それは舞い散る桜のように
〜another story〜



4月9日(火)


委員長は誰?





新学期の二日目の放課後のこと。
新しい教室では舞人をはじめとして、数人が集まって何やら会議をしていた。

「だから!ぷじゃけるなっつーの!!何が悲しくて再び鬼浅間率いる問題児クラスのリーダーなんぞしなきゃならんのだ!!
 俺の怒りは頂点を突き抜けて星が瞬く宇宙へとロケットダイブしますよ?」

舞人が声を荒げて何かを拒否すると、横にいたはるかが面倒くさそうに答える。

「いいじゃない、問題児筆頭。あんたどーせ去年もそんな風に反抗して結局やったんでしょ。
 じゃあ今年もやれて超ラッキーじゃない」

「はあああ?おい眼鏡、言っていい事と悪いことがあるだろ!!
 去年は陰湿な釣り目に何度俺の功績を横取りされたことか・・・」

「や、別にさくっちからありもしない手柄なんて取った覚えないから」

「うんうん、さくっちは全然仕事しないからね〜。八重ちゃん大変だったんだよ」

「確かに八重樫さんはめんどくさそうに仕事してたけど、お前がしてるとこ見たことが無いな」

舞人の言葉に去年からのクラスメートが次々と反論を唱える。初めから彼の味方は誰一人いなかったのだが。

「おいおい、言うに事欠いて仕事をしてないだと?
 俺には学級目標を決めたという最高の功績があるじゃないか、キミタチ」

「『適当に生きるな』だっけ?あんた本当に文芸部の部長なんでしょうね・・・センス疑うわ」

「なんですって!?八重樫、そこの馬鹿眼鏡にガツンと言ってやれ!
 今俺達は一年間苦楽を共にした仲間である文章を馬鹿にされたんだぞ!!」

「や、普通に誰だってそう思うから。良いと思ってるのさくっちと浅間ちゃんだけだよ」

「ぐぬぬぬぬ・・・。まあ、そんなことはどうでもいい!
 大体今日のクラス委員長決めで何故俺にしか男子に票が入ってないんだ!
 これをイジメと言わずしてなんというのか!NO!イジメ、駄目!絶対!!」

「俺にも入っていたじゃないか、一票」

「馬鹿モノ!それは俺が今度は貴様に雑務を味わわせてやろうと
 去年の一年間の恨みを込めた魂120パーセント配合の投票だっつーの!!
 ということはお前らみんなで票を俺に入れたに決まってるだろう!」

「あー、もううるさい!あんたは決定なの!!今決めてるのは女子の方よ!
 私と希望とつばさに票が割れちゃったからわざわざ放課後にまで残ってるんでしょうが!」

新学期初めの決め事のクラス委員長決めで例年通り浅間のクラスは荒れに荒れていた。
男子はすんなりと舞人の一人勝ち(嬉しくはなさそうだが)だったが女子の票が分かれていたからだ。
学園のヒロインである星崎希望。器用に何事もこなす八重樫つばさ。肝が据わっていて何事にも動じない結城はるか。
容姿も三人共に良いと言い切れるほどで、男子の熱狂的なファンがついているので
その水面下の投票争いは激しいものだったのだが当の本人たちが知るよしも無い。
結局、浅間が「お前らの自主性に任せる」と言ってその場は解決したが放課後にそのつけが回ってきたということである。

「ねえ、思い切って舞人に決めてもらうってのはどう?」

「「「ええ〜〜」」」

山彦の言葉に全員が否定的な声をあげる。

「ふふん、山彦君、君は今とてつもなくいいことを言ったよ。
 やはり委員長というクラスの雑用を共にやっていくパートナーは
 同じ境遇をもつ俺自身が決めなくてはならんな。いやはや、運命とはかくも恐ろしいものよな」

「じゃあ、くじ引きって案で決定ね」

「ああ!待て、釣り目!お前俺が決めるって言ってるそばから無視するな!」

「じゃあ、当たりを引いた人がさくっちと一年間死のマラソンに付き合うってことで」

舞人の罵声を無視してつばさはノートの切れ端でくじを三つ作る。
インチキが無いように番号を書いたり、紙を折ったりの作業は山彦に任せた。

「じゃあ、みんな順番に引いてってくれ」

山彦の手の中のくじを希望、つばさ、はるかの順に引いていく。
みんなが取り終えた後に一斉に開封した。

「あ、セーフだ」

まずはじめに声をあげたのは希望だった。
舞人の顔に少し不安の色がよぎる。
彼女こそ舞人が望んでいた仕事を押し付けられる最高のパートナーだったのだが。

「はい、セーフ。悪いね、さくっち」

次に声をあげたのはつばさだった。
舞人は愕然とした表情でつばさの笑顔を凝視する。

「ば・・・馬鹿な・・・、ということは・・・俺のパートナーは・・・」

「私よ」

「うわあああああああ!!!!!!もう駄目だああああああああああああ!!!!!ぶぇぷ!!??」」

舞人の絶叫と同時にビシィィッっと舞人の顔面にビンタが飛ぶ。

「ふん・・・ったく。私は仕事をさぼるのを見逃したりしないからね」

「くうう・・・、俺の押し付け人生計画が・・・音を立てて壊れていってる・・・山彦ぉ」

「ちなみに俺は死んでも委員長なんてしないから。頑張れよ〜」

「じゃあ、委員長はさくっちとはるかで決まりね。じゃあ、お疲れ」

そう言って八重樫は教室をさっさと後にした。
続いて希望、山彦と出て行き、残ったのは舞人とはるかだけとなった。

「じゃあ、浅間先生に報告に行って来るからあんたはさっさと部活に行きなさい」

はるかが出て行ったあとに舞人は悲しそうに「悪夢だ・・・」と何度も呟くしか無かった。












4月12日(金)


学食戦線〜二年生タイフーン〜





午前中の授業が終わり多くの生徒は午後からの戦闘に備えるために各自栄養補給を怠らない。
家から食料を調達する者もいれば、現地調達で済ませる者もおり、その種類は多種多様だ。

そんな中、舞人は後者に属するタイプだろう。
現在さくら荘という所で一人暮らしをしているため、朝があまり強くは無い彼にとって弁当など無縁の存在だった。
よって彼が午前中の授業という名のしがらみから開放された後に放たれる、
空腹という矢から逃れるためには学食しかないということになる。
無論学校の通学途中でパンなり弁当なり買ってくることも出来るのだが
毎朝遅刻するや否やというギリギリの駆け引きを繰り広げている彼にはそれこそ無縁である。
だからこそ彼は毎月母から送られてくる仕送りを頼りに学食通いの毎日となっているのだ。

今日もいつものように舞人は学食で食事を取る事にしたのだが、今日はいつもと状況が違っていた。
普段なら出来るだけ少ない金額で済ませるためにAランチを、
少し余裕があるときでもヒレカツおふくろ定食を食べていたのだが、
今日の舞人が頼んだものの値段はそれらを遥かに凌ぐ高級コロッケ定食なのだ。
先述したが、彼の生活は母からの仕送りに大きく依存しているため、
学食で贅沢なんかしていたら死活問題になりかねない。それは舞人も重々承知していた。
しかし、何故舞人が今日こんなにも贅沢が出来るのかというと至極簡単、山彦からの奢りだからだ。
二年連続でクラス委員長になることに納得が出来ず、山彦がなるべきだ!と、
担任である浅間に抗議に向かおうとした舞人に山彦はしぶしぶ飯代一回奢りという条件で納得させた。
抗議したところで舞人が役職を変われるわけが無いと分かっていた山彦だったが、
あまりに舞人が可哀想だったので飯を奢ってやったと言い換えることもできるのだが。
そうして得た高級コロッケ定食を盆に載せて舞人は意気揚揚と事前に取っていた席に移動した。

