2.切望







ハクオロ皇の消えたトゥスクルは体裁こそ取り繕っていたものの、完全に灯火が消えたような有様だった。
賢皇と謳われたハクオロは、トゥスクルの象徴であり、民の心の拠り所でもあった。
無論、ベナウィをはじめとした家臣達が無能な訳ではない。
現在、彼らのおかげで国はなんとか持ちこたえているといっても過言ではない程に彼らは良くやってくれている。
だが、それでも皇の不在は余りにも大きな衝撃なのだ。トゥスクルという強国はハクオロ在ってはじめて機能する。
その証拠に、ハクオロ不在を良いことに近隣の諸国が不穏な動きを見せているという話も上がっているのだ。
このままでは、恐らくトゥスクルは再び戦火に焼かれるだろう。それがトゥスクルの民の予見であり、不安であった。
だからこそ、民は必死で神(ウィツァルネミテア)に祈るのだ。ハクオロ皇の、その帰還を。












夜、トゥスクルの城内の一室に皆が集っていた。
無論、皆といっても全ての人間ではない。ハクオロと親しかった仲間達だけの、何度も行われた話し合いだった。
この場にいないのは、エルルゥと自室で眠っているユズハ、クーヤにサクヤの四人。
アルルゥとカミュはその部屋でいつものように眠っていた。

「そろそろ観念してくれませんか?」

「くどい。何度言われても俺の考えは変わらん。この国の皇は兄者以外に無い」

「ですから、皇が戻ってくるまでの間だけと言ってるでしょう。
 このまま皇が不在の形では諸国は間違いなくトゥスクルを攻めるでしょう。
 民の不安を抑える為にも・・・」

「分かっている!!だが、もし俺が皇になって、月日が流れ、兄者が帰ってきたらどうなる!?
 もし俺が皇としての座に長い時間つけば、必ず俺派の人間と兄者派の人間に分かれるだろう!
 そして民の中、臣下の中に間違いなく兄者の帰国を煙たがる人間が出てくる!そんなこと許せるか!!
 俺が兄者に皇の座を渡そうとしても、それをすんなりと許さないだろう!そんなのは御免だ!
 それにベナウィ、お前も本当は分かっているんだろう!?俺だけではない、誰を皇にしたところで
 一次凌ぎでしか無いと!結局、この国は兄者以外の人間では駄目なんだ!兄者ではないと・・・」

声を荒げるオボロに、誰も言葉を発せずにいた。
苛立たしげに言葉を吐き捨てたオボロだが、その内容は、その場の人間全てが同じ考えだったのだ。
ベナウィも、クロウも、カルラも、ウルトも、トウカも。会議に参加した全ての人間がオボロの言葉を否定出来ないのだ。
彼らの表情は誰をとっても暗い。そう、民以上に心に傷を負っているのは他ならぬ彼らなのだ。
誰しも分かっているのだ。恐らくもう、ハクオロとは再会し得ないと。彼らの愛した皇は深き眠りについたのだから。
だが、誰もそのことを口にしない。口に出来はしない。皆が望んでいるから。ハクオロの帰還という、夢物語を。

「・・・あの娘、エルルゥはどうしましたの?」

「きっと今頃、ハクオロ様の寝室ではないでしょうか・・・
 エルルゥ様、夜になるといつもあちらに通ってますから・・・」

その先をウルトは口にしない。何をしてるのか、分かっていたから。それはその場の皆も同じだった。
――泣いている。エルルゥは一人、ハクオロを想って泣いているのだ。
ハクオロが消えてから三ヶ月。正確には三ヶ月と十二の日が過ぎた。
皆の前では悲しそうな素振りを一切見せないエルルゥだが、一番ツライのは彼女の筈だった。
それなのに、笑顔を作り、アルルゥやカミュを励まし、皆を元気付ける。悲しいほどに、笑顔を絶やさず。

「姐さん、倒れないといいんですがね・・・最近ちと無理しすぎだと思いやす」

「エルルゥ殿もそうだが・・・ユズハ殿もだ」

トウカの言葉に、オボロは思わず表情を顰める。
現在、ユズハは妊娠している。言わずもがな、ハクオロの子だ。
本来なら、祝うべきことなのだが、それ以上にユズハの病が彼女の身体を蝕んでいた。
恐らく、今のままでは彼女の身体は出産に耐えられないだろう。最悪、子供もユズハも二人とも。

「畜生・・・何で、どうしてこうなるんだよ・・・畜生・・・」

「オボロ・・・」

「ユズハは・・・ユズハが唯一見つけた幸せなんだよ・・・
 長く生きられないユズハが、唯一この世に残せる筈だった女の幸せなんだよ・・・それすらも奪うのかよ・・・
 なんで・・・なんでだよ・・・兄者・・・」

オボロの零す言葉に、誰もが押し黙る。
救いは無いのか。誰を呪えばいい。これも天が定めた運命だというのか。
彼らは望んでいた。神とは言わない。天とは言わない。ただただ、彼らは望んでいたのだ。
それは絵空事。それは夢物語。唯一つ、ハクオロの帰還。
彼が帰ってくればユズハの病がどうなる訳でもない。だが、そこに少なくとも救いはある筈だ。
愛する者がいれば、傍にいれば、きっとユズハにとって、それは救いである筈なのだ。だからこそ、彼らは願った。
彼がいれば、ハクオロというパーツが埋まれば、きっと全ての歯車が動き出す。
彼がいて、初めて自分達の物語は回り続けるのだと。だから願う。奇跡ではなく、救いを求める為に。




「・・・おとー・・・さん・・・?」

「お・・・とう・・・さま・・・」

先程まで眠っていたアルルゥとカミュの声に、その場の全員が彼女の方を見る。
そこには、表情こそ変わらないものの、いつも二人とは完全に空気が変わっていた。まるで何かが憑いたかのように。

「どうしたのだ、アルルゥ」

「それにカミュも・・・」

トウカとウルトの言葉を受け、二人の目が見開いた。
その瞬間、二人は立ち上がり、その場の全員が驚く程に全速力でその場から駆け出した。

「おとーさん!!!」

走りながら発したアルルゥの言葉に、その場の全員が『まさか』という表情を浮かべる。
アルルゥが父を呼んで駆け出した。それが意味することは、唯一つなのではないか。
それは誰もが願っていたこと。誰もが望んでやまなかったこと。だけど、在り得ない夢物語だと悟っていたこと。
気付けば、その場にいた全員が立ち上がり、二人の後を追って駆け出していた。



もしかしたら、誰もが諦めていた夢物語を現実にしてくれるかもしれないと胸の中で思いながら。










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