2.桜舞うオーヴァーチュア










お馴染薔薇の館ニ階。今日は全員が集まり、四時から新入生歓迎会に関する話し合いが行われる予定だった。
だったと過去形で表現するのは、その会議が既に終わってしまったからではない。
もうすぐ時間になるというのに、メンバーが集りきっていない為、話し合いが出来るかどうか確定してないからだ。
もしこのままメンバーが集らなければ話し合いが出来る筈も無く。だからこそ、行われる予定『だった』のだ。
メンバーの中で一体誰が遅刻しそうなのか。そんなのは今更言うまでも無い。
椅子に座ってイライラしている紅薔薇様、小笠原祥子の様子を見ていれば。

「祥子、落ち着きなよ。まだ祐巳ちゃんが遅刻するって決まった訳じゃないし」

「するわ。断言する。このままだと祐巳は絶対遅刻すると私に言っているの」

「何が祥子にそんなこと言ってるのよ・・・」

「姉の勘よ」

取り付く島も無い程にイライラしてるのか、令のフォローすら祥子は受け入れない。
やれやれと言いながら溜息をつく姉を見ながら、由乃と志摩子は祥子とは反対に少しも慌てることはなかった。
否。恐らくこの場でこんなにも祐巳の遅刻に過敏反応しているのは祥子だけだろう。みんなは今更何を、という感じなのだ。
現に静にいたっては呑気に紅茶を飲みながら文庫小説をお読みになっていらっしゃる。
この余裕ぶりには流石に何か思うところがあったらしく、祥子はじと目で静かに抗議をした。
その視線に気付いた静は、微笑を浮かべながら文庫小説の間に栞を挟んで机の上に置いた。

「あの、祥子様。
 祐巳さんの遅刻なんていつもの事なんですから、そんなに気にしなくても」

「駄目よ由乃ちゃん。いい、あの娘は私の妹なのよ。そして私はあの娘の姉なの。
 姉は妹を躾け、導いてあげなければならないの。二年生にもなったのだから、遅刻なんて言語道断よ」

「お姉様は三年生になっても堂々と遅刻されてましたが・・・」

「白薔薇は白薔薇、紅薔薇は紅薔薇よ。私の祐巳を聖様と一緒にしないで頂戴。
 今までは私が甘やかし過ぎたせいでこんな状態になってしまったけど、今日からは違うわ。
 まず手始めに祐巳の遅刻を無くす事、それがキッカケとなり、少しずつ改善していくの」

祥子の誓いに一同は溜息をつく。それは一体何度目の決意だろうか、と。
一同が呆れるのも無理は無い。こうやって一週間に一度くらいのペースで祥子はこんな決意をするのだ。
そしていざ祐巳に説教を始めると、祐巳に振り回され、気付けば祐巳のペースとなり、うやむやにされる。
祥子も祥子で祐巳にキスの一つや二つで思いっきり誤魔化される時点で、駄目駄目なのだけれど。
それでも今日はいつもよりどうも覚悟が固いらしい。不思議に思った一同だが、代表して由乃が口を開く。

「あの、今日はいつもより決心が固いように思われますが、一体何かあったのですか?」

「あったのよ!!いいこと?貴女達も知ってるように祐巳は凄く良い娘なのよ?
 確かに遅刻もするし、気分屋だし、破廉恥なところも否めないわ。
 だけど、それを有り余って溢れる魅力があるの。心を捕えて離さない魅力があるの。
 あの娘は私達の心に優しく入り込んでくれて、笑ってくれるのよ。祐巳は私達に元気をくれるの。違って?」

祥子の演説に一同は頷いて同意する。祥子の言う通り、祐巳には魅力がある。
だからこそ、この場の誰もが祐巳に惹かれたのだし、彼女の事を誰も悪く言わないのだ。

「そうよ、祐巳は誰にも負けないくらい最高の妹なの。
 そんな妹が『どうしてこんな方が祥子お姉様の妹なんですか』なんて言われたのよ!?
 悔しいじゃない!何の為に私は瞳子ちゃんを薔薇の館に連れて行ったと思うの!?」

「いや、実際問題瞳子ちゃんを何の為に連れてきたんですか祥子様は。
 そのおかげで先日は私の胃がストレスで本気でヤバイことになりかけたのですが」

「勿論瞳子ちゃんに祐巳を自慢するためよ!私の妹はこんなにも最高の娘だって!
 瞳子ちゃんが私の妹はどんな人かって以前何度も尋ねてきた度に、私はいつも瞳子ちゃんに
 『実際にあってみたら分かるわ。瞳子ちゃんも惹かれる程に私の妹は最高の娘よ』って言ってきたのよ!
 それなのに、瞳子ちゃんから帰り際に言われた一言は『祥子お姉様の嘘つき』よ!?どうなのよ!?」

