9.『福沢祐巳』らしく










学園祭の前日、それも最後の練習となり、祐巳はシンデレラと姉Bの両方を何一つ間違えることなく演じてみせた。
祐巳のシンデレラの評価は上々で、薔薇様達はシンデレラが祐巳になるか祥子になるかを嬉々として話していた。
そのことに祐巳は何を今更というのが本心だった。シンデレラを演じるのは祥子で確定なのだ。
最早それは間違いない。たとえ祐巳が賭けに負けようとも祥子はシンデレラを演じてみせるだろう。
祐巳の前で『逃げない』と誓った。あの強情で意地っ張りな祥子様なら、きっと有言実行してみせる筈だ。

「お疲れ祐巳ちゃん。祐巳ちゃんのシンデレラもなかなかどうして様になってるじゃない。
 祐巳ちゃんが演じるシンデレラはコメディ風になるかと思ってたら、いやいや、祥子に負けず劣らず本格的だね」

「聖様」

椅子に座って休んでいた祐巳に、聖が話しかける。
何か用ですか、とそっけない対応の祐巳に、聖は苦笑を浮かべる。

「いや、特に用はないけどね。今日は祐巳ちゃん、ずっと祥子を視線で追ってたじゃない?
 祥子が祐巳ちゃんのことを見てるのはいつものことだけど、もしかして何かあったのかなあ〜って」

成る程。伊達に志摩子さんの姉をしている訳ではないと祐巳は感心した。
どうやら聖は自分の祥子に対する気持ちの変化に気付いているらしい。
少し迷ったが、祐巳は正直に話すことにした。別段隠すようなことでもないのだから。

「何ていうか・・・祥子様って私にとってどういう存在なのかなあと思いまして」

「へえ・・・面白いことを言うね、祐巳ちゃんは。
 祥子は祐巳ちゃんの姉候補で、祐巳ちゃんの大切な宝石なんじゃないの?」

「その筈だったんですが・・・何か違うような気がしまして。
 祥子様見てると、欲情は常にしてるんですが、それ以上になんていうか・・・放っておけないといいますか。
 私、なんか変ですね・・・って、何笑ってるんですか。というか何ですかこの手は」

悩む祐巳に聖は楽しそうに微笑んでいた。そして、祐巳の頭にポンポンと手を乗せる。
最初は嫌がっていた祐巳だったが、聖が止めそうになかったので仕方無しに受け入れた。

「祐巳ちゃんってさ、変なところで純情だよね」

「は?」

聖の言葉に祐巳は一瞬本気で耳が壊れたかと錯覚した。
志摩子さんや祥子様ならともかく、他ならぬこの福沢祐巳が純情などと誰が表現するというのか。
自分が純情なら、今まで自分が手を出してきた女の子は聖女、志摩子に至ってはそれこそマリア様だ。
怪訝そうな表情を浮かべる祐巳を聖はおもむろに抱きしめた。

「らしくないよ、祐巳ちゃん。祥子が祐巳ちゃんにとってどんな存在かなんてどうでもいいじゃない。
 祐巳ちゃんは祐巳ちゃんらしく自分の感情の赴くままに祥子に接してあげればいいのさ」

らしくない。その言葉が祐巳の心に波紋を呼び起こした。
確かにらしくない。こんなのは福沢祐巳らしくない。こんな風にたった一人の女の子に思考を振り回されるなんて
ちっとも福沢祐巳らしくない。志摩子の時とは違い、今は心に余裕があるにも関わらず、だ。

「祐巳ちゃんさ、志摩子以外の女の子を心の境界線内に入れたことないでしょ。本当に心を許したことないでしょ。
 だから今、祥子の存在が自分の中で大きくなっていってることに戸惑ったりしてるんじゃない?
 心を許されることには慣れていても、心を許すことに関してはまだまだ初心って訳」

「・・・なんか、聖様に言われると凄く納得いかないんですけど。
 全力で否定したい気持ちしか出てきませんが」

「そう?他ならぬ私だからこそ言えるんだと思うけどなあ。蓉子でも祥子でも志摩子でもない、この私だからこそね。
 それにしてもホントに祐巳ちゃんは可愛いなあ。完成されているようでまだまだ未完成なところが堪らないね。
 そのアンバランスさが女の子達を惹きつけるんだろうなあ。あ、勿論可愛い容姿とのギャップもだろうけど」