「ふふふ、桜坂学園に入って早二年。夢にまで見た学食利用生達の憧れの『高級コロッケ定食』を
 食える日が来るとは・・・神はどうやら俺を見捨てなかったようだな」

舞人の目に映るは揚げたての輝かしいばかりの
光沢を放つ(実際には放っていないのだが彼にはそう見えるらしい)3つのコロッケ。
彼の間違ったオーラが周囲を包んでいるのをこのとき数人の生徒は見たと後に証言しているのはまた別の話。

「では・・・早速だが冷めないうちに頂くとしよう。さあ、桜坂学園が誇る高級コロッケよ!我が体の礎となるがいい!」

舞人が一つ目のコロッケに箸をつけ、いざ喰わんとしたときだった。

「すいませ〜ん!ここ、座っていいですか〜・・・って、何だ。さくっち先輩じゃないですか」

「うわわわわわわわっ!!!!」

急に声をかけられ、舞人は危うくコロッケを地面に落としそうになる。
地面すれすれのところでコロッケをキャッチしたのはひとえに彼の執念によるものだろう。

「ななななな・・・・いきなり声をかけるな馬鹿者!
 もう少しで俺の愛するコロッケちゃんが地面にファーストキスを・・・・げっ、遠野!?」

あからさまに怪訝な顔をした舞人に智里は不満そうな声をあげる。

「なんですか、げっ!ってのは。可愛い後輩に向かってその一言はあんまりじゃないですか〜。
 私の繊細なハートが痛く傷付きましたよ!」

「ふん、たわしで力いっぱい擦っても傷一つつきやしないアイアン・ハートの持ち主のくせに何を言う。
 それよりお前が何故ここにいる?」

「何故って、昼ごはん食べに来たからに決まってるじゃないですか。他に何があるんですか」

「うぐ・・・確かにそうだが・・・、まあいい。
 残念だがこのテーブルは俺が二時間目の終了時から体操着を置いて席取りをしておいたスペシャルプレイスだ。
 お前のような人生の先輩をいつも小馬鹿にするような奴に譲るものか。
 若いうちは努力して自分で空いている席を探すものだ」

「とか言ってるけど、どうする香奈?」

「め・・・迷惑なら遠慮します、ごめんなさい・・・」

智里の後ろからおずおずと申し訳なさそうに香奈が出てきた。
それを確認するや否や舞人は一転して表情を変え、そそくさとテーブルの椅子を用意する。

「いやいや、よく来たね香奈ちゃん。若いからって苦労ばかりしてると鬼浅間のように石頭になっちゃうよ?
 さあ、偶然俺のテーブルが空いているから座りなさい。
 叔父さんは君のような若者が苦労しているのを黙っていられるほど人間腐っちゃいないんだよ」

「性根は腐っちゃってますけどね。じゃあ遠慮なく」

「し、失礼します」

香奈と智里がテーブルの向かい側に座れるように、舞人は自分のトレイを少し下げる。

「あああーーーー!!!さ、さくっち先輩!!!」

「え?ど、どうしたの智里」

いきなり絶叫した友人に香奈は不思議そうに声をかける。
智里の目が自分のメニューに釘付けになっていることに舞人は気付き、微笑を浮かべてふんぞり返った。

「おいおい、別に驚く事はないだろう?この学校の学食で一番高いだけのた・だ・の・『高級コロッケ定食』じゃないか。
 お前だって食べた事くらいあるんだろう?ん?万年Aランチオンリー娘の遠野さんちの智里ちゃん!」

当てつけるかのように言い放つ舞人を智里は悔しそうに見つめていた。
舞人が述べたように、智里は学食に毎日通うには通うのだが、メニューはいつも決まってAランチ。
理由はメニューの中でも比較的安いからであり、決して彼女はAランチが好きで頼んでいる訳では無かったのだ。

「うぐぐぐぐ・・・・先輩、可愛い後輩に一切れくらいあげようなんていう気持ちはないんですか?
 私みたいな可愛い女の子に奢ってやりたいなあ、とか思ったりしないんですか?」

「ばっ、ぷじゃけるな!どこの誰が可愛いんだ誰が!
 それにこのコロッケは俺に委員長という名の重労働を押し付けた奴からの慰謝料なんだぞ?
 それをどうしてお前なんぞに食わせなきゃならんのだ!顔を洗って歯磨いて制服に着替えて出直して来いっつーの」

同情作戦は駄目だと考えた智里はすぐさま別の策を実行に移した。

「さくっち先輩、もし私達にコロッケくれたら今度の日曜日デートに付き合ってもいいですよ?
 もち、お金は先輩持ちだけど」

「えっ!?ち、智里何言ってるのよ!あ、あの、えっと、その!」

智里のとんでもない発言に香奈は一気に頬を朱に染め上げる。
文芸部が誇る『瞬間湯沸し機』は今もその能力は健在であった。
ちなみに『瞬間湯沸し機』というあだ名は智里が恥ずかしがり屋の香奈を面白がってつけた二つ名であり、
決してすぐ怒るという本来の意味からではない。
慌てふためく香奈をよそに、舞人は少しも動揺などすることがなかった。

「ありがたすぎて血の涙が出るから止めろ。
 香奈ちゃんとなら出かけて楽しいかもしれないがお前と出かけると碌な目に遭いそうに無い。
 俺の中ではお前は桜坂のトラブル・プリンセスとして認知されてるからな」

分かったら諦めろ、と加え舞人はふふんと鼻を鳴らす。

「んん〜、じゃあ、あんまりこの手は使いたくないんですけど・・・
 先輩がこの前はる先輩のカバンにしてた悪戯のことばらしますよ?」

刹那、舞人の手に持っていた箸が床に転がり落ちる。
智里の口から漏れた在り得ない一言が彼の時を止めたようだ。

「な、何を馬鹿なことを・・・何の事やらさっぱりですよ?」

声が裏返っている舞人に悪笑を浮かべた智里は更に追い討ちをかける。

「ふーん。しらを切るって訳ですか。いいですよ〜?私には何の被害もないしおまけにはる先輩に褒めて貰えるし」

「先輩・・・顔色が優れませんよ?」

香奈は不安そうに舞人の顔を覗き込む。
優れない、という言葉で今の舞人の顔色が表されるのかどうか疑問なほど彼の顔は青ざめていた。

「えっへっへ。そりゃそーでしょ。ばれたら多分命ないですもんね。
 この前さ、部室に忘れ物して戻ってみたら何とさくっち先輩が・・・」

「うわあああああ!!!!!分かった!分かりました!!是非この桜井めのコロッケをお納めくださいぃぃぃ!!!」

ついに(あっけなく)降伏した舞人は渋々ながらも大事なコロッケを愛する後輩に献上する事にした。
もちろん、智里だけでなく香奈にもコロッケをあげるところに彼の本当に数少ない優しさを見出せたりもする。

「本当にいいんですか?すいません〜。この恩は一生忘れませんよ」

「くぬぬ・・・そんなこと微塵も思ってないだろうが・・・。
 いいか、俺は命より大事なコロッケをやったんだ。だからくれぐれもあいつには言うなよ」

「OKOK。間違ってもはる先輩には言いませんって。任せてくださいよ」

「あの、桜井先輩、結城先輩に何か悪いことしちゃったんですか?」

「香奈ちゃん、大人の世界は汚れに満ちているんだ。君のような純粋無垢な少女が入っていいところじゃないんだよ。
 君は何も知らずに、ただ平凡だが幸せに満ち溢れた日常を送って欲しい」

「よーするに何も聞かないで下さいってことでしょ。ま、香奈も聞かないであげなよ。先輩にとっては死活問題だしね」

「う・・・うん」

少し納得がいかない香奈ではあったが、舞人の迷惑になるならということで頷くことにした。

「今日は遠野のせいでコロッケを食うのが多大に遅れた上、数までも残り一つとなってしまったではないか。
 まあいい、一つだけでも美味しく幸せを感じて食ってやるさ」

舞人の言葉に智里と香奈はとても不思議そうな顔をして互いを見合わせた。
そして、智里が浮かび出た疑問をそのまま口に出す。

「一つって・・・。先輩、どこにコロッケが残ってるんですか?」

「はあ?お前の目はもぐらかっつーの。よく見ろ、ここにまだ箸もつけていない汚れなきコロッケが・・・」

舞人が右手に持っていた箸で指し示した皿の上には野菜が乗っているだけで、
彼のいうコロッケなる食物は存在していなかった。
最初に皿に乗っていた三つあったコロッケのうち、二つを彼女達に差し出したのだから
本来ならば余りの一つがあるはずなのだが。