祥子の一言に由乃は本気で思った。リアルで思った。『駄目だコイツ。本気で何とかしないと』、と。
何のことはない。祥子は瞳子に自分の妹の事をあれこれ言われたのが気に食わないのだ。
かといって反論しようにも、瞳子の前で見せた祐巳の姿だけだと反論出来る筈も無い。
だから祥子は瞳子の前で格好良い祐巳を見せたいが為に祐巳の教育という固い決心をしたのだ。
この姿を紅薔薇に憧れている多くの生徒達が見たら一体どうなるのだろう。そんな妹馬鹿な祥子を、
由乃は溜息をつきながら眺めていた。・・・まあ、自分も人の事は言えないのだが。だから祥子に同意してあげようと思った。

「祥子様の妹自慢はどうでもいいんですが、
 瞳子ちゃんに祐巳さんの格好良いところを見せてあげたいというのは私も同意ですね。
 今の瞳子ちゃんは昔の自分を見ているようでどうも気に食わないですから」

「ああ、あったねえ由乃にもそんな頃が。何だっけ?
 『祐巳さんは人間的に信用できない。私は絶対に祐巳さんと友達になったりしない』だっけ?」

「〜〜〜!!!令ちゃんの馬鹿っ!!!何つまんないこと思い出してるのよ!!」

「えええっ!?だ、だって最初に話題にしたのは由乃じゃ・・・」

「うっさいヘタレ!!問答無用っ!!!」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ黄薔薇姉妹を祥子は思いっきりこれ以上ないくらい美しく無視して、視線を志摩子へと移す。
当の志摩子は静と何やら談笑していた。どうやら祐巳の話題で盛り上がっているらしい。

「志摩子」

「はい、何でしょうか」

「もうすぐ会議が始まりそうだから祐巳を呼んで来なさい。
 貴女なら祐巳の居場所が分かるでしょ。この続きは本人が来てからよ」

さも当然のよう告げられた祥子の言葉に志摩子は微笑みながら頷き、祐巳を探す為に部屋から出て行った。
疲れたような表情を浮かべる祥子に、静が笑いながら口を開いた。

「溺愛してるわね。祐巳ちゃんのこと」

「当然でしょう。祐巳は私の大事な妹なのだから」

「成る程ね。私は姉妹がいないから少し難しい感覚だけど。
 でも、祐巳ちゃんも妹が出来たらそんな感じになるのかしらね」

「・・・祐巳に妹なんてまだ早いわ」

憮然とした表情で呟く祥子を見て、静は苦笑する。
カタチすら見えていない未来の妹に嫉妬するようでは、紅薔薇様もまだまだだと。
どうやら祥子様の妹離れはまだまだ先の事となりそうだ。





















 ・・・



















ただ、桜が見たかった。二条乃梨子がこの場所に訪れた理由はそんな軽い気持ちだった。
すぐに帰宅をすると、下校ラッシュに巻き込まれると考えた為に少し校内で時間を潰そうと乃梨子は考えた。
そして、いざ何処に行こうかと考えたときに思いついた場所が入学式の時に見た大きな染井吉野。
そんな小さな理由。本当に小さな気まぐれ。だが、その気まぐれが無ければこの出会いは絶対にありえなかった。

――桜の木の下のマリア様。
ただ、美しいと思った。優しく吹く春風が桜と共に彼女の肩まで伸びた髪を揺らして。
その光景にただただ心を奪われるしか乃梨子は出来なかった。
乃梨子に気付いたのか、マリア様は桜を見上げるのを止め、微笑を浮かべて乃梨子に言った。

「ごきげんよう」

「・・・ご、ごきげんよう」

突然の挨拶に、乃梨子は思わずたどたどしい挨拶を返してしまった。
乃梨子を見て優しく微笑む少女。マリア様かと錯覚した少女は、乃梨子と同じ制服を着ており、
当然ではあるがこの学園の生徒のようだった。ただ、彼女の纏う空気の神聖さに乃梨子は呼吸することも忘れそうになる。
そんな乃梨子に、少女は微笑を絶やすことなく言葉を続ける。