聖の言葉の意味はイマイチ掴めないが、とりあえず、今現在は良い玩具にされてることだけは良く分かった。
祐巳は軽く視線を逸らし、志摩子の方へと向ける。『志摩子さん、助けて』と。
その視線に気付いた志摩子は真っ直ぐに聖の方へと近寄っていった。

「お姉様、一体何をされているのですか。祐巳さんが嫌がってます」

「げっ、志摩子。ちょっと祐巳ちゃん、志摩子を呼ぶのは卑怯じゃない?」

「お姫様がピンチになったら白馬に乗った王子様が助けに来てくれるものなんですよ。
 ご存知ありませんでした?」

緩んだ聖の腕の中から脱出し、志摩子の背後に回り込んで祐巳は舌を出して笑ってみせる。
――確かに、聖の言う通りだった。祐巳は志摩子以外に本当の意味で心を許した女の子はいなかった。
女の子を手に入れるとき、祐巳は本当の意味で相手に『好意』を抱いている訳ではなかった。
それも当然のことだ。祐巳は気持ちは貰っていても、差し出して等いなかったのだから。
欲しいから手に入れる。それはモノを欲しがる子供と同じ。そこに欲望以外の感情の入る余地などありはしない。
祐巳にとって女の子を手にすることは、詰まる所そういうことだった。彼女は常に自分の欲望に忠実に動いていた。
その祐巳の在り方の前提を祥子はひっくり返そうとしている。志摩子とはまた違う、『特別』になろうとしている。
祐巳の経験則に則らない祥子だからこそ迷った。だからこそ戸惑った。だが、それは。

「・・・らしくない、よね」

「祐巳さん?」

志摩子に笑って首を振り、視線を逸らした祐巳だが、山百合会の他の人たちが少し騒がしい状態になっていることに気付く。
聞こえてくる話を総合すると、どうやら祥子と柏木がいつの間にかいなくなっているらしい。
特に祥子に至っては、先ほど保健室に向かうと言っていたのに、保健室はもぬけのからだった。
そのことに、祐巳は自分の胸の中で嫌な高鳴りを感じた。祥子一人いないのなら何も言わないが、
柏木も同時にいないのはおかしい。祐巳と同じ意見だったのか、聖も苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
ならばこんなところでノンビリしている場合ではない。祐巳は体育館の外へ向かおうとした。

「祥子を探しにいくの?」

「ええ。祥子様は具合が悪くて倒れてらっしゃるのかもしれませんし、
 柏木さんは道に迷っているのかもしれませんから」

行為の正当化。祐巳はあっさりその場の全員を動く為の理由付けを行った。
祐巳の意図に気付いた聖は笑い、『それじゃあ全員で探すしかないね』と蓉子達に伝える。
祐巳の行動が山百合会を動かす。祐巳の一言が山百合会を結束させる。その様子を見て、聖は苦笑していた。
柄じゃないけれど、蓉子の見立ては確かに間違っていない。この娘は将来、間違いなく山百合会を背負っていくだろう。
人を惹きつける魅力とカリスマを兼ね備え、これでまだ一年生なのだから恐れ入る。
この娘が成長したとき、一体どれほどの女になるのか。聖は祐巳と同じ学年でなかったことを少しだけ残念に思った。
















 ・・・
















マリア様の小さな庭のところで、前方から祥子の悲鳴が聞こえ、祐巳達は我先にと駆け出した。
その先には祥子が柏木に手首を捕まれ、もがいているという、とても穏便には済ませられないシーンが流れていた。

「柏木!!祥子から手を離せ!!」

聖の怒声によるものか、人が集ってきた理由によるものかは分からないが、柏木はすんなり祥子を手放した。
祥子は柏木を振り払うように距離を取った。

「どういうことか説明してもらおうじゃない、柏木さん」

蓉子の言葉を皮切りに、山百合会のメンバーは祥子と柏木を取り囲むようにように輪を作った。
だが、そんな中で祐巳は一歩も動かなかった。ただじっと柏木の方を見つめていた。