「な・・・無い、俺のコロッケが無い!!馬鹿な、さっきまでは確かにあったのに・・・一体何が」

「ごちそうさま」

慌てふためく彼の横から小さな声で食事を終えたときの合図なるものが聞こえてきた。
舞人がその方向に首だけ向けると、見知った一人の少女がうどんの容器を片付けようとしているところだった。

「コロッケ美味しかったです」

最後にとんでもない爆弾発言だけを残して、彼女はつかつかと容器を片付けるためにそのテーブルを後にした。
彼女が去った後にようやく彼らの止まっていた時間が動き出す。

「なつきいたんだ・・・気付かなかったよ・・・」

「あ、あはは・・・。そ、それじゃ香奈、向こうに行って食べようか?」

あまりの気の毒さに智里は香奈に遠まわしに逃げようと提案する。
一人固まったままの舞人を横目で見ながらも、香奈は智里の提案に乗ることにした。

「う、うん・・・では、失礼します。あの、元気出してくださいね・・・」

彼女達が去っていった後のテーブルには放心状態の男と『野菜しかない皿定食』が乗ったトレイだけが残された。

「ころっけ・・・俺の・・・ころっけ・・・」

その後舞人は学食に偶然訪れた朋絵に泣き付いて何とかおかずを奢ってもらうことで立ち直ることが出来た。
また、余談だが舞人がはるかに行った悪戯である『はるかの鞄に山彦の教科書を入れて焦らせてやろう作戦』は
放課後、うっかり自分の口を滑らせた為あっけなくばれてしまい、
怯えた舞人と切れたはるかの超絶鬼ごっこはこの日一時間にも及んだという。














4月14日(日)


指導始動私道





日曜日の昼時、さくら通りと呼ばれる商店街は多くの人々で賑わっていた。
休日ということもあり、普段の疲れを癒したり溜めていたものを発散するために来たりと目的も人様々である。
だが、全ての人が目的を持ってさくら通りに来ていると言う訳でもなく、
中には何の目的も無くただぶらついているだけという者もいたりする。
敢えて理由をつけるなら『暇つぶし』とでも言おうか。そんな空しい休日を彼、桜井舞人は淡々と送っていた。

「ゲームセンターも飽きたしな・・・何か有意義且つ楽しく時間を過ごせることは無いものか」

先ほどまではゲームセンターに入り浸り、多少は時間が潰せたのだが如何せん出費が掛かりすぎた。
彼の懐は午後もその場所で過ごせるほど裕福とは言えない状態だった。

「しょうがない、本屋で哲学書の一つでも立ち読みでもして過ごすとするか・・・」

彼のいう哲学書とは漫画を指しているのは言うまでも無い。
舞人は足を速めて本屋の方角へと歩き出した。






さくら通りには二つの本屋があるのだが、舞人は敢えて遠い方の本屋を選ぶことにしている。
以前は近い方の立ち読みの常連と化していたのだが、現在は全くと言っていいほどそちらに行く事は無くなっていた。
その店は彼が愛し、悲劇ともいえる別れを迎えた女性が今も変わる事無く働いているため、
彼は顔を合わせるのが辛かった。例え向こうがこちらのことを何も知らなくても、だ。
かといって漫画を定期的に立ち読みするのを止めたくはない為、彼の出した結論は「別の本屋に行けばいい」だった。
本屋にたどり着いた彼はいつものように適当に時間を潰すために漫画雑誌を手にしようとした時、
見知った顔が店内に二つあることに気付いた。

「やあやあ、長原にかぐらちゃん。これはまた微妙を通り越えてはじめて見る組み合わせだな」

舞人が児童書のコーナーにいた二人に声をかける。

「舞人さん!奇遇ですね!本当にちょっと、いえ、かなりびっくりしました!」

「こんにちは。桜井君が昼間から本屋さんにいるなんて珍しいね」

そこには舞人と同じ文芸部員である朋絵とかぐらが児童書(いわゆる絵本)を手に持って立っていた。
いい年した高校生が絵本のコーナーにいるという懐かしいギャップが舞人の心の奥底で何かが若干ずきりと痛んだ。

「馬鹿者、俺は文芸部の長として雨の日も風の日も絶えず本屋通いの毎日だっつーの。
 もう小説だのエッセイだので溢れすぎて本棚が今にも半壊しそうな状態ですよ?」

「じゃあ、その右手に持ってる本は差し詰め『休息の参考書』だね」

笑みを浮かべながら朋絵は舞人の持つ漫画という名の哲学書を指摘する。
舞人の言葉に乗ってくれる朋絵は、気がつけばよく舞人と天然漫才を繰り広げている。
無論、自分が『天然』であることに気付かない彼女はそんなことをしているつもりは全くないのだが。
ふと、舞人は彼女らが休日にも関わらず桜坂学園の制服を着ていることに対して疑問を抱いた。

「そう言えば二人とも何でそんな休日には絶対着ない禍々しいものランキングナンバーワンなものを着てるんだ?
 制服なんて学校以外では普通着ないだろ」

「実はですね、今日午前中に先輩方に文芸部員としてのイロハを色々とご教授して頂いてたんですよ!」

「ほうほう、それは『正しい雑用の使われ方』とか『夏休みでの後輩のいじめられ方』とか
 『眼鏡の言う事は絶対の法則』とかかな?」

「あはは・・・、桜井君は去年、佐竹先輩と宇都宮先輩に散々教えられてたよね」

「笑い事じゃないぞ。そんな俺の可哀想なシンデレラのような苦しみをお前らは横で笑ってるだけだっただろうが。
 まったく、のほほんとしているように見えて何て狡猾な奴だ。お前のことを今度から『地獄の雌狐・朋絵』と呼んでやろう」

「わっ、酷いよ桜井君!私は見守っていたんだよ〜。うん、そうだよ」

朋絵のまさに今考えましたと言わんばかりの言葉に舞人はどっと脱力する。
本人は知らないが、朋絵のこういうところがみんなを和ませる要因の一つとなっている。

「・・・悪い、やっぱりお前は狐じゃなくて狸にしよう。『地獄の雌狸・朋絵』!何て恐ろしいんだ!!」

「何か全然迫力が無くなってる気がするんだけど・・・第一かぐらちゃんに教えたのはそんなことじゃないよ」

「いや、まあ分かっているが。じゃあかぐらちゃんは何を教えられたの?」

「え、あ、文芸部ですからやっぱり文の書き方や表現は勿論、
 図書室の本棚の整理法などの部員としての初歩的なことを習いました!」

それは舞人が文芸部員にもかかわらず、全くと言っていいほど教えられなかった数々だった。
入部届けを出すだけだして、一年間も部活に来なかったら当然といえば当然なのだが。

「はああ・・・なるほどね。それで何かと面倒見のいい長原に頼んだって訳か。ナイス選択だぞかぐらちゃん。
 間違って結城や遠野に頼んでたらそれこそ大惨事になるところだった。おお、考えただけで体中がぞっとする!」

「どうして?はるかも智里ちゃんも優しいからかぐらちゃんの指導だって私なんかよりもちゃんと出来ると思うよ」

「こら狸。冗談でもそんなこと言うんじゃありません。
 極道眼鏡がかぐらちゃんの指導にあたったら先に身体が潰れるっつーの。
 遠野は言わずもがな、さぼってどこかにかぐらちゃんを連れて遊びに行くに決まってる」

