2.『妹にする』と『姉にする』










放課後、志摩子に案内されて祐巳と蔦子は薔薇の館へと足を踏み入れていた。
初めて薔薇の館に入った祐巳であったが、そのことに対する彼女の感想は『どうでもいいかなあ』の一言だった。
普通の生徒ならば山百合会の聖域に足を踏み入れたことに歓喜するのだろうが、
生憎祐巳は普通の生徒とは一線もニ線も飛び越えてしまっていた。彼女は本当に自分の好きなこと以外に興味がないのだ。
そんな祐巳の感想に蔦子は呆れ、志摩子は微笑むだけだった。
現在、祐巳の頭にあることは小笠原祥子についてだけだ。彼女は一体どのような人間なのか。
もし、実際にもう一度接してみてその気になれたならば遠慮なく籠絡(お)とさせて貰おう。
しかし、もしも気が乗らないようだったら、志摩子さんに頼ってその場は適当にお茶を濁して帰ろう。
上級生、それも薔薇の蕾に対して祐巳はそんな大それたことを考えていた。この思考こそ彼女の普通なのだ。

「だからって、どうして私がそれをしなければいけないのですか!」

部屋の扉の前に辿り着いた三人だが、突如部屋の中から大声が響き渡ってきた。
その声に聞き覚えのあった為、祐巳は少し表情をしかめる。まさか、と。

「横暴ですわ!お姉様方の意地悪!」

「・・・うん、志摩子さん。今日はありがとう。薔薇の館見学も意外と楽しかったよ。
 次は学校なんかじゃなくて休日に二人っきりでデートに行こうね。それではごきげんよう」

笑顔を浮かべ、一礼してその場から去ろうとする祐巳だったが、その肩を蔦子にガッシリ捕まれる。
上手くその場を取り繕って逃げようとした祐巳だが、それは許されないらしい。

「何帰ろうとしてるのよ祐巳さん。祥子様、いらっしゃるみたいよ」

「冗談。こんな修羅場現在進行形中にのこのこ出て行くほど私アホの子じゃないよ。
 大体『会議中につきお静かに』ってプレートが掲げられてるのに大声で絶叫って。これ笑うところなの?
 そういう訳で私は帰るの。祥子様のことは日を改めてってことで一つ」

「嘘。このまま帰ったら祐巳さん明日には祥子様のこと絶対忘れてるでしょ。
 ここまで来て帰るのは流石にちょっと押し通らないわよ」

「いや〜・・・だって私、ちょっとヒステリー持ちな人はあんまり・・・
 今、出て行ったら絶対『貴女朝に身だしなみを整えていなかった生徒ね!?説教します!!』ってなりそうだし・・・」

「なる訳ないでしょ。説教するならその場でしたでしょうに。
 それに祐巳さん、祥子様の外見が気に入ってたんじゃないの?手に入れたいんでしょ?」

「確かにそうだけど・・・はあ、志摩子さん。もし私が危なかったら助けてね。
 一応頑張ってみるけど、正直口うるさい人って私苦手だから」

「もう、祐巳さんったら」

祐巳の言葉に志摩子は困ったように微笑む。
そして、志摩子が扉を開けた瞬間。

「分かりました。そうまでおっしゃるなら、ここに連れてくればいいのでしょう!
 ええ、今すぐ連れて参ります!」

捨て台詞と共に、部屋の中からその声の主――小笠原祥子が飛び出してきたのだ。
突然の事に扉の前に祐巳は彼女に対応出来ず、直撃してしまったのだ。

「あっ!」

「へっ!?」

祥子に押し倒されるように、祐巳は思いっきりその場に尻から倒れてしまった。
何が起こったのか全く状況を把握できない祐巳であったが、臀部の痛みから自分が倒れたのだと
いうことだけは何とか認識することが出来た。

