。

「それでは皆さん、これより黄薔薇の蕾である島津由乃様が皆さんとお話して下さるそうでーす!
 由乃様のことが好きで是非お知り合いになりたいという方は是非是非こっちに来て下さーい!
 由乃様も皆さんとこれを機に仲良くなりたいそうです!」

「んなっ!?ゆ、祐巳さんっ!?」

とんでもないことを大声で言う祐巳に、由乃は目を丸くして制止を呼びかけるが、時既に遅し。
嬉しそうな黄色い悲鳴が教室中から上がり、気付けばあっという間に由乃達の周りを教室の生徒達で埋め尽くされる。
まさかこんなに人が集ると思っていなかったのか、呼びかけた祐巳ですら驚きのあまり、笑みが固まっていた。

「ちょ、ちょっと祐巳さん!どうするのよ!?」

「う〜ん・・・まあ、いいんじゃないかな。
 ねえ、由乃さん。分かる?これだけの人達が由乃さんを好きだって思ってくれてるんだよ。
 だから、もう意固地になるのを止めて認めちゃおうよ。由乃さんは一人じゃないんだよ。
 薔薇がどうだとか関係ない。由乃さんの行動で、これだけの人達が集ったんだから」

――意固地になっていた。確かにそうだったのかもしれない。
リリアン女学園に入学し、乾いてしまった世界に由乃は絶望し、全てを諦めた。
だから、由乃は決め付けた。自分は嫌われ者だと。そうであるべきなのだと。
嫌われ者だから、何を行動するにも他人は気にならない。誰にも迷惑はかけない。心を苦しませない。
自分は他人に何も求めない。だから、他人も自分に何も求めるな。それが由乃の学園での人付き合いだった。
だが、今の光景はどうだ。
顔も知らない、話したことも無い下級生達が、由乃のことを知ろうとしてくれている。
同級生達のように由乃を蔑むような視線ではない。純粋に由乃を慕っている、由乃を見ようとする視線だ。

由乃は、何だか自分の中で長い間こびり付いていた憑き物が落ちたような錯覚に捕われた。
自分の気まぐれな行動一つで、世界はこうも変わってしまう。こんなにも、変えることが出来てしまう。
それは、あの時も同じだったのではないだろうか。私が、何もかもを諦めてしまった一年前も。
どうしてあの時、私は諦めてしまったのだろう。薔薇になっても、私は私だと周りの人達に訴えればよかったのだ。
世界に絶望なんかせずに、どんなに格好悪くても、どんなに情けなくても、ちっぽけな意地なんて捨ててしまえばよかったのだ。
あの時、少しでも私の心に余裕があれば、今頃私は同級生達とも笑いあえていたのだろうか。
あの時、少しでも私が強ければ、回りの人達もこんな風に私と正面から接してくれたのだろうか。
薔薇だからどうだと壁を作ったのは確かに周りの人間かもしれない。
けれど、その壁を壊そうともせず、壁の中に引き篭もったのは他ならぬ自分自身なのだ。
なんて自分は愚かなのだろう。こんなにも遠回りして、ようやく答えに辿り着いただなんて。

「祐巳さん・・・私、やり直せるのかしら・・・
 こんな私でも、ここからまた・・・やり直しても、いいのかしら・・・」

「やり直す訳じゃないよ、由乃さん。終わったことは何をしてもやり直したり出来ないんだから。
 失った絆は二度と戻らない。・・・もう、戻ったりしないんだよ。やり直したりしちゃ、いけないんだ。
 だからね、由乃さんは今から築き上げるんだよ。みんなとの、新しい絆をこの場所からね」

祐巳の言葉に、由乃はそうねと答え、微笑み返した。
その微笑みは、祐巳にとって懐かしい笑顔だった。彼女がこの世界に来る前までいつも傍で見ていた笑顔。
そう、それは彼女の大好きだった親友、島津由乃の本当の笑顔だった。
いつも感情をストレートに出し、子供のようにころころと表情を変える少女。一度暴走したらなかなか止まらない困った親友。
それが、祐巳の大好きだった島津由乃だった。その少女に、この世界でようやく再び会うことが出来た。
だから祐巳は心の中でそっと呟くのだ。
目の前でクラスメイト達に質問攻めにされ、困ったような表情を浮かべてる親友に向かって。
それでいて今までで一番輝いている笑顔を浮かべる親友に向かって。



『――おかえりなさい、私の大切な人。今度はもう二度と手離さないから』



誰に気付かれることもなく、その瞳に混濁した光を灯らせて。













戻る

inserted by FC2 system