「え、そ、そうなんですか?」

舞人の恐ろしく命知らずな発言にかぐらは目を丸くさせて朋絵を見る。

「嘘だから気にしちゃ駄目だよかぐらちゃん。はるかが厳しいのは桜井君が相手のときだけだし、
 智里ちゃんだって指導くらい・・・指導・・・あ、あはははは・・・」

「笑ってごまかすな。楽しむ事が人生だとか馬鹿なポリシーを抱いてる遠野が面倒な指導なんか出来るか。
 あんな奴にやらせるなら俺の方が三十倍は懇切丁寧に教えるね」

朋絵は舞人の言葉に少し考え込み、その後ゆっくりと彼の顔をまじまじと見つめた。

「本当に?桜井君の方がちゃんと教えてあげられる?」

「当然だ。道を歩くだけで人々から物事の摂理を説いてくれと頼まれては教えを説き続ける
 現世に生きる孔子と呼ばれたこの俺、ハードボイルド・ダンディ桜井が遠野如きに遅れをとる訳が無かろう」

彼の訳のわからない説明を頭で咀嚼しているのか、朋絵は更に何かを考え込む。
そして、結論が出たのか彼女はすっと顔を上げた。

「うん、そうしようかな。桜井君に任せるよ」

彼女の突然の提案に舞人は頭にクエスチョンマークを浮かべた。
それを読み取ったのか、朋絵は申し訳なさそうに説明を始める。

「私今からちょっと用事があって家に帰らなきゃならないんだよ。
 だから午後からのかぐらちゃんの指導を時間のある他の人に頼もうかと思ってたんだ。
 桜井君が時間を余していて、しかも指導に自信があるんだって言うんだから安心して頼めるよ〜」

朋絵の何ら悪意の無い提案は舞人の思考を一瞬停止させた。
しかし、本当は教えることなんて出来るわけが無い舞人は慌てて口を開いた。

「お、おい!ちょっと待て!今さっきの発言は話の流れでついって言うか・・・」

「じゃあ、かぐらちゃん。後は桜井君に任せるけどいいかな?」

「はい!午前中は本当にご指導ありがとうございました!」

舞人の発言をさらりと流して朋絵はかぐらに了承を得る。
いや、意識的に流しているわけではないので余計に性質が悪いといえば悪いのだが。

「どういたしましてだよ〜。分からない事があったらどんどん桜井君に聞いていいからね。
 それじゃ、また明日」

そう言い残し、朋絵は店を後にした。
残された舞人とかぐらは朋絵の後ろ姿を見えなくなるまで眺め続けていた。

「なんという事だ・・・。まさかアイツ最初からこうなる事を分かってたんじゃないだろうな・・・。
 『地獄の雌狸』恐るべし・・・」

「午後からの指導、よろしくお願いしますね!私頑張って覚えますから!」

「ま、まあお手柔らかに一つ」

その後、午後からの舞人の指導が全く文芸部の活動に関係が無いもので、
『いかに授業中に教師の目を欺いて寝るか』や、『遅刻していてもばれない様にする方法』等の
どうでもいい指導をだったことを付け加えておく。
それと後日、朋絵が舞人たちと別れた後、道に迷ってしまい用事に間に合わなかったことを彼らは知ることになる。













4月17日(水)


囚われた者





「先輩・・・、どうかしましたか?」

放課後の図書館、机の上に座って夕日の差し込む窓の外をぼーっと眺めていた舞人に香奈は声をかけた。
いや、この場合は気付けば声をかけていたというのが正しいだろう。
図書館に現在舞人と香奈の二人しかいないが、
そこにいたのが香奈でなくてもそうしたと思える程に舞人の雰囲気が異様だったのだから。
目は窓の外に向けられてはいるのだが、瞳に何も映ってはいなかった。そう、まるで世界の全てに絶望しているかのように。
そんな舞人を香奈は過去に何度か見たことがあった。
そんなに遠くはない、彼の全てが終わったあの『瞬間』をはじめとして何度か・・・。
香奈に声をかけられた事に気付いた舞人は薄い笑みを浮かべる。

「いやいや、何でもないさ。ちょっと他の奴ら遅いなあって思っただけですよ?
 全く、人が珍しく部活の始まる時間に来たっつーのに失礼な奴らだね」

彼の言葉に重みが無く、それが嘘であることに香奈は気付いていた。
舞人が何で苦しんでいるのかは分かっていた。しかし、それは彼の前で口に出す事は許されない。
それが舞人を除く文芸部のみんなで決めた『ルール』であり、彼が彼で在り続けられる唯一方法だったからだ。

「そう、ですか・・・。今日はみんな来ないかもしれませんね・・・」

舞人の言葉に相槌を打つだけの自分自身が彼女はただ悔しかった。
彼が何故辛いのか、その理由が分かっているのに何の助力もしてあげられない、そんな自分自身が。
彼の心には未だ『あの人』のいた大きな穴が空いていた。とても大きくて、全てのことを押しつぶしてしまうくらいの穴が。

「そうかもしれないね・・・香奈ちゃん、今日はもう上がっていいよ。鍵は俺が返しておくからさ」

それは遠まわしだが、『一人にしてくれ』という意味合いが含まれていた。
香奈は押し黙ったまま、ただ頷くことしか出来なかった。

「それじゃ、お先に失礼します・・・」

香奈が図書館から出て行ったのを確認した後に、舞人は机をダンッと強く叩いた。
静かな部屋に響き渡る轟音は彼の苛立ちをそのままに反映しているかのように。

「馬鹿が・・・香奈ちゃんに心配かけてどうするんだよ。俺は・・・俺って奴は・・・畜生」

夕焼けに照らされた彼の拳はかすかに血を滲ませていた。









「辛いところだね・・・。桜井君も、香奈ちゃんも・・・」

廊下を歩く香奈の背中を見つめながら、図書館の扉の横の壁に背中を付けて朋絵が呟く。
朋絵の横に並んで立っていたはるかはええ、と小さく頷いた。

「桜井君・・・普段は絶対みんなにそんな素振り見せないから、溜め込んじゃってるから・・・」

「けど、この問題だけは直接あの馬鹿が自分で解決するしかないでしょ。
 ただ、香奈は少なからず桜井に好感を持っているから確かに辛いでしょうね・・・。
 自分の力じゃ大切な人は助けられない・・・これを受け入れることほど辛い事はないわ」

「・・・ねえ、はるか。桜井君とこだま先輩は間違いだったのかな・・・。決して結ばれちゃいけない恋だったのかな・・・」

悲しそうな朋絵から、はるかは少し顔を背ける。

「そんなこと・・・ない。私は先輩もあいつもあの時幸せそうに見えたから・・・だからそんなこと無いに決まってる」

「うん・・・ごめんね。変なこと聞いて」

朋絵の言葉にはるかはふるふると首を振る。

「今の私たちに出来る事は『悲劇を知ってしまった者としての責務』を果たす事だけよ。
 あいつはヘンなところでしぶといから・・・だから、立ち直れるわよきっと」

「そうだね、桜井君強いから大丈夫だよね・・・」

はるかはぐっと拳を握り締めた。自分の中の負の感情が爆発してしまわないように。
朋絵はそのはるかの思いに気付かないよう、ただ過去という名の檻の中に囚われた哀しい『ヒト』を見つめ続けていた。











4月19日(金)


Morning snow




『じりりりりりりりりりりりりりりりりりりり・・・・』

部屋中に鳴り響く目覚し時計のアラームを舞人は布団に潜ったまま手を出して止める。
先ほどとは打って変わって早朝の彼の一室は静寂に満たされる。
『さくら荘』と呼ばれるアパートの一室に彼、桜井舞人は高校に入学したときから住んでいた。
去年までは隣の一室に面倒見のいい女の子が父親と二人で住んでおり、
よく舞人を起こしてくれたのだが、今はそうはいかない。
彼女は父親が再婚するため、少し離れたところに引っ越す事になったため、
舞人は自動的に自分で起きなければならなくなったのだ。
そのためにちゃんと起きるように大音量の目覚ましを買ったのだが、
目覚めが本当に悪い彼にとって正直なんの役にも立っていなかった。
いつもアラームを止めては二度寝という悪循環を繰り返しているのだが、彼は何故か遅刻はまだ数回しかするに至ってはいない。
その理由は、彼を起こしに来てくれる、一人の少女の存在があるからに他ならない。
今日もまた、彼を起こすために、トントンとドアをノックする音が彼の部屋に響き渡る。