「桜がね、見たかったんだ」

「え・・・」

「そう、桜。綺麗でしょ?今日の昼休みにふと桜が見たくなっちゃってね。
 それでこうして来てみた訳なんだけど・・・ふふ、やっぱり来て良かったよ」

その少女の言葉に、乃梨子ははぁ、となあなあの返事を返すことしか出来なかった。
乃梨子とて桜を見にこの場所に来たのだが、今は桜よりも目の前の少女の事で頭がいっぱいだった。
外見からは同級生にも見えるが、その落ち着きから乃梨子は目の前の少女が上級生なのではないかと考えていた。
一体この人は何者なのだろう。この時、乃梨子は初めてこの学園で他人の事を知りたいと思った。

「面白い瞳をしてるね」

「瞳、ですか?」

「そう、瞳」

少女の呟きに、乃梨子は思わず目を瞬かせる。
十数年生きてきたが、初めてあったばかりの人に瞳がどうだと言われたのは初めてだった。
どういう意味だろうと首を傾げる乃梨子に、少女は楽しそうに微笑んで口を開く。

「懐かしい瞳だよ。出会ったばかりの頃の志摩子さんがいつもそんな瞳をしていたもの。
 この場所に自分の居場所は無いって思ってる、自分自身を縛ろうとしてる人の瞳だよ」

心臓を掴れた、そう錯覚を起こすほどに乃梨子は動揺した。
出会ったばかりの少女が言った言葉が、どうしようもないくらい的を射ていたからだ。
この学園には乃梨子の心を動かすものなど何もなかった。仏像趣味の自分がマリア様に一体何を求めるというのだろう。
だから、この学園生活は三年後の受験の為と割り切っていこうと考えていた。
この学園は、自分の知っている世界と大きくかけ離れたモノなのだから。居場所など、求めることすら考えなかった。
言葉を失したままの乃梨子に、少女は軽く息をついて乃梨子に告げた。

「・・・駄目だね。最近どうもお節介が過ぎるみたい。私はそういうキャラじゃないって言うのに。
 それもこれもみんなが可愛い過ぎるからいけないんだよ。全く、こっちの身にもなって欲しいよね」

困ったね、と笑う少女に乃梨子は言ってることの意味がサッパリ分からない為、何も反応することが出来なかった。
返事なんか最初から期待していなかったのか、桜の木の下から乃梨子の方へと歩み寄ってくる。

「貴女、一年生?それも外部受験組かな?」

「あ・・・はい。でも、どうして・・・」

乃梨子の質問にその少女はただただ微笑むだけで答えることはしなかった。
自分のことを何も話してないのに、目の前の少女は次々に自分の事を言い当てる。
それがどうしようもなく不思議で、らしくもないが乃梨子にはその少女がまるで魔法使いのようにすら思えた。

「押しつぶされないようにね、可愛い一年生さん。
 この学園はきっと、外部の人間には色々と大変だと思うから。自分をしっかり持たなきゃ駄目だよ。
 そうだね・・・困ったときは私を探しなよ。可愛いし貴女になら力になってあげてもいいかな」

そう言って乃梨子の頭を優しく一撫でして、その少女は『じゃあね』と告げて乃梨子の横を通り過ぎていった。
『ごきげんよう』ではなく、『じゃあね』。それは乃梨子がこの学園で初めて聞いた別れの挨拶だった。
数ヶ月前の自分がいた日常に溢れていた挨拶。だけど、この学園に来て失われてしまったモノ。
気付けば乃梨子は振り返り、その少女に口を開いていた。頭で考えた訳ではない。だが、口が勝手に動いてしまったのだ。
知りたかった。その少女の名前などではない。それよりももっと、大切なことが。

「初めて会ったばかりの私にどうして・・・どうしてそんなことを言ってくれるんですか」

ただ、知りたかった。この学園で唯一、乃梨子の心に触れた少女。
その少女が自分に色々なことを話してくれる理由が。たった今、出会ったばかりで互いに自己紹介もしていない自分に。
その少女は振り返り、クスリと笑った。セミロングの彼女の髪が風に舞って美しくたなびく。

「言ったでしょう?貴女が可愛いからだって。私は常に自分と可愛い女の子の味方だもん」

唖然とする乃梨子に微笑を浮かべたままで、その少女は『じゃあまたね』と言い残して今度こそ去っていった。
少女が消えた後で、乃梨子はただただ呆然とその少女が去っていった方向を見つめることしか出来なかった。
彼女の答えは明らかに乃梨子の質問をはぐらかしていた。だけど、乃梨子は何故かそのことに全く不快感を感じなかった。
現世に現れたマリア様は、どうやら少し変わり者らしい。そんなことを考えて、乃梨子は思わず笑ってしまう。