「よりにもよって、マリア様の前で、よくも恥ずかしい真似ができたものね」

「説明なんて聞かなくていいわよ。痴漢の現行犯なんだから、警察に引き渡せばいいの」

「賛成。申し開きがあるなら警察ですればいいわ」

「ちょっと待った、僕の話も聞いてくれ!」

「問答無用。祐巳ちゃん、守衛さん呼んできて」

白薔薇の言葉にも祐巳は全く反応しなかった。
祐巳の視線は今も変わらず柏木だけしか捕えていない。

「祐巳さん・・・」

「・・・大丈夫だから」

不安そうな志摩子に祐巳は言い聞かせながらも、視線はあくまで柏木から離さない。
この男は一体何をした。自分にとって特別な存在となりつつある女性に何をしようとした。
そして、祐巳はようやく視線をその女性――祥子の方へと向ける。
祥子は柏木が警察に連れて行かれることを望んでいない。顔に見事にそう書かれている。
何故この男を庇うのか。この男が想いを寄せている相手だからか。そんな顔をされては、どうしようもないではないか。

「私は行きませんよ。柏木さんが警察に連れて行かれると、祥子様が悲しみますから」

「分かるの・・・?」

祥子の言葉に、祐巳は唇を噛み締めた。己の感情が上手く処理できない。
祥子が柏木を庇うことが面白くない。けれど、祥子を悲しませることはもっと面白くない。
らしくない。本当にらしくない。こんな自分に腹が立つ。こんな感情は祐巳は初めてだった。

何故柏木を突き出さないのかと問い詰める山百合会メンバーに祥子は事情を説明した。
柏木が従兄であること。そして、柏木が婚約者であること。それを聞いて、メンバーは唖然とするしかなかった。

「だから警察沙汰はちょっと困るな。僕達は結婚を言い交わした仲なのだから、手ぐらい握るし」

柏木が祥子の手をとったとき、祐巳の中で一つ何かが弾ける音がした。
祥子と柏木が婚約者。なるほど、それなら祥子の柏木への想いは合点がいく。自分は祥子の想いに気付いているのだ。
祥子は『本当』の意味で『柏木のモノ』なのだ。

「肩だって抱くし」

柏木が祥子の肩に手をかけたとき、祐巳の中で更にまた一つ何かが弾ける音がした。
嫉妬。激しい嫉妬。自分は嫉妬している。あの祥子を手に入れている柏木に対して。
唯の『宝石』なんかではない、『小笠原祥子』の身も心もその手に掴んだ柏木に対して。
ああ、面白くない。どうしてこんなにも面白くないのか。理由は簡単だ。それは自分が『福沢祐巳』らしくないから。
こんな風に柏木に嫉妬しながら指を咥えて今の光景を眺めているのが『福沢祐巳』なのか。
祥子との距離感に戸惑って踏み込むことに怯えているのが『福沢祐巳』なのか。
らしくない。こんなの全然福沢祐巳らしくない。ならば、『福沢祐巳』らしくとは何か。
――瞬間、祐巳は笑った。そんなもの、とうの昔に答えは出ている。

「キスだって」

柏木の言葉を皮切りに、祐巳は二人の方へと駆け出した。
――迷う必要などなかった。戸惑う必要などなかった。自分はただ、『福沢祐巳』を貫けば良かったのだ。
祥子と出会ってから、一度たりとも変わらなかった福沢祐巳の初志。それは『祥子が欲しい』ということ。
嫉妬するなど福沢祐巳たりえない。自分は常に嫉妬させる立場。
祥子の背中を見つめるだけなど福沢祐巳たりえない。自分は常に先を歩く立場。
祥子の柏木への想いを考慮するなどまさしく愚の骨頂。そんなモノは自分の祥子への想いと何ら関係ない。
欲望のままに、本能のままに動くこと。ありのままの自分らしくあること。常に『福沢祐巳』でいること。


そして、この光景を黙って指を咥えてみていることなど、『福沢祐巳』の在り方に反する。

祥子に心を許してる自分がいるのは真実。祥子に心惹かれてる自分がいるのは真実。
祥子への自分の気持ちは未だに答えを得られていない。自分にとって祥子がどんな存在なのかも分からない。
だが、そんなモノは後からついてきた結果として答えを得られれば良い。今大切なことは唯一つ。