「せんぱーい!朝ですよ〜!早く学校行かないと遅れちゃいますよ〜!!」

聞きなれたとも、懐かしいとも取れる不思議な声に舞人は重い頭をゆっくりと上げる。

「いいんだよ、俺はいつ来るとも分からない人類の危機に備えて体力を蓄えてるんだ。
 そんな人類を救うための力を何が悲しくて学校なんぞのシステムに費やさねばならんのだ。
 というわけでお休みなさい・・・ぐぅ」

「普段授業中寝てるから十分蓄えてるじゃないですか〜!もう八時十五分過ぎですよ〜!」

外から聞こえてく八時十五分過ぎという単語に舞人の意識は急にクリアー化される。
今から学校へ行く準備して、学校へ向かってもそれではかなりの確率でアウトである。
そうなれば鬼浅間と楽しいマンツーマン授業を昼休み受けることになることは必至だろう。

「うわああああああ!!!!!やべええええええええええ!!!!!!!!!!」

がばっとベットから跳ね起き、神速が如き速さで着替えを済ませる。
その後髪のセットなど悠長な事をやってる暇は無い。朝食も食べずに舞人は鞄を持って玄関のドアを強く開いた。

「きゃっ!」

急に開いたドアに対応出来ず、舞人を起こそうとしていた女の子はしりもちをついて倒れた。

「・・・新手の遊びか、雪村」

「うう・・・、先輩が急にドアを開いたから倒れちゃったんじゃないですか〜」

雪村と呼ばれた少女はお尻を払いながら立ち上がる。
彼女の名は雪村小町といい、舞人の故郷、雫内からの幼馴染であり、別名腐れ縁ともいえる存在だった。

「おいおい、何でもかんでも被害者の立場に逃げるってのはどういうことだ。
 そんなんだから日本人は諸外国にへこへこしなきゃならんのだ。
 もっと大局的に物事を考えなさい。ドアを開けた俺とそれにぶつかって倒れたお前、どっちが悪い?」

「そうですね、確かに現代における日本は何かにつけて被害者、弱者的立場に逃げては発言力が無くなっていますからね。
 大きく見れば私が不注意だったのかもしれません。申し訳ありませんでした先輩」

どう考えても舞人が悪いことに小町はマシンガントークで謝罪する。
彼のどうでもいい冗談に同等に渡り合える。そんな彼女はほぼ絶滅種に近い奇特な存在と言えるだろう。

「分かったならよろしい・・・っていうか、時間!!こんなところでつまらない冗談言ってる場合じゃないっつーの!!
 今、何分だ!?」

「えっとですね・・・三十四分くらいです」

「よーし、三十四分くらいならダッシュすれば余裕で・・・三十四分!!?」

一気に駆け出そうとした舞人は予想外の時間を言われて、急遽ブレーキをかける。
先ほど小町に言われた時刻が八時十五分、そして今が三十四分。つまり、完全な遅刻である。
「馬鹿な・・・」と何度も小さく呟く舞人をみて、小町はくすっと笑う。

「ええ、七時三十四分ですよ。あ、今ちょうど三十五分になりました」

小町の言葉に舞人は硬直した。どうやら彼女の言葉の意味がうまく飲み込めなかったらしい。
たっぷり十秒はたった後、彼は無言で小町の髪房を掴む。

「きゃうん!」

「おい、もう一度聞きなおそう。今の時刻は七時三十五分。これに間違いは無いな。
 ならば、先ほど俺を起こした時刻は何時だ」

髪を掴まれたまま、小町は自分の腕時計に目をやる。

「えーと・・・三十分です。七時三十分」

「ほう。お前、俺を起こしたとき確か『八時十五分』って言ったよな。あれは何だ」

「いえいえ。先輩が朝早くすっきりしゃっきり目覚めて下さるようにちょっと時間を少しばかり水増ししただけですよ。
 ほら、遅刻ギリギリの先輩って朝起きるのが格段にとても早いじゃないですか。それを利用しない手はないかなと思いまして」

「馬鹿!お前のその悪意に満ち溢れた嘘のせいで俺は朝飯すら食っていないんだぞ?この責任、どう取ってくれる!」

「あ、すいません。まだ時間もありますし、食べる余裕もありますよ。なんなら私が作りましょうか!
 召しませ、乙女の愛情手料理!」

「いや、どうせ家を出たんだから戻るのも面倒だ。通学中に何か買うから今日はつけにしといてやる。
 もしコンビニまで持たずに空腹で倒れたらたっぷりと慰謝料を請求するからな」

悪態をつきながらも髪から手を離し、歩き出す舞人の後ろを小町は駆け足でついて行った。
舞人も小町も互いに馬鹿なことを言いあう、それがいつも一日の始まりとなっていた。







通学の途中で舞人はコンビニでパンを買い(お金が無かったので小町に借りた)、それを食べながら通学していた。

「しかし、いつもの見慣れた風景もパンを食べながら歩くと一味違うよな。
 こう何ていうか、クリーム味が一面に広がっているような」

「先輩先輩、それは多分隣に一人の美少女が寄り添って歩いているからですよ。
 可憐に先輩のことを一途に想い続けている少女が側にいる。もうそれだけで一味も二味も変わっちゃいますよ!」

「言ってろ。全く、自分で美少女なんて厚かましいにも程があるぞ。もっと誠実で謙虚な二枚目の俺を見習いなさい」

自分のことを棚に上げて話す舞人に小町はそうですねと相槌を打つ。
彼女と学校まで通学するのはまだ彼が二年の時からの日常だった。もっとも、昔はもう一人女の子がいたのだが。

「そう言えば先輩。今日の活動内容は何でしたっけ?」

小町の突然の疑問の投げ掛けに舞人は「はあ?」と疑問で返す。

「ああ、活動ね。よく聞いた。今日はアメリカと日本の間に生じた貿易摩擦に関して思うことを述べるのが活動だ。
 いいかね、そもそも日本の戦後というものは・・・」

「いえ、そうじゃなくて文芸部の活動です。今日は何をするのか聞いておかないと準備できないじゃないですか」

「おいおい、何だその言い方は。それじゃあまるでお前が文芸部員で今日活動するみたいじゃないか。
 うちの部は部外者を堂々と活動させる理由はないぞ」

「ありますよ。私だって文芸部員なんですから。今日は金曜日なんですから参加するに決まってるじゃないですか」

そう言われて舞人はああ、と疑問を解消させる。
小町は一年時は部活をせずにバイトをしていたが、二年に上がる前、突如バイトを辞めてサッカー部と文芸部に入部した。
サッカー部のマネージャーを主としているため、小町が文芸部の活動に参加できるのは金曜日だけだった。
そのことを思い出した舞人は新に浮き上がった疑問を口にする。

「そういえばお前、何で文芸部なの?」

舞人の突然の大変失礼な言葉に小町はむすっと頬を膨らませる。

「何でって言い方は無いじゃないですか!まるで私が文芸部にいちゃいけないみたいじゃないですか!
 先輩の持つ文芸部という名の花園ハーレムに私一人くらい入れて下さいよ〜」

「おい、そこの暴走雨女。勝手に話を膨らませて妙かつ危険な事を口走るんじゃありません。
 俺が聞きたいのは何でバイトを止めてまでサッカー部と文芸部に入ったってことだ」