「祐巳さん大丈夫!?」

倒れた祐巳に、取り乱した様子で志摩子が慌てて介抱する。
普段はおっとりとした志摩子がこんなにも取り乱すのは珍しいことだ。

「あーあ。随分派手に転んじゃったわね」

「え、祥子の五十キロに押しつぶされちゃったの?悲惨ー」

「おーい、被害者。生きている?」

部屋の中から騒ぎに気付いた山百合会のメンバーがゾロゾロと出てきた。
興味本位に祐巳を取り囲んだ彼女達だったが、志摩子がその場の全員を睨んだ為、
驚きのあまり言葉を続けることが出来なかった。そんな志摩子の様子に全く気付かない唯一の人物が口を開く。

「えっ、私が押しつぶしちゃったの!?ちょっと、貴女大丈夫!?」

そんな訳あるか。そう言いたかった祐巳だが、必死に己を自制する。
高等部では普通でいると決めたのに、先輩、それも薔薇様という偉い存在の人にそんな口を利いては全てが
終わってしまう。全てを曝け出すのはその相手を落としてから。祐巳は必死に表情を作り、笑みを浮かべる。

「全然大丈夫です。お尻を打っただけですから」

「本当に?」「本当?」

祥子の声と志摩子の声が重なり、祐巳は笑って頷いた。
ただ、元気そうにその場で飛び跳ねたりしたりはしなかった。
正直、そんな余裕はないくらい痛かったから。多分一人っきりだったら大声で痛いと叫んでいただろう。

「よかった」

安堵した様子で祥子は祐巳をぎゅっと抱きしめた。
――どうやら祥子様はかなり豊かな胸をされてるらしい。祐巳の相手した女の子の中でも
果たしてこれほどの女性はいただろうか。志摩子もかなりのレベルだが、流石は祥子様といったところだろうか。
それにしてもやっぱり綺麗。祥子の横顔を見て、祐巳は心の奥底が疼くのを感じた。
どうやら性格に少々難がおありのようだが、それを有り余るほどにこの女性は全てが一級品らしい。
面白い。祐巳は少しずつ小笠原祥子という人間に興味を示しだしていた。

「時に」

抱きついたまま、祥子は小声で祐巳の耳元で囁く

「貴女、一年生よね。お姉様はいて?」

「は?」

「どっちなの?」

何を言ってるのだろう。そんなことを思っている祐巳を急かすように祥子は言葉を続ける。
姉。それは一体どちらを指すのだろう。身内の姉妹か、この学園のスールとかいうシステムか。
どちらにしても答えはNOだ。なら迷うことはない。祐巳は小声で祥子に返答する。

「いませんけど」

「結構」

祐巳の言葉に満足したのか、祥子は祐巳から離れ、祐巳の手をとって薔薇達の前へと進み出た。
再び現状にサッパリついていけていない祐巳に『いいから、言う通りにして』と祥子は小声で囁いた。

「お姉様方に報告いたしますわ」

先程のヒステリー声は何処に消えたのかと思うほどに堂々とした声に、祐巳は突っ込みたい気持ちで一杯だった。

「まあ、一体何が始まるの?」

「この子――」

そう告げた後に、祥子は祐巳に自己紹介なさいと告げる。
いやいやいや。何か報告するんじゃなかったのかと思いつつ、祐巳はとりあえずいつものように
余所行き用の『普通』を着飾って、薔薇様達に一礼する。

「初めまして、薔薇様方。一年桃組三十五番、福沢祐巳と申します」

堂々とした祐巳の挨拶に、祥子をはじめ薔薇達は興味深そうに祐巳を見つめる。
相手が薔薇達なのだ。普通の生徒ならば緊張もしよう。だが、祐巳にとってそんなことは何も関係がなかった。
別に取って食われる訳でもない。たった一年や二年生まれが違っただけだ、ならば緊張する理由などないではないか。
それならまだ志摩子の機嫌を損ねてしまった時の方が何倍も緊張する。それは祐巳にとって最大の恐怖だから。