「力になる、か・・・また会えるかな」

この学園は広い。あの少女の学年も名前も知らない。きっと、再会するのはとても大変なことだろう。
だけど、乃梨子は思うのだ。あんな人が他にもいるのなら、この学園生活もそれほど悲観する必要はないのではないかと。
この生活に絶望するのはもう少し待ってみよう。そうすればまた会えるかもしれない。あの変わり者のマリア様に。

「あら・・・?ここだと思ったのだけれど・・・」

ふと声が聞こえ、乃梨子は視線をそちらの方に向けた。
そこには先ほどとは別の少女が立っていた。ぬけるように色白で、人並み外れて整った顔立ちをしている少女。
それは本当に綺麗な少女で。乃梨子は自分のボキャブラリーの無さに思わず唇を噛み締めたくなる。
きっと目の前の少女の綺麗は、その辺の凡百の綺麗では表せない美しさなのだろう。
先ほどの少女が太陽の美しさなら、この少女は月のような美しさを醸し出している。
きっと二人が身に纏っている雰囲気の違いなのだろう。人を惹きつける花と人を惹き寄せる花。

「あら・・・ごきげんよう」

その少女は乃梨子に気付いたのか優しく微笑んだ。それはまさしく柔和で何もかもを包み込むような微笑。
それはまさしく母性に溢れていて。どうしたらあの歳であのような空気を纏えるのだろうと乃梨子は思った。
先ほどの少女といい、どうやらリリアンには自分の物差しでは考えられない女性が沢山いるようだと乃梨子は苦笑した。

「ごきげんよう。・・・何かお探しものですか?」

「ええ、探し物というより探し人なのだけれど。
 女の子を見なかった?こう、身長はこれくらいで髪型がこう二つに分かれていて・・・」

身振り手振りで伝えようとするその少女に、乃梨子は思わず笑ってしまう。
その少女が何とも必死で、それでいて大人びて美しい容姿との何たるミスマッチなことか。
だが、その少女の言う女の子は乃梨子の記憶に無かった。先ほどの少女と身長こそ一致しているが、
彼女の言う少女は所謂ツインテール。しかし、先ほど自分が会った少女は髪をセミロングに下ろしていたのだから。

「残念ですが、私は会っていません。
 ツインテールをしてる女の子はそう多くないので、目に入ったらそうそう忘れることはないと思いますし」

「そう・・・困ったわね。祐巳さん、昼休みに桜が見たいって言っていたから、ここだと思ったのだけれど・・・」

「・・・昼休み?桜が見たい?」

その言葉に乃梨子は何か引っかかりを覚えた。そして、すぐにそれが何かを思い出す。
何のことは無い。それはまさに先ほどの少女が自分に言っていた言葉ではないか。
髪型こそ違うが、もしかしなくともこの少女が探している人は先ほど会った少女なのではないだろうか。
そう思った乃梨子は、目の前で首を傾げる少女に口を開いた。

「あの、先ほどまでここに一人の女子生徒がいて、その方と私お話していたのですが・・・
 その方も『昼休みに桜が見たくなったからここに来た』と言ってましたし、もしかしたらその方かもしれません。
 ただ、その方は髪型がツインテールじゃなくて、髪を下ろしてましたけど」

「髪を下ろしていた・・・ああ、そういえば」

何かを思い出したように、目の前の少女はポンと掌を合わせて笑顔を浮かべた。

「ありがとう。きっとその人が私の探していた人だわ。やっぱり祐巳さん、ここに来ていたのね。
 その人がどちらに行ったか教えて頂けるかしら」

「えっと、あっちの方に」

「ありがとう」

乃梨子が少女の消えた歩行に指をさすと、
目の前の少女は乃梨子にお礼を告げてその方向へと去っていった。
再び消えた少女の背中を見つめながら、乃梨子は思う。どうやら太陽の女神と月の女神は仲が良いらしい。
この広い学園で、たった数分だったけれど、あんな綺麗な人達と話すことが出来たのだ。
乃梨子は笑う。どうやら自分も少しずつこのリリアンに染まっているらしい。綺麗な人と話せたことに歓喜するなんて。
きっと、これからの学園生活でこんなことは二度とないだろう。だから、乃梨子は柄にも無く思うのだ。
今日くらいは仏像ではなく、リリアンの学生らしくマリア像に感謝してもいいのではないだろうか、と。


















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