――小笠原祥子は、他の誰でもない、この福沢祐巳が手に入れるということ。








「んなっ!?」

それは一体誰の声だったのだろうか。柏木だったのかもしれないし、聖だったのかもしれない。
はたまた、らしからぬ祥子や蓉子の声だったのかもしれない。だが、その驚きの声は確かにその場に響き渡った。
しかし、それも当然かもしれない。祐巳が柏木の元に駆け出し、彼に近づいたと思った瞬間、
柏木のいた場所に蹴りを繰り出したのだから。それも祐巳の身体からは想像も出来ない程に鋭く、ムチのようにしなる蹴りを。
その突然の祐巳の蹴りを柏木は何とか避けたが、その表情に驚きは隠せない。
当然だ。誰がお嬢様学校であるリリアンの女子生徒、それも下級生からそのようなことをされると予想が出来ようか。
それは山百合会の他のメンバーも同じだったようで、誰一人言葉を発せずにただ祐巳を見つめていた。
周囲の張り付いた空気を気にすることも無く、祐巳は微笑みながら祥子に近づく。
何が起こったのか現状に全くついていけない祥子は、柏木に向けていた冷たい瞳をゆっくりと軟化させていく。
驚きに包まれ、自覚は出来ていないかもしれないが、祐巳の行動によって祥子の瞳は確かに安堵に包まれていった。

「どういうつもりだい。福沢祐巳ちゃん、だったかな」

「どういうつもりも何も」

柏木の言葉に答えながら、祐巳は祥子をそっと抱きしめる。
祥子の身体は震えていた。その震えをゆっくりと取り除く為に、祐巳は強く祥子を抱きしめる。
祥子の震えを共有できるように。祥子の不安を雲散させる為に。そして、祥子の身体から震えが止まった。
そして、祐巳は祥子を抱きしめたままで柏木の方を振り返り、笑ってみせる。
それは彼女らしい子悪魔のような微笑。彼女が『福沢祐巳』たりえる魔性の証明。

「祥子様は私の『大切な人』なんですから、勝手に触らないで下さい」

「・・・あのさ、話を聞いてなかったのかい?さっちゃんと僕は婚約者だから・・・」

「祥子様は柏木さんのモノですか?あはっ、そうなんですか。
 それじゃ・・・」

祐巳は祥子を少し強引に自分の元へと引き寄せ、祥子に口付けを交わした。
祐巳の行動に、柏木どころか山百合会のメンバー全員が声を上げた。驚き、感嘆、色とりどりの喚声を。
二度目の為、ある程度彼女の行動を予測できていたのか、祐巳の行動に祥子は一切抵抗することはしなかった。
ただ、口付けを交わす瞬間、祥子が何故か微笑んでいたような、そんな気がした。
唇を離し、祐巳は柏木へと向き直って告げる。その笑みはどこまでも真っ直ぐで、そして彼女らしい笑顔だった。

「祥子様を貴方から奪わせて頂きます。それではごきげんよう」

柏木に一礼をし、祐巳は祥子の手を引いてその場から去っていった。
呆然と祐巳を見つめていた柏木だが、我に帰って二人を追おうとするが、それは叶わなかった。
彼の右肩を聖が、左肩を蓉子が掴み、彼の足を止めさせたのだ。

「後輩が失礼いたしました。リリアンの生徒らしからぬ行動を見せてしまい、
 柏木さんには謝罪の一つでもしませんと申し訳が立ちませんわ。そういう訳で、今から謝罪の意味も込めて
 薔薇の館へと案内させて下さい」

「いや〜、流石は祐巳ちゃん、やってくれるねえ。やっぱりあの娘はああじゃないとね。
 諦めなよ、柏木。祥子はもうアンタじゃ無理だ」

二人の言葉に、祥子達を追うことを不可能だと悟った柏木は一つ大きな溜息をついた。
そして、蓉子に口を開いた。彼の眼光に未だ焼きついているのは、小さな少女の妖艶な微笑み。

「・・・福沢祐巳ちゃん、彼女は一体何者なんだい?」

柏木の素の言葉を聞き、蓉子もまた紅薔薇の立場という仮面を脱ぎ捨てて柏木の質問に答える。

「祥子の妹候補で、私の将来の孫ってところかしら。近い将来、山百合会・・・いえ、リリアンを背負っていく女の子よ」

「福沢祐巳ちゃん、か・・・」

柏木の呟きに、聖は少しだけ眉を顰めた。
もしかしたら、また一つここに厄介な問題が生じてしまったかもしれないと。それも祥子以上の問題が。














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