その言葉に小町は一瞬顔を曇らせる。しかし、次の瞬間は元の明るい顔に戻り、自慢のマシンガントークを放つ。

「飽きちゃったんですよ。ほら、何ていいますか、やはり学校で部活をすると自分のプラスになりますしね。
 それにサッカー部のマネージャーをしつつも、文芸で学に勤しむ。
 そしたら大学進学にも有利かなと思いまして。いえ、私は進学志望って決めた訳でもないんですが
 やはり特は多い方がいいかなあ、と」

「あー、分かった分かった。理由は十分に分かったからさっさと行け。もうお前がいつも俺と分かれる校門が目の前だぞ」

目前に建っている『私立桜坂学園』と書かれた校門を見て小町は少しうな垂れる。

「では、先輩。失礼しますね〜」

別れの挨拶をして、彼女は走って生徒用の玄関へと入っていった。
その後ろ姿を見て、舞人はふう、と溜息をついた。

「あんの馬鹿・・・。みえみえの嘘なんかつかれるとこっちが困るっつーの・・・」

彼女の姿が見えなくなった後も彼は少しの間、その場所を眺め続けていた。
何かを懐かしむように、今の自分と彼女を重ね合わせるように。










4月23日(火)


テスト×惨敗×大脱走





休み時間となった教室は授業中とは打って変わって人々の話し声で溢れかえっていた。
そんな周囲の状況に逆らうかの如く、一人の男が机の上で何やら幼稚な工作に励んでいた。

「何してるの、さくっち」

その男――桜井舞人の行動を見て、希望は声をかける。
目の前に立った彼女を横目で見て、彼は再び工作に専念する事にした。

「どーせさっき返されたテストの結果が悪かったんでしょ〜。
 駄目だよ、またそんな証拠隠滅なんて子供みたいなことしちゃあ」

「な!ぷ、ぷじゃけるなよ小娘!誰が証拠隠滅だ。
 これは持ち帰りやすいようにと、かのライト兄弟が編み出した『プレーン法』にのっとった収納法で・・・」

「はいはい、分かったからさくっちのテストの結果を見せる!じゃ〜ん、今回のさくっちの春休み明けテストの結果は〜」

「わ!馬鹿、開けるな!!」

彼の制止も聞かず、彼女は彼の作っていたエアプレーンを開いた。
そこには赤いバツが多くつけられ、右上に35という数字が大きく書かれていた。

「あ・・・あはは・・・」

まるで見てはいけないものを見てしまったかのような笑みを浮かべるプリンセスから舞人はテスト用紙をさっと奪い返した。
先ほどの授業中、彼らは春休みが明けてからすぐに受けた数学のテストの答案が返されたのだ。
結果が良いものと悪いものとでは、受験が控えている三年である彼らにとっては
大きく今後に差を生じさせると言っても過言ではないだろう。
ちなみに彼の結果が決して良いものでない事は当然のことだが、付け加えておく。

「全く、人のものを勝手に盗み見るとは何て常識知らずな奴だ。大体、人の点数を聞くときはまず自分から・・・」

「いつも私が先に見せてるから今回くらいはさくっちが先じゃないと不公平。あ、ちなみに私は76点だったよ」

彼女の点数は明らかに舞人を陵駕するものであり、実質彼の二倍以上のスコアだった。
これは別段驚くほど彼女の点数がいいわけではなく、単に彼の点数が悪いだけであろう。

「ぐぬぬ・・・点数がテストの全てだと思うなよ!いいか、星崎。
 試験というものはその者が事前にいかに努力に時間を割いたか、ベストを尽くしたかが大事なんだ。
 お前みたいに春休み中バイトにかまけてた奴が試験の結果でいちいち自慢をするんじゃありません。
 俺はこれがベストなんだよ、分かるか?」

「これがベストだったらあんたの人生本当に終わりね。あ〜あ、基本の問い一から見事に間違っちゃってまあ・・・」

突如舞人の後ろから聞こえた声の方に顔を向けると、はるかが彼の右手にあったはずの答案を呆れた顔で眺めていた。
その横では山彦とつばさもそれぞれが「うわっ・・」や「あちゃ〜・・・」といった感嘆声を上げている。

「舞人・・・これは流石にひどいと思うぞ。もう三年なんだから少しは勉強しないと」

「な・・・!山彦、俺と同レベルのお前がそれを言うのか!
 傷付いた、俺は今海より深く空より広く冥王星よりも遠く傷付いたぞ!」

「何訳のわからないこと言ってんだよ。俺はこんなに悪い点数は取れないぞ・・・。ほれ」

山彦から突きつけられた答案には赤ペンでしっかりと71という数字が表記されていた。

「な・・・馬鹿な。山彦といえば『桜坂の赤紙召集令状王』という異名をとっていたくせに・・・」

「それはお前だろ。俺が言うのもなんだけど、このままじゃ来年泣くのお前だぞ?」

山彦からのありがたくも何ともない忠告を無視して舞人ははるかの方を見る。
彼女は舞人を哀れむような目で見た後、無言で自分の答案を彼の目の前に突きつけた。

「きゅ・・・96だと・・・?貴様何者だ・・・俺の中のコンピュータがオーバーヒートするっての!」

「そんなどうしようもない脳内コンピュータを持ってるあんたには悪いんだけど、つばさ」

はるかの横でつばさが笑顔で手に持ったテスト用紙を広げた。
そこには彼の点数の約三倍、早い話が完璧という点数が記されていた。

「ひゃ・・・く・・・てん?」

「落ち込むなよ〜、愚民。ちなみに今回の数学のテストってそこまで難しくなかったのに、このクラスで赤点が一人だけ出ちゃったって先生ぼやいてたよ〜」

時が止まったかのような彼の肩をぽんぽんと叩いて、つばさはとびっきりのスマイルで舞人にとどめを刺した。
彼のクラスはまがりなりにも進学クラス。その中で赤点を取った彼は別の意味での勇者としてクラスの英雄となったという。














放課後の図書館でもまた彼の地獄は終わらなかった。
図書館の中に入るや否や、彼を待っていたのは後輩達(というか一人からだけだが)の熱い歓迎だった。

「さくっち先輩〜!クラス唯一の赤点おめでとうございます!さっすが先輩、やることがビッグ過ぎですよ〜」

彼を見て、まず大きく声を上げたのは智里だった。
大笑いしている智里の横で必死に彼女の行動を制止しようとしている香奈も申し訳なさそうに舞人を見つめる。

「や・・・やかましい!誰に聞いたかは容易に想像はつくが、お前に点数で馬鹿にされたくは無いっつーの!
 お前だってどうせ春休みテストの結果は悪かったんだろうが!」

「いやいや、さくっち先輩ほどではないですよ〜。私は数学は43点でしたし。赤点じゃないですもん」

「たいして変わんねーだろ!全く、人を嘲笑う前に自分の点数を見直せ。どーせ二年じゃお前が最下位だろーが」

舞人の言葉に智里は「うっ・・・」と言葉を詰まらせる。
彼女の反応に舞人はにやりと笑みを浮かべ、香奈の方に視線を向ける。

「加奈ちゃんは数学何点だった?ああ、この馬鹿に遠慮なんていらないからね」

「あ・・・えと、数学は83点です」

点数を発表した後に香奈は「多分・・・」と付け加える。
そこから感じ取れる智里への思いやりに舞人は気付かないようにした。

「なるほどね〜。誰かさんの約二倍ですってよ、智里さん!びっくりですよ!」

「うう・・・、さ、さくっち先輩よりは高いからいいんですよ!香奈となんて初めから勝負になりっこないですもん!」

「ほ〜う、『香奈と』なんてですか。じゃあ、別の奴はどうかな?おい、橋崎、ちょっと起きろ」

舞人は机の上で突っ伏して寝ているなつきを揺さぶって起こそうとする。
たっぷり数十秒たった後に彼女はゆっくりと眠たそうな眼を擦りながらも目を覚ました。

「何・・・ですか?」

「起こしてすまん。ちょっとお前の春休み明けの数学テストの結果が少し知りたくてな。
 点数さえ教えてくれたらお前が日頃から存分にむさぼっている睡眠に再び戻ってくれて構わない」