「その福沢祐巳さんがどうなさって?」

それは自分が問いたい。そう思って祥子の方を振り返ろうとする祐巳だが、
さきほどから身体と頭をしっかり固定されてて一切身動きが取れないでいた。
無理に振り向こうとすれば逆に祥子の手に力が加えられる始末である。一体何だこの罰ゲームは。

「先程の約束を果たさせて頂きます」

「約束?」

紅薔薇の言葉に、祥子は得意満面の表情を浮かべて言葉を紡いだ。
その言葉に、祐巳はおろか、その場の全員が驚きのあまり言葉を失うことになる。

「私は、今ここに福沢祐巳を妹とすることを宣言いたします」

本当、一体何なのだろう。この罰ゲームは。
祥子にがっしり掴まれながら、祐巳は心の中でそう呟くことしか出来なかった。













 ・・・














事情を聞き、志摩子も蔦子も思いっきり言葉を失っていた。
それはそうだ。舞台でシンデレラを演じること、男性とダンスを踊ることが嫌で、
さっき名前も初めて知ったような祐巳を祥子は妹にしようとしたのだ。誰が聞いても呆れるしかないだろう。

だが、その例外が一人だけ存在していた。その妹となる対象、福沢祐巳である。

面白い。この人は本当に面白い。祥子に対し、祐巳は心の底からそう思っていた。
そんな理由で初めて会ったような人間を普通妹にするなどと冗談でも言えるだろうか。
妹にするということは、その後もしっかり面倒を見なければいけない。つまり、中身を知らない相手が務まる訳がないのだ。
だが、祥子にはそんなプロセスなど必要ない。まずは妹、その後に絆ありきという吹っ飛んだ考え。
無論、姉達に急かされて勢いに乗せられた面もあるだろうが、彼女は祐巳を妹として宣言することに
一切躊躇うことを見せなかった。これを面白いと言わずして何と言おう。
勿論、祐巳と祥子は今しがた初めて会った訳ではない。今朝、一度会っているのだ。
だが、当人の祥子は綺麗サッパリそのことを忘れていた。写真を見てもおぼろげにしか思い出せない。
つまり、彼女にとって祐巳はやはり初対面も同然なのだ。そんな人間を妹にしようなど、まさに規定外の発想だ。
そして、何と言っても彼女は未だに祐巳を自分の妹だと主張しているのだ。
その呆れ果てるばかりの強情さも祐巳には好印象だった。ただの見た目だけのヒステリなお嬢様かと思えば、
それはどうやらとんでもない誤解だったらしい。
悪くない。容姿に加え、中身もどうやら十分過ぎるほどに魅力的なようだ。
祐巳は『普通』の裏側で、楽しそうな笑みを浮かべていた。これは久々に楽しめそうだと。

ただ、一つだけ気に食わない。
それは、『祥子が祐巳を妹にする』という点。それでは何か、自分は選ばれるだけの立場なのか。
勿論、そのまま妹になり、ゆっくりを祥子を籠絡していくのもいいかもしれないが、
それでは余りに面白くない。そんな姿勢では、主導権を常に祥子に握られてしまう。
祐巳は祥子のモノになりたいのではない。祥子を祐巳のモノにしたいのだ。
だからこそ、今の形では納得がいかない。妹になるのは構わない。
祥子の人間性に興味があるし、何より容姿が好ましい。恋人ではなく妹なら喜んでなってあげよう。
だが、それはあくまで結果。主導権を握るのは、常に自分でなければならない。
そうやって祐巳は中等部の頃に多くの女の子を自分の手中に収めてきたのだから。

「動かないで、祐巳」

いざ、ロザリオをみなの前で享受しようとする祥子に制止の声を上げようとした祐巳だったが、
それより早く、別の女性から声が発せられた。

「お待ちになって」

「志摩子?」

「祥子様も他のお姉様方も、皆様大切なコトを忘れていませんか」

「大切なことって?」

「祐巳さんの気持ちです」

志摩子の言葉に、祐巳は思わず笑みを浮かべてしまいそうになる。
流石は志摩子さん。自分がどういう流れに持っていきたいのか、本当に理解してくれている。
そうだ。このままでは面白くない。自分を選ぶことが出来る権利を持つのはあくまで志摩子さん唯一人。
その他の人達に関しては常に自分が選び手にならなければならない。

「この娘が、ロザリオを受け取らないとでも思って?」

「そうは申しません。けれど一応、お気持ちを聞くのが筋というものではないでしょうか」

「なるほど。たとえ紅薔薇の蕾からの申し出であろうと、志摩子のように『ごめんなさい』してしまう人が
 いないとも限らないわね」

紅薔薇の言葉に、祐巳はへえ、と関心を寄せた。
成る程。志摩子さんは祥子様の誘いを蹴って白薔薇の妹になったのか。勿体無い。
しかし、祐巳にはその志摩子の考えが分かる気がした。志摩子の姉である白薔薇――佐藤聖が相手ならば。
先程から祐巳の事をじっと観察していることに、祐巳は気付いていた。
そして何度も探りを入れるような会話。そして、彼女の纏う空気。
今ならば分かる。――白薔薇は自分と同類、同じ生き物だと。

「断るかなあ。私、さっきからこの娘――福沢祐巳ちゃんを観察してたんだけど、
 祥子のファンだってすぐに分かったもの」

嘘つけ。祐巳はニヤニヤしながら話す聖に心の中でそう呟いた。
彼女は自分が祥子のファンなんかではないことを見抜いている。分かってるくせにそのような発言をしたのだ。
恐らくそちらの方が面白いと踏んだのだろう。他の人はどうでもいいが、この人だけは危険だ。祐巳はそう直感した。

「でも、万が一ということもあるから、一応きいてみましょうか」

紅薔薇が祐巳に向きなおして尋ねる。

「祥子が貴女を妹にしたいそうだけど。貴女はロザリオを受け取る気持ちはあって?」

質問を受けた祐巳に、聖が楽しそうな視線を向け続けている。
祐巳がこの場でどう出るのかを、それこそ本当に楽しんでいるのだ。
上等。白薔薇を楽しませるつもりなんてこれっぽっちも存在しないが、このまま黙って妹になるのも面白くない。
自分は妹にされる立場ではない。祥子を手に入れる側の立場なのだ。
だから、祐巳は少しだけ『普通』を脱ぎ捨てることにした。全ては小笠原祥子という宝石を手に入れる為。

「勿論です。私は祥子様のスールになることに何の異存もありません」

祐巳の答えに聖以外の人間は『ほらやっぱり』とばかりの表情を浮かべている。
だが、聖は相変わらずニヤけたままで表情を崩さない。無言で祐巳に語りかけてくるのだ。
『それで終わりではないだろう』と。『ここから何を見せてくれるのか』と。その挑発的な視線に、
祐巳は笑って応える。本番は、ここからだと。

「ですが、私は祥子様の妹になるつもりはありません」

祐巳の言葉に、その場の全員が呆気に取られた表情に変わった。
首を傾げた紅薔薇が祐巳に尋ねる。

「どういうこと?先程貴女は祥子のスールになることに異存はないと言ったでしょう?」

「ええ。ですから、スールになることには私は喜んで受けさせて頂きます。
 ですが、それは『私が祥子様の妹になる』のではありません。私が望むのは『祥子様が私の姉になる』ことです」

祐巳の言葉に、聖は我慢できなかったのか腹を抱えて大笑いする。
そして、祐巳の言ってることの意味が理解できた蔦子は思いっきり頭を抱え込み、
志摩子に至ってはそれこそ楽しそうに微笑んでいる。あの姿が、本当の祐巳だから。

「それは一体どういうこと?同じことではないの?」

「蓉子、つまりはこういうことさ。
 『祐巳ちゃんは祥子から妹にされるつもりはない。だけど、祐巳ちゃんが祥子を姉にするのなら構わない』
 つまりは選択権を自分の手に置きたい。そういうことでしょ、祐巳ちゃん」

「ええ、話が早くて助かります。私、先程の様子を見て祥子様に凄く興味が沸きました。
 だからこそ、欲しいものは他人から与えられるのではなく、自分の手で掴み取りたいと考えています」

祐巳の言葉に、聖や志摩子を除くその場の誰もが言葉を失っていた。
当たり前だ。どこの一年生が薔薇達、加えて言うなら祥子に対してそのようなことを言うのだろう。
一体この女子生徒は何者なのか。そう思考していた蓉子だが、今まで黙っていた祥子が口を開いた。

「それだと私が選ばれる立場になるじゃない。それは認めないわ。
 私達はあくまで『貴女が私の妹になる』の。いいこと?」

「嫌です。それじゃ私にとって何の意味もありませんから。
 スールになるのなら、『祥子様が私の姉になる』んです。
 スールにすると言い出したのは祥子様なんですから、これくらいの譲歩は認めて下さい」

「嫌。いいから聞き分けなさい祐巳。『貴女が私の妹になる』の」

「嫌です。だったら他の人を当たってください。『温厚な』祥子様なら他にいくらでも見つけられるでしょうから。
 ただ、この場を切り抜けられなくなるかもしれませんけど」

「祐巳!!」

「待って、二人とも、待って!これ以上続けられたら私が笑い死にしちゃうって」

二人の口論に、聖は腹を抱えて大笑いする。
それに続くように黄薔薇――鳥居江利子もクスリと楽しそうに笑みを浮かべた。

「本当、面白いわね。だって、傍から聞けばどう考えても姉妹成立してるもの。
 それなのに、どっちが主導権を握ったのかで揉めてるなんて、こんなの初めてじゃない?
 いいわね、紅薔薇は面白い後継者たちに恵まれてて」

「・・・笑えないわよ、それ」

江利子の言葉に紅薔薇――水野蓉子は頭を抱えて溜息をついた。
しかし、この福沢祐巳という少女には確かに興味がある。祥子の本性を知っても臆するどころか、
逆に興味を持ったと言い放ったのだ。そして今は目の前で祥子と一歩も譲らない口論を展開しているではないか。
これほどまでに祥子が心を許せる生徒など他にいるだろうか。それも初対面の相手に、だ。

「祥子と祐巳ちゃんが姉妹云々は二人の問題としてさ。
 つまり祥子は花寺の生徒とダンスを踊りたくない、シンデレラを演じたくない訳でしょ。
 なら、こういうのはどう?期間内に『祐巳ちゃんを祥子の妹に』出来たら、シンデレラの役を降りても良いよ。
 その代わりを『祥子の妹になった祐巳ちゃん』がすればいいだけなんだから」

「成る程ね。期間内に今の祐巳ちゃんの気持ち、『祥子が祐巳ちゃんの姉になる』という気持ちから
 『祐巳ちゃんが祥子の妹になる』という気持ちに変えることが出来るかどうかってことね。
 つまり、祐巳ちゃんを『自分から祥子の妹になりたい』という気持ちにさせられるかどうか。
 祐巳ちゃん側からすれば『祥子が自分から祐巳ちゃんの姉になりたい』という気持ちにさせられるかどうか」

「どちらも成立しなかったら?」

「ドローは祐巳ちゃんの勝ちでしょ。相手は一年生なんだしそれくらいのハンデがないと」

聖の提案に乗ったとばかりに、江利子は楽しそうに補足する。
その考えに、令がポツリと疑問を尋ねる。

「でも、それだと祐巳ちゃんにメリットが無いと思うのですが・・・
 主導権がどちらにしても、祐巳ちゃんは祥子の妹になるのは間違いないんですよね?
 だったら祐巳さんはその賭けに乗る理由がないと思うのですが」

「それもそうだね。う〜ん・・・祐巳ちゃん、どうする?」

「別に必要ありません。私が欲しいのはあくまで祥子様自身です。
 その為にもこれは良い舞台。祥子様がよろしければ、私は喜んでその賭けに乗らせて頂きます。
 ・・・そうですね、私が勝ったら写真の展示の件を認めて下さい。蔦子さんが喜びますから」

「私こそ望むところよ。要は祐巳に私の妹になりたいと言わせればいいのでしょう。やりがいのあること」

挑発と受け取ったのか、祥子は即座に返答する。
承諾を得たとばかりに、聖は蓉子の方へ視線を送った。
蓉子は再び溜息をつき、勝手に盛り上がってしまったこの騒動を認めるしかなかった。
















 ・・・

















「全く・・・どうしてすぐにスールをOKしなかったの?
 あのまま了承していたら妹にもなれて祥子様に近づけたし、何より写真の交渉がしやすくなったのに」

祐巳と蔦子が薔薇の館を出たのは空も夕暮れに染まった頃だった。
蔦子の言葉に、祐巳は呆れたように話した。

「やっぱり蔦子さんはあの場で私よりも写真の心配をしていた訳だ」

「当たり前じゃない。大体、祐巳さんに心配なんて必要ないでしょ。まあ、志摩子さんは違ったみたいだけど」

「だね。志摩子さんには心配かけちゃったなあ。後でお礼言わないと。
 それより最後の最後で写真の件をねじ込めたんだから、私に感謝してもいいと思うんだけど」

「それは祐巳さんが賭けに勝ってからね」

かんらかんらと笑う蔦子に、祐巳は不満そうな表情を見せた。

「でも、祐巳さんも無茶苦茶よね。『妹になれ』ってのが気に食わないからって
 あんなに堂々と『姉になれ』って言い返してるんだもの。大体主導権がどっちでも大して変わらないじゃない」

「全然違うよ。主導権はともかく、少なくとも、私は今の祥子様に対して『妹にしてほしい』とは思わないもの。
 でも、志摩子さんには『一緒に居させて欲しい』って思ってる。この違い、分かる?」

祐巳の質問に、蔦子は軽く首を振って『さあ』と返す。
そして、その答えを告げようとした祐巳だが、その視線に走ってくる祥子の姿を捉えた。

「祥子様」

ここまで走ってきたせいか、少し息の切れている祥子はある意味『らしくない』祥子だった。
だが、祐巳にはその祥子が今までで一番輝いているように思えて仕方なかった。
そう。この祥子こそが自分が手に入れたい小笠原祥子の姿なのだ。

「覚えていらっしゃい。必ず貴女を私の妹にしてみせるから」

そう言い、息を整えた後で祥子は二人に挨拶して薔薇の館へと戻っていった。
呆然とする蔦子に、祐巳は苦笑して口を開いた。

「さっきの答え。それは『その人のことを好きだと思ってるかどうか』、だよ。
 少なくとも、私はさっきまでは祥子様に興味はあったけど、好意までは抱いていなかったよ。
 だから、自分から『してほしい』なんて一切思っていなかった」

「それじゃ、今は?」

蔦子の言葉に、祐巳は人差し指を唇にあて、『秘密』と言って笑ってみせた。
その瞬間を写真に撮れなかったことを蔦子が後々悔やむほどに、それは良い笑顔だった。

「それにしても、祥子様もそうだけど山百合会って綺麗な人が多かったなあ。
 ・・・ふふ、これからが少し楽しみになってきたよ。ところで黄薔薇の蕾の妹って一年生だよね。何組か分かる?」

「・・・最後の最後でやっぱりそれは忘れないんだ」

不埒な想像に笑みを浮かべる祐巳に溜息をつきながら、蔦子は今度は忘れないようにシャッターをきった。
さっきまでは祥子様に対して純粋な想いに馳せていたように見えたのに、
今はもうお得意の『悪癖』のことで頭がいっぱいになっている。本当に良く分からない娘だな――そう思いながら。














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