なつきはまだ意識がはっきりしないのか目が宙を泳いでいる状態だった。
再度数十秒はたっぷりたった後に口を開く。

「はちじゅう・・・いち」

「あ〜、なるほどね。いやいや、すまなかったな。思う存分寝てくれたまえ」

舞人が台詞を言い終える前に彼女は再び夢の中へと戻っていた。
彼の思惑通りの答えだったため、智里はむ〜、と更に悔しそうな顔を浮かべる。

「あっはっはっはっは!いや〜、確かに俺よりは高いですよ!
 でも文芸部の二年でぶっちぎりの最下位ってのはどうでしょう?
 あ、あと雪村が残ってるから気を落とすなよ!でもあいつああ見えて結構本番に強いから
 43点の遠野が勝ってるとはまず思えないけどな」

「べ、別にいいじゃないですか〜!先輩だってクラス最下位、文芸部三年で最下位じゃないですか!」

「馬鹿、確かにクラスでは最下位だが、決して文芸部では・・・あっ!」

舞人が声を上げた瞬間、智里や香奈も『何か』に気付き「あ!」と声を上げる。
文芸部員として毎年、いや、毎テスト恒例の行事とも言うべき出来事があったのを彼らは思い出した。
舞人の数学の点数は確かに悪い。だが、この部活には『数学だけ』なら彼をも越える逸材が眠っていたのだ。
彼らの血の気が引いている中、図書室のドアが勢いよく開かれた。

「みんな、また朋絵が脱走したわ!探すの手伝って!!」

息を切らして入ってきたはるかの言葉に全員が「またか・・・」と嘆息をついた。
そう、数学だけなら舞人をも越える逸材とは彼女、長原朋絵のことだった。
朋絵が数学のテストの結果が返ってくるごとに逃走劇を繰り広げるのは彼女が入部してからの慣わしとなっていた。
他のテストは悪くなく、むしろかなり良いのに、数学だけは点が取れないという彼女に部員は昔から頭を痛めてきた。
帰ったなら放っておけばいい、と普通の人が相手ならばそうも言えるのかも知れないが彼女の場合はそうはいかない。
彼女は生粋の『方向音痴』なため、錯乱したような状態で家に帰り着くことはまず皆無と言って良いだろう。
下手をすると街で遭難と言うことにも繋がる。
今まで彼女が逃亡したとき、全てはるかが発見してきては後日みんなに頭を下げている。
大袈裟に聞こえるかも知れないが彼女の場合、本当に冗談では済まされないのだ。

「またですか・・・。はる先輩、今回は何て書置き残してました?」

「今回は『用事が出来たので真っ直ぐ帰ります』って机の上に残ってたから・・・多分学校の何処かよ!
 今、かぐらちゃんが一人で捜索に当たってくれてるわ」

彼女の書置きとは全く逆の方面をはるかが指すのは彼女が過去に書置き通りの場所にいたことがないからだ。
つまり、絶対的方向音痴の彼女の場合家に真っ直ぐ帰る=学校で迷っているという駄目方程式が成り立ってしまっているのだ。

「それなら今回は早く見つかりそうですね。早く長原先輩を見つけないと・・・」

「全く・・・あの馬鹿娘が!今日という今日は俺が見つけだして制裁を加えてやる!」

「じゃあ、今回は一番に見つけた人がともちゃん先輩に何か奢ってもらうってことで」

「それは自分で朋絵に交渉しなさい。じゃあ、みんな探すわよ!」

ドアの近くにいたはるかを筆頭に舞人、智里、香奈の順番で飛び出していく。
みんなが出て行った図書館では幸せそうななつきの寝顔だけが残されていた。











4月26日(金)


買出しという名の罰





「じゃあ次は・・・あ、『君のこころ』だって。私これ前からずっと読みたかったんだよ〜」

「・・・」

夕刻のさくら通りは人通りも昼と比べてまばらで、昼時とは若干異なった雰囲気を醸し出していた。
しかし、人通りがそこまで少ない訳ではなく、むしろ帰宅ラッシュを迎えるこれから後がピークであろうと容易に予測できる。

「う〜ん、でも『目下美人』のどちらか一つだけって書いてあるし・・・どっちも買っちゃったら駄目かな」

「・・・」

そんな街の中を一組の男女が会話をしながらゆっくりと歩いていた。
ただ、女の子の方が一方的に話しかけているだけのものではあるが。

「ねえ、桜井君聞いてますか〜?無視するなんてちょっと酷いよ・・・」

「ほう?どっかの長原さん家の朋絵さんのせいで本の買出しに付き合わされて
 あまつさえ荷物持ちという重労働を押し付けられた俺は酷いのか」

両手に重そうな本が入った袋を持った男――桜井舞人からワンブレスによる不満の声があがり、朋絵はしゅんと頭を垂れる。
放課後、副部長命令ということで彼らは本の買出しに向かわされていた。
朋絵はこの前みんなに迷惑をかけた罰として、舞人は朋絵の荷物もちとしての抜擢である。
無論舞人は不満の声を上げたのだが、文芸部は女所帯で男手は彼しかいない為、やむなく彼女に付き合うハメとなった。

「うう・・・反省してるよ〜・・・。でもでもお話しながら歩いた方が楽しいよ?」

「俺はこの両手いっぱいに持ってる本の束を長原が持ってくれる方が楽しいぞ?
 楽しさのあまり俺の中の世界観が180度変わるね」

「む、無理だよそんなにいっぱい!せめてニ、三冊くらいなら・・・」

「そんなの誰だって持てるっつーの!ったく、お前が山彦なら三秒で業務用電子レンジで殴るところだ」

「山彦って・・・確か桜井君の同じクラスの相良君だっけ?それじゃあ親友さんだね」

「・・・俺は何故先ほどの言葉からそんな答えが導き出されるのか全く理解できないんだが」

「ふふふ、照れなくていいよ〜。あ、到着だね。じゃあすぐに買ってくるよ」

そう言い残し、朋絵は目の前の本屋の中へと入っていった。
残された舞人は荷物を路上へと置き、大きな溜息をついた。

「親友・・・ね」

彼女の残した言葉を口に出して反芻する。
確かに山彦は彼にとって一番仲のいい友人であるのだが、他の人に面と向かって親友と呼ばれると何か照れるものがあった。

「あれ、あんた桜井じゃない?」

「ああ?何処の誰だか知らんが俺を道端で名指しするとはいい度胸だ。
 貴様に過酷な現実の辛さというものを教えて・・・げげっ!!」

突然の呼びかけにいつものように反応した自分を舞人は呪った。
そこには一ヶ月ほど前に卒業した先輩、文芸部前部長である結城ひかりが立っていたからだ。
彼女は彼の中で数少ない逆らえない人物であった。

「現実の辛さが何?あんたが教えてくれんの?」

じと目で舞人を睨むひかりを前に、舞人は大きく首を横に振る。

「いえいえ、滅相もございません。私めのような下々の分際の下等生物に話しかけて下さり、
 誠に有難くて涙で茶を沸かして差し上げる次第でございます」

舞人の訳の分からない日本語にひかりは大きく嘆息をついた。

「あんた全っ然変わってないわね・・・。まあ、いいわ。あんたさっき朋絵と一緒だったみたいだけどデート?」

「ななっ!?んなわけないでしょうが!!本日我々はひかり姐さんの血縁なるものの横暴により、
 図書館の新刊の買出しという重労働を強制させられているのです」

「ああ、そういえば今頃はそんな時期だったっけ。あの娘そういうこと言わないから全然分からなかったわ」

「今度一つと言わず百でも千でもガツンと言ってやって下さいよ!
 独裁者をなくして平等な世に!アイハブアドリーム!」

「・・・ガツンと、ねえ」

自分の言葉を受け、ひかりの表情が少し変わったことに彼は気付いた。
そこから感情こそ読み取れなかったが、先ほどまでとは明らかに違っている。

「姐さん?」

「ん。何でもない。じゃあ私は友達と待ち合わせがあるから行くわね。しっかり買出しに努めなさいよ、部長さん」

舞人の肩をパシンと叩いて、彼女は舞人たちが来た方角とは反対側へと歩いていく。
だが、少し離れたところで立ち止まり、再び舞人の方を向いた。

「桜井。あの娘の――はるかのことなんだけど・・・」

「結城のこと?」

ひかりは少し顔を俯かせ、数秒躊躇った後に再度言葉を繋ぐ。

「いえ・・・やっぱりなんでもないわ」

「さっきからどうしたんですか?何か姐さんらしくないっすよ?
 いつもなら密林の奥深くで棍棒片手にカエル鍋くらいのことはしてたのに」

「そんなこと何時したっつーのよ!・・・ったく。あんたは本当に変わってないんだから・・・」

ひかりはそう言って柔らかい笑みを浮かべた。それは舞人が今まで見たことがない彼女の表情だった。
彼女が去った後も舞人は少しの間その方向を眺め続けていた。
理由はわからない。ただ眺めていなければならない気がしただけなのだから。













「遅いよ、ひかり〜!結構待ったんだよ」

「あ〜、ごめん。本当は予定通りの時間に着くはずだったんだけどね」

待ち合わせの場所に彼女がたどり着いたときには既に相手は到着していた。
大人びたひかりとは対照的な子供っぽさが残る少女が少し怒った仕草を見せている。

「でも、待ち合わせに遅刻なんて珍しいね。何かあったの?」

「ん。来る途中で懐かしい奴に会っちゃってね。少し話し込んでただけ」

「奴って・・・。まさか男の子?ひかり男の子嫌いじゃなかったっけ?」

「あいつは特別よ。本当に馬鹿でひねくれて嘘がつけない奴だから・・・嫌いなんて感情はとうの昔に通り越してるわね」

「へえ〜。ひかりがそこまで言うなんて余程良い人なんだね。私も知り合ったら仲良くなれるかな?」

「・・・なれるわよ。今度こそきっと・・・きっとね」

最後のひかりの呟きは少女の耳には届かなかった。
彼女は誰にでもなくただ願う。もし『もう一度』があるのならばそのときは・・・と。












4月28日(日)


暴走特急和観号





人は常に求めるものを得られる訳ではない。それは誰の言葉だっただろうか。
人生は多岐に分岐している川のように運命の気の向く方へと流れていく。全くもって理不尽な世の掟。
そんなことを柄にもなく桜井舞人は考えずにはいられなかった。

「坊〜。ご紹介♪」

文芸部の後輩である平塚加奈と一緒にいるところを一番見られてはいけない人物――佐伯和観に見られてしまったのだから。






事の成り行きは簡単だった。
休日の朝、舞人の元に智里から予期せぬ電話が入ってきた。
電話の内容は『今日香奈と買い物に行く約束だったんですけど用事が入って行けなくなっちゃったので
私の代わりに行ってあげてください』というものだった。
無論はじめは躊躇した彼だったが、別段断る理由も思いつかなかったのでOKを出し、香奈と休日を過ごす事にした。
このことを智里は香奈に伝えてなかったらしく、舞人が待ち合わせ場所に来た時、
彼女は本当に驚いていたことを蛇足ながら付け加えさせていただく。
そうして、いざ買い物に行こうとした瞬間に何の悲劇か和観と出会ってしまったというわけである。

「・・・ぶ、部活動の後輩の平塚さん家の香奈ちゃんでございます・・・」

舞人の横で少し硬い表情で、香奈は「は、はじめまして」と礼をする。

「ん〜〜、いつぞやの希望ちゃんとはまた違ったタイプの娘ね〜。ふむふむ・・・ほうほう・・・」

そう言って和観は香奈を様々な角度から鑑定でもしているかのように視線を巡らせる。
突然の和観の行動に香奈は戸惑いながらも、舞人に視線で助けを求めたが、
彼に出来る事は顔の前で合掌するだけだった。

「いや〜、もう合格!合格!んもう、坊ったらこんな可愛い彼女が出来ちゃってたならちゃんと私に報告しなさいって」

和観のある程度予測できていた行動に舞人は頭を痛めた。
予測できた理由は至って簡単、以前彼が友人の星崎希望と一緒にいたときを和観に見られた時もこのような状態だった為だ。

「か、彼女なんて、あ、あの!その、わ、私は」

「あらは〜。赤くなっちゃってもう!先輩もこの娘ならきっと大喜びだわね〜」

和観はうんうん、と納得しながら香奈をぎゅっと抱きしめた。
突然の抱擁によって緊張に輪をかけられ、頬がどんどん赤くなっていく香奈を見て、
和観は更にテンションをヒートアップさせていく。

「だから、加奈ちゃんは部活の後輩ってだけでですね・・・」

「香奈ちゃんは坊にいつ告白した?それともされた?キスは?
 もしかしてもうステップ飛び抜かしてやられちゃった?中に出されちゃった?」

「えっ?えっ、ええっ?」

「って、何つーことを聞いてるんですか!だから、加奈ちゃんはそんなんじゃ・・・」

「まさかまだなの?あらは〜、駄目よ坊。女の子はいつも待ってるんだから常に強気で押していかないと」

「だから、俺の話を!」

「駄目だよ、舞人にい。ああなったらもうお母さんは止まらないって」

和観を何とか止めようとする舞人に対し、何時からいたのか一人の少年が制止の声をあげた。
舞人のことを舞人にいと呼ぶ少年は世界でただ一人しかいなかった。

「なんだなんだ、将来ハーレム地獄を築くことが運命と架されている和人じゃないか。お前いつからいたんだ?」

「最初からいたってば。女の子を連れた舞人にいを見つけたとき、お母さんには『止めよう』って言ったんだけどね」

和人と呼ばれた少年ははあ、と大きな溜息をついて彼の問いに答える。
少年の名は佐伯和人。和観の一人息子であり、舞人にとっては兄弟とも言えるような関係だった。

「馬鹿!お前がもっとしっかり引き止めないから香奈ちゃんまでも暴走特急和観号にはねられた、
 もとい巻き込まれちゃったではないか!」

「そ、そんなこと言われても・・・。でも舞人にい、いいの?連れのお姉さん凄い顔が真っ赤だよ」

和人の指摘したとおり、香奈の顔は紅潮を通り越して文字通り真っ赤となっていた。
知らない人に抱きしめられていることと、舞人の彼女と言われたことの二つのコトで
香奈の緊張の限界は簡単に突破していたのだ。

「うわあっ!だ、大丈夫か香奈ちゃん!?」

「彼女・・・あうう・・・私が彼女・・・」

「良いわよね〜。眩いわよね〜。ラブラブだわよね〜。
 あっ、みきりんには私が伝えるから啓子はひろぽんへよろしくね〜」

香奈を抱きしめたまま携帯で彼女の情報網の全てにリークしているところは流石と言ったところだろうか。
もはや香奈に至ってはぐったりしていて意識があるのかどうか疑わしい。

「か、和観さん勘弁して下さいよ〜!!!」

彼の悲鳴で和観が止まるならどれだけ楽だろうか、と和人は他人事のように眺めていた。
桜井舞人がどうあがいても決して勝てない女性。それが佐伯和観その人である。












「はいもしもし・・・あれ?さくっち先輩どうしたんですか?」

『香奈ちゃんの家までの道のりを教えてくれ。今すぐ』

「はあ?何でですか?そんなの香奈に聞けばいいじゃないですか。一緒にいるんでしょ」

『いるにはいるが・・・聞けないんだよ』

「まさかケンカでもしちゃったんですか?・・・って、そんな訳ないですよね。香奈がそう簡単に怒るわけないし」

『当たり前だ。ただ、口がきけない状態なだけだ』

「口がきけないって、香奈どうしちゃったんですか?」

『色々あって緊張しすぎて気絶した』

「・・・納得」

『・・・理解のほど感謝